2008-07-26

教室を書庫に

 図書館は原則として、蔵書として登録した本はそのままずーっと所蔵し続ける。

 だが実際のところは、図書館を利用している多くの人が知ってのとおり、保管場所がないために定期的に配布したり廃棄処分にしている。
 まとめて他の図書館に譲る場合もあるが、いずれにせよ毎年新しく入ってくる本の置き場を確保するため、常に図書館の本は間引かれている。

 一般に間引かれる本は、ひどく破損・汚損していて補修不能なものや、旅行ガイドみたいな古くなると利用価値がなくなるものが真っ先に対象になるが、それだけでは十分なスペースを確保できるわけではない。
 だから、買ってから何年経ったとか、長い間利用されていないとか、除籍条件をそれぞれの図書館で決めた「除籍候補リスト」をつくっている。
 その中から、司書が「これは絶対に除籍しちゃダメだ」と判断したものを除いて、あとは機械的に除籍してしまうのが普通のやり方だと思う。

 こういう状況を見ていると、いっそ置き場がないから新しい本は買わないという考え方もあっていいんじゃないか?なんて思ったりもする。

 幸い僕のところでは、まだまだ書庫に余裕があるので、開館以来一度も大々的な除籍はやっていない。恐らくあと5年以上、本の置き場に困ることはないが、書庫が溢れる前に対策を考えなければ、やはり毎年購入する分だけ廃棄して場所を確保するというサイクルに入ることになるだろう。
 そこで、将来的には小中学校の空き教室を書庫に使わせてもらえるよう、早めに話を進めてみることにした。
 既に、僕のいる市立図書館ができる前からあった公民館図書分室の児童書を、書架ごと幾つかの学校に分散配置したことがあるので、こうした話が比較的通りやすい状況でもある。
 教室に集密書架を入れて、何万冊も置こうとすれば、床の補強工事やら何やら大変な費用がかかってしまう。そこで、使用する教室数を増やして分散配置し、なるべく工事費がかからないようにしたいと考えている。
 少子化でどんどん増えていく市の小中学校の空き教室を、そうして活用すれば、各拠点と公共図書館との間に人や資料の流れが出てくる。
 それを足がかりに公共図書館の学校支援機能を充実させるとか、自治体内の広域サービスに繋げるといった展開も考えられる。
 昨今の物騒な事件の影響で、小中学校を一般に開放することに否定的な風潮もあるが、日曜日の校庭開放のように、施設そのものを一般に開放する動きは健在なのだから、十分に実現できるだろうと思う。

 ところで地方自治体の内部にある一般論として、自治体にはその規模に応じて必要十分な蔵書量を揃えれば良いという考え方がある。

 そんな考え方の根拠は、文部科学省の「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」の報告書に記載されている数値目標だと思っていたが、実はそうではない。むしろ隣の自治体と比較してどうかという、横並び意識から出てきた考え方のようだ。
 確かに考えてみれば、大勢の行政職員がそんなマイナーな図書館の基準を知っているとは思えない。
 これはもう、本当に単純な横並び意識なのだから、本を廃棄せず蔵書数が増えて続けると、隣町と比べて充分に本が揃ったということになったとされてしまうのだ。
 そうなってしまうと、即座に図書購入予算を削りにかかることさえ十分考えられる。
 そんな環境に置かれた図書館が、本を買う予算を維持していくには、本を捨てて蔵書数を減らすのが手っ取り早いのだが、だからといって大量に本を廃棄することは図書館の使命を放棄するようなもの。
 姑息なようだが、帳簿の上では蔵書数を減らしつつ、黙って資料を保管し続けるのが、精一杯の抵抗ということになるのかもしれない。

 実際に、上層部で廃棄処分と決められた資料をどうしても捨てられず、黙って保管しているという公共図書館員の話を何度か聞いたことはある。
 そのように、担当者が異動になればお終いという非常に危うい状況で、細々と資料を保管している例は多い。

 こうした状況で現場にできることといえば、埋もれた資料をできるだけ表に出して、広く知ってもらうことだ。
 こんな資料がありますよと、様々な方法でとにかく伝えていくことが、地道だがもっとも図書館らしく効果的な取り組み方じゃないかと思う。
 せっかく収集した貴重な資料を廃棄せずに済む環境の確保や人材配置を、首長・議員・役所が明確に意識できるかどうかで、この先10年間で失われる資料の量は大きく違ってくる。
 それはよくわかっているが、図書館屋がひとりでロビー活動したところで、あまり効果的ではないだろう。
 やはり司書は司書なりに、図書館の機能を広く知ってもらえれば意識が変わると信じて、地道な情報発信で支持を得ることを目指すのが、最善の方策なのだろうと思う。