2007-06-03

戦争映画巨篇「戦争の犬たち」ニュープリント試写●その2

「戦争の犬たち」を久しぶりに見たボクは、ちょっとセンチになってしまった。
騒動社を飯島さんたちと一緒にやった当時のボクの気分が、画面からビシビシと伝わってくるからだ。

ゲバラの日記にこんなコトが書いてあるそうだ。

肝心なのは行動であり、行動を伴わない言葉など意味はない

当時、左翼少年だったボクは、そんな気分に突き動かされていたように思う。
日本共産党などの既成左翼にたいする、対抗の一番の気分がここだったような気がする。
(逆に言えば、たったそれだけの気分しかなく、
理屈はほとんどこじつけだったと思う。反スタ、とかもね)

そして、それは、少なくとも騒動社にもたくさんあったと思う。

映画が好きで、映画を作ろうというヤツは回りにそれなりにいたと思うけど、
そんなやつらの口先の上手さに、アタマの悪いボクらが唯一対抗できるし、
意味のありそうな対抗が、このコトだった。

だから、「一人10万もって集合」っていうのも、
ちゃんと実現するぜ、って気分からでた合言葉だったのだ。
8ミリではなく、16ミリで撮ることにも、すごい意味があった。
ちゃんとしたものをつくるぜ、っていう気分。

「戦争の犬たち」は35ミリで撮ったものだ。
そうした気分はついに35ミリにまで行き着いて、これがつくられている。
それが、画面からビシビシ伝わってきて、妙な気分になったんだと思う。

内容なんか関係なく(?!)、
自分たちの手で、一人前の映画を、という意思が伝わってくる。
だから、爆発シーンとか、山のなかを動き回ったりする背景、軍服や銃、バズーカかなんかに
力が入っている、。
ともかく、一人前の映画を、なのだ。

行動、。
これは今でもボクの気持ちのなかにいっぱい詰まってると思う。

出版でも、ともかく本を出す(金がない、とか言い訳しない)。
いっぱい売れなくとも、取次が新刊配本してくれない、とか、
零細出版社は差別されているとか、のせいにしない。
(それにボクにはそれほど差別されているとか思えないし)

版元ドットコムなんかに取り組んでいるのも、口先で文句を言ってるんじゃなくて、
自分自身で、少しでも状況をよくする行動を選択したから、なんだと思う。

(続く)