2012-08-28

第14回■トレンディドラマと臨時ニュース

理想と現実のあいだ

“エロブス”な30代独身女性を始め、テレクラ活動では、一人住まいの女性の家へお邪魔する機会も少なくなかった。私自身が実家住まいということもあり、家に連れ込むわけにもいかず、自然(!?)と、女性の家へ雪崩れ込むことになる。

特に統計などを取っていたわけではないが、どの女性の家も慎ましやかだったという印象がある。東京での女性の一人暮らし、いくらバブル期とはいえ、生活そのものまでバブルというわけにはいかなかった。実際の収入と家賃や光熱費、食費などの生活費を勘案すると、生活そのものは汲々として、大変ではなかったかと思う。当時、『君の瞳をタイホする!』や『抱きしめたい!』、『君が嘘をついた』、『君の瞳に恋してる!』、『ハートに火をつけて!』、『愛しあってるかい!』など、トレンディドラマといわれる、都会に住む男女の“シティライフ”を描いた恋愛ドラマが流行っていた。一連のドラマを見ると、主人公は高層マンションのお洒落なインリアに囲まれた部屋に住み、バルコニーからは東京タワーが見え、シャンパンやカクテルを片手に眺めるみたいなシーンも多かった。いまなら子供有りの若夫婦が慎ましやかに暮らしていそうな2LDKや3LDKのマンションに一人で住んでいるという感じだ。ドラマの中ではセンターキッチンのダイニングにウォークインクローゼットまであった。そんなところに「W浅野」(浅野ゆう子、浅野温子)や中山美穂、鈴木保奈美、石田純一や三上博史、陣内孝則、柳葉敏郎などが住んでいる。多分、ドラマを見て、そんな東京暮らしに憧れた女性も少なくないはず。トレンディドラマなど、まさにバブル期の幻影のようなものだが、当時は憧れや夢の対象でもあった。

ところが、実際にそんな生活をしているのはごくまれである。私が“家庭訪問”させていただいた部屋は、どれもこぢんまりとして、質素な佇まいであった。少なくともバルコニーから東京タワーが見えるようなところはなかった(そもそも東京生まれ、育ちのわたしとしては、東京タワーへの憧れなんていうものはない!)。

バブル期には、その崩壊前後を境にして、理想と現実の乖離みたいなものがあった。ある種、脅迫概念みたいなものがあって、メディアが垂れ流す虚飾と現実の生活との落差に、追い詰められていたものも多かったはずだ。後年、頻発する虚飾と粉飾にまみれた、恋愛商法や結婚詐欺などの“偽セレブ事件”的な犯罪の萌芽や温床もそんなところにあったのではないだろうか。

渋谷

そんな現象については、また、この連載の中で、触れる機会も(覚えていたら?)あるだろう。話は先へ進ませていただく。その頃、狩りや釣りの主戦場を新宿から渋谷へと変えていた。店は以前、紹介した桜ヶ丘にひっそりと佇む「アンアン」、そして、宮益坂を上ったところにある「トゥギャザー」。2カ所を渋谷テレクラ作戦のアジト(もしくは根城)とした。

新宿から渋谷へと“転入”したのには、理由がある。以前も触れたが、新宿の当たりが悪くなり、魚影も薄くなったから、渋谷へと移動したわけだが、その背景には、人の流れが新宿から渋谷へ移ってきたと感じたことも影響している。同時に新宿と渋谷のイメージも大きく変わってきた。

暴力団の抗争(小説『不夜城』ではないが、90年代以降は無国籍化・多国籍化することで、外国人犯罪も頻発する)や薬物取り引きなど、新宿の“物騒な街”化が進み、さらに、キャバクラやAVなどのスカウト、ホストクラブなどのしつこい勧誘も多く、いずれにしろ、新宿は女性が安心して歩けるところではなくなってきた。雑誌や新聞、テレビなどでも事件や事故が連日、報道されていたのだ。

渋谷は“若者の集まる街”化は進み、お洒落なブティック(死語!)やレストラン、バーなども多く、公園通り(既にパルコは誕生している)やセンター街などに人が集まりだす。まだ、チーマーも暗躍してはいないし(1989年には誕生したらしいが、実際に隆盛を極めるのは92年前後から)、ブルセラ(ブルセラショップなども乱立するのも90年代に入ってから)もなかった。まだ、不穏な空気を孕む前の渋谷は平和で、若者の楽園(!?)でもあった。渋谷駅を基点にする、田園都市線や京王井の頭線、東横線などの沿線の繁華街、自由が丘や二子玉川なども若者の注目を集めつつあった。さらに原宿や青山、表参道などにも電車で数駅という、好立地でもある。

そんな状況を鑑み、もし、女性がテレクラに電話するなら、新宿の店ではなく、渋谷の店を選択するのは自明の理で、新宿より、渋谷の方がまともな男性がいると考えるのも当然だろう。いわゆる、地域におけるイメージ・ヒエラルキーが生じている。同時代には、地方格差だけでなく、地域格差まで起きている。後のタウン誌などの「住んでみたい土地ランキング」などで、それは如実になっていく。少なくとも足立(たけしさん、ごめんなさい!)や葛飾(寅さん&両さん、ごめんなさい!)は、女性が憧れる街ではなかった。そう難しく考えなくても単純に新宿と渋谷を比較したら、どちらがお洒落かといえば、やはり渋谷だろう。

風を読む

女性が新宿から渋谷へとシフトするなら、テレクラ男子も新宿から渋谷へとシフトせざるをえない。遊び人たるもの、風を読むことが必要だ。そんな嗅覚だけは、敏感だったりする。遊びながら考える、考えながら遊ぶを心掛けていた。むしろ、そんな創意工夫をし、意匠をこらして、作戦や戦略を練ることが楽しくもある。

その日はうだるような暑さだった。陽が沈んでも暑さは止むことなく、すんなりと眠りにつくなどできそうにない――そんな夜は、テレクラで、涼むに限る(!?)。

渋谷の宮益坂を上ったところにある「トゥギャザー」は、全国展開をしているような大型店ではないが、同じ渋谷圏内に何店舗かある中型店だった。システムは早取制ではなく、取次制。渋谷駅前や公園通りなど、宣伝用のティシュ配りも精力的で、渋谷ではコール数が多いところとして知られていた。

午後11時は過ぎていただろうか、埼玉に住む家電量販店に勤めている20代後半という女性と繋がった。面白いテレビがなく、暇なので(大体、コールする理由はテレビ番組がつまらない、暇をしていたからというのが当時、多かった。これから会って、すぐエッチしたいみたいなストレートなものは皆無である)、電話したという。

明日は休みらしいが、流石、埼玉ということで、これから会おうという「即アポ」は無理と考え、比較的、ゆったりとした気分で電話に付き合うことにした。彼女の店での客に対する愚痴など、丁寧に聞いてあげる。そんな中、彼女の話し方や受け答えが聞いていて心地良く、その声もとても感じがいいと、褒めあげる。

勿論、お世辞(このくらいの嘘は平気でつく!)だが、それが彼女を射抜いたようだ。そんな風に言われたのは初めてだと話す。私自身、特に意識していたわけではないが、客商売はストレスがたまるもの、俺様的な客も多く、店員の前で横柄な口をきくものも多い。この辺は風俗店や風俗嬢の私流の対応に近いものがあるが、常に相手の立場に立ち、相手を思いやる気持ちがあると、随分、印象も違うもの。相手も好感を抱きやすい。お世辞や嘘という表現を先ほど、してしまったが、どこか、相手を労い、敬うような姿勢が根底にあったからこそ、出てきた言葉だと思う。

埼玉に住んでいるにも関わらず、これから会いたいから、出てくるという。かなり話し込んだので、既に彼女が住んでいるところから渋谷への電車はなくなっている。タクシーを飛ばしてくるという、埼玉でも群馬寄りではなく、東京寄りらしいが、それでもタクシー料金は安くはない。1万円は超えるはず。当然、この時間だから、泊まり覚悟でくる。私自身はアポを取るつもりはなかったので、あまりに意外な展開に驚く。まだ、渋谷から私が住んでいる下町への電車はあったものの、これは“運命”(笑)と諦め(嘘!)、終電をやり過ごし、帰ることなく、待つことにする。服装や髪型など、待ち合わせの目印などを教え合い、待ち合わせ場所は渋谷のハチ公前にした。あまりにもベタな待ち合わせ場所だが、終電過ぎである、人も減り、昼間よりは見つけやすいはず。地方(失礼!)に住んでいる方には、わかりやすいにこしたことはない。

出会いを引き寄せる言霊

埼玉から東京まで深夜にタクシーでこさせてしまう、自らの言葉の力(言霊)に驚くばかりだが、たまたま、そういう女性に当たったから、そのような結果を引き出せたわけではない。やはり、会えるには理由があると考えている。もし、出会いの「必勝法」や「法則」(やっと、テレクラの“指南書”らしくなってきた!?)みたいなのがあるとしたら、焦らず、じっくりと相手の話を聞き、そこから相手のいいところを引き出す(もしくは言ってもらいたいところを見つけだす)ことではないだろうか。痒いところに手が届くではないが、その言葉を待っていた、みたいなものを察知することだろう。それが彼女の場合、客の対応への評価であり、感じのいい女性であるという彼女評ではなかったかと思う。その時点では、特にセクシャルな会話などはしていなかった。よくテレクラの個室の壁に、「出会いの3原則」みたいなことが貼られている。そこには、「じっくり話をする」、「いきなり会おうといわない」、「すぐエッチな話をしない」といった標語というか、教訓が掲示されているが、それもあながち嘘ではない。私自身、それを知らずのうちに、実践している。埼玉の彼女の場合、遠距離ということで、すぐに会おうと切り出さず、じっくりと腰を落ち着けて話したのが奏功したのかもしれない。

我ながら言葉の魔術師とうぬぼれたいところだが、日帰りから泊まりへ、嬉しい予定変更、心の中で、喝采を上げる。待ち合わせは電話を切ってから、1時間後だろうか。アポを取った後もドタキャンを考え、次のアポを取り付けようとするが、短時間勝負なので、なかなか会話が転がらず、空回りするのみ。

そうこうしているうちに、待ち合わせ時間が近くなり、慌てて店を出る。渋谷駅のハチ公前へと急ぐ。駅構内を通り過ぎ、ハチ公前に視線をやると、目印のボブヘアーで、カットソーに、ミニスカートというスレンダーな女性が見えてくる。多分、30メーターほど先だろうか、ところが、私が声をかける間もなく、彼女は声をかけた男性について行ってしまう。宮益坂ではなく、道玄坂を上りだす。

インターセプトされてしまった。横取りだ。実は、私自身も試したことがあるが、ハチ公前などは、テレクラでも待ち合わせのメッカ、必ず、一人や二人はテレクラのアポ待ちがいるもの。そういう女性に近づき、さもアポを取った男性のふりをして、女性を拉致してしまうのだ。すぐにそれが嘘だとばれることもあるが、アポを取った男性より、良さそうであれば、ほいほいとついていってしまう。この作戦、案外、成功するから、渋谷という街は浮かれている。

横取りされたわけだが、私としては若干、安堵はしていた。いくらエロブス狙い、低め打ちもいとわない私だが、彼女を見た途端、正直、きついなという感じを抱いたのだ。単純に容貌が好き嫌い以前に、考えようによれば、思い込みだけで、深夜、タクシーを飛ばしてまで東京へ来てしまう女性だ。呼んでおいていうのも変な話だが、妙な怖さみたいなものも感じていた。テレクラの利用時間(オールナイトコースにはしていなかった)も若干、残っていたこともあって、再び、宮益坂を上り、「トゥギャザー」へ戻る。個室に入った途端、ベルが鳴る。フロントから、待ち合わせをした女性から、指名コール(店からは女性のコールを取り次ぐ際に何番ボックスの男性に繋ぎますと、毎回、アナウンスがされる)だといわれる。

「待ち合わせ場所へ行ったけど、どうして来なかったんですか」と、詰問される。
私はあわてて、「待ち合わせ場所へ行ったけど、擦れ違いみたいで、見つからなかった(実際、その女性は他の男性と道玄坂方面へと消えていた)」と、答える。
その女性は声をかけられ、一緒に行ったものの、途中で違うことに気付いたようだが、そんなことはおくびにも出さず、「待っていますから、来てください」と、続ける。
私は「わかった。すぐ行くから待っていて」と、いって、電話を切り、店を出た。

その時点で、私は再び、ハチ公前へ行く気はなかった。指名コールされたことで、しつこいというか、いまでいうならストーカー体質みたいなものを感じ、余計、怖くなってしまったのだ。既に自宅までの電車はなくなっていたが、タクシーで帰ることを決め、宮益坂を表参道方面へ向かうタクシーを呼びとめる。

当時でも私が住む東京の下町までは渋谷からは5000円以上はしたと思う。いまなら高いと感じるが、その時は、タクシーを使うことにも料金にも抵抗はなかった。景気がいいからか、タクシー券みたいものが普通に手に入っていたのだ。バブルとはおかしな時代でもある。多少、広告や企画などの仕事をしていると、普通に、そんなものを貰う機会も増えてくる。別に仕事をしていなくても、ディスコ通いするようなイケイケの女性達もアッシーがいなければ、テレビ局や代理店などから当たり前のようにタクシー券を手に入れていた。

本連載は、前回も述べたように、自らのろくでなしぶりを告白し、懺悔するようなものではないが、それでも埼玉からタクシーを飛ばしてきた女性のアポをすっぽかし、タクシーで帰ってしまうという冷酷非情ぶり、お恥ずかし限り。反省することしきりである。あの時、私は普通ではなかった、どうかしていたのだ(笑)。もっとも、当時は、良心の呵責に苛まれることもなく、平気で、車上の人になった。

車のカーラジオからは、当時の退屈な歌謡ポップス(「Jポップ」という言葉は88年に誕生していたが、まだ、一般化されていなかった。90年代に入ってからだ)が流れていた。“バンドブーム”はもう来ていたはずだが、それでも同時期に流行ったものは、私自身には、歌謡曲ともポップスともつかない、曖昧なものだった。うるさいと感じ、耳を意識的に塞いでいた。そこに、突然、臨時ニュースが流れる。それは「連続幼女誘拐殺人事件」を伝えるものだった。社会を騒然とさせた、かの“宮崎勤事件”である。いまとなっては、被害者の遺体が発見されたか、宮崎が逮捕されたか、その報道の内容は、忘れてしまったが、とにかく、世間を揺るがせた事件である。既に「今田勇子」の名前とともに、連日、件の事件が報道されていた。ある意味、昭和から平成(事件そのものは前年88年から起きている)の端境期を象徴する負の事件である。

既にタクシーは青山通り、国道246号線を外苑前まで来ていたが、私はタクシーの運転手に、渋谷へ戻ってもらいたい、と告げた。