2009-11-01

お部屋1973/図書館の中では見えないこと 4・図書館と税金

前回のコメント欄に寄せられた情報によると、今回の廃棄本は古本屋が引き取るらしい。詳しくは、またも図書館学徒未満 に出ています。ブログ主のaliliputさんは地に足がついてます。

私もこのことは都立中央図書館に電話した時に聞こうと思ってうっかりしてました。すいません。

もしかすっと、都の廃棄基準はこの段階で改正されたのか、あるいは、それ以前から、有償譲渡が許されていたのでしょうが、やれることは全部やっていたってわけです。騒ぐんだったら、その段階で騒ぐべきでした。

この調子だと、一括で手渡すのではなく、買い取れるものだけ古本屋が引き取って、残りは利用者に放出ってことかな。貴重な資料を捨ててはいけないという方々は、もらいに行くといいでしょう。

最初っから正しい情報が流れていればよかったって話なのですが、都議会で話し合われていたようですから、その段階でいくらでも情報にアクセスすることは可能だったはず。都立図書館としては、その決定を粛々と実行するだけです。情報を得るべき人たちは得ていたはずなのですから、ネットでこういう盛り上がりを見せるとは予想しておらず、公表しなかったことは責められないかと思います。実際のところ、話題になっているのはネット上だけだとも言ってました。「なんでいまさら」って思いでしょう。

取材は何本かあっても、記事が出たのは、「アサヒタウンズ」だけだったそうです。これから出るものもあるかもしれないですが、他は取材をして記事にならないと判断したのではなかろうか。つまりは、騒ぐべきものではないことが騒がれてしまったということだと思います。こうなった以上、今からでも都立図書館は情報を公開した方がいいとは思いますが。あらぬ誤解を受けないためにも。
 
笹沼氏の最新エントリー「資料の保存体制私案 」で指摘されているように、この一件について、一行二行のコメントは別にして、積極的に発言している人の数は非常に少ない。これも妥当かと。

実のところ、図書館員でも、さしたる興味はないのか、私同様、大半の図書館員は「捨てていいだろ」と思っているのだろうと想像しています。そんなに重要なことだったら、黙っているはずもなく、一行二行のコメントで済ませられるはずもなく。

もうひとつあり得るのは、この廃棄についての情報をとっくに知っていて、言うに言えなくなっていた人たちもいるかもしれません。あの状態だと、「なんでもっと早く問題を公開しなかったんだ」と責められかねないです。

「黒子の部屋」でも、図書館の話は全然人気がなくて、「電波右翼一派がハロウィンに乗じてこっぱずかしい迷惑行為」という記事でも書いていた方が倍くらいのアクセスがあるはずです。

ちなみに現在ポットのサイト内では「伏見憲明公式サイト」の「うたぐわさんインタビュー(前編)」がアクセス急増中で、「救いたい!」を抜きそうな勢いです。たぶんこのあと5年や10年は、図書館ネタがベスト10に入ることはないでしょう。

「1971/【必読】多摩図書館廃棄本についての正確な情報」のコメント欄に図書館員らしきkonさんという方が、私がこうもこの問題にこだわっていることを「違和感がある」としています。たしかにこんなに人気のないテーマを書き続けること自体、理解できないのはもっともです。

今回はそれを説明しておきましょう。

そのことを理解していただくためには、図書館の話は人気がないのに、どうして多摩図書館の話はこうも拡大したのかってことを考えた方がいいと思います。

おそらく私同様の人たちが多いからです。税金の無駄遣いが嫌いってことです。つまり、「都立図書館が本を捨てる。税金の無駄遣いだ。けしからん」ということであって、「どこそこの保健所が購入した高額な検査機器を使わずに廃棄」「新築中の××市役所の中に、職員用の豪華浴室を計画中」なんてニュースと同じ扱いだったのだと思います。

広くある「行政はロクなことをしない。特に石原都政」という意識にシンクロしただけのことであって、図書館への関心では決してない。検査機械や浴槽や図書館自体はどうでもいいのです。

私の中にも、行政がやることに対する不信感は十分にあります。特に石原都政。歌舞伎町を潰された恨み骨髄ですから。

konさんは「余談」として、こんなことを書いています。

————————————————————————

脱酸処理って都立だとそんなに安く出来るんだなあと正直うらやましい...以前修復専門業者に問合せたとき、処理のレベル・量の違いもあると思いますが、一冊2千円以上と聞いてあきらめたことがありました。

————————————————————————

私はこれにもムッとしました。

都立中央図書館は数百円と言っていて、立教大学も「1300円、量が増えればもっと安くなる」と言っているわけです。もしこれが私企業だったら、こういった数字をもとに値段交渉するか、いくつかの業者に当たると思うんですよね。なのに、図書館は言い値を聞いて終わりかよ。「税金だと思って楽しやがって」と思わないではいられない。

図書館なりの事情があって、そういうことができないのかもしれないですし、册数を増やして単価を下げてもトータルの金額が高くなるってことかもしれないですが、税金で食っている人たちに対しては、私もまたついつい「この怠け者が!」と厳しい見方をしてしまいます。税金を払っている側からすると、厳しくてもいいわけですし。

図書館の事情をよく知らない私が今回いろいろとネットを見て回って不可解に思ったのは、どうして図書館周りはシンポジウムやら講演会やらが、こうも乱発されているんですかね。本を買う予算がないと言っているくせに。集まるのは図書館員ばっかりで、参加費も公費だったりして。「おめえら、内輪で金を回しているんじゃねえのか」との疑いが沸々と湧いてくるのを抑えられません。そんな金があるなら本を買った方がいいべ。

決算の時期になるともっと増えそうです。今後私は監視すると思うので、ご注意ください。

このところ、図書館員の方々も読んでいるようですから、是非この疑問に答えていただきたい。ついでに、ひとつのシンポジウムで、どの程度の税金を出しているのかも教えてもらいたい。調べればわかりますが。

こんな私でありますから、「石原都政がまたとんでもないことをした」と反応してしまった人たちの気持ちは重々理解できるのですが、冷静に考えれば、無駄な本を管理、保存することの方が税金の無駄遣いになりかねない。

図書館の予算が削減されている自治体が多いようで、それについても、批判が出ているようですが、どこの自治体だって税収が減っているんですから、図書館が聖域のはずがない。であるなら、無駄は削るべきです。

また、今回の措置は直接には「東京マガジンバンク」創設によるものらしい。この試みはいいんじゃないでしょうか。「大宅文庫は大丈夫なんか」との思いもあって、それはまた別の議論としてあるにしても、今まで図書館が十分にケアできていなかった部分を開拓するためにいらない本を捨てるのはやむを得ないでしょう。「東京マガジンバンク」はもうできてしまったのだし。

そのことをしっかりと踏まえないまま、「行政はロクなことをしない」という意識が不正確な情報を拡大してしまったわけで、この現象は公立の図書館全体にとっても、怖い話だと思います。

「行政はロクなことをしない」という意識が情報を拡散し、それによって、この意識がさらに強固になった。その強固になった意識をもとに、「今回のことで知ったのだが、どこの図書館でも大量の本を廃棄しているそうじゃないか。どういうことだ。税金を返せ」「ひとつの図書館でベストセラーを大量に買っているのはどういうことか」「デジタル化すれば図書館なんていらない」「民間委託すればもっと安く運営できる」「『エロスの原風景』なんて悪書を入れるのは税金の無駄遣い」といった批判となって図書館全体に戻ってくるかもしれない。場合によってはデマさえ紛れ込むかもしれない。「図書館員はシンポジウムを乱発して、打ち上げでコンパニオンを呼んでいる」とか。

その時はまた私は火消しに回ることになって、ワシは何をしているのかなと。

しかし、この私の立場も、「行政はロクなことをしない」という意識に支えられていて、出方が違うだけです。行政を批判するにしたって、正しい情報をもとにしなければ人を説得させることはできないと思うため、情報に対して慎重なだけのこと。

私がしょっぱなから、「救いたい!」に懐疑的だったのも、その意識によるところが大です。

実際のところ、図書館員の皆さんは、今回の廃棄について文句をつけることで、新たな税金が使われかねないとの想像があったでしょうか。もしあったんだったら、調べられる範囲で、どの程度重要なものかを調べるってもんじゃないでしょうか。その上でなお捨ててはいけないものがあるなら、その部分だけをなんとかすればいい。図書館員の方々なら私の比ではなく、もっと的確で、要領よく調べられる方法だってあるわけですし。

それもやらないで、「とにもかくにも本を捨てないことはいいことだ」との信念をもとに話を進めているようにしか見えないから、「甘えているんじゃないか」と私は感じないではいられませんでした。

この「本を捨てないことはいいこと」という思い込みもまた広く一般にある意識だと思われ、これも今回の話を大きくした要因になっていると思われます。でも、本当にそうなのでしょうか。これ自体に私は大いに疑いがあります。

出版社は、毎日何百万という単位の雑誌や書籍を断裁しているのに、どうして図書館に入った本ばかりがそうも大事にされなきゃいけないのかなと。もちろん、大事にされていい本もあることは大前提として、ほとんどは古本で言えば価値の低いC級品になっているのに。

長くなるので、また次回

このエントリへの反応

  1. aliliputさん、松沢さん、新着情報アップありがとうございます。

    図書館で引受けないものを最終的には捨てる前に古書店に売却できたらと
    思っていたのでよかったです。

    今回の廃棄本に関して、「もったいないというのはわかるが複本だってわ
    かったんだから騒がず全部すててかまわないもんです」って言っていた方も
    少しでも捨てられる本が減った事に対しては、良かったと素直に喜んでい
    るのを見ると、「とにもかくにも本は捨てたくない」などとは全く思いませ
    んが、なるべくなら少しでも多く必要としている人のもとへ届いて活用され
    てほしいと願うのは、やはりなにも本に限らず普通の感情なのだと思いまし
    た。(あ、「とにもかくにも本は捨てたくない」とは笹沼氏も言っていませ
    んよ。)

    無駄騒ぎ、無駄騒ぎっていうようなニュアンスはもう、いつまでも言わなく
    ってもいいんじゃないかな~。この情報に関心のある人だったら、リンク情
    報も辿れるし、ポット出版内サイトのこの件のブログを読めば、わかる範囲
    で追加・修整された情報もちゃんと理解できますよ。

    私としては、今回の件でただPC広げてサイトにアクセスしただけで、次から
    次へと資料の廃棄・保存のことで初めて知る興味深い事実があったし、
    笹沼氏の「資料保存体制私案」では、図書館をこれから担う世代にとってあ
    る種待望論とでもいえる試みが出てきていてわくわくしています。
    (ネット上でも早く騒動が鎮静化して、笹沼氏がこういう展開へ行く事を
    待っていましたというようなコメントもありました。)

    「(ネットで)積極的に発言している人の数は非常に少ない。これも妥当
    かと」を、図書館員の大半が複本は捨てていいと思っているからだと結び
    つけてしまうのは,少々主観的すぎるように私は感じています。
    ネットで発言することに慎重な人が多いってことも考えられますしね。
    量あればいいってもんでもないですし、大切なのは「質」だと思います。

    この件で、だから廃棄問題なんてわかりきっていた話じゃないかーという
    関係者も多いでしょう。
    けれど公共図書館の資料廃棄・保存のことをこれまであまりよく知らなか
    った人(私自身そうでした)が新たに知り、考える契機になったのは収穫
    なのではと思っています。

    図書館のことで話題が盛り上がるのは異例で、すぐ誰も関心もたくなると
    いう感じで、この期に及んで冷や水を浴びさせなくてもいいのでは~と
    思わずにはいられませんが、そういうイメージを持つに到った背景がある
    のでしょう。
    でも、中にはおもしろい試みをして新たなサービスを展開している優秀な
    若手もいます。(ただそういった人が権限を持ってることは稀で、多くはず
    いぶんと恵まれない待遇でしょうが、図書館に限った話ではないしょう。)
    もっと幅広く個々の図書館員の活躍に目を向けてもえるようにしなくては
    と自戒の念をこめて思います。

    私は「ず・ぼん」(ポット出版)の読者ですが、笹沼氏の発信した「資料
    保存体制私案」のような試みにも、いち早く反応しあって有意義な討論を
    しあえるような動きが「ず・ぼん」に期待できると思っていたのですが、
    ポット出版の方から今のところスルーなんですね。いささか残念でした。

    また、税金で公共図書館は運営されているのだから,そこで働いて得た知識
    や成果物等はなるべく幅広い納税者に還元されるものるものだという考えで
    いますので、そういう意味でも都立図書館には資料廃棄問題に関しても、出
    来るかぎり情報をわかりやすい方法で広くこれからは公開していただけたな
    らと願っています。

    Konさんが松沢さんのブログでコメントされていた「この問題の根っこ」に
    ついては、私も引き続き考えていきたいです。
    MLAは元より、アーカイブというものの必要性や価値について論じあえるよ
    うになるにはなんと険しい道のりなのかということも、実感しました。
    私自身は自分を責めて働らかなきゃあといい聞かせていきます。

  2. akiさま

    「ず・ぼん」に関しては私はほとんど読んでないので、よくわからないです。その辺はポットの沢辺さんに言っていただいた方がいいでしょう。

    何度も書いているように、私は図書館にはそんなに関心がないです。ほとんど利用していないし、期待もしていないので、考えることさえほとんどない。だからと言って、その存在意義を否定はしないです。と同時に無駄なことをやっているとしたら納税者としてムカつくってことです。

    で、さっきアップした新しいエントリーに書いたように、責任追及みたいな話になるとしたら、イヤだなあとも思ってます。それぞれが考えるべきことだと思うので。

    私がここに書いているのも、私個人のまとめであって、この上、情報を訂正しようと思っておらず、その範囲で言えば話はもう終わってましょう。

    そのエントリーに書いているように、Twitterのようなものがこうも力をもった時代に、情報をどうとらえるかというのも、今回ずっと私が考えていたことでもあって、今後も今回の一件が検証されていくことはやむを得ないでしょう。

    今回のことを契機に、もう少し普遍的なことを書いているつもりなのですが、それを理解してもらえていないのだとしたら、私の力不足です。

  3. [...] 1973/図書館の中では見えないこと 4 [...]

  4. [...] 続きます。     追記:福岡の古本屋の廃棄本は、どうせ捨てられるものですから、横流しされたものだとしても、そうは問題だとは思わないので、ついその経緯を推測して書きましたが、違ったらまずいので消しておきました。 [...]

  5. [...] 1972/図書館の中では見えないこと 3・図書館の本はC級品 1973/図書館の中では見えないこと 4・図書館と税金 1974/情報を訂正するためのツール 1975/図書館の中では見えないこと [...]

  6. [...] 1972/図書館の中では見えないこと 3・図書館の本はC級品 1973/図書館の中では見えないこと 4・図書館と税金 1974/情報を訂正するためのツール 1975/図書館の中では見えないこと [...]