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	<title>ポット出版 &#187; 伏見憲明の公式サイト</title>
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	<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 02:11:31 +0000</pubDate>
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			<title>ポット出版</title>
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		<title>いただいた雑誌「TOMARI-GI」</title>
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		<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 02:09:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>伏見 憲明</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エフメゾ日記]]></category>

		<category><![CDATA[伏見憲明の公式サイト]]></category>

		<category><![CDATA[本の紹介]]></category>

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		<description><![CDATA[HIVの啓発のために制作され、ゲイバーなどに配布されている季刊誌。発行しているのは、厚生労働科研「エイズ予防のための戦略研究MSM首都圏グループ」。エフメゾにもいつも、編集を担当している永易至文氏が持ってきてくれる。
H [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/img/fushimi/img/2010.1/tomarigitomarigi.jpg" alt="tomarigitomarigi.jpg" title="tomarigitomarigi.jpg" align="right" width="199" height="150" hspace="10" vspace="10" border="0" />HIVの啓発のために制作され、ゲイバーなどに配布されている季刊誌。発行しているのは、厚生労働科研「エイズ予防のための戦略研究MSM首都圏グループ」。エフメゾにもいつも、編集を担当している永易至文氏が持ってきてくれる。</p>
<p>HIVの問題はゲイバーでは表面上はトピックにはならないが、実際は水面下でお客さんとスタッフの間でいろんな情報が交わされている。なかなか自分のことを語れない感染者が、ふと思いを吐露してしまうのがゲイバーであることは珍しくない。ゲイバーはそうしたメンタルケアの場としても機能しているし、またHIVの情報やメッセージを伝える広報の役割りも担っている。そうした活動の「前線」にいるゲイバー・スタッフに向けた媒体がこの「TOMARI-GI」である。感染者の切実な手記、検査所などの情報、啓発に関わっている人たちのインタビュー等々が掲載されている。</p>
<p>費用対効果を考えれば、こうした冊子は「事業仕分け」の対象にならざるをえないかもしれないが、こうした啓発活動にはキメ玉はなく、「やらないよりはやったほうがまし」という行為を積み重ねていくしかない。本誌もその一端を担っていると言える。日本ではHIVの感染率数は増加しているとはいえ、こうした地道な活動によって、欧米に比べて感染者数自体はかなり少なくなっているのだと思う。啓発活動に関わってきた人たちの実績を低く見積もる必要はけっしてない。</p>
<p>が、感染者は日々増えている。年々増加している。先日もエフメゾで、ゲイでもありHIVの医療者でもある人が、その状況にとても危機感を抱いているとこぼしていた。そしてゲイであることと、医療者であることの狭間にいることの難しさを嘆いていた……。日本ではたぶん、HIVの問題もゲイ差別の問題も、これからが正念場になるのかもしれない。</p>
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		<title>いただいた雑誌「キネマ旬報」３月号</title>
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		<pubDate>Fri, 12 Mar 2010 01:07:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>伏見 憲明</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[伏見憲明の公式サイト]]></category>

		<category><![CDATA[本の紹介]]></category>

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		<description><![CDATA[自分は「年齢同一性障害」だなあと思うときがある。最近、三十代半ばくらいの人に「伏見さんの本を高校生のときに読みました」などと言われることがけっこうあり、なにかきょとんとしてしまうのだ。四十六歳のいま、三十代なら年齢差はほ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/img/fushimi/img/2010.1/100302main.jpg" alt="100302main.jpg" title="100302main.jpg" align="left" width="120" height="169" hspace="10" vspace="10" border="0" />自分は「年齢同一性障害」だなあと思うときがある。最近、三十代半ばくらいの人に「伏見さんの本を高校生のときに読みました」などと言われることがけっこうあり、なにかきょとんとしてしまうのだ。四十六歳のいま、三十代なら年齢差はほとんどないでしょ、くらいの気持ちでいるので、「なんで二十年も前に出したはずの本を君が高校生で読んでるの？」と思う（←相当身の程知らず）。いつのまにそんなに時間が経過してしまったんでしょうね。</p>
<p>そのようにけっこう長い間物書きをしているわけだが、考えてみたら、映画雑誌「キネマ旬報」に寄稿したことがなかった。今回初めて映画「フィリップ、きみを愛してる！」の評論を書いたのだけど、「キネ旬」というと亡くなったゲイバー「クロノス」のマスターを思い出す。そうか、映画マニアだったクロちゃんも、「アバター」や「ハート・ロッカー」は知らないんだなあ……。</p>
<p>「フィリップ」はけっこうお勧めの映画です。ユアン・マクレガーの演技がとてもいい味を出しています！</p>
<p>＊＊　伏見憲明のmixi ID https://id.mixi.jp/3837974　マイミク歓迎！<br />
＊＊　ツイッター　http://twitter.com/fushiminoriaki</p>
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		<title>伏見徒然草 第７５回 最終回</title>
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		<pubDate>Tue, 09 Mar 2010 00:33:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>伏見 憲明</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[伏見徒然草]]></category>

		<category><![CDATA[伏見憲明の公式サイト]]></category>

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		<description><![CDATA[バディの片隅で連載されていた「伏見徒然草」も第７５回で最終回。今後ゲイに関するコラム「伏見徒然草」はこのサイトに居を移し、トピックがあったときだけ執筆していくつもり。もうそういう時代ですねえ（笑）。
● 伏見徒然草
第７ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/img/fushimi/img/2010.1/1003mh.jpg" alt="1003mh.jpg" title="1003mh.jpg" align="right" width="96" height="136" hspace="10" vspace="10" border="0" />バディの片隅で連載されていた「伏見徒然草」も第７５回で最終回。今後ゲイに関するコラム「伏見徒然草」はこのサイトに居を移し、トピックがあったときだけ執筆していくつもり。もうそういう時代ですねえ（笑）。</p>
<p>● 伏見徒然草<br />
第７５回「最終稿」　バディ 2010.2</p>
<p>一年がはじまるお正月に連載の最終回を書くというのもおかしな巡り合わせだが、すでに第七十五回となる「伏見徒然草」も今回でおしまい。これまでのように一つのシリーズが終わってすぐに次のシリーズに移行するということではなく、とりあえず、伏見の「バディ」でのお仕事は一段落ということになる。</p>
<p>最初に「バディ」に関わらせてもらったのは、漫画家の桜沢エリカさんを連れてきてほしいという編集部からの要請で、彼女と誌上対談をしたときだ。九十年代の半ばはまだ、一般のメディアとゲイメディアを隔てる敷居は高く、いわゆる有名人がゲイ雑誌に出ることはほとんどありえなかった。今日ではメジャーのほうからパブリシティの一環としてゲイメディアを利用しようとする動きさえあるが、かつてはこういう媒体に露出することは一般の有名人にとって商品価値を損なうことでしかない、と思われていた。そんな時代に、お洒落の先端を行っていた桜沢さんが誌面を飾った意味は大きかった。<span id="more-493917025"></span></p>
<p>そのように、この十数年でゲイとゲイメディアをめぐる状況はずいぶん変わった。伏見は「バディ」への寄稿文にしばしば「隔世の感がある」という表現を使ったが、それくらいこの間で時代は大きく変化したのだと思う。最近ゲイシーンに出てきた人には実感できないだろうが、「バディ」はそういう激動のなかでその役割りを果たしてきた雑誌だった。しかし出版業自体の不況や、ネット環境の充実によってゲイ情報がパソコンや携帯から手軽に得られるようになったこと、そして同性愛に対する社会の寛容が進むにしたがってゲイ自身が多様化したことにより、ゲイ雑誌の役割りは小さくならざるをえなかった。それはゲイが生きやすくなった結果によるのだから、必ずしも悪いことではないが。</p>
<p>伏見個人にとっても状況は大きく変わった。二十年前のお正月は、たぶん、デビュー作『プライベート・ゲイ・ライフ』の執筆をはじめていた頃で、そのときには未来に日本でゲイパレードが行われることも、ゲイコミュニティと言えるような活動が盛んになることも、はたまた自分が四十代も半ばになってまで文章を書いていることも想像ができなかった。また、十年前でさえ、東京でのパレードを復活させることに集中していて、ゲイや性的少数者という括りで求心力を持つ方向に賭けていて、十年後にはゲイが自らに肯定的になりつつも集団としては拡散してしまうという事態を、予想する余裕もなかった（2001年くらいにはすぐに疑うことにもなったが）。</p>
<p>そう、この二十年、「バディ」の創刊からしても十六年の間に、日本の「同性愛者」は「ゲイ」として肯定的になり、政治的な主体としてもある程度成立した。そしてそれと同時に多様化、個人化も進行した。おそらく、よほどのことがないかぎり今後、大きな集団としてゲイが急進的に政治化することもないだろうし（ただし、婚姻法などの分野で今後盛り上がることは考えられる）、逆に否定的なアイデンティティとしてそれが生きられる傾向も縮小されていくはず。</p>
<p>そんなふうに時代の変化をこのエッセイでずっと実況していければいいと思っていたが、さまざまな事情により叶わず、とても残念ではある。が、振り返ってみるに、自分はもう十分仕事をした気にもなっている。「ゲイの考古学」では日本のゲイの歴史の流れを素描したし、「伏見ゲイ新聞」ではゲイコミュニティを実現するための共同性を演出しようとした。続く「夢のトークショー」ではゲイコミュニティと外の世界をつなぐことも試みた。そしてその後のエッセイでは老後の問題やら日本社会におけるリブのリアリティについて論じてもみた。それらはどれも不十分な内容ではあったし、現在から見れば間違った考察も多かったが、そのときの自分がいける限度まで思考したものだ。</p>
<p>ゲイ・ムーブメントということを取っても、自分ができること、やりたいこと、すべきことはすべてやったような気がする。二十年もひとつのテーマを一生懸命生きれば、それが大した成果を生んでいなくても、個人の人生にはずいぶん豊かな経験をもたらしたと思う。</p>
<p>今後はゲイのことは若い世代のみなさんの後ろをついていきたい。もちろんこれからも伏見はずっとゲイのムーブメントを応援していくが、もはや新しいアイディアもなければエネルギーもない中年は、フロントランナーではありえない。駅伝のように、ゲイ・ムーブメントの襷は、清新な志を持った次のアクティヴィストや表現者に渡すことにする（ちょっと偉そうな物言いだが）。</p>
<p>伏見はこれまでの経験を糧に、今後はフィクションの仕事を中心に物書きとして社会生活をまっとうしたいと思う。この四月に、六年ぶりの小説集『団地の女学生』を集英社から上梓する予定だが、その後も文芸誌などで小説を発表していくつもりだ。以降の伏見に関心があれば、そちらをぜひ読んでみてください。</p>
<p>また一作年から週一度だけ営業しているゲイバー「エフメゾ」も続けていくので、もしよかったら会いに来てください。若いゲイから若くないゲイまでいろんな人が集まる「エフメゾ」は、昭和のゲイバーの伝統を受け継ぐ場として、多様な人間の坩堝たりえたいと思っている。</p>
<p>最後に、十数年にわたり原稿発表の機会を与えてくださったテラ出版の平井さん、和田さん、歴代の担当者諸氏、そして読者のみなさんにこの場を借りて改めて御礼申し上げたい。</p>
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		<item>
		<title>縦と横のつながり</title>
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		<pubDate>Mon, 08 Mar 2010 07:03:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>伏見 憲明</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エフメゾ日記]]></category>

		<category><![CDATA[伏見憲明の公式サイト]]></category>

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		<description><![CDATA[横のつながり、同世代のつながりを得ることは、学校でも職場でも比較的容易にできるが、異なる世代同士で平場の関係、心地よい縦のつながりを得る機会はあまりない。まず、出会いの場がないことや、共通の関心を見つけることが難しいとい [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/img/fushimi/img/2008.6/mfmap.gif" alt="mfmap.gif" title="mfmap.gif" align="left" width="255" height="150" hspace="10" vspace="10" border="0" />横のつながり、同世代のつながりを得ることは、学校でも職場でも比較的容易にできるが、異なる世代同士で平場の関係、心地よい縦のつながりを得る機会はあまりない。まず、出会いの場がないことや、共通の関心を見つけることが難しいという問題。かつての二丁目では異世代間コミュニケーションはけっこうありえたが、昨今ではゲイの業界も生息域が傾向と対策別に分かれて、似たような人たちが似たような場で集まる傾向が強くなっているように思える。あるいは、多様化が進み、ゲイという共通項だけでは「仲間」だとは思えなくなって、集うモチベーション自体も希薄になってきているかもしれない。</p>
<p>そんななか先日、母校出身のゲイやレズビアンなどで集う会を立ち上げる、という話しを聞きつけ、面白そうなので参加してみた。５０代から２０代の現役学生までの、大学を同じにしているということと、性的少数者であることを共通項にした集まり。主催者がネットなどでは宣伝せず、口コミだけで情報が流れたにしては、けっこうな人数が集まり、会場はとても盛況で、みんな会話もはずんでいた。一次会だけでは時間が足りず二次会に流れた人たちもかなりいた。たまたま隣り合わせて座った者同士が同じ業種だったり、現役の学生と何十年も前に卒業した先輩が言葉を交わすことができたり……なかなか楽しい場であった。伏見が大学生の頃には、こんな集まりが将来ありうるなんて、想像もできなかった。</p>
<p>エフメゾでもときどき思うことだが、ゲイバーのよさは同じ性的嗜好の者同士が集えるということだけではなく、職場や学校では知り合えないようないろんな世代の、いろんな立場の人と同じ目線で話せることだと思う。そんな関係のなかで、会社での悩みを年配の人に聞いてもらいアドバイスをもらったり、おばさんが若い世代の新しい文化に触れたり、異なる業種の者同士が情報を交換したり……案外豊かなものが得られたりするのだ。だから、同世代の連れだけで盛り上がりたいときにはエフメゾは向かないかもしれないが、もっと人間関係の幅を広げたいという人には、きっと心地よい空間になるだろう。いや、そういう場になるべく努力をしていきたい。</p>
<p>３／１０（水）は１７：００（−１９：００　カフェタイム）から営業をしています。おでんや、カレーやハヤシライスもありますので、お食事もできます。帰宅途中にふらりと寄ってください。０４：００まで営業している予定ですが、深夜はお客様がいなくなり次第、看板を消してしまいます。</p>
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		<title>伏見徒然草 第７４回</title>
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		<pubDate>Mon, 08 Mar 2010 01:06:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>伏見 憲明</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[伏見徒然草]]></category>

		<category><![CDATA[伏見憲明の公式サイト]]></category>

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		<description><![CDATA[● 伏見徒然草
第７４回「二人の先達」　バディ 2010.1
昭和２６年、新宿二丁目に最初のゲイバーを出店したマスターが先日亡くなった。享年百歳の長寿であった。８０年代末に店を引退してからも、風邪一つひいたことがないとい [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/img/fushimi/img/2010.1/1002mh.jpg" alt="1002mh.jpg" title="1002mh.jpg" align="right" width="96" height="136" hspace="10" vspace="10" border="0" />● 伏見徒然草<br />
第７４回「二人の先達」　バディ 2010.1</p>
<p>昭和２６年、新宿二丁目に最初のゲイバーを出店したマスターが先日亡くなった。享年百歳の長寿であった。８０年代末に店を引退してからも、風邪一つひいたことがないという強健な方で、最後は老衰といっていい大往生であった。</p>
<p>伏見は十七年前からの、取材を通じての付き合いで、ときどきご機嫌伺いに参じるような関係だった。昨年から特別養護老人ホームに入居されて、心安らかな時間を過ごしていた。が、長寿ゆえに同世代の友人はとっくにこの世を去っており、最後は伏見の他には一人だけ、お店をやっていた頃からの親友が見舞いに来てくれるだけになっていた。<span id="more-493917021"></span></p>
<p>マスターは自分の人生を振り返り、</p>
<p>「とても幸福だった。独りきりで人生をまっとうするのが夢で、ちゃんと夢が叶った」</p>
<p>とよく微笑んでいた。それは強がりというよりは本音で、本当に孤独癖の強い人でもあった。ただ、「独り」にこだわった人生でも、まったく友人が必要ないということではなかった。最晩年は寂しくなると、伏見にまで電話を掛けてきて、「たまには顔を見せに来てほしい」と柄にもなく訴えたりした。</p>
<p>伏見はせいぜい月に一度くらいしかお見舞いに伺えなかったが、還暦を過ぎた親友の方はもっとまめに足を運んでいた。そして最後までマスターの話し相手を務められ、数十年の長きにわたる友情をまっとうした。過去にも性愛の関係はなかったという純粋な友人なのに、どうして寝たきりになった友だちを見舞い続けたのかは、親友の方も、</p>
<p>「なんでそんなことをしたのかなあ……」</p>
<p>とおしゃっていていた。</p>
<p>マスターのように家族はいないが暖かい友人に見守られて末期を迎える人もいる。それは端から見ている伏見にもえらく感動的で、人それぞれの選択した人生のかけがえのなさを実感した。</p>
<p>明治生まれのマスターの、「同性愛者として生きる」ということのなかには、永続的なパートナーシップを得て、誰かとともに生きるというライフコースは最初から断念されていたのかもしれない。もちろん昔も結果としてそのように生きた同性カップルも存在したはずだが（そういう人たちは井原西鶴の「男色大鏡」のなかにも出てくる）、今風に言えば、ライフスタイルとしてそれを選択できるようになったのは、つい最近のことである。夢想させる「思想」がなければ、「ゲイライフ」は選択の対象にならない。</p>
<p>それがまだ選択の対象ではない時代から、自分がゲイであることの意味を問い続けたのが、大塚隆史さんだ。先般出版された著書『二人で生きる技術』（ポット出版）には、他者と永続的な関係性を得ようと格闘する大塚さんの半生が赤裸々に、そして深淵な行間を持って記述されている。</p>
<p>この本は大塚隆史そのものといっていいほど濃密な体験で書かれているので、軽々に評論などできない。欲望の自己実現が人生に可能になった団塊の世代にゲイとして生まれた著者の、可能性と限界がせめぎあう六十年の軌跡がここには綴られている。</p>
<p>初めて人生のパートナーと思える相手との、同棲生活。そして、セックスではじまった関係であっても、性愛が時とともにパートナーシップと分離していくことの気づき。十年という年月を過ごした彼との予期せぬ死別。次にパートナーとなった男性に、長年大きな嘘をつかれていた傷心。一人で生きられてこそ誰かと生きることができるのだ、という諦念。まったく異なる人生と価値観を歩んできた新しい恋人との、共生の努力と喜び。年若いパートナーとの性愛を越えた関係の充実……。そのどれもが、率直な言葉と、真摯な表現で描かれ、読者に深い感銘を与える。</p>
<p>伏見にはここで書かれた内容を安易に肯定することも、もちろん否定することもできない。それほど切実で、勇敢な一個の「生」の記録なのだ。</p>
<p>現在の若い世代には、大塚さんが、どうしてこんなに「二人で生きること」にこだわっているのかわからないかもしれない。しかし彼より上の世代のゲイにはその選択肢はほとんどありえず、それを、ひとつひとつ問題をクリアしながら模索することで初めて、「ゲイのパートナーシップ」という「思想」はこの世に生み落とされた。「思想」とは、ひとりの経験をみんなが共有するための言語表現なのだ。</p>
<p>こうした大塚さんの人生を賭けた「探求」によって、ぼくらは男同士でも誰かと一緒に生きていくことの希望を手にすることができた。そしてそれはまた「二人で生きる」以外の選択肢を得ることでもある。大塚さんの思想を受け取ったひとりひとりの人間が、今度は自分の経験を言葉にしていくことで、他の選択肢も形づくられていくのだろう。</p>
<p>ぼくらは大塚隆史という希有の人物と同時代に生まれたことを感謝しなければならない。そう思ったらいますぐ、この本を購入し、タックスノットの扉を開けるのがいい。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>伏見徒然草 第７３回</title>
		<link>http://www.pot.co.jp/fushimi/20100307_175921493917016.html</link>
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		<pubDate>Sun, 07 Mar 2010 09:00:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>伏見 憲明</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[伏見徒然草]]></category>

		<category><![CDATA[伏見憲明の公式サイト]]></category>

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		<description><![CDATA[● 伏見徒然草　
第７３回「更年期のゲイ」バディ　2010.1
それは突然やってきた。老眼。読書をしていて細かい文字などがかすむ。ふと気がついたら、目をすがめて近くのものを見ている、パソコンに文字を打つときに顔を異様に液 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/img/fushimi/img/2010.1/1001mh.jpg" alt="1001mh.jpg" title="1001mh.jpg" align="left" width="96" height="136" hspace="10" vspace="10" border="0" />● 伏見徒然草　<br />
第７３回「更年期のゲイ」バディ　2010.1</p>
<p>それは突然やってきた。老眼。読書をしていて細かい文字などがかすむ。ふと気がついたら、目をすがめて近くのものを見ている、パソコンに文字を打つときに顔を異様に液晶画面に近づけている……。最近疲れているのかなあと思っていたのだけど、同世代の友人が、</p>
<p>「俺さ、老眼になっちゃって、眼鏡買ったんだ。あれって急にくるんだよね」</p>
<p>と話しているのを聞いて、もしかしてこの見えづらさは！？と思い当たった。ちょっと前に車の免許の更新があって、そのときに近眼と乱視の眼鏡を作ったのに、今度は老眼。四十六歳にもなると、つぎつぎとからだの機能が劣化する。</p>
<p>伏見は長い間メタボの人生を歩んで来たわけだが、腰痛以外は血圧も血糖値もそれほど問題がなかった。それが、この頃ではなにかちょっとしたストレスがあると、途端に血圧が跳ね上がってしまうのである。この前もストレスフルな件に関わって、上が２００、下が１１０くらいまで一気に高騰し、二、三日安静に過ごさざるを得なかった。ちょっとしたことで自分がカッとなったら、自分のほうがまいってしまうのだ。<span id="more-493917016"></span></p>
<p>他にも、この一年くらいとにかく言葉が出てこない。とくに固有名詞が思い出せず、「あれ、それ」と指示代名詞がジタバタと口をついて出てしまう。マジで若年性認知症が不安になる瞬間があるくらいで、いわゆる中高年の「あれ、それ症候群」というやつである。これは物書きとしてはたいそうつらいもので、文章を書いている途中しばしばキーボードを打つ手が止まってしまい、イライラが募る。</p>
<p>それ以前に、近年仕事に対する気力も顕著に衰えていて、短い書評を書くのでさえつい先延ばしにしてしまい、いつまでたってパソコンに向かうことができない。小説なんて、ずっと編集者に締め切りを延ばしてもらっていて、本当に次回作が書けるのか自信がないくらいだ。十年くらい前に「クィア・ジャパン」を編集していたときには、膨大な作業量を半ばボランティアでこなし、その他にも自分の本を書いていたのだから、いまにして思えば、あの情熱はいったいどこか湧いていたのだろうかと不思議になる。もしかしたら情熱というよりは狂気に近いものだったのかしれないが……。</p>
<p>そしてあんなに一生懸命だったゲイやセクシュアリティの問題も、ここのところ何か空しさばかりを感じてしまい、とんと心動かされない。まるで問題意識や好奇心が壊死してしまったかのようだ。のだけど……先日、心がビクンと動くことがあった。以前にいっしょに仕事をしたことのある編集者と十八年ぶりに再会して、積もる話しなどしていたときのことだ。前に会ったときにはまだ独身だったその人も、とっくに結婚して、もう上のお子さんが高校生！になっていると聞いて、いつのまにそんなに時間がたってしまったんだろうかと、浦島太郎な気分に陥った。子育てとともに時間の流れを感じられる既婚者と違い、自分のことにかまけてばかりいるシングルは、人生の経過を実感しづらいのだ。そしてその編集者氏は、下の小学生のお子さんの話しでこんなことを語った。</p>
<p>「前に伏見さんと仕事をしたときには、まだゲイとかトランスジェンダーとかはセンセーショナルな話題で、世間一般では物珍しい対象だった。だけど、うちの子を見ていると、もう性的に男／女の枠に収まらない人たちがいることを織り込んで世界を見ている。例えば絵本の「ぐりとぐら」を読んで、彼女は男同士のカップルだと勝手に思っているんだよね。ゲイとか教えたわけでもないのに、自然にそういうことが頭に入っている」</p>
<p>子供の心のなかには時代の変化がちゃんと写し込まれるのだろう。なんだか感動してしまった。九十年代以降、いろんな人たちが力を注いできたことがちゃんと、確実に次世代のなかに芽吹いている。</p>
<p>そんなエピソードに触れたら、気力がじんわりと回復してきた。そしてからだを動かそうと朝暇を見て歩きはじめた。ちゃんと生き切るためにはまずは健康、体力だと一念発起。</p>
<p>以前にもやっていたのだが、近所の川原をスウェットスーツを着てウォーキングすること一時間。とにかくからだのなかから塩を出さないことには血圧も下がらない。デブ専マニアのために生きるなんて言ってないで、少しでも体重を減らさないと糖尿にだってなりかねない。</p>
<p>ということで、ひたすら水を飲んで汗を流し、鳥の声や風の音に耳を傾けながら、足を進める。そういうときはiPODを聴くのもいいが、やはり自然音がいちばん心地よい。荒川端の自然のなかをそんなふうに小一時間も歩くと、いつのまにか自分のなかで波だっていたものが凪いで、のんびりとした気分になってくる。たぶん、日常のせわしない生活で自律神経もおかしくなっていたのだろう。</p>
<p>そんなふうに人生のギアを切換えながらゆっくりと仕事もこなしていけばいい。そう思うと勤労意欲も復活してきた。おかげで「人権」などというテーマの講演まで引き受けてしまった。これまで「人権」みたいな無味乾燥な言葉やスローガンが苦手で、そういうたぐいの仕事はなるべく避けてきたのだけど、今なら自分なりの切り口で差別や人権の問題を語れるように思えたのだ。（町田市で１２月５日に行う予定）。</p>
<p>四十代も半ばを過ぎると、いろんなところをメンテナンスしながら、自分を励まし一歩一歩足を動かしていくしかない。<br />
　</p>
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		<title>伏見徒然草 第７２回</title>
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		<pubDate>Sat, 06 Mar 2010 02:34:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>伏見 憲明</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[伏見徒然草]]></category>

		<category><![CDATA[伏見憲明の公式サイト]]></category>

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		<description><![CDATA[● 伏見徒然草
第７２回「セグメント化するゲイ」バディ 09.12
二丁目へ行くと、いまやGRINDRの話しで持ち切りである。このエッセイでも前に触れたが、これはiPhoneのアプリのひとつで、起動するとGPS機能によっ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/img/fushimi/img/2010.1/0912mh.jpg" alt="0912mh.jpg" title="0912mh.jpg" align="right" width="96" height="136" hspace="10" vspace="10" border="0" />● 伏見徒然草<br />
第７２回「セグメント化するゲイ」バディ 09.12</p>
<p>二丁目へ行くと、いまやGRINDRの話しで持ち切りである。このエッセイでも前に触れたが、これはiPhoneのアプリのひとつで、起動するとGPS機能によって登録しているゲイの位置がメートル単位で表示されるという優れもの。本当に画面上には近場にいるゲイたちの顔がずらりと並ぶのだ！　ログイン中なら互いにチャットすることもできるので、もはやゲイたちのハッテンや暇つぶしのマストアイテムになりつつある。</p>
<p>自分の他には同性愛などという変態はいないと思っていた伏見のような世代は、夢のような気分になる。周囲の連中ものきなみiPhoneに機種変更しているし、夏に若い連中と田舎に旅行した折りにも、GRINDR を使って近くにいるゲイを探査している子がいて、そうした草深い地方ですら、数キロメートル先にはイケてるゲイがニッコリと笑っていた。<span id="more-493917008"></span></p>
<p>以前は、孤立していたゲイがパレードなどに参加して初めて、「他にもこんなに仲間がいたんだ！」と感動し自らのセクシュアリティを肯定するに至る、というパターンがあったが、GRINDERの登場で、それが今いる場所からも可視的に体験できるようになった。見ず知らずの（あるいは知っている）多数のゲイたちがつねに、現在、近くに存在している。それほど肯定的なメッセージはない。このアイテムはゲイにとってmixi以来の革命かもしれない。</p>
<p>驚くのはテクノロジーの恐るべき進歩ばかりでなく、こういう不特定多数が関わる場に顔出しして平気なゲイがたくさんいるという事実だ（嘘か実か、GRINDRの流行は保守的と言われているデブ専の方面からはじまったとか……）。エロのためには顔出しの危険も省みない自意識。これは、カミングアウトという言葉がだんだん意味をなさなくなってきている事態も表しているだろう。いまや我々にはインとアウトの観念自体が曖昧になってきていて、その場その場でふるまいを変える自分がいるだけになってきているのかもしれない……。</p>
<p>mixiをはじめネットの広がりで、会社にいようが学校にいようがそれとはまったく関係のないコミュニケーションが同時並行で可能になり、つねに他所にいる誰かとのつながりが確保されている。Twitter などではつねに友人の誰かが「つぶやいて」いて、もはや会社での関係と、ネットを通じて繋がっている人々との関係のどちらが「社会的」なのか、あるいは「私的」なのかを区別することも容易でない。</p>
<p>そんなふうにネット空間を中心に、人々が島宇宙のごとく分布して、それぞれが部分的に結ばれているだけなので、「ゲイ」という集合も全体をつかまえるのは困難で、不透明さがつきまとう。十年くらい前なら、性的嗜好別に分かれているゲイ雑誌に情報を流せば、ある程度それを流通させることができたが、いまでは雑誌という媒体自体の存在基盤が掘り崩され、出会いツールを中心に消費されていたゲイ雑誌の地盤沈下は激しい。一方ネットでは益々島宇宙化が進んでいるので、ここに情報を流せば全体に届くという核も存在しない。</p>
<p>多様化、複数化によって、「画一的なゲイ像」や「ゲイを巡る思考の偏り」がもたらす窮屈さからは解放されたが、別の問題も生じてきている。例えば、HIVの啓発などは今後益々、戦略が立てづらくなっていくだろう。それは、ゲイメディアの地盤沈下とゲイネットワークの多様化によって、効率的に「啓蒙」を可能にする場が確保できないからだ。ネットは雑誌と違って好きな情報だけを取りに行く傾向があるので、一冊買うと好きでもない情報までもれなく付いてくる雑誌とは違う。どうしても関心のある情報圏にアクセスが内閉してしまうのが欠点だ。</p>
<p>先日も、非常に優秀だと思っていた学生が、「バックはコンドームをつけてやってますが、口内射精はふつうにしてます」と明るく語っているのを聞いて、こんなに聡明な子ですらちゃんとした知識を持っていないのか！　と暗澹たる思いがした。話しを聞くと、彼は雑誌を買うこともないし、ネットやmixiでゲイと知り合うだけで、これまでとくに性感染症について知る機会もなかったという。ゲイの共同性が拡散している今日、若い世代にいかに病気に関する情報を送ることができるのかは、HIV啓発にとって今後大きな課題となるはず。</p>
<p>いまや「ゲイ」という自己認知を持つ人々は、さまざまなセグメントに分かれ、中心を持たず、小さな「コミュニティ」が並列している状態だ。クラブに都合う人々、バーを楽しむ人々、音楽やスポーツのサークルに参加する人々、発展場にだけ生息する人々、そしてリブに勤しむ人々……。そう、パレードに参加する行為でさえ、一つの嗜好、一つの楽しみの形態でしかありえない。</p>
<p>もちろん、いままでもそうだったとも言えるが、ゲイたちの行動様式や世界観はさらに細分化している。ゲイであることを受け入れ、肯定的になった上で、多様化している。そして、バーなどで見ている実感から思うのは、（若い世代はともかく）同性愛を悩む人々でさえ、それも成長の一段階というより、ゲイの存在様態のバリエーションの一つにしか見えなくなってきたということ。こう言うと多くの反発を買うだろうが。<br />
　</p>
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		<title>伏見徒然草 第７１回</title>
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		<pubDate>Fri, 05 Mar 2010 03:17:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>伏見 憲明</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[伏見徒然草]]></category>

		<category><![CDATA[伏見憲明の公式サイト]]></category>

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		<description><![CDATA[● 伏見徒然草
第７１回「同窓会」2009.11
四十代も半ばになると、学生時代というのは遥か遠い記憶で、思い出すのも大変になってくる。とくに伏見のように人付き合いが悪くて、小・中・高・大のどの学友とも卒業後はほとんど交 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="/img/fushimi/img/2010.1/0911mh.jpg" alt="0911mh.jpg" title="0911mh.jpg" align="left" width="96" height="136" hspace="10" vspace="10" border="0" />● 伏見徒然草<br />
第７１回「同窓会」2009.11</p>
<p>四十代も半ばになると、学生時代というのは遥か遠い記憶で、思い出すのも大変になってくる。とくに伏見のように人付き合いが悪くて、小・中・高・大のどの学友とも卒業後はほとんど交流がなく、同窓会のたぐいにも出席せずにいると、そういえばそんな時代もあったよね、というくらいの感情しか呼び起こせない。</p>
<p>だけど、まったく愛着がないかというとそれも嘘で、たまに読者からメールなどいただいて、それが母校の出身者だったりすると、なんとはなしに嬉しくなったりもする。伏見は埼玉の片隅で小中学校を過ごしたので、奇遇にもそんな田舎の学校を卒業したゲイを見つければ、あそこにもゲイはちゃんといたんだ！と、妙な親しみがわいてくる。まだ同学年のゲイとは出会ったことはないが、どんな片田舎の学校でも毎年一定数のゲイが卒業するはず。<span id="more-493916984"></span></p>
<p>ふと気づくと、近所のゲイ友が六人くらいに増えていて、そうだ、同じ駅を使っているゲイだけでお茶会でも開こうと、近くのファミレスにみんなを誘った。ゲイが多いとされる中野や阿佐ヶ谷でもないふつうの町で、そんなことができるのかとも思ったが、急に思い立って連絡したわりに全員が深夜のファミレスにそろい、しばしいろんな話しに花を咲かせた。</p>
<p>聞いてみると、伏見以外の連中はそれぞれ知り合いではなかったということで、実は目と鼻の先に住んでいる者同士までいた。日常暮らしている地域でも案外ゲイは他にもいるのである。初対面の相手でもすぐに打ち解けられるところがマイノリティのいいところで、加えて、よく知った土地にいて、かつて同じ学び舎にいたことで、話題が尽きないのもいい。「◎○先生のこと知ってる？」みたいなきっかけから言葉を交わせるので、自然に互いの抱えている問題にまで話しが深まる。生活圏がいっしょだと話しにリアリティがあり、切実さを共有しやすいのだ。みんな、親の介護やらリストラやら心の病やら……人生に悩みは尽きない。</p>
<p>大学生の頃（四半世紀も前のこと）、ゲイ雑誌の文通欄（当時はこれしか出会いのメディアがなかった）で連絡を取った相手と、地元のマクドナルドで待ち合わせをしたことがあった。そのときは「ぼくたち、地元でホモ同士で会ってる！」と緊張感でガチガチになったものだ。GRINDERが流行っている今日では笑われてしまうだろうが、地方の生活圏でホモが昼間から会うなんて、考えられないことだった。<br />
　<br />
それがいまや、リブでもなんでもないふつうのゲイが、ホモネタを大声でファミレスで語っているのである。伏見以外は家族にカミングアウトしている人はいなかったと思うが、昔だったら周囲を警戒してできないようなことが可能になったのだ。その変化の大きさに当人たちが気づいていないこと自体、ある意味、状況の劇的な変化だろう。</p>
<p>伏見にしても大学時代はまだ同性愛の問題がプレッシャーだった。友人たちにはカミングアウトしていたが、親にはいえずにいたし、将来への不安もあった。そんな大学時代の友人が先日、エフメゾ（伏見が水曜だけやっているゲイバー）に遊びに来てくれた。ひとりは唯一いまでも付き合いのある女友だちで、もうひとりは数年ぶりに会うノンケの男。二人とも大学の講義をさぼってばかりいた伏見に試験のノートを回して卒業を助けてくれた恩人だ。なつかしくて朝まで話し込んでしまった。</p>
<p>女子のほうは現在、海外で暮らしていて、女ひとり子育てをしながらバリバリ働いている。いろんな国のいろんな企業をわたり歩いてきたキャリアウーマンで、日本にいるときには伏見の活動もずいぶんサポートしてくれた。男のほうはその妻が、伏見がある単行本を出した際の出版社の担当者。出版記念パーティでたまたま顔を合わせたことで二人は恋に落ち、結婚した。そしてもう十歳になる子供までいる。当時から地方議員だった彼はその後、首長になり、もう何期もその職を務めている。</p>
<p>彼の妻も含め四人で会うのなんて十数年ぶりのことだったが、やはり学生時代の友人はすぐに打ち解けられていい。行政のトップなんていうとちょっと身構えてしまうかもしれないが、彼の場合、もともとフランクな性格でもあり、政治家とはいえ以前と何も変わったところがない。お互いに軽口を叩いて楽しい時間を過ごすことができた。</p>
<p>その彼がこう言ってくれた。「うちの市でも同性愛者のことで役に立てることがあればいい」。そして、「こっちの受け入れはできているところもあるので、当事者のほうで動いてくれれば、行政だってもっとできることもある」とも助言してくれた。行政も時代とともに変化しているのだ。おかげで、マイノリティの側が勝手に無理だと決めつけて挑戦することを諦めている面もあるのだと、はたと気づかされた。</p>
<p>同窓というのはこれまで縁のないものだったけれど、学生時代の人間関係が社会的に利用できることもあるのだと、旧友をありがたく思った。そして友情の大切さ、ネットワークの重要性をいまさらながら痛感した。中年になってもまだ社会のなかでつっぱっている連中と再会するのは、これ以上ない刺激だ。</p>
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		<title>青山ブックセンターでトークイベント</title>
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		<pubDate>Thu, 04 Mar 2010 10:59:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>伏見 憲明</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エフメゾ日記]]></category>

		<category><![CDATA[伏見憲明の公式サイト]]></category>

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		<description><![CDATA[
以下、青山ブックセンターで行われるトークイベントのパブです。
ーーーーーーーーーーーー
■『リハビリの夜』（医学書院）刊行記念
中村うさぎ×伏見憲明×熊谷晋一郎トークショー
「ままならない身体をかかえて生きていく、こと [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=nofushimi-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=4260010042&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;m=amazon&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"align="right" ></iframe><br />
以下、青山ブックセンターで行われるトークイベントのパブです。</p>
<p>ーーーーーーーーーーーー</p>
<p>■『リハビリの夜』（医学書院）刊行記念<br />
中村うさぎ×伏見憲明×熊谷晋一郎トークショー<br />
「ままならない身体をかかえて生きていく、ことの官能」</p>
<p>熊谷晋一郎さんは東大医学部卒業のエリート医師にして脳性まひ当事者。幼少期から受け続けてきたリハビリ中に、身体に立ち上がってくる“めくるめく感覚”を克明に綴ったのが『リハビリの夜』です。<br />
本書を読んだ中村うさぎさんは、女性としての自分も同様に「恥辱感と劣等感にがんじがらめに縛られつつも、奇妙なＭ的エロス妄想を育んできた」と語り、トレーナーの視線を意識するあまり身体が硬く縮こまって不自由になるという一文に、「ああ、セックスしているときに私と同じだ」と強い共感を示します。<br />
伏見憲明さんは本書について「今後マイノリティを論じる上でも、セクシュアリティを論じる上でも、障害を論じる上でも、コミュニケーションを論じる上でも、本書を抜きには何も語れない。希有な思想書にして私小説だ」と評価します。<br />
う〜ん。一体何がそんなにすごいのか！？<br />
「ままならない身体をかかえて生きる」エキスパートたちによる、官能的トークバトル！！</p>
<p>＜プロフィール＞<br />
中村うさぎ<br />
1958 年福岡県生まれ。同志社大学文学部英文科卒業後、OL、コピーライターを経て、小説家に。数多くのエッセイ、ルポルタージュも発表。主な著書に『ショッピングの女王』（文藝春秋）『美人になりたい』（小学館）、『オンナという病』（新潮社）など。最新作に『こんな私が大嫌い！』（理論社、よりみちパン！セ）、『狂人失格』（太田出版）がある。</p>
<p>伏見憲明<br />
1963 年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1991年に『プライベート・ゲイ・ライフ』にてゲイであることをカミングアウトし、90年代のゲイ・ムーブメントに大きな影響を与える。2003年に『魔女の息子』で第40回文藝賞を受賞して小説家としてもデビュー。最新作は『欲望問題』（ポット出版）。4月初めに『団地の女学生』（集英社）を刊行予定。</p>
<p>熊谷晋一郎<br />
1977 年山口県生まれ。新生児仮死の後遺症で、脳性まひに。以後、車いす生活となる。東京大学医学部卒業後、埼玉医科大学小児心臓科などを経て、現在クリニックで小児科医として勤務。東京大学先端科学技術研究センター特任講師。綾屋紗月氏との共著に『発達障害当事者研究』（医学書院）がある。</p>
<p>＜書籍紹介＞<br />
『リハビリの夜』<br />
刊行：医学書院<br />
A5／258頁／2,100円（税込）／2009月12月発売</p>
<p>現役の小児科医にして脳性まひ当事者である著者は、18歳のとき、それまで幼少期から毎日欠かさず行ってきたリハビリをやめた。「健常な動き」を目指すことを諦めたのだ。<br />
都会で一人暮らしを始めた著者は、しかし意外なことを発見する。《他者》や《モノ》たちが、《私》の身体を突き動かすのだった。<br />
女子との腹這い競争に負けたときに襲ってきた強烈な刺戟、リハビリキャンプでトレーナーからの授けられた快感と恐怖、初めて電動車いすに乗ったときのめくるめく感覚——。<br />
身体接触をたよりに「官能的」に自らの運動を立ち上げるまでを、鮮烈な文体で語り尽くした驚愕の書。</p>
<p>■2010年3月26日（金）19:00〜20:30（開場18:30〜）<br />
■会場：青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山　</p>
<p>■定員：120名様<br />
■入場料：700円（税込）<br />
■参加方法：2010年3月3日（水）10：00より<br />
　[1]青山ブックセンター本店店頭にてチケット引換券販売<br />
   [2]青山ブックセンターオンラインストアにて　オンライン予約<br />
（入場チケットは、イベント当日受付にてお渡しします。当日の入場は、先着順・自由席となります。）<br />
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_201003/20100326_rehabilitation.html</p>
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		<title>いただいたご本『じりラブ』</title>
		<link>http://www.pot.co.jp/fushimi/20100303_095258493916941.html</link>
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		<pubDate>Wed, 03 Mar 2010 01:37:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>伏見 憲明</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エフメゾ日記]]></category>

		<category><![CDATA[伏見憲明の公式サイト]]></category>

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		<description><![CDATA[● うたぐわ『じりラブ』（集英社）　1000円
多様化と拡散化が進行する０年代のゲイたちのリアリティをつかまえるのは難しい。ましてや「ゲイ」という言葉を使った途端、「アイデンティティなんて時代遅れだー！」と批判をされかね [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=nofushimi-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=4834251632&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;m=amazon&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"align="right"></iframe>● うたぐわ『じりラブ』（集英社）　1000円</p>
<p>多様化と拡散化が進行する０年代のゲイたちのリアリティをつかまえるのは難しい。ましてや「ゲイ」という言葉を使った途端、「アイデンティティなんて時代遅れだー！」と批判をされかねない昨今だ（←これも恐怖のワンパターンだけど）。世間一般で目につくのは、芸能界や繁華街に跋扈するオネエキャラだし、社会運動的には「ハートをつなごう」に見られるような「悩める同性愛者」像。あるいは、言説の場では、フーコーやバトラーに官能したポストモダニストがルサンチマンをはらしている。だけど、いちばんのボリュームゾーンであるところの、リーマンゲイの機微を掬った表現はこれまでほとんどなかった。</p>
<p>作者のうたぐわさんはサラリーマンとして長く働き、ゲイコミュニティのリーダーとしても活動してきた。そんな彼が、ゲイであること、ゲイの日常、会社生活、パートナーとの関係性、世間の偏見、友人との関係、差別の解消の仕方……などについてコミックにしたためたのがこの『じりラブ』だ。ゲイの入門書としても秀逸だが、一般の人が読んでも「これ、これ、わかるー！」というふうにエンターテイメントにしているところがすばらしい。</p>
<p>もちろん、オープンリーに生きるうたぐわさんのケースが、ゲイの一般的なサラリーマン像とは言い難いが、こうやって会社で生きることができるというモデルケースであることは間違いない。その秘訣を満載した本書は、きわめて実践的なゲイ本だといえる。やはり日本では、少数者にとって社会は敵だー！という世界観ではなく、友だちになって味方にしてしまったほうがお得、という戦略のほうが差別の解消には有効だろう。表現物や笑いにはそうした力があることを本書は教えてくれる。</p>
<p>＊＊　伏見憲明のmixi ID https://id.mixi.jp/3837974　マイミク歓迎！<br />
＊＊　ツイッター　http://twitter.com/fushiminoriaki</p>
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