2009-11-13

談話室沢辺 ゲスト:J STYLE BOOKSオーナー大久保亮 第1回「書店経営を選んだ理由」

●本屋を始めた理由

沢辺 よく聞かれると思うんですけど、いまどきなんで本屋だったんですか?

大久保 よく聞かれますね(笑)。本屋を始めた動機は3つあります。
自分にしか出来ないことを、自分らしく楽しくやりたいっていうのが一つめの動機。
二つめは、ゼロから何かをやる経営者になりたいということ。経営の勉強をして、実務でそれを活かしてきたので、経営というものに対してもすごく興味があるんです。会社の中でも戦略的なことはやってたんですけども、自分で興したわけではないので、それをやってみたい、と。
三つめは、それを通して何らかの形で世の中に貢献できればな、ということです。それを総合的に叶えられるかなと思ったのが本屋だった。
大学を出て、その後社会人としてある程度キャリアも積んだ時に、「この先そんなに長くないな」と思ったんですよ。35歳ぐらいの時かな。自分の寿命の短さを意識したんです。もうそこに40歳が見えてて、60歳でだいたい定年を迎える。あと10年もやったらある程度人生が見えてくるだろうなあ、と考えたとき、何か自分を変えられるのってあと10年ぐらいのもんで、意外に短いんだな、って思ったんです。
それなりにキャリアも積んで、勉強もしてきた。でも、そのキャリアを積むってどういうことなんだろうって考えた時に、自分は幸せでないとおかしいし、幸せのほうに向いてないとおかしい。じゃあ幸せって何だろうって思った時に、自分にしか出来ないことを自分らしく、楽しくやれたら、それは幸せだな、と。
じゃあそれを今の自分に置き換えてみて、自分に何ができるんだろうと考えたときに、出てきたのが本だったんです。本屋っていうのは、ビジネスで成功する、しないは別にしても、そういう環境っていうのは自分なりに作れるんじゃないか。それを作れるのであれば、ビジネスとして成功させることにチャレンジするのは無駄じゃないな、と。

沢辺 経営に興味があった?

大久保 経営には興味ありましたね。元々、高校生までは、編集者、もしくは物書きになりたかったんです。
昔から本は好きで、小学校の文集にも本屋になりたいって書いていたぐらいで。物を読んだり書いたりするのが大好きだったんですよ。それで、大学もその方向で、将来編集に携われたらいいな、ぐらいに思って、英米文学部に入ったんです。

●馬術部での経験から経営に目覚めた

大久保亮
沢辺 大学はどこでしたっけ?

大久保 成蹊大学です。ところが、大学で体育会の馬術部に入部したことで、経営に目覚めたんです。特にお金もないのに馬術部なんか入るもんだから、やはり金に苦労するんです。で、馬術部も、代々そんなのが集まっていたので、馬術部自体、もう大借金地獄。僕が下級生だったときはみんな総出でバイト。アルバイト部だったんです。

沢辺 へえ、そうなんだ。

大久保 活動のほとんどはバイトなんですよ。バイトか馬のフン掃除か(笑)。
それで代々積み重ねて来た借金を、みんなで返してた。でも、それじゃあ楽しくないですよね。僕が入部したときの先輩たちの方針だったから、まあ馬に乗るのが楽しかったんで、黙ってやってましたけど。
でも、僕がキャプテンになった時には後輩にはそんな思いさせたくないと思ったんです。
で、いろいろ考えました。
その頃ちょうどバブルだったので、競走馬がたくさん余るんですよ。どういうことかというと、当時、例えば不動産会社で地上げ屋の社長さんなんかが馬を買って、自分の娘の名前なんか付けちゃったりするんです。「メグミハヤテ」とか。
そうすると、いざ故障したとき、娘の名前も付けちゃったし、殺すのはちょっと偲びないな、っていうのは人間だからあるでしょう。競走馬って、やっぱりデリケートでちょっと故障すると肉になるんです。でも、できることなら生かしてやりたい。
そういう人を見つけて来て、馬は絶対殺しません、と言って、その馬を僕らが請け負うんです。ちょっとした骨折程度なら、競走馬では使えなくても、乗馬用の馬で使えることって沢山あるんですよ。
僕らはその馬を乗馬用として、1ヶ月調教し直して、乗馬クラブに100万円くらいで売るわけです。お金をそれで稼いで、借金を返済、ってことをやったんです。
それで部の財政を立て直したんですけど、その経験ですね、経営って面白いって思ったのは。
何が面白いかっていうと、部員みんなのモチベーションとか、目が変わってくるんですよ。人が変わってくるんですよね。その変わりようっていうのは、もう本当に肌がゾクゾクするくらい。
当然ですよね。それまでは自分のお金にもならないアルバイトをずっとやってたのが、やらなくてすんで、本来の馬術部の活動に向けられるようになったんですから。

沢辺 自分が働くことの意味が、垂れ流しの借金の補填のためではなく、みんなで1ヶ月間交代で調教した馬が、たとえば100万円になるとか、そういう目に見える成果があったからなんですかね。みんなの目が輝くってことは。

大久保 みんなが変わったのは、部としての本来の活動を取り戻して、明るい未来が見えるようになった、っていうところですよね。それを僕は実際に行動で示した、と。
その経験から、僕は経営っていうものに興味を持つようになっていったんです。その時点で、もう文学はどうでも良くなったっていう感じ。どうでも良くはないんですけど、まあ元々勉強してなかったんですけどね(笑)。

沢辺 転部とかしたわけではなくて、最終的にはそのまま英米文学部を卒業した?

大久保 そのままですね。

●部の財政を抜本的に立て直す

沢辺 僕、ディテールが好きなんで聞かせて下さい。たとえばその馬術部って何人ぐらい部員がいて、借金返済も含めて、年間いくらぐらい稼がなきゃいけなかったの?

大久保 部員は大体20人ぐらい。

沢辺 四学年で? 少ないですね。

大久保 だって入っても辞めちゃうんですもん。そりゃあそうですよ。借金がなくても馬と一緒に寝泊まりして、馬の世話をやるわけですからね。
華々しくなんかないんですよ。もう本当に馬糞処理してる時間の方が圧倒的に長い。

沢辺 ますますディティールにいっちゃうけど、大学の中に馬術部のスペースがあったんですか?

大久保 厩舎があるんですよ。そこで馬を飼ってて、厩舎の横に部室があって、24時間、必ず誰か一人はついているんですよ。

沢辺 そうだよね。で、飼料も他の人の手は借りずに自分たちでやる?

大久保 部員たちで全部やります。

沢辺 飼料って配達してもらうんですか?

大久保 もちろん配達です。ロットで買いますからね。

沢辺 馬は何頭ぐらいいたんですか?

大久保 一番増やしたときで15頭です。最初、僕が入部した当初は7頭ぐらいですかね。僕の代で倍にしたんです。

沢辺 それは売るために?

大久保 いや、それもありましたけど、基本的にはそれまで、競技用の馬さえあんまり持てなかったんです。
僕の代のときは、同学年が運良く7人いたんですね。で、上級生になって、7人がそれぞれ自分の馬で試合に出て行ける、っていうのが理想なんです。

沢辺 なるほど。

大久保 なので、財務を良くしていったので、そういう馬も増やしました。

沢辺 つまり、最初に飼ってた7頭は、必ずしも全頭が競技に出せる馬ってわけではなかった。

大久保 はい。

沢辺 俺、馬のことあんまり知らないけど、競技に出せる馬っていうのは、サラブレッドとか?

大久保 サラブレッドでも、きちんと調教された能力の高い馬とそうじゃないのがいますね。

沢辺 僕らが知ってる競技用の馬は、サラブレット。一番走るのが速そうで、高価そうで、だけどどっか足も華奢で、ちょっと転倒すると折れそう、みたいな印象ですよね。

大久保 そうですね。

沢辺 だけど、道産子みたいな、荷物引っ張っても、ひっくり返っても、骨なんか折れないでいくらでも起きてきそうな馬もいるじゃないですか。

大久保 乱暴な言い方をすれば、その中間、とまではいかないんですけども、サラブレッドよりちょっと丈夫なアラブ種っていうのがあるんですけど、その種もいましたね。

沢辺 サラブレッドでなければ競技に出ちゃいけない、というわけではないんだ。

大久保 じゃないんですよ。サラブレッドよりは見かけがずんぐりむっくりしてたりして、優雅じゃないですけど。

沢辺 じゃあ7人が全員一斉に大会に出る時、「おい、大久保、交代」とかじゃなく、それぞれが、俺はこいつ、あいつはあの子、っていうふうに、マンツーマンでやれるようにするために増やしたと。それも、競技に出していい馬っていうか、ちゃんとした馬を。

大久保 そうですね。それでもちゃんとはしてなかったですけどね(笑)。

沢辺 金持ちクラブにはかなわない。

大久保 かなわないです(笑)。金持ちクラブは、学生でも平気で一億とかのレベルですからね。俺ら一番高くても、それこそ100万円くらいですよね。

沢辺 買ってくるときも?

大久保 ええ。

沢辺 大久保さんたちのクラブで?

大久保 そうですね。それも同じような馬がですよ。ただ、もうちょっといい調教を受けています。競走馬に毛が生えているくらいなんだけども、馬の質がものすごく良くて、で、ちょっと上手な人が乗ってくれてたりとか。その程度のものを買ってきてるんですよ。

沢辺 ふーん。じゃあ年間の予算は1千万円規模?

大久保 1千万円を超えるくらいですね。けっこう金がかかります。

沢辺 飼葉代も含めて。

大久保 飼葉代と、あと獣医。けっこう獣医代がかかるんですよ。

沢辺 ああ、うちの犬もかかるわ。

大久保 でしょ。それも馬ですからね。部員で女の子がいたりすると、「ちょっとあたしの馬おかしい」となると、すぐ獣医を呼ぶんですよね。
来てもらうだけでもお金がかかるし、よっぽどのことがない限り、人間みたいにはっきり病状はわからないんですよ。グレーゾーンになってくると、「とりあえずこれやっときましょう」なんていうと、それでまた、けっこうお金がかかるんですよね。あとは、馬の足に蹄鉄を装着するのにもお金がかかる。
だから、馬売るのもそうでしたけど、金になるものは馬糞でも売りましたよ。それまでは業者に頼んで金払って引き取ってもらってたんですよ。それを一生懸命、千葉とか調布の方の農家の方に片っ端から電話して、1万円でもいいからトラックで引き取ってくれるってところを探しました。

沢辺 肥料に馬糞どうですかって?

大久保 はい。トラック1台分を1万円くらいで。それでも、今までお金を払っていたことを考えたら、今度はもらえるわけですからね。ずいぶん楽になるので、もう、徹底的にやりました。

沢辺 金儲けを、って言うと変だけど。

大久保 金儲けじゃないですけど、まあ緊縮財政をひいたわけです。
一番笑ったのは、馬場に敷く砂も買うわけですよ。でも、あれも金がかかる。僕の同期がいろいろ見つけてきて、競馬場の砂は1年に1回入れ替えするんですよ。それをもらってこようっていって、OKもらったんです。
ところが、「じゃあ何トンいる?」っていわれた時に、馬場に敷くのは何トンって、感覚的には解んないじゃないですか。で、適当な数字を言ったんです。
そしたら大型トラック3台くらいが学校の正門に並んで、守衛から「どうすんだ」って電話があって、仕方ないから無理矢理トラック入れさせて、砂を降ろしたら、しばらく富士山みたいな山になってました(笑)。
そんなことをしながら、部の財政とかみんなのモチベーションを上げていったんです。本来は競技のために体育会はあるわけですから、大学時代に馬術部やって、この成績を残せて、俺たち良かったよね、っていうふうに卒業したいよなって。

沢辺 大学からの部費って出たの?

大久保 援助はありますけど、240万円くらいじゃなかったかな。

沢辺 とすると、予算が1千万円強だとすると、1人あたり4、50万円は部に入れないといけないってことだよね。

大久保 そうですね。本当に金かかるんですよね。夏になったら馬を涼しいところに連れてかなきゃなんないし。

沢辺 涼しいところって、軽井沢とか?

大久保 軽井沢とか栃木ですね。僕のときは那須に連れて行きました。専用のトラックで移動させて、厩舎借りて、そこ合宿所にして。で、そこでもまたバイト。とにかく金がかかったんです。
でも、それじゃあ根本的な解決にならないから、そこで考えたのが馬の売買の商売でした。それでも、馬を売りもんにするのかとか、OBから大反対されました。僕からしてみたら愛馬精神とは言うものの、ちょっと違うんじゃないかなって、ま、悩みましたけどね。

沢辺 売るのは乗馬クラブのようなところに売るの?

大久保 そうですね。

沢辺 成蹊大学の乗馬クラブは100万円くらいで売っていたけど、普通はいくらぐらいで買うものなんですか?

大久保 ピンキリです。値段なんてあってないようなもんです。だからその時に、いかにいい馬に見せるか、ですよね。そうするとなんか悪い人のように聞こえるかもしれませんけど(笑)。
その時に、僕が調教して、これだったら乗馬クラブに遊びにきた初心者の人も、危険なく乗れますよとか。で、乗ってみて、値踏みするわけです。大久保亮

●サラリーマン、留学時代

沢辺 じゃ、会社の話にいきましょうか(笑)。
馬術部の経験で、経営が面白くなっちゃったから、その時点で出版社とか、本に関わる仕事をしようかな、という気持ちは消えて、経営的なことができる仕事がしたい、となったわけだ。

大久保 はい。大学出てからは住友スリーエムっていう会社にいて、そこで3年営業やって、留学をして、富士通に入りました。
やっぱり文学部なんで、経営に携わるような仕事をしたいと思っても、なかなかなかったんです。でもメーカーで営業から始めるのは悪くないかなと思い、最初は営業として入りました。
ただ、やっぱり経営に興味を持っていたので、経営戦略に関わる仕事がしたかった。けれど、そういう仕事に自分を当てて下さいという根拠もない。
だったら留学して、ちゃんと基本的な知識を身につけて、僕はそういう職種で役に立ちますっていう人になって、次のキャリアをスタートさせようと思って留学したんですよね。

沢辺 ちなみに留学の金はどうしたんですか?

大久保 金は、自分の貯金と、親から借りました。

沢辺 何年間留学してたんですか。

大久保 2年半、イギリスです。

沢辺 どんなこと学んでたんですか。

大久保 経営学部です。経営大学院、MBAです。

沢辺 じゃMBAも持ってるんですか?

大久保 はい。

沢辺 かっこいいですね(笑)。

大久保 (笑)ま、響きはいいですね。でもまあ、それで富士通に入って、海外の事業戦略の部隊で働きました。

沢辺 海外にいたし。英語も堪能だし。

大久保 まあそうですね。幸い、ちょうどイギリスに子会社を作ろうという計画があって、その立ち上げをずっとやっていました。

沢辺 大久保さんは何年生まれでしたっけ?

大久保 西暦で言うと1967年です。

沢辺 ってことは、そのころは90年代?

大久保 そうですね。94年に留学して、96年の12月入社かな。

沢辺 富士通では何年働いたの?

大久保 9年くらいです。2005年の10月20日付で辞めて、J STYLE BOOKSは2006年の3月オープン。

沢辺 辞めてからオープンまで早いね(笑)。

大久保 早いですよね(笑)。ちょっと焦りすぎて、中途半端なまま開けちゃったっていうのは反省としてありますね。
やっぱりあの物件、あの場所がすごく好きだったんで、少し焦っちゃったのもありますね。
あの大家さんだったらそんなに焦らなくても、僕のペースで任せてくれたって、今になると思いますけど、僕ももう、他に取られちゃうっていう焦りと不安があったので。

沢辺 しょうがないよね。

●「どこで」書店をやるか

大久保 しょうがないですよね。かなり中途半端な状態で開けちゃいました。
ちょっと話が戻るんですが、その2005年から遡ること3年くらい、2002年くらいの頃から、本屋のことを考え始めていて、場所探しも、土日を使って3年くらいしてたんですよ。
それでもやっぱり中途半端なところしかなくて、で、いいかな、と思っても不動産屋に相手もされなくて。不動産屋ってこんなに横柄なんだって、本当に思いましたね。
僕が最初に探してたのは文京区で、ちょうどその1年前に決まりかけた物件があるんです。茗荷谷の放送大学のすぐ近くの欅並木があるきれいな場所にあった物件。まあその物件も中途半端なんですけど、とにかく不動産屋が横柄で。

沢辺 2004年前後っていうと、不動産がまだ調子良かった頃かな。

大久保 ま、そうですね。1階の物件なんか見つかんないよって言われてました、その時。
ただ、ちょうどその茗荷谷の物件が決まりかかったときに、会社で中国に工場を作るという大きなプロジェクトに取りかかり始めて、なかなか辞めるに辞められなくて。自分がいい出したプロジェクトでもあったので、もうこれは気合いを入れて責任を全うしよう、それから辞めよう、思ったんですね。1年後に、僕が抜けても、迷惑がかからないというタイミングがあったので、もうこの機会を逃したら絶対ダメだと思って、辞めました。
場所は何も決まってなかったんですけど、まあ3年間探ししてもダメだったんだから、のんびり探すかと思ってたら、今の場所に出合ったんです。独立して一からスタートするわけだから、事業計画をきちんと立ててやらなければというところなんですけど、そういう経営戦略を学ぶためにMBAも取ったわけですし。だけど、自己資金だけでやるわけだし、ここはもうマーケティング無しで、好きなことを好きなようにやろうと思った。そのかわりやっぱりビジネスとしては厳しい。難しいことを自分でつくりだしてしまうのはもう覚悟の上でした。
とにかく、最初に話したように、自分の好きなことを好きなところでやりたかった。それが、この場所だったんですね。僕、このエリアはホント好きで。中学生のときから来てたんですよね。当時は、まだ何もないところで、オンサンデーズがまだ今のワタリウムの向かいのちっちゃなポストカード屋だったし、ヴォイスっていうちっちゃい古着屋さんが材木屋の2階にあって……。

沢辺 材木屋なくなっちゃったね。

大久保 ええ。原宿橋のたもとのところに店があるぐらいで。その後、シピーとかジーンズ屋が出来ましたけど。何しに来てたんだろ?と思うんですけど、なんか居心地が良くて好きで、しょっちゅううろうろしてたんですよ。
とにかく好きなところで店を開きたかった。だけど原宿だから敷居は高いだろうなとたかをくくってて、アプローチを全然してなかったんですよね。しかも茗荷谷でつんけんされたから、原宿なんて相手にもしてくれないだろうと思って。
でも会社は辞めたのに場所はなかなか見つからない。だったら一度でもいいから自分の一番好きなところに当たっても損はしないなと思って来てみたら、トントン拍子に話が進んで。12月の末には契約しました。そこからです、準備をはじめたのは。

●開業までの道のり

大久保 書店開発という会社とフランチャイズ契約をして、書店を始めたんです。太陽の別冊のレクチャーブックだったかな?(※太陽レクチャーブック005「本屋さんの仕事」平凡社) そこで、吉祥寺にあったTRICK+TRAP(2007年2月12日閉店)というミステリー専門の本屋の方が、書店開発いいみたいですよ、と勧めていて、だったらここに頼めばいいやというくらいの気持ちで、書店開発を訪ねてみたんです。そしたら、「まあ、いいですけど、あんた本気ですか?」みたいに言われちゃって(笑)。
で、どういう書店にするのかをいくら説明しても相手にわかってもらえなくて。あの本屋を言葉で説明するのってすごく難しいんですよね。結局、「ちょっと手伝いようがないから、とにかくどんな本を置きたいのか自分で考えて教えてくれ」と言われて。それからトーハンと直でやり取りし始めました。正月に、入れたい本のタイトル、出版社、著者名、ISBNを全部一覧にしたリストを作って、トーハンに送ったんです。ま、あとはトーハンが適当に数合わせの本を突っ込んでくれて、という感じでした。いっぽうそれと平行して内装にかかりはじめました。内装は、以前から自分が頼みたい建築家を決めていて、お願いしてみたら、一発でOKしてくれたんですね。年末年始返上で、一生懸命やってくれたんです。

沢辺 若い建築家なの?

大久保 50歳手前くらいですね。

沢辺 その人はなんで知ったの?

大久保 昔、雑誌で見て、この人いいなって思って。自分が家を建てるならこの人に頼みたいなって思ってたんです。彼はモンスーンカフェとか手がけた人なんだけど、住宅もやっているんです。その住宅がとにかく素晴らしいんですよ。電話して、内装なんですけどやってもらえませんかって言ったら、その人も本が大好きで、それなら是非みたいな話になった。

沢辺 本好きだって知ってたの?

大久保 いや知らないです。

沢辺 偶然ですか?

大久保 偶然。

沢辺 お店は、何坪あるんですか?

大久保 15坪です。

沢辺 ところで、最初に本を仕入れる時は、何百万円ってかかりますよね? 一種の保証金というふうに解釈されているけど、要は本を買うということですよね?

大久保 いえ、初期在庫の代金と保証金は別です。在庫分は普通に一括で支払って、保証金は別途、坪数×10万円を書店開発に納めるんです。

沢辺 そうすると、うん千万円かかる?

大久保 そうですよ。本屋って開業するには金かかるんですよ(笑)。テナントを借りるのだって保証金かかりますからね。

沢辺 そうだよね。

大久保 保証金だから返ってはくるんですけど、初期投資としてかなりかかります。

沢辺 3千万円くらい?

大久保 そんなにはかかってないですね。

沢辺 1千万円じゃすまないでしょ。

大久保 すまないですね。開店が1年前だったら、頓挫してましたね。

沢辺 え、なんで?

大久保 そこまでの金が用意できなかったですから。一年間、プロジェクトにかかった期間、稼げたのは良かった。でも苦労して稼いだ金が(笑)、初年度とかはどんどん出ていきました。始める勇気より続ける勇気の方が大変だなと思いましたね。

●書店経営の面白さ、難しさ

沢辺 やってみたらどうでした?

大久保 面白いのと、まあ当然ですけど、こんなに難しいもんなのかと。

沢辺 難しかった?

大久保 難しい。それは今でもそうですけど。僕は富士通にいた時に、ヨーロッパのコンピュータ会社をゼロから立ち上げて──もちろん僕一人でやったわけじゃないですけど、事業戦略を組んで、3年で黒字化させて、5年でヨーロッパで第2位に持っていったんですね。
でもいまから思えば、楽なものですよ。書店の経営って、比べものにならないくらいもう全然難しいですね。
富士通でやったことを自分の成果だなんて思ってたら、人間ダメになってましたね。エリート気取りだったし。当時は、富士通で副社長のブレーンみたいな立場だったんで、すごく特別なんですよ。本社部門では、2階級上の人とは直接喋れないんですよ。例えば、平社員が部長に話すと、「課長と話せ」って。酷い上司になると、部長の机の前を通っただけで怒られる。そういう官僚的な会社だったんです(笑)。でも僕は、副社長に直接戦略を提言する立場にいた。戦略会議とかもちろん取締役会議とかにもアテンドしてましたから、議論の場で解説したりとか、ここはこうでこう判断されるのがいいと思いますとか言ったり。無茶苦茶恵まれていたわけです。でも当時と比べて、独立してからの3年間のほうが桁違いに勉強できたと思いますね。

沢辺 勉強って例えばどんなこと?

大久保 企業にいるときは、狙いすましたマーケティングをしてきたわけです。マーケットでは需要がこうなってて、こうこうこう進むっていう見込みがあって、ウチの強みはこうだからってこれを活かしてって論理的に組み立てる。すると、みんなふんふんって納得してくれる。ところが、いまはまったく逆。俺はこれ好きなんだ、これやりたいんだって。でも、社会というのは、実はこっちのほうが受け入れてくれるんじゃないかと思う。
はじめはね、この店をぱっと見た印象では、こんな場所で、自分の好きな本ばっかり置いて、こいつはどっかの大金持ちで、道楽でやってるんだろって、たぶん皆さん思ってたと思うんですよね。

沢辺 俺思ってた。ごめん(笑)。

大久保 だから最初の1年って、なんか僕の品定めをしてたんじゃないかな。自分の本気度をみんな確かめてた、品定めをしてたなっていう感じは今はしますね。だけどそんな中で、「あ、君よっぽど本好きなんだね」って言ってきてくれる人がいたり。そんな偶然の出会いが物事をよく廻してくれてたり。まあちょっとまだ解ってないとは思うんですけど、あ、世の中ってもしかしてこういうことなのかなっていううんですかね。もっと自分をさらけ出していいんだって思えたのが一番の勉強かな。

沢辺 俗論なんだけど、例えば、出した店が富士通のパソコンショップだったとしたら、誰もが知ってる会社だし、しかも名の通った会社だから、よっぽど変なことはないだろうっていう、まあベースの信用があるじゃないですか。でもいきなりJ STYLE BOOKSっていう名前も聞いたことないし、大久保さんっていう個人と今まで付き合いがあったわけでもなく、どこの骨かも解らないっていう、そういう落差みたいなことなんですかね。そういう感じではない? つまり会社の信用とかブランドがあって勝負していないという……

●お客との会話

大久保 っていうか、考え方が真逆のような気がするんですよね。例えば、個人で仕事をやって成功されてる方とかが気に入ってくれて、いろいろアドバイスをいただいたりとかするんですよね。そのときに、ああなるほどなと思ったのが、とにかくね、自分にウソついちゃダメだと言われたこと。自分の好きなことやりなさい。途中でダメになるやつは、ダメになってよくなりかけてる時に手放しちゃうんだと。もうちょっとガマンしたら上手くいくのに、その手前でみんな手放すんだ。そこで踏ん張れるかどうかというのは、ホントに自分がそれを好きかどうかなんだよ、と。やっぱりこの辺にいる人は好きなことやって生きてる人が多い。みんなファッション好きだとか、グラフィック好きだからとか。

沢辺 まあオシャレだからってやってるやつもいると思うんだけどね。カッコいいからとかさ。

大久保 長い間続けてきて、そして成功されてる方は、ですよ。

沢辺 なるほど。続けられてる人ね。

大久保 好きでやったから成功して、いくらお金を持ってても、昔のスタイル崩してなかったり。そういう人を見てるとやっぱり、ああそうだな、マーケットがどうこうじゃなくて、自分中心。自分の気持ち中心で、それに素直にやっていく。これは、サラリーマン時代とは真逆ですよね。それがやっぱり一番のカルチャーショックですよね。まあちょっとね、僕が言うときれいごとっぽく聞こえちゃうんですけど、やっぱりそういうね、実体験で語ってくれる人の言葉は励みになりますよね。

沢辺 え、だけどさ、本屋のレジに立ってて、どうしてそんなことが聞けちゃうわけ?

大久保 (笑)なんでですかね。うちの店って話になるんですよ、人と。そんな大成功してない人でも、普通のその辺の、それこそポットの社員さんとかでも。今これやってんですけど、とか。他愛もない話から重い話まで、とにかくうちの店ってなぜか会話になるんですよね。それが僕は一番楽しみでもあるんですけどね。ほんといろんな人と毎日会話してますよね。

沢辺 カウンター広いし、それに何もないもんね。チラシが2、3あるくらいで。

大久保 本を選んでる人を会話に引き込むこともありますね。もうちょっと商売っ気を出した方がいいんじゃないかって反省するんですけど。とにかく会話になりますよ。皆さん余裕のある方だから、こいつ危なっかしいなとかって思うんでしょうね。思ってると思うんですよ絶対(笑)。

沢辺 余裕があるかどうかっていうのは一概に言えないけどね。

大久保 それは僕の目から見てですけど。だからいろんな師匠がいますよ。近くに住んでる元証券マンの80歳近いおじいさんがいるんですが、彼は本田技研の株式上場を立ち上げた人で、本田宗一郎さんとも一緒に仕事をしていて良く知っている。で、僕も経営の話はついていけるので、本田さんと藤沢武夫さんはもうとにかく立派だったとか、これこれこういう時の振る舞いはすごかったとかって、とかいろんな話を聞かせてくれるんです。で、5月くらいだったかな。日曜日に電話がかかってきたんです。最初は、一応日曜日は休みということにしてたんですけど、5月くらいから日曜返上でずっと店開けてるんですよ。まあ100年に一度の不況と言われてますから、何が起きても後悔しないようにと思って。それで電話を取ったんですよね。そしたら「この経済状況の中、日曜日定休日で当たり前に休んでたら経営者失格だと思って電話したんだよ」って。それ、おっかないでしょ(笑)。もうつくづくこの辺の人はね、優しくもしてくれるけども、とにかく目が厳しいと思った。審美眼もそうだし、人を見る目、事業を見る目、とにかく厳しい人が多いとは思ってたものの、やっぱりつくづく怖い人に囲まれて仕事してんだなと思いましたよね。そういうのがやっぱり勉強ですよね。

沢辺 でもそれって最高のエールでしょ。

大久保 ええ。

沢辺 たかだか行きつけの店にしたって、そこまではやんないよね。この不景気で小売店も大変だし、調子が良かったセブンアンドワイだろうがイオンだろうが安売り競争に走って大変だ大変だってなってる時に、その小売店の末端の小ちゃな個人営業みたいなところが日曜も平然と休んでるようじゃダメだよっていう着目もすごいね。

大久保 電話かけてくるところがすごいですよね(笑)。

沢辺 電話をかけてくれるなんて、これはもう大久保さんに対する共感だよ。

大久保 奥さんには止められたって言ってました(笑)。

沢辺 そりゃそうでしょ(笑)。

大久保 やめとけってやめとけって(笑)。
だから、日々勉強してます。これは一言では語り尽くせないですよね。いやほんと勉強になりますよね。

沢辺 でもね、さっき大久保さんは富士通の時はいわゆるマーケティングで理詰めで調査分析して、データを出して戦略を立ててたけど、今は真逆のことやってますよ、って言ったじゃない? でも僕は、本田宗一郎さんだって、ほかの人にしたって、仕事で名を残した人というのは、結局は人間力、というか、自分の好きで勝負していたんじゃないかと思う。うまく言えないんだけど、マーケット戦略はもちろん立ててるとは思うけど、その手前には、企業だろうが個人だろうが、同じものがあると思うんだけどね。

大久保 いや、それは今はまだわからないですね。自分がやってることはまだあんまり冷静に見えてないですから。いまは、水の流れにそって左手はこうかいて、右手ははこうかいてって優雅に泳げるような状態じゃなくて、とにかく両手足バタバタさせてるだけですから。ですからまだまだ自分を俯瞰できないですけど。まあとにかく面白いというか、充実感のある毎日です。
実は僕にはもう一つ目標があって、これは商売とは全然関係ないんですけど、人間って何人と喋ったのかってすごく大切だと思うんですよ。何人と会ったか。何人とどんな話をしたか。だからいまは毎日いろんな人に会える。今日いい天気ですねで終わる人もあれば、深い話をする人もいますけど、そういう環境にいる、というのはすごく楽しいですよね。こんなこと言っちゃあれかもしれないですけど、本はついでに売っている(笑)。そっちの方が楽しくて仕方がない。
場所柄、仕事の資料を探しに来られる方もすごく多いので、やっぱりそこに役に立たないとやっぱり意味ないなと僕は思っているので、なんとか役立ちたいと思う。たいていはインターネットをお使いですから、そこで調べてもたどりつかなくて、困った果てに来られることが多いわけです。そういう中で仕事のお手伝いとかさせてもらうと、また、よりその人との関係が深まるし、その人がどんな仕事されてて何に困っているのかって僕自身もわかってくるので。結局、人との関係がすごく面白い。

次回へ続く

第2回「書店経営の実情」は11月20日(金)に公開します。

プロフィール

大久保亮(おおくぼ・あきら)
J STYLE BOOKSオーナー

J STYLE BOOKS

Web http://www.jstylebooks.com/
住所 東京都渋谷区神宮前2-31-8メイハウスビル1F <Google Map>
TEL & FAX 03-3402-7477
定休日 日曜(不定休)
J STYLE BOOKS