2009-09-14

お部屋1954/唐沢俊一の肩書き

荒井さんが瀬戸弘幸を「本物のブラックジャーナリスト」と断定。

私はここまではっきりと書いてはいないわけですが、その可能性が非常に高いと思っています。

暴力団を背景に企業を脅して本や原稿を買い取らせる。高額な新聞を購読させる。そういった裏稼業を続けていればよかったものを、表舞台に出てきてしまったのが瀬戸弘幸の誤算です。

事実かどうかはたいした問題ではなく、嫌がらせができればいいブラックジャーナリストの体質がとことん身に付いているため、ガセにすぐに飛びつく。それ以上に、瀬戸弘幸以上に検証能力のない人たちがそれを鵜呑みにして大騒ぎをする。

これが、この1年の真相でしょうが、なぜブラック瀬戸が、表舞台に出てきたのか。これがなお私にはわからない。

インターネットを使ってより効率のいいブラック稼業をやろうとしたら、支持してくれる人たちが出てきてしまって、「オレさまったら、ジャーナリストとしてやっていけるのかも」と勘違いしたのでありましょうか。

このことを見極めるためにも、これ以降は、瀬戸弘幸の商売について具体的に見ていこうと思っているのですが、瀬戸弘幸が書いたものに目を通すのにちょっと時間がかかるので、もうしばらくお待ちください。

その前に、久々に唐沢俊一のことを書いておくとしましょう。

まずはこれをご覧下さい。

09091301_1.JPG

唐沢俊一の名刺です。住所も電話番号も今とは違いましょうが、現在ここに住んでいる人やこの番号を使用している人は不快でしょうから、消しておきました。

唐沢俊一と初めて会ったのがいつだったかよく覚えていなかったのですが、1994年8月、「ガロ」創刊30周年パーティだったようです。この名刺はその時のものです。

以下の文章は、「1850/唐沢俊一のブーメラン」の続きです。とっくに書いてあったのですが、記憶で書いて間違っていたらまずいと思い、この名刺をずっと探していて、やっと先日発見しました。

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唐沢俊一と初めて会った時の印象は薄く、何を話したのかまったく覚えていません。たた、名刺だけはとても印象的でした。肩書きが「作家」になっていたのです。そんな名刺を見たのは初めてでした。

「放送作家」「構成作家」「映像作家」「絵本作家」のように、ジャンルを示す言葉がついた「〜作家」となると違ってきますが、単体で使用される「作家」はしばしば評価を伴った肩書き・職業名として使用され、その点で、「物書き」「ライター」「文筆業」とは一線を画します。「文豪」「大家」「巨匠」といった言葉ほどではないにせよ、軽く「権威のある肩書き」と言ってもいい。

「ルポライター」「小説家」「ジャーナリスト」「ノンフィクションライター」「シナリオライター」「エッセイスト」「評論家」など、文筆の内容、スタイルをもっぱら意味する物書きの肩書きとも違っていて、「作家」はどのジャンルで使用してもよく、その代わり、「評価」「人気」「実績」「知名度」といった別の基準が必要とされます。

物書きにはランクがありますから、それらの肩書きは、ランクによって使用が左右されるところもあります。単なる「ライター」「フリーライター」よりも、「ノンフィクションライター」「ジャーナリスト」の方がなにやら偉そうだったりはします。また、ノンフィクションよりフィクションの方が上という社会的ランク・業界内ランクによって、「作家」はフィクションを手がける物書きに、より使用される言葉です。

以上のことから、物書きの中で、「作家」と呼ばれるのは、一定の知名度、一定の評価、一定の実績、一定の人気を得た人たちであり、多くは小説家です。

こういった肩書きであるがために、椎名桜子がデビュー前から「作家」という肩書きを名乗っていたことで大いに反発されたことがあります。この場合、「小説家」であったとしても、いくらかの違和感は生じますけど、「売れてはいなかったにしても、今までずっと小説を書いていたんだろうな」ということですから、ああも叩かれることはなかったでしょう。これが「小説家」「作家」の差です。

ちなみに私は、「作家」という肩書きにまとわりつく権威と、その権威を疑わない社会なり出版界を批判し、その権威を根底から覆すべく果敢に「作家」を名乗った椎名桜子という構図のもとで、彼女を弁護する原稿を当時書いてます。褒め殺しみたいなもんです。

椎名桜子ほどわかりやすいわけではないにしても、15年前の唐沢俊一に、「作家」に該当する知名度、評価、実績、人気があったとは思いにくい。一般的に言えば単なる「ライター」「コラムニスト」といったところが妥当でしょう。

「どういう条件だったら作家なのか」の基準は人によって違いますから、あの頃の唐沢俊一が名刺に「作家」という肩書きを入れていることを奇異に思わなかった人もいるんでしょうけど、私にとっては、聞いたこともない団体の会長、理事といった肩書きをズラズラと名刺に並べたがる中小企業のオヤジみたいな印象がありました。

本人がどう思っていようと、他人が「作家」と呼ぶのはいいでしょう。軽い敬称みたいなものですから。また、たいていは自分で書いているとしても、客観の装いになっている略歴に「作家」と入れることはまだしもとして、他者から、「作家」と見なされている人であってさえ、名刺にまで入れているケースは決して多くない。

なのに、あえて「作家」と名刺に入れるには、なにがしかの思いがそこに表現されています。

肩書きにはしばしば「自分をどう見て欲しいか」といった願望や、「自分は自分をどう評価しているのか」といった自己評価が反映されます。

実現不能であろうと、願望をもつのは自然なことです。他者が認めなくても、「自分にとって自分が最高」と思っているのもよくあることです。多かれ少なかれ、人は今の自分を超える願望を持っているでしょうし、他人が思っているより、高く自分を評価しているものです。

しかし、同時に客観という視点を自分の中に取り込んでいますから、その視点をスルーさせることで、願望をそのまま外に出してしまうことへの抵抗感が生じます。「恥ずかしい」「照れくさい」「みっともない」ってことです。

どうも唐沢俊一にはこの視点が欠落しているように思えます。「作家扱いして欲しい」「先生と呼んで欲しい」と願うのはまだいいとしても、その願望を名刺に刷り込む神経がよくわからない。

言葉の意味合いが違いますが、瀬戸弘幸が「ジャーナリスト」と名乗って笑いを誘ったのも、同じようなものでしょう。

また、著作権に関して唐沢俊一、中村克、矢野穂積、瀬戸弘幸らが揃って無頓着であるのは、「無体物の権利」が理解できないのでなく、「主観と客観のバランスがとれていない」「他者と自分の関係をうまく位置づけられていない」ことに起因しているのかもしれません。

他人に求める規範を自分は守らない傾向も、その結果、ブーメランを乱発してしまうのも、これで説明できそうです。誰しも他者にまで特別である自分を認めさせようとして争いになったりする体験があるわけですが、「自分は特別」とする程度が極端に強い人たちがいて、「自分の行為」と「他者の行為」が客観的には等しいという判断さえできないようです。

そうとでも考えなければ、今の日本を代表する盗作王が、その反省がないままに、『最後のパレード』にからめて、「何で出版関係にはこういう当たり前のことができない人が多いんだろう」と語るような厚顔なことができるはずがないでしょう。

名刺に「作家」が入っているからといって、どいつもこいつもパクリやガセをするわけではないことは言うまでもないのですが、唐沢俊一という人間を理解する上で、この名刺は意味があろうかと思います。

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以上が4ヶ月前に書いてあった原稿です。

『最後のパレード』云々は、唐沢俊一が中村克について語っていた件を指します。詳しくは「1850/唐沢俊一のブーメラン」「社会派くんがゆく!」を参照のこと。

続きます。

このエントリへの反応

  1. ブラックジャーナリストはやっぱり「ブラジャー」と略すのでしょうか。

    本エントリーの内容とは関係ないのですが、不具合報告です。

    -「1951/創価学会を嫌う理由 2」が途中で切れている。
    -「1952/創価学会を嫌う理由 3」の全文を読もうとするとなぜか表示されない(「Internet Explorer ではこのページは表示できません」と出る)。

    いずれも何かの陰謀か工作か金玉ツンツン攻撃によるものだと思いますが、原因がわかればご対処下さい。

  2. ホントだ。

    1951のように、途中で切れることは稀に起きます。直しておきました。

    1952は原因不明。ループって出ますが、どこがどうループしているんだべ。現在、作業中。

  3. すべてやり直しました。お騒がせしました。

  4. 瀬戸弘幸は、国会記者倶楽部、国交省記者会、鉄道記者会に所属しているとしていますが、このような素性の人間が記者クラブに入れるのでしょうか?

  5. moonさま

    この件は調べ始めたまま放置しているのですが、記者クラブには2種あって、ひとつは、新聞社やテレビ局のみが入れるもの。もうひとつは、会費だけ出せば入れるもので、瀬戸弘幸が入っているのは後者だと思われます。「草の根」におけるアムネスティの会員と同じようなはったりでしょう。

    だいたいあれだけ批判されている記者クラブに所属していることをひけらかすこと自体、どういうことかって話です。

  6. [...] なんの反応もないとやる気が失せそうなので、浸透するまではできるだけ私がコメントを書いておこうと思ってます。     さて、「1954/唐沢俊一の肩書き」を「続きます」で締めて、そのままになってました。続きを軽く書いておきます。 [...]