2007-08-04

北山晴一『男と女の「欲望」に掟はない』

otokotoonnna.jpg● 北山晴一『男と女の「欲望」に掟はない』(講談社)

 一昔前まで恋愛や性、夫婦関係といったテーマは、大の男が論じるような問題ではなかった。男というもの、そうした「私事」は女子供に任せて、天下国家を憂えていればよいと。けれども、1980年代以降、消費社会の成熟による性秩序の「規制緩和」とフェミニズムを通過した女たちの自立化によって、男たちも旧態依然たる「男らしさ」に寄り掛かってはいられなくなった。

 女性の性的主体の獲得と、対等な関係への要求に対して戸惑うばかりの男たちは、対処の仕方を求めてマニュアル作りに専念したり、一方的に女性に奉仕するアッシー君やミツグ君に変貌したりもした。あるいは、遺伝子やら「本能」を持ち出してきて、マッチョな「男神話」を強迫的に繰り返し、男とは本来こういうもの、と開き直ろうともした。

 しかし、そうした努力もむなしく、女たちは「女らしさ」など超えて、ますます自由に、自分たちのスタイルを追求している。人間には「本来」というありようなどなく、反対に、常に今ある自分を乗り越えていくことにこそ、その「本質」は存在するのだ。「本来主義」など意味がない。

 だから、「男と女の『欲望』に掟はない」という本書のタイトルは、まさにその通りで、われわれは、その「掟はない」というところから出発して、関係と欲望の方法を「発明」していかなければならないのだ。

 本書は、これまでフェミニズムが突きつけてきた問題を消化しつつ、男性の視点から現在の恋愛や性を読み解こうとした評論である。安易に「本来主義」を引用することなく、不倫からセックスレスまで、真摯に、現実的に、問題と向き合っている。その誠実な姿勢に、今の自然な「男らしさ」を見出すのは、筆者だけだろうか。

 本書の言う通り「すべての関係の根拠が不安定になっている」からこそ、そうした誠実さだけが、新たな性文化をつくり出す可能性を秘めている。

*初出/中國新聞(1998.6.14)ほか