2008-01-17

現在も未解明! プロ棋士・森安九段刺殺事件の真相(1)

オーマイニュース』に次のような記事を執筆しましたので、転載いたします。

主題:事件から14年、受験生を取り巻く環境は変わったのか
副題:現在も未解明! プロ棋士・森安九段刺殺事件の真相(1)

【本文】
 そのとき、私は中学1年生であった。そして、A少年も私と同じ中学1年生だった。

ボクの逃げ場がないんや

 オトコが独り死んでいた。

 1993年11月23日朝、西宮市の静かな住宅街で事件は起きた。将棋棋士の森安秀光九段(当時44歳)が自宅で死んでいるのを妻のY子さんが発見し、警察に通報しようとしたところ、長男のA少年(当時12歳)がY子さんを包丁で切りつけてきた。A少年は「ボクの逃げ場がないんや」と絶叫して、そのまま家を飛び出していったという。Y子さんは隣の家の女性に、「110番して」と堀越しに助けを求めた。

 警察や学校関係者はすぐにA少年の姿を捜索したが、一昼夜見つからなかった。A少年は厳寒の中、どこに行ったのだろうか。行方不明から30時間後、行きつけのファミコンショップで警察によって少年は保護された。警察の取り調べに対して、A少年は母を刺したことは認めたものの、父親に関しては「知らない」と一貫して否認したという。

 その後、1994年1月25日、西宮児童相談所がA少年の処遇を決定すると、森安九段を殺したのが誰か分からないまま、事件に関する報道は示し合わせたように一切されなくなった。

 学校や家庭、塾などがこのA少年の暴走の要因としてあげられた。この3つを支配していたのは、「受験」であり、A少年はその中をさまよっていた。そして、A少年に及ぼしたその影響は、極めて大きいと言われた。

 たしかにA少年は小学校4年から中学受験まで、大手の塾、浜学園に通っていて、超難関校の灘中学を受験して落ちている。国立の中学に入ってからは、徹底した指導で有名な高校受験専門の塾に通っていた。つまり「受験」の影響が指摘される根拠は十分にそろっているのである。

 しかし、事件から14年たった現在、受験生をとりまく環境の何が変わったというのだろうか。当時、事件を担当した新聞記者何人かに取材してみた。しかし、「その事件に関しては一切情報を提供できません。その理由も述べられません」という答えが一様に返ってくるのみであった。ただ1人、某地方新聞の記者がその理由を教えてくれた。

「A少年に関する情報は断片的に入ってきてはいるんですけど、事件の性質上それは教えられません。なんたって少年事件ですから。私たちとしては、今後この事件についてはもう書かないということになっていますので、ご了承ください」

 事件が起きたときだけ大騒ぎして、その後のことは報道しないのが、マスコミの常である。だが、そのために大事なものが見逃されているのではないか。A少年を追いつめたものは変わったのか。そして森安九段刺殺事件は、地元の人たちにどのような影響を及ぼしているのか。

 私は自分自身の目でそのことが知りたく、2007年、酷暑が続く8月に、取材のために神戸へ飛んだ。

神戸の文化としての中学受験

 血液が沸騰して、蒸発してしまいそうなぐらいに暑い。私は炎天下の中、阪急線岡本駅から徒歩10分の目的地を目指して歩いている。今日、神戸東親子劇場の事務所で、神戸市や西宮市内に住む高校生数人や子持ちの母親たちと会うことになっていた。

 時間より早く着いた。ホワイトチョコレートでコーティングされたような建物が、事務所である。案内されて中に入ると、メンバーはもうすでにそろっている様子である。私の取材の目的はあらかじめファクスしてあったので、いきなり本題に入れた。

 「中学受験っていうのは、神戸の文化という感じがします。関西学院のように、大学までエスカレーターであがれる学校に子どもを入れようと思ったら、たいていはそこの学校を中学受験させます。大学で偏差値が高い国立をねらう場合なら、中高一貫の進学校に入れます。男子の進学校なら、灘校と白陵が有名ですね」(高校1年生の息子を持つ母親の発言)

 「私の周りにも、小学校のとき、浜学園に通う子がいました。その子は、周りと全然雰囲気が違いましたね。夜遅くまで塾に通っていましたし、とにかく勉強ばっかりやっているって感じでした。学校よりも塾の方が大切だと、本人もよく言っていましたよ」(高校2年生女子の発言)

 東京なら受験といえば、中学受験より高校受験の方が主流である。しかし、神戸では、中学受験が主流となっているという。その違いは何なのか。

 さまざまな県内の私立の資料を調べて、やっとその理由が飲み込めた。私立校の大半は、中学受験で生徒をとり、高校受験では欠員の埋め合わせ程度しか生徒をとらないのである。そのため、中学受験が過熱する。

 例えば、東大合格者を例年約100名出すことで有名な灘校の2007年度募集人員は、中学が180名に対して、高校は40名である。あるいは、京大に約80名の合格者を送る甲陽学院では、中学が180名、高校が45名となる。兵庫県の書店では、関西の「私立中学案内」はおかれていても、「私立高校案内」はめったにお目にはかかれない。

 「森安九段刺殺事件はもう完全に過去のものとなってしまい、忘れられてしまっていますね。事件当時ですら多くの母親たちは、この事件は突発的な事故とか、不運な家庭における事故としか見ていなかったです。少なくとも私の周りではそうでした。だから今ならなおさら、この事件を自分の子どもと重ね合わせ、受験制度と直接むすびつけることはないです」(中学1年生の子を持つ母親)

 「森安九段刺殺事件について、親や子どもの声を聞きたいというファクスが及川さんから来たとき、森安事件って何だったかなあと正直思いました。今では全然報道されなくなってしまったし、あの事件を教訓にしようとする人もおりません。だから、多くの人が事件のことを忘れてしまっているのではないでしょうか」(事務所の女性)

 14年もたったのだ。地元の人たちの間ですら、森安九段刺殺事件はすっかり過去のものである。

 4時間にわたる取材後、私は事務所を後にした。外では、銀の針のような雨が降っていた。報道も、この雨のようなものなのかもしれない。