2007-09-23

ウォーターゲート事件追及記者の著作「攻撃計画 ブッシュのイラク戦争」

日刊ベリタ』に【ウォーターゲート事件追及記者の著作「攻撃計画 ブッシュのイラク戦争」】というタイトルの書評を執筆しましたので転載します。

【本文】

  2004年に日米両国で刊行されたボブ=ウッドワード氏の著書『攻撃計画 ブッシュのイラク戦争』(日本経済新聞社)を一読、読み応えのある内容に感心させられた。ウッドワード氏といえば綿密な取材によってウォーターゲート事件の全貌を暴き、リチャード・ニクソン大統領(当時)を辞任に追い込んだ名物記者だ。アメリカ政界に太い人脈を持つ抜群の取材力と卓越した筆力で知られ、現在はワシントンポスト紙の編集局次長を務めている。最近ではジョージ=ブッシュ政権を批判的に書いた著書「ブッシュのホワイトハウス」(日経新聞社)が米国では100万部のベストセラーになったことで知られている。 
  
 2001年の米同時テロ事件(9.11)発生から03年のイラク戦争の開戦に至るホワイトハウスの内幕を暴露したのが、「攻撃計画 ブッシュのイラク戦争」だ。ジョージ=ブッシュ大統領や当時の国防長官など、75人以上もの要人にインタビューして事実関係を確認した本書は徹底した調査報道に基づく名著だ。 
 
 イラク戦争終焉宣言から4年経ったものの、戦闘鎮静化の兆しが見えない。英医学専門誌『ランセット』(電子版)は06年10月、イラク戦争開始後、銃撃や暴力、健康悪化など戦争にかかわるイラク人死者が人口の約2・5%に当たる65万人を超えたと推定する研究論文を発表した。イラクではテロが絶えず、シーア派とスンニー派における対立も深刻なものになっている。現在のイラク情勢を「内戦」と指摘する人は多い。戦争の大義であったイラクによる大量破壊兵器の保持やテロリストとのネットワークは存在しなかったことが分かった。現状を見れば、ブッシュ政権によるイラク戦争とその後のイラク政策は誤ったものだったと断言できよう。 
 
 なぜこんな戦争をアメリカは起こしたのだろうか?その舞台裏を本書は明かしてくれる。 
 
 ブッシュ大統領がイラク戦争の開戦を決断したのは、就任して間もなくだったと同書は告発する。01年11月21日、9.11からわずか72日後のこの日、ホワイトハウスで国家安全保障会議終了後、ブッシュ大統領はドナルド=ラムズフェルド国防長官(当時)の片腕をぎゅっとつかみ、「ちょっと時間をくれないか」と言った。 
 
 2人きりになると米国によるイラク政策への苛立ちをブッシュ氏は口にし、国防長官の見解を問うた。ラムズフェルト氏も不満をとうとうと述べた。ブッシュ大統領は最後にいった。「(イラク戦争を始める)計画に手をつけよう」。国防長官にイラク戦争計画の立案に着手するよう迫ったのだった。 
 
 本書によれば、必死になって「9.11テロとイラクの結びつきを捜しつづけ」ていたチェイニー副大統領やコンドリーザ=ライス大統領補佐官(当時)、ラムズフェルト国防長官、「イラクとアルカイダは結びついている可能性がある」と信じて疑わなかったポール=ウォルフォウイッツ国防副長官(当時)らはフセイン政権のイラクを米国単独でも攻撃すべきだと考えていた。コリン=パウエル国務長官(当時)は開戦には国連の協力が必要だと考え、リチャード=アーミテージ国務副長官はそもそも開戦に慎重な立場であった。パウエル氏ら穏健派が政権内で追いやられ、戦争へと突入する様が本書では如実に描かれている。 
 
 国連での応酬も興味深い。2002年11月8日、全会一致で国連安全保障理事会が決議1441を採択した。これはイラクの武装解除に関するもので、「イラクが大量破壊兵器を破棄しなければならないこと」「そのための武器査察に全面的に協力しなければならないこと」「この決議に違反する行動をイラクがとった場合には、安全保障理事会は、それがイラクに対して重大な帰結をもたらすと再三警告したことを想起すること」が銘記された。 
 
 本書によればこの決議をめぐり、米仏両国で激しい応酬があったという。パウエル国務長官は大量破壊兵器に関する対応が不十分な場合か、武器査察に協力しない場合を「重大な帰結」と見なしうる決議にしようとしたが、ドミニク=ドヴィルパン仏外相が反発し、その結果、大量破壊兵器に関する対応と武器査察の両方でイラクが協力しない場合を「重大な帰結」と見なすという決議になった。しかし、フランスは「重大な帰結」が戦争を意味するという言質は与えなかった。仏外交は踏ん張ったのである。 
 
 本書に出てくるエピソードをいくつか紹介しよう。 
 
 02年9月19日、下院議員11人と会い、ブッシュ大統領はこういったという。 
 
 「テロとの戦争は順調に進んでいます。われわれはアルカイダのメンバーをひとりひとり追いつめている」「しかし、最大の脅威はサダム=フセインとその大量破壊兵器だ。フセインはイスラエルを攻撃するおそれがあり、国際紛争を引き起こしかねない。」 
 
 ブッシュ大統領の頭の中では査察の前から「フセイン=大量破壊兵器」となっていたのだ。 
 
 同年12月18日にはスペインのホセ=マリア=アスナール首相との会談でこういった。 
 
「サダム=フセインは自分の金でアルカイダを訓練し、化学兵器を用立て、テロリストをかくまっている」 
 
 アルカイダの黒幕はフセイン政権であると頑なに信じていたのである。 
 
 2003年1月、チェイニー副大統領はこういった。 
 
 「われわれには民主主義を打ち立てる義務がある。(イラク軍の)元将軍を連れてきて権力の座に座らせ、よし、こんどはあんたがイラクの独裁者だ、というわけにはいかないんだ。われわれはあの国を根本的に変えなければならない。イラクの国民に、われわれの信じている根本的な価値観をあたえる絶好の機会なんだ」 
 
 イラク戦争は対テロ戦争のみならず、中東に民主国家を打ち立てることが目的だ……というチェイニー副大統領の心情が吐露されている。 
 
 著者のインタビューにブッシュ大統領はこう答えている。 
 
 「ドヴィルパンが口を開いたとき、フセインはこれでまた、ごまかしをつづけようとするだろうと思った。なにしろ、知らず知らず自分を助けてくれる人間がいるわけだから」 
 
 フランスによる開戦への抵抗を「フセインへの支援」としか見なかったのである。 
 
 ジャック=シラク仏大統領(当時)は03年2月7日にブッシュ大統領に電話をかけてこう伝えた。 
 
 「戦争は必要だという貴国の姿勢には共感できません」「戦争は不可避ではない。最終的な目標に達する方法は他にもあります。これは道義的な問題です。回避不可能で必須不可欠な場合を除き、わたしは戦争に反対です」 
 
 しかし、ブッシュ大統領の返答はけんもほろろだった。 
 
 本書が暴露する最大のスキャンダルは大量破壊兵器に関する情報収集を担当して怪しい情報しかないにもかかわらず、「こいつはスラム=ダンク(決まり)ですよ」といったジョージ=テネットCIA長官(当時) や穏健派のパウエル国務長官も含め、ブッシュ大統領をはじめとする米政府高官が全員、イラクには大量破壊兵器があると信じていたことである。米政府に情報収集能力が決定的に欠如していたというのだ。フランスのシラク大統領は早くから「イラクには脅威はない」と見抜いていたにもかかわらず……。 
 
 本書が明かすのは、状況認識をはなはだだ誤って、「戦争、先にありき」で開戦へと突き進んでいった米国高官の無知蒙昧さである。しかし、本書をもって「何事にもひるまずにイラク戦争を開戦したブッシュ大統領はえらい」と讃辞する人もいるらしいから、読み方は人それぞれなのだろう。 
 
 テネット元CIA長官は今年4月に出版した回顧録の中で、「イラクの脅威が緊迫性を帯びているのか、政権内で真剣に討議されたことはなかった」と暴露した。リチャード=クラーク元大統領特別顧問は04年3月に出版した回顧録の中で、9.11直後の会議にラムズフェルド国防長官が「アフガンにはいい標的がない。イラクにはいい標的がたくさんある」と述べ、ブッシュ大統領がクラーク氏に「イラクがやったかどうか知りたいんだ」と述べ、「「イラク! サダム! 関連を見つけだせ」と強く指示したと語った。 
 
  ポール=オニール元財務長官は04年1月、米CBSテレビの報道番組に出演して、「ブッシュ政権は01年の発足直後から、フセイン(イラク元大統領)を取り除く必要があるという信念があった」とに語った。また、オニール氏は「国家安全保障会議で、なぜイラクを侵略すべきなのか、だれも疑問を呈さないのに驚いた」「大統領は、イラク戦争を実行する方法を探し出せ、と言っていた」と証言している。 
 
  かつての政府高官ですら、イラク戦争の“恣意性”を指摘するようになった。ブッシュ大統領はいつまで「イラク戦争は正しかった」と強弁するのだろうか。