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真実・篠田博之の部屋[番外5] [2001年1月10日]
真実・篠田博之の部屋
[番外5]
 反論権についての話を続けます。
 意外と言えば意外、そんなもんと言えばそんなもんですけど、「番外3」を読んだ編集者から、「反論権について初めて理解ができた」なんてことを言われてしまいました。今さら何言っているのかという気もするのですが、なんとなく「反論できる権利」といった程度の理解しかしていなかった人にとって、反論権は事後救済の重要な方策であるという明確な意義と、そのことによって雑誌の掲載責任はかなりまで果し得るのだという明確な効果と、そのためにはどう運用されるべきなのかの明確なルールを提示しただけでも、「そういうことだったのか」との思いがあったようです。
 ただ単に「反論できる権利」なんて程度のもんなら、わざわざ改めて論ずるまでもなく認められていることであって、他者を批判する権利があるのと同様に、反論する権利があるに決まっています。そこに留まらず、反論権は、それを受け入れるメディアなり個人に新たな意思を必要とするものです。
 現状のメディアにおいて反論権を確立することのネックになっているのは、度量なり覚悟なりといった非常に個人的な資質なのではないかとも感じます。篠田氏とて、反論権が何なのかくらいは理解しているのかもしれません(たぶん考えを突き詰めたことはないと思いますが)。しかし、いざそれが自分の身に降りかかってきた時、「こんなもん、載せられるか」になってしまい、「アンフェア」だの何だのと理由にならない理由で、容易にひねり潰してしまいます。
 小林よしのりもその典型ですけど、いざとなると、「批判はするが、反論はされたくない」という態度をとる。自分から批判をしたくせに、反論をされると、「あんなヤツを相手にせん」などと、相手の人格を問うことで、反論させない名目をデッチ上げます。だったら、「先にそんな相手を取り上げたてめえは何だ」ということになるだけなんですけどね。
 私は何と偉いのだろう、なんてことまで言う気はないのですけど、こういう人達の狭量さを見る時、「もしかすっと、オレって、出版界では特殊なのか」と思ったりします。篠田氏の反論をポット出版のウェブに出すとの連絡をポット出版からもらった際にシメシメと思い、積極的に出して欲しいと私は心底思いました。しかし、篠田氏の論理で言えば「篠田氏はアンフェアだから、そんなものを出すな」と私はポット出版に要求すべきであり、小林の論理で言えば「あんなヤツ、相手にせん。そんなものを出すな」と要求すべきということになります。
 こういった矛盾した行動を抑制するのは個人でしかないながら、あのようなタイプの人たちに期待するのは無理なのではないかとも感じていて、抑制できるとしたら、そういった自分本位のわがままを完遂しようとすることによって、目に見えるダメージを与えられる環境を作るしかないのではないのではないでしょうか。つまり、このような書き手に対して、編集部が毅然とした態度をとり、読者がその編集部を支持し、書き手を見捨てる環境です。「創」であるなら、雑誌そのものまでを読者が見放す環境です。
 そのためにも、反論権とは何か、議論はどのようなルールに基づくべきか、書き手と編集者の関係はどうあるべきか、文章の責任および権利主体はどこにあるのか、その責任はどう果たされ、権利はどう守られるのかといったことがさらにさらに広く論じられるべきでしょう。
           *
 その編集者は、具体的運用について、いくつかの質問を私にしてきました。その中で、なるほどと思ったのは、反論権を悪用、乱用する人がいた場合、どう対抗できるのかというものです。これは大変いいテーマですね。
 たとえば、ある雑誌で、AさんがBさんについての批判を書いていたとします。Bさんが反論させろと編集部に要求してきたため、反論スペースを提供したら、単に自分の宣伝に利用してきたとします。個人だとこのことの問題点がわかりにくいかもしれませんが、ある宗教団体を批判して、その反論を掲載し、結果としてその教団の宣伝になってしまうことがあるのはやむを得ないとして、反論に該当する内容が一切なく、単に布教のためにページを利用させるのはちょっとマズいカンジがしますね。
 もちろん流れをしっかり見ている読者なら、「反論もせずに宣伝してやがる」と見抜き、その宗教団体の愚劣さを知ることもできましょうから、経緯を読者に説明した上で、それでもなおこういうものを載せるというのも一貫した態度です。
 また、「あくまで反論権は反論によって救済するためのものであり、別の方法で救済されることを目的をしない」として、その内容の書き換えを申し入れるのも許されるべきかと考えます。時期が遅れると、反論する効果が落ちてしまい、1ページでなく2ページ、3ページといった単位で反論させることを要求する根拠を与えてしまうことになりますので、この申し入れは早急になされなければなりません。篠田氏のように、掲載しない理由も明示しないで封殺するようなことをやったら、雑誌は命とりです。私も、今から「創」が反論をさせるというのなら、最低4ページは要求しますし、そうする正当性は十分ありましょう。
 このような申し入れをよしとすると、今度はメディア側の乱用を招く可能性もあります。「これは反論になっていない」などと、なんのかんのイチャモンつけて載せないわけです。とにかく反論を載せたくない人にとっては、格好の口実になってしまい、特に「創」の篠田氏ならためらいなくやりそうです。
 このように、メディア自身が一方の当事者の場合、第三者の介入が必要となるかもしれず、出版界に何らかの仲裁機関が設置されなければならないのかもしれません。雑協でも、文芸家協会でも、ペンクラブでも、何でもいいのですけど、裁判所に裁定してもらう前に、適切な助言を公開で行う。篠田氏が委員会の副委員長をやっているペンクラブじゃ信用できんか。
 例えば私であれば、文章を無断で書き換えられた段階で、あるいは写真を無断で外された段階で、あるいは投稿を封殺された段階で、この機関に仲裁を申し入れ、「勝手に文章を書き換えてはいけない」とか「反論として1ページ掲載するのが妥当」といったような判定をしてもらうわけです。
 法的拘束力などありはしませんが、裁判によらず、篠田氏のような横暴な個人を抑制し、報道被害を防ぎ、書き手の表現の場を確保し、メディア側の言い逃れを防ぐにはこうするしかないでしょう。
 しかし、現実には出版関係の諸団体のように、自分らの利益を守る方向で「表現の自由」を掲げるだけで、自分らが加害者になり得ることを想定もしていないような団体に期待するのは無理であり、事実、これまでこういったことを誰もやってこなかったわけです。。
 この現状において、一体どうするのが最善なのでしょうか。わからんとしか言えません。私一人がああでもないことでもないとない頭を振り絞って解決できる問題ではないのです。
           *
 ここにおいて私に迷いが生ずるのは、残念ながら、雑誌を作っている人達を信用し切ることができないためです。ここではやはり篠田氏を出すのが適切でしょうが、ルールもへったくれもない人が、その反論が適切か否かを判定し、その判定に則って行動するはずがないと外部の人間としては判断するしかない。もし信用できる人なら、あの人が「掲載する必要なし」と判定したのだから、それで間違いはないだろうということになりますが、篠田氏じゃ、「自分に都合が悪いから掲載しなかったのだろう」と疑わざるを得ないのです。
 これはこと篠田氏だけではありません。元「宝島30」編集長の上田高志という人物がおります。サイテーの編集者です。どのくらいサイテーかは、『教科書が教えない小林よしのり』(ロフトブックス)を読んでください。
 あの本にあったように、この男は、鶴見済や宅八郎の原稿の効力を削ぐべく、その二人の原稿の批判対象である切通理作に、おそらく事前に二人の原稿の内容を伝え、あろうことか、その二人の原稿のすぐあとに切通理作の原稿を掲載するという卑怯極まりないことをやっています(事前に原稿内容を伝えていたとの証拠はありませんけど、あの掲載方法と内容では、そう疑われてもやむを得ない)。
 原稿が雑誌に掲載される前に、編集部が外部の人間に見せるのは明らかなルール違反であり、書き手の信頼を裏切る行為です。例えばですよ、ある書き手のスクープにもかかわらず、編集部が情報を他誌に流し、他誌が先にその記事を出したらどうなるか。批判対象がそれを嗅ぎ付けて、先に別の雑誌で、その批判の効力を落とす原稿を出したらどうなるか。
 もちろん、必要に応じて、外部の人に見せることはあります。「こういう図版は印刷できるか」みたいなことを印刷会社の人に相談したり、法的に出しても問題がないかどうかを弁護士に相談したり、カットをつけるためにイラストレーターに原稿を見せたり。これらも本来は承諾が必要という考え方もありましょうけど、特に承諾がなくても、問題はないかもしれません。
 しかし、敵対する側にその原稿を見せるなんてもっての他であり、このことだけでも、編集者の資格なしとして会社をクビになってもいいくらいのものです。オウム事件の際に、TBSがオウムにビデオを見せていた行為と一緒ですから。
 上田編集長は「切通理作と丸田祥三は宝島社が育てたようなところがあるから、守ってやらなければならない」として、私の投稿にも介入し、切通や丸田のいわば代理人として、「このままでは載せられない」と言ってきます。
 編集者がある書き手に思い入れるのもいいでしょう。しかし、ここではやはりルール順守が求められ、なりふりかまわずのやり方は、雑誌の信頼を失います。こんな雑誌、潰れて当然、願わくば上田という人間も潰れて、出版界から消えうせることを今でも私は願っています。
 ここで対等に論争する場を提供するに徹し、その上で切通なり丸田なりの相談に乗るなり、アドバイスをするという範囲でサポートをしていたのなら、私はこの人物を「敵」と認知することはなかったでしょうし、この男を蔑視し、罵倒し続ける決意をすることもなかったでしょう。
 この男のやったことには弁護の余地がないとして、そもそも書き手と編集者の関係はどう考えたらいいのでしょうか。これについては間もなく論じる予定です。
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