2009-10-21

対談:岩松了×若手写真家 第4回●土屋文護/ゴダールはいちいちカッコいい

『溜息に似た言葉』とは?

『溜息に似た言葉』は、劇作家・岩松了が文学作品の中に書かれたセリフを抜き出し、セリフに込められた世界を読み解くエッセイ集です。
ただし、抜き出された言葉は、意味を重ねた数々の言葉よりも多くのことを伝える、ひとつの溜息に似た言葉──。

連載を単行本化するにあたって、岩松了が読み解いた40のセリフを、5人の写真家が各々8作品ずつ表現した写真も収録しました。
撮影後に岩松了と写真家が行なった対談は、対談の中で写真家が発した1つの言葉から描く人物エッセイ「写真家の言葉」として単行本に収録しましたが、ここでは劇作家・岩松了と若手写真家の生の言葉を掲載します。

第4回目、土屋文護との対談は「ゴダールはいちいちカッコいい」。演劇に関しては「好き」と言えない岩松了が、惜しげもなく語るゴダールの魅力。アルモドバル、侯孝賢(ホウ・シャオセン)と、映画の話は尽きない。

溜息に似た言葉
すべての収録作品など、詳しくはこちら


写真家●土屋文護

プロフィール

1980年 長野県生まれ。

撮影した作品

「あたし、わかってた……」
─『三人姉妹』(『桜の園・三人姉妹』より)チェーホフ/神西清訳/新潮文庫
妥協の結婚をしたとて麗しい女になる道は残されている

「わが人生の喪服なの」
─『かもめ』(『かもめ・ワーニャ伯父さん』より)チェーホフ/神西清訳/新潮文庫
男を値踏みしたが故のこんな言葉をあなただって吐いたことがあるはずだ

「(耳をすます)いいや……荷物を取ったり、何やかやあるから……」
─『桜の園』チェーホフ/小野理子訳/岩波文庫
子供のころ、親に叱られることをして親の帰宅が怖かったことありますよね

「人生の本当の瞬間というものは、いつも怖いものさ」
─『永すぎた春』三島由紀夫/新潮文庫
そうは言われても怖い瞬間をどうしても避けたい私達を弁護する言葉はないの?

「びーふーてーき」
─『鍵』(『鍵・瘋癲老人日記』より)谷崎潤一郎/新潮文庫
谷崎先生の『鍵』を読み、賢愚両刀の夫婦生活に早いうちに慣れておこう!

「ええ、よくわかってます──女の横暴さは!」
─『ガラスの動物園』テネシー・ウィリアムズ/小田島雄志訳/新潮文庫
自分のことはさておきのつもりでも、結局は自分のことを語ってしまう人の性

「さあ、一緒に遊ぼうじゃないか」
─『小さな王国』(『金色の死 谷崎潤一郎大正期短篇集』より)谷崎潤一郎/講談社文芸文庫
生活があり遊びがあるのか、遊びがあって生活があるのか、時に見失う?

「学生さんがたくさん泳ぎに来るね」
─『伊豆の踊子』(『伊豆の踊子・温泉宿 他四編』より)川端康成/岩波文庫
さよならも言えず別れた、あぁ踊子よ舟が出る──、それは伊豆のブルース


対談●ゴダールはいちいちカッコいい

岩松 今回、色々と読んでみてどうでしたか? やっぱり、戯曲っていうのは読みにくいでしょう? 慣れないと。

土屋 そうですね。登場人物が、誰だ誰だかわからなくなっちゃって。セリフも、どんな感情で言ってるのかわからないセリフもありました。

大田 普段は小説とかは読むんですか?

土屋 最近、全然読んでないですね。学生時代とかは読みましたよ。周りも読んでるし、時間もあるし。最近は読んでないですね。僕、マンガを全く読まないんですよ。読み切ったマンガも1個しかない、くらいで。だから、何も読んでないってことですね(笑)

岩松 そうですか。写真を撮る時に気をつけることってありますか? 自分の中で肝に銘じていることとか。

土屋 うーん。ないです。

岩松 僕が「カメラやりたい」と言ったら、助言することはなんですか?

土屋 助言することも別にないんですけど、自分でいつも気をつけているというか、「あっ」と思うのは、「もうちょっと素直に撮った方が良いな」ということで。どうしても何かを狙いがちになってしまって、他人が見てわかるかどうかは別にしても、自分の中の狙った感があると、後から見て残念だったりするんですよね。

岩松 自分でがっかり、みたいな。

土屋 そうですね。でもいつも、後から思うんですよね。撮ってる最中は夢中になっちゃって、忘れて狙っちゃったりして。

岩松 それは、「びーふーてーきー」というセリフの作品に、ビフテキそのものを撮った(後に変更した)こともちょっと関係してきますか?

土屋 そうですね。『鍵』は、今回の写真のようなさわやかな話ではなくて、性生活の話ですから。だから、何だろう。自分の写真としては、あんまり湿っぽい感じが好きじゃないんです。

岩松 僕は、この対談の前に土屋さんの写真を全部パッと見てみて、「わかりました」と言って返して、後から振り返ってみた時に、写真の印象として、「引き絵だった」というのが強かったんですよ。

でも、今改めて見てみたら、そんなに遠くから撮ってるわけでもない。なのにすごく引いて撮ってる印象があって、それももしかしたら関係あるのかな。色の感じも関係あるかもしれない。そんなにどぎつい感じじゃないじゃないですか。まさかそれだけで遠くから撮ったと思ったわけじゃないだろうけどね。

「狙って撮ると自分で嫌になる」というのは、以前はそういうことがもっと多かったということですか?

土屋 そうですね。今もどこかで狙って、色々考えながら撮ってるんだろうけど、例えば構図にしても、「カッコよく見せよう」という撮り方をすると、「別にかっこ良くないじゃん」って後から気づいたりするんです。普通に撮るというか、良いと思ったらそれをそのまま撮ればいいんじゃないかと思います。

岩松 それを実感したことって、言葉で言えるものでありますか?

土屋 ありますね。とても魅力的な人間がいて、それを作品として撮ったことがあって。ポートレートで人の内面を写すのは難しいと思うんですけど、その撮影の時は「もうちょっとこういう感じに写したい」というのを指示しすぎたり、構図もちょっと変わった構図にしてみたりして、現像から上がって来た写真を見たら、僕が考えてることばっかり写っていて、その人自身が全く見えなかった。

岩松 一枚も使えるものなかった?

土屋 ほとんど駄目でしたね。それは仕事じゃなくて、自分の作品として撮ったものでしたが。

岩松 でも、その問題っていうのは演劇もそうで、小説でも何でもそうだと思いますね。騙すんだったら上手く騙してくれないと、バレちゃうよ、っていう感じはある。
写真以外で、何か最近特に興味があることとか、あります? 映画とか観ないでしょ?

土屋 映画は観ますね。ビデオを借りて来て、時間があれば観るくらいですけど。

岩松 好きな映画はありますか? あるいは、ハリウッド系が好きとか、フランス系が好きとか、昔の映画が好きとか。

土屋 学生時代はフランス映画ばっかり観てましたね。古いのから新しいのまで観ます。

岩松 監督でいうと、どの辺ですか?

土屋 ゴダールとか、ヌーヴェルヴァーグの辺りから、今ならレオス・カラックスとか。

岩松 じゃあ、『ボンヌフの恋人』も観てるんだ。フランス映画は、どこに惹かれてたんですか?

土屋 多分、女優に惹かれてたんだと思います。女優みたいになりたいじゃないですけど、ああいうのが可愛いな、って思って。

岩松 僕は昔、アンナ・カリーナっていう女優が好きでしたね。

土屋 僕も、可愛いと思いますね。不思議な可愛さですよね。

岩松 フランス人じゃなくて、デンマークの人なんですよね。それでパリに出て来て女優になろうと思って、ゴダールとかに出会って行くんですけど。

映画の世界って、映画こぼれ話がいっぱいあるじゃないですか。ゴダールとデキたアンナ・カリーナは、モーリス・ロネとデキて振られたとか。ゴダールがデビューして『勝手にしやがれ』を撮る時に、トリュフォーが色々言ったとか。

『勝手にしやがれ』は、トリュフォーが原案を書いてるんですよね。それで、本当はクロード・シャブロルが撮るはずだったんですけど、結局ゴダールが撮ることになった。トリュフォーが書いた台本では、警官を殺したジャン=ポール・ベルモンドがずっと逃げて、最後、キオスクみたいなところに指名手配の写真が載った新聞が挿してあるのに気づかずに通り過ぎる、というラストだったらしいんですよ。それをゴダールが全部なしにして、警官に追われて背中を打たれて死ぬ、と変えたんですね。その時の、逃げたジャン=ポール・ベルモンドに向けた警官のセリフで「背骨を狙え!」っていうのがあるんです。トリュフォーは、ラストを変えられたことについてはどう思っていたかわからないけど、「背骨を狙え!」っていうセリフについては残酷すぎるから変えてくれ、と言ったらしくて。

他にも、その時ゴダールは、ジャン=ポール・ベルモンドに、「行けるとこまで行って倒れてくれ」っていう演出をしたそうなんですよ。だから延々と走って、やっと倒れて、という感じになってる。そういう映画こぼれ話が、すごく好き。

それから、トリュフォーとゴダールって、すごく仲良かったんですけど、後でけんか別れをしたんですよ。トリュフォーがお金持ちの娘と結婚したので、ゴダールが映画を撮る時に、トリュフォーに「お金を貸してくれ」って言って断られたとか。それが原因じゃないだろうけど、それから結構トリュフォーの悪口を言ったコメントがあってね。

『未知との遭遇』というスピルバーグの映画に、トリュフォーが博士役で出てるんです。ゴダールは、『未知との遭遇』について「宇宙人と会ってどういうことを話すかというビジョンがないやつは、ああいう映画を撮っちゃ駄目だ」って言ってるんですよ(笑) 『未知との遭遇』はただ会うだけだから、会って何を話すかの考えがないやつは、ああいう映画を撮っちゃ駄目だって。スピルバーグの映画に、ですけどね。
ゴダールでは『女と男のいる舗道』も大好き。何がカッコいいって、言う言葉がいちいちカッコいい。

ある時、寺山修司か誰かが、世界の映画監督に、「映画の画面のサイズが何インチ×何インチになっていることをどう思いますか?」っていうのを訪ねて歩いているものがあって。色んな映画監督がそれぞれ答えてるんですけど、その中でゴダールは「いや、それは考えたことがなかった」って言ってるんですよ。「これカッコいいな!」って思ってね。そういう風に言えるといいな、と思う。普通、何とか答えようとするじゃないですか。それを「考えたことがなかった」と言うのがすごい。

あと、この前ノーベル賞を取ったル・クレジオというフランスの作家が、ゴダールと対談したものあって。僕はル・クレジオが当時好きで、その対談が載った雑誌も買って読んだんですけど、クレジオもゴダールの映画がすごく好きで、「あなたの映画を観ると混沌と何とかを感じます」みたいなところから始まるん対談なんです。

その時クレジオがゴダールに「あなたは自分のことをモラリストだと思いますか?」という質問をしたら、ゴダールがちょっと考えて「いや、人間は皆モラリストだと思う」ってなことを言っていてね。その返しがすごく粋だというか、無理にひねくり出さないですごく自分に正直に言っている感覚が、やっぱりその人の才能に関係があるような気がして。「映画が映画じゃなくなるところに、僕は行きたいんだ」とか、言うことがいちいちカッコいいんですよ。だから、自分の戯曲でもゴダールのフレーズをいじくって使ったこともあるし。ちゃんとは理解出来ないけど、この人の言うことに付いてこう、という気にさせる。だから、映画は難解で少しわからないくらいでいいんですよ。「俺が馬鹿なだけだから、付いて行きます」って感じ。

あとは「共産主義者の怯えが僕にはよくわかる。なぜなら、僕は若い頃に知識が及ばなくて、ジャック・リヴェットが言うことに反論が出来なかった。その時の感じは、共産主義者の脅威に等しいにちがいない」というようなことを言ったりするんですよ。

っていう風に、映画や物語を語ったりする中で、ゴダールという人がすべてを壊して、またやった、という力強さに、若者としてはすごく憧れた。

おかしいのは、カラックスもゴダールが好きらしいんですよ。ゴダールはすごく難しい映画を撮ってるじゃないですか。なのに、カラックスが自分の映画を撮ってゴダールに観てもらいに行ったら「映画はもっと単純でいいと思う」って(笑) ほとんど直接聞いた話じゃないから、自分のフィルターがかかってますけどね。

土屋 でも本当に、ゴダールの映画は難解なものもありますよね。「何なのこれ?」みたいなの。

岩松 音楽の使い方も、いきなりブツッと切って、またブツッと始まったりね。ゴダールの『勝手にしやがれ』を、自分の映画の編集中に観て来た有名な映画監督がすごく落ち込んで帰って来て、「もういい、これはもう止めだ!」って言ったとか、そういうエピソードがおかしいじゃないですか。黒澤明の『酔いどれ天使』を観た溝口健二が夜通し彷徨ったとか。ヌーヴェウヴァーグのエピソードには、面白いものが沢山ありましたね。当時自分が集中して知りたがっていたから、そういう知識を得るんだろうけど。

土屋 他に何か好きな映画監督とかいますか?

岩松 映画監督は、好きな人一杯いますね。今はとにかく小津安二郎が好きだし、アキ・カウリスマキ好きだし、エリック・ロメールも好きだし、ジョン・カサヴェデスも好きだし、ペドロ・アルモドバルも好きだし。演劇はあんまり「好き」って言えないんですけど、映画は惜しげもなく「あの人好き」って言えるんですよね。なぜか。ペドロ・アルモドバルも好きですねえ。僕、『バッド・エデュケーション』という映画がすごく好きで。よく極端に「観終わって席を立てなかった」と言うやつがあるけど、本当にそれに近いものがありました。

あと、侯孝賢(ホウ・シャオセン)もすごく好きなんですよ。台湾の映画監督で、一青窈を使って『珈琲時光』っていう映画を撮った人ですけど、元々は『童年往事』とか『恋恋風塵』とか『非情城市』といった映画を撮ってる人なんです。

僕、あるとき台湾の「ぴあ」みたいな雑誌から取材をされたんだけど、日本語が喋れない人が、通訳もつけずに取材に来たんですよ。「どうすんだよ、俺?」と思ったけど、片言の英語で喋るしかないじゃないですか。

向うが「あなたの芝居はどういう芝居ですか?」と言うから、この人にどう説明すればいいんだろうと思って「小津安二郎」って漢字で書いて「この人の映画に似てるって言われます」と言ったんですよ。そうしたら、「じゃあ、あなたの芝居はこの人に近いかもしれない」と名前を挙げたのが侯孝賢で、侯孝賢は実際に「小津安二郎の映画が好きだ」と言ってるんですね。

その時に侯孝賢という名前を知ったんだけど、似てるものはあまり観たくないと思って、観ないようにしていたんですよ。それがある時、高田馬場でブラブラしてるときに早稲田松竹という映画館で、侯孝賢の二本立てをやってたんですよ。『恋恋風塵』と『非情城市』と。ちょっと観てみようかと思って入って、最初の『恋恋風塵』のときから「いや、この映画は違う」と思いましたよ。

俺、横浜に住んでるんですけど、次の日また高田馬場まで行ってもう一回観ましたもん。それから侯孝賢がすごい好きになって「自分に似てるなんておこがましかった」と思った(笑)

それで2004年に、侯孝賢が『珈琲時光』という映画を日本に来て撮ったんですよ。そのときの宣伝活動の中で、「キネマ旬報」で侯孝賢が僕と対談することになったんですよ。すっごい緊張して、「今年最大のイベントだ!」って自分の中で盛り上がって、侯孝賢の映画全部見直して、侯孝賢はときどき役者もやってるんですけど、友達の映画に出てたりするのも全部インプットして会いに行って、お話しして来ましたね。

土屋 侯孝賢は岩松さんのことは知ってたんですか?

岩松 いや、知らないでしょう。でも、対談は「じゃあ、僕の映画の本を書いてくださいよ」「喜んで」というところで締めになってるんですけどね。その時に一緒に写った写真をケータイの待ち受けにしようと思っていた時期もあったんですけど、その写真は今どこに行ったか……。

今はもう、映画祭の審査員とかやってるくらい偉い人。最近は、あまり撮ってないですね。でも、僕が最近出た『空気人形』という映画のカメラマンをやったリー・ピンピンっていう人がるんですけど、その人は侯孝賢の映画をずっとやってる人だから、打ち上げの時に「侯孝賢の映画をやってる人に、役者として撮ってもらったことは誇りです」って伝えましたよ。

映画に関しては、本当に一杯「好き好き好き」って辺りかまわず言えるんですよ。舞台は「自分以外、好きな人はいない」みたいな言い方しか出来ない(笑)

最近若い映画監督が「観てください」って言ってビデオ貸してくれたりするんだけど、若い人のやつを観ると全部面白く思えちゃって。

前に作品を送ってくれた深田晃司くんの映画も結構面白かったな。『東京人間喜劇』っていうタイトルを付けてるんだけど、3本話があってオムニバスっぽくなっていて。最初、男の子と女の子がいて、男の子が自分の部屋を出て行くところから始まるんです。「じゃ、7時ね」とか待ち合わせの時間を言って。その待ち合わせの時間の前に、一人で海に行くんですけど、向こうの方をパッと見てタタタッと走って行って、がっかりして戻ってくるんですけど、そこの波打ち際にあるコンビニの袋みたいなのをカメラが写すんです。「何だろう、あれは」とか思いながら話は進んで行くんですけど、ずっと後で、男の子に女の友達が出来ちゃう。彼氏が来なくてチケットが余っちゃって困ってる女の子とたまたま会って、友達になっちゃうんだけど、その二人で話しているときに、「飼ってた猫が逃げちゃって、白い猫なんですけど、いつか戻ってくるんじゃないかと思ってるんですよ」という話が出て、「あ、白い猫だと思ったんだ」と、後でわかるわけよ。打ち上げられたコンビニの袋がね。それが3本のうちの1本で、「白猫」というタイトル。

今回、土屋さんも含めて5人の写真家に会ったけど、やっぱり面白いね。それぞれ世界があるし、年代的にも若いし。

若い演劇関係者には会うけど、若くて違うことをやっている人には、なかなか会う機会がないじゃない。「この本どうしよっか」という話をしている時に、「じゃあ写真載せようか」という話をしたのが正解だったかな、と思う。今回5人と知り合いになるって、画期的だね。

●対談を終えて

文:土屋文護

俳優とは別の岩松さんが拝見できたことが嬉しかったです。
本当に本当に緊張しました。楽しい時間をありがとうございます!!


溜息に似た言葉─セリフで読み解く名作

溜息に似た言葉
著者●岩松了
写真●中村紋子、高橋宗正、インベカヲリ★、土屋文護、石井麻木
定価●2,200円+税
ISBN978-4-7808-0133-0 C0095
四六変型判 / 192ページ / 上製

目次など、詳しくはこちら