2015-03-25

第35回■火車Ⅰ バブルと寝た女(!?)

随分と間が空いてしまった。筆を折る気はなかったし、いろいろ書こうとしていたのだ。だが、形に出来ぬまま、ただ、時間が慌ただしく過ぎて行った。

スランプというか、書く意味みたいなものを探しあぐねていた。いまさら、あの時代のことを書いて、おもしろいのだろうか。そんな逡巡もあったのだ。そんな私に火を点けたのが、時代の流れともいうべき、3本の映画の“ヒット”である。

まず、劇団「ポツドール」の三浦大輔が自らの舞台を映画化した『愛の渦』(池松壮亮・門脇麦出演)の異例のロングラン上映。「乱交パーティ」、「上映時間123分中、着衣時間18分半」――という惹句が躍る同映画、試写を含め何度か見たが、会場には若い男女が集い、笑いの渦が巻き起こる。意外な反応であった。

そして、そのものずばり、カンパニー松尾のヒットAV“テレクラキャノンボール”の映画版『劇場版テレクラキャノンボール』の超ロングラン上映。自主上映された会場はどこも満員御礼状態で、かつ、同映画を、流行語大賞にノミネートされた女性エッセイストや、朝のワイドショーに出演する美形コメンティターなど、“サブカル女子”が絶賛する。

さらに前編後編合わせ4時間を超える、欧州の異端派監督、ラース・フォン・トリアーの“セックス映画”、『インフォマニアック』。主人公の淫乱ともいうべき、奔放な性生活を描き、同じく大きな話題になるとともに劇場にも長蛇の列ができていた。

セックスを題材にした3作がどれも受け入れられ、スキャンダラスな話題を超え、ちゃんと作品として評価を受ける。それも中高年のすけべ心をくすぐるだけでなく、若い男女の笑いと官能のつぼを刺激していく。

そんなネタであれば、私の中にはたくさんある。改めて、書くことに力と勇気をもらった。これならできそうだ。いまさらながら、決意を新たにして、キーボードと向き合うこととなった。それでも間が空いたのは、私の怠惰さゆえ、お許しいただきたい。

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アギーレの次はハリルホジッチか。代表監督の選考が喧しかった日本のサッカー界。漸く、ボツニア・ヘルツェゴビナの英雄に決まった。ブラジル大会の惨敗以来、興味が薄れかけている方も多いかと思うが、それは2014年、ほんの1年前のこと。随分と時間が経ってしまった感じはするが、そうでもない。

かつて、1994年のワールドカップアメリカ大会の出場を逸してしまった、かの“ドーハの悲劇”(1993年10月28日、カタールのドーハのアルアリ・ スタジアムで行われた日本代表とイラク代表のサッカーの国際試合。1994年アメリカ ワールドカップ・アジア地区最終予選)を一緒に見た海外ブランドのショップ店員、デパート勤務の女性について書いた。その女性とはスワッピング・クラブや乱交パーティなど、ご一緒させていただいたが、男と女の出会いのゲームのマッチメイクもしていた。改めて書き記すことにしよう。

日本最古のスワッピング・クラブ

彼女との出会いは、とある秘密クラブ。日本最古のスワッピング・クラブといわれ、都内の高級住宅地にある、昭和の大スターが元・ポルノ女優の愛人と暮らした高級マンションの一室にあった。元々、知り合いの風俗嬢に教えられ、テレクラで出会った女性とカップルで通っていたところ、何故か、私は同クラブのマスターとママに気に入られ、規定では基本、カップル参加のみのところ、連れて行く女性がいない場合は一人でも行けるようになっていたのだ。

彼女との出会いの正確な日付は覚えていないが、その女性は、バブルな時代背景を敏感を映すメイクと髪型をしていた。前髪パッツンの太眉毛。クラブではガウン姿だから服装まではわからないが、遠目にも目を惹く容姿と雰囲気だ。
マスター仕切りでカップリングされ、ラウンジからプレイルームへ移動。元々、目が何度も合うなど、お互いが気になっていただけに、そのプレイはまさに待望の、濃厚なものに。プレイを終えた後もプレイルームでまったりと佇み、いろんな話を交わした。聞けば、今日一緒に来たのはその日伝言ダイヤルでたまたま出会った男性で、興味本位で来たという。仕事は、都内のデパートにある海外ブランドのショップに勤めているという。何故か本名まで教えてくれた。これは、連絡をくれということか。メモなどを取っていることはできないが、誰もが知るデパートに入る、海外ブランドだ、調べ(!?)はすぐにつく。

プレイルームから出てくると、その女性を連れてきた男性から声を掛けられた。年配の男性で、嘘か本当か、新聞記者だという。彼女とは伝言ダイヤルで今日会ったばかり、連絡先を知らないから調べてくれと言われた。私は彼女から勤め先を聞いたことを伝え、同時に彼の連絡先を教えてもらう。私とコンタクトしておけば、彼女とも連絡を取れるということだ。

本来は連絡先の交換など、遊びの場としてはご法度だが、お互いが納得していれば、問題ないということだろう。

数日後(すぐにかけず、多少の渇望感を抱かせる戦法を取る!?)、デパートのブランドショップに電話して、その女性を呼び出す、本名は教えてもらっていた。果たせるかな、本人が出る。嘘ではなく、本当だった。仕事終わりに会う約束を取り付ける。

彼女の仕事場のある新宿で待ち合わせ、落ち合う。流石、いくら肉体関係があっても、直ぐにホテルとはいかず、こじゃれたバーへ行く。なんとなく、当たり障りのない身の上話を聞かされ、先日、連れてきた男性との関係も詳しく聞かされる。

翌日は休みらしく、彼女も時間があるから、ゆったりとしていた。彼女は都内在住ではなく、茨城に近い千葉に住んでいる。帰宅にアクセスのいい上野まで移動するが、時間はぎりぎり、帰るのが面倒くさく、そのまま鶯谷のラボホテル街へ雪崩れ込む。二人ともいい感じに酔っているが、お互いに再会を希望し、また、身体を交わしたいと思っていた。

前回、初対面にも関わらず、何故か、懐かしくもしっくりとくる感覚があったのだ。相性が合うと言ったらそれまでかもしれないが、お互いが居心地の良さを感じていた。それは2回目も変わらなかった。
初めてなのに懐かしいなど、どこかであったような宣伝文句だが、不思議なことにそう感じた。単なる思い込みかもしれないが、錯覚は簡単に起こる。セックスとは強烈なものだ。

気付くと朝を過ぎ、昼のサービスタイムに突入。その日の夕方までやりまくる(下品な表現で申し訳ない!)。蕩ける感覚とでもいうのか。100万語費やすよりも深いコミュニケーションをしていたと思う。

事情のある女

そんな感じで付き合いが始まり、普通に二人だけで会うだけでなく、伝言ダイヤルなどで見つけたパーティやスワッピング雑誌に広告が出ていたクラブなどにカップルとして出かけて行った。遊びまわるという感じだろうか。

そういう付き合いをしながらも時に彼女を連れてきた男性を交え、遊びに行ったり、同時にその男性と二人でテレクラへ遊びに行ったりもした。

実は、以前書いたが、テレクラ女子の叫びを聞き逃すことなく、「この東京の夜空の下、何千万もの彷徨える女性の魂が浮遊する」を捕まえろ、と、名言を吐いたのはその男性だった。新聞記者をしながらミステリー小説を書き、何冊も著作があるという。本当か嘘かわからないが、そんな怪しい輩はいくらでもいる。深く追求するというのも野暮というものだ。その彼とはタッグを組み、テレクラでアポを取った子持ちの離婚経験者の女性の家に上り込み、私が2階で子守りをしながら彼が1階で母親とセックスする、カラオケへ行きたいという女性を車に連れ込み、ラブホテルへ繰り出すなど……ハレンチな活動は枚挙に暇ない。改めて話す機会もあるかもしれないが、かなり怪しいというか、危ない活動をしていたといっていいだろう。

話は横道にそれたが、その女性と何度も遊び歩いていると、情のようなものも沸くし、恋心みたいなものも芽生える。彼女とは伝言ダイヤルなどで怪しいクラブやパーティを見つけ、一緒に遊びに行っていた。また、その後は、二人でラブホテルに籠るなんていうことも度々、あった。そうして付き合いをしているうちに、単なる身体の関係やパーティなどへ行く通行手形的な都合のいい女から変わってくる。

“通行手形”など、聞き慣れない言葉だと思うが、スワッピングのクラブやパーティは、基本的にカップル参加が必須で、料金もカップルの方が男性一人(単独男性と言っていた)で行くより安くつく。そのため、ちゃんとしたカップルではなく、ただ、参加費を安く済ませるため、連れて行く女性を業界用語(!?)で、通行手形といっていた。

その時は毎週末ごと遊びに出ていたが、長いこと時間をともにすると、同時に深い話もするようになる。彼女はブランドショップ店員らしく、いつも最新のファッションで決め、バッグやアクセサリーなどもバブル時代(時期的にはバブルは終焉していたが、浮ついた空気は持続し、蔓延していた)ゆえ、海外の有名ブランドのものを持っていた。いわゆる金ぴかなものを纏っていたわけだ。

しかし、その派手な装いや行いとは裏腹に、実は借金まみれ、多重債務で苦しんでいた。元々、浪費癖があったのだろうが、決定的だったのは前の彼に外車を買い与えたこと。勿論、プレゼントという形ではなく、二人で購入しようということで彼女が立て替え、その彼も支払いをするはずだった。ところが彼は一銭も出さず、おまけに仕事で赤字を作ったので、そのための補填に消費者金融(いわゆるサラ金だ!)で借金をして、その返済のための金を貸してくれといわれる始末。彼は都内でバーを経営していて、若き経営者だったが、そう簡単にうまくはいかない。知らぬ間に借金を抱え、彼女にもその肩代わりをさせるようになったのだ。

当時は、会社勤めというだけでいくらでもサラ金で金を借りることができた。しかし、借りることはできるといっても限度額や返済もある、彼女もサラ金一社では足りず、他から借り捲り、借りた金で返済をするという、いわゆる多重債務に陥っていた。だからといって、ファッションブランド勤務(ハウスマヌカンなんていう言葉もあった)ゆえ、自社の商品も購入しなければならず、かつ、女性の職場、競わなければいけない。変な恰好はできず、ブランド品は増えていく。

まさに悪循環。給料だけでは回らなくなる。金の切れ目が縁の切れ目。彼女はその男性と別れることに。そもそも秘密クラブへ来た男性ともおこづかい目当て、バイト感覚だったようだ。
そんな事実に驚愕したが、私自身は金を無心されることもなく、時には奢ってもらったり、ブランド品のアクセサリーも貰っていた。

借金返済のための活動が始まる。普通なら風俗へというところだろう。いまでこそ、風俗が簡単に金になる時代ではないが、当時はある程度、駆け込み寺のような存在で女性の受け皿になっており、借金苦で風俗行きということもあったし、悪徳ホストが飲み代を返済できない女性を風俗に沈めるなんていうこともあった。

勿論、そんなことはできない。大事なパートナーでもある。結果として、役に立ったかわからないが、当時の私が出会いゲームに興じていたことが多少の足しになったといっていいだろう。

つまり、こういうことだ。テレクラだけでなく、出会いのメディアとして、私は夕刊紙やスポーツ紙の三行広告も活用していた。「レジャーニューズ」や「内外タイムス」などに掲載されている風俗などの広告である。ここは、いわゆる愛人クラブや大人のパーティ、変態スナック、ホモ、レズ、AV、秘密サークル、恋人紹介……様々な怪しい言葉が暗躍するニッチな業態のオンパレードである。

そんな中、勘で探り出し、これはというものにはアタックしていた。勿論、外れもあるが、風俗営業的な売買春とは微妙に違うものもあったのだ。出会いのきっかけは何でもいい。
出会った先にドラマがあるものだ――。