2009-12-07

高橋名人とカメラ [下関マグロ 第14回]

このシリーズには多くの個人名や会社名が出てくるが、ほとんどは月並みな仮名にしてある。しかし、編集プロダクションの社長につけられた「パイン」という名前は、なんだか突拍子もない感じがするだろう。

それには理由がある。パインというのは仮名ではなく、僕と伊藤秀樹だけが使っていた社長のあだ名なのだ。
ちなみに由来は、とりあえずパイナップルとは関係がないとだけ言っておこう。詳述は避けるが、名前の一部分を英語にするとそうなるという単純なものだ。

パインは、歌舞伎役者のような古いタイプの二枚目で、声が低く、話し方に妙な説得力がある男だった。

パインの事務所に顔を出すようになってから数日後のことだ。

「会社の名前、『オールウェイ』にしたよ。ほら、前に話しただろ、これからの編集プロダクションはいろんな道で食っていかなきゃいけないんだから」

パインはニコニコしながらそう言って、名刺の入った箱を僕の前に置いた。パインが僕の名刺を作ってくれたのだ。見ると、有限会社オールウェイとあり、僕の名前の横には「営業部」という文字が入っていた。ちなみに他の人たちは「ライター」とか「エディター」という文字であった。もちろんパインの名刺には代表取締役と書かれている。

この名刺を持って、僕はパソコン関連の会社へ営業に行くことになったのだ。

パインが編集を請け負っていたパソコン関連雑誌やムックに掲載する、広告をとってくるのが僕の仕事である。

といっても、給料を貰うわけではない。出来高制で、広告を取れればそこからいくらか貰うという約束であった。

ずいぶんといろいろな会社へ出かけて行った。秋葉原などの会社を飛び込みで一軒一軒まわった。我ながらよくやったと思うのだが、成果はまったく出なかった。

とはいえ、オールウェイの誰にも言っていなかったけれど、僕は当時、失業保険をもらっていたので、実はお気楽なものだった。まあ、取れなければ取れなかったでいいか、くらいの気持ちで、せっぱ詰まったものはなかった。

それで出かけていった会社のひとつが、オールウェイの近所にあった「ハドソン」というゲームソフト制作会社であった。そこは分室なのか、マンションの一室にあり、大きな机でゲームをしている男がいた。

あ、テレビで何度か見たことがある、高橋名人だ。彼は当時一世を風靡していた、有名なファミコン名人だった。
飛び込みで入ったにも関わらず、高橋名人は僕の話を聞いてくれた。

時折、ヘッドセットタイプの電話機で誰かと話すのだが、それが終わると、また話を聞いてくれた。妙に話がはずみ、広告営業だけではなく、『ムサシ』で女の子の写真を撮った話などもした。

すると高橋名人は、自分が持っているカメラを買わないかと言い出した。見ればけっこう高級な一眼レフカメラである。ほとんど使わないので、半額でどうかと言う。金額はよく覚えていないが、2、30万円だったろうか。しかしそんな金は持ってない。そう言うと名人がこう言った。

「ちょうどね、欲しいビデオデッキがあるんだけど、それをローンで買ってくれればいいよ」

つまり、ビデオデッキの代金(今調べたところ、当時のビデオデッキは10〜15万くらいだったようだ)をローンで支払えば高級一眼レフが手に入るというわけだ。僕は、心当たりがあるからちょっとまってくれと言い、急いでオールウェイの事務所に戻り、伊藤ちゃんにその話をした。
というのも、僕はすでに中古の安い一眼レフを自分で購入していたので買う必要がなかったのだ。そして、ふたりで街頭の女の子写真を撮る仕事をしていたとき、彼も自分で撮りたいというようなことを言っていたのを思い出したのだ。

この話はうまくまとまり、伊藤ちゃんは高級一眼レフカメラを手に入れた。いま考えれば、当時の伊藤ちゃんに高級一眼レフが本当に必要だったのかとか、色々なことを思うのだが、当時の僕らはそういうことは考えない若者だった。

そんなこんなで、1984年は暮れようとしていた。それとともに僕は少々あせり始めていた。失業保険の支給が12月で終わるからだ。

広告営業のほうは思わしくない。来月からどうすりゃいいんだろうか…と思っていると、オールウェイで伊藤ちゃんが声をかけてきた。

「まっさん、ライターの仕事なんだけど、『とらばーゆ』って雑誌、やる?」

おお、有名雑誌じゃないか。僕がそんなのやっていいのか……。つうか、できるのか。

しかし、仕事はない。やるしかないだろう。だいたい、いくら飛び込み営業をやっても広告が取れなきゃお金にならない。しかし、ライターは原稿さえ書けば金になるのだ。

当時、『とらばーゆ』はリクルートではなく就職情報出版という関連会社から発行されていた。新橋のビルに編集部はあった。僕はそこで初めての原稿書きに挑戦することになるのだ。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

このエントリへの反応

  1. [...] 考えてみれば当時の僕らには、スキー雑誌だろうがなんだろうが、取材をするためのスキルが意外と身についていた。たとえば、取材に写真撮影はつきものだ。僕らよりも上の世代はカメラマンと記者は分業化されていたけれど、僕らの頃からはライターも写真を撮ることが多かった。街頭や海水浴場で女の子の写真を撮り続けた『ムサシ』の仕事も無駄ではなかったのだ。この取材でも、伊藤ちゃんは高橋名人から買ったキャノンAE-1を首からぶら下げていた。僕はニコンのFAで、いずれも一眼レフカメラだ。 [...]