2012-06-22

第5回■星空のドライブ (Interstellar Overdrive)

「その女性」とは“どっしりと構え、じっくりと話さなければならないだろう”と書いた。終電の時間まで、たっぷり2時間は話したと思う。その時点で、会話術や口説き術みたいなものを習得していたわけではない。ただ話し方だけは意識していた。

まずは声質にこだわった。特に美声で、とろけさすような声というわけではないが、できるだけ落ち着いて、ゆっくりと話す。早口や吃音など、性急さや不安定さは人を不快にさせてしまう。また、威圧的だったり、馴れ馴れしいのも引かれてしまう。心地いい距離感を意識した。何しろ、私の浅野忠信似(嘘!)といわれる美貌は電話で伝わらない。耳を通して、脳を刺激しなければならないのだ。

当時流行っていた、村上龍の『愛と幻想のファシズム』という小説の中に、主人公・トウジの声質が人々を魅了し、信奉者にしてしまうという下りがある。正確な引用ではないが、声だけで落とす、それだけは心掛けていた。安心感を与え、信用させ、約束を取り付ける。

それには相手の話を聞くことが大前提だ。思い切り、話させる。それに効果的な相槌を打ち、淀むことなく、流していく。それだけで、向こうは話してもいい相手だと認識し、信頼する。何しろ、看護師である彼女の仕事現場は過酷で、ストレスはたまりにたまっている。その滓のようなものを洗い流し、すっきりさせてあげなければならない。

人と話すことも人の話を聞くことも苦ではない。むしろ、得意としていた。学生時代の仲間と始めた企画会社では、ある企業の広報誌に連載を持ち、様々な職種や年代の人達にインタビューすることを日課のようにこなしていた。人嫌い、社交が苦手などといっていられない。相手の話を聞いて、言葉を引き出さなければならないのだ。

そういう意味では、インタビューは、テレクラのためのいい勉強になった。インタビューという仕事をする機会は特殊かもしれないが、営業や販売などの仕事をしていれば、いやでも話さざるを得ない。同時にスキルも上がる。いままでやってきたことに無駄はない。積み重なって糧となる。

ホテルのロビーに現れた彼女

その女性との約束の時間がきた。彼女は新宿副都心(歌舞伎町から見たら、駅の向こう側)にある外資系のホテルのロビーに現れた。ショートカットに涼やかな目と口角の上がった口元、長い首。当時、テレビの司会などもしていたジャズ歌手にも似ていたが、モディリアーニの絵画のような女性というのが第一印象。いまとなっては顔などの記憶は曖昧になっているが、そんな感じがしたことだけは鮮明に覚えている。服装はカットソーにジーンズ。それでいて、どこかしら、神経が行き届き、“センス”良く纏められている。軽装ながらホテルのロビーにいても浮かない装いだ。靴はローヒールのパンプス。彼女は背が170近くあり、背の高いことを気にしているようだった。

お互い、顔を見合わせると、幸い表情が曇ることもなく(会った相手が気にいらないと、自然と顔に出てしまうもの)、軽く挨拶を交わす。多分、彼女には本名ではなく、適当な名前をいっていたと思う。挨拶もそこそこに、そのホテルの最上階にあるプールへと、外の景色が見えるエレベーターで急ぐ。そのエレベーターからはマイ・ホーム・タウン、歌舞伎町が遠くに霞む。

エレベーターが上昇する度に、邪念を含め、私の期待値も上がる。なかば上気し、天にも昇る気持ちというのだろうか。あれやこれやと妄想夢芝居状態だ(笑)。

そそくさと水着に着替え、プールサイドでその女性を待った。ホテルのプールでは、男性でもこれ見よがしのビキニスタイルの競泳用水着を着るものもいたが、さすがに恥ずかしい。大人しめのサーフパンツ(勿論、サーフィンなどしていない、丘サーファーだ)姿がせいいっぱい。15分ほど、待っていてもなかなか彼女はやってこない。ひょっとしたら更衣室へ行くふりをして、そのまま帰られてしまったのではないか、という不安がもたげてくる。

確かに、話が上手すぎる。いきなりプールデートなんてありえない、そんな思いが心を重くする。それからさらに15分ほど時間が経つ。ようやく彼女が更衣室から現れた。心の中で安堵の溜息をつきつつ、喝采を上げる。白いワンピースの水着にくるまれたスレンダーな肢体。その長い手足を優雅にモンローウォークさせ、プールサイドでステップを踏む姿が眩しい。

私が先にプールに入ると、彼女はおどけながら水面へダイブした。水面に小石を投じると波紋が広がり、小さな輪は大きな輪へと転じる。そして、その波紋は私の人生に漣(さざなみ。なんていうスキンがあった!)を立てる。投げられた小石、その切っ掛けは一本の電話だった。

横浜へのドライブ

プールで、いちゃいちゃする、などというと卑猥なことを想像されるかもしれないが、水を掛け合ったり、手を引いたりする。ひょっとしたら、後ろから抱きつくくらいのことはしたかもしれない。昨夜、電話で話し、1時間ほど前に会ったばかりというのに、急接近だ。急速に二人の距離は縮まる。何が、そうさせたかはわからないが、少なくとも他の人が見たら、恋人同士に見えただろう。変にぎくしゃくしたところも、ぎこちないところもなかったはずだ。

プールサイドからは新宿の景観が見渡せる。だが、夏の陽は長い。黄昏色に街を染めるが、夜景というにはほど遠い。どういう経緯か、素敵な夜景を見に行こうと、横浜までドライブするという話がまとまる。当時、私は免許を取得していなかったので、私が話を振るわけはなく、彼女が言い出したのだと思う。ひょっとしたら、恋人ができたらしてみたい、理想のデートコースだったのかもしれない。

そのホテルに近い、青梅街道沿いのレンタカー屋で、車を借りることにした。車種などは覚えてないが、トヨタかニッサンの乗用車で、決して外車やスポーツカーではなかった。彼女はしっかり免許を持っていて、それをレンタカー屋に見せていた。後年、テレクラが危険化すると、犯罪防止のために、自らの身分を証明するものや高額な金銭を持たないという女性が少なからずいたが、そういう面ではまだ、おおらかな時代だった。私も信用されていたようだ。

新宿から横浜まで、どういうルートだったか、わからないが、心のカーステレオからは矢沢永吉の「チャイナ・タウン」が流れていた。関帝廟通りと市場通りの交差する、行きつけの中華料理屋へ行き、五目冷菜の盛り合わせから肉汁たっぷりの小龍包と青梗菜のオイスターソースかけ、天然有頭エビのチリソース煮などを頼み、紹興酒をロックでやる。当然、メニューは覚えているわけではないので、いかにもグルメに見えるように、こんな雰囲気で頼んだような気がする。当時は誰もが“行きつけ”の店を何軒か、持っていたものだ。しかし、ドライブにアルコール。いまでは飲酒運転の取り締まりや罰則が厳しくなったため相容れないものになったが、あの頃は、“俺たちの出逢い見つめていたのは甘くにがいウィスキー・コーク”ではないが、ドライブで洒落た店へ行き、酒を飲んで、平気で口説いていた。そんな時代である。

逆走のロードムービー

定番なら、中華街の後は“港の見える丘公園で、ベイブリッジを見ながら抱きしめ、キス”だろう。しかし、ドライブは続く。まだ、走り足りないらしく、小田原へ行くと言い出す。ほろ酔い気分で気持ちも大きくなったのだろう。もっとドライブをしたいようだ。小田原へは高速でなく、一般道を走ることになる。ところが、石川町から本牧へ抜けるトンネルで、なんと、彼女は反対車線に入ってしまったのだ! 途中で気付くもすぐには車線変更できず、側道を見つけ、あわてて、抜け出す。逆走は数分にも及んだ。今日、初めて会った女性と(勿論、長年の付き合いがあっても嫌だが)、心中などはしたくない。アルコールと変な高揚感で、舞い上がってしまったのだろう。まさに危険なドライブだ。

路肩に車を止め、彼女に落ち着いてもらう。10分ほど休んだだろうか。心と身体を休めると、これに懲りることなく、小田原を目指す。国道をひた走る。藤沢、平塚、茅ケ崎と順調に過ぎ、小田原の手前、国府津で車を止め、砂浜に出る。

砂浜に横たわり、海を見つめる。当然、海は黒く沈み、青い水面などは見えない。数時間前まで同じ水面でもプールだったことを考えると、随分と急な場面展開だ。空を見上げると新宿の夜景の代わりに星空が煌めく。このシチエ―ション、限りなく、恋人モードである。肩を抱き寄せ、キスくらいはしてもよさそうなものだが、そんな記憶はない。逸る気を押さえてではないが、流石、野外で、何か、よからぬことをする気にはなれなかったのか(先まで考え過ぎだ!)。

On The Road Again! さらにロードムービーは続く。小田原から箱根を目指すことになる。特に当てなどないが、箱根の峠道を車は進んでいく。新宿から箱根へドライブ、恋人気分を満喫しているようでいて、実は彼女を信じられない自分もいた。

ドライブインにトイレを借りにいった時のこと。我慢の限界になり、彼女に頼み、ドライブインの駐車場に車を止めてもらい、トイレを借りに行った。その時、私は迂闊にも貴重品を持たず、そのまま、鞄を置いて車を出てしまったのだ。トイレの中で、そのことに気づき、もし、戻った時に車がなかったらどうしようと心配になり、慌てた。果たせるかな、車はそのまま、移動することなく、駐車場に止めてあった。安堵して、彼女のことを一瞬でも疑った自分を恥ずかしいと感じたが、しかし、そういうことを思ったりするのは当然だし、変に舞い上がることなく、正常な判断ができていた証拠だろう。幸い、いい人に当たったとしかいえないが、危険と隣り合わせであることを常に意識しなければいけない遊びでもあったのだ。

箱根の峠をどこまで上ったか覚えてないが、展望台みたいなところで車から降りて、そこから明滅する小田原の町(かどうかは自信がない)を見下ろしたことは、ぼんやりながら心の雑記帳(!?)に書き留められている。そこから見た星空は小田原の海で見た時よりも近くに感じた。流れ星などが降っていれば、星に願いを的にロマンティックだったかもしれない(笑)。

箱根からそのまま伊豆まで足を延ばすという選択肢もあったが、夜の帳は既に降りている、これから伊豆へは遠すぎる。宛も計画もない小旅行だが、さすがに潮時。星空のドライブは、箱根から東京への帰路につく。東京へと東名高速をひた走る。実際はどういうルートだったかは不確かだが、随分と早く東京へ戻ることができたのだから、高速だったのだろう。

青梅街道沿いのレンタカー屋に車を返すと、既に終電の時間は過ぎていた。これからお互い自宅に戻るには遅すぎる。そのまま、青梅街道沿いのシティホテルに入った。副都心にある外資系のホテルでもなく、歌舞伎町や大久保にあるラブホテルでもない。まだ、恋愛やセックスという関係が曖昧な二人には自然な選択でもあった。

私達の関係とはどんな関係なのだろうか。スタートを切ったとたん、時間の坂を急速に駆け上り、気づいたら、ここまで来てしまった。シティホテルの清潔なダブルルームという頂に、ゴールインしようとしている。

近くのコンビニで、アルコールやソフトドリンクを買い込み、部屋に入る。まずは長旅(!?)の疲れと汗を落とすため、シャワーを浴びる。勿論、別に別に。私は思わず、頭まで洗ってしまう。ここまできたら、後、一押し。いろんな妄想や邪念が浮かぶ。そういえば、鞄の底には、もしものことを考え、コンドームは用意していた。

シャワーを浴びた二人はガウン姿になり、ダブルベッドへ横たわる。肩を抱き寄せ、唇を近づけると、目を瞑り、そのまま受け入れる。海岸や峠で、星を見ながらキスをするというのが常套手段だろうが、前述通り、何故かそんなクリシェは回避し、今回は慎重に対応したようだ。唇を啄みながら、ガウンの中に手を入れ、胸を弄る。水着姿を見た時からわかっていたが、スレンダーな肢体には似つかわしくない膨らみ。その感触だけは、掌に残っている。

少しもどかしげにガウンを剥ぎ取ると、私も慌てて、ガウンを脱ぎ棄てる。裸で抱き合う。まるで嘘のような本当の話。昨日の夜までは見知らぬ他人。それが一つのベッドの中にいる。白いシーツにくるまり欲望の海を泳ぎだそうとしているのだ。

果たせるかな、泳ぎだそうとしたところで急に、彼女の心と身体の均衡は崩壊し、フォームは空中分解ならぬ、水中分解を起こした。その女性は、私の耳元で、躊躇いと哀願を含みながらこう囁いたのだ。

「好きな人とでないと、できない…」

無理やりでもすることはできただろう。しかし、そうはしなかった。強引さが足らない、押しが弱いといえなくもないが、その時はそれでもいいと思った。考えてみたら、二人は裸で抱き合い、一つのベッドにいる。それだけで満足ではないだろうか。テレクラ自体が性的な記号を持つのは、もう少し後のことだ。出会いの装置であれば充分だ。そして、出会ってしまったのだ。少なくとも彼女はストリートからロードへと、私を引きずり出してくれた。そして、少しずつ、好きになってもらえばいい。

二人抱き合った朝の目覚めは、少しの切なさと少しの爽やかさが混じる。再会を約束し、携帯ではなく(携帯が一般化するにはもう少し時間がかかる)、自宅の電話番号と住所を交換する(そこにはある病院の女子寮の名前が書かれていた)。後に、彼女から手紙を貰うことになるのだから、その時は偽名ではなく本名を名乗っていたわけだ。

彼女の電話を最初に取ってから30数時間は過ぎていただろう。それが短いか、長いかわからないが、会社を辞め、フリーター同様の生活をしていた自分にとって、この出会いは退屈というやつにけりを入れ、とてつもなく興奮させられるものになった。