2010-06-14

スイスでの単独取材 [北尾トロ 第26回]

29歳の誕生日はスイスに向かう機内で迎えた。誕生日のことなど忘れていたら、航空会社からチョコの詰めあわせをプレゼントされたのだ。おかげでひとりきりの心細さがいくらかは和らぎ、注がれたシャンパンでぐっすり眠ることができた。

ジュネーブの町でカメラマンと待ち合わせ、世界選手権が開催されるインターラーケンに向かう。地理がまったくわからないので、旅慣れしたカメラマンについていくしかないが、世界選手権に関しては写真さえ押さえれば良く、大きな記事にする予定はないので気楽なものだ。日程後半のツェルマット取材に集中すればいい。

それなのになぜインターラーケンなんぞに行くかというと、今回の取材が旅行会社主催のプレスツアーだからである。スイスへの観光客を増やす目的で、メディア関係者のエア代を負担してツアーを組んでいるわけだ。「ボブ・スキー」はそれに乗っかり、ツアーのところではコラムのネタを集め、独自取材となる後半で特集記事を作る作戦。前半は遊んでいればいいわけだ。

そうもいかなかった。ツアー主宰者は、旅費を負担したからには見るものは見てもらおうとし、あちこち引っ張り回す。こちらもそれは断れず、大会の様子を見学したり、グリンデルワルトへ足を延ばしたり、観光客さながらのスケジュールをこなさなければならないのだ。合間にはスキーである。10名ほどのグループで滑りにいくのだ。

このスキーが問題だった。スイスのゲレンデは広い。高低差もかなりあるので、日本のようにちまちまターンを繰り返す滑りをしていたら、いつまでも降りてこれない。おのずとターンの少ない、スピード重視の滑りになるのだ。緩斜面はいいとしても中級コース以上になると滑っているうちに後傾になり、転倒を避けるためにスピードを緩める。そのため、ぼくは集団についていくのがやっと。後ろ向きで滑ることも苦にしないような連中のなかでダントツの下手っぴいである。中には「本当にスキー雑誌の記者なのか」と嫌みを言うヤツもいた。気持ちはわかる。レベルの低い人間が混じっているため自由に滑れなければストレスもたまる。

なんとかはぐれずにいられるのは、もうひとり素人スキーヤーがいたからだ。旅行雑誌のカメラマンで、ライターも同行せず、ツェルマットの写真を撮影してきてくれと送り出されてきたらしい。ぼくたちは弱いもの同士助け合う形で、コースアウトしないように声を掛け合って滑っていた。

最悪だったのはJバーである。日本のスキー場は設備が新しく、ゲレンデの上まで行く方法はリフトが多い。しかし、こっちではTバーといって、スキー板を雪面につけたままバーに腰掛けて登るタイプが主流である。しかも、コースが長いためバーに乗る時間も長く、油断すると轍から足がはみ出してバランスを崩す。Jバーは一人用のバーで、Tバー以上にバランスを崩しやすい。リラックスしていれば何でもないと上級者は言うのだが、どうしても緊張するので、しばしば轍に足を取られ、転倒してしまうのだ。たびたびそれをやるので、ぼくは周囲の失笑を買っていた。

日差しが傾き、リフトの営業終了が迫ったころ、Jバーで登って一気に下の町まで滑り降りることになった。1回目、20メートルも進まないうちに転倒。2回目、40メートルでやはり転倒。初心者仲間のカメラマンに「がんばれ」と声をかけられ、もう一度乗り口へ戻ると、係のオヤジに「これで最後だ」と叱咤された。ビビりながらJバーに腰掛け、上を見る。150メートルほどの距離が果てしなく長く思えた。降り口の脇ではグループの全員が集まってこっちを見ている。

とにかく余計な力を入れちゃダメだ。ぼくは歌を歌いながら、轍からはみ出さないことだけを意識しようとした。でも、次第に力が入ってくる。50メートルを超えたあたりで、ぐらつきを支え切れなくなり、あっけなく転倒。同時に、予告通りバーの運行は終了した。

みじめだ……。

板をハズし、担いで登るしかなかった。15分後、大汗とともに上へたどりついたぼくを、皆があきれ顔で見つめる。どうしてJバーごときで転ぶんだという目。わかってる、俺だって自分に失望してるんだよ……。カメラマンだけが「大変だったなあ」と慰めてくれた。

そんな具合に、華麗にアルプスを滑るなんてできやしなかったのだが、なんとかかんとか取材は進み、マッターホルン越えしてイタリアまで行ってみたりして、筋肉痛に泣かされた以外は元気に過ごした。

帰国し、すぐさま預かった写真を現像。レイアウトに回して10ページくらいの特集に仕立てる。これが、ぼくが単独取材で大きな記事を書く初体験になった。ツェルマットを滑ったスタッフは周囲にいなかったから、ある意味書きたい放題だ。出来映えはともかく、自分の体験や印象を自由に描くことが単純に嬉しかった。

共にお荷物となったカメラマンとは、苦労した分だけ親しくなり、帰国後も会うようになった。フリーになったばかりで張り切っているようなので、いつか一緒に仕事したいと言うと、日焼けした顔がほころぶ。

「滑らない仕事なら、ぜひ!」

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

このエントリへの反応

  1. 懐かしいです。あそこが御二方にとってもスタート付近だったとは。
    「○研なんて出版社じゃないよ!」と言われたりもしたなあ、と。あの蔵王でのイビキの夜も、懐かしい思い出です。