北原みのり[LOVE PIECE CLUB代表]●読後、もやもやした気分が続いている。

 「欲望問題」、むちゃくちゃ「絶妙」なタイミングで手にした。というのも、私、ちょうど、「差別問題って、ものすごーくめんどーだー!」な事態に直面していたものだったから。

 ラブピースクラブ(私が運営しているマンコ持ちのバイブ屋)が出しているメルマガに、一通のクレームメールが来たのだ。「男との同居」を書いているスタッフの連載エッセーに対してで、内容を手短にするとこういう感じ。
「私はバイセクシュアルだが、あなたの男との話は、つまんない、うざい」
 スタッフはそれはそれは衝撃を受けた。やっぱり傷つくよね。うざい、だなんて・・・。悲しむスタッフには「めげないで続きを書くのよ!」 と励ましたのだけれど、私にとっての問題は、ここから、始まった。というのも、そのスタッフが、次のメルマガでの同居話の全面撤回&謝罪しちゃったのだ。
「この異性愛社会の中で、ヘテロの話はありふれてつまらんどころか、抑圧になるのかもしれません。申し訳なかったです」
 あれ? と思った。読者からのメールを読み返しても、「あんたの話は抑圧的じゃ、差別じゃ」とは書いていない。「つまんない、うざい」である。だったら「つまんなくてゴメンナサイ」だろ、とスタッフに聞いた。「なんで謝ったの?」 こういう答えが返ってきた。
「だって。前にも、レズビアンの友だちに言われたから。この異性愛社会でヘテロ話は抑圧的だって・・・」

 セクシュアルマイノリティの運動が間違っていた、単なる言葉狩りになってしまった、と言いたいのではない。この場合、完璧に受け手の問題だ。そしてこれは、そのスタッフ特有の問題ではないように思う。被差別者が一転、差別者として糾弾された時の反応の過剰さ。リベラルであるほど「マイノリティの痛みは正義」と思考停止してしまう鈍感さ。それは特にものめずらしいことではない。差別者になる自分は許せない、という自分への誠実な姿勢が、もっと複雑な「差別」を生み出すという差別スパイラルみたいに。
 そのスタッフは「差別問題」にセンシティブでありたいと生きてきたマンコ持ち、私の信頼するフェミ友、反差別運動に長く関わってきた市民派だ。なんでそんな風に謝っちゃったの? 私の中で、「差別問題、なんでコンナコトになる?」というような、ジリジリした気分が募った。

 そんな時に本書が届いた。だからなのか。おお! そうよそうよそうなのよぉとうなづき、リアルに理解できる箇所、たくさんあった。反差別運動が持つ硬直した感じが、伏見さんの体験からよく伝わった。もちろんそれはフェミとしての私自身の中にもある硬直感かもしれなく、ああ分かる分かる、と思う一方、あちゃ、と首をすくめる箇所もあった。そして、今回の「メルマガ事件」の意味づけから、差別問題への違和感・共感など、私の中で「整理」できたような爽快感があった。
 一方、フェミの「正しさ」への伏見さんの「嫌悪」(に感じた)に共鳴しながら呼んでいると、うっかりフェミを、フェミとしての自分も嫌いになりそうになった。伏見さんはフェミがお嫌なのね・・・と、80年代のフェミ本を取り出して読み返して、あの頃は良かったなぁ、と慰めたくもなった。オヤジは敵! と拳をあげる70年代リブの手記を探しだし溜飲を下げたくなった。そういう意味で、私にとっての「フェミ」、私の「痛み」は、私自身の「癒し」であり「欲望」であるというのは、伏見さん、確かにその通りです、とうなだれたくもなる。
 ・・・と、ごちゃごちゃと、いろんな感情を揺り動かしながら一気に読んだ。

 それでも。読後、もやもやとした気分が続いている。「欲望問題」 それでいきましょう! と、伏見さんの言う「パンクロック」のビートにあわせてイエェーイとは言えない(それを私に期待されているわけじゃないでしょうが)複雑な気分でいっぱいだ。どの箇所に? と言えば、それは「だからフェミはだめなんだ」というような調子のところではなく、「保守的に読める」かもしれない調子の点ではなく、伏見さんが繰り返し語る「社会」ってものに対する視線の「高さ」に、最後までついていけなかったからだと思う。
 
「(他者の欲望をできるだけ可能にする議論、そして)その結果が社会の成り立ちと維持に矛盾しないように、いっしょに考えていく、それが大切だと思います。そういう場として、ぼくはこの国を他の人々と共有していきたいと思います」
 政権放送のように、本書の伏見さんの言葉はキラキラと眩しい。「責任」を持つ大人、とはこういう感じなのだろうなぁ、と私は遠い目になる。私自身は「社会は敵だーころせー」とか、そんなすてきな言葉を吐きたいわけじゃないけれど、「人は差別をなくすためだけに生きるのではない」という本書の副題を借りるならば、「人は社会を維持するためだけに生きているのではない」とやはり言いたくなる。
 「社会を維持する」とか「社会に責任を負う」とか「社会を営む」という伏見さんの言葉の数々の「主語」に、私はいるのか、いるんだろうなぁ、いるんだろうけどなぁ・・・・というモヤモヤが、読後、消えないで残っている。そのモヤモヤの正体を、私も伏見さんみたいに「誠実に考えよう」と思う。
 

●きたはらみのり
1970年、神奈川県生まれ。1996年、日本で初めて女性が経営するセックスグッズショップ
LOVE PIECE CLUB(http://www.lovepiececlub.com/)を立ちあげる。同代表。

【著書】
ブスの開き直り/新水社/2004.9/¥1,400
ガールズセックス(小田洋美、早乙女智子、宗像道子との共著)/共同通信社/2003.10/¥1,300
オンナ泣き/晶文社/2001.4/¥1,600
フェミの嫌われ方/新水社/2000.8/¥1,400
男はときどきいればいい/祥伝社文庫/1999.6/¥533
はちみつバイブレーション/河出書房新社/¥1,200