2004-09-07

目まぐるしい日々+読者メール

日記のタイトルにありますように、最近の私は目まぐるしい日々を送っています。思春期の息子をかかえ、毎日問題は山積み、仕事もいろいろ細かい作業があり、さらっとこなすことができず、渋滞気味。せっかくナイヨンが来ていて嬉しいのに、トラブルがあってゲネプロの日と翌日のプレミアの前に会えただけで、3日も4日も 会う予定をしていたのに、私の方からキャンセルしなければならず、がっくり……。人気者のナイヨンにせっかく時間を作ってもらったというのに……。涙。
あ~~!! ナイヨンにもっと会いたかった~~!
そのナイヨン、舞台ではそれはそれは素晴らしい踊りを披露してくれました。あぁ、何度観ても素敵、うっとり……。
他のダンサーももちろん皆素晴らしく、観客は舞台にすっかりひき込まれていました。魅せる魅せる!

ストレスになると、少食がしづらくなります。ナイヨンの舞台を思い出してプチ幸せをかみしめながら、ストレスを飛ばしている私です。

さて、今日も読者からのメールをご紹介させていただきます。
Aさんです。いつも読んでくださり、ありがとうございます!

……

+甲田療法でも、マクロビオティックやヨガなんかの食養でも、トマトやナス、ピーマンなどの、『実』の野菜っていうのは、あまりお勧めキャラではないようで、非常に残念ですよね。

*そうですね。私どれも大好きな野菜なんですよ。残念です。

+野菜の中でも、土の中で努力してるやつの方が、強いみたいですね。大根や、人参などの根菜たちは、勇者のような扱いです。
太陽の恵みを当たり前のように浴びていられる環境におる、ナスやトマトさんはそれ自身の持つ生命力が、弱い、甘チャンってことみたいですけども、四季のはっきりある日本では、暑い夏に、身体を冷すのに最適とされてきたまさに旬の夏野菜ともいえますし、日本人としては複雑な心境。。

*あ~~わかります! 旬の野菜って、とっても魅力的ですよね。脱線の時には、そういった野菜を食べたいと思ったりし
ます。

……

+わたしは一人なので、本来なら意志がつよければ、最低でも1年は甲田メソッドを続けられる環境にいるハズ、、、
自分が食べることのない料理を家族のために作って、「たまには食べたいなぁ…」と、横目で見ながら、耐えることもないし、、、
でもね、この、料理をしない、という日常はある意味哀しいものがあるのも、事実です。
玄米を炊く、野菜を切ってジューサーにかける、お豆腐を切る…それだけ。
この繰り返しって、楽なんですけど、…ときに虚しく思うのは私だけ。。?
買い物も、お野菜にバリエーションを添えるぐらい。

*わかります。私の場合は、息子に食事を作って自分では食べないというパターンを続けているので、時々精神的に厳しいと思うこともありますが、徐々に慣れてくるものですね。そうなると、今度は息子の食事に気をとられることがない代わりに、Aさんのように、自分の食事をふりかえり、ちょっぴり哀しい気分になることもあります。

+なんていうんでしょう、『生存』するために摂取している、という気分になってきます。一人なので、余計にそう思うんですよ。

*あ、それは本当にそうですね! そう感じることってすごくありますよ。
でも、その先の何かを見つめることができたら、ちょっと行ってみようかなって気分になってきたり……毎日いろいろ気持ちが変化しているように思います。今は……少食も面白いな、という気分でしょうか。明日はどうなるかわかりませんけれども。健康ランドまでもう少し、という気持ちになっているからなのかもしれません。

+考え方一つなんでしょうけども、孤独でありながら、それだけの食材、栄養、味覚で大いなる大地、自然からの恩恵としてありがたくいただきます!!
、、といって、至福を感じられるほど、まだまだ人間できてません、という、若さと人生経験のなさ、による限界を、しばしば感じますよ~。

*ああ! 私は若くないのですけれども、やっぱりそう感じることがありますよ~~! まだまだ未熟な私です。

+水木しげるさんとか、戦争を経験されたりした方は、生きていくことが地獄のような日々を少なからず経験されていて、だからこそ、生きていること、それ自体がほんとうにありがたく幸せだ、という言葉なり、生き様に説得力があって、感銘を受けるのですけれども、わたしはまだまだ、そういう実感を持つことを許されないねんなーと思います。
苦労をしていない分、それに見合ったものしか、与えられないんですね。
若いというのは、可能性があり、一見幸せな天国ですが、愚かで不幸なのかもしれません。(そないにゆうほど、もう若い!
と言ってられなくは、なってきてるんですが*あはは…)
本当の本当の、幸せ、は、本当によくがんばった人にあたえられる最上の御褒美なんやとおもったりしますもの。

*素晴らしい! Aさんのお気持ちが伝わってきます。でも、この「よくがんばる」という内容が問題ですよね。何をどう頑張るのか……。
それぞれに見合った何かがあるのだと思います。私はたまたま少食療法を選択したのですから、これをもうちょっと極めてみたいと思っています。

……

+甲田先生は、今、精神的に、なんというか、ある地点まで到達されてる、と思いますけど、それは、人と比較にならないほど、よく頑張った人なので、神様が、至高の心の持ち様を、先生に悟らせなさった、というか、そういう境地におられるんちゃうかなと思いますね。

*ああ、それはありますよね。甲田先生は本当に素晴らしい先生です!
きっと、ご自分がされたことを、努力とも思っていらっしゃらないのでしょうね。大変な道のりではあったのでしょうけれども、自然に全てを極めていらしているようにまわりには感じさせ、優しくて、心があって、言葉ひとつひとつに重みがあって……。ご本からだけでも、沢山のエネルギーをいただくことができます。神様に選ばれたドクターですよね。

+これは、食べること、だけでなく、すべてのことに言えることなんちゃうかなと思いますが。

*本当にそうですね。しみじみ……。

……

+わたしは、まだ日が浅いし、中途半端にしているので、玄米や、お豆腐以外のものを食べても、かなしいかな、淑子さんのように、極端に調子が悪くなったりしなくなってしまいました。
というより、もう身体が脱線に慣れてしまってるんですね。
どうやら、振り出しに戻ってしまったようです。
まぁ、気張らずにやります。今はそんな気分。

*でも、私も山あり谷ありの少食の道ですよ。多くの人は、Aさんと同じように、そして私と同じように、なかなか極めることができずに、振り出しに戻ってはまた始めるということをくり返しているのではないでしょうか。甲田先生でさえ、甘い物をやめるのに10年かかったとおっしゃっているのですから、それを聞いて私などほっとしたくらいでして(笑)。でも、脱線をしても少食の気持ちを続けていると、不思議に少しずつでも前に進んでいるのがわかります。1年前はどうだったかな、と思ってみては、あれ、あんな癖もなくなっているし、あれを食べることもなくなったな、とか。そうすると、1週間前くらいの話では何も変化がなくても、1年前とは確実に変わっていることがあるので、妙に感激して、よ~~っしって気分になったりもします。気負いってことではなくて、なんだか嬉しくなって、「私、けっこう偉い?」などと思ったり?

+(でも、症状は、ずっーとよくなってますので、やはりいままでのことが全く無意味であるとは思いませんけどね。このメソッドが波紋となって、淑子さんにも会えましたし、いろんな人の考えや言葉に触れることができています。)

*ありがとうございます!! Aさんも、やっぱり症状はず~~と良くなっていらっしゃるんですね!! 結果はちゃんと出ていますね!

……

+もう、1年半も、ずーっと頑張ってきた淑子さんは、いま、きっと山場を迎えているのではないですか?とわたしは
思います。

*むむ……そうかも……。

+もうひと頑張りで、きっと、カーブが上向きになるって予感がしますもの。
今がある意味、一番辛いのではないですか?
しんどい時は上り坂なんですよ!!(オリンピックのマラソンの見過ぎ?)

*ああ、そうですね。辛いというか、変にうまく少食ができている自分を意識してしまい、大丈夫かな、ちゃんとこれでいけるかな~?などと変にドキドキしたり……。やっぱり一番きついのが、精神のゆらぎです。
ストレスがたまるようなことが起きることが、最も少食を厳しいものにしています。特に今は私の場合は、息子のことですね。思春期なので、いろいろびっくりするようなことが毎日起こるわけです。ドイツで暮らしていますので、ドイツと日本の文化背景も違うし、私の教育に関する迷いも多少あるのかもしれません。そういうことから、ストレスを感じることが最近多く、それをなくすように心がけています。そういう意味では、一番つらい時期にきていますね(笑)。息子のことが少し見えてきたら、精神的にも落ち着いて、もっと少食を楽にすることができるように思います。少食は、自分の生き方と密接につながっているのですね。

+淑子さんは、仕事柄、『食事』が、会話の潤滑油であるから、脱線することが多くなりますよね。そんな中、ケジメをつけるのは難しいことと思います。

*そうですね、それはあります。

+でも、身体の声を聞けるほど、精神的な面でも余裕が出てきているのはすごいことですよ。
そういう微妙な変化って、本人はあまり気が付かないんやと思うんですよね。
でも、ちょっと距離がある人にとっては、そういう変化はありありと見えるんですよ。
脱線した後が大事っていう、今回のおはなしは、
「すっげーなぁ、淑子さん、ビッグになってるよ~!」
と、わたしは感じてます。(笑)

*ぎゃ~~お恥ずかしい! でも、本当にそう思うのですよ。今までいろんな脱線をしたからそう思うのかもしれませんけれども、よく考えたら当たり前のことなんですよね。それがなかなかできない……。
今は、排便でも変化がわかるので、やはり脱線の後は慎重に少食を守ろうという気持ちに自然となれます。それは私にとって、大きな進歩かもしれませんね。

……

+淑子さんの近況と、Iさんからのお手紙読ませていただいて、ついこのあいだ、2ヶ月ぐらい前に図書館で借りて読んだ、『食べ過ぎることの意味』(ジェーニーン・ロス)って本を改めて読みたくなりました。読んだことあります?
おもしろいんですよ。

*ああ、ないです。面白そうですね。ぜひ読んでみたいです。

+過食症の人のための、ワークショップの模様など、具体的に書かれていて、ロスさん本人の体験してきたことを交えて過食とは何かを、一段高いところからではなくて、読者と同じ目線で一緒に、考えていこうという意識が感じられます。
過食症でなくとも、甲田療法をしていて、『食』に対する関心が深い人々はとても参考になる一冊ではないでしょうか。

*情報をありがとうございました! 読者と同じ目線っていうのがいいですね。優しい感じ。

……

+淑子さんのこのお話:
自分に「いつ甘い物でも何でも食べてもいいんだ、私は自由なのだから。」
と言ってあげると、急に楽な気分になって、執着が消えていきます。
ロスさんも、同じようなことをゆうてはりますわ。

*そうなんですか! これ、本当に実感なんですよ。紆余曲折を経て初めてそう感じたことなんです。あまりに自分に無理をおしつけて過ごすと、どこかで糸がぷっつり切れてしまい、そこから過食が始まります。私は自分がそうなるだなんて、思いもよらなかったので、ある時、買ってあった食べ物を全て食べつくしてしまった時にはショックがありました。でも、それは私を私自身が追い詰めてしまっていたのです。だからそんなことになってしまって。自分に「大丈夫なんだからね」と言ってあげる心の余裕があって、私は初めてそんな過食から抜け出せたと思います。まだまだ何があるかわかりませんけれども……。

+朝の新聞のお話は、とても興味深いです。

*ありがとうございます!

+自分の無意識の行為に気が付く、というのは、とても難しいことです。
でも、家族に言われたり、友達に指摘されたり、本を読んでナルホド!と思ったりしても、その時は、「合点!納得。改めよう。」となるんですけど、まさに三日坊主。
稲妻に『ビカビカーン!』と打たれるような衝撃がなければ、人間なかなか変われないですよね。

*そうですね。何かが劇的にあると、変わりやすいですよね。ただ、劇的なことがあると疲れますけれども(笑)。

+結局、自分自身で『解る』っていうのには、劇的なのと、水滴が、長い時間をかけて、石に穴を開けるようなのと、2通りの速度があるっておもいませんか。

*あ、そうかも!! 確かに!

+劇的なのは、速くて、目が醒めるような思いがするでしょうけれど、いつやってくるのかわからない、それこそ稲妻みたいなもの。
わたしたちの日々の行いは、水滴みたいなもんですね。
その積み重ねが、石のフォルムをどんなふうに象るかは、ひとそれぞれ。

*ふむふむ!!

+「今、わたしの石ってこんな感じよ、どう思う?」
「まぁ、わたしとは随分違うのね、でも、あなたの石の、その辺り、わたしは見習わなくてはね」
「そうかしら?あなたのはあなたので、素敵じゃないの」
「う~ん、でも、ここのところは、無意識にこうなっていたのね、実はあまり気に入らなかったのよ
あなたと話さなかったらわからなかったことだわ」
とか(笑)
わたしたちは、友達と、こうやって石について、いろいろ考えてる。
そういうふうに考えると、素敵だなー!
断食日記バンザイ!!

*あはは!! 楽しいですね~~!! 最後に断食日記に着地するところは、Aさんの優しさが感じられてとても光栄です!友達といろんな少食のお話ができたら素敵だなって思います。そして読者の皆さんとも……。

……

いろいろと奥深い、そして楽しいお話をありがとうございました!
多くの読者の方が、この日記を読んでくださっています。本当に心よりお礼申し上げます。
いつまで続けることができるのか、わかりませんけれども、読んでくださる読者がいらっしゃること、そして、Aさんや他のメールをくださる読者の方々からパワーをいただいていること、そうしたことが私の励みになり、ささやかな日記ではありますが、続けさせていただこうという気持ちになります。

これからもどうぞよろしくお願い申し上げます!