石井政之[ジャーナリスト、NPO法人ユニークフェイス代表]●当事者解放運動の成果として瞠目の書

●ゲイとユニークフェイス

 これまで『欲望問題』を何回も読み返しながら、どのように書くべきか、迷っていました。
 ゲイとユニークフェイス(http://www.uniqueface.org/)の立場を超えるような言葉を作り出すことができるのだろうか?と考えあぐねていました。
 ゲイとユニークフェイスでは当事者たちが置かれている状況は異なりますが、おなじマイノリティ運動を展開しています。その代表的な書き手である伏見さんの新刊『欲望問題』は、ユニークフェイス解放運動活動家の私にとって、複雑な感情を喚起する書物でした。伏見さんは単なる書き手ではありません。一つのテーマを執筆したら、次のテーマに移っていくというジャーナリストではない。社会の流行を追いかける批評家でもない。日本のゲイムーブメントを立ち上げた孤高の表現者、東郷健の後継者。ゲイムーブメントの先頭に立ち、言葉の力によって同じ境遇にあるゲイ当事者にエールを送り続けてきた。ほかに取り替えのきかない仕事をされてきた人です。

 私は、顔の右顔面に赤アザがあることをきっかけに執筆活動を始めた物書きです。私と同じように、顔にアザやキズのある人間を「ユニークフェイス」と定義し、その当事者の置かれている状況を社会に伝えるために1999年3月、ユニークフェイスという市民団体を立ち上げました。2002年にはNPO法人化。今年の春、設立から8年。立派な社会活動家のように見られます。
 それはそれとして、私がやってきた程度の活動で、こんなに誉められていいのだろうか、という気持ちもあります。たいしたことはできていないと思っているから。
 それはユニークフェイス当事者がゲイなどと比較すると、ほとんどカミングアウトをしない、ということが活動をするほどにわかってきたからでもあります。マイノリティのなかのマイノリティ。微々たる者達の反差別運動です。

 この8年間のユニークフェイス活動は、目立つ外見というスティグマをもったマイノリティがカミングアウトするとはどういうことなのだろうか? と考える時間でもありました。
『欲望問題』は、私にカミングアウトすることの意味を改めて問いかけてきました。何しろ、伏見さんが「命がけで書いた」という書物です。読者として、すこしだけでも命を賭けて読むことになりました。
 それにしても、命がけで書いた? 今時なんと青臭い言葉でしょうか? プロのライターが執筆にいちいち命を賭けていたら、いくら命があっても足りないでしょ。でも、ベテランライターの伏見さんは、命を賭けた。そのハートをしっかりと受け止めるためには、わたしも命がけで読まないといけなくなる。そのためでしょうか。すこし紙数が増えました。
 

●カミングアウトとは?

 伏見さんは『欲望問題』でこう書かれています。
「同性愛の反差別運動が他の社会運動に遅れて90年代になってやっと形になったのは、自分の現実を受け入れるという最初の敷居が高かったことが影響しているのではないでしょうか。まず、自分のことをそれでいいんだと思えるきっかけがなければ、そのカテゴリーの問題を社会的文脈で解決しようとは考えられないわけですから。どの反差別運動もその敷居をまたぐことから始まりますが、セクシャリティの問題は、そのきっかけがつかみづらかったことから、最後まで取り残されていたのでしょう」
(24ページ)

 周囲と同じでなければ生きにくい日本では、このカミングアウトの敷居が実に高い。外見的特徴がないゲイというマイノリティでもその敷居が高いのであれば、目立つ特徴のあるユニークフェイス当事者ではもっと敷居が高くなります。
 わたしの知る限り、ユニークフェイス当事者として、その生き方をカミングアウトしている現代日本人は、
太田哲也氏(熱傷の当事者)
http://www.keep-on-racing.com/
藤井輝明氏(海面状血管腫の当事者)
http://www.fujiiteruaki.jp/
そして私くらいです。女性はひとりもおりません。

 なぜそうなってしまうのか?
 ゲイには「ゲイカルチャー」と呼ばれるものがある。それは好みの同性を獲得しようという「欲望」に根ざした動きがあるからでしょう。
 部落差別をテーマに執筆活動をしている角岡伸彦さんにも、部落の文化的な価値への評価があります。
 目を転じれば、障害者にもその生活に根ざした文化があるという立場から「障害文化」を論じる人も現れるようになりました。女性にも、在日にも、障害者にも、ゲイにも、マイノリティにはそれぞれの属性にともなって、欲望があり、そこから文化が生まれています。
 このような歴史的な厚みのあるマイノリティ文化をみていると、ユニークフェイス当事者のひとりとして、うらやましい、と思ってしまいます。

 マイノリティには、「不幸比べ」をする傾向があります。
「自分の方がしんどい」と主張できる事実や根拠を並べ立てて、その困難さを主張して、「あんたたちは恵まれている!」とする態度です。
 これは、ワガママで、独りよがりな主張ではありますが、その背景には「欲望」の対象がなく、よって「文化」が生まれようもない、という疎外感が根っこにあるのではないでしょうか。
 そのような疎外のなかに立ちつくしているマイノリティ当事者たちは、カミングアウトはしない。もしカミングアウトをしてしまえば、自分よりも恵まれた人たちに対して、不幸をまた語らねばならないから。でも、語らないと伝わらない。語ると、惨めさが募る。こんな悪循環があり、そこから目をそらしていくことで、問題が先送りされ、その問題は社会に伝わる機会を喪失していく。
 ユニークフェイス当事者による反差別運動を展開していると、このようなカミングアウトできない多くの当事者と向き合うことになってしまいました。
 

●当事者による当事者嫌いをどうするか?

 当事者がカミングアウトを避ける、嫌悪する、という傾向は、ゲイのなかにもあると伏見さんは書かれています。

「当事者の中のホモフォビアを解除することの困難さのほうが、大変だった気がします」(40ページ)

 ゲイであることは医療によって治すことはできません。ある人間が異性に欲情するか、同性に欲情するか、それはコントロール不能なことです。
 顧みるに、ユニークフェイス当事者たちは、医療によって治る、という情報にさらされています。治療によって、ユニークフェイス当事者であることをオールクリアにして、まっさらな普通の人間になって、人生のやり直しに希望をもっています。
 それは高度な医療技術を誇る日本では、普通の欲望である、と奨励されている。
 医療技術という、顔の付け替え、顔の全面改修手術によって、スティグマを取り去りたいという欲望が強固であるため、ユニークフェイス当事者たちの解放運動は、常に引き裂かれた状態に陥ることになります。
 

●「治療派」と「開き直り派」の溝

伏見さんは『欲望問題』の後半で、映画『X-MEN』についての言及されてますね。

 私もこの映画が大好きです。完結編をまだ見ていなかったので、さっそくレンタルショップで借りて見てきました。

 そして、ミュータントであることを治療するクスリをめぐるミュータント同士の「内ゲバ」が、ユニークフェイス解放運動のなかにある、「治療派」と「開き直り派」との間に横たわる溝とだぶって見えました。

「その顔のアザは治療できる」

という医療産業からの誘い。

「治療して普通の顔になれるのならば、なんとしても治してあげたい」

という親心。

 この2つの勢力の誘いに応じて、治療を受ける当事者たち、それを励ます親たち。一部の当事者だけが「完治」し、多くのものは不治のまま放り出される現実があるのですが、当事者たちは治ることに賭けます。
 年長者のユニークフェイス当事者ならば、医療は常に不確実であり、完全にその顔が普通になることはありえない、ということはわかっています。しかし、このような事実を正面から受け止めようという、当事者はいません。まずは治療を受ける。その治療の過程で、現実を知り認めるようになっていきます。その現実を容認できない人は、名医を求め、完全なメイク技術を求めて漂流していく。
 このとき、欲望の方向は、ふたつのベクトルに分岐し、それぞれの当事者は、その分岐点で立ち往生してしまう。
 治療をあきらめないで続けるか、あきらめて開き直るか。
 医療への欲望が高い人ほど、ユニークフェイス解放運動には関心がない。医師との良好な関係をつくることに価値をもち、解放運動からは距離を起き、治らないユニークフェイス当事者とは関係がないという人生を選択していくのです。
 医学には限界があるという情報は、これから治療を受けるという当事者にとってはどうでもいい情報です。
がん患者に対して、がんを制圧する手段はまだ確立していない、という合理的説明はなんの力にもならないのと同じように。
 この環境下では「治療派」と「開き治り派」は別世界の住人として生きることを余儀なくされていく。
 同じような現象は、カモフラージュメイクについてもあります。
 カモフラージュメイクによってアザが隠せる「軽症」の当事者と、隠せないほどの巨大なアザのある「重症」の当事者との間にある感情の壁。
 まったく人間は小さな違いに気づき、それぞれを避けていきます。
 健常者のなかにあるユニークフェイスへのフォビアとも相まって、「治療派」と「開きおなり派」は、孤立したり、場当たり的につながったりして、烏合集散を繰り返しているようです。
 

●X-MENにみる「外見階級制」

『X-MEN』のなかで争う、ミュータント集団にも「外見の階級制」が存在していることがわかり、私はハリウッド映画の奥深さに慨嘆しました。
 人類を征服しようとする磁力を操る男(磁力は軍事力の象徴でしょうか)、そして人類との共存を目指すテレパシー能力を持ったリーダー(このテレパシーは善政という政治力の象徴なのでしょうか、あるいはボジティブシンキングという現代日本の感情労働の形態なのでしょうか)。この両者のリーダーの外見は普通なのです。
 大勢の人間を牽引しているリーダー的な資質には、普通の人間であることが求められます。普通の外見なのだが、内面には思想があり、その周辺には信奉者がおり、その関係性から権力が生まれる。
 しかし、その双方のリーダーの下で働く部下のフリーク的である、カメレオンのように皮膚細胞が変化する女性ミュータントは、治療薬でその特殊能力が消えたとき、ただの美人になってしまう。
 これもまた、ハリウッド的でした。大衆のもとめるビジュアルという欲望に忠実なのです。魔法が解けたあとの女性の容姿はブサイクでは興ざめなのです。
 健康で筋肉質(またはセクシー)な身体イメージを武器に世界の映画市場を征服しようとするハリウッドらしいといえばらしいのですが、ミュータント軍団のなかにある「外見の階級制」について、多くの人はみのがし続けていくでしょう。
 これはただのフィクションではありません。
 現実の私たちの世界を反映している。
 もし、カメレオンみたいな外見の不細工な男がミュータント軍団のリーダーだったとしたら?この映画はおおくの観客の支持を得ることはないでしょう。
 そこにこそ、観客の「欲望問題」がある。外見によって人を判断したいという欲望がある。欲望を喚起しない身体に、人は差別的な眼差しを注ぎ続ける。

 特殊能力のある人と、ない人との間にはどうしも争いが起きてしまうでしょう。
 ミュータントたちは普通の人間と妥協して生きる道を選ばなければならない。そのミュータント性は普通の人の畏怖と嫉妬を発動させるものです。しかし、ひとりひとりのミュータントにはミュータント・コミュニティを求める孤独という状況がある。マジョリティとミュータントの間をとりもつ者は、その両方の属性を少しずつ保有していないといけないし、その能力によって、相互のコミュニケーションを促進する触媒(メディア)でなければならない。
 『X-MEN』の2人のリーダーは、それぞれが目的のために嘘を言い、ときに人を切り捨てて邁進していく。一人は途中で生物的に死に、もうひとりは社会的に死んでいく。そして社会はその死をのり超えて動いていく。
 どの世界もリーダーは大変です。
 

●少しずつ分かり合えればよい

 1999年からユニークフェイス解放運動をしてきましたが、当事者のなかにある欲望のベクトルの違い、医療への向き合い方の違いを見てきました。
 この欲望の調整のめどは立っていませんし、ずっと解決はないのかな、とも思います。
 ユニークフェイス当事者たちにはゲイのようにコミュニティをつくる必然性はありませんが、互いの生き方の交流をする機会は必要です。
 完全に分かり合えることはないけれど、少しでも分かり合えればよい。
 ユニークフェイス解放運動をして9年目になって、そんなふうに考えられるようになりました。
 伏見さんもこう書かれていました。
「ここ数年、ぼくは、ゲイだからゲイ・コミュニティに属する、という見方ではなく、自分が豊かな人生を歩むのに、ゲイ・コミュニティというフィクションをいかに創造し、それを利用するのかというスタンスに移行しています」(154ページ)

 この一文は、解放運動の歴史がきわめて浅いユニークフェイス当事者である私を励ましてくれました。

『欲望問題』は、ユニークフェイスというフィクションをさらに大きく強く創造するためのよい刺激でした。
 それにしても難しい書物でした。情報量がぎっしり。思想もみっちり。考えさせるキーワードが満載でした。

【プロフィール】
いしい まさゆき
1965年、名古屋出身。ジャーナリスト、評論家。NPO法人ユニークフェイス代表、ユニークフェイス研究所代表。自称「顔にアザをもつジャーナリスト」として執筆活動を行う。

HP:ユニークフェイス研究所/石井政之 公式サイト
http://uniqueface.biz/

【著書】
「見た目」依存の時代(石田かおりとの共著)/原書房/2005.11/¥2,400
人はあなたの顔をどう見ているか/ちくまプリマー新書/2005.7/¥700
顔がたり/まどか出版/2004.10/¥1,400
顔面バカ一代/講談社文庫/2004.9/¥533
自分の顔が許せない!(中村うさぎとの共著)/2004.8/¥760
肉体不平等/平凡社新書/2003.5/¥700
知ってますか?ユニークフェイス一問一答(松本学、藤本輝明との共編著)/解放出版社/2001.12/¥1,000
見つめられる顔 ユニークフェイスの体験(松本学、藤本輝明との共編著)/高文研/2001.9/¥1,500
迷いの体/三輪書店/2001.2/¥1,500
顔面漂流記/かもがわ出版/1999.3/¥1,900