2009-11-14

お部屋1983/中の著作権・外の著作権

やっと12月発売予定『クズは世界を豊かにする』の初稿チェックを終わりました。

インターネットとは直接関係のない考察の方が私としては面白いような気がします。「FreeHugsがYouTubeを通して、どうしてああも世界に広がったのか」とか「欧米と日本で、どうしてああもコマーシャルのありようが違うのか」とか。時間と文字数たっぷりかけて「マツワル」でやってきたことの結果をさまざま詰め込んでいるので、面白くなければ困るってことだったりもしますが。

まだあとがきができておらず、表紙も決まってません。表紙は出版社の仕事ですが、しゃあないので、こっちからアイデアを出しています。宣伝から表紙まで、ポットは著者に負担をかけすぎだと思うぞ。

ともあれ一段落したので、更新しておきます。
 
 
「ベランダウンコ事件」から1年ですか。ベランダのウンコも解決できない無能右翼に、それ以上の問題が解決できるはずがない。

ベランダのウンコも解決できないのに、またまた探偵気分でウンコ事件同様の推理を展開して笑いをとる瀬戸弘幸ですが、「内部告発」とやらはどうなったんだよ。ガセをつかまされたことを認めて、そこから出直せ。ついでに、中学くらいから勉強をし直せ。

たまにはそっち方面のことにも触れつつ、前回の続きです。

「なぜ書評で本の表紙を出すことは引用にならないのか」について、間違いを含みつつ、以下は私が見た中で、もっとも正しい説明のひとつです。

http://ameblo.jp/tyosaku/entry-10361993354.html
————————————————————————

まず、本の著作権者と本の表紙の著作権者は別々であるということを前提に考えなければなりません。

本の著作権者(執筆者)が本の表紙のデザインなども全て行ったというのなら、本の著作権者と本の表紙の著作権者は同一になります。

しかし、通常、本の表紙はイラストレーターなどが作成することが多いので、本の著作権者と本の表紙の著作権者は異なることになります。

よって、ある本をブログなどで紹介したい場合にその本の表紙画像を使用したいなら、出版社や本の著作権者ではなく、本の表紙の著作権者に許諾を得る必要があります。

(略)

で、本の紹介文という自分の著作物のなかに本の表紙画像という著作物を引用することは問題ないのではないかという疑問が出てきます。

しかし、先ほど「本の表紙の著作権者は?」でも説明しましたが、本の著作権者と本の表紙の著作権者は別々になるので、それぞれ別々の著作物であると考えられます。

ということは、本の表紙について書評などをするなら本の表紙画像を引用することはできるのですが、普通に本の中身の書評などをするなら本の表紙画像は引用できないと考えられます。

(略)

————————————————————————

間違っているのはデザインについてです。日本ではデザインに著作権はないので、デザインを誰がやっているのかは問題にはならず、表紙に使用されている写真やイラストにのみ著作権が発生しています。

また、厳密には、著者自身が表紙の著作物を手がけていたとしても、なお引用は成立しません。同じ著作者のものであっても、批評対象ではない任意の著作物を転載することはできないので。

その点に間違いがありますが、考え方としてはここにある通り。

本にはハードとソフトのふたつの面があると「1980/図書館の中では見えないこと 9・国会図書館は保存に徹すべし 」
で書きました。書評が批評する対象は本のソフトです。その批評に、ハードの写真を出す必然性はないわけです。

極端な話を言えば、書店で本を購入したら、クリスマス用にミッキーマウスの包装紙に包まれていたとしましょう。その本を紹介するのに、包装紙の著作物を出す必然性がありません。その包装紙自体を批評する時に初めて引用が成立します。

包装紙と違って、本のハードとソフトは商品として一体化していますが、共同著作物ではなくて、表紙は別個の著作物を構成しているわけです。両者を分別することが可能だから、国会図書館は、ソフトの著作権だけを保存すればよく、カバーの著作物を捨てていいと判断しています。そのくせ都合のいい時だけ装丁の面白さを持ち出してくるからムカつくわけです(「1981/図書館の中では見えないこと 10・国会図書館がカバーや箱を捨てている事情」の追記参照)。

したがって、本の表紙自体を批評する、表紙にからめて中身を批評するのであれば表紙を出す必然性があります。「表紙に使用された×××氏の写真は、この小説を見事に表現していて、粒子の荒さは、主人公の心象風景そのものである」なんて批評をする場合です。

この場合でも、著作権法の定め通り、写真家、イラストレーターなどの著作者名を明示しなければなりません。通常、著者も出版社も表紙の著作者ではないのですから、これらは出典の明示にはなっても、著作者名の明示をしない限り引用の要件を満たしません。

裁判になったケースがまだないようなので、あくまで有力説ということになるのですが、これを覆す論理を組み立てるのは難しいかと思います。

「本の表紙に自分の著作物が使用されれば、書評で出されることは前提であって、本の表紙に著作物が提供することに合意した段階で、書評に出されることも合意している」という主張をしている人もいますが、「インターネットでは文章のパクリは恒常化している。インターネットに文章を出す以上、パクられることに合意している。よって、パクっても違法ではない」という主張が成立するかどうか。

その一方には法を厳密に運用して、許諾をとっている人たちがいて、時に許諾を得られない事例があるのですから、なあなあになっている部分のみを取り出して、「容認している」「合意がある」とは言えないでしょう。

せいぜい雑誌の書評欄や担当ライターに出版社が本を送りつけた場合のみ、書評を出す側が「出版社は著作者の許諾の上で送ってきたと推測できる」として、違法性を否定することができるくらいではなかろうか。表紙の写真まで添えて送ってくるケースもありますしね。

仮に「書評で本の表紙を出してもいい」という解釈が広く成立するのだとしても、表紙の著作者の名前を出していないければ、どっちみち引用は成立しませんから、本や雑誌、インターネットに掲載されている本の表紙は、多くの著作権法違反を含んでいるということになります。

説明はこれで終わりです。これだけのことですが、理解している人はムチャクチャ少ないです。

したがって、以下のブロガーのように処理するのが法的には正しい。

http://bookfile.air-nifty.com/harry/2008/11/post-4f57.html
————————————————————————

書評の脇に、本の表紙画像を載せるにあたり、各出版社に「著作権利用許可」の申請をしています。

23社に連絡をとっているため、なかなか時間がかかってしまい…。

今のところ、どの出版社も快く承諾していだたいていますが、

角川書店さんは、ちょいと縛り(条件)がありました。

画像を載せるに当たり、

①著作名・出版社名を明記
②画像のドット数の制限
③「C角川」と表記
④画像のトリミング禁止

電撃文庫を出しているメディア・ワークスさんは、著者名に併せて、イラストレーター名も明記してくださいとのこと。

新潮社さんは、ホームページから、「画像使用許可書」をダウンロードできます。こういう問い合わせが多いのでしょうね。

ホント、いろいろ勉強になります。

(ちなみに、小学館さんと詳伝社さんは×でした。なので表紙画像の代わりに生徒のイラストを挿入することになりました。)

————————————————————————

※「詳伝社」はママです。機種依存文字がありますが、意味はわかるでしょうから、そのままにしておきます。

やっぱり小学館はNGですか。

メディアワークスは、表紙の著作者も尊重していますが、角川書店は、うるさいことを言うわりに、「著作名・出版社名を明記」としかない。これは本の著作者でしょうから、表紙の著作者を明記する必要はないみたい。失礼っちゃ失礼です。

また、これらの出版社が著作者に本当に確認をとっているのかどうかも怪しい。確認をとらずに、マニュアル通りに勝手に許諾を出している可能性もあります(依頼の段階で出版社が許諾することを合意しているのかもしれませんし、社カメが業務で撮影している場合などは出版社が許諾していいわけですが)。

つまり、利用者が厳密な法の運用を心がけたところで、出版社がそうしているのかどうかはわからず、どこまでもなあなあにしかならないわけです。許諾をもらって利用する側としては、「当然、出版社は表紙の著作者に確認をとっていると思っていた」と言い張ればいいだけですが、出版社もイラストレーターやカメラマンの権利を利用して、許諾を求めてきた人たちに、自分らの都合を押し付けているだけという見方も可能です。

出版社もそんなものである以上、「黙って使って、文句を言われたら引っ込めればいいのに」と思わないではないです。インターネットの場合は、削除や訂正が容易なのですから、出版物ほどに神経質になる必要はないでしょう。しかし、このブロガーは公立中学の図書司書らしいので、そういうことはできにくく、このように面倒な手続きを経るしかない。

「この現状をどう考えるべきか」については次回