2009-03-26

「バサラ人間」対談シリーズVol.1●山田広野×飯島洋一

いよいよ『バサラ人間』公開直前となりました!

ここで公開特別企画として、山田広野監督が縁のある出演者の方々をお招きし、出会いから『バサラ人間』に至るまでの経緯を、ざっくばらんに語っていただく対談シリーズをスタートいたします。

第二弾◎山田広野×チャーマァ・ハイジはこちら


第一弾のゲストは、飯島洋一さん! 七〇年代に土方鉄人、沢辺均(ポット出版社長)らと騒動社を結成。『特攻任侠自衛隊』や『戦争の犬たち』など、自主映画のレベルを越えた強烈な作品を発表し、自らも俳優として大島渚、若松孝二、石井輝男等、大御所監督作品に多数出演されています。

今もなお、現役で活躍するエネルギーの源、そして山田広野監督との出会いとは?
脱線多発の思い出話がノンストップで展開します!

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最初の出会いが思い出せない

——まずは、お二人の出会いからお聞きしたいんですが。

飯島 意外とね、何で俺が広野くんと関係あるのか不思議がる人がいるんですよ。俺が昔作っていた映画と広野くんのタッチが違うから。正直言って露骨に批判する奴もいるし。具体的に名前出してもいいけど(笑)。

——山田さんのほうが最初に飯島さんを認識されたんですか?

山田 そうですね。映画が好きなら飯島さんの名前は自然と認識しますよね。まあ、いつが最初の接点かあやふやではあるんですけどね。

飯島 俺も広野くんとどこで会ったのか憶えてないんだよな。荒井(晴彦)さんの特集上映の時、亀有名画座で会ったことは憶えてるでしょ?

山田 ええ、憶えてます。

飯島 あれがいつだろ? 柄本(明)さんと荒井さんと永島瑛子さんがゲストだったかな。

——どのくらい前の話ですか?

飯島 1998年頃じゃないかな。でもその時はお互い知ってたよね?

山田 そうですね。その前に会ってるはずなんですよね。

——その時が初対面ではなかった?

飯島 じゃなかった。98年に亡くなられた姫田(真佐久)キャメラマンの偲ぶ会が、京王プラザホテルであったんですよ。そこでも会って話してるんだよね。

山田 二次会で「bura」に行って。

飯島 途中、長谷川和彦が河原畑寧さんをブン殴っちゃってさ(笑)。

山田 顔が腫れても呑みに来てるから、とんでもないことになってるな、と(笑)。

飯島 俺はその頃、長谷川和彦と連合赤軍の映画化に向けて話していることがあって、偲ぶ会に行ったら「飯島、朝まで付き合え」っていきなり言われてさ。襲われるのを守るガードマンじゃなくて、暴れないように近くにいてくれと(笑)。結局暴れたから俺としては失格だけど。

左から二番目・演出中の山田広野監督

飯島 広野くんがTSUTAYAでバイトしてた頃、俺の特集コーナーを作ってくれたよね。

山田 飯島洋一コーナーを。

飯島 山本晋也の映画とかチョコチョコ出てるのを七、八本集めてくれて。友達をよく連れて行きましたよ(笑)。

山田 だって『特攻任侠自衛隊』(77)のパッケージがあまりにもインパクトがあったんで。ビデオを観たら『戦争の犬たち』(80)の予告編も入っていて。つられてそちらも観ました。

——『特攻任侠自衛隊』で飯島洋一の名を初めて認識したんですか?

山田 そうです、そうです。

飯島 広野くんはビデオ世代ってやつだよね。結構多いんですよ、「映画秘宝」の編集者なんかでも。俺より若い子はリアルタイムで観てなくて。昔ちょっと流行ったじゃん、クズビデオとか。神保町に山積みして一本三百円とかね。そこで見つけたり。

——ほかにも特集コーナーを作ったんですか?

山田 最初に作ったのは「石井輝男コーナー」ですね。その後、荒井晴彦さんのコーナー、ほかに大和屋竺さんや田中陽造さんのコーナーも作って、脚本家コーナーとして並べたんですよ。それとは別に若松(孝二)さんのコーナーも作ったりして。

飯島 よく憶えてるよ。コーナーの横に若松さんのエピソードが書いてあったんだよね。

山田 そのエピソードに間違った箇所があったんです。

飯島 俺が注意したことだけは憶えてる。これは歴史的事実と違う、と。何だったのかは忘れたけど。

山田 指摘していただいて直しました。そういう交流は既にありましたよね。

飯島 あと、徳間書店が発行した「東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム」(杉作J太郎/植地毅著)の対談に俺が呼ばれたとき、なぜか俺の行きつけの「タイムス」で会ったよね。

山田 ああ、会いましたね。

飯島 でも一番最初が分からない(笑)。

山田 BOX東中野の若松孝二特集で、飯島さんの主演映画『残忍連続強漢魔』(78/音楽・阿部薫)が上映されたんですよ。それを観に行った時は当然飯島さんと面識がありましたし。

飯島 あれは99年の2月だから。

山田 石井輝男監督のLOFT+1のイベントにポスターを持ってきてましたよね。

飯島 あの時は俺、大島(渚)さんの付き人のような仕事やっててさ。草月ホールで監督協会の新人賞授賞式みたいなのがあったんですよ。映画も観て帰るって言うから、それまで付き合うのダルいなと思ってたの。石井さんのイベントに行きたかったし。もう今日は無理だなと思ってたら、上映前に気が変わったのか大島さんが「帰る!」と言って、監督協会がタクシーかハイヤーを回してくれた。それでイベントに行けたわけ。車飛ばして靖国通りに横付けしてね(笑)。色々とそういう所では出会ってるんだけど最初がどこだか分からない。

山田 イベント後の打ち上げで何度か呑みましたもんね。

飯島洋一製作・主演/伝説的自主映画『戦争の犬たち』

人と人をつなぐ飯島洋一

飯島 北庄司(『バサラ人間』プロデューサー)との出会いはよく憶えてるんだよ。十年ぐらい前かな。ゴールデン街の呑み屋でいきなり頭下げられてさ。若松さんの『飛ぶは天国、もぐるが地獄』(99/音楽、J.A.シーザー)の現場に連れてってくれ、と。仕方ないから、スタッフは固まってたんだけど聞くだけ聞いてみた。そしたら若松さんもそういう奴が好きだから次の日、北庄司が一人で若松プロに行ったんだよ。インターフォンで「北庄司です」と言ったら、若松さん、「北商事」と勘違いして入室を断ったみたい(笑)。とりあえずギャラが出ないけど、三度の飯は食わしてやるってことで現場に行ったんだよね。それで若松さんのお付きみたいなことを一時やってた。広野くんの上映会にも二人で行ったんでしょ?

山田 2000年頃にLOFT+1が色んな人を集めて上映会をやったんですよ。若松監督は審査員だったんですよね。僕の映画はウケはしたんですけど、一切賞を獲れませんでした(笑)。ただ、その場にいた北庄司くんが僕の作品を面白がってくれたんですね。

飯島 若松さんも目に付いたみたいよ。

——その時に山田さんは北庄司さんと初めて接点を持ったんですか?

山田 そうですね。でも、その時は一言二言話しただけですね。二人で語り合うようなことはなかったです。若松監督もイベントが終わったら速やかに帰られちゃったし。ただ偶然なんですけどそれからすぐ、新宿二丁目と三丁目の間にある「クリーム」という呑み屋に行ったら、若松監督と崔洋一監督と成田裕介監督と林海象監督がいたんですよ。林海象さんが海外に留学するとかで、送り出す会みたいなことをやっていて。若松監督にご挨拶したらそこに北庄司くんもいたんです。監督たちが帰られた後も北庄司くんと残ってそのまま朝までずっと呑んでいた記憶があります。ただ、互いの知人に飯島さんがいる、なんて話はしてないですね。

飯島 俺もビックリしたんだよね。知らない間に広野くんと北庄司がこうなってたから不思議だったよ。

山田 飯島さんに連れてってもらって若松プロに参加した、という話は北庄司くんから後に聞きました。逆に飯島さんと僕がしばらくお会いしなかった時期がありましたよね。

飯島 中野ブロードウェイでデート中の広野くんに声掛けて三人でお茶飲んだことあるね。あんまり久しぶりだったからさ。女の子は良い顔してなかったね(笑)。顔は憶えてないんだけど大阪の女の子だったよね?

山田 はい。大阪からわざわざ来たんだから、飯島さんに会えて得したはずなのですが……(笑)。ともかくその時が久しぶりの再会でした。

飯島 俺は広野くんが活弁とかやってるなんて知らなかったからさ、チラシで初めて見たんだよ。中野武蔵野ホールかなんかの。バカなことやってんだな、と(笑)。

山田 北庄司くんが最終日に上映を観に来てくれて。飯島さんが「水臭えよ」と言ってたと聞きました。

飯島 そういうことをやってるんだったら声掛けてよ。すぐ行くタイプなんだから。

山田 その日、北庄司くんと一緒に観に来てくれた人が『バサラ人間』の制作担当をやってくれた戸叶(幸二)さんなんですよ。それが2001年の3月でしたね。単独上映でレイトショーを一週間やりました。昼間はTSUTAYAでアルバイトをして(笑)。

飯島 中野武蔵野ホールってインディーズのメッカみたいになってたもんね。

山田 僕は観に行っていた側だったので上映できたのは嬉しかったですね。

——その頃から映画を作ろう、と北庄司さんと話してたんですか?

山田 会ったばかりの頃、立て続けに朝まで呑んで、朝になっても新宿の神社の境内で呑んだりとか。これは関係ないですけど、若松プロに忍び込んでそのまま寝ちゃったこともありました。起きたら若松監督が腕組んで座ってたんですよね(笑)。僕、二階から逃げましたよ。あの時は僕の映画人生が終わった、と思いましたね。とにかくお店が空いてない時間まで呑んでたんです。その時に「何か将来一緒にやりましょうよ」みたいなことは言ってました。

飯島 俺はその頃、北庄司と一緒に「演劇実験室◎万有引力」(※寺山修司の意志を引き継ぐ演劇集団)の芝居の劇中で使う映像を作ってた。7月の芝居のために5月ぐらいから撮影してたんだよな。うちをスタッフルームにしてあいつ半年ぐらいゴロゴロしてた。

山田 「ローラ?」(2001/作・演出、根本豊/浅草アドリブ小劇場)ですか?

飯島 俺が制作総指揮だよ。あのロケハンいいでしょ? 芝居観に行った?

山田 観に行ってないんですけど(笑)。

飯島 映画はロケハンだからね。自然なんてどんな金持ちだって作れないじゃん。海とか山とか、自然には敵わないんだからさ。

山田 チラシをTSUTAYAに氏家(とわ子)さんという女の子が持って来たんですよ。

飯島 氏家がアシスタントディレクターで俺が制作総指揮で。氏家って女の子は仕事ができるんだよ。それで石井輝男さんのところにいたのを北庄司が呼んだんだよね。

山田 TSUTAYAの石井輝男コーナーに、まだ出来上がっていない『盲獣VS一寸法師』(01)の撮影スナップを持って来てくれたんですよ。映画を盛り上げるために。それに氏家さんが協力してくれて一緒にやってたんですけど、いつの間にか北庄司くん関連のものを持ってくるから、どこで繋がったんだろうと思ってたんです。

飯島 正式スタッフじゃないけど、『盲獣VS一寸法師』のオーディションの審査員に呼ばれてさ。そこに北庄司が手伝いに来て接点ができた。俺はね、人を繋ぐ力があるんだよ。

山田 確かに不思議と繋がっていくんですよね。細かすぎる話かもしれないですけど、石井輝男コーナーを作ったら、その噂を聞きつけた石井監督本人が写真を撮りに来たんですよ。うわーっと舞い上がって僕も記念写真を撮りました(笑)。それからもTSUTAYAによく来てくれたので交流させてもらったんです。石井監督のトークショーを見に行ったり、『ねじ式』(98)の時は打ち上げにも呼んでもらいました。北庄司くんも『盲獣VS一寸法師』の編集を手伝ったりしてるんですよね。

飯島 それも俺が呼んだんだよ。

山田 飯島さんがキーパーソンだったということか。

いよいよ、『バサラ人間』へ

——『バサラ人間』が具体化したのはいつ頃ですか?

飯島 もともとは出版プロデューサーもやってる「よるのひるね」の門田(克彦)さんが、長尾(みのる)さんの「イラストーリーバサラ人間」を気に入って復刻版を出したんですよ。その巻末の山田広野と長尾さんの対談で「映画化したいですね」みたいな話をしてる。

山田 その時は、原作者からこんな簡単に許諾が取れるとは思っていなかったので実感がなかったんですが、そのノリで活弁映画の短編を作りました。デリシャスウィートスも出てくれて。そうしたら、本腰入れてちゃんと撮りたいと思うようになって。

飯島 いわゆるセルフリメイクだね(笑)。

山田 短編で終わらなかったのが良かったな、と。キッカケにして広げていけたんですよね。それは僕の力だけじゃなくて、プロデューサーの北庄司くんが「長編映画でやろう!」と言ってくれたんです。

——それまで山田広野さんが撮っていた活弁映画の短編のなかに、長編として膨らましたいと思った作品はなかったんですか?

山田 もともと原作物がほとんどないんですよ。オリジナル、若しくは完全なパロディなので。

飯島 パロディもある意味、原作物だけどね(笑)。

山田 珍しく原作者が映画化にOKを出していて、一緒にやろうと言ってくれる人もいて。こんな機会なかなか無いし、自分にとっても原作物をガッツリやるのは新しいことだな、と。それまでは思いつきでやっていたので。

飯島 『バサラ人間』の撮影っていつだっけ?

山田 2006年の11月です。

飯島 チラッと北庄司から話は聞いてたんだよ。山田広野と映画作るから手伝ってくれない、と。最初は断ったの。若松プロの『実録・連合赤軍』を手伝ってたからさ。もし身体が空いたら差入れでも持って遊びに行くよ、ってノリだったわけ。ところが若松さんと色々あって脱藩しちゃったもんでね。「後悔先に立たず」って言うけど人生最大の過ちだったな。そんなことがあって俺が参加したのはクランク・イン十日前ぐらい。

山田 どんな状況であれ、11月には撮影に入ると決めてたんですよ。

飯島 ホンも出来てなかったけどね(笑)。シナリオを印刷したこともないから、知り合いの助監督から聞いた印刷所を北庄司に紹介したんだよ。役者もまだ固まってないのがあったから、一応俺の名前載っけとけって言ったの。プロダクション関係で知っている人がいるじゃない。名前書いてあったほうが説得力があるじゃないですか。それがキッカケですよ、俺は。そしてポット出版の社長にも一口乗らないか、と。

山田 今まで知り合ったあるゆる方に協力してもらうことになったんですよ。唯尼庵の小鉄さんには、役者さんの事務所と接点があるので協力していただいて。

新宿ゴールデン街の老舗「唯尼庵」

——飯島さんの出演が決まった経緯は?

飯島 当日決まったんですよ。本当はほかに出てくれる人がいたんだけど、スケジュールが合わなくて結局流れちゃった。それで「じゃあ、俺がやろう」と(笑)。

山田 ありがたかったです。今回は裏方でやる、と飯島さんが宣言されていたので頼めなかったんですけど。

飯島 もともと裏方のほうが好きなんだよ。出るのはあまり好きじゃないんだけど、たまたま二枚目に生まれてきちゃったからさ(笑)。本当は好きじゃないの。まずセリフが頭に入らないし(笑)。あの時はガミ(野上正義)さんがいたからね。それもあって出ることにした。

山田 野上さんってすごいたくさん映画に出てるじゃないですか。僕も結構観てますからキャスティングできたときは嬉しかったですね。

——野上さんのキャスティングは早い段階から決まってたんですか?

山田 そうですね。現場に入った時は、さすが現役だなと思いましたね。

飯島 ホンを読んでちゃんと役作りしてきたからね。彼のなかでイメージがヴィスコンティの作品らしくてダーク・ボガードのつもりで来たからね。監督には申し訳ないんだけど、ホンを読んでこれじゃ尺持たないと思って、ガミさんと二人で色々やってリハーサルと本番違うことやっちゃった。

山田 なかなかコミカルな掛け合いをしてくれました(笑)。

——飯島さんと野上さんの関係は長いですよね?

飯島 共演作も五本や六本じゃきかないと思うよ。彼の監督作品に役者としても出てるからね。主演が友川かずき。ガミさんと友川かずきがどういう接点か知らないけど。

左から野上正義、飯島洋一、佐々木ユメカ、久世律、沢田王子

飯島 俺もタフだなと思ったのが、十日間ぐらいの撮影で二回ぐらいしか家に帰ってないんだよ。ほとんど新宿の駐車場の車の中。帰ったら寝ちゃうからさ。

山田 みんな朦朧としてました。寝てないし風呂にも入っていないし。僕も一回も家に帰ってないです。こんな異様な臭気を発した身体でアイドルに演技指導していいのかな、と(笑)。
現場中、昼メシ休憩があるじゃないですか。弁当を食べててふと飯島さんを見たら、駐車場に段ボールを敷いて仮眠をとってたんですよ。ホームレスのような状態にまで追い込んでしまって申し訳ないなと思いました。

飯島 そういう意味じゃ、デリシャスウィートスにしても他のチョイ役の人たちから何から、広野くんが付き合いのある人、総動員だよね。北庄司もシーザーから万有引力から巻き込んで総力戦だよ。

山田 小鉄さんもキャスティング協力だけじゃなくて、ロケセットでお店も使わせてもらえて。長尾先生には、スタッフ試写の時に「良かった」と言っていただいたので、気になっていたことが一つクリアできました。長尾さんの反応は気になってたんですよ。ほとんど口出しもせず良い形で預けていただいたので。あとは上映を成功させるのみですね。

飯島 それが恩返しだからね。チラシにも原作の宣伝を載せて、これで長尾みのるという存在を若い人が知ればね。

山田 飯島さんってすごい不思議で。飯島さんと同じ年代の映画人とは違う形でこの世界に出てきてるんですよ。自分でプロデュース・主演した映画を大々的に上映して。

飯島 よく言ってるけど、俺は無名人より有名人の間で有名なんだよ(笑)。

山田 自分の映画をドカンと仕掛けて出てきた人なんですよ。そういう人ってあまりいないですよね。システムではないところから来てるでしょ。撮影所を出たわけでもないし、誰々監督の下で修行したわけでもないし。自主制作でもちゃんと上映してる大先輩ですね。

——今までの話を聞くと、飯島さんの交友関係によって『バサラ人間』が成立したと言っても過言ではないですね。飯島さんがいなければ山田さんと北庄司さんが出会わなかった可能性もあるわけですし。

山田 そうかもしれない。

飯島 俺ね、責任もあっていつも北庄司のことを徹底的にイジめてたんですよ。いつか刺されるんじゃないかと思うぐらい。現場でも何でもやることがトロかったからさ。本気でイジめてたからね。いつ刺されてもいいように覚悟してた。俺がいつも言ってたのは「若松孝二の手伝いをしたとか言ってるけど、お前に作品はあるのか? 俺は客が入ろうが入るまいと、ベスト・テンに入ってなかろうが俺は作品を持っている男だ。だから一本映画作れ」とずっと言ってたの。「駄作であろうと傑作であろうとヒットしようとしまいと関係ねえから、自分の作品だ!と言える一本作らないとダメだ!」としつこくね。俺の作品は中野に行けば海賊版があるんだぞ、と。自分の作品があるから杉作J太郎だって俺に声掛けてくれるんだよ。「山本晋也の作品に出てました」じゃ誰も呼んでくれないんだよ。嬉しいんだよね。海賊版を作るってことは誰かが興味を持って作ってくれたんだから。売れそうもない映画をわざわざ海賊版にしないじゃない。DVDに焼いて、パッケージを作ってさ。すごい嬉しかったよ。勿論DVDを出してないってこともあるんだけど。

——北庄司さんも『バサラ人間』という自分の作品を作ったわけですからね。

飯島 酷評されようが何でもいいんだよ。一本あれば。

山田 そうですよね。まずは、全国で『バサラ人間』が公開されるためにも、東京で成功させたいと思ってます。飯島さん、本日はありがとうございました。
(2009年3月4日 新宿「bura」にて)

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『バサラ人間』
2009年3月28日からユーロスペースにてレイトショー

77分/カラー/HD/ステレオ/2009年作品/配給スローラーナー
監督○山田広野 原作○長尾みのる「イラストーリーバサラ人間」(よるひるプロ)
音楽○J・A・シーザー(「演劇実験室◎万有引力」主宰)[中央「◎」は蛇の目]
出演○団時朗、采花、仲村みう、久世律、OBIKA、佐々木ユメカ、沢田王子、デリシャスウィートス
演劇実験室◎万有引力、野上正義、飯島洋一、根岸季依、螢雪次朗
脚本○渦匁悠一郎/北庄司知宜/山田広野
プロデューサー○北庄司知宜 エグゼクティブ・プロデューサー○飯島洋一/沢辺均
撮影○三本木久城 照明○安部力 録音○小林徹哉 美術○田村拓 メイクデザイン・衣裳◎チャーマァ●ハイヂ
製作○映画『バサラ人間』製作委員会 [ヤリタイ・ピクチャーズ 株式会社スタジオ・ポット(ポット出版) 株式会社 汎企画]
公式サイト●http://basaraningen.com/

「活弁天国」HP
http://katsuben.net/
(山田広野の公式HP)