2009-06-19

お部屋1880/『エロスの原風景』の裏庭風景 1・エロというもの

ミスがあったため、一週間ほど遅れてしまいましたが、やっと『エロスの原風景』の見本ができたようです。

米政府もそうしているように、イラン情勢をYouTubeTwitterでチェックするのに忙しいのですが(おっと、仕事も忙しいです)、来週末の発売に向けて、新シリーズを始めておきます。

本の後書きにも書いた話です。

『エロスの原風景』の表紙は、当初、ある雑誌の表紙画をそのまま使う予定でした。

調べてみたら、表紙画を描いた人物はすでに亡くなっていました。著作権は生きていますので、担当編集者は、息子さんに連絡をとり、「使用させて欲しい」とお願いしたところ、断られてしまいました。

エロ雑誌に関わっていたことを知られたくないのだそうです。しかも、その仕事を息子さんはよく知らなかったようです。興味もないのでしょう。

本人はエロ仕事をしなくなって以降も、そのことを隠していなかったはずで、恥じていたとは思いにくい。そこにプライドもあったでしょうし、やりがいを感じていたかもしれない。それでも亡くなってしまうと、その事実は隠されてしまいます。

エロというのはそういうものです。本人よりも周りが恥じる。

もちろん、それが何百万もの金を生むとなれば話は違ってきましょうけど、数万円の使用料では「なかったことに」ということになります。

残念ながら諦めるしかありませんでした。

別の雑誌の表紙にしようというアイデアもあったのですが、いろんな時代のエロを扱った本のため、ひとつの雑誌に集約させない方がいいのではないかということになって、以下の表紙に。

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結果としてはこの方がよかったとは思うのですが、複雑な思いにとらわれます。

表紙に使いたいと思ったくらいで、いい絵です。その当時は大衆雑誌の表紙画や挿絵を保存する発想があまりなかったため、すでに原画は存在しないのかもしれないですが、もし残っているのなら、作品集を作りたい。でも、遺族の許可は得られないでしょう。作品集を出したところで、何百万もの金は生まないですから。

著作権が切れる頃には、その絵のことも、描いた人のこともすっかり忘れられているかもしれません(今現在でも、十分に忘れられています)。

エロというのはそういうものです。みーんな大好きなくせに、叩かれ、笑われ、忘れられます。

そういうものだからこそ、「オレがやらなきゃ誰がやる」とばかりに、エロ本を収集して20年、こんなことをやってもまったく報われず、私自身が叩かれ、笑われ、忘れられる存在になっているかもしれない。

それでも私は面白がり続けているのですが、面白がってくれる人の絶対数が少ない。エロ本の歴史なんて、エロ雑誌の読者は求めてない。一般の雑誌の読者も求めてないですから、需要がほとんどない。ほとんどない中で細々と書き続けてきた成果が『エロスの原風景』です。

大学の先生だったら、エロを語ることにもエキスキューズが得られやすいですが、エロライターじゃ、「バカがバカを語る」みたいな話にしかならないです。

バカがバカを語ったバカな本『エロスの原風景』にまつわるバカな裏話をこれ以降書いていこうと思ってます。