2002-02-25

論文の公開と学術出版社の危機

現在、論文の公開の流れには2つあり、研究者がみずからのホームページで公開する場合と、大学などの研究機関が発行する研究紀要がネット上で公開される場合があると前回、書いた。これに付け加えるならば後者にはさらに学会や協会が刊行する学術雑誌を国立情報学研究所(2000年3月31日までは文部省学術情報センター)の電子図書館で公開するということも含まれるだろう。NACSIS-ELSと呼ばれる国立情報学研究所(NII)の電子図書館サービスは、日本の学協会が発行する学術雑誌から論文を検索し、必要なページを表示し、印刷することができるのである。2002年2月25日現在、415件の学術雑誌が登録されている。
 
例えば「マス・コミュニケーション研究」という日本マス・コミュニケーション学会が刊行している学会誌は1993年の第42号から2001年の第59号まで18冊が収録されている。この学会誌に掲載されている論文を読むためには利用者アカウントとパスワードの入力が必要であり、利用範囲は大学の教職員や研究員、文部科学省の職員、その他利用規程で定められた学術研究者に限られている。研究者にとっては論文単位で検索し、ダウンロードできることは非常に便利なサービスであろう。
 
著作権使用料が無料のものもあるが、有料の場合は学協会ごとにそれぞれ価格が決められている。ちなみに日本マス・コミュニケーション学会は無料で提供しており、一方、日本独文学会の「ドイツ文学」の場合、会員はすべて無料、非会員では表示するだけなら無料で、印刷すると表紙・裏表紙、目次、索引、論文などは25円、文献目録などは200円のページ単価となっている。この料金は財団法人電気・電子情報学術振興財団が各経理責任者から徴収して各学協会に支払われるしくみになっているのである。
 
このような論文自体のネット上での公開は、学術出版にどのような変化をもたらすのであろうか。
 
第一に、これまで大学などの研究紀要は研究者の論文発表の場と位置づけられてきた。したがって紙の雑誌に印刷され、発送されてはきたが、読まれるかどうかは別問題だったように思われるのである。その点、必要な論文だけを検索し、ダウンロードできるとなれば読む側にとってはかなり便利である。学会誌についても同じようなことがいえよう。
 
そうすると、今後、このような論文を集めた書籍ははたして商業的に成り立つのだろうかという疑問がわいてくる。研究者が学術書、専門書を刊行する出版社からこれまでの論文を集めて新刊を出そうとすると、すでにその中のすべて、あるいはいくつかの論文が紀要や学会誌に発表したがゆえにオンラインで入手可能の状態であり、あえて高額な専門書を購入しなくても必要な論文は入手できるのである。それでなくても、今日、学術予算は重点研究費や科学研究費補助金など、プロジェクト的な研究に配分され、大先生の退官記念論文集や古稀記念論文集などを大学の研究費を使ってお付き合いで購入するゆとりは次第になくなってきているのが、学術出版の現状なのである。
 
第二に、論文がオンラインで入手可能になればなるほど、これまで研究者仲間に閉ざされていた学術研究が市民的な広がりをもつことになる。国立情報学研究所にしても現在、利用者を限定しているのは著作権使用料の徴収の問題があるからだろう。大学や研究機関に在職していなくても一定の料金を支払えば学術論文を簡便にダウンロードできるとなれば、市井の研究者にとっては喜ばしいことではないだろうか。
 
第三に、ただ紙に印刷してあった論文をオンラインで提供するという変化ではなく、原資料を公開したり、研究方法などに関する議論を交わしたりするようなしくみを作ることによって、研究の新たな地平を切りひらくことも可能だろう。私自身、ボイジャーの「理想書店」から『デジタル時代の出版メディア』電子・ドットブック版をオンライン販売することによって、その可能性を探ろうとしているところである。索引から300 箇所以上のウェブページへリンクすることによって、読者はクリックするだけでそのホームページを開くことができる。原資料に読者が直接あたることをできるだけ保障することによって研究がより実証的になる利点があろう。
 
ただ、インターネットによる論文の公開が、従来の学術出版社の経営基盤を脆弱にし、これまでこつこつと積み上げてきた学術出版の編集という営為を突き崩すことになりはしないのかという懸念も一方ではある。学術情報の流通の観点からみれば、情報の独占から公開へという道すじは市民的なものと位置づけて間違いはないだろう。しかし、その反面、デジタル化の波がコンテンツ産業による新たな寡占化をもたらすかもしれないということもつねに念頭に置いておく必要があるのである。