2005-05-16

石原慎太郎・知事のフランス語批判

石原慎太郎・東京都知事が次のように発言しました。

「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている。笑止千万だ」(http://www.classes-de-francais.com/ishihara/i01.html)

石原知事は時折、意味不明の発言をされますが、これも何を意図しているのか分かりません。フランス語として当然、「数を勘定」できます。

このエントリへの反応

  1. >これも何を意図しているのか分かりません。フランス語として当然、「数を勘定」できます。

    想像はつきますよ。例えば、

    99=4X20+10+9(quatre-vingt-dix-neuf)

    のような、日本人から見ると、かなり複雑な表現をするからでしょう。

    石原氏も、バカウヨを喜ばせるだけの内向きの暴言に終わるだけじゃなく、去年、ドノラエ・パリ市長が来日したときに、彼の目の前ではっきり言って欲しいですね。多分嘲笑されるだけですが。

  2. フランス語を学んでいると必ずでる一言じゃないですか?(笑)
    それに「反対のための反対」って連中はよくやる(偏見)

  3. 及川さんより他の人がつけたコメントの方が鋭い(笑)。及川さん、ファイト!

  4. >BOO様

    強力な書き込み陣で光栄です。。。

  5. 夏目漱石や森鴎外は、金を動かして利益を追う経済行為を軽蔑していたようである。これは江戸時代の武士道・儒教の倫理観に由来する。しかしヨーロッパには資産を運用してきた長い長い伝統と蓄積がある。その蓄積の上に立って、文化事業や学問研究に金を出したり、奨学金・年金を払ったり、街づくりや社会福祉をやってきたのである。しかし漱石も鴎外も国民の税金で留学させてもらいながら、そういう面は見損ねたようである。鴎外・漱石に代表される当時の知識人は、欧米の制度だけは真似しようとした。しかし欧米社会の基盤である資産運用の伝統を無視しながら、制度だけ真似したらどうなるのだろうか。遅かれ早かれ行き詰る、破綻するしかないだろう。

    「額に汗して稼ぐのが正しい生き方で、浮利を追うのは邪道だ」という批判は根強い。経済犯を逮捕する検事たちも同様のことを言っていると聞く。この考えはたしかに一理あるし、わたしは経済犯罪には反対である。しかしこの考え方は、農民の価値観である。物作りは立派な生き方であるが、それで稼いだ金を運用する人間が必要になってくるのは当然である。100人に株で運用競争させれば、うまい人が何人か出てくる。それをいちいち嫉妬してつぶすような真似をやっていては、いつまで経っても運用できる人間が育たない。はっきり言うが、それは嫉妬以外の何者でもない。自分より金を稼いでいる人間が気にいらないという感情である。

    その結果、ノウハウを蓄えた外資に食い物にされる。上記のようなセリフを吐く検事たちは、自分を愛国者だと思っているようだが、結果から見ると、国民の財産を外資に売り渡していることになる。今の日本に求められているのは、農民体質から脱却して、あらたな段階に入ることである。