2009-10-19

ほろ苦い焼き鳥の味 [北尾トロ 第10回]

1985年になっても代わりばえのしない日々が続いていた。1月、ぼくは27歳になったが、それで気持ちが変化するわけでもない。唯一の趣味であり、かつては生活費稼ぎの手段でもあった競馬は、資金難のため当分封印。週に3日ほど四谷に行く他は、自宅でおとなしく過ごす。借金した100万円がきれいさっぱりなく なったので、前年にやった仕事のギャラが銀行に振り込まれるのをひたすら待つ毎日だった。もっとも、入金額が少ないので、家賃を払うといくらも残らなかったが。

だからといって暇を持て余すかというとそうでもない。時間があるし、周囲には似たような連中が多いから、ちょくちょく誘いがかかるのだ。用件が仕事じゃないだけなのである。

前年の秋頃はテレビ局の仕出しアルバイトなどで忙しそうにしていた増田君も、いまでは以前のようにヒマそうで、赤い3輪スクーターに乗っては遊びにやってきた。やっと花開いたかに思えたオフィスたけちゃんだったが、あっという間に開店休業状態に戻ったようだ。

「時間あるでしょ。これからニューメキシコって事務所に行くんだけど、すぐそこだから一緒に行かない?」

ある日、いつものように喫茶店でうだうだしていたら、増田君に誘われた。ニューメキシコは広告代理店のようなところだが、名刺を作ったりもしていて値段が安いので、新しいのを頼めばいいという。ぼくは引っ越してから名刺を作らず、住所をボールペンで書き換えた古いのを使っていたのだ。

ニューメキシコの事務所は吉祥寺駅からすぐ、映画館の並びにある大きなマンションにあった。1DKくらいで広くはないが、いかにもオフィス然としている。代表は水島という同い年のヒゲ男だった。

「ぼくは小さな出版社で編集やってて、独立したばかりなんです。一応広告代理業をやってます」

友人を誘って男3人でやっているという。水島君の机の上には、雑誌に入校する広告のゲラなどが積まれていた。なんかすごいな、ちゃんとしてるな。

「いやいや、まだ会社組織にしてないんですよ。いずれはそうしたいんだけど、旅行雑誌の枠を埋める広告取りをボチボチやってる状態で、地方の宿に電話営業しては出稿をお願いしてます。希望としては、編集タイアップ記事とか、ムックとか、そういう仕事をしたいんだけど。まあまあ、ごゆっくり。ぼく、ちょっと外に行ってきます」

まあそうか。でなきゃ名刺をデザイン込み100枚2千円で作る仕事なんかしないよなあ。ここにもまた、駆け出し仲間がいたというわけだ。

戻ってきた水島君は、なぜか焼き鳥を手にしていた。

「仕事中だからビールってわけにも行かないけど、これ、良かったらどうぞ」

あちゃー。こっちは手ぶらできたのに、なんだか悪い気がする。手を出さずにいると、増田君が「うまそうだね、ごちそうになります」と1本取った。

「水島君は気ぃ使いなんだよ。でも、せっかくだからキミも食べたら」

名刺100枚の利益が飛んでいったに違いない焼き鳥の味はほろ苦かった。吉祥寺とはいえ一等地にオフィスを持ったら、小さな仕事をこなすだけでは追いつかないはずだ。内情は結構大変だろう。ぼくもまっさんも水島君も、いまのところてんで冴えないな。

それでも、これが縁でぼくたちはときどき会う関係になっていき、やがて同じ雑誌で仕事をするようにもなるのだから世の中わからない。さらにその後、水島氏の同僚から紹介された仕事がきっかけのひとつとなって、増田剛己と伊藤秀樹だったぼくたちが、下関マグロや北尾トロとして活動していくことにもつながっていく。

ニューメキシコは、焼き鳥をごちそうになってしばらくしてから会社化し、水島君は社長になった。会社は順調に成長し、社員も増え、西新宿に広いオフィスを構えていた時期もある。ぼくの結婚式に水島君がきたり、彼の子供を見に自宅まで遊びに行ったり、つきあいは長く続いた。

いつの頃だったか、水島君の会社が危ないという噂が聞こえ、しばらく経ってから倒産したことを知らされた。連絡を取ろうとしたが、電話番号も変わっており、水島君がどこにいるかわからないまま現在に至っている。

名刺100枚の客のために自ら焼き鳥を買いに行ってしまう水島君は、おおらかで人の良い女好きだった。でも、少し見栄っ張りで、アバウトすぎたのかもしれない。焼き鳥を食べようと食べまいと、ぼくたちはすぐに打ち解けたはずだったから。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった