2016-11-18

[ポットの日誌番外編]雨宮まみさんのこと 文・小嶋優子

ポット出版刊行の雨宮まみさんの3冊の著作
『女子をこじらせて』『だって女子だもん!!』『まじめに生きるって損ですか?』
の編集をすべて担当してくれたフリー編集者の小嶋優子さんから
「雨宮さんのことを書きました」と次の文章が寄せられました。
ここで公開させていただきます(ポット出版 那須ゆかり)

雨宮まみさんのこと

小嶋優子

2016/11/18

 こんなことが起きてしまったので、少しでも今の気持ちを書き留めておこうと思う。
 私は、雨宮さんの本を3冊作ったけれど、本当のことを言うと、彼女のことをよく知らない。知らなかったと思う。
 雨宮さんより10歳年上なので、プライベートで友達づきあいをするわけでもなく、仕事以外の話をするわけでもなく、じゃあ仕事の話をよくしていたのかというと、そうでもない。二人っきりになると、お互い緊張して会話はいつもぎこちなかった。会話に間も多かった。こんな仕事をしているけれど、二人ともコミュニケーションが下手なのだ。
 それでも、会うのは楽しかった。最初は、当時勤めていた会社(3年ほど在籍していた)に来てもらって話をした。雨宮さんはキテレツな服を着ていた。黄色のタンクトップの上に、投網みたいな、ケープ(?)。ボトムスはミニスカートだったかパンツだったか……。一瞬ひるんだ。
 でも、話すと本当に礼儀正しいのだ。あんなに礼儀正しく、所作が美しく、優しく、面白く、ブラックユーモアも交え、的確に、そして静かに話せる人を他に知らない。私が言いたいことを汲み取って全部代わりに言ってくれた。10歳も年下なのに。
 雨宮さんの姿勢の良さを指摘する人は多い。なぜかいつも、背筋がすっと伸びていた。性格や生き方の現れだったのだろうか。
 私は、雨宮さんの声も好きだったし、スマホを操作するしぐさ(指がきれい)、腕も好きだった。白くて長い、美しい腕だった。でも、そう思っていることを一度も本人に言ったことはなかった。言えばよかった。雨宮さんがいつも素敵なので、素敵がデフォルトになり、あえて言うまでもないという気持ちになっていたのだ。本当は、雨宮さんは、誰よりも自信がなくて、そういう言葉を欲していたのに。
 反対に、雨宮さんは私を褒めてくれた。自分でも「今日のこのかっこうは、似合っていて良く見えるかも」と思える日は、控えめに「素敵です」と言ってくれた。雨宮さんと会うときは、雨宮さんが褒めてくれるかもしれない、と思う服を着るようになった(実際に褒めてもらったのは2回だけど)。

 私が初めて雨宮さんの文章を読んだのは、雨宮さんのブログ「弟よ!」だった。別の人を検索していてたまたま出会った。文章のあまりの面白さに、 衝撃を受けた。何が衝撃だったのか考えてみると、その正直さだったと思う。
 たとえば、誰もが知っているサザンの桑田佳祐を、あんなふうに書く人を見たことがなかった。
http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20081223

(批評することについて書いたこのポストも秀逸)
http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20101225

 AVライター時代の仕事は知らない。ただ、もともとの出発点がAVレビューだったことからもわかるように、何かを見て、または読んで、本質を捉え、その魅力を伝えることが天才的にうまい人だったと思う。うまいというか、ありえないほどの正直さと熱量で、「これが好きだ」ということを書いていた。そこに多くの人が心を持って行かれてしまう。雨宮さんが勧めた作品よりも雨宮さんのレビューの方が面白い、ということはよく起こった。
 一昨年に出された雨宮さんの『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)を読んで、私は初めて、宝塚の何が素晴らしいのか、なぜ多くの女性が通いつめるのか、どこに惹かれるのかを理解して、そんなに素晴らしい価値があるのか、と思った。そして実際に宝塚を観に行った。雨宮さんが勧めていた服を買ったり、映画を観たりしたこともある。雨宮さんのレビューには、本であれAVであれファッションであれ、実際に人をそこへ向かわせる力があった。レビューを読んで観たような気になる、というものではなかった。
 そういえば、アメリカのファッションコンサルタント、ティム・ガンの本を作ったのも、雨宮さんのこのポスト
http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20101004
を読んだのがきっかけだったんだ!(今思い出した)。私、雨宮さんに世話になってるな〜。
 
 文章力、表現力はもちろんのこと、本質をとらえる観察眼が異様に鋭いのだ。その視線は自分自身に対しても向けられた。そうやって書かれたのが『女子をこじらせて』だったのではないかと思う(web連載時のタイトルは「セックスをこじらせて」)。
 連載時は、途中、全く原稿が来なくなることもあった。締め切りがあるわけではないので、雨宮さんのペースで、ゆっくりと進んでいった。私はただ、見守るだけだった。
 連載は無事、本になり、大きな反響を呼んだ。派生的に、対談集も出た。

 私としては、そこでひとつの段階が終わったような気がしていた。雨宮さんが次に何を書けばいいのか、わからなかった。ポット出版のNさんを交え、幾度となく話し合いをしたけれど、なかなか決まらなかった。
 その間に、雨宮さんは仕事をどんどん広げていった。そのすべてを追っていたわけではない。読んでいないものも多かった。というより、読めなくなった。
 私も地方出身者だから、『東京を生きる』に書かれたことがわかりすぎて、つらかった。“そこ”を見ないようにしてなんとかやってるのに、そんなにさらけ出されたら困ってしまう。
『女の子よ銃を取れ』『自信のない部屋へようこそ』や、『40歳がくる!』は、高校生と小学生の子を持つ主婦の自分は、読者ターゲットではないと思っていた。だってねえ、雨宮さん。50歳になるとね、白髪なんてすごいことになるよ。40歳の比じゃないよ。顔は父親みたいになるし、肌は黒くなるし、もちろんお腹は出るし。それよりももっと切実なのが健康と体力! はっきり言ってもう徹夜ムリ。昼間だって集中力が続かない。寝てばっかりだよ。「老い」だよ。老いってやつがやってくるよーーそんなふうに思って、雨宮さんの文章に入っていけなかった。今読むと、すごいものを書いていたものだと思うけれど。

 私は雨宮さんのことをよく知らなかったと書いた。それは、雨宮さんが書いたものをちゃんと読めていなかったのではないか、と思うからだ。
 今回、雨宮さんの弟さんとお話しすることができた。弟さんにとって、かっこよくて、憧れの姉ちゃんだったそうだ。
「作文も面白かったんですよ」と弟さんは言った。小学生のとき、「父が買ってきてくれたお土産のお寿司を食べて『まずい』と言ったら、母にたたかれた」というような作文を書いて学校に出し、怒られたそうだ。
 正直だ。正直すぎる。今も昔も変わってない。

 正直になることは恐ろしい。欲望をむき出しにするなんて、怖くてできない。欲しいものを欲しいというのも、勇気がいる。「昔の映画女優みたいになりたい」なんて、そりゃ憧れるけど、とてもなりたいなんて言えない。第一、バカだと思われそうだ。
 雨宮さんだって、文章の中で欲しい欲しいというけれど、それは文章上のポーズだと思っていた。でも、そうじゃなかった。ほんとに欲しかったのだ。なりたかったのだ。書くものと本人が、1ミリもずれず、ぴったりと一緒だったのだ。
 そんな人、いる???

 今年の雨宮さんは、すごかった。どんなに奇抜であろうと、周りにどう思われようと、着たい服を着て、行きたいところに行っていた。歌いたい歌も歌った。綺麗にメイクして、写真を撮ってもらっていた。
 そうやって欲望を解放し、吐くほどの快楽を追求した先に何があるのか。なぜ欲望を解放させる必要があったのか。前人未到のその領域に足を踏み入れ、踏破し、ぶじ帰還し、その冒険譚を、これからもっと書いて欲しかった。
 どんなにワクワクするものになっただろう。だって、誰も見たことのない世界なのだから。雨宮さん一人にそんな危険な任務を全うしてもらうのは申し訳ないけれど、偉業を成し遂げた勇者を、私たちは最高の賛辞でたたえただろう。
 
 だから戻ってきてください、雨宮さん。まだまだやることがあります。

 あーーーー……雨宮さんに会いたい。

………………………と、言いつつ、うまくできるかどうかわからないけど、そろそろ現実の私の生活に戻ろう。子供の野球の試合も見に行かなくちゃいけないし、娘のお弁当も作らないといけない。
 そうやって日々は続いていく。

★追記:
 今、一編集者として思うのは、雨宮さんに「着ること」についての本を描いてもらえばよかったということ。ティム・ガンの本をきっかけに、私はその後、ファッション実用エッセイみたいな本を何冊も編集することになった。それなのに、あれほど「着ること」にこだわった雨宮さんに、着ることについて書いてもらうということを、なぜ思いつかなかったんだろう、と思う。バカだ。私がとてもとろい編集者なのは、今に始まったことじゃないが。

「着る快感」(「弟よ!」より)
http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20080224