2013-12-25

第32回■サマーヌード〜日本縦断テレクラの旅Ⅲ 大阪編

第3の地での洗礼

博多を発った「ひかり」は新大阪駅のホームへ滑り込むように到着する。二人とも睡眠不足で(特に相棒は、私と違い仮眠も取れなかったみたいだ)朦朧とする頭と身体を抱え、私達のグレート・ジャーニー第3の地・大阪へやってきた。時間は既に7日(水)の午後2時を回っていた。環状線で大阪まで行き、地下街を潜って、梅田の繁華街へ出る。同所のホテルで、スタッフと合流、イベントの指示、資料の確認などを済ます。応援だから、打ち合わせの後、イベント会場に申し訳程度に顔を出して、その日の仕事は7時前までには終了してしまった。チョロイもんだ(笑)。

二人はスタッフの夕食でもどうですか、という誘いに乗らず、会場を後にする。目指すところがあったからだ。

LOFTや阪急などがあって、大阪にしてはお洒落といわれる「キタ」の繁華街・梅田も少し奥まったところへ行くと、途端に妖しい雰囲気を醸し出す。北新地などは飲み屋や風俗店が林立している。

そんな妖しいところにあるテレクラ「キャッツアイ」は、コール数、アポ率ともに関西一を誇る。男性客がボックスの空く順番を待つ、行列のできる店だ。流石、商売上手、商人の街。関西一を自負するこの店、日本一といわないところが大阪らしいが、大阪人気質というものなのだろう――だがしかし、それは東京生まれ・東京育ちの私にとって、致命的なことだった。東京弁(!?)でしゃべるだけで、気取っていると思われてしまう。事実、早取りにも関わらず、圧倒的にコール数があって、いとも簡単に電話を取ることができるのだが、ほとんど会話にならない。東京弁で喋っていると、すぐに切られてしまうのだ。相棒のように幼い頃に大阪に住んだことがあり、大阪弁を習得していれば随分と違っただろう。

話を弾ませようと、軽い冗談をいっても東京の笑いは通じない。やはり、よしもと新喜劇の世界。大阪人が2人いるとボケとツッコミの漫才が始まるというが、私の笑いの感覚は東京流。それなりにギャグセンスには自信はあったが、とてもテレクラにかけている女性とは“漫才”ができそうもない。実は、東京の下町出身ゆえ、学生時代に、浅草の演芸場で、現在は“世界の”と冠せられるあの芸人の師匠にあたる伝説のコメディアン&ボードビリアンに薫陶を得ていたが、そんなことはまったく役に立たなかった。まるで不戦敗である(笑)。

期待

そんな中、唯一会話らしい会話が成立した相手が阪急神戸線の沿線に住むという21歳のOL。前の彼氏が千葉出身だっただけに偏見がない。ところが、彼が東京へ転勤になると、何も言われずに振られてしまったという。できれば復讐したいというのだ。穏やかではないが、きっかけは何でもいい、協力するから会ってくれと無理矢理に頼むと、その女性は迷いながらもOKしてくれた。ただ、アポが取れたのが夜の11時近くだったので、今日ではなく、明日と言われる。明日の昼休みに彼女の住む街のスーパーマーケットの前で待ち合わせをする。彼女の特徴は、身長は168㎝、当時、ヌード写真集が話題になったアイドル女優に似ているという。これは期待を抱かせる。

一方、大阪在住経験のある相棒だが、この日は別の意味で、悪戦苦闘を強いられたという。コールしてきたのが自殺志願の女性だったのだ。26歳のフリーターで、かなり精神的にまいっている。下手なギャグを口走って死なれたらたまらない。2時間近くは話しただろうか。その女性から、
「こんな真剣に話、聞いてくれたん、初めてやわぁ。ありがとね〜」
と、言われた時はほっとしたそうだ。

深夜0時前など、テレクラ時間としては宵の口だが、翌朝から仕事があるので、ここはホテルへ撤退。明日へと希望を繋ぐ。幸い、昼休みにアポは取れている。また、夜には、前から行きたいと思っていた別のテレクラへ行くことになっている。明日のため、大人しく夜を過ごす。

十三のテレクラ

翌7日(水)は朝から真面目に仕事をこなし、昼休みの間に、私は昨日、待ち合わせした阪急神戸線沿線のスーパーへ向かう。ホテルまで持ち込む時間は当然ないが、せっかくだから、一目でも会っておこうと思ったからだ。

梅田から阪急電車で30分ほど。約束の午後1時には着いていた。女性を待つが、来る気配はない。すっぽかしか。漸く、30分ほどして、件の女優に似た、いい女が現れるが、こちらへ来るそぶりは見せない。私から近づき、尋ねるものの、違うの一点張り。だからと言って立ち去るわけではなく、年齢を尋ねてくる。ダブル・ブッキングをしたのだろうか。何度かしつこく聞くと、彼女は立ち去ってしまった。その女性が私を気にいらなかったのは確かだが、それにしても謎の行動ではある。とりあえず、会えただけで良しとするか。思いのほか、時間がかかってしまった。慌てながらも仕事場へは何食わぬ顔をして、戻ることにする。

私達は、仕事を適当に(こればっかりで、会社の方、本当にすいません!)切り上げ、夕方に大阪の繁華街・十三(じゅうそう)にあるテレクラ「ベルエポック」へ。十三といえば、かの松田優作の遺作になった『ブラック・レイン』(リドリー・スコット監督)のロケ地として有名だが、ある意味、もっとも大阪らしい、妖しい風俗のある街でもある。ねぎ焼きなどの名店もあるが、まわりには風俗店が多く、出張ヘルスやSMクラブの事務所も少なくない。街往く人の風情も只者ではなく、後年、この街でSMの女王様のコスプレをした中年男性が普通に街中を闊歩しているのを見かけた時、十三の奥深さを知ったものだ。

そんなところにある「ベルエポック」。普通のテレクラであるわけはない。実に特殊でマニアックなテレクラである。大きな特色はSM回線や3P回線などの特殊な回線を設置し、性癖に合わせ、ボックスへ取り次いでくれることだ。広告も、普通の雑誌や新聞(といってもおやじ向けのエロ週刊誌&三行広告満載の夕刊紙)だけでなく、SMやスワッピング(夫婦交換)など、マニアックな雑誌にも出している。その分、性癖の利害関係が一致するだけに、話がまとまれば、ことは早く進む。同店の常連客は相当、いい思いをしているという。

実はこの店、伝言ダイヤルで見つけた乱交パーティやスワッピングクラブなど、“マニアの巣窟”を探索していた時に専門誌で見つけ、同時に遊び仲間からもその存在を聞いていた。ネットが普及したいまでは信じられないかもしれないが、当時はマニアな雑誌や遊び人の口コミが有力な情報源。そんなわけで、大阪へ行った際には、是非一度、訪問したいと思っていた店なのだ。

私は特殊回線、相棒は一般回線に挑む。私がボックスへ入ると、奈良に住む40代の夫婦から早速、3Pのお誘いがある。3P回線に掛かってきたコールだ。
念のため、3P(“サンピ―”と発音する)を簡単に説明しておくと、男性2人に女性1人でのプレイ(風俗だと、3輪車といって、女性2人、男性1人という遊びがあるが、それとは逆の組み合わせである)で、この場合、夫婦やカップルの中に入って、快感に導くお手伝いをするというもの。

大阪と奈良の距離は実際には大したことはないが、当時は大阪から奈良へというのが大旅行に思えて、遠慮してしまった。その夫婦へ翌日は東京に戻ることを理由にして断りを入れたら、家に泊まって、朝出ていくことを勧められた。そんなことまで考えてくれる、なんか、情の深さに感動してしまう。スワッパー(スワッピング愛好家)は優しい。

相棒は一般回線では成果が出ないので、特殊回線に切り替える。主にSM回線に対応する回線だ。M女性が電話の向こうで勝手にオナニーをして、果てたところで電話を切られたり、SMクラブのママからは店に来るようにと誘われたりする。普段垣間見ない世界なので、相棒はどぎまぎしたそうだ。

九州の二人

私は引き続き、特殊回線の3P回線のコールを待つ。特殊な世界ゆえ、一般回線やSM回線(SMでも充分、特殊だが)に比べると、さすがにその数は少ない。店もちゃんと、相手の二人と会話してカップルかを確認しているから、悪戯もほとんどないという。

深夜0時過ぎに男性30代後半、女性20代後半のカップルから3Pの誘いが入る。話していると関西弁ではない。二人とも九州出身だという。ようやく、大阪の呪縛から逃れられる! 心斎橋でスナックを二人して切り盛りしているらしく、丁度、客が引け、閉店するところなので、これから遊ぼうという。

待ち合わせは心斎橋の彼らの店の側だった。十三から心斎橋まで、タクシーを飛ばす。逸る気持ちを押さえる。用心をしなければいけない。彼らの店の側ということは、ぼったくりや美人局の可能性だってある。すけべ心を抱きながらも冷静な私ではある。

待ち合わせに現れたのは、随分前に見たテレビドラマの1シーンを思い起こさせるような二人だった。理由あり女のバーのカウンターに理由あり男が佇み、無言で酒を酌み交わす――幼な心ながら、あんな風になりたいと憧れた男女。実際はそんなシチエ―ションではないが、二人とも実に絵になる。風情があって、まるで女優と男優のようなのだ。

軽い挨拶とともに、まずは軽く飲もうということになり、閉めたばかりの店へ案内される。二人への警戒心は、会ってすぐになくなっていた。その店は落ち着いた大人の雰囲気を醸すバーだった。大阪には相応しくない(?)お洒落さがあった。彼らも二人して九州から出て来て、苦労はしたようだが、いまだに大阪人の扱いに苦慮するという。昨日、大阪人の洗礼を受けたばかりなので、共感するところも多い。なんとなく、話も合ってくる。また、私も東京での活動ぶりを話す。勿論、マニア活動である。初心者でなく、パーティやクラブなど、この世界の遊びの経験者であることで、安心してもらう。

合意を得ることができたので、3Pをすることになったのだが、心斎橋周辺のラブホテルは普通に3人で入ることができた。本来、2人で利用するところだから、3人だと断られるかと思ったら、特に割増料金(ホテル代は割り勘!)も取られることなく、そればかりか、余分にバスタオルやガウンも出してもらえた。

多分、パーティルームのように大きい部屋だったから問題なかったのだろう。メゾネットタイプで、下にリビングルームやバスルーム、上にベッドルームがあった。

私は最初にシャワーを浴びると、二人に“準備”をするから、ベッドルームで待つようにと言われる。その時は、何の準備かわからなかったが、よくよく考えると、エチケットとしては必要なことだろう。

二人がベッドルームに来ると、いよいよ、3Pの開始である。その女性は服を着ている時にはわからなかったが、実にグラマラスで、グラビアモデルのようなスタイルである。顔立ちは古風だが、体躯そのものは当時の今風であった。男性も歌舞伎役者のような風貌ながら、遊びを仕掛ける時は、偽悪的な相好になる。嫌らしい言葉責めが様になる。

その女性の秘部を見ると、剃毛されている。先ほど、バスルームで剃ったそうだ。そして、3Pだから前と後ろ同時に挿入しようと提案される。そのため、浣腸も済ませたという。準備とは、そのことだったのか。

3Pそのものはパーティなどで経験があったが、アナルまでとなると初体験。しかし、ここで二人の期待を裏切ってはいけない。性の冒険者である私は引き下がるわけにはいかないのだ。果敢に挑むことにする。最初は私が前で、彼が後ろ。そして、次は私が後ろで、彼が前。微妙に不自然な体勢を取らなければならないので、身体もしんどくなってくる。また、経験したことがある方はわかると思うが、薄皮一枚で、男性のお互いのものが擦れ合う感覚も微妙である。だが、その女性は気持ち良いらしく、思い切り嘉悦の声を上げる。私自身の快感というより、二人のお役に立っているという満足感が沸いてくる。

3人の絡みは、いろいろ、組合せを変えながら朝まで続く。夜が白み始める頃(といってもラブホテルの窓は閉じられているから外の景色はわからなかった)、宴も終わりに近づき、私は二人に感謝を告げ、先に帰らせてもらうことにした。相棒が待っているホテルへ帰らなければならないし、午前中には東京行きの新幹線に乗らなければならないのだ。

私にとっては苦戦を強いられた大阪でのテレクラ体験。最後の最後に、大阪の神髄(!?)に触れた夜だ。考えてみたら、大阪はノーパン喫茶やカップル喫茶など、新しい風俗の発祥の地であり、常に性風俗の先駆者でもある。マニアは国境(県境)を超えるというところか。

ふらふらになりながらホテルに戻ると、相棒は深い眠りに落ちていた。叩き起こすと、彼は、私が出た後もSM回線に挑み続け、アポは取れなかったが、SMクラブに勤める女王様から店の電話番号を聞くことはできたという。その後、彼が大阪出張の際、そのSMクラブを利用したかは知らない。

二人は急いで帰りの支度を整えると、ホテルを出て、新大阪駅を目指す。私たちを送り出してくれた会社のスタッフへの土産も買う間もなく、午前9時前には同駅を後にした。長いようで短かった1週間。札幌・福岡・大阪という3都市を巡る私達のグレート・ジャーニーは漸く終わりに近づきつつある。午後0時過ぎに、ひかりが東京駅のホームに静か入る。東京でのサミットは、まだ続いていたが、二人の心の戒厳令は確かに解かれていた――。