2009-09-07

フリーライター初仕事と居候生活 [北尾トロ 第7回]

名刺を作ったからといって、すぐに仕事があるわけでもない。編プロのバイトをやめるついでにライターを名乗ったようなもので、計画性もなければ具体的なアテもなかった。さらに金もない。手元にあるのはイシノマキから最後にもらった給料の残り8万円だけである。身の自由は手に入れたものの、当座はパインの仕事を手伝うことが主な仕事。これは家賃の代わりなので収入には結びつかない。

だが、これはまずい、ライターとして身を立てるべく動き出さねば……と思わないのがナマケモノのナマケモノたるところで、時間があるのをいいことに毎日ぶらぶらと街へ出て名画座で映画なんか観てしまう。食べ物はパインのところにあるし、8万円あれば2カ月は生きていけると消極的に計算してしまうのだ。面倒見のいいパインのことだから、それくらいだったら居候させてくれるのではないかという甘えもあった。

毎日外出するのは、しじゅう男ふたりでいたら煮詰まる、という理由からだ。時間がつぶせる映画館はその点でも都合が良かったのだが、観たいものがそうそうあるわけでもない。そこで今度はプールへ通い始めた。パインのマンションから徒歩15分のところに区営プールがあったのだ。

とはいえ、ぼくはカナヅチなので泳ぎにいくわけじゃない。プールサイドに寝転がって文庫本を読むのである。これがまた快適で、スイスイ読める。たぶん先のことを考えることから逃げていたのだろう。開高健、吉行淳之介、寺山修司の未読本を片っ端から読みふけった。夜はパインと喋ったりキャプション書きを手伝ったりで、なんとなく一日が終わってゆく。

「ヒデキは映画とか音楽とか競馬に詳しいんだから、企画書を作って売り込みにいけばいいと思うよ」

いつの間にかぼくを名前で呼ぶようになったパインから、少しは営業でもしてみたらどうだとアドバイスされ、試しにいくつか企画書を書いてみた。

「あまりおもしろくない。これじゃ通らないだろう。それに、ターゲットが見えない。提出する雑誌を想定して書いたほうがいいぞ」

それは困る。ぼくには、ぜひこの雑誌で仕事をしたいなんてところはないのだ。好きなジャンルについても、映画は観るもの、音楽は聞くもの、競馬はするものであって、書きたいとは思わない。

「割り切ってやるしかないんじゃないか。俺はこれからはこれだと思ったから無理してパソコン買って、そのおかげで死ぬほど仕事が来てる。そういう強みを持つとラクだよ。ヒデキは文章、そこそこ書けるんだから」

う〜む。正しいことを言われている気がするが、心の底からうなづけないのはどうしてだろう。

居候中、少しは仕事もした。パインの手伝いで『ホットドッグプレス』という男性誌でモデルをやったり(主役は女の子だから男は誰でもいいのである)、イシノマキに出入りしていた記者に頼まれて週刊誌のデータ原稿を書いた。記者からは何でもいいからネタを探せと言われ、怪しいハンコ屋をつかまえて話を聞いたのだが、取材が甘いと言う理由で未掲載。それ以上のことは、しつこく尋ねても喋ってくれなかったと言い訳したら「おまえ、金使ってないじゃないか。うまいもんでも食べさせて、相手が喋らないと申し訳ないなって気持ちになるように持っていくんだよ。経費は出すからバンバン使え」と叱られた。高級な店なんか知らないし、手元にごちそうする金もないんだとは言えなかった。この仕事では、サッカーの釜本選手が現役引退するから電話でコメントをとれと命じられ、やってはみたものの、こちらはサッカーのルールさえよくわかっていないため、釜本選手の怒りを買ってしまったこともある。また叱られ、そのうち記者からは連絡が来なくなった。

イシノマキからも仕事をもらった。やはり週刊誌の企画で、女性ロッカーの特集をするという。SHOW-YAや白井貴子、浜田麻里などを取り上げたいが、音楽に詳しい人間がいないから君に頼みたいと、デスクの高松さんに言われた。

「どこが受けているのか、音楽的な目標は何か、彼女たちの本音を聞き出してきて。データマンだから書いてなんぼよ。記事にまとめるのはアンカーマンがやるから、伊藤君はとにかくたくさんの話を聞きだせばいいの。わかるわね」

「はい、それならできそうです」

「じゃ、お願いね。ところで、ふたつだけ全員に聞いて欲しいことがあってさ、何歳で処女をなくしたかっていうのと、今日の下着の色は何色かっていうのを必ず聞いておいてね。ほら、おじさん雑誌だからそういうのに興味があるのよ。ノーコメントならそれでいいから」

ちょっと嫌な予感がしたが、せっかくの仕事であるから張り切って取材を申し込んだ。みんな熱心に答えてくれるので、処女喪失話は切り出しにくかったが、マネージャーの目を盗むように、インタビューの最後に汗をかきながら質問していった。ノーコメントもあったが、なかには真剣に答えてくれる人もいる。テープ起こしをしながら膨大な量のデータ原稿を書き、その最後に「処女喪失は19歳の時、先輩と。今日のパンティの色は薄いブルー」などと書き添えた。これで一丁上がり。仕事は終わったはずだった。

ところが、雑誌発売の数日前、高松さんから電話がかかってきて、記事のゲラ刷りを見た複数の事務所がカンカンになって怒っているという。

「まったく生意気なのよね。せっかく記事にしてやろうっていうんだから、少々の誇張はあたりまえじゃない。ま、イトウ君のせいじゃないんだけど、あなたが取材したんだし、事務所に謝りに行ってきて」

どんな記事ができ上がっているかも知らず飛んでいくと、音楽の話などほとんどなく、男遍歴の話題ばかりを集めた記事のコピーを見せられ、罵倒されまくった。相手が怒るのも無理はない。そこに書かれているのは、ぼくも聞いていない話ばかりだったからだ。取材相手のひとりは掲載を断ったほどである。ショックだった。こんな適当な作りをしていることにも失望したし、ぼくの報告を聞いた高松さんが何度も「取材してやっているのに生意気だ」と高飛車に繰り返すのにもうんざりだ。今後一切、イシノマキの仕事は引き受けないと決めた。

 そんなわけで、半ばふてくされつつプール通いをしていたぼくに、増田君がいい話を持ってきてくれた。以前在籍していた『スウィンガー』という雑誌で、エッセイを書く仕事である。

「伊藤ちゃんの名前で書くんだから、気を使わず好きなこと書けばいいよ」

「え、無名のライターがそんなことしていいの?」

「スワップ雑誌だから、読者はコラムなんてあまり読まないんだ。だから何でも書いていいって編集長が言ってた」

わずか1ページ、1500字の注文だったが、原稿用紙を埋めては消し、埋めては消しで、3日かかって書き上げた。歌舞伎町はパンンティストッキングに似ているという実にどうでもいいような内容だったが、増田君がおもしろいと言ってくれたので嬉しかった。何かを書いて、人におもしろいと言ってもらったのは、このときが初めてだったのだ。現金なもので、それまではパインみたいにプロのライターにはなれそうにないと弱気でいたのに、なんとかなるんじゃないかと思えてくる。

 その気持ちにすがりつくしかない事態がすぐに起きた。ある日、知り合いの女と会うことになり、たぶん朝まで一緒だろうと踏んで、今日は帰らないからとパインに断って外出したのだ。そうしたら、女とケンカになり、仕方ないので終電で戻ってくると、パインがベッドに女を連れ込んでいたのである。ここはパインの家なのだから、女を連れ込んだって一向にかまわない。女は前に会ったことがあるライター志望のコのようだったが、パインが誰とつき合おうとどうでもいいことだ。ぼくは「いいからいいから」と言って別室の床で寝た。

でも、良くはなかったのである。翌朝、眼を覚ますとすでに女の姿はなく、パインが神妙な顔で言うのだ。

「居候してもいいと言ったけど、いつまでもじゃなあ。こういうことだからさ、ヒデキ、そろそろ部屋を探してくれないか」

パインの部屋に転がり込んでから、2カ月半が経っていた。