2009-06-22

初めて出会ったフリーライター [下関マグロ 第2回]

大阪から東京へ来て、雑誌『スウィンガー』を発行する会社に勤務することになった1983年の春。東京駅から中央線に乗って驚いたのは、窓から見える桜の美しいことだ。飯田橋あたりから四谷にかけての線路脇の土手には、桜の樹が植えられている。

初出勤の日、会社で新入社員歓迎会を兼ねた花見が催されることとなった。場所は電車から見た土手だった。

小さな会社で、新入社員といっても僕ひとりだけである。それでずいぶんと飲まされ、いつしか酔いつぶれてしまった。生まれて初めて、前夜の記憶がないほど飲んだ。そして、気がつけば、まったく知らない家で目が覚めた。

「増田くん、増田くん」

と、僕の名前を呼ぶ男がいる。起き上がると、そこにいたのは、同じ会社の編集部にいる鈴木くんであった。どうやら、彼がタクシーで自分の家まで運んでくれ、蒲団に寝かせてくれたようだ。

鈴木くんは年齢は僕より二つ下だが、すでに社会人として経験を積んでいた。SESに来る前は『ぴあ』で編集の仕事をしていたと言っていた。僕は、鈴木くんのことをいつしか尊敬の意味も込めて「スーさん」と呼ぶようになっていた。

会社に入って、半年ほどした時期にスーさんが、

「いい物件があるから一緒に住まない?」

と言ってきた。2DKの家で、風呂もあると言う。場所は中野坂上。マンションの名前がよかった。「フレンドマンション」である。友達かぁと僕は思った。考えてみたら東京に友達は少なかったからだ。

前述したように僕は、上京して最初は荻窪の風呂なしのアパートに住んでいたのだが、そこは家賃が3万円くらいだった。アパートといっても普通の民家を改装した造りで、6畳の部屋にトイレと簡単なキッチンがついているところだ。近くに銭湯があったので、そこを利用していたのだが、仕事で遅くなったときなど、銭湯に行けない場合もしばしばあった。だから、できれば風呂があるといいなと思っていたとことで、スーさんの提案である。家賃が10万円。二人で折半すれば5万円ずつとなる。

というわけで、鈴木くんと一緒に住むことになった1983年の秋である。営業部員である僕は朝に出かけたが、編集部員の鈴木くんは昼過ぎに会社に行くことが多かった。

スーさんと一緒に住むということで、僕も編集部に顔を出すことが多くなった。

一般の人は、スワッピング雑誌の編集部というと、いかがわしいものを想像するかもしれないが、実はごく普通の仕事をしている。男性3名、女性2名くらいの内訳で、僕がいた頃、実際にプレイをしている人などいなかったと思う。これは他のエロ本や変態雑誌も同じことである。マジメに仕事をしなければ本は出ない。扱う文章や写真がエロなだけで、仕事そのものは普通の雑誌と変わらないのだ。

当時の『スウィンガー』の編集長は佐々木公明という人で、僕よりひとつかふたつ上であったろうか。編集部にいるとき、この佐々木編集長から、何か新しい企画はないかと問われた。そこで、提案したのがテレフォンアタックというコーナーの企画である。

それまでスワッピング雑誌は手紙の回送という形でメッセージ交換をしていた。たぶん、文通など手紙というメディアが主流の時代だったからだ。そんなまどろこしいことをしないでも、電話番号を誌面にそのまま出すという方法があるのではないかと提案した。もちろん、まだ携帯電話もない時代である。自宅の電話番号を誌面に公開するわけだ。カップルや夫婦の人は無理だとしても、独身でひとり暮らしの自分のような人間なら、気軽に電話番号を掲載するのではないかと思ったのだ。この提案に対してして編集長は、

「おもしろいけど、最初はメッセージないから、増田くん載せてよ」

ということで、自分がメッセージを出すことになった。

その日以来、ウチの電話は鳴りっぱなしだった。かけてくるのは、夫婦、カップル、単独の男女というように様々な人たちであった。

もちろん、スーさんは編集部の人だから、そういう電話がかかってきても理解はあったというか、文句を言わなかった。しかし、おもしろいと思ったのも最初のうちだけで、そのうちだんだんつまらなくなり、スーさんも僕も我が家にくる人たちに電話をとらせていた。考えてみれば、これはテレクラそのものなんだけれど、お金などは取っていなかった。そのうち、増田のところへいけば、エッチな人妻から電話がかかってくるぞ、というような噂が広まり、様々な人が我が家を訪れるようになっていた。

そのひとりがフリーライターの宮津(仮名)であった。彼は僕よりも二つ三つ上で、体格の大きな人で、風俗を中心にライター活動をやっていた人だ。このとき僕は初めてフリーのライターと称する人に会った。

もっとも、フリーライターという職業を知ったのは、日本テレビの『11PM』という深夜番組だった。中学生のころ、親の目を盗んで、こっそり見ていたのだが、そこにはポール・モーリアの「オリーブの首飾り」のテーマ曲とともに、中年男が登場し、風俗の現場をレポートするというコーナーがあった。「フリーライター
いそのえいたろう」というテロップが流れており、僕はそのとき、初めてそれがフリーライターという職業があるのだということを知ったのだ。

テレビの中ではなく、現実のフリーライターと会ったのは宮津氏が初めてだったろう。

宮津氏は、いろいろなものを我が家に持ってきてくれた。そのなかでもおもしろかったのが、警察無線を傍受できる受信機。これはヘタなラジオ放送よりも迫力がある。事件の捜査状況がすべてわかるのだ。独特の符帳のようなものがあり、最初はよくわからなかったが、聞いているうちに、警察へ通報がされ、事件現場に警察官が行って、解決するといった顛末がすべてわかるのだ。交通事故、窃盗、喧嘩など様々なものがあった。テレビでよくやっている警察活動に密着したドキュメンタリーをリアルタイムで聞いているようなかんじなのである。

今はデジタル化、暗号化されていて、傍受することは困難になったが、当時はまだ秋葉原へ行けば、警察無線を傍受するための受信機は売られていたようだ。

そのほか、刺青のシールや大人のオモチャなど目新しいものもいろいろ見せてもらった。時に宮津氏は自分が書いた記事が載っていると夕刊紙も持ってきてくれた。「ほら、ここにあるこれ」と宮津氏が指さした記事は、小さな風俗記事が多かった。ソープランドなどのお店を紹介する記事で、宮津氏は少し得意げに、自分の書いた文章を読みながら解説を加えていく。

「短い文章だけど、最初のところで、笑いを入れて…」

というような具合である。おお、この文章を書いた人が、目の前にいるのだということが、なんだかものすごいことのように感じたものだ。

このように新しい世界を次々に見せてくれた宮津氏だが、あるとき、氏から電話があった。近所で風俗嬢のお姉さんたちが飲んでいるので、来ないかと言うのだ。たまたまウチの近所だったこともあって、僕は出かけて行った。

そこには、中野新橋のマンションの一室であった。行くと、そこには、宮津氏とソープランドに勤務しているお姉さんたちが数名いた。お酒や高そうなお寿司がある。なんでも、この部屋のお姉さんが、このところ2回も泥棒に入られたそうで、ゲン直しに宴会をやっているそうだった。そして、ここにいるお姉さんたちはみんなソープランドで働いている人たちだそうだ。宮津氏はすぐに帰ってしまったが、この宴会は実に楽しかったことを記憶している。風俗ライターをやれば、こういう楽しい体験ができるのかと思った。

ところが、その後、宮津氏と会うことはなくなった。くわしくは後述するが、その後、ライターになった僕のところに宮津氏から電話があった。9年後のことである。

「金を貸してもらえないだろうか」

宮津氏はそう言っていた。噂は聞いていたが、ずいぶんと金に困っているらしい。電話ではなんとか断ったのだが、宮津氏は、当時僕が住んでいた明大前の家までやってきた。僕も金がたくさんあるわけではない。5万円貸してくれと言う宮津氏に対し、僕は明大前のマンションの前で銀行からおろした3万円を渡した。

「借りたら、このままトンズラこいちゃうと思っているでしょう」

金を受け取り、バイクに跨った宮津がそう言った。ドキリとした。本当にそう思っていたからだ。5万円はちょっと痛いが、3万円なら、いろいろいい思い出をくれた宮津にあげてもいいと思っていたのだ。僕が何も答えずにいると、宮津氏は

「そんなことないですよ。必ず返しますから」

宮津氏はそう言い、バイクを発進させた。甲州街道を走り去り、小さくなっていく宮津氏の背中に「返さなくてもいいですよ」とつぶやいた。もちろんその後、宮津氏からはなんの連絡もないし、金の返済もない。

この連載が単行本になりました

さまざまな加筆・修正に加えて、当時の写真・雑誌の誌面も掲載!
紙でも、電子でも、読むことができます。

昭和が終わる頃、僕たちはライターになった


著●北尾トロ、下関マグロ
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0159-0 C0095
四六判 / 320ページ /並製
[2011年04月14日刊行]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった

電子書籍版『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』も、電子書籍販売サイト「Voyager Store」で発売予定です。


著●北尾トロ、下関マグロ
希望小売価格●950円+税
ISBN978-4-7808-5050-5 C0095
[2011年04月15日発売]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
【電子書籍版】昭和が終わる頃、僕たちはライターになった