2005-10-31

もう一度、Dr. Kinsey


10月24日に私が書き込んだ「レズビアンとの対話」について、ゲイであることをカミング・アウトしているMatzmt Maskeeさんが次のようなコメントをつけた。

「キンゼイを僕も観たんですが、そのシーンで僕は涙を止めることが出来ませんでした。その当時から今まで多くの活動があったからこそ僕たちのこの社会があって、かつこれからの活動でさらに良い未来を作っていかなければいけないな、と思いました。そういえば僕も、同性と手をつないで街を歩いて緊張しなかったことは一度もありません」

「そのシーン」とは映画『Dr Kinsey』についての次の箇所である。
24日の書き込みを再びここに貼り付ける。

★★★★★★★★★★★★★★
23年間結婚生活をつづけたレズビアンの彼女には3人のできた子どもがいる。一番下の子が大学に入り家を出てから、自分の時間ができたためであろうか、芸術系の財団で彼女は働き始めた。そこで一人の女性に会う。彼女は秘書を務めていた。彼女とすぐに親友になれた。しかし、同性だというのに、抑えられない感情を抱いている自分に気がついた。彼女はその友人に恋をしていたのだ。

「キンゼイさん、それがどんなにショックだったかお分かりになるでしょう。無視しようとつとめるほど、その気持ちがつよくなっていきましてね」

男性が男性を、女性が女性を愛することが異常視され、「レズビアン」という言葉など普及していなかったであろう1950年代のこと、彼女は誰にも話すことができなかった。そして、気を紛らわすために飲酒を始める。酒に逃げる彼女のもとを夫が去り、子どもも愛想を尽かして出ていった。夫にも我が子にも自分が抱えている感情を話すことなどできなかったにちがいない。理由もいわず酒に溺れ始めた妻を、母を、父・子が見捨てるのは当然のことかもしれない。彼女はふさぎ込み、一日中、家に閉じこもった。

キンゼイは打明話を聞いて、
「アナタの話は社会が何ら変わっていないことをよく示していますね」
と相槌をうつ。

「何をおっしゃっているんですか。以前にくらべたらはるかによくなったじゃないですか。」

 彼女はそう反論をする。

「そうですか、何かありましたか?」と尋ねるキンゼイに彼女は落ち着いた口調でこう語る。

「アナタがなさったことに決まっているじゃないですか。あなたの著書を読んでどれだけ多くの人が私と同じ境遇にあるのかを知り、彼女に私の気持ちを伝える勇気をえました。私にとってたいへんな驚きだったのですが、その気持ちを分かち合うと彼女はいうんです。それから三年、私たちは幸せをともにしています」

彼女は席を立ちキンゼイに近づき、その手をとり微笑みかける。

「キンゼイさん、アナタが私を救ってくれたんですよ」

★★★★★★★★★★★★★★

映画『Dr. Kinsey』の後半部分は、マッカーシズム吹き荒れる米国で、性科学者の先駆けであるキンゼイ博士が「共産主義の走狗」であるかのようにいわれ弾圧され、性の聞き取り調査に対する支援がうち切られ、健康を害して失意のうちにあるキンゼイが描かれる。

しかし、映画の最後から3番目のシーンで、このレズビアン女性の話が出てくる。
最後から2番目のシーンは助手から「愛について」問われるキンゼイが「愛は計かれない。計れないものは科学たりえない。しかし、その問題について考えることがよくある。人々は愛に落ちるとき、暗闇の中にいる(愛に盲目になるって意味でしょうね)」旨、応えるシーンである。日本で公開されるとき「愛についてのキンゼイ・レポート」なるタイトルが付けられたが、映画の中のキンゼイは「愛は計れない」といっているのだから、適当なタイトルではなかろうか……と思う。商業的成功を目指してつけたのかもしれないから、それについてとやかくいうことは野暮かも知れないが。

最後のシーンはキンゼイがオツレアイと森の中に入り、自然散策を楽しむ……というシーンだ。自然回帰の最終シーンを安易という人もいるかも知れないが、キンゼイはもともと昆虫の研究者であり幼少の頃より自然に関心があったのだから、人の研究で疲れたキンゼイが再び自然に戻る……ということは不自然なことではなかろう。

さて、最後の三つのシーンで、突出しているのはレズビアン女性のシーンであろう。監督がキンゼイの数少ない救いとしてこのシーンを入れたことを評価したい。

同性愛に関する知識がはるかに増えた現代でさえ、同性にたいして欲情や恋愛感情をはじめて覚えたとき、動揺する人は少なくないであろう。素直に受容できたという人の方が少数だろう。ましてやキンゼイが活躍した当時は知識がはるかに少なかったであろうし、マッカーシズムにより同性愛者は共産主義の走狗として検挙されていった時代である。同性に性欲や恋心を覚えた人の自己嫌悪は相当なものだっただろうと推察する。

「キンゼイさん、アナタが私を救ってくれたんですよ」

というセリフは時代状況を勘案すればけっして大げさなものではない。

Matzmt Maskeeさんのコメントにある「その当時から今まで多くの活動があったからこそ僕たちのこの社会があ」るという意見に共感しつつも、もしキンゼイが現代社会をみたとき、はたして何を思うか……と私は想像する。

有権者の中にあるホモフォビア(同性愛者への嫌悪)を喚起・利用して大統領選挙に再選したブッシュ大統領、アメリカで進む純潔政策などを見たとき、キンゼイは映画のセリフと同じことをいうのではないだろうか。

「(これらの話は)社会が何ら変わっていないことをよく示していますね」

と。

このエントリへの反応

  1. レスポンスありがとうございます。「愛についての」という部分と「愛は測れない」という台詞に僕も矛盾を感じていました。

    仰る通り、同性愛に関しても、また他のセクシュアル・マイノリティに関しても、まだ始まったばかりですね。及川さんの運動、応援しています。僕も何か自分で出来ることを探したいと思います。