2011-09-18

プロテストソング『ダッ!ダッ!脱原発の歌』

時代変われば、歌変わる。

制服向上委員会(SKI)が8月15日にリリースした

制服向上委員会『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』

は、これまでにはなかった感じのハキハキして明るいプロテスタントソングである。
いや、抵抗歌という枠を超えている。

15歳の福島の女子高生が東電幹部に涙目で

「子供が産めない体になるのではないかと不安」

と迫ったが、女子中高生から成るメンバーは、
この言葉に共鳴する感受性を持っている。

2011-09-17

DVD『二重被爆』 ~川流れ来る 人間筏~

ピカドンに 身体(からだ)焼かれし 傷の跡 老いて薄れて 今日広島忌
くろぐろと 数かぎりなき 佛たち 真夜立ち上がる 原爆図より

慟哭しながらこう詠んだ山口彊さんが亡くなられた、2010年1月4日に。93歳だった。

山口さんはヒロシマ&ナガサキで被爆した“二重被爆者”として知られ、山口さんの語りが中心に展開される記録映画『二重被爆』(2006年)のDVDがリリースされた。TSUTAYAなどで借りられる。また、山口彊さんの生涯を追った記録映画も今年、公開された(http://www.hibaku2.com/)。

1991年に広島原爆式典に参加したことがあるジェームズ=キャメロン監督は病床のみにあった山口さんと長崎で邂逅した。監督は原爆についての映画を製作する構想を山口さんに語った。

「あなたは選ばれたのだと思います。二度と核兵器を使ってはならないというメッセージを伝えるために」

と語りかけた監督に山口さんは

「I think so.」と応じて、
「わたしは責務を果たしました。」と声を振り絞ると、監督は山口さんの手を両手で強く握りしめた、しばらくの間。

山口さんは自費出版の歌集『人間筏』で

大広島 炎え轟きし 朝明けて 川流れ来る 人間筏
うち重なり 灼けて死にたる 人間の 脂滲みたる 土は乾かず

と詠んだ。

大きな声ではなく、静かにゆっくりと、詩心(うたごころ)を以て語り続けた山口さんの

「そのために生かされている感じがします。しかし、もういうことはいえたし、することはしたし、思い残すことはありません」

という言葉が、映画『二重被爆』の最後のメッセージである。

2011-09-16

フランスからセクト(カルト)指定される『幸福の科学』

初めて国民議会に提出された1995年のセクト(カルト宗教)に関する議会報告書で、セクトに認定されて以来、幸福の科学は報告書のリストに名を連ねる常連さんになっている。

10つあるセクトの構成要件で当てはまっていそうなのが

・法外な金銭要求
・大なり小なりの反社会的な言説
・裁判沙汰の多さ
・公権力へ浸透しようとする企て

である。

たとえば、大川隆法・総裁の御法話を衛星で拝聴するだけでも3000円のお布施義務がある。
●●祈願といった儀式などにいたっては●十万の単位するものもある。

立正佼成会と比較すると「法外な金銭要求」か分かりやすかろう。

同宗教の月会費は100円。これで各種式典に出られるし、
月刊誌1冊・週刊新聞1部、与えられる。

幸福の科学も各種値下げをしたら、ええんじゃないかと思う。

2011-09-15

ドヴィルパン前首相、第二審でも無罪判決

5月14日、パリ高等裁判所は クリアストリーム疑惑で訴追されたドミニク=ドヴィルパン前首相に対して無罪判決を言い渡し。無罪判決が出された。事件は同氏が内務相時代、偽情報を元にニコラ=サルコジ大統領を追い落とすため、捜査の指示を出したというもの。裁判所は検察の主張を退けた格好だ。
ドヴィルパン前首相は記者団に対して、
「政治的圧力に屈さなかった司法の独立を讃えたい」
と語った上で、
「今回の事件が、前回の大統領選挙(2007)の頃に主導されたことを忘れてはならない」
 と述べ、大統領候補の1人とも目された自分が狙われた可能性を示唆した。
  無罪判決を獲得し、大統領予備選2012に出馬できる環境が整ったため、ドヴィルパン前首相の周辺によれば、同氏は出馬への意志を「強くした」という。

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ニコラ=サルコジ内務相時代に発覚した疑惑。
2012年大統領選挙でもさまざまな陰謀が
出てくるのだろうか。

ニューヨークで強かん疑惑で逮捕されたものの、
起訴すらされなかったドミニク=ストロス=
カーン前IMF専務理事はフランス社会党の
有力大統領候補だった。

2011-09-09

アルツハイマーの問題に取り組む長男ロン=レーガンの闘い

在任中からアルツハイマーだったロナルド=レーガン大統領。
長男Ron Reaganが最近、父親がおかしかった旨を証言するようになった。

わたしはハンサムなロン=レーガンさんに
リスペクトを覚えている。

彼氏は2004年米国大統領選の折、民主党大会に
スピーカーとして登壇した。

「みなさんのうちで、わたしのラストネームに驚きを
 覚える人がいるかも知れません」

といって演説を始めた。

アルツハイマーの最新の研究について説明をして、
研究を遅らせようとする息子ブッシュ政権の背後にいる人たちに
“They should be asahmed of themselves”.
(あなた方は恥を知るべきだ)
と演説した。

キャスターの次男と違って、アルツハイマーの
患者・家族のために活動をするロン=レーガンさんの
ご健勝をお祈りします。

Ron Reagan@DNC 2004

東郷健さんに連絡するには……

問い合わせがありましたので、お答えいたします。

パリに発つ2日前だったかに東郷健さんに中野通りで偶然、10年ぷりにお目にかかりました。お酒をやめたせいか健康そうでしたが、耳がだいぶ、遠くなっていらっしゃいました。

連絡方法を尋ねましたら、
新宿郵便局「雑民の会」私書箱宛てに
送ってくれ、とのことでした。

以前、新宿郵便局・近くでも
偶然、遭遇したことがあります。

来日回数48回のジャック=シラク前大統領

来日回数48回、大統領に就く前年の1994年の夏期バカンスを1ヶ月、日本で過ごし、松尾芭蕉好きなので全国の「奥の細道」の史跡をまわったジャック=シラク前大統領。大の親日家で、江戸式相撲を知るほどの相撲ファン。大統領時代は優勝力士に「フランス共和国杯」を授与した(嫌日家のサルコジが廃止)。万葉集や縄文土器&弥生土器を愛し、収集して、自身の博物館に飾っているシラク前大統領。

最後に来日したのは2008年秋。

もう、日本に来られないと思うと、寂しい限りである。

ジャック=シラク前大統領、認知症が悪化

今年六月に600頁の回顧録を出したジャック=シラク前大統領(78)が認知症を患い、症状が急激に悪化していることが判明した。

同氏は首相時代(84-86年)に、シャルル=ドゴール空港で、物乞いをしてたベトナム難民の少女を養女に迎え、社会人になるまで、我が子同様に、育てた。

彼女が2月にシラク氏に面会したとき、同氏は彼女が誰だか分からなかったと養女はそのときの衝撃を発言している。

シラク氏の認知症が判明したのは家族によれば一年ほど前で、急激に悪化していったという。

市長時代からの側近だったアラン=ジュペ外務相は

「元気だった人がやむのを見るのは辛い」

と複雑な心境を打ち明けた。

2011-09-07

ドヴィルパン前首相がリビア空爆を非難

イラク戦争開戦前に、フランス共和国の外務相として、国連を舞台に、敢然と開戦に突っ走る米国に抗い、世界から喝采を浴びた貴公子・ドミニク=ドヴィルパン前首相が政権転覆を目的としたNATO軍によるリビアの徹底した攻撃を

「イラク戦争の時と変わらない」

と非難した。シリアの政権側はラマダーンの
最中にすら民衆を殺戮していったのに、欧米は口先で
非難するものの、事実上、放置した。

けっきょくは、リビアには石油と豊富な天然ガスがあったから
武力行使に踏み切ったのかと邪推してしまう。

イラク戦争がオイル目当てというのは、当時、謀略論の類いに過ぎないと
退けられていたが、イラクで石油が採れることが、実は戦争の大きな要因だった
のではないか。

2011-09-03

中川五郎さんが歌う原発歌

初めて中川五郎さんの歌を聴いたのがこの曲@日比谷野音である。
「げんぱつ 夏期講習会」に彼氏は出演された。

二倍遠く離れたら

2011-08-22

カダフィ政権・崩壊は中東の春ではない。

反資本主義新党(NPA)の機関紙(週刊)『TOUT ets a nous!』7月28日号で「中東の春」について全紙面を遣って特集を組んでいる。

さて、カダフィ大佐がリビアを掌握したのは、1969年9月1日であり、カダフィは27歳の若さだった。若者たちのグループを率いて政権の座に就いた。1970年にイスラム教=アラブ民族に基づくアフリカ合衆国論者であったナセル大統領(エジプト)が亡くなると、カダフィがナセルの思想・路線を受け継ぐ継承者になった。

チュニジア・エジプトの独裁政権に終止符を打った中東の春とリビアが大きく異なるのは、両国が民衆の力によって独裁者が倒されたのに対して、リビアの政権交代はNATOの軍事介入がなければ成功なぞしなかった点にある。

なるほど、ユーゴ紛争の折、ブレア首相は「Value War」(価値の戦争)という概念を創り上げ、民衆が為政者によって虐殺されるような人道危機があった場合は、それをとめるための軍事介入は認められるようになった。

カダフィがリビア東部で立ち上がった民衆を虐殺したのは事実であろう。それを止めるためにNATOが介入したのなら、分かる。しかし、今回はカダフィ政権を転覆させるのが目的となった。もはや、気に食わぬ国の独裁者を倒すならば軍事介入できるところまで、戦争は「カジュアルな」ものになった。

「戦争は最終手段」という原則(principle)など、かなぐり捨てたも当然だ。

今回、リビア東部の民族の叛乱は、欧米におんぶにだっこされて、成功した(も同然である、現時点では)。それには2つの背景がある。

一つはロナルド=レーガン政権のときにリビアを、トリポリとベンガジに分けて考え、ベンガジを支援していくのが、極秘裏に米国政権の外交戦略となって引き継がれてきた。

2つ目はフランスの動きである。支持率が低迷して、来年の大統領選挙で再選が危ぶまれるニコラ=サルコジ大統領は、人気取りのために、中東に吹いた春風に乗って、これまでのカダフィ大佐リビアとの友好関係をなきもののようにし、世界で一番早く反体制派をリビアの「政権」と認証し、カダフィ打倒のために積極的な軍事介入に邁進し、ドイツをはじめ、アメリカも巻き込んだ。

東西部族が対立し合うリビアでは、中部に停戦ラインをひき、西部のカダフィ・リビアと東部リビアに分割し、将来においては、分離独立すべきであった。カダフィ政権が瓦解し、今度は西部部族が抑圧されることになろう。

リビアの政権転覆は民衆の力ではなく、欧米列強の軍事によるものであり、「中東の春」とは峻別されてしかるべきだ。

2011-08-19

【8/20午前】制服向上委員会・参加の反原発デモ@神保町

~第三回 ありあえない!泊原発やめろアルゴリズムデモ行進~

・日時:8月20日(土)10:30~12:30
・場所:西神田公園(最寄り駅 神保町)
・参加:制服向上委員会

http://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=202641109219101348521.0004a84a29ad3aa1b6836&msa=0

・詳細:アルゴリズムデモ行進をみんなでやっている様子を撮影し、YouTube等の動画サイトにアップします。そこから原発問題への興味関心を持ってもらい、脱原発への行動へと繋げてもらうという目的です。
今回は泊原発やめろアルゴリズムデモ行進と題して、再稼動を防ぐことの重要性を皆さんへと伝えていくことを第一目標としていきます。

【参考】
第一回告知

http://toudenmaeaction.blogspot.com/2011/07/blog-post_25.html

第一回報告

http://toudenmaeaction.blogspot.com/2011/07/1.html

第二回告知

http://toudenmaeaction.blogspot.com/2011/08/86-2.html

2011-08-17

若きカリスマだったジョー=バイデン副大統領

2008年にジョー=バイデンを副大統領候補にバラク=オバマ大統領が選んだとき、妥当な選択だと思った。政治的経験が少なくともカリスマ性に富むオバマを、経験豊富でしかも貧困層出身という理由で庶民から愛されるバイデン副大統領は格好の人物だった。

ジョー=バイデンは1988年の民主党大統領予備選に名乗りを上げて、若きカリスマとして有力候補の一人だった。ところが、複数回にわたって、他人の演説をパクッて、撤退を余儀なくされた。

2008年のグルジア紛争では、上院外交委員長として、現地に飛んだ。ジョン=ケリー上院議員(民主党)と同様に、超党派外交の看板であり、選挙では対立することになったジョン=マケイン上院議員とも友人だった。

議会に多くの人脈を持ち、共和党からも信頼されているバイデンは、実務型副大統領として、外交・経済で大きな役割を果たしている。アメリカ副大統領は“飾り物”という皮肉が多いが、バイデンはオバマ政権にとっては欠くべからざるを得ない存在だ。

そのバイデンが今月、仙台を訪問するという。

Bravov!だ。

ヒラリー=クリントン国務長官よりは話せる相手だし、力も信頼も持っている。

2011-08-05

松田直樹選手と熱中症の生死の境目

救急介護・看護について学ぶ人は必ず熱中症について学ぶ。
以下、熱中症の症状について記す。

Ⅰ度:めまい・失神=立ちくらみ 鉄分不足・大量発汗→自覚症状あり
Ⅱ度:他覚症状が出る。病院へすぐ搬送。
Ⅲ度:汗がとまる。缶コーヒーHOTのように熱い。自覚なし→救急車を呼ぶべし

Ⅲ度になると初日~3日目が勝負で、死亡する確率は約75%といわれている。

松田直樹選手の場合、Ⅱ度の段階で周りが気がつかなかったのか、
残念でならない。

2011-08-04

フランス極右政党の動向

欧州議会議員選挙2009で現有の7議席から3議席に後退した極右政党『国民戦線』。
パパ・ルペンが引退して、娘・マリーヌが党首になると旋風を起こしている。

2012年の大統領選挙ではマリーヌが決選投票に行く可能性もなくはない。

国民戦線以外では、元・国民戦線No2のブルーノ=メグレのM.N.R.が中心となって元・国民戦線No3のカール=ラングのLe Parti de la Franceと国民戦線の元・下院議員のNouvelle Droite Populaireという極右の小党と連合して、2010地方選挙を闘って、2012年には3党連合で大統領候補を出す予定だ。

メグレ氏かラング氏のどちらかになる模様です。

2011-07-31

モナコ公国プリンス結婚のバカ騒ぎ

リヒテンシュタイン公国とモナコ公国はともに人口約3万人の小国である。
そして、立憲君主制という点で共通する。

モナコといえば、タクスヘブン、F1しか私には
思い浮かばない。

そんなモナコ公国のプリンスの結婚式が今月上旬、執り行われた。
フランスは週刊誌でずっと特集が組まれるや、結婚式当日は
国営放送が式の模様をずっと同時中継するわでえらい
バカ騒ぎだった。フランスからはサルコジ大統領と
ベルナルド=シラク前大統領夫人が出席した。

国王なき国が故にモナコ公国のプリンス・プリンセス婚が
注目されるのだろう。

2011-07-30

アトリエで裸婦を描く“コロンボ”(Paris Matchの追悼特集にて)

刑事コロンボ役で知られた俳優・Peter Falkが83歳で天に召されてから、パリの大衆週刊誌『Paris Match』は、故人を表紙にした「ADIEU COLUMBO」という追悼特集を組んだ。

表紙の写真は海浜での一枚。空に視線をやるPeter Falkの周りを海鳥たちが上空に向かって羽ばたいているシーン。特集にはM. Falkが二人の娘や妻、犬たちと映っている写真や、M.Falkの41歳の写真(とてもハンサム)や2002年に撮った写真も一頁つかって載せられている。

特集最後の頁で、自宅のアトリエで裸の女性をモデルに絵を描くM. Falkの写真は鮮烈だ。

パリでたまたま読んだ朝日新聞『天声人語』の追悼文も傑作だったが、Paris Matchの追悼特集は、フランスの他の週刊誌の中で際立って良かった。

2011-07-29

ドヴィルパン前首相が同性婚を支持

6月19日の『連帯共和国』の結党一周年大会の演説で、ドミニク=ドヴィルパン前首相は「同性カップルに婚姻制度の門戸を開く」ことに賛成を表明した。

最前列の席で演説を聴きながら、時代の変化を感じた。

2004年にノエル=マメール・ベーグル市長が男性同士の婚姻を認めたとき、内務相として市長に停職処分を下したのはドヴィルパンさんだった。

2007年大統領選で、ロワイヤル社会党候補は同性婚の合法化を公約し、サルコジ氏はPacsをさらに発展させたSuper Pacsを提案した。しかし、4年経ても、同性愛者の権利という面では、進展は何一つなかった。

それ故、フランス社会党は国民議会に同性婚を合法化する法案を提出している。与党UMPの議員の一部からは賛成の声があがったが、圧倒的多数は口をつくんでいる。

今年のフランス各地で行われたゲイ・プライドの統一コピーは

En 2011, on marche.
En 2012, on vote.

というシンプルなものだった。

同性婚が2012年の大統領選挙・総選挙の争点となるのか、その前に、着地点を見いだせるのか。サルコジ大統領の決断にかかっている。

2011-07-26

テロ直後の『国民戦線』声明

2011年7月24日

国民戦線は一連の野蛮か卑劣な行為を非難する。そして、ノルウェーの人たちに全面的な連帯を表明する。

ノルウェー・テロと『国民戦線』の声明

ノルウェーで起きたせい惨なテロ。

フランスの『国民戦線』とベルトラン=ドラノエ・パリ市長が出した声明がわたしのもとには届いた。

国民戦線はサルコジ与党・UMPを抜き、フランス社会党に次ぐ支持率となっていただけに、煽りを受けるだろう。