2009-10-29

お部屋1970/図書館の中では見えないこと 2・こんな図書館があったら

前回具体的に見たように、マイクロフィルムや復刻を除けば、『エロスの原風景』に出ているものの、おそらく9割は、国会図書館にもない。でもなあ、『きぬふるい』は、名古屋市立図書館に6冊もあるのかあ。悔しいなあ。

そのマイクロフィルムの元になったカストリ雑誌の現物はアメリカにあるわけで、いかに日本の図書館が貧困かよくわかります。ブツがないこと自体も貧困ですが、これを「おかしい」と気づけない頭が貧困なのです。その貧困さこそが、今回の多摩図書館の廃棄本を無理矢理保存しようとする動きにつながってます。

「こういうものをしっかり保存しなければいけないのではないか」という意見は一向に盛り上がらず、そのくせ、どこの図書館にもゴロゴロとあって、なおかつたいして利用されていない地域資料については大騒ぎをする。騒ぐところが間違ってます。

何度も繰り返しておくと、もちろん、地域資料は重要なのですよ。図書館では、ほとんどそれしか私は利用していないくらいで、私にとっても重要。

しかし、おそらく地域資料なんてほとんど利用したことのないような人たちが今回過剰に騒いでいるのではないか。棚を想像できず、「その資料がどの程度の意味でどう重要か」が理解できていないから騒ぐ。

過剰に騒ぐのでなく、「廃棄する本の全タイトルを出して欲しい」「改めて、都内の図書館の所蔵品と、どの程度重複しているのかを調べて欲しい」と要求するくらいはいいとして。そんなことをしても無駄だと思いますが、それで納得するなら、そうすればよい。

地域資料の重要性を認識しているつもりの私でも、『武蔵野市史』が49カ所もの図書館にある必要性がよくわからない。多摩地区の図書館と、武蔵野市役所の資料館と、市内の学校と、都立中央図書館と、国会図書館にあればいいのではないか。現に収蔵されているのだから、わざわざ捨てることはないですが、廃棄する事情があるなら廃棄していい。

その分、都立多摩図書館は、これまで公立図書館が見ようとさえしていなかった資料を集めればいい。漫画は明治大学が始めたのでもういいとして、また、エロは私がやっているのでいいとして。

「日本について触れている海外の文献」「世界の地図(古い日本の地図を含む)」「探偵雑誌、健康雑誌、ゴシップ雑誌などの大衆誌」「各種業界紙誌」「政党の紙誌、右翼左翼を問わない党派の機関紙などの政治文献」など、「あったらいいのに」と思える切り口はいくらでも考えられます。

もし私がなんでもやっていいんだったら、「一枚もの」の図書館を作りたい。印刷したものでも、一枚ものは図書とは言わないですが、浮世絵は美術館の領域だとして、引き札(木版あるいは石版による広告チラシ)となると美術館では、そうは保存していないでしょう。博物館の方があるかも。

検索してみたら、大阪市立近代美術館準備室というところにはあるようです。ここに出ているのは木版で、私は石版のものが好きです。より新しい時代になるため、価格は安く、私も十枚くらいは所有していると思います。

多くは町の商店が発行しているわけですから(元になる図柄はフォーマットがあって、文字をそこに重ねるだけですが。うちわと一緒です)、これは優れた郷土資料でもあります。郷土資料館こそ、こういうものを保存すべきですが、郷土資料館なんてものがない地域も多く、あったとしても集めてないんじゃなかろうか。農具の類いはどこの資料館にもありますけど。

こちらで讃岐の引札を見ることができます。石版のものも見られます。これは個人のコレクションです。公共の施設がやらないことを個人がせっせとやっています。

今はそこそこの値段がつく引札ですが、これも戦後間もなくまでは値段がつかず、昭和30年代になっても「蔵の古書を引き取った時に、大量の引き札が出てきて、トラックいっぱいに積んで全部捨てた」と古本屋が言ってました。なんてことを。

しかし、その時代においては保存する価値があるとは思えない。時間が経たないと価値は見えない。だから、今現在価値が固定されているものだけ見ていては、資料保存ができません。

そこで、我が図書館では新聞の折り込みチラシまで保存したい。こんなん、どこも保存していないでしょう。「スーパーマニア」としては絶好の資料です。

あとは切符とか入場券とか各種フライヤーとか卒業証書とか結婚式の案内状とかポストカードとか税金の催告書とか。切符は鉄道関係の博物館にあるからいいか。古いものだと召集令状とか、ヘリコプターでチラシをまけた時代のチラシとか。もちろん、ピンクチラシも。

図書館とは言わないかもしれないですが、こういうものが日本にひとつくらいあっていい。一館丸ごとじゃなくても、どこにでもあるものを並べるくらいなら、こういう郷土の資料を集めて保存した方がどんだけ意味があるか。

図書館の人たちは図書館の外に大量の資料があることに目を向けない。立脚点が内部にしかない。図書館で培われた価値観を自明のものとして疑わない。どこの図書館でも同じものを揃えていることを改革しようともしない。すでに図書館にあるものを後生大事にしているだけ。日本最大の印刷物のアーカイブは、多数のコレクターが分散して保存していることを認識さえしていないかも。

今回の一件について、「都立中央図書館にしかなくていいのか。災害があったらどうするのか」という意見もありますが、市立や区立にいっぱいあって、国会図書館にもあるから大丈夫だってばさ。東京に水爆が十個くらい落ちてきたら、全部焼けてしまうかもしれないですが、そんなことになったら、都内百カ所に保存したって無駄です。

もし本当にそんなことを考えているのであれば、保存のため、図書館という場所に集中させること自体間違っています。全国の本好きの人たちが分散して保存するのがもっとも安全です。

一方でデジタル保存も進んでいて、図書館の基準で「貴重」と思われるものは二重三重に保存性を高めていて、図書館の基準でそこに入らないものは、クズのごとくに扱われていることのおかしさにいつになったら気づけるんだろ。

続きます。

このエントリへの反応

  1. 「あったらよいな」良いですね。模索社の魅力もそれかもしれませんね。
    右翼左翼を問わない党派の機関紙とありましたが。左右活動家の機関紙事情としては結局似たような思想ではなく。
    関係者(党員、隊員、友好団体)など関係者しか買わない物です。
    活字活動としては例えば右翼であれば関係者以外の右翼思想を持った読者、一般読者、また左翼、など大衆啓蒙をする機会としての読者獲得をする場としては大いに役立つ場所が模索社ではないかと思う。
    さらにバックナンバーも気軽に読みたい変わり者は沢山居ますね。

    一昔前の風俗案内所も然り、高額な維持費を要するインターネットホームページを持たなくともパネルやチケットの工夫でお客を獲得できたし。
    風俗店もお客も楽しんでおられましたね。
    (そういえば東京都条例ではなく新宿区条例だか警察署と折り合いがついているのか解りませんが新宿はまだキャバクラであればチケット置けるようですね)

  2. 党派機関紙の熱心な購読者に公安がいるのをお忘れなく。模索舎の常連です。

    一水会の「レコンキスタ」は20代から30代にかけて10年くらい購読していて、ずっと保存もしていたのですが、数ヶ月前に邪魔臭くて捨ててしまったぜ。私にとってはエロの方が大事なので。

    キャバのチケットが案内所にあって、風俗店のチケットがないのは東京都の迷惑防止条例です。

  3. [キャバのチケットが案内所にあって、風俗店のチケットがないのは東京都の迷惑防止条例です]これはこれは当事者ながら間違った見解を持っていました。
    現実で恥をかかずに済みましたありがとうございます

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