2009-10-02

ゲスト:永江朗 第1回「重要なのは再販制度、じゃない」

●再販制は、あってもなくてもどっちでもいい

沢辺 今回の「談話室沢辺」は『本の現場』の販促も兼ねているので、再販のことについて話そうと思うんですよ。

永江 やっぱり、再販のことになりますか。

沢辺 出版業界の人も、新聞やテレビも、再販のことになると来るんだよね。

永江 最初から話をひっくり返すようだけど、それが不思議なんだよね。再販についてはさんざん議論され尽くしたじゃん、っていう気分があって。まだ出てない論点ってないだろう、という気もするんだけど。

沢辺 でも、再販必要論は山ほど出てるけど、「再販はいらない」論がない。永江さんはどうかわからないけど、俺は「再販いらない」論じゃなくて、「再販絶対必要論がよくわからん」という立場なんです。
 もうちょっと手前から言えば、俺は、完全な市場原理は基本的には成り立たなくて、経済に対する一定程度の介入は必要だと思ってる。だから、再販も市場をコントロールする制度として選択することがあってもいいとは思う。存在そのものが悪なんじゃなくてね。だけど現状、再販制度が出版活動に何か良い作用を与えているかというと、現実的、具体的には何も感じない。だから「絶対必要」という人に対しては「何で?」って聞きたいんです。
 一方で、わざわざ再販を壊そうとは全く思ってなくて、正直なところ「どっちでもいいや」が俺の考えなんです。永江さんの基本スタンスはどうですか?

永江 僕も「どうでもいい」なんですよ。どうでもいいし、再販を選択してもしなくても、それは出版社と書店が自由に決めれば良いんじゃないか、ということですよね。再販というよりも「定価制度」と言った方が良いかもしれないけど、再販じゃない定価制度のやり方はありますよ。
 たとえば本当の委託。「エンドユーザーに渡るまでは、所有権は出版社のもの」ということにすれば、売れた後に清算するまで、書店はお金を払わなくて済む。だから書店の負担もうんと軽くなるし、出版社も売価のコントロールができるわけです。デパートなんかでは、そういう本当の委託、「消化仕入」という形態でやっていて、商品が売れるまで、そのデパートにとって在庫はゼロなんですよ。売れた瞬間に仕入れと売上が同時に立つという感覚。出版界は今まで50年くらい再販制でやってきたけど、例えば「消化仕入れ」というやり方もある。
 とにかく「再販制はあってもなくてもどっちでもいい」というのが私のスタンス。でも、「永江朗が取材するような書店」という限定が付くけれど、これまで会ってきた書店の経営者の多くが「再販制はなくてもいいんだよね。大きい声で言えないけど」って言うんです。特に異業種から参入して来た人は「ない方がいい」とまで言います。だけど取次は「再販制守れ」って言うし、日書連も「再販制守れ」が公式見解だから「大きい声では言えないんですけどね」って言うわけですよ。
 「それは何でかな」って考えた時に、再販制が委託とくっついて運用されていることによって、けっこう弊害があるからじゃないかな。 一番大きな弊害は、このままいくとネット書店と大型店、ナショナルチェーンとローカルチェーンだけが残り、あとはインディペンデント系の書店が大都市部でちょぼちょぼ、という状況になるであろう、ということ。そんな状況になって楽しいのだろうか?
 もうひとつの弊害は、この10年くらいメガストア化が進んで来た中で、ランキング依存と言われるような状況がどんどん酷くなってきていること。チェーン店を取材して「どういう風に仕入れしてるんですか?」と聞くと「本部からの指令で、トップ50のタイトルは欠かさないようにしています」と言うんです。ランキングの上位だけ置いておけば良いとまでは言わないけど、「それだけは欠かさないように」と言うわけですよ。10年後20年後に全国のチェーン書店がそうなってしまったら、やっぱりつまらないんじゃないの?
 もちろんランキング下位の本でもAmazonで買えるんだけど、小売店がもう少し「遊べる」要素を作るには、今と違う流通の仕方も考えていかなきゃいけない。再販制を守っていこうという人の論拠はわかるけど、「じゃあ現状このままでいいの?」「このまま行ってどうなるの?」と聞きたい。

●書店の自由のつくりかた

沢辺 『本の現場』を出したことで、新聞記者やテレビ局に取材されたんですけど、やっぱり「何で非再販の本を出したんですか?」って聞かれるんですよね。自分なりに理由を考えてみたけど、正直に言えば「ノリでやった」で、理屈をつけるとしたら「書店に自由を増やしたい。その自由を色々行使して、永江さんの言葉でいえば『遊べる書店』が増えていって欲しい」ということ。
 メーカーである出版社として、どんな「書店の自由」が提供出来るかというと、ひとつは、「販売価格を縛っていることをやめて、自由に設定できるようにする」ということ。もうひとつは、35ブックスでやっているように、書店の取り分を増やすことで値引き原資を作ることですよ。

永江 35ブックスに関していうと、商品を自分たちに選ばせて欲しかったって、書店は言ってますけどね。

沢辺 確かに、35ブックスが完璧じゃないのは十二分にわかってますよ。ラインナップに不満があるということもね。ただ、35ブックスに対する一部の書店の反応に対して、腹が立つこともある。書店が「たった35%じゃん」という言い方なんだよね。「35%のマージンで歩安入帳なんてやってられません」っていう意見があった。書店はいつも正味が高すぎて利益幅がないって言っていて、それに対して、35ブックスは何かをしようとしたのに、「全体の中のこれだけじゃ意味ない」とか「もっと利幅を上げろ」とか、マイナスを先に見つけて言ってもしょうがない。

永江 それは流対協(出版流通対策協議会)の『本の定価を考える』という本の論調でもそうだけど、こういうことをしたら、こういう悪いこともあります、ああいう悪いこともあります、って先回りして悪いことばかり並べて「このままで行きましょう」っていうやり方だよね。自民党が民主党のマニフェストにいちゃもん付けてたのとそっくりで、「じゃあ変わらずこのまま沈没すれば?」っていう感じですよね。

沢辺 そんな中で積極的なのは大手チェーン店なのよ。色々考えて、現状に何か風穴空けなきゃな、と思ってるのは、むしろ大手チェーン店なんじゃないですか? 日書連からは、「試しにやってみよう」とか「こう変更したらどうだ」といった声が聞こえてこない。
 Googleのブック検索に対する出版社の対応もそうでさ。確かにいきなり「合意しないならオプトアウトしろ」とか言われたのは乱暴と言えば乱暴だけど、結果、本を検索出来るようになって読者に利益があるんだからさ。それで本がいちじるしく売れなくなるような可能性が滅茶苦茶高いかというと、そんなこともないと思うし。

永江 電子本の状況を見ていると、アメリカは本当にダイナミックだな、と思いますよね。方やハードカバーで30ドルくらいの本が、電子本だと9.95ドルで売ってたりする。ソニーのリブリエは日本では撤退したのに、アメリカではニューバージョン出すでしょ? それはつまり、ソニーとしては「日本人はバカだからもうつき合わない。日本人にはプレステだけ与えておけばいいよ」みたいなもんじゃない。経営者がアメリカ人だからかもしれないけどね。
 日本でも紙の本と電子本を同時発売して、しかも電子本は紙の本の半額とか3分の1くらいの値段でやっていくくらいのダイナミックさがあればね。現行の色々な取引の枠の中では、書店がやれることはすごく少ないから。大げさな言い方をすると、中小零細の書店に「発注する自由」とか、「発注する自由を成り立たせる諸条件」が整っていない。
例えば、計画的な発注をしていくためには、事前の出版情報が必要ですよ。再販制がなくて、委託制もないアメリカでは、本のビジネスもアパレル業界と同じようにツーシーズン制がベースになってるんです。具体的に言うと、あらかじめカタログを作って事前情報を書店に行き渡らせたうえで、版元の営業やセールスレップ(Sales Representative:営業代行)が回って「我が社は今度こういう企画の本をやります」と説明をしながら注文を取っていく。実際はもっと複雑だけど、少なくとも理想としてはそうなっている。
 日本の場合、その仕組みを取次が代行してきましたよね。極端なことを言うと、来週自分の店に入ってくる商品を知らないでもやれるのが日本の書店です。少数の、パターン配本を使わずに全部自分で仕入れるという店は別ですけども。その状況が読者として楽しいのか。

沢辺 でも俺、本でそれをやるのは無理だと思うんだよね。たとえばレヴィ・ストロースの幻の原稿が発見されたのなら、「翌年の春に発行しますよ」でいいと思うんだけど、Googleのブック検索問題があったので、アメリカの「フェアユース」って何なのかとか、知的財産ってそもそも何なのかとか、アメリカと日本の著作権法の違いを扱った本を1ヶ月か2ヶ月で仕上げて出すということだって、あると思うんですよ。むしろどっちかというと、そういう本のほうが多くなっているんじゃないですか?
 ハリー・ポッターとか村上春樹のレベルになれば、「来年の春」でもいいだろうけど、それ以外の、例えば携帯小説だって、流れが来ている時に即出そうよ、というほうが多いのだろうし、「半年後じゃなければ出来ない」としちゃうと、逆に出版がつまらなくなっちゃうんじゃないかな。

永江 それはもちろん、ガチガチの制度は要らないという前提の上でね。それから、実は日本だって老舗でかための出版社を中心にして、ちゃんと事前情報を出して計画的にやっているとこもあるんです。例えば新潮社は「来期の主力企画発表会」として、業界の人を集めるパーティーを定期的にやってるんですよ。みすず書房や岩波書店も、年末になると「来年度の我が社の出版計画」を出してるし。

●悪いのは出版界の制度?

永江 実を言うと、再販制と委託制も、スタートしてから四半世紀くらいは上手くいっていたと思うんですよ。それが高度経済成長期を終えるくらいの段階、つまり1970年代半ばから80年代頭くらいの段階で、最初の想定と条件が大きく変わったんだと思う。
 変わった点のひとつは「出版点数の増大」で、もうひとつは、講談社文庫の市場参入がきっかけと言われているけど、「フリー入帳にした」こと。もともと新刊だけ委託配本という形だったのは「サンプル」だったからですよね。アメリカのように前もって出版計画を作ってセールスレップが全国の書店を回るわけにいかないから、取次経由でサンプルを配って、見てよかったら追加発注してください、ということだから。それを全品委託配本・フリー入帳にした。そのときに「本のニセ金化」が始まって、本とお金が同じように売れるようになってしまった。
 制度を作る時に想定していなかった事態が色々生まれたのだから、制度も少しくらいいじってもいいんじゃないの、と思うんですけど。

沢辺 結局、書店員が選書をする必要があるっていうことじゃないのかなあ。

永江 うん。でも、それが何故難しくなっているのかというと、ひとつは取次が良く出来すぎているから。

沢辺 でもそれはしょうがないよね。「子どもたちに主体性がなくなった。教育システムが完備されて、通信教育から塾から何まで全部あるから、自分で図書館に通って勉強する奴がいなくなっちゃった」って言っても、意味がないと思うんだよね。「もっと自覚的に、何もかも与えられるんじゃなくて、やらせるべきだ」という「べき論」は出来ると思うんだけど、そのときに、便利なシステムを提供しているところが悪いと言っても、意味がないでしょう。つまり、取次が出来過ぎだと言っても意味がない。そこで甘えてた書店に自主性がなくなったって、それは書店自身に奮起を促す以外にはないんじゃないかな。

永江 小泉純一郎みたいな言い方に聞こえるかもしれないけど、委託配本・フリー入帳であることによって、頑張りたい書店が足を引っ張られる状況があるじゃないですか。たとえば、注文しても本が取れないとか。さっきも言ったように、特に新規参入のところから「買切りでいいのになんで本を売ってくれないのか」という意見が出る。買切りで100部欲しいと言ってるのに、「これは行き先が決まってますから」となるのは、硬直ですよ。
つまり「米は一粒たりとも輸入しません」みたいに「非再販は認めません」となる空気は気持ち悪いね、と思う。実用書なんかだと、出版する段階で「これは一年後には陳腐化して、市場で価値ないよな」っていう本もあるんだから、そういう本は時限再販でいいじゃないですか。時限再販にする必要すらないかもしれない。「その辺りをもう少し緩くやっていけばいいんじゃないの?」という程度のことです。
 もうひとつは、別に諸外国が上手くいっているとは言わないけど、再販制のある国って、先進国では珍しいくらいになっているわけですけど、たとえばフランスなんかは再販制があってももう少し緩いですよね。例えば一定枠内での値引きは認めていたり、基本は時限再販だったり。公取みたいな言葉だけど、もう少し柔軟性のあるやり方をしないと、息苦しくて窒息しちゃうんじゃないかな。

沢辺 でも、やる気のある書店は本当に足を引っ張られてるのかな? たとえば神宮前にあるJ−STYLE BOOKの大久保さんという書店員が『本の現場』を読んで思ったことを書いてくれたんだけど「現状のシステムの中でも努力して頑張れるノリシロはある」と彼がいうのは、今の永江さんの言葉で言えば、「僕は足引っ張られてるって感じはしませんよ」っていうことですよ。
 大久保さんみたいな人が増えていくことが、「チェーン店ばかりになってしまう」という危惧に対する、ひとつの対抗になるんじゃないかな。大久保さんの売りたい本とポットの出す本って微妙に違うので直接には役には立たないんだけど、大久保さんとか、そういう固有名詞をめがけて、その人に「沢辺さん、それグッドだよ」って言ってもらえるようなことをしたいな、と思うんだけど。

永江 それはいろいろなんじゃない? 「足を引っ張られてる」っていう人もいれば「そうじゃない」という人もいる。僕が取材をしていて中小の書店から言われるのは、「なんでウチにはベストセラー送ってこないの? 隣のチェーン店にはあんなに積んであるのに」ということですよ。それは取次が悪い。日書連の議論を見ていても、取次の不公平な取引条件の改善を申し入れる、という話ばかり30年間くらい、ずーっと同じことを言ってる。

沢辺 日書連みたいな人がいて、ずっと同じことを言いつづけている、っていうのは分かりますよ。おっしゃるとおりだと思うし。『本の現場』に関しても、「いきなり最初から非再販にするのではなくて、時限再販じゃない。いきなり非再販にして、Amazonに値引きされちゃったら敵わない」って感じ。そういう人がいる一方で、かたや大久保さんみたいな人もいて、スムーズだとまでは言わないけど「不公平は感じていませんよ」という人もいるわけよね。

●本が読者に届くなら、今の制度はなくなってもいい

永江 再販含めて本についての色んな制度を考える時に、何を優先して考えるかってなると思うんですけど、従来の「再販制を守っていこう」という話は、「出版社や書店をどうやったら生き残らせるか」というのが多いじゃないですか。
 私は出版社や書店がなくなろうがどうでもよくて、まずは「本が生き延びること」が大元にあるんです。次に、読者にとって本を読む機会が沢山あること。それに付随して出版社があったり著者があったり、取次や書店があると思う。
だって、本の五千年の歴史を考えたら、最初は書店も出版社もなかったわけですよ。プロの書き手が出て来てそれで食えるようになったのは遡ってもせいぜい200年ぐらい。それも、日本でも何人かいるか、くらいの規模ですよ。紫式部は原稿料もらってなかったですからね。
 そう考えると、本があって読者がいるっていうことがまず大事なんだけど、それが今の出版流通の中でどうなっているかというと、本の圧倒的な短命化ですよ。作ってもすぐ消えて、読者に届かない。平均返品率が40%ですから、新刊だけで考えたら60%を超えていますよ。この前学生に「需給バランスっていう概念は出版界にはないんですか?」って言われましたけど、少なくとも、作った本があっという間に市場から消えて読者に届かないとか、手に入らないとか、そういう本が存在したことすら知らない間になくなっていくという状況は、あまりよくないでしょう。
 「じゃあ、なんでそういう風になっているの?」って考えた時に、出版大洪水の状況があり、なんで出版大洪水の状況になるのっていうと、本のニセ金化があるからであり、本のニセ金化がなんで起こるのかというと、委託制と再販制が一体化して、本がお金と同じようになっていて、その要に取次の存在があるからだ、と考えてるんですけど。

沢辺 永江さんはちょっと断定的すぎるんじゃないかなあ。「出版社や書店が生き延びることよりも、本が生き延びることが大事」というところまでは大賛成なんですよ。いまはもう、近所に山ほどあった写植屋はなくなっちゃった。出版界はデザイナーに写植屋や製版屋の代わりをやらせることで、そういう職業をつぶしてきたわけだから。それをセンチメンタリズムでいえば物悲しい感じもするんだけど、でも技術や環境が変わった結果だから、しょうがないとしか言いようがない気がする。
 その写植屋を出版社に置き換えても同じで、「技術や環境が変化したから、お前のとこ、もう要らないんだよ」と言われたら退場する以外にないし、それを生き延びさせるのは価値が逆転しちゃってる。永江さんみたいに、本そのものとして良いものを作っていくとか、それを読者に届けていくというところに価値を置いた時、結果的に生き延びていく出版社は生まれると思うけれど、「生き延びる」の方に価値を置いたら、上手くいかないと思いますよ。ここまでは永江さんと同じ。でも、「本の存在を知らない」という点に関しては、ネットが補完していると思うんだよね。それは極論?

永江 うーん。それは大都市の、それなりの環境のある人だけだよね。

沢辺 でもネットなら、大都市に限らず全国平等ですよ。

永江 僕、この前田舎に帰ったんですけど、地方と東京の環境の格差、それから年齢や所属している環境による格差っていうのは結構凄いんだなと思って。70歳以上でネットを使いこなす人は少ないじゃないですか? 彼らにとっては、たまに行く地方のチェーン店に並んでいるのが、新刊書の全てなんですよ。「本読みたいんだったらパソコン買って使い方を覚えろ!」というのも正論かもしれないけど、70歳超えた人には言えないよね。だからと言って、私は別にネットをなくせと言っているわけじゃなくて、ネットは本の存在を知らしめる、もの凄く役に立つ道具であることは事実だと思ってますよ。でもまだまだ十分とは言いがたい。
 その上で書店の店頭での話に絞ると、書店に並んでいる時間が1週間が良いのか、1ヶ月がいいのか、3ヶ月がいいのか、ということですよ。今だと、否応無しに1週間になっちゃってるところがある。それは制度的な原因が色々あって、個々の書店がそう選択せざるを得ない状況があるんだと思います。じゃあ例えば、それをもう少し辛抱して3ヶ月ずつくらい並べるにはどうしたらいいだろうかって考えた時に、全国1万6千の書店がみんな同じ品揃えにしようとすると1週間しか並ばないかもしれないけど、その地域にあるA、B、Cの各書店がそれぞれ違う本の並べ方をしようとすれば、頑張れば1ヶ月半ぐらいずつは並ぶかもしれないよね、という組み替えをやっていけると思うんですよ。そのためだったら制度をいじってもいいんじゃないのかな。

沢辺 その辺が、永江さんと俺との温度差なのかな……。制度をいじるという結論には賛成なんだけど、どっちかというと俺は、今の制度の中にあっても大久保さんをどれだけ増やせるか、というところに興味があるんだよね。大久保さんは多分、3ヶ月くらい並べている本の方が多いと思う。

永江 でもそれは一部のとてもやる気のある書店の話で、このままじゃチェーン店ばっかりになっちゃいますよ。

●次回へ続く

第2回「今の出版界でも出来ること」は、こちら

●プロフィール

永江朗(ながえ・あきら)
フリーライター。1958年、北海道生まれ。法政大学文学部卒。
1981年〜1988年、洋書輸入販売会社・ニューアート西武勤務。
83年ごろからライターの仕事を始める。
88年からフリーランスのライター兼編集者に。
1989年から93年まで「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。
93年からライター専業に。ライフワークは書店ルポ。
現在、『週刊朝日』、『アサヒ芸能』、『週刊エコノミスト』、『週刊SPA!』、『漫画ナックルズ』、『あうる』、『書店経営』、『商工にっぽん』、『この本読んで!』などで連載中。

●本の現場─本はどう生まれ、だれに読まれているか

本の現場
著者●永江朗
希望小売価格●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0129-3 C0000
四六判 / 228ページ / 並製

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このエントリへの反応

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