マイ、ネイム、イズ…

2013-02-19 松村 小悠夏

「ポット出版」、一度聞けば忘れない名前です。
しかしその分、聞き取ってもらうまでには、かなりの労力を必要とします。
大学の友人などは(私の発音が悪いせいもあるのですが)、五回ぐらい「ポット!ポ、ッ、ト!」と繰り返したところでようやく、
「ああ〜!電気ポットのポットかぁ〜!」と。

……電気ポットの、ポット。決して間違ってはいないのですが、このコテージのようなオフィス、そして十名近くのヒトと二匹のワン公とが、まるで弥生時代かのごとく共存している環境には、どうにも馴染まない無機質さです。せめて「ティーポットの、ポット」とでも表現したいなぁ。

さて、今日行ったことリストです。
・付け合わせ作業
・各取次へ『ず・ぼん18』の見本を送る

今日はお客様がとても多い、賑やかな一日でした。可愛らしい女子大生さん(全員、一年生と二年生)が四人も見学にみえたのです!せっかく堀さんにお声をかけて頂いたのですが、作業でてんやわんやになっており、テーブルに加わることができませんでした。ごめんなさい。

……ちなみに私「松村」自身も、「マツウラ」さんと聞き違えられたり、「村松」さんと混同されたりと、トラップの多い名前です。ポット内でも既に、上野さんと小久保さんが、『松村or村松、究極の二択』に悩まされていました。当面の間はどちらで呼ばれても振り向きますので、間違いを恐れず、とにかく気軽に呼びつけて貰いたいです。今週も、よろしくお願いします。

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昨日の反省

2013-02-15 松村 小悠夏

前回の日誌に対して、那須さんが口頭で“赤ペン”を入れてくれました。訂正箇所と教えて貰ったことを以下に書きます。

>ゆうに30分という時間を費やされていました。(9〜10行目)
>熱く議論されていました。(22行目)
>デザイン部の方が、日々頑張っておられます。(24行目)

まず、日誌を書く自分の立場を考えること。
あくまで、内部の人間が内部の出来事を語るのだから、過剰な敬語は不要。「会
議は30分でした」程度の表現で十分。社外から電話を受けたとき、社内の人間
に対して敬称を付けたり、敬語を用いたりしないのと同じ。

>大村紙業さまへの発注票打ち込み(4行目)

大村さんは確かに外部の企業。但し、ここでは業務内容のタイトルとして用いて
いるだけなので「さま」は不要。
加えて、例えば大村紙業の社員さんと話すときも「大村紙業さま」とはいわない。
普段からお付き合いが長いこともあり、過剰に持ち上げると慇懃無礼になってし
まう。

後者に関連して、ポットでは外部に業務を委託するとき「発注する」とは言わず、「お願いする・依頼する」と言い換えるルールがある。「発注する」は、“上の企業”が“下の企業”に仕事を流してやる、というニュアンスのため。対等に仕事をする相手に対して、そういう言葉は使いたくないと考えている。

自分の言葉遣いがぐちゃぐちゃだなぁ…ということ、そして、信頼関係は言葉でも築かれるのだな、ということを感じました。今日の日誌にも、たくさん“赤ペン”の箇所があると思います。気付いたら、ご指摘お願いします。

今日で、ポットに来て最初の一週間が終わります。私にとっては、大変でしたが楽しい一週間でした。次週は火曜から金曜までの出社です。まだまだたくさん迷惑をかけてしまいますが、来週からもまた、よろしくお願いします。

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デザイン会議と文芸誌

2013-02-14 松村 小悠夏

《今日行ったこと》

・出版部会議見学

・エアメール配達

・大村紙業さまへの発注票打ち込み

・EuropianaとGallicaのコンテンツ数調査

昨日(13日)の話になりますが、編集部の那須さん高橋さん、そしてデザイン部の
和田さんの会議を見学させて頂きました。
会議内容は、原稿を前に文字フォントや段組を改良していくこと。ゆうに30分
という時間を費やされていました。

そこでひとつ、思い出したことがあります。ちょうど一年前、文芸誌に凝った時
期がありました。文芸誌とは、各大手出版社から月毎に刊行され、ここに連載さ
れた小説の大半はやがて単行本化に至るという、漫画でいえば『週刊少年ジャン
プ』などの位置にあたるものです。ただし『ジャンプ』とは違い、全てのページ
を文字がびっしりと埋め尽くしています。

しかし不思議なことに、同じ「文字がびっしり」でも、「読みやすい文芸誌」と
「読みにくい文芸誌」とがあるのです。文章自体が読みづらいわけではない。文
字が極端に小さいわけでもない。にも関わらず、この差はどこから生まれるの
か。答えが見出せないままに私の文芸誌ブームは終わりを告げたのですが、昨日
のデザイン会議で、その答えが少しわかったような気がしました。

お三方は、或るフォントや段組を用いることが文の印象をどう変えるのか、読者
の視点はどう変わるのかについて、熱く議論されていました。一方私はこれま
で、デザインが本に与える影響に全く関心を向けていませんでした。出版部のデ
スクの反対側では、デザイン部の方が、日々頑張っておられます。自分が想像す
るよりもずっと多くの人と、熱意とが、一冊の本に注がれているのだなと感じた
30分間でした。

個人的に「読みにくい」と感じていた文芸誌も、きっと私には気付かない、デザ
インの工夫があったのだと思います。各出版社の「デザインのこだわり」に思い
を馳せながら、久しぶりに文芸誌を手に取ってみようかな、と思っています。

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はじめまして

2013-02-13 松村 小悠夏

皆様、はじめまして。

二月十二日より、アルバイトとしてお世話になっております、松村小悠夏(さゆか)と申します。

《二日間で教えて頂いたこと・行ったこと》

・ゴミ出し

・コーヒーの入れ方

・電話対応(「はい、ポット出版/スタジオです」第一声をはっきりと。)

・注文受付票の書き方

・原稿訂正箇所の打ち込み

・新宿まで、はじめてのおつかい

・プリンター(とてもハイテク!)カートリッジの交換

・荷物の送り方、ファイルメーカーの書き込み

皆様が毎日当たり前にこなされているほんの雑務でも、私にとってはいっぱいいっぱい……といった感じです。

特に出版部の那須さん、大田さん、高橋さんに対しては常に質問攻めで、散々ご迷惑をかけているのですが、何でも親切に答えて下さるので、とても有り難く思っています。デザイン部の方も、日常の細々したことについて丁寧に教えてくださいます。

今は「お邪魔虫」でしかない私ですが、一ヶ月後には何とか「猫の手」レベルに昇進するつもりで頑張りますので、これからどうぞよろしくお願い致します。

松村

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あとがき、でも再出発

2005-07-26 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
○クライアントへ原稿届け
◯「ず・ぼん」、再度校正
◯新刊の巻末につける索引の為、エクセルデータ作り

最近、友人たちと会っていると自然と就職の話になる。(といっても、僕の友達に年上が多いことと、自分の就職不安が原因なのだが。) 面接に行くと東大から順に学歴別の窓口が設けられていて「その他」は落とされるエピソードや、資料を請求しても特定の大学の学生にしか送付しない企業がある話、コネがないと歯が立たない会社の例などを聞かされ、僕は不安のどん底へ突き落とされてしまった。どんなに頑張っても、どんなに魅力的でも、同じスタート地点にたたせてもらえないということじゃないか。小手先のフェイクがものを言う就職活動の一面。僕は就活というのはもっと楽しいものだと信じて疑わなかったのだが(色々な人に出会って、自分のことについて沢山考えて、売り込みをするなんてわくわくするではないか!)、友人たちの話を聞く限り現実は失望と忍耐の連続のようだった。そんな話を聞いているうちに、僕はこれから何をすれば就活でアピールできるのだろうか、とかそんなことばかり考えるようになってしまった。でも、日曜日久しぶりに和葉に会ってそんな迷いはすっかり吹き飛んでしまった。和葉というのは、高校時代からの友人で、あんまりにもお互いの時間や理想が自然に混じり合ってしまう、とびっきりの友達だ。和葉はとてもきれいで、彼女が現れると世界がいきいきと色づいてしまう。何もかもを共有してきた唯一無二の友達。無条件にお互いを許して信じ合える友達。和葉は相変わらず好き勝手に生きている。自分の伝えたいことを余すところなく表現した空間を東京にプロデュースしたり、ファッションショーで華やかなモデルをしたり、大好きなフランスを隅々まで旅したり。夜は長くて、僕らはいろいろなことを話した。和葉に言われたら、自分が今までやってきたこと、書いてきたこと、それのどれも恥じることはないし、むしろ堂々とアピールできる自分だけのものだと思った。自分の魅力をわかってくれる人。よく周りを見渡したら、僕の周りには和葉みたいに自分を信じてくれている人が沢山いた。心の底から楽しくてアクティブで自由に生きている人たちが沢山いることに気がついた。そして、そんなキラキラした時間を引き出せる大人の方たちもこの東京にはいっぱいいる。もう和葉を前にした時、僕はちゃんとわかっていたのだ。自分が好きなこと、やりたいこと。痛いほどわかっていた。例えば、僕と和葉の関係を大きな社会は笑い飛ばすかもしれない。それでも、自分がおかしいと思う現実にあわせるなんて、やっぱりどこかつまらない。学生時代だからこそ出来ること、自分のやりたいこと。そんなことをやっていけたらいいと思った。この夏は色々なことを考えた。受け入れられなくても、受け入れなければならない現実を沢山見た。受け入れられないものを変えていく人も沢山見た。受け入れられない場所で萎縮している自分もいた。ポットのおかげで自分の未熟を知った。これから何が起こるのか本当にわからないから、なんだか無性にわくわくする。十九歳の夏が窓の外でキラキラと色を変えていた。

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校正ストラテジー

2005-07-25 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯校正した「ず・ぼん」の問題点を大庭さんに教えていただく
◯原稿をクライアントに届ける
◯もう一度、「ず・ぼん」校正

大庭さんが校正した原稿には、僕が気づかなかった間違いが沢山発見されていた。小見出しも、わかりやすいもので、その節で作者が一番言いたいことが具体的に小見出しにされていた。それも疑問形を多く使い、読者にわかりやすいように工夫されている。編集者として、どうやったら読者が読みやすくなるか常に考え、変えられるものはどんどん変えていかなければいけないのだな、と思った。また、小見出しをつける時、その節の性格をしめすやり方(例:「企業はどんな対策を講じたか?」)と結論をしめすやり方(例:「企業側の太陽光発電による環境対策への努力」)があることも教わった。でも、もしそのどちらかを使う場合、すべての小見出しを一種類に統一しなければならない。大庭さんは、ひとつの小見出しをつくるのに何個も案を紙に書き出して考えていた。頭の中で考えているだけではだめ。紙にアウトプットすることで、適切な小見出しを選択できるというわけだ。校正は誤字脱字をチェックする素読みとつけあわせで構成されているが、大庭さんはきちんと引用部分の確認や事実確認まで行っていた。

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地図よ、でてこい

2005-07-20 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯テキスト入力(「す・ぼん」原稿)
◯ず・ぼん、素読み、校正
◯図書館調べもの(16世紀の地図を探すこと四時間。ヨーロッパってこんな風な領土にわかれていたのか〜)

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テキスト入力

2005-07-19 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯書誌データ収集
◯テキスト入力(「す・ぼん」原稿)
◯「ず・ぼん」内校(素読み、小見出し付け、コーナータイトル付け)

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とうもろこしパーティー

2005-07-13 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯とうもろこし茹で(キッチンである素敵な個人指導をいただいた。本当にありがとうございます!)
◯おつかい
◯参考書で勉強
◯印紙等整理
◯エントリーシート書き

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スーパーマンなんていない

2005-07-12 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯ポット会議
◯デザイン部門打ち合わせを聞かせていただく
◯参考書で勉強

最近、ポットは仕事が沢山でバタバタしているため極力皆に迷惑はかけられない。仕事をやりつくし何もすることがない時は、指示を仰ぐよりも自分のデスクで何かをするようにしている。ポットの会議室にある莫大な量の参考書を読みすすめたり、ポットの皆さんのメールを読んで皆がどのようにクライアントの方と接しているのかを学んだり、以前の実習生の日誌を読んで色々なことに思いをめぐらせたり。この以前の実習生の日誌というのが面白いのだ。同じようなことを経験しているはずなのに、それに対する印象の受け方がまったく違っている。彼は、僕がまったく感動しなかったことに感動したり、僕が全然気がつかなかったことに気づいていたりする。

それにしても、本というのがあまりにも簡単に(簡単に見えるだけでそこまでに色々な努力と編集者の睡眠不足があるわけだが)世にでていくので拍子ぬけしてしまう。というのは、僕は本を作っているのは自分と同じ人間だと頭ではわかっていながら、どこかで彼らが自分とは違う種類のすごい人間だと思っていたから。本とかテレビとかの情報は無条件に信じてしまってもいいような、そんな説得力を感じていたから。でも、そうじゃないのだとわかった。そこにある情報に説得力があるのは、僕と同じような人間が並みでない努力をして多大な時間を費やしているからなのだと。スーパーマンなんていないのだな、と目が覚めた。この世界は誰もがやれるほど簡単に動いている。でも、やるためにはすごい労力がいるのだ。メディアの出す意見というのは、いくつもあるうちのひとつにすぎないのだ、ということがわかった。頭ではわかっていたことだったけれど、実際に発信側にまわってみてはじめてちゃんと理解できた気がする。目立つから、大量流通だから、本当だと思ってしまう。情報の植民地化みたいだ、と思った。ポットに来て、メディアを見る目が変わった。実習をしたら自分の目標とかやりたいことだとかがクリアになると思っていたけれど、もっと混乱してしまっている自分がいる。本当に理想的なものなんて実はどこにもない。頭ではわかっていても、しゃあしゃあと自分がその流れにのるのには戸惑ってしまうのだ。「客観」という実態のない切り口に妥協したくない。メディアが何か発信すればするほど見えなくなっていく真実があるのだと知った時、出口のない迷路に迷い込んでしまったような閉塞感を感じた。やはり最後は主観しか信じられない、と。

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アート的制作現場

2005-07-11 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯原稿書きのため都立図書館で調べ物
◯人間学アカデミー、アンケート内容をテキストデータに

今日ははじめて都立図書館へ行った。外国語の飛び交う広尾の道をてくてく歩いていくと、大きな白い建物が姿を現した。今日は佐藤部長が書く原稿の資料集め。日本の専門書というものにあまり触れたことがなかった自分には今回利用した本がとても新鮮に思えた。ひとつひとつ丹念に実験し「事実」だけが記されている本。嘘っぽいものばかりで出来ている自分の人生から一番遠い本であるように思えた。現実的なものって苦手だ。

今日、沢辺さんに「束見本(つかみほん)」というものをいただいた。それは中も外も何も印刷されていない本(と呼べるのかも疑わしいもの)であった。これは表紙見本ともいい、実際にこれから作ろうとしている本と同じ条件でつくる見本品のことである。あまりにも真っ白なのでかなり不思議な感じだった。まるでいつも読んでいる本の活字が魔法で突然消えてなくなってしまったような感じなのだ。どこまでも延々と続く白いページの連続。自分の好きなように書き込める自分だけの本みたいだった。とてもきれいで、いつも読んでいる本に不可欠なメッセージ性というのがまるでなくて逆に、色々な意味が見いだせそうなアート的シロモノだった。その用途が果たされないものって面白い。小学生のとき、美術の教科書で見て仰天した便器の向きを変えただけのモダンアート、マルセル・デュシャンの「泉(Fountain)」を思い出した。

そういえばポットの柳瀬さんがデザインという形で「東京レズビアン&ゲイパレード2005」に関わっている。今年こそは参加したかったのに、僕はパレードが行われる頃にはもうアメリカにいて新入生オリエンテーションのスタッフをやっているのだ。長い長い夏休み、だったはずがあっという間に終わってしまう。もうすぐ新学期なのだ。ますます東京が好きになってしまった今回の滞在。正直、もっとここにいたい。パレードでも熱い夏を感じたかった。

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刷出しとは

2005-07-06 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯クライアントに入稿(またまた電車で、遠出です。京王線って安いし、速い!!)
◯参考書で勉強(またまた著作権)
◯記事用のビジュアルをネットで探す
◯学校の担当者にインターンシップ進行状況をメールで報告
◯つけあわせ、素読み

「刷出しを見せてあげるよ」と沢辺さんが分厚い封筒を手渡してくれた。そこには実際の雑誌の紙面に少し余白を付け加えた大きさのバラバラの紙がはいっていた。それらは四つ折りにされており、実際の本と同じようなページ構成になっている。紙には二種類のものが入っていて、その雑誌で毎回使われている黄色がかった紙に印刷されたものと、全体が青っぽいものとがあった。よくよく聞いてみると、黄色の方は「刷出し(一部抜き)」と呼ばれる実際に本となる印刷物の見本で、製本される直前の糊づけや糸綴じをされていない状態のもの、青っぽい方は「青焼き」と呼ばれるフィルムを青写真感光紙に焼き付けた見本だそうだ。沢辺さんによれば、印刷にはCTPというコンピュータのデータから直接プリントするものと、フィルム版を使ってプリントするものがあるらしい。CTPの時はデータがそのまま印刷機へ直結するのですぐに印刷物がでてくる。それを一部取り出したのが「刷出し(一部抜き)」となる。フィルムの方は「青焼き」で出来を確かめる。「青焼き」がきちんと出来ていれば、そこからアルミ製の印刷版(刷版)をつくり印刷をはじめるわけなのである。ポットでは基本的に、コピーを繰り返さないために画質が劣化しないCTPを使っているそうだ。製本されていないバラバラの状態の書籍をはじめて目にして、面白かった。

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引用とは何か

2005-07-05 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯クライアントに入稿(また電車で遠出です。)
◯参考書で勉強(今は藤脇邦夫著の「出版幻想論」、豊田きいち著の「編集者の著作権基礎知識」を読んでいます。面白い!)
◯クライアントが出す新刊原稿のつけあわせ(あの膨大な量の一冊を何度もくまなくチェックしてきた、ポットの制作チームに脱帽。まわってきた原稿には、よくこんなところ見つけられたなー、という細かいところまで赤が入っていた。)

沢辺さんに「引用」について説明していただける機会を得たので、昨日に引き続き書き記しておきたい。著作物内の表現を借りる方法としては、利用と引用というものがある。利用は、誰かの小説を映画化する類いのものであり、引用は誰かの作品を自作の中でそのまま使用することである。引用というのはなじみ深い言葉のようでなかなかよくわからないものだ。例えば、僕が自分のブログに「◯◯著の『××』という本に□□という記述があるが、私は△△だと思う」というような文章を書くとしたら、それが著者の著作権を侵害するのか、正直僕にはピンとこなかったのである。引用にあたっては、①その必要性、②最小限であるか、③出所明示がポイントとなるという。

①「その必要性」
その引用なしでは論がなりたたない時に引用する。自分の論旨を引き立たせたり強調したりするための引用でなければならず、あくまでも自分の論旨がメインでなければならない。

②「最小限であるか」
常識の範囲内での引用であり、自分の論を補強していない部分まで過剰に引用することはいけない。また、一目で持論と引用部分との区別がつくようにカギ括弧を使うなど工夫する。

③「出所明示」
著作者人格権を守る為、引用部分近くに出所明示する。

よって、「◯◯著の『××』という本に□□という記述があるが、私は△△だと思う」のケースでも、この①〜③を守っていれば基本的に引用できることになる。著作権は奥が深い。「原稿料」や「印税」も、要は「著作権使用料」なのだ。僕は本当に何も知らないで出版物に接していた。

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著作物という英知

2005-07-04 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯郵便局へおつかい
◯参考書で勉強(今は藤脇邦夫著の「出版幻想論」、豊田きいち著の「編集者の著作権基礎知識」を読んでいます)
◯新刊の索引用に書籍のISBNデータを検索、データ入力

沢辺さんが貴重な時間を割いて著作権について話してくださり、それがすごく面白かったのでここに記しておきたいと思う。まず、著作物というのは、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と著作権法第二条に定義されている。誰かがなにかを意図的に(創作的に)作り、それを公に表現した場合、それらはすべて著作物となるのだ。彫刻をカメラマンの意図で色々な角度から撮りそれを雑誌などに載せたら、その写真にはカメラマンの著作権も発生するということになる。「なんで著作権っていうのがあるんだと思う?」と聞かれて、僕は少し考えてからこう答えた。著作権がないと、どんどん著作物がパクられてしまうからその予防に必要なのではないか、と。すると、沢辺さんは「俺は逆なんじゃないかと思うんだよ」と言った。最初はえっ、とびっくりしたが、聞いていると納得してしまう真実をついた論理だった。

沢辺さんは、著作物というのは本来は誰のものでもなく人類みんなのためのオープンな知なのだ、と言った。著作物の中にある作品たちは人間の英知であったり、人間を楽しませたりする類のものだ。ちょっと考えてみればわかるが、現在僕らは歴史の中で人間が造り上げてきたそういった「著作物」である知を無料で使っている。例えば「悲しい」という気持ちひとつにしても、人類が漢字や平仮名を発明して「悲しい」という言葉をつくっていなかったら表現できなかったわけだ。そして、今も人類の持つ知識や表現は進化を続けている。そして、昔と同じように現代にはそういった知識を発明し発表する人たちがいる。ただ違うのは、今を生きるそういった表現者たちは、生活のためを兼ねて(お金をもらって)「著作物」を作っている人が大半だということだ。沢辺さんは、だからこそ著作権で死ぬまで+50年くらいはその権利を保護してあげないといけないんじゃないか、と言った。つまり本来オープンである人類みんなの英知としての「著作物」だが、その作者の生活の為に(そしてそういった表現を活性化させるために)イレギュラーとして一時的に保護してあげよう、というのが「著作権」だと言うことである。人間の英知全体に利益がもたらせるようそういった知識のアウトプットを奨励していこう、ということだ。

沢辺さんの考え方は、僕の言った著作権の存在意義とは正反対で、とても興味深かった。もともとオープンなものでそれをイレギュラーとして保護されているのか、そもそも権利が保護されるべき類のものでそれが当たり前に保護されているのか、それを取り違うと大変なことになる。沢辺さんは、それをわかっていない表現者は実はとても多いのだ、と指摘した。権利、権利と叫ぶ前に、その大元を理解しなければいけないなぁ、と感じた。沢辺さんがここまで時間をかけてくださったのも、それだけ重要で理解しなければいけないものだからに違いないのだ。また、ひとつ大切なことを学んだ一日だった。

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校正日和

2005-06-29 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯クライアントへ出す再校、つけあわせ(すべての校正部分が反映されているか)
◯クライアントへ出す再校、素読み(誤字脱字はないか/事実確認)
◯クライアントへ出す再校、表記ルール確認(常用漢字以外はひらがなになっているか/クライアントの指定する表記ルールに従っているか)
◯ネット書店アンケート集計のデータ入力(帰ってきたアンケートをテキストデータに)
◯人間学アカデミー新パンフレット、つけあわせと事実確認
◯クライアントのDMにつけるおまけのアイディア出し

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校了までの流れを学ぶ

2005-06-28 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ、宅急便等雑務
◯マンガのネームテキスト入力
◯トンボでクライアントの新刊カバー候補を裁断
◯クライアントへ出す再校、赤箇所まとめ、書き加え
◯青弓社へお届けもの

再校出しの原稿を直に見る機会をいただいたので、その時佐藤部長に教えていただいた言葉やシステムをここにまとめて書き記しておきたいと思う。ポットがクライアントから請け負って様々な原稿を作成していることは以前にも書いた。その場合、やはりそのクライアントの意向とポットの制作チームの意向とを練りあわせて原稿を作っていかなければ双方に満足のいく作品に仕上がらない。そのため、ポットで作られた原稿が実際に発行されるまでには何度かそのクライアントのチェックが入る。ポットで一回目の校正をした原稿を初校といい、それをクライアントに見せることを「初校出し」と言う。また、その原稿にクライアントのチェックが入ってポットに戻ってくることを「初校戻り」と言う。佐藤さんが、僕にその戻ってきた原稿を見せてくれた。僕がはじめてライターをやらせていただいたあの記事である。あの時白黒で見たレイアウトが実際に形になっているのを見るのは感慨もひとしおである。会社によっては、初校のことを1校といい、そこから校正の数が増えるに従って1校、2校、3校…という風に呼んでいくのだそうだ。ポットでは、2校のことを再校、3校のことを念校と呼んでいて、このクライアントに関してはこの念校が最終チェックになるそうだ。だから、この原稿は仕上げまでに少なくとも三回チェックを受ける、ということである。念校の時にクライアントの赤が入らずに帰ってきた場合はこれ以上直す必要がないので、「校了(文字通り、校正が完了すること)」となる。もし念校で赤が入って戻ってきた場合に、クライアントがもう直したのを再度見せてこなくても大丈夫ですよ、と申し出てきた場合には、こちらで責任を持って校了とする「責了」となる。今まであまりそういう社内で飛び交う言葉に敏感ではなかったが、これ以外にも会社内の用語がわかってくる広い視点で制作の動きがわかって面白いと思った。

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平凡な一日

2005-06-27 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ、洗い物等雑務
◯著書リストのエクセルデータ作成(リストを作っている著者の著書の多さに圧倒。文をそんなに書くことができるネタの豊富さにびっくり。)
◯アンケートデータ入力

平和な一日。仕事もあまりなく、皆さんもなんだかスロー。電車の中で「暑い」を連発する学生の集団を見て、自分と世間の感覚のズレを再認識。寒がり(&夏大好き)な僕はこれくらいの暑さがちょうどいい。そのかわり、冬はこたつから出られない。あぁ、夏っていい。じっとしていられないほど、体中が夏に支配されてしまう。今日は暇をみつけてはイラストレーターをいじっていた。楽しい。

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デザインの現場

2005-06-22 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○印刷物をテキストデータに(やっと終了!!目がイタい…)
○ゴミ捨て等雑務
◯デザインチームの仕事を見学させていただく

やっと長かったテキスト入力から開放されたので、前から興味のあったデザインチームのお仕事を見学させていただいた。この仕事を愛する齊藤さんの後ろにスタンバイし、わかりやすい説明を聞きながらその仕事ぶりを本人に負けないくらいの熱心さで観察していた。デザイン系の二大ソフトと言えば、InDesignとクォークというものが広く使われているらしいが、ポットではイラストレーターなどを併用しながらInDesignをよく使っていた。デザイナーさんからの絵を原稿とともにどこに配置するか頭を抱える齊藤さん。愚痴をこぼしながらも本当に楽しそうに仕事をしていた。斉藤さんが軽々とキーボードをたたくと、画面に映っている記事のイメージががらりとその印象を変えた。その様子を見ていて僕は、一週間ごとにホームページのデザインをリニューアルしていた高校時代のことを思い出した。授業中もよくノートの余白に企業や学校のロゴを遊び半分にデザインしていたし、高校の卒業文集や大学の願書なども自分だけめちゃくちゃ凝ったデザインを使ってみんなを驚かせた。昔から僕はそういうことが楽しくてたまらない質の子供だったのだ。考えもしなかったことだが、今僕の目の前にはそんなことを仕事にしている人たちがいる。それはすごく新鮮で、飛び切り素敵なことに思えた。すごく失礼な言い方をすれば、「こんなことやってお金をもらえるなんていいなー」というのが率直な感想だった。ポットのデザインチームの方達は、デザインの学校に行った人からすべて独学でやってきた人まで様々だった。趣味程度でも構わないから、自分もこういったソフトの使い方を覚えたいと切望した。文章も書けて、編集もデザインも自分で出来たら、すごく素敵だもの。自分で一通り自分の表現を完成させることができるということは、とても楽しいと思う。

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終わらない…

2005-06-21 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○入稿直前!素読み(誤字・脱字チェック)!!
○DUCAFEへおつかい
○印刷物をテキストデータに(まだまだキーボードたたいています…。一体なぜ終わらないの?涙)
○国会図書館にISBNについての確認
○お茶入れ、ゴミ捨て等雑務

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表現者からの教え

2005-06-20 藤井 崇雅

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○印刷物をテキストデータに(一日中パソコンの前にいたのにおわらない〜!!!!!!)

今日は延々とデータ入力。何が何でも今日中に終わらせてやると。朝から燃えていたし、現に全力を注いでキーを叩いたのだが、結局半分も終わらなかった。それでも、今日はとても嬉しい一日だった。佐藤さんに先日書いた原稿を褒められたのだ。ポットに来てから、仕事のことで褒められたのはこれが初めてだったと思う。しかも、これは僕が初めて書いた原稿なのである。プロのライターの原稿と僕のではやはり出来は全然違っているだろうから、佐藤さんの「結構やるじゃん」には「初めてにしては(結構やるじゃん)」という台詞が省略されていたはずである。それでも初めて自分のやったことが認められたようでとても嬉しかった。佐藤さんが良かった、と指摘した主要ポイントは、「言われていないのにデザインまで考えて原稿を書いたこと」と「原稿がきちんと前ページの文脈や雰囲気に沿って書かれていること」だった。デスクトップに光る佐藤さんの原稿を見ながら、こんな風な紙面が早くつくれるようになりたいと熱望した。

それだけでも素敵なのに。今日僕の幸運はこれだけでは終わらなかった。会議のためにポットを訪れた伏見さんが、貴重な時間をさいて僕に意見をくださったのだ。僕が昔伏見さん宛てにとても生意気なライター志望のメールを書いた時の反応も聞かせてくれて、僕の姿勢の普通じゃなさを改めて気づかされた。中学生のときから僕は他の出版社の方に対しても、失礼で迷惑千万かつ自信過剰な姿勢をとりつづけていたし、それが失礼だとはつゆほど思わなかったのだ。それでも、こんな社会常識も能力もない僕に、あんなに親身になってくださった伏見さんに泣きそうなくらい嬉しかった。僕はここに来るまで、発信者側の視点というものを全く持っていなかったのだと思う。この豊かな日本で生まれた時から色々なものに囲まれて育ったけれど、僕にはそれが占める位置だとか役割だとかがきちんと見えていなかったようだった。

自分は発信者を目指していたというのに、僕は社会を発信者の側から見たことがなかったことに気づいていた。最近、街を歩いているときも、電車に乗っているときも、本を読んでいるときも、常に自分の中にもうひとつの眼が開いているのを感じている。それはポットの皆様が、そして伏見さんが、僕に教えてくれたもう一つの眼である。表現する側になくてはならない、そして僕に足りなかったとても大切な視点である。僕が席を外した時、伏見さんが冗談めかして「早くいい表現者になって、僕をアシストしてよ」と言った。冗談でもすごく嬉しくて、今までにないほどやる気が出た。こんな見ず知らずの僕にたくさんの素敵なことを気づかせてくれたことが本当にありがたくて、夏の夜の帰り道もますます愛しく思えた。雨を予期して持ってきた黒い雨傘だけがうらめしそうに僕の右手に揺れている。風がとても良い夜だった。

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