スタジオ・ポット
| ▲部屋top | 部屋[番外26] | 部屋[番外25] | 部屋[番外24]| 部屋[番外23] | 部屋[番外22] | 部屋[番外21] | 部屋[番外20] | 部屋[番外19] | 部屋[番外18] | 部屋[番外17] | 部屋[番外16] | 部屋[番外15] | 部屋[番外14] | 部屋[番外13] | 部屋[番外12] | 部屋[番外11] | 部屋[番外10] | 部屋[番外9] | 部屋[番外8] | 部屋[番外7] | 部屋[番外6] | 部屋[番外5] | 部屋[番外4] | 部屋15 | 部屋14 | 部屋13 | 部屋12 | 部屋11 | 部屋10 | 部屋9 | 部屋[番外3] | 部屋8 | 部屋7 | 部屋[番外2] | 部屋[番外1] | 部屋6 | 部屋5 | 部屋4 | 部屋3 | 部屋2 | 部屋1 |怒り心頭の部屋 |
真実・篠田博之の部屋[番外20] [2001年3月15日]
真実・篠田博之の部屋
[番外20]
 ポット出版の沢辺さんが教えてくれたのですけど、「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」(VAWN−NETジャパン)という団体が、NHKに抗議をし、質問状を出しています(「VAWN−NETジャパン」で検索すれば、原文を見られるんじゃないかな)。NHKの「ETV2001」で、このVAWN−NETジャパンなどが主催した「女性国際戦犯法廷」を取り上げたのですが、当初説明のあった番組意図とは違っていて、「女性国際戦犯法廷」が正確に伝えられておらず、それどころか批判的に取り上げていたというものです。
 仮に私がこの行動に賛同してくれと言われたら、「女性国際戦犯法廷」をどう評価するのかとは全く別に、きっぱり「イヤだ」と答えます。論点はいくつにも及ぶのですが、決定的に私が違和感を抱くのは、自分たちの意図がそのまま番組に反映されていなかったことについてまで抗議をしている点です。彼らの言い分だと、マスコミは取材対象を批判してはいけないことになりかねず、取材対象の要求することはすべてそのまま放送しなければならなくなります。また、話に聞いていた取材意図と実際の番組が違っていたことも問題にしていますけど、これでは当初の取材意図を覆すようなことをしてはならないということになってしまいます。いざ取材をしてみたら、批判的に取り上げようと考えを変えることなんていくらでもありますけどね。ちゅうか、取材してみなければ、どう取り上げるべきかわからないことも多く、予断をもって取材に臨み、その予断通りに文章なり映像にする方がずっと問題であって、これでは佐野眞一の手法になってしまいます。
 自分たちが素晴らしいことをやっていると信じることは大事ですけど、それを第三者に押し付けるのは、独善以外の何物でもない。そのような扱いをした番組の考えを批判するのはいいでしょうけど、抗議という行動にはそぐわない。これでは右翼一般の抗議と一緒です。
 自分たちが反論できない状態で、秦郁彦にコメントさせたのは不適切であり、秦郁彦のコメントが間違いだらけであったことは抗議していいでしょう。しかし、これらは反論権を行使することで解消されるべきです。NHKが反論させないのであれば、このことを一層強く抗議していい。ここに絞っていたのなら、私とて賛同しましょう。
 しかし、「女性国際戦犯法廷」の日時や会場や参加者数などの基本的事実をとりあげてないだの、主催団体が紹介されてないだの、20余人の被害者証言があったのに2人しか取りあげられてなかっただのといったことを批判したばかりに、「女性国際戦犯法廷」自体が、この抗議同様の独善的思い込みで行われたものなのではないかとの印象さえ私は受けてしまい、本来、問題とすべきことが色褪せてしまっています。
 このような内容変更がが右翼、自民党などの圧力によってなされた可能性をも指摘していて、これは質問してよく、もし本当なら抗議すべきでしょうけど、VAWN−NETジャパンの抗議方法では、どっちに力があったのかという力の問題を問うしかなくて、自らの正当性を失うことになっています。
 なんだかなあというところです。で、この「VAWM−NETジャパン」という団体の代表は、松井やより氏であります。独善の権化みたいな人です。むべなるかな。
           *
『風俗嬢意識調査報告』の要友紀子に教えられて、菅谷明子著『メディアリテラシー』(岩波新書)を読んだのですけど、私がここまでに主張していることのいくつかは、このメディアリテラシーに関わる問題です。
 メディアリテラシーを簡単に説明すると、メディアから流される情報を読む能力です。つまり、その情報がどのような経路から入手され、どのような立場から選択され、どのように編集されたものかを見抜き、分析する能力のことです。批判性の欠如、多様な立脚点の欠如、論理性の欠如、主体性の欠如、想像力の欠如など、その要因はさまざまありましょうが、メディアで語られる情報を批判的にとらえて、その裏にあるものを読むメディアリテラシーが、あまりに皆さん弱いのではないか。
 そして、この弱さを根拠にして、言論封殺をする人がいるわけです。篠田という人です。つまり、自分の意見とは違う意見を出すと、読者がそのまま信じてしまうと思い込む。自分が正しいのなら、両論併記することで、自分の正しさをわからせればいいものを、実のところ、自分が正しいと思っていないのでしょうけど、篠田氏は「『創』の読者はその程度の判断もできない」ということを理由に(本人がそう書いているわけではありませんが、そう判断するしかないでしょう)、私の意見を掲載しないのです。
 このような姿勢をよしとはしませんが、一般に情報を読む力が弱いことについては、まさにその通りというところはあります。私とて、学生時代は、論争を読んでいても、こっちがこう言うと、「なるほど」と思い、あっちがこう言うと、やっぱり「なるほど」と思って、その度に意見が揺れることを体験したものです。自分の立ち位置が固まらないと、こういうことが起きてしまうものです。小学校から、メディアリテラシー教育をしっかりやってくれていたなら、もっと早く立派な大人になれたものを、と思うわけです。
 こういった判断ができない人の典型が、表現の規制をしたがる人たちです。現に日本では、メディアリテラシーは、大人たちが正しい表現、間違った表現を区別して、正しい表現だけを子供に与えることだと認識しているムキもあるらしい。ある表現をいかようにも読む可能性があることを無視して、規制さえすれば解決すると考えるのは、本来のメディアリテラシーの意味とはまるで違っていて、それに反することでさえあります。
 だいたいこういう主張をする人が、メディアリテラシーが高いかと言えば、断じて否です。例えば、売買春について見ても、売買春否定の論が間違いだらけで、杜撰極まりないことは私の読者の皆さんなら先刻ご承知の通り。引用のルールを無視している、差別的である、という点で、兼松左知子著『閉じられた履歴書』は、典型的な悪書でしょうが、売買春を否定しているというだけで思考停止に陥り、ああいう本を何ら疑問なくありがたがっているような人が、情報の善し悪しを判断できるはずがない。
 松井やより氏もそうですが、ポノルの解禁を求めずして、ただひたすらそれが有害と決めつけて規制しようとする人たちこそがメディアリテラシーなき人々の筆頭なのです。
           *
『風俗嬢意識調査報告』の被調査者で、嫌いな客として障害者を挙げているヘルス嬢がいました。既に『えろえろ』や『恐怖の大玉』で書いたように、障害者を敬遠する店があるのは、必ずしも差別的な理由からではありません。車椅子に対応する設備がないためだったり、何らかの事故があった場合、警察沙汰になるとマズいという無許可店の事情だったりもするわけです。
 歌舞伎町の「リッチドール」は許可店ということもあって障害者を受け入れていて、事実、各種障害をもつ常連さんがいますけど、健常者と違うさまざまな要因があり得る障害者を、店としては一律に「障害者歓迎」とは言いにくいところがあります。
 従業員が二人がかりでエレベーターや階段で、上まで運び上げなければならないような場合、たまたま手の空いている従業員が二人いればいいのですが、そうじゃなければお断りするしかない。
 腕のコントロールができない障害者の場合は、力を入れ過ぎて、体を傷つけることがあって、そういう客をうまく対処できないために嫌がる女の子もいます。「乱暴な客」を排除している店としては、こういう客も排除するしかなく、これを一概に差別と言うべきではない。そういったことがあり得ない障害をもつ人までをすべてまとめて障害者として排除した時に初めて差別と言い得ます。
 先日、知り合いから「障害者を受け入れてくれるお店を知らないか」との問い合わせがありました。インターネットで障害者と知り合い、彼が風俗店に行きたがっているのだそうです。東京だったら、具体的に店名も教えられますし、事前にこちらから電話を入れることもできましょうが、彼は九州に住んでいるのだと言います。
 障害の程度がよくはわらかないのですが、自分の足で一人で店に行くことまではできるとのことですが、言葉に障害があるようです。
「突然店に行って断られると、彼もへこむだろうから、事前に問い合わせをした方がいい。彼ができないのであれば、ボランティアの人にやってもらうといい。それぞれに店の事情があるので、障害の内容と程度を説明すれば、店が接客できる女の子を探してくれて、都合のいい日時を教えてくれると思う。特にソープは建物の構造上のこともあって、比較的、親切に障害者を受け入れてくれるはず」と私は伝えました。ソープに無許可店はありませんから、店側がヘンな心配をすることもありません。
 このように、店側、女の子側にも諸事情があって、店を突然訪れて断られたから、即、「差別だ」「風俗店は障害者に冷たい」と言うべできではありません。今はインターネットがあるので、言語に障害があっても、問い合わせをしやすいでしょう。
 嫌いな客として障害者を挙げたヘルス嬢が、何を考えてそう答えたのかわからないのですが、この言葉を削除してしまうのでなく、要友紀子が注釈をつけて出すことになりました。言葉を削除して済ませるのでなく、出すことで考えさせることの方がずっと大事です。これこそがメディアリテラシーに対応した正しいあり方でしょう。
 対して、規制して見えなくしてしまえばいいという人たちは、彼ら自身が、メディアリテラシーが乏しいということに他なりません。情報が有害なのか無害なのか、有益なのか無益なのかは、それぞれの事情によってさまざまなはずです。ある人のある状況においては有害になり得る情報が、ある人のある状況においては有益になり得る。それが情報というものです。もし自分が暴力シーンを見て、人を殺したくならないのであれば、規制する必要はないわけですから、暴力シーンを見て人を殺したくなる自分を基準に、すべての人がそうだと思っているということなのではないかとさえ邪推してしまいます。同じように、ポルノを見ただけで、女に何をしてもいいのだと思い込んでしまう情けない人たちがポルノを規制したがります。こういう人たちは真っ先にメディアリテラシー教育を受けるべきです。
真実・篠田博之の部屋topへもどる page top

ポット出版図書館での出来事・考え事ず・ぼん全文記事レズビアン&ゲイブックガイド2002
石田豊が使い倒すARENAメール術・補遺ちんまん単語DBデジタル時代の出版メディア・考
書店員・高倉美恵パレード写真「伝説のオカマ」は差別か黒子の部屋
真実・篠田博之の部屋篠田博之のコーナー風俗嬢意識調査ゲル自慢S-MAP
ポットの気文ポットの日誌バリアフリーな芝居と映画MOJもじくみ仮名

▲home▲


このサイトはどなたでも自由にリンクしていただいてかまいません。
このサイトに掲載されている文章・写真・イラストの著作権は、それぞれの著作者にあります。
ポットメンバーのもの、上記以外のものの著作権は株式会社スタジオ・ポットにあります。
お問い合せ→top@pot.co.jp/本の注文→books@pot.co.jp

カウンター入る