2008-07-21

「だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ」

すき家で、豚丼(とんどん、て読むんだっけ?ここは)に大辛ソース2倍。
大久保通り沿いの店舗。昼メシ時なのに空いているな、と思ったら、そうか今日も世間は休みなのか。
肉が肉っぽい。いいじゃねえかよ、肉なんだから。いや、そうじゃなくって、調理されてない肉っぽさっつうか。気分は、野生。このテの肉っぽさ、すき家で初めて味わったかもしれない。

夜、帰ってから再び外出。ブラック・アイド・ピーズとか立川志の輔とか、DVDを売りに出す。
妥当な買取額。

都築響一『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』を読む。
個性的な書店の紹介、そして書評がギッシリ詰まっている。
書評は90年代前半から2007年まで。自腹で購入したという本を紹介する文章には、抜き書きしたいフレーズがありまくり。こんな風に本や人やストリートと向かい合って、いつまでも生きていきたいと思う。
濃ゆい会話で朝まで呑んでしまった後のような。さて、さっきまでの濃厚体験をどうやって消化しようかとボンヤリとした頭で考えているときのような。そんな読後感。

ただ、「辺境」的なものへの思い入れがちょっと過剰なのが気になった。
アウトサイダーな、底辺な、そこでピュアな情熱をたぎらせているのは、確かにカッコいい。
でも、そこでピュアを保てるのは選ばれた人なんであって、「そこにしか居れない自分」をちょっと恥じたりもしながらも、でもそれを認めたくなくて、あたかもピュアを保っているような「振り」をしているのは、結構しょっぱいんだよな。
ま、俺もそうなんだけどさ。
こんなコトバ使うのも恥ずかしいが、「情報化社会」で天然を保つのってやっぱ難しい。俺は無理。色んなコトが気になり過ぎる。

俺は20代の頃に、まあいわゆる「辺境」的な、低予算成人映画の世界をちっと覗いたことがあったんだけど、上に書いたようなコンプレックスと、それに対する自覚の無さ、作る方にも観る方にも、ちょっと凄いものがあった。いや、あれがカッコいいとか、普通じゃんって思う人もいるんだろうけど。
人種の違い、だな。

そんなボンノウだらけの人生で、未知なるものへ向かう情熱を持続させてくれる、「これの後を追いたい!!」と強く思わせてくれる、そんな1冊だった。
『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』。
はい。これ、合言葉。