2015-01-22

ニーチェ『道徳の系譜』【詳細レジュメ】

読書のお伴に。補足や解釈もかなり入ったものです。哲学書をじっさいに読んでみたい方、どうぞ。各節、最初の一段落は石川導入(リード)。そのあと、内容要約。“○”印以下は石川まとめ・補足コメントです。なお、ニーチェ原文は節番号のみのため、節タイトルは石川がつけました。
翻訳テキストは、信太正三訳「道徳の系譜」(『善悪の彼岸/道徳の系譜 ニーチェ全集11』、ちくま学芸文庫、1993年所収)。中山元訳『道徳の系譜学』(光文社古典新訳文庫、2009年)も参照。
独文テキストは以下のページを参照。
Nietzsche.tv
 →ニーチェ『道徳の系譜』【要約レジュメ】
 →ニーチェ『道徳の系譜』【帰ってきたニーチェ】
 →石川輝吉の“どうぞご自由に”レジュメ集について

※レジュメは連載形式で公開していきます。2週間に1回程度の更新を予定しています。
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“どうぞご自由に”レジュメ集 by 石川輝吉 is licensed under a Creative Commons 表示 – 非営利 2.1 日本 License.

序言

1 自己認識の問題

 「われわれはわれわれにとって未知である。われわれ認識者、そのわれわれ自身が、われわれ自身にとって未知なのである」という一言ではじまる導入部。なかなかわかりにくい部分もあるが、ここでニーチェが使っている二つの比喩を中心にまとめると、言いたいことは以下のとおりのはず。

 ミツバチの生には巣箱という中心がある。そこに蜜という宝物が集められている。ところが、外に出てせっせと蜜を集めることに夢中になっているミツバチは、巣箱に宝物があることを忘れてしまっているように見える。これと同じようなことが、われわれにも起こっている。われわれの認識には自分自身という中心がある。知ることは、自分自身から発し、自分自身に知ったものを蓄えることだ。自分自身には宝物がある。だから、自分自身を知ることは、認識のなかでももっとも重要な認識であるはず。それなのに、われわれは外に出て知識を集めることに忙しくしているあまり、自分自身という中心を忘れ、自分自身について知ろうともしない。

 眠っていた人が、どこかで聞こえる時刻を告げる鐘の音で目覚める。目覚めてから、鐘は何回鳴ったかな? と自問するのだけれど、その回数をまちがえる。これと同じようなことが自己認識にも起こっている。あるとき、ふと気づいて、自分が体験してきたことをふり返ったり、自分の生について考えたり、自分がいったいどういう存在なのか、と自分自身について問うこともある。けれども、そのとき、われわれはどうしてもおのれ自身を取り違えてしまう。

 したがって、「各人はそれぞれおのれ自身にもっとも遠い存在である」、「われわれにたいしては、われわれはけっして〈認識者〉ではない」ということが言えるだろう。

○石川まとめ・補足
 ソクラテスの「汝自身を知れ」の昔から、哲学は、自分自身を知ること、自己認識だと言われている。だが、自己認識など誰もやっていないし、仮に試みたとしても自己をかならずつかみそこなう。だから、自己というのは永遠に認識されないものだ。これが大まかなこの節の内容。
 後半の「自己の取り違え」という話は、つぎの節のテーマ、道徳的先入見の話につながる部分(取り違えの例が道徳時的先入見)と考えるとわかりやすいので、そこで見る。
 なお、ここでのニーチェの力点は、自己認識は不可能、という点にあるが、この不可能ということの意味は、客観的で完全な認識としては自己認識は不可能、ということであるはず。じっさいニーチェは、つぎの節で述べられる「認識の根本意志」、「力への意志」を、仮説として、あるいは、自分の確信として、自分自身のあり方そのものと考えている。したがって、ニーチェは自己認識が可能だと考えているはず。

2 「認識の根本意志」という原理

 ここはいきなり道徳的先入見の話からはじまる。唐突な感じもするが、前節とのつながりはつぎのとおりだろう。
 自分自身について知ろうとしても人間は自分自身を取り違えてしまう。たとえば、あとで見る友人のパウル・レーやイギリスの哲学者たち、あるいはカントがそうしたように、自分の本質をいわゆる道徳的なものとするのがこの取り違え。しかし、じっさいはこうした道徳的なものとは先入見にすぎない。
 この道徳的先入見とは、ここでは具体的に書かれていないが、たとえば、非利己主義的なもの(エゴイズムでないこと)や、利他主義的なもの(自分のためをさし置いて、世のため、人のため、みんなのためになにかをすること)を善いこととする考えを意味する。ようするに、自分の本質を非利己主義や利他主義に求めることは誤った自己認識だ、とニーチェはいいたいはず。本文の議論は以下のような展開。

 『道徳の系譜』は、道徳的先入見を問題にする。一般的には、非利己主義的なものや利他主義的なものを善いとするのは道徳の基本だと考えられているのだから、それを道徳的先入見として批判しようとするこの本は、論争の書だと言える。

 自分は、『人間的、あまりに人間的』(1878)を書いたころから、あるいは、それ以前からずっと、道徳的先入見の由来を解明しようとしてきた。いま、この由来についての思想は、ばらばらに生まれたのではなく、ひとつの共通の根底から、「認識の根本意志」から生まれてきた、ということを自分は確信している。この「認識の根本意志」という一本の樹にとって、そこから生まれる思想という果実がみなさんの口に合うかどうかはまったくかかわりのないことだ。

○石川まとめ・補足
 まず、ここでははっきり述べられていない「認識の根本意志」とはなにかを考える必要がある。「認識の根本意志」とは「力への意志」とほぼ同じ意味。「力への意志」とは、簡単に言えば、あらゆる生きものは、より強く、大きく、元気になって、自分を肯定することをめざす意志をもっている、という根本仮説。ニーチェはこれを自分の哲学の土台にし、あらゆる批判が「力への意志」の観点からなされる。これをもとに議論を補足的に整理するとつぎのようになる。
 「力への意志」は「いかに自分を、より強く、大きく、元気になって、自己の肯定をめざすことができるか?」と問いかけてくる。「力への意志」が真の意味で自己自身のあり方であるはずだ。この視点から見れば、自己のなかに非利己主義や利他主義を見つけ出して、自己の本質と考えるのは誤りだといえる。というのも、非利己主義や利他主義は自己の否定(無私無欲や自己犠牲)を意味するから(この点は序言、第5節、さらに本論、「第一論文」でまた論じられる)。
 そもそも、自己否定的な、非利己主義や利他主義を道徳的に「善い」とするのは、まったくの先入見(根拠のない考え)だといえる。こうした道徳的先入見があるから、自己は非利己主義的なもの、利他主義的なものと取り違えられるのだ。だから、この先入見をまず批判しなくてはならない。そのためには、どうしてこの先入見が生まれたのか? とその由来にまでさかのぼらなければならない。これはいままで自分がやってきたことでもあるが、いま、はっきりとつぎのことを確信している。
 自分はいままで道徳的先入見の由来を問い、道徳に対する批判的な作業をさまざまなかたちでやってきた。ふり返ってよく考えてみると、それらはすべて、自分のなかにある「認識の根本意志」というひとつの根本原理によってうながされてやってきたことなのだ。この「認識の根本意志」こそ、より強く、大きく、元気になって、自分を肯定することをめざす「力への意志」だ。力強く元気になりたい気持ちにうながされ、自分はこれまでいろいろ道徳批判をくり返してきたのだ。この「力への意志」を認識の土台にしてのみ、いままでの自己認識は誤りだったと言うことができ、既存の道徳は先入見であると批判することができる。
 かつてデカルトは、自らの哲学をあらゆる学問の基礎、第一哲学とした。第一哲学という根のもとに、諸学問という幹や枝があり、そこに知恵の果実が実る。ニーチェの場合、「認識の根本意志」、すなわち、「力への意志」という根本原理(樹)からさまざまな思想や批判(果実)が生まれている、という話になっている。

3 道徳の価値を問う

 道徳は善悪、ものごとのよしあしとしてある。道徳はそもそも価値としてある。その価値について、さらに、「それは人間を力強く元気に生かす価値あるものなのかどうか?」と問われなくてはならい。だから、道徳の価値について、価値の価値について問うことが重要だ。こういった主張にニーチェは進んでいく。

 自分は幼いころからずっと道徳について気がかりで疑問をもってきた。それはほとんどアプリオリな(先天的な、生まれつきの)疑問だと言っていい。善と悪の起源について、13歳のとき、神が悪の起源ではないか、とさえ考えたほどだ。しかし、このように悪の起源を世界の背後に求めるようなことは早々と切り上げた(道徳の根拠は神にあるのではなく人間にある、とすぐにはっきりわかった)。

 その後、問題は「人間はいかなる条件のもとに善悪というあの価値判断を考えだしたか? しかしてこれら価値判断それ自体はいかなる価値を有するか?」というものになった(価値の価値を問う)。この価値判断は、人間を成長させるものなのか? 成長をさまたげるものなのか? 生の充実のあらわれなのか? 生の貧困化のあらわれなのか? こういうことが問題になって、自分はいろいろ答えを見出す試みをやってきた。そして、いま、道徳に秘められた意味がいよいよはっきりしてきた。

○石川まとめ・補足
前半は、カントのアプリオリ(先験的、先天的とも訳される)というキーワードとからめたニーチェ自身の道徳に関する疑問の説明だが、カント自身の文脈はさておき、ここでのアプリオリな疑問とは、「自分はほとんど生まれつきと言っていいくらい道徳に疑問をもってきた」というほどの意味あい。
 なお、この節には、これまたカントとからめて、その道徳哲学のキーワード、「定言命法」という言葉も使って、ニーチェは自身の道徳への疑問を説明している部分がある。簡単に言うと、カントは、人間はアプリオリに「それを行うことの利益などは考えず、とにかく、自分のよかれをみんなのよかれに一致させるように行為すべし!」という道徳的法則、自分のうちから道徳的行為を命令する声がある、と考えた。これがカントの「定言命法」。ニーチェはこれをひねって、自分のうちには、アプリオリに「それを問うことの利益などは考えず、とにかく、道徳には疑問を投げかけるべし!」と、道徳を疑うよう命令する、いわば非道徳な声がある、これが自分にとっての「定言命法」だ、としている。
 とはいえ、この節で重要なのは、ニーチェが幼いころからずっと気がかりだった道徳への疑問が、既存の道徳の背景にある価値判断(なにを善いとし、なにを悪いとしたか)の価値(その価値判断じたいがよいのかわるのか)を問うものへと成長してきた、という点。
このあたりの議論を整理してみるとつぎのようになる。道徳とは価値(よし、あし)としてある。ニーチェは既存の道徳の価値(いままでの善い悪い)の価値(その価値がよいのかわるいのか)を問題にしたい。もっと言えば、既存の道徳は「わるい」と批判したい。なぜ、「わるい」と言えるのか。その理由はつぎのように求められる。既存の道徳が成立した時点で、こういうものを「善い」としてこういうものを「悪い」とした、価値判断を見ることが重要だ。その場面にまでさかのぼって、そこにある価値判断を「わるい」と批判できれば、既存の道徳は「わるい」と言うことができるはず。
 なお、既存の道徳が成立した時点の価値判断を「わるい」と言える根拠はどこにあるかと言えば、それが「力への意志」。人間を力強く元気にしないことを「善い」とする価値判断は、「力への意志」に照らせば「わるい」。「力への意志」は、道徳の価値、価値の価値、すなわち、価値のよし・あしを判断する基準になっている。

4 これまでも道徳の起源について考えてきた

 ここはこれまでの著作の歩みを示して、『道徳の系譜』が自分の道徳批判の集大成だということを示す部分。

 既存の道徳はどのようにして成立したのか。この問題を考えるきっかけは、パウル・レー(1849‐1911)の『道徳的感情の起源』(1877)にあった。内容にはいちいち反対だったけれど、この本に触発されるように、自分も道徳の由来に関する仮説を、レーとはちがうかたちで独自に立てるようになった。もちろん、それはいまから考えれば明らかに未熟なものだ。けれど、『人間的、あまりに人間的』、とその続巻(『さまざまな意見と箴言』(1879)、『漂泊者とその影』(1880))、『曙光』(1981)といった本を読めば、『道徳の系譜』につながってくるようなテーマがあることがわかるだろう。

○石川まとめ・補足
 ここでニーチェはパウル・レー(ルー・ザロメをめぐって三角関係のようになった、かつての友人)の『道徳的感情の起源』について言及している。レーは、イギリスの哲学者たちの考えを土台にこの本で道徳の起源を論じた。『道徳の系譜』はレーの『道徳的感情の起源』への批判という側面もある。ニーチェが「イギリスの道徳系譜学者」、「イギリスの心理学者」と言うとき、じつは、ほとんどレーを指していると考えてもいい。じっさい、『道徳の系譜』本論、「第一論文」のはじめで批判されている「イギリスの心理学者たちによる道徳の発生史」と言われるものは、ほぼ『道徳的感情の起源』でレーが展開したもの。この点はあとで詳しく見ることになる。
 なお、この節で指摘されている過去の著作のテーマと『道徳の系譜』本論との対応はつぎのとおり。たとえば、『人間的、あまりに人間的』の貴族階級から生まれる道徳と奴隷階級から生まれる道徳の区別は、「第一論文」に受け継がれ、『漂泊者とその影』や『曙光』の正義の由来を同等の力をもつ者たちの均衡とした点は「第二論文」に受け継がれている。

5 同情道徳の問題

 前節で、いままで自分は道徳の起源について考えてきた、と示したうえで、ここでは、いままで自分は道徳の価値(価値の価値)について問題にしてきた、という点が述べられる(主に、非利己的なもの、同情を「価値あり」、「善い」とするショーペンハウアーの道徳論が自己否定的な「わるい」ものとして問題にされる)。

 道徳の起源について仮説を考えていたころ、自分にとって重要だったのは、自分自身の仮説を立てることや他人の仮説ではなく、道徳の価値だった。この点について、若いころから読んできたショーペンハウアーと対決しなければならなかった。『人間的、あまりに人間的』はショーペンハウアー批判でもある。

 ショーペンハウアーは、非利己的なもの(非エゴイズム)、つまり、同情や自己否定や自己犠牲を、価値あるものとして、神聖化しさえした。こうして、彼は、生と自己自身に否を言うことになった。だから、同情や自己否定や自己犠牲こそ問題なのではないか。ショーペンハウアーのような考え方には、大いなる危険、生に逆らう病気がある。現代の哲学者たちが同情道徳を過大評価するのは、ヨーロッパ文化の不気味な病気のあらわれ、ニヒリズムへと通じる新しい動きなのではないか。というのも、かつての哲学者、プラトン、スピノザ、ラ・ロシュフーコー、カントらは、同情を軽視していたという点で一致していたからだ。

○石川まとめ・補足
 ショーペンハウアーのように同情に価値を置く道徳というのは生と自己自身に否を言うようなものだ、ここに至って、ヨーロッパがいま直面しているニヒリズムという病気の徴候がはっきりとあらわれてきている、というのが主な主張。しかし、細かい文脈はなかなかわかりにくい。議論の背景を踏まえるとだいたいつぎのような話になっているはず。
 たとえば、『意志と表象としての世界』のなかで、ショーペンハウアーは同情についてつぎのように考えている。人間には個体として生きんとする意志(欲望)があり、これがエゴイズムを生む。ここからあらゆる苦悩が生まれる。苦悩から脱け出すためには、意志とエゴイズムを否定しなければならない。同情はその試みだ。同情は、自他の区別をなくし、他人に対する無私無欲の愛、自分の生命を犠牲にする献身さえ可能にする。これは最高の善だ。
 ニーチェはまず、『人間的、あまりに人間的』で、同情は、自他の区別をなくすことや無私無欲の愛ではなく、けっきょくのところ自分の欲望、「自己満足」だと批判する(断章番号103)。
 いまここで、ニーチェは、ショーペンハウアーの同情道徳の理論に生(欲望)と自己自身(自己中心性)に対して否を言うこと(ニヒリズム)を見ている。ここにはつぎのような含みがあるはず。苦しみを与えるからと言って、人間が欲望や自己中心性を手放すことはけっしてできない。ショーペンハウアーのように、同情によってあたかも人間が欲望やエゴイズムから抜け出せるように考えるのは、ありもしない完全な理想状態から現実にあるものを否定する試みだ(なお、こうした理想主義の問題は『道徳の系譜』本論「第三論文」とかかわってくる)。
 最後のほうで言われる四人の哲学者の同情軽視については以下のようなことが念頭に置かれているのだろう。『人間的、あまりに人間的』には、プラトンとラ・ロシュフーコーは、同情が「魂の力を弱める」と言っている、とある(断章番号50)。スピノザとカントについてはその正確な文脈は不明だが、スピノザが自己保存(コナトゥス)という原理を重視した点でショーペンハウアーのような自己をなくすような同情を認めていないこと、カントの道徳論は同情といった感性的な原理を認めていないこと、そういったことから、彼らは同情軽視の哲学者ということが言われているのかもしれない。

6 同情の批判から道徳全般の批判へ

 前節で、道徳の価値を同情に置くこと(同情道徳)には、生と自己自身の否定がある、ということを見た。この問題を真剣に受け止めれば、これまでの道徳が善いとしてきたこと、ずっと当たり前とされてきた道徳の価値じたいが全般的に批判されねばならない、ということがわかってくるだろう、というのがここでのテーマ。

 同情や同情道徳の価値に関する問題は、さしあたって単に個別的な問題にすぎないように見える。しかし、この問題をこだわって問えば、道徳へのいっさいの信念がゆらぎ、「われわれは道徳的諸価値の批判を必要とする、これら諸価値の価値そのものがまずもって問われねばならぬ」という新しい要求が自覚されるはずだ。この問いに答えるためには、道徳的諸価値を生み、発展させてきた条件を知ることが重要になる。たとえば、道徳を生んだ病気、その病的な道徳がどんな害毒を生んでいるか、などを知らなければならない。

 こういう知識は、いままで求められもしなかった。そもそも、既存の道徳が価値あるものであることは、当たり前のこととして、なんの疑問もなく受け入れられてきた。この信念のなかで、善人は悪人より価値あるもの、善人は人間なるものを促進し、有益にし、実りあるものにする、と高く評価されてきた。こうしたことは疑われなかった。

しかし、善人が後退の徴候だったとしたらどうだろうか。道徳が、未来の力強い人間類型の可能性を犠牲にして、こじんまりとした現在の人間を生きのびさせようとするなにものかだったとしたらどうだろうか。道徳が危険のなかの危険だったとしたらどうだろうか。

○石川まとめ・補足
 一般的に、同情は道徳的な感情とされる。これがどうも怪しい、とわかってくれば、わたしたちの道徳に関する信頼全体がゆらいでくる。このことを深く自覚すれば、問いは、ふだんは当たり前として、疑問にも思っていない道徳的な価値、道徳的に善いとされるもの全般の価値へと向けられるはず(これまで道徳的に善いとされてきたこと全般がよいのかわるのか、疑問になるはず)。
 後半は「力への意志」の観点からの批判が見られる。補足しながらまとめるとつぎのようになる。道徳的に善人と呼ばれる人間のタイプとは、弱く、小さく、元気のない人間のあり方、そういう人間がつくりあげたねじくれた理想像かもしれない。これまでの道徳が、人間がより強く大きく元気になることをさまたげ、人間を弱く小さく元気のないままでとどめようとする試みなのかもしれない。道徳は人間にとって最大の危険かもしれない。
 このように、ニーチェにならって、疑問形でまとめてみたが、もちろん、『道徳の系譜』、本論の目的は、それまでの道徳が危険であることを明らかにすることにある。

7 道徳の系譜学の方法

 ここでは、レーの方法との対比のうえで、自分のこれからやる道徳批判、道徳の系譜学の方法を輪郭づける。

 もっとも危険な道徳というもの、それを全般的に批判しようと思ってから、この大きくだれもやったことのない試みをいっしょにやる仲間を求めてきたし、いまも求めている。かつて、レーもその仲間のひとりだった。しかし、レーのとった方法は正しいものではなかった。レーはイギリス的仮説に陥ってしまっている。

 真の道徳の歴史(真の道徳の系譜学、真の道徳の由来を問う試み)は、「典拠をあげうる事実、現実に確証できる事柄、実際にあった事実」、「人間の道徳的過去の永い判読の困難な象形文字の全体」をもとにしなければならない(人類の歴史をもとに道徳の由来を問わなくてはならない)。

 レーはこの方法とはちがい、ダーウィンの進化論(適者生存の法則、動物学)を採用した。レーの道徳論には、ダーウィン式の野獣と、もはや噛みつきはしないつつましやかな道徳的優男(道徳的に甘い人間)が混在している。この道徳的優男は、道徳の問題をまじめにとるなんてまったく無駄だ、といわんばかりのペシミズムを漂わせている。

 自分はレーとは逆だ。道徳の問題ほど、まじめに考える骨折り甲斐のあることはない。まじめに考えれば、いつか道徳の問題を晴れやかに取り扱うことができる。その晴れやかさ、悦ばしき知識が、骨折りの報いだ。もちろん、道徳の問題をまじめに考えるのは大変な作業だ。けれど、いつの日か、心の底から、古い道徳は喜劇だった、そこから先に進め! と言える日が来るはず。そのとき、永遠の喜劇詩人であるディオニュソスは、これを利用するだろう(自分たちを苦しめてきたこれまでの道徳、その意味をはっきりさせることができれば、苦しい過去をそれはそれとして笑うべきものとして受け止め、そこから先に進むことができるはず。このことは、苦しみにもかかわらずこの生を肯定しようとするディオニュソス的態度に通じる、といった感じか)。

○石川まとめ・補足
 ここでのレーの文脈はわかりにくい。レーの「イギリス的」なところは「第一論文」のはじめに見るとして、ここではダーウィンからの影響とニーチェとの考え方のちがいについて追ってみる。
 レーの『道徳的感情の起源』は、道徳の起源を問う道徳の系譜学ではあるけれど、基本的に、人間は猿から進化した、と進化論を採用している。人間の虚栄心の由来を、孔雀の雄が羽の美しさを競って適者生存をはかる本能から説明したりしている。
 ニーチェは進化論や適者生存の仮説にはまったく反対の立場をとっている。これまでの道徳は、生存に適さない生きる力の弱い者たちが自分より力の強い者を抑えつけるところから生まれている、だから、現実にあるのは、進化どころか退化、適者生存ところか不適者生存だ、といった立場だ。
 なぜ、ニーチェがこういう考えになっているかと言えば、道徳の価値を問い、これまでの道徳は、人間を強く大きく元気に生かさないわるいもの、とする観点があるから。ここにレーとのちがいがある。レーは道徳の価値は問わない。『道徳的感情の起源』は、非利己的なもの(非エゴイズム)を善いとする道徳は習慣によって獲得されたもの、と言うだけで(たんに起源論を展開するだけで)、その道徳じたいがよいのかわるいのか、そこが問われていない。だから、ニーチェはレーを道徳に甘い(道徳的優男)と言うのだと思う。同時に、既存の道徳をわるいものとして批判したうえで、では、人間を力強く元気にする考え方とはなにか、と問うニーチェにとって、そういう先に進もうとする積極的な問いのないレーは、ペシミズム(悲観的で消極的な態度)ということになるはず。
 ニーチェの系譜学の方法は、進化論や適者生存の理論ではなく、人類の歴史から考える方法。具体的には、キリスト教道徳の発生史をもとに道徳の系譜学が展開される。ここでニーチェは、この方法が「典拠をあげうる事実、現実に確証できる事柄、実際にあった事実」である点を強調している。このように実証性や事実性のようなものが強調されているのは、おそらく、ふだん人が目をつぶって見ようともしない、人類の醜い歴史、力の弱い者たちが力の強い者を妬むありよう(ルサンチマン)や、そこからねじくれた価値が生み出されるありようを直視して、そのまま取り出して描いてみせよう、という意味で強調されているのだろう。
 そもそも、ニーチェにとって、道徳の系譜学は実証的な研究、歴史的事実の客観的な研究ではないはず。人類の道徳的過去といったものは「判読の困難な象形文字の全体」であって、それを「認識の根本意志」、「人間を強く大きく元気にするかどうか?」という「力への意志」の観点から解釈する、というのがニーチェの系譜学のかまえであるはず。『道徳の系譜』は、道徳の価値を問うニーチェの問題意識から解釈された道徳の歴史、と考えるのがいいと思う。

8 いままでの著作に比べてわかりやすいはず

 『道徳の系譜』がいままでの自分の著作の解釈(解説)の書としての性格をもっている点を述べて、序言の最後とする。

 『道徳の系譜』というこの本は理解するのが難しいかもしれない。けれども、すでに自分の著作をいくつか読んでくれた人には、けっこうわかりやすいはず。じつをいえば、自分の以前の著作は近づきがたさをもっている。たとえば、『ツァラトゥストラ』はその一語一語に深く傷ついたり魅せられたりすることがなかったら精通することができないようになっているし、なんといっても、アフォリズムという表現形式が解釈を必要とする難しい書き方だ。だから、この『道徳の系譜』の「第三論文」は、冒頭に『ツァラトゥストラ』からひとつのアフォリズムを載せて、論文そのものがそのアフォリズムの解釈にもなっている。これは自分の本の解釈の実例だ。このように解釈しながら読むことに習練するためには、牛のように反芻すること(何度も行きつ戻りつしてテキストを読み返すこと)が必要だ。

◯石川まとめ・補足
『ツァラトゥストラ』の解説書が、前作『善悪の彼岸』(1886)。『善悪の彼岸』の解説書が『道徳の系譜』という位置づけ。ここで論文形式を選び、それまで詩的で断片的なアフォリズム形式で伝えてきたことを、自ら「こういう意味があるんだ」と解釈し、説明しようとするところに、自分の哲学をなんとか伝えようとするニーチェの努力がうかがえる。

第一論文 「善と悪」、「よい(優良)とわるい(劣悪)」

1 イギリスの心理学者たち

 書き出しで登場する「イギリスの心理学者たち」とは誰を意味するか、そこが具体的によくわからないため、とても意味の取りづらい一節。これについてはあとで説明する。とりあえずは、この節の内容を以下のように整理してみる。

 これまで道徳の発生史という試みを行ってきたのは「イギリスの心理学者たち」だけであった。しかし、その彼ら自身からしてなかなか興味深い。彼らは、ひたすらわれわれの内部世界に(習慣の惰力、健忘、観念の連結や仕組みのうちに、受動的なもの、自動的なもの、反射的なもの、分子的なもののうちに)真に活動的なものを求めようとしている。

 道徳の起源をこうした方向に求めるのは、陰険で下劣な人間卑小化の本性か? 厭世主義的な猜疑か? 幻滅した理想主義か? キリスト教に対する敵意だろうか? こういう人間の内へ跳びこむような試みは、生の力の弱まりである老いぼれや退屈している者に限ってのことだと言われるが、私としてはそういう意見には反対だ。イギリスの心理学者たちは、それがあるがままの醜悪で厭らしい非キリスト教的で不道徳な真理であっても、真理というものを勇敢に追究していたと願いたい。

○石川まとめ・補足
 「イギリスの心理学者たち」は誰を意味するか。つぎの節で批判されるこの「イギリスの心理学者たち」の道徳の発生史は、ほぼ、パウル・レーが『道徳的感情の起源』で展開したもの。このことを考え合わせると、どうもニーチェは、「イギリスの心理学者たち」という言い方で、レーを批判したいようだ。レーの道徳起源説にはさまざまなかたちでイギリスの哲学者たちの考え方が入り込んでいる。そのため、「イギリスの心理学者たち」という表現は、イギリスの哲学者の特定の誰かを直接意味するのではなく、ニーチェにとって、さまざまなイギリスの哲学者たちの考え方の寄せ集めに見えた、レーの道徳起源説と、そこから見たイギリス的傾向全般と考えたほうがいいようだ。

 そこで、レーの説とそれへのイギリス哲学からの影響を見ておく必要があるだろう。これはつぎの節でニーチェ自身がまとめていることでもあるけれど、レーは、以下のような道徳起源説を展開した(『道徳的感情の起源』、「第1章 善悪の概念の起源」および「第2章 良心の起源」)。

 もともと、人を気づかう行為には「善い」という価値が与えられていなかった。ある時、それが社会的に「有益だ」と人びとに賞讃されたのをきっかけに、「人のため」=「善い」という「観念連合」が生まれ、この結びつきが何世代にもわたって受け継がれるようになった。「世のため、人のため」という非利己的道徳、利他的道徳というのは、時間を通じた経験、「習慣」によって獲得されたものだ。しかし、いまの人びとは、そもそもそれが社会的な利益や人びとの賞讃に基づいていたという由来を忘れ、「他人のため」=「善い」と当たり前のように考えている。

 ここでレーの言う「観念連合」とは、心のなかの観念間の結びつきのこと。これは、主な名前をあげれば、ロック(1632‐1704)、ヒューム(1711‐1776)、ベンサム(1748‐1832)、J・S・ミル(1806‐1873 ※以下“ミル”と表記)まで受け継がれるイギリス哲学伝統の考え方(レーはミルの『論理学体系』における観念連合説を引用している)。イギリス哲学は、この観念連合のように、心のなかの観念の分析を方法とする。だから、しばしば「心理学」と呼ばれる。また、「有益」、つまり、「功利」を道徳の基礎に置くレーの考え方は、ヒュームの道徳論(『道徳原理研究』)やベンサムやミルの功利主義からの影響だと思われるし、「習慣」はヒュームのキーワード。とにかく、レーのイギリス哲学からの影響は非常に大きい。

 こうしたことを踏まえて、本文の内容をまとめると以下のようになる。

 前半はイギリス哲学(レーの道徳起源説)の特徴づけ。すでに見たように、習慣、忘却(道徳発生の経緯を忘れる)、観念連合などはレーの説のなかにある(「忘却」については、レーの説の特徴だと言えそう)。なお、受動的、自動的、反射的、分子的云々については、とくにレーが強調しているわけではないが、たとえばヒュームが、心のなかの観念の運動を物理的な運動と考えている点(ニュートンの万有引力の法則の影響)を考えると、観念連合をさらに詳しく言っている部分だと思われる。

 後半はニーチェによるイギリス哲学(レーの道徳起源説)の評価。批判しているのか、評価しているのか、よくわからない書き方をしているが、ここでは、レーの説が、ふだん人間が見ないようにしている心のうちに飛び込んでいる点(「序言」で見たように、自分自身を知ろうと試みている点)が一定評価されているようだ。しかし、あとの批判を考え合わせると、ニーチェとしては、これは自己認識の試みだったけれど、根本的に真理を捉えそこなっている、というのが本音だろう(これは「序言」で見た、自己認識の誤りを意味する)。

 なお、すでにヒュームの時代から、イギリスの哲学は道徳の根拠を神に求めない傾向があった。レーの道徳起源説も非キリスト教的。この点についてニーチェは賛成のはず。ニーチェの批判は、むしろ、イギリスの心理学者たち(レー)の道徳起源説は、これまでの道徳のあり方(非利己主義、利他主義)をただ追認しているにすぎない点に向けられている(これはつぎの節から論じられている)。

2 「よい」の根拠は貴族的価値評価

 レーの道徳起源説を要約したうえで、それを批判しつつ、ニーチェが自身の道徳起源説を展開しはじめる部分。まとめると以下のようになる。

 イギリスの心理学者たちには「歴史的精神」が欠けていた。その道徳の系譜学のお粗末さかげんは、「よい」の起源をどう考えたかでよくわかる。彼らは、「よい」の起源を非利己的行為と結びつけて、つぎのように考える。

 非利己的行為は、その行為をしてもらって利益を受けた人びとから賞賛されて、「よい」と呼ばれた。この起源が忘れられ、非利己的行為は習慣的に「よい」と呼ばれるようになり、その行為自体が「よいもの」であるかのように感じられるようになった。

 これはいかにもイギリスの心理学者らしい特徴だ。「功利」、「忘却」、「習慣」、そして「錯覚」などは、これまであたかも高級な人間の価値観のようにみなされてきたが、こうした価値評価は無価値にされなくてはならない。

 そもそも、「よい」という判断は、「よいこと」をしてもらう人びとからおこるのではない! その起源は「よい人」たち自身にある。「よい」という判断は、「高貴な者たち」、「強力な者たち」、「高位の者たち」が「低級な者」、「下劣な者」、「野卑な者」に自分を対比して、自分自身や自己の行為を「よい」と感じ「よい」と評価することに起源をもつ。この距離のパトス(距離の感情、いわば優越感)によって、彼らはさまざまな価値をつくりだし、なにがよいかわるいかを決める権利を得ることができた。彼らには功利など眼中になく、順位を決めることが重要だった。低級な種族、つまり、下層者に対する高級な支配種族の持続的・優越的な全体感情と根本感情、これこそが「よい」(gutグート→優良)と「わるい」(schlechtシュレヒト→劣悪)との対立の起源だ。

 言葉の起源も同様で、「よい」という語は支配者の自分自身の力の表示としてある。だから、「よい」という語は、はじめから相手を気づかうような非利己的行為と結びついているわけではない。「利己的」と「非利己的」という対立が人間の良心に押しつけられるようになるのは、貴族的価値判断が没落してからだ。この対立をもとに「畜群本能」が饒舌になり、この本能が支配的になると、この対立に道徳的価値評価がくっつき、「道徳的」=「非利己的」=「無私無欲」という固定観念が生まれる。

○石川まとめ・補足
 この節のポイントは、「よい」という価値の根拠はどこにあるか、ということにある。ニーチェの書き方は、歴史的な観点から論じられる起源論(むかしはこうだった)だが、そこには、価値の本質の追求(ニーチェの時代、現代の私たちにとっても、納得できるような価値の原理の追求)がある。だから、ニーチェの使う「起源」という語は、過去にあった価値のはじまり、とだけ考えるよりも、いまの私たちもそこから価値を考えることができる「根拠」としても考えたほうがいい。

 イギリスの心理学者たち(レー)は、非利己主義、利他主義といったこれまでの道徳(価値)の根拠を「人びとの利益」、「人びとからの賞讃」に求める。つまり、「よい」の根拠を他者に置いている。「よい」の根拠を他者とすること。これこそ、これまでの道徳、非利己主義、利他主義、「世のため、人のため」の本質だといえる。イギリスの心理学者たち(レー)は、この本質を取り出してはいるものの、そのよしあしを問わない。彼らは、これまでの道徳を追認しているにすぎない。

 ニーチェに言わせれば、これまでの道徳というのは、他者の「よい」を根拠に、なかば暴力的に、自己否定を強いるようなものだ(人びとのよしとするもの、社会のよしとするもの、親のよしとするもののために自分を棄てよ)。これをひっくり返さなくてはならない。そこで、「よい」の根拠とは、「よいこと」をしてもらう人びとからではなく「よい人」たち自身である、とされる。ようするに、「よい」の根拠は、自分の外側から聞こえてくる他者たちの「よい」という声にではなく、自己自身のほうから湧き上がってくる「よい」と肯定する声にある。この肯定の言葉は、たんにいろいろな対象に対して「よい」とするのではなく、自己の存在の肯定という中心をもっている。ニーチェによれば、自己の存在を「よい」と自分から感じることができる者が、さまざまなものの価値を指定できる。「よい」という価値の根拠は究極的には自己肯定感にある。

 この自己肯定感は、他者に対する自分の優越感(距離のパトス)としてある。たとえば、古代社会の支配者である「高貴な者たち」、「強力な者たち」、「高位の者たち」は、被支配者である「低級な者」、「下劣な者」、「野卑な者」と比較して、自分自身や自分の行為を「よい」と評価していた。

 この優越感の意味は、高貴な者たちのあり方が、たんに功利を求める(苦を避け、快を求める)といったなまやさしいものではなかった点からはっきりする。彼らは戦士として戦った。戦いは、人間のランクをめぐる厳しい競争でもあった。つねに死という苦痛を乗り越えて戦いつづけた者たちが支配者となり、死を恐れて戦うのをやめた者が被支配者となったのだった。

 だから、高貴な者たちの優越感は、自分自身で行為して、他の者がなかなか乗り越えられない苦しいことの克服に由来している(もともと身分があってそれが優越感をもたらしたのではなく、他にぬきんでた戦士の行為があって、そののちに彼らの社会的身分が決まった)。この優越感が、「よい」(優良→自分は苦しいことを克服した他に卓越したよい存在だ)と「わるい」(劣悪→苦しいことを克服できない者たちは自分から見て劣っている)という貴族的価値評価の内実となっている。

 このような優越感を「よい」の根拠にする理論は、利己的なもの(エゴイズム)ではないか、という批判があるかもしれない。しかし、利己的=悪、非利己的=善といういわゆる道徳的な対立は、貴族的価値評価が没落してからあらわれたものだ。自分の優越感を「よい」とするのは、なんら悪ではなく、むしろ人間の生の肯定の核になっている。にもかかわらず、これを悪とするのは、「道徳的」=「非利己的」=「無私無欲」=善とする価値評価の構図、つまり、「道徳的先入見」にすでに毒されている証拠だ。

 以下は、本文からは派生的なことだが、ここでの自己肯定を「価値の創造」とからめて考えてみた。

 ニーチェは、自己肯定感を他者に対する優越感として取り出しているが、そこには「価値の創造」ということも深くかかわっているはず。

 そもそも、ニーチェの哲学は、自己肯定、自分の生を肯定すること、という中心をもっている(『ツァラトゥストラ』、「幻影と謎」など)。自分自身のよろこびの感情、自分自身について「よい」と言えること、この自己肯定感がどう得られるかがニーチェにとって重要なテーマだった。

 じつは、これまでの道徳、他者たちの「よし」とすることだけに従っていても自己肯定感が得られることがある。これまでの道徳は、すでに一般的に承認され、他者たちに共有された価値になっている。この既存の価値に従い、たとえば、自分を否定してでも「世のため、人のため」に尽くすことで、かえって、他者たちに認められ、自己肯定感を得る、ということがある。ニーチェはこうした自己肯定のあり方はおかしいと考える。

 そこで、ニーチェは「価値の創造」を通じた自己肯定というものを考える。それはつぎのようなものだ。これまでの道徳、一般的な他者たちの「よし」とすることにあらがいながら、自分自身から試みて、新しい価値や生き方をつくりだした者にやってくる自己肯定感、この誇りの感情こそが真の意味での自己肯定、「よい」という価値の根拠だ。

 価値の創造は既存の価値に対立することになる。だから、努力と戦いが必要となる。古代社会の「高貴な者たち」、「強力な者たち」、「高位の者たち」といった戦士のイメージも、おそらく、ニーチェにとっては、価値の創造者として自己を肯定する者を意味している(「超人」といってもいい)。

 ニーチェにとって、自己肯定感とは、他者に対して自分が優れているという「自己賛美」、「優越感」としてある(『善悪の彼岸』、断章番号260)。「よい」の根拠であるこの優越感のなかには、たんに戦いにおいて他者との競争に勝った、という感覚だけではなく、自分は、他者たちとはちがい、自分自身で新しい価値を創造したんだという、自負の感覚も含まれていると思われる。

 既存の価値に対立しながら新しい価値を創造する試みは、厳しいものになる。たとえば、高貴な者たちには利益や功利の追求といった「微温的な情感」は眼中にない、とニーチェがここでいうとき、そこには価値の創造の厳しさを見ることができる。イギリスの心理学者たちでもある功利主義の代表的な哲学者、ベンサムやミルは、簡単にいうと、功利の概念を「快を求め、苦を避けること」と考えている(ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』、「第一章 功利性の原理について」、ミル『功利主義論』、「第二章 功利主義とは何か」)。一方、ニーチェは「快を求め、苦を避けること」では「力の感情」、つまり、真の意味での自己肯定は得られないと考えている(『善悪の彼岸』、断章番号230、『権力への意志』、断章番号702)。

 ある意味で、既存の価値にただ従うことは楽なことだといえる。しかし、ニーチェの自己肯定は、苦しみを必要とする。苦を避けるのではなく、苦(既存の価値に対立し、それをじっさいに行為して動かそうとする困難)を克服した先のよろこびとしてある。

 こういうところから、高貴な者たちの戦いをながめてみると、その戦いは価値の創造をめぐる戦いだとも言うことができる。戦いは苦しい死の乗り越えというかたちをとるが、これは、自分のなかの生命の保存や安心という一般的価値との戦いでもある。また、戦いというのは、どれだけ死をもものともしないかを他者たちの前で示すことだが、これは、自分の立てた新しい価値(生命の保存や安心を乗り越えることが「よい」、いわば、勇気という価値)をじっさいに行為でもって他者たちの前に示すことでもある。戦いの勝者と敗者は、死の乗り越えにこだわった者と死を恐れた者の区別ではあるが、この区別は、自分の「よし」とすることにこだわって新しい価値を創造した人間と、他者たちが一般的に「よし」とする既存の価値にしばられたままの人間の区別として考えられる。

 だから、ニーチェの古代モデルは、価値の創造をめぐる比喩になっているとも考えられる。自己自身の優越感をもとにした貴族的価値評価も、自分は自分自身で価値をつくりだす他に卓越した「よい」存在なのだ、という意味と、自分自身で価値をつくりだせず既存の価値にしばられた者は自分より劣った「わるい」存在なのだ、という意味で、価値の創造という軸が含まれているように思われる。

 上で考えたことをふまえて、ここでもう少し派生的な議論をしておく。

 簡単に言うと、ニーチェは、自己肯定の条件を他者に比べた優越感としているのだが、この自己肯定の考え方には、いわゆるヘーゲル的な視点から見た場合の、他者からの「承認」(認められること)という感度があまり含まれていない。

 じつは、自己肯定の感覚は、他者からの承認を土台にしてはじめて得られると言えそうだ。価値の創造という文脈も含めて考えると、「自分は新しい価値を創造した卓越した存在なんだ」という自己肯定感を支える、たとえば、「勇気は新しい価値だ」という感覚も、たんに自分だけで得られるのではなく、他者にも勇気が「よい」ものとして認められ共有されたという感覚があってこそ生まれるはずだ。だから、ニーチェの議論はどこか弱みをもっているようにも思える。

 しかし、ニーチェに言わせれば、こうした批判は順番を取り違えているということになるだろう。価値の創造を問題にすれば、かならず、自己自身が先になり、他者は後になる。

 たとえば、つぎのような場合を考えてみよう。これまで存在してきた価値、一般的な価値が自分をよく生かさないと思われたとき、はじめから、他者のよろこぶこと、他者から認められることをめざして行為するわけにはいかないだろう。それでは自分を偽ることになるし、価値はいままでのままで、自己肯定どころではない。だから、まずは、既存の価値、他者たちの「よし」とするものにあらがうように、自分自身の「よし」とするものを世に問わざるをえない。

 この場合、あくまでも、自己自身という場所が起点になっている。自分にやってくる言いようのない気持ち(「力への意志」といってもいい)に動かされ、自分から行為し、苦しくてもとにかく自分の「よし」とするものを世の中に示す。もし、こういう個人の試み(戦士の努力)がなかったら、そもそも新しい価値というものが生まれないだろう。自己自身の能動的な試みが先で、他者からそれを認められるかどうかはそのあとの問題となる。ニーチェが自己自身を他者に優先させて強調したいのは、この価値が生まれる起点としての個人の試みのことだろう。

 たとえば、ニーチェ自身もつぎのような思いを抱いているようにも思える。これまでの価値というのは誤っている、なにか新しい価値を、という気持ちに動かされ、とにかく苦労しながら考え書きつづけ、それを世に出してみる。それが評価されるかどうかはわからない。しかし、まずもって、こうした現実へのはたらきかけがなければ、そもそも、新しい価値もつくりだせず、自己肯定感を得ることもできない。

 もっとも、ニーチェの描く「高貴な者たち」、「強力な者たち」、「高位の者たち」は、すでに新しい価値をつくりだし、自己を肯定できているといえる。ニーチェはこのあり方を、競争に勝った者の負けた者に対する優越感としてしか特徴づけていない。しかし、新しい価値をつくりだそうと行為する戦士のさいしょの試みはともかくとしても、そもそも、彼らが「高貴な者たち」、「強力な者たち」、「高位の者たち」となるためには、その勇気が他者たちにも認められ、身分が社会的に認められる、といった承認の議論が必要となるはず。ニーチェはそこは詳しく論じない。むしろ、あとで見るように、高貴な者がたんなる身分になること、個人が行為をしなくなることをニーチェは批判する(『道徳の系譜』、「第1論文 5」)。ニーチェの議論の力点は、価値を生み出そうと努力し戦う、個人のさいしょの営為のほうにかかっている。

3 「忘却」説への批判

 ここは付け加え的な節。イギリスの心理学者たち(レー)の道徳起源説には、非利己的行為、利他的行為が他者たちに利益があった(功利性があった)、ということが「忘れられた」という論理があった。この「忘れられた」という点が、ハーバート・スペンサー(1820-1903)の道徳論の観点から批判される。

イギリスの心理学たちによれば、非利己的行為が他者たちに賞讃された理由、その功利性が忘れられた、とのこと。しかし、ある行為が有益であったということは、そうそう忘れられるものではなく、意識に刻みつけられるものであるはずだ。だから、ハーバート・スペンサーが、「よい」の概念を「有利な」や「合目的」の概念と同じものであるとし、「よい」を、昔から有利なことが証明ずみのもの(忘れられない有利で合目的な行為の経験のまとめ)としたことのほうが理にかなっている。もちろん、すでに見たように、そもそも「よい」の根拠を功利性に求める点が誤ってはいるけれど。

○石川まとめ・補足
ここでニーチェはスペンサーの観点からやや横槍を入れるかたちでイギリスの心理学者たち(レー)を批判している(本筋の批判ではなく、たんに相手の矛盾を突いているだけ)。スペンサーは、「よい」の根拠を「有利」、「合目的性」に求める(『倫理学のデータ』、「第3章 よい行為とわるい行為」)。そして、人類はそのつど、なにが有利で合目的かについての経験を深めながら進化していく、と考える。だから、人類は功利性を忘れることはない、それを記憶しておかなくては進歩がない、というのがスペンサーの立場。もちろん、そもそも「よい」の根拠を功利性に求めるは誤っている(他者の功利性を「よい」の根拠にするのは、「よい」の根拠を他者に置く点から誤り。自己の功利性を「よい」の根拠とするのは、苦を避け快を求めることだから誤り)、というのがニーチェの考え方なので、ここでは、スペンサーのほうが理屈としてはまだスジが通っているのでまし、といった程度の批判になっている。

4 「よい」「わるい」の語源学

 ここから「よい」(優良)と「わるい」(劣悪)の語源学に入る。「よい」の起源は貴族的価値評価にあった、ということを語源学的に説明する。

 「よい」の語源は、どの言語であっても、身分上の「高貴」、「貴族的」を基本的に意味していた。これと平行して、「わるい」も、身分上の「野卑(下劣)」、「賤民的」、「低級」を意味していた。たとえば、ドイツ語の「わるい(schlecht シュレヒト)」は「素朴な(schlicht シュリヒト)」と同語であって、もともとは、貴族と引き比べたうえでの、「素朴な者」、「平民」を意味していた。これが今日の意味で「わるい」となるのは三〇年戦争の頃だ。

 こうしたことは道徳の系譜学にとって根本的な洞察なのだが、それがこんなにも遅れて、いまごろになって手に入ったのは、近代の民主主義的先入見のせいだ。

○石川まとめ・補足
 ここでの語源学が、あらゆる文化に当てはまるか、あるいは、ドイツ語についてもほんとうに当てはまるかどうか、そういうことはほとんど問題にならないと思う。というのも、ニーチェ本人が「定義しうるのは、歴史をもたないものだけである」と言っているくらいなので(『道徳の系譜』、「第2論文 13」)。ニーチェにとって、語源学は正確な意味の定義なのではなく、ある解釈として行われているはず(もちろん、この系譜学全体もそう)。その解釈は、「よい」の根拠は自己肯定感にあるはず、という問題意識をもとにしているにちがいない。とすると、この部分はつぎのように考えられる。

 「よい」は「高貴」。「わるい」は「低級」、「素朴な者」、「平民」。自己肯定感から見れば、自分が他より優れているかどうか(優越感)が第一の問題になる。そう考えると、「よい」とはぬきんでた優れた人間のことを意味し、「わるい」は優れていない、普通か価値の低い人間のことを意味する。古代社会では、自己肯定感と社会的な地位は一体であったと考えられるため、ニーチェは階層社会を肯定する。

 しかし、いまの私たちの場合で考えても、自己肯定感がある場合、自分を「よい」存在として肯定できるとき、自分はどこか優れたところがある人間だと思うし、一方で、自分に肯定感がなく、自分は「わるい」(「よくない」といってもいい)存在だと思って肯定できないとき、自分のことを優れたところのない人間だと思う。

 この節のさいごで、ニーチェは民主主義的先入見を問題にする。文明の進歩を市民層の発展と考えたバックル(1821‐1862)の歴史観(『イングランド文明史』)なども「賤民主義」と厳しく批判されている。その理由はつぎのようなニーチェの民主主義のイメージにある。

 民主主義は、他よりぬきんでようとする人間を押さえつけようとする社会だ。民主主義のなかには、人間の差異や競争を認めない完全平等の理想主義がある。だから、民主主義からすれば、古代の階層社会を肯定すること、人間が優れた存在であろうとすることはがまんできない。

 これに対して、ニーチェはつぎのように考えている。この民主主義的先入見が、本来の価値の根拠、人間がより強く大きく元気になるためのヒントを隠してしまっている。先入見から自由になれば、人間が他からぬきんでて自己肯定感をもつ、それが「よい」の根拠であって、古代社会ではその価値のあり方が階層と一体になっていたこと、これらは根本的な洞察だということがわかるだろう。

5  貴族的価値評価の衰退

 細かい語源学がつづく。かなりごちゃごちゃしているが、ここでは主に、貴族的価値評価である「よい」が、現実の行動に結びついたものでなくなり、次第に精神的なもの、たんなる身分をあらわす言葉になっていくことの問題点、また、貴族的価値評価はもともと戦士の価値評価である点が論じられている。

 「よい」(優良)という意味をあらわすさまざまな語のうちには、貴族的な人間たちが自分たちを高等な人間だと感じていたニュアンスがうかがえる。たとえば、貴族的な人間たちは、自分たちのことを、力において優位に立っている者として「勢力家」、「支配者」、「命令者」と呼んだ。また、財や生産物も優位を目に見えて示すことから、貴族的な人間たちは、自分たちのことを「富裕者」や「有産者」と呼んだ。しかし、彼らが自らのことを「誠実な者」のように典型的な特徴(個の現実的行為は具体的に目に見える、一方、精神的な特徴は目に見えないので、漠然とした、こういうタイプ、としての特徴でしかない)として呼ぶようになると問題だ。たとえば、古代ギリシアで「よい(エストロス)」という語は、もともと、「存在する者」、「実在性ある者」「現実的な者」、「真実な者」を意味していた(現実的な行為、目に見える具体的なものにもとづけられていた)。しかし、そのうちの「真実な者」が主観的な意味(心の性質)として特化され、「よい」が「誠実な者」となると、たんに「嘘つきの平民」に対立する「貴族的」という意味となってしまった(行為という実質をともなわないたんなる身分的な区別をあらわすものになった)。貴族の没落後、「よい」はたんに精神的な高貴さを言いあらわすだけのものになった。

 しかし、そもそも、「高貴な(アガトス)」に対して「賤民」を意味していた「デイロス」という語では「臆病」という意味が強調されていたことを思い起こす必要がある(高貴は行動する戦士→「よい」、賤民は行動しない臆病→「わるい」)。このことはさまざまな意味のある「アガトス」の語源を探る方向をさだめることに役立つだろう(おそらく、アガトスは戦士の勇気ある具体的な行動を意味する、ということだろう)。ラテン語の「わるい(マルス)」はギリシア語の「黒い・暗い(メラス)」とつながる言葉で、これは、被征服民族である黒髪の土着民を指す言葉だった(「わるい」は敗者、被征服者)。一方で、征服種族は金髪で、ゲール語の「フィン」がこの貴族、金髪種族をあらわしている(「よい」は勝者、征服者)。

 ちなみに、近代の民主主義、無政府主義、社会主義のめざすところのコミューン、原始社会形態というのは、被征服者たちによる、征服者たちによってすでに打ち立てられた社会の鋳直し、先祖返りの試みだと言えないだろうか。いまは支配種族が圧迫されつつある。

 ラテン語の「よい(ボヌス)」は「戦士」と解してよかろう。「ボヌス」の語源は「ドゥオヌス(二つ)」、二つに分かれ争う戦士だ。これは、古代ローマの男子の「よさ」がなんであったかをよく伝えている(「よい」は戦士)。ドイツ語の「よい(グート)」も「神のごとき人」、「神々しき種族の人」を意味するのではないだろうか(グート(よい)とゴット(神)を結びつけている)。それはゴート人という支配民族の名前ではないだろうか。

○石川まとめ・補足
 ケルト金髪説やコミューン批判など織り交ぜながら、ごちゃごちゃした議論になっているが、以下のように整理できる。

 「よい」という語は、「存在する者」、「実在性ある者」「現実的な者」、「真実な者」をあらわしていた。つまり、貴族の自己肯定感は、現実の行為、目に見えてしっかりあることがらが条件だった。ところが、貴族が階級として固定してくると、「よい」はしだいに、現実的な行為をともなわない、目に見えない精神的な性質、たとえば「誠実な者」をあらわすようになる。こうして、「よい」という語は、貴族みずからの行為による自己肯定感ではなく、たんに、「嘘つきの平民」から区別される「貴族的」といった身分上の区別だけをあらわすような言葉になってしまった。これは、「よい」が戦士の行為という実質を伴わなくなってしまったことを意味する。

 しかし、「わるい」が「臆病」、「被征服民族」とかかわっているように、「よい」は「戦士」、「支配民族」とかかわっていということを忘れてはいけない。「よい」はたんなる身分上の区別をあらわすのではなく、死をもものともせず、現実において行為して闘う戦士の自己肯定感を意味する。

 なお、民主主義、無政府主義、コミューン等がここでさいごに批判されている。ニーチェによれば、これらは被支配民族の叛乱、奴隷一揆のようなもの。これはかなり過激なもの言いだが、ニーチェがそう批判することの内実は、あとで、キリスト教とその理想主義を問題にするあたりから徐々にはっきりしてくる。

6 僧侶的価値評価の登場

 ここは僧侶的価値評価のあり方がはじめて描かれる節だが、なかなか言いたいことの中心が受け取りにくい。しかし、まず、補足も入れながら全体をつぎのように整理しておく。

 政治的優位を示す概念は精神的優越を示す概念に変わってしまう(たとえば、「よい」は、もともと現実的な行為をともなっての政治的優位を示す概念だったが、しだいに行為という実質をともなわない、たとえば、「誠実さ」など精神的な優位をあらわすだけの概念になってしまう)。最高の世襲階級が僧侶階級であるような社会ではどこでもこういうことが起こる(「よい」が精神的な優位(現実的な行為をすることから来る優越感ではなく内面的な優位)を意味するようになる)。こうした社会では、まず、たとえば、「清浄」と「不浄」といった対立概念が身分差別のしるしとなっている(清浄である者は優良、不浄の者は劣悪)。しかし、ここにある「よい」(優良)と「わるい」(劣悪)という対立は、やがて、身分的なものではないもの(道徳的なもの)にまで発展してくる。

 もともと、清浄な者とは、身体を洗い、皮膚気をまねくような食べ物を食べなかったり、賤しい階層の女性と交わらず、血を忌み嫌うような者を意味していた(清浄は、たんに一般的な禁止(〜してはならないこと)の順守を意味していて、身分上の高位の象徴ではなかった)。しかし、僧侶が支配的であるような社会は、清浄、不浄のうちに人間と人間とのあいだの深淵(身分的区別)をつくりだす(僧侶たちは、清浄であること、禁止の順守に自分の優越感を見いだすために、一般的な禁止以上に自分たちのための禁止(不浄なもの、触れてはならないもの、してはいけないこと)をたくさんつくって、それを守る生活をする。そうすることで、他者たちより、より清浄なのだ、という優越感を得ようとする。なお、戦士は自分の優越感を現実的に行為「すること」に見いだすのに対して、僧侶は自分の優越感を、禁止されたことをしないこと、つまり、行為「しないこと」に見出すのも特徴)。

 そうなると、行動忌避的、半分沈鬱的で半分感情爆発的な不健康な習慣が生まれ、僧侶たちは、内臓疾患や神経衰弱といった病気に悩まされる(禁じられた行為はしない、ということを過度に推し進める僧侶たちは、行動忌避的な集団だと言える。また、過度の禁止の順守は、現実にかかわり行動しようとする人間が本来もっている自然な欲望をかなり抑圧することになる。そのため、沈鬱と感情爆発の激しい波といった精神的不安定さもかかえこむことになる。その結果、内臓疾患や神経衰弱といった病気も起こってくる。なお、ここで、僧侶たちがこの病気を通じて、自分のなかに、いくら禁止してもしきれない、欲望というコントロールしきれないものに気づきはじめる、という文脈もあるはず)。

 僧侶たちがこの病気の治療として行った療法は、病気よりも危険なものだった(本来は、現実にかかわり行動しようとする自然な欲望を発揮することが病気の治療になるはずなのに、その逆に、この欲望じたいをなしにしようとする。欲望の抑圧から欲望の否定へ、虚無への意志へ)。たとえば、食餌療法(肉食の禁止)、断食、性的禁欲、砂漠への逃避。さらにまた、官能を敵視し、ひとを怠惰にし、繊細にする形而上学(世界説明)、苦行者やバラモン流の自己催眠、虚無による最終的な鎮静状態。この虚無とは神のことで、神との合一への渇望や仏教徒の涅槃への渇望を意味する。

 僧侶らのもとではありとあらゆるものが危険になる。すでに見た療法だけでなく、高慢、復讐、明敏、放埓、権勢欲、徳、病気もまた危険になる(おそらく、こうした例をあげて、あらゆる感情や欲望に対して、それを否定するようにふるまう、ということを言いたいはず)。僧侶たちの登場によって、人間は興味深い動物になって、この興味によって人間の魂は深さをまして、悪くなってしまった。これが、これまでの人間が動物に対する優越性の根本様式にまでなってしまっている。

○石川まとめ・補足
ニーチェはここで、戦士ではなく、僧侶が階級の上位にいる社会の成立をイメージしている。それは、古代インド社会(カースト制の成立、バラモン階級の優位)をイメージしているかもしれないし、古代ユダヤ社会(他国との戦争にあけくれたダビデの戦士の王国から、対外的には平和で栄華をきわめたが祭司階級が力をもちはじめたソロモンの王国への移行)をイメージしているかもしれない。

 とはいえ、ここで重要なのは、自己肯定感を行動しないことに求めること(戒律→欲望の過度な禁止)、さらに、行動することそのものが悪とされること(禁欲→欲望そのものの否定)が問題にされている点だ。

 おそらくニーチェはここでつぎのようなストーリーを考えている。

 前節では、「よい」が現実の行為と離れてしまい、誠実さといった精神的な優位をあらわすだけになってしまった点を見た。これは、内面の優位でもって自己肯定感を獲得する試みのはじまりでもある。しかし、そもそも内面という目に見えないものの優位を他者に目に見えて示すことは難しい。ところが、その方法を考えた人びとがいた。それが僧侶たちだ。見えない内面の優位を示すためには間接的な方法をとるしかない。これが、行為に極端な禁止を設け、それを厳守することで、自分がいかに強い内面的なもの(精神的なもの)をもっているかを示す方法だ。

 僧侶たちがじっさいに目をつけたのは、それまでもあった清浄、不浄という対立だった。もともと、清浄には、不浄なもの(禁じられたもの)には触れない、という特定の行動を回避する意味がある。僧侶たちは、自分の自己肯定感のために、他人からの優越感を得るために、行動の禁止を過度にする。一般的な禁止を守っているだけなら、ふつうの人もそうしているわけだから、優越感は得られない。だから、僧侶たちは、一般以上の禁止条項(不浄なもの、触れてはならないもの、してはいけないこと)をもうけ、それを守った生活を送るようになる。こうすることで、僧侶たちは、自分は他の人びとに比べて清浄なのだ、自分はこれだけ現実的な行為を禁止した生活を送っているのだから、内面や精神にはたいへんな力をもっているのだ、ということを示す。

 しかし、こうなると、行動に対して極端なほどさまざまな禁則がもうけられため、欲望、現実的にかかわることで発揮される力が抑圧されることになり、僧侶たちは病的になってくる。また、この病気は、自分のなかにコントロールしきれない欲望というものがあることの気づきでもある。

 ほんとうは、この病気は、過度な禁止を解いて、抑圧された欲望や力を現実に向かって発揮させてあげれば治療できるはずなのに、僧侶たちは逆のことをする。この病気の原因は、過度の禁止の順守のほうではなく、むしろ、欲望や力そのものにあると考え、それを徹底的に否定すればよいと考える(僧侶は、あくまでも、過度の禁止を守って「よい」者となりたいので、問題なのは禁止してもしきれない欲望や力のほうになる。そこから、欲望や力というやっかいなものは完全になくしてしまわなければならない、という態度が生まれる)。ふつうの人にはとうていできないこの自己否定(欲望や力そのものの否定)の試みを実践することで、僧侶たちは自分の優位を獲得しようとする。これが、禁欲、現実逃避、神との同一や涅槃をめざす、といった僧侶たちの修行の意味だ。

 こうしたことは、自分への興味、自分自身を覗きこんであらゆる欲望をチェックして、これらを悪とみなして否定的に扱うことのはじまりでもある。これまで、人間は動物とちがい欲望を否定することができる、といったことが人間の動物に対する優位として考えられてきたけれど、それはこの僧侶たちのやり方に起因している転倒した考え方だ。

 大きな流れで言えばつぎのような話になっている。貴族的価値評価の「よい」、「わるい」がじっさいの行動を伴わなくなって形骸化したところに、僧侶的価値評価が「行動しないこと」は「よい」という価値を生み出した(欲望を禁止することは「よい」)。その価値評価がより病的になって、「行動すること」じたいが「悪い」というところまで深まった(欲望じたいが「悪い」)。

 このあたりではっきりしてくるのは、「力への意志」を現実の世界にむけて発揮することで自己肯定感を得ようとするあり方と、「力への意志」じたいを否定するというゆがんだかたちで自己肯定感を得ようとするあり方との対立だ。このモデルの一方が戦士として、他方が僧侶として描かれている。

 ニーチェはここで清浄、不浄を軸に僧侶のあり方を語っているが、むしろ、バタイユ(1897-1962)の概念である「禁止」という補助線を入れると、ニーチェが欲望のあり方をどう考えていたかがわかりやすい。バタイユは、禁止は死と性に対して引かれると言う(『エロティシズム』)。死や性は恐れや不安をもたらすからだ。

 ニーチェのいう戦士は、この禁止をのり越えて自己肯定感を得ようとする(たとえば、死の恐怖や血の不浄に触れる不安の乗り越え)。これは苦しみ(禁止されたものに触れる恐れや不安)を克服して力の感情を得ようとする本来的な欲望のあり方を体現する人間のモデルだ。

 一方、僧侶は、なかなか複雑なかたちで自己肯定感を得ようとする。まず、一般以上の禁止をつくりだし、行動を過度に禁止する生活を送る。これは、世界にむけて積極的な行動として発揮される自然な欲望の発現を抑圧することになるから、苦しみを生む。

 このとき、僧侶は、この苦しみの理由を、行動の過度の禁止のほうではなく、禁止にしたがわない欲望のほうに求める。そこで、僧侶は、禁欲的修行を通じて欲望を否定することを試みる。戦士は本来的な欲望を現実に向かって発揮しようとするのだけれど、僧侶はむしろ、その欲望を徹底的に否定するというかたちで他の人びとからの優位を獲得しようとする。ここには、いわば、自己否定を通じて自己肯定感を得る、というかなりねじくれた自己肯定のかたちがある、と言えるだろう。

7 僧侶的価値評価の展開、僧侶的民族としてのユダヤ人

 僧侶たちの価値評価は、戦士の貴族的価値評価と敵対するようになり、それをひっくり返すものにまで育つ。ニーチェはここでユダヤ教とユダヤ宗教共同体の成立を念頭に置いているようだ。全体の流れは以下のとおり。

 僧侶的価値評価は貴族的価値評価から分かれ、その反対物にまで発展する。とくに、僧侶階級と戦士階級が反目しあい互いに意見が一致しないときには対立があらわれる。それはつぎのようなかたちをとる。

 貴族的な価値評価が前提とするのは、「力強い肉体」、「溢れたぎるばかりの健康」、それを保つために必要な「戦争」、「冒険」、「狩猟」、「舞踏」、「闘技」、「およそ強い、自由な快活な行動を含む一切のものごと」だ。

 一方、僧侶的な価値評価が前提とするのはその反対のものだ。行動回避的な僧侶たちにとって、戦争にかかわるなどということは、はなはだ好ましくないことだった。このもっとも無力な者は最悪の敵だ。というのも、僧侶たちはその無力さから生まれた憎悪を精神的で有毒なものへと育て上げるからだ(戦士たち、貴族的価値評価への憎悪から、“強い者は悪い、無力な者こそ善い”といった価値転換を行う)。この巧みな復讐の精神ほど、人類の歴史にとって大きな問題はない。ではいったいどのような復讐だったのか、その最大の実例を見てみよう。

 僧侶的民族であるあのユダヤ人は、高貴な者、権勢家、支配者、権力者といった自分の敵対者、圧制者に対して、その貴族的な諸価値を徹底的にひっくり返すことで復讐を試みた。もちろん、この試みは精神的なやり方をとるしかなかった(無力なユダヤ人は、実力でもって復讐することはできなかったので、心のなかでだけ、自分を肯定し、敵を呪った)。それは、つぎのようなものだった。

 ユダヤ人は、徹底的な方法で、貴族的な価値方程式(優良=高貴な=強力な=美しい=幸福な=神に愛される)を逆転し、「惨めな者のみが善い者である。貧しい者、力のない者、賤しい者のみが善い者である。悩める者、乏しい者、病める者、醜い者のみがひとり敬神な者、神に帰依する者であって、彼らの身にのみ浄福がある」とした。

 一方で、自分の敵対者、圧制者(貴族的価値評価)に対しては、「お前ら高貴にして権勢ある者ども、お前らこそは永遠に悪い者、残酷な者、淫佚な者、貪欲な者、神に背く者である。お前らこそはまた永遠に救われない者、呪われた者、堕地獄の者であるだろう!」と憎悪を投げつけた。

 このユダヤ的価値転換の遺産を相続した者が誰であるかをわれわれは知っている。「ユダヤ人と共に道徳における奴隷一揆がはじまった」(『善悪の彼岸』)。このことが今日見逃されているのは、それがすでに勝利を得てしまっているからだ。

○石川まとめ・補足
この節は大きくいって、前半の僧侶階級と戦士階級の対立の話と、後半の「僧侶的民族」としてのユダヤ人の価値転換、精神的復讐の話に分かれている。前半はユダヤ共同体内部の対立が問題になっていて、後半はユダヤ共同体とそれを支配する強国との対立が問題になっていると考えられる。

 いよいよキリスト教の発生史にさしかかる重要な部分であるにもかかわらず、前半と後半、このふたつの話のつながりがあまり明確でない。そこで、どちらかといえば文脈が理解しやすい後半で描かれる「僧侶的民族」の価値転換、精神的復讐のほうから、先にはっきりさせたい。

 まずは、つぎのような歴史を押さえておく必要があるだろう。おそらくニーチェもこれをふまえてこの節を書いている。

 ダビデ-ソロモンの王国(イスラエル王国)は、ソロモンの死後、イスラエル王国(北イスラエル王国)とユダ王国に分裂する(前926)。イスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされる(前721)。一方、ユダ王国は新バビロニアによって滅ぼされる(前586)。このさい、ユダ王国の人びとはバビロン捕囚を体験する(第1回、前597、第2回、前586)。捕囚民は新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシャによって解放される(前538)。しかし、捕囚帰還後のユダヤ社会は、独立した王国ではなく、ペルシャの支配のなかで、神殿(新バビロニアによって破壊されたものの再建、第二神殿)と祭司を中心とした宗教共同体をかたちづくることになる。旧約聖書の成立には、バビロン捕囚前後、民族衰退期の祭司たちの精神が大きく影響していると言われている。

 こうした歴史をふまえて、この節の後半の内容を考えるとつぎのようになるだろう。

 何百年にもわたり、強国による破壊や支配を余儀なくされ、つねに独立の芽を摘まれてきたユダヤ民族は、まったく無力な存在となっていた。そのため、自分たちの存在を肯定するためには、貴族的価値評価をあえて否定し、無力さそのものを肯定するような価値評価をつくらざるをえなかった。これは、憎むべき圧制者たちへの復讐を、戦いといった現実の行為で行うのではなく、心のなかで実行するもの(精神的復讐)だった。実力で反抗したくても反抗できない無力なユダヤ民族にはこの方法しかなかった。ニーチェはそれをつぎのように描いている。

 「惨めな者」のみが「善い者」であり、高貴な者、権勢家、支配者、権力者たちは「神に背く者」であり、「呪われた者」であるだろう。

 この言葉は、新約聖書、『ルカ福音書』の、さいわいなのは貧しい人々、わざわいなのは富んでいる人びと、といった「さいわいな人々、わざわいな人々」の部分を思わせる。しかし、「惨めな者」への祝福は、すでに旧約聖書によく見られる(『詩編』など)。また、圧制者に対する呪いの言葉も、旧約聖書にたいへんよく見られる。たとえば、『イザヤ書』、『エレミヤ書』、『エゼキエル書』といった預言書には、アッシリア、新バビロニア、エジプトといった周辺強国に対して、「ヤハウェの力によって撃滅されるであろう」といった預言もなされ、その滅びの陰惨なビジョンも描かれている。これは、無力な者の心のなかの願い、圧制者に対する精神的復讐の表現だともいえる。

 ニーチェにとって、ユダヤ教とキリスト教は、無力な自分を肯定し、強力であること(貴族的価値評価)を呪う価値評価として、まっすぐにつながっている。そのため、上で見るようなユダヤ教ともキリスト教ともとれるような書き方がなされていると思われる(とはいえ、この節ではまだイエス登場以前のユダヤ民族の様子が描かれているはず)。

 この価値転換による精神的復讐は、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という反動的価値評価(これまでヨーロッパを支配してきた道徳の価値の本質でもあるルサンチマンによる価値転換)として、このあと詳しく問題にされる(第一論文、10以降)。

 ユダヤ民族の価値転換による精神的復讐を受け継いでいるのがキリスト教だ。これがニーチェの主張。だから、「ユダヤ人と共に道徳における奴隷一揆がはじまった」となる。この節の最後で、ユダヤ的価値転換の遺産相続者といった話が出てくるが、それはイエスだと思われる。ただし、イエスその人というよりも、つぎの節で見るように、パウロによってあとから理論づけられた、人類の救済のために十字架にかかった神の子、としてのイエス、ということになるだろう。あるいは、もっと言えば、ユダヤ的価値転換の相続者とは、パウロによって理論づけられたキリスト教、その道徳的価値判断をうけついだヨーロッパ文化全体とも言えるかもしれない。

 さて、いままでこの節の後半の議論をたどってきたが、つぎに、前半の議論の意味をはっきりさせる必要がある。後半の議論と前半の議論のつながりはつぎの点にある。

 じつは、ユダヤ民族の価値転換による精神的復讐は、ユダヤの僧侶階級に起源がある。僧侶たちが価値転換による精神的復讐の原理(ユダヤ教)をつくりだし、人びとはそれを受け入れ、僧侶たちの支配のもとに入った。ここに祭司を中心とした宗教共同体が生まれ、ユダヤ民族はある意味で全体として僧侶となった。だから、ニーチェは後半の議論でユダヤ人を「僧侶的民族」と呼んでいるはず。

 では、そのおおもとの僧侶たちの復讐とはどのようなものだったのか。それは、まだ宗教共同体になる前、僧侶たちが権力をにぎる前のユダヤ共同体の内部で生まれた。その場面を、ニーチェは、本文のはじめ、僧侶的価値評価と貴族的価値評価の対立として描いていると思われる。
こちらで相当補ってしまった長いものになるが、以下のようにまとめてみた。

 まず、僧侶的価値評価と貴族的価値評価の対立とはどのようなことを意味しているのだろうか。たとえば、ニーチェのつぎのような議論を参考にしてみるのもいいだろう(『反キリスト者』、25、26)。

 もともとヤハウェは戦いの神だった。民族が強力であるときには神には感謝が捧げされたが、民族が衰退すれば神は棄てられるはずだった。しかし、神が棄てられれば僧侶たちは生きてゆけない。そこで、僧侶たちは神の概念を変更することにした。まず、「人びとの不幸は神への不服従という罪に対する罰だ」とする考え方をつくりだした(神との契約に背く罪)。さらに、歴史の全体を神に対する罪と罰の歴史として描き出した(おそらく『創世記』、『出エジプト記』)。加えて、神の意志(啓示)のもとに、自分たちに収められるべき税金も含め、人びとの習俗、政治、裁判、結婚、貧者救済にいたるまでの決まりを定め(律法)、自分たちの存在が人びとに不可欠であるような秩序をつくりだした(おそらく『レビ記』、『民数記』、『申命記』)。こうして、神の名を借りて、僧侶たちは人びとを自分たちへ服従させるユダヤ教というシステムをつくりだした。

 この議論をふまえると、僧侶的価値評価と貴族的価値評価の対立はつぎのようなストーリーとして考えられる。

 僧侶たちは積極的な行動をしないことで自己肯定しようとする人びとだった(禁止に従順な生活を送ったり、禁欲生活を送る)。もともと僧侶的価値評価には、貴族的価値評価と対立するところがある。それでも、共同体が強力である場合には、僧侶たちが仕える神は「民族に勝利をもたらす神」として人びとに感謝されているため、僧侶たちと戦士たちとの対立は表面化しなかった。

 しかし、民族衰退期、ユダヤ共同体では「民族に勝利をもたらす神」という神の概念が危うくなる。神はいっこうに勝利をもたらしてくれないからだ。同様に、神に仕える祭司たちもその存在意義が危うくなる。ここに僧侶と戦士の対立が表面化する。

 戦士にとって戦争は自己肯定の源泉でさえある。新バビロニアやペルシャ帝国の支配に対して、再び独立を勝ち取ろうと反乱をくわだてる戦士たちからすれば、戦争は民族の自主独立にとって不可欠の行為でもある。一方、そもそも現実にかかわり行動することを回避する僧侶たちは戦争をもっとも忌むべきものと考えている。

 いざ戦争ということになれば、僧侶たちはなんの役にも立たない。だから、戦士は僧侶を共同体内の敵とみなし迫害する。僧侶はそのような戦士を憎むが、そもそも行動回避的で無力な存在であるゆえに、現実的な反撃をしたくてもできない。

 そこで僧侶たちが行ったのが価値転換による精神的復讐だった(新しい神概念によるユダヤ教の確立)。それはつぎのような内容になっている。

 神はユダヤ民族だけの神なのではない。神は、他の民族にも勝利をもたらし、ユダヤ民族に敗北と被支配という苦しみをもたらす存在でもある(すべての民族のありかたを支配している唯一神)。なぜユダヤ民族は苦しめられねばならないのか。その理由は神との契約に違反する罪を犯したからだ。ユダヤ民族は神によって罰をうけている。歴史もそういう罪と罰の歴史になっている。だからこそ、神の与えたさまざま決まりを守って罪を犯さないよう慎ましく生きなければならない。律法を守って生きる者にこそ祝福がある(やがてメシアによる救済がある)。

 じつは、ここにあるのは、僧侶たち自身の「無力さ」をそのまま肯定する価値評価だといえる。自分の仕える神が勝利をもたらさないこと、自分は戦いで役に立たないこと、じっさいの行動を起こさず禁止を守ったり禁欲することしか自分にはできないこと、こうした「無力さ」がここで「善い」と肯定されている。

 また同時に、この価値評価は戦士に対する精神的復讐でもあった。自分を攻撃してくる憎むべき戦士たち、その貴族的価値評価は、勝利の神を信じ、敗北や被支配ではなく勝利にのみ価値を見いだし、戦となれば禁止も破る、といった「無力さ」とは正反対のものだ。この貴族的価値評価を僧侶たちは悪いものとして転倒している(勝利の神は唯一神より程度の低い民族神、敗北や被支配を忍従することに意味がある、律法の順守)。

 ユダヤ教というのは、貴族的な価値評価から見ればまったく消極的で軽蔑すべき「無力さ」に、あえて積極的な意味を与え、かえって逆に貴族的な価値評価を攻撃する試みだったといえる。つまり、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という価値評価による精神的復讐はユダヤの僧侶たちにその起源をもっている。

 さて、ニーチェはあまりはっきりと書いていないけれど、まずユダヤ共同体内で、僧侶階級の戦士階級に対する勝利があったといえるだろう。精神的な復讐は現実のものとなった。その理由は、何百年にもわたり、強国による破壊や支配を余儀なくされ、つねに独立の芽を摘まれてきたユダヤ民族の多くが、戦士として戦うことにではなく、自分たちの「無力さ」を肯定するほうに傾いていたことにある。そこに入り込んだのが僧侶たちの価値転換だった。

 つねに強国による破壊や支配にさらされる自分たちの不幸を神に与えられた試練とすること、律法を守って慎ましく生きることが救済に通じると考えること、これらは人びとの「無力さ」に積極的な意味を与える。こうして人びとはユダヤ教を民族の自己肯定の方法として受け入れ、僧侶たちの支配のもとに入る。

 ようするに、僧侶たちのつくりだした価値評価(ユダヤ教)は、人びとの報われなさの感覚をうまく吸い上げ、そのことによって僧侶たちは権力を得たことになる。

 このとき、ユダヤ民族は「僧侶的民族」となった。また、このとき、僧侶たちの自己肯定は民族の自己肯定となり、僧侶たちの共同体内の戦士に対する精神的復讐は、僧侶的民族の他民族に対する精神的復讐として受け継がれることになる。

 こうして、話は後半の「僧侶的民族」の議論につながっていく。

 つぎの節へのつなぎも含めて、この節でのニーチェのストーリーを以下のように整理しておく。

 ユダヤ教は僧侶階級の戦士階級に対する憎しみから発している。もともと無力な僧侶たちは、戦士たちを直接攻撃することではなく、価値転換による精神的な復讐を考え出した。それが、「力をもつこと」を肯定する貴族的価値評価を否定し、「無力さ」を肯定する価値転換、この価値転換によって戦士に精神的復讐をすることだった。「力をもつ者は悪く、無力な自分たちこそ善い」。そういう僧侶的価値評価がここで生まれる。

 この価値評価は、無力なユダヤの人びとの報われない気持ちを吸い上げ、僧侶たちは戦士に勝利することになった。ここにユダヤ宗教共同体、僧侶的民族としてのユダヤ人が生まれる。すると今度は、ちょうど僧侶が戦士に対してやったことと同じ価値転換による精神的復讐が民族単位で生じる。それが、「力をもつ支配民族は悪く、無力なユダヤ民族こそ善い」というかたちになる。もちろん、これは「力をもつ者は悪く、無力な自分たちこそ善い」という僧侶的価値評価をもとにしている。

 さて、ニーチェの議論はさらにつづき、つぎの節で描かれるのが、僧侶的価値評価がローマ帝国に勝利をおさめるところだ(キリスト教の公認、国教化)。ユダヤ共同体での勝利者はユダヤ教の僧侶たちだったが、ここでの勝利者はキリスト教の僧侶(キリスト教教会)となる。しかし、ニーチェに言わせば、このちがいは問題にならない。あのユダヤの僧侶たちからはじまった僧侶的価値評価が勝利したことには変わりはないからだ。ただし、この展開にはひとつ重要な道具立てが必要となる。それが、人類の救済のために十字架にかかった神の子イエス、というものだった。これがつぎの節のテーマとなる。

8 僧侶的価値評価の勝利、十字架にかけられた神の子イエスという道具立て

 ここはユダヤ教からキリスト教へという流れになっている。僧侶的価値評価は、ユダヤ教からキリスト教に受けつがれ、ついにローマ帝国を支配するものにまで育つ。そこで大きな役割をはたすのが、十字架にかけられた神の子イエスという道具立てだ。全体の流れは以下のとおり。

 復讐と憎悪のあの樹の幹(ユダヤ的憎悪)から、あらゆる種類の愛のうちで最も深く崇高な愛、新しい愛(キリスト教の愛)が生まれた。この愛を、あの復讐欲の真の否定、ユダヤ的憎悪の反対物などとゆめ思わないでもらいたい! その逆こそが真なのだ! この愛はユダヤ的憎悪の勝利を意味する。

 愛の福音の化身としてのナザレのイエス、「貧しき者・病める者・罪ある者に祝福と勝利をもたらすこの〈救い主〉」は、ユダヤ的価値と理想の実現のための迂路だった。一見、この〈救い主〉はイスラエルの敵対者であり解体者であるように見えるが、じつは、イスラエルの復讐欲の最終目標を達成させるための手段だった。

 イスラエルみずからが、自分の復讐の真の道具を、まるで生かしておけない敵のように、全世界の眼の前で否定し、十字架に掛けざるをえなかったこと。それでもって全世界、イスラエルのすべての敵が安心してこの餌に食いつけるようになったこと。これこそ復讐の黒魔術ではないか。

 「聖なる十字架」、「十字架にかけられた神」、「人間の救済のために神自らが十字架にかかるという想像を絶した極端な残忍きわまるあの秘蹟劇」、こうしたものに匹敵すべきものを、誰が考えだすことができるだろうか? じつは、神の子イエスが十字架にかけられる、という道具立てによって、ユダヤ的な価値転換と復讐はあらゆる貴族的価値評価に対してこれまで勝利をおさめてきたのだ。

○石川まとめ・補足
 ニーチェはここでキリスト教の「愛」を問題にしている。これは、キリスト教における神と人間との関係を問題にすることだ。

 ユダヤ教の神は律法に背く者に罰を下し、神と人間との関係はたいへん厳しいものになっている。一方、キリスト教においては、神と人間との関係は、律法と罰ではなく、愛で結ばれる。ここにユダヤ教とキリスト教とのちがいがあり、かりにユダヤ教が僧侶階級や僧侶的民族の憎悪をもとにしているとしても、そのユダヤ的憎悪とキリスト教の愛とは関係ない、と考えるひともいるかもしれない。しかし、それはまちがっている、両宗教はまっすぐにつながっている、キリスト教の愛こそ、ユダヤ的憎悪と復讐、僧侶的価値評価の勝利を可能にした。これがここでのニーチェの主張だ。

 では、キリスト教の愛、神と人間とを結ぶ愛という関係とはどういうものか。それは神の子イエスという存在が核になっている。ここでニーチェが念頭に置いているのは、初期キリスト教の最重要人物、パウロ(3-65)による、神の子が十字架に架けられた、というイエスの死の解釈のことだろう。以下、少し長くなるが、このパウロの文脈を補足したい。

 もともと、十字架に聖なる意味はなかった。十字架刑はローマへの反逆に対する極刑を意味していた。ナザレのイエスという人物は、神殿・祭司中心主義を批判し、厳しい律法を守ることができない社会の下層の人びとにも救いがあると主張し、民衆のなかへと入って宗教・社会改革運動を実践したと思われる。この試みは当時のユダヤの支配層である僧侶階級の反感をかい、彼らの訴えを受け入れたローマによってイエスは十字架刑に処せられた(イエス処刑当時、エルサレムはローマの支配下にあった)。

 ニーチェに言わせれば、このナザレのイエスという人物は、下層民を組織して既存の秩序に挑戦した「一人の政治犯」であって、その十字架刑という結末も反逆者として「おのれの罪のために死んだ」ということになる(『反キリスト者』、27)。

 ところがパウロは、イエスという人物の死について、「聖なる十字架」というべき独特の意味づけを行った。「神の子イエス」というキリスト教の中心となっている考え方は、パウロのイエスの死の解釈に起源をもっている。それは以下のとおりだ。

 そもそも、処刑されるということはそれ相応の罪があることを意味する。しかし、神の子であるイエスに罪はない。にもかかわらず処刑されねばならないとはどういうことか。じつは、イエスの処刑の理由は、イエス自身の罪ではなく、人類の罪にある。イエスはわたしたちの罪をわたしたちの代わりにあがなってくださった。これは、神がイエスをこの世に遣わし、イエスの血でもって、わたしたちの罪をゆるしてくださったことを意味している(ニーチェのこの節での言葉でいえば、「十字架にかけられた神」、「人間の救済のために神自らが十字架にかかる」)。

 ここに、神の愛、神と人間との関係がある。キリスト教における愛とは、まずもって、このイエスを媒介とした神による人類の罪のあがないということにある。

 このような論理は、キリスト教(といっても、パウロの時代ではユダヤ教イエス派とも言うべきものであったけれど)をユダヤ教の完成として位置づけるものだった。旧約聖書の世界像は、楽園追放以来、人類の神との約束違反、それに対する神からの罰がつづいてきたことを示す。パウロの論理は、この一連の流れに、イエス・キリストを通じた神みずからによる人類の罪の究極的なあがない、というしめくくりをつけた。

 いわば、罪は、アダムによってこの世界に入り、イエスによってあがなわれたことになる。人類は神の愛によって罪のない状態になった。となると、人類はもう赦されたわけだから、神による罰を恐れて厳しい律法を守ることは、もはや信仰の絶対条件ではなくなる。ここが重要な点だ。

 パウロにとって、イエス・キリストによる罪のあがないの意味は、律法を絶対条件とせずにそれまでの神への信仰を広める可能性にあった。パウロのなかではユダヤ教とキリスト教はイエスを介してまっすぐにつながっている。

 ユダヤ人として生まれたパウロは、ユダヤ教徒として、はじめはキリスト教徒を迫害する活動に加わってさえいたが、ダマスコへと迫害に赴く途中でキリスト教に回心したと言われている(このとき復活したイエスを見たとも)。けれども、回心というのはあまり正確な言い方ではない。というのも、パウロにとって信仰する神は変わってはいないからだ。

 もともと、ユダヤ教の神は他の民族の命運をも支配する普遍的な神だった(一神教)。ところが、その信仰には厳しい律法を守るユダヤ人であることが不可欠だった。もっとも、じっさいにそういう意味でユダヤ人となる者もおり、当時のユダヤ教は、もともとユダヤ人として生まれた者以外にも広まっていたようだ(ユダヤ教はたんに民族宗教とは言えないところがある)。

 しかし、律法には割礼や異教徒と食卓を共にしてはならないという食事規定があった。これは信仰を広めるためにはやはり厳しい条件となっている。そこで、パウロは、聖なる十字架の論理によってこの律法という厳しい条件をはずし、神への信仰をさらに多くの人びとに開いた。神はユダヤ人でなくても信仰できる。いわば、パウロによって、普遍的な神は普遍的な信仰の可能性を獲得することになったのだ(なお、信仰は、律法を守るといった外面によらず、心の義、内面的な神への忠誠にのみによる、というパウロの信仰義認の考え方も、律法の重要性を否定する聖なる十字架の論理なくしては生まれなかった、といえる)。

 キリスト教の中心には、パウロの打ち立てた十字架にかけられた神の子イエスという存在がある。もちろん、ユダヤ教はこの存在を認めない。この点がユダヤ教とキリスト教を分けている。けれども、両宗教の神は同じだ。

 おそらく、ニーチェはこの点に注目してこの節の論理を組み立てている。ユダヤ教もキリスト教も同じ神を信仰している。ユダヤ教の神への信仰を、キリスト教はパウロの聖なる十字架の論理を介して普遍化した。このことの意味はなにか。それこそ、僧侶的価値評価の普遍化だった。以下、こうした展開をニーチェの本文の議論に話を戻して見ていきたい。

 ニーチェはこの節で、パウロの名前も出さずに、「十字架にかけられたイエスは見かけはユダヤの敵だがじつはユダヤの手先だった」といわばユダヤ陰謀説のような書き方をしている。この点がたいへんわかりにくい。

 しかし、ニーチェが問題にしているのは、キリスト教の愛だということを押さえておこう。キリスト教の愛は、パウロによってつくられた聖なる十字架の論理に支えられており、これは、じつは、ユダヤ教とキリスト教との連続性、僧侶的価値評価による復讐の引き継ぎと完成を意味している。ユダヤ教とキリスト教は、僧侶的価値評価という点で、じつはまっすぐにつながっている。そういったことをニーチェは論じようとしている。ニーチェが描きたいのはつぎの流れであるはずだ。

 ユダヤ共同体内での僧侶階級と戦士階級の闘いは僧侶階級の勝利に終わった。僧侶たちの復讐は現実のものとなり、ここにユダヤ宗教共同体、僧侶的民族としてのユダヤ人が生まれた。

 つぎに、被支配民族であるユダヤ人と支配民族であるローマ人との闘いが生まれる。この闘いにナザレのイエスという人物の死は利用された。彼の死は、パウロによって、神の愛として、十字架に架けられた救い主による人類の罪のあがないの物語に仕立て上げられ、神への信仰をより普遍的に広めるための道具となった。

 では、この普遍化された神への信仰とはどのようなものなのか。これは僧侶的価値評価の普遍化であるはずだ。ニーチェはこの節で、「全世界、イスラエルのすべての敵が安心してこの餌に食いつけるようになった」といった言い方をしているが、この餌とは、僧侶的価値評価のことだろう。

 すでに前節で、「弱い自分たちユダヤ民族こそ神に祝福される」という価値評価がユダヤ教のなかにあるのを見た。パウロの打ち立てた信仰は、神に祝福される者は律法を守るユダヤ人であることをもはや必要としない。そうなったとき、ユダヤ教の価値評価は、「弱い者であればだれもみな神に祝福される」と、より多くの人びとに開かれたかたちになる。これが、たとえば、新約聖書、『ルカ福音書』の「さいわいなのは貧しい人々」といった考え方に通じていく。

 ようするに、あのユダヤの僧侶たちの復讐心によってつくりあげられた「強い者は悪い、弱い自分たちこそ善い」という価値評価は、ユダヤ教、そして、パウロの聖なる十字架という迂路(回り道)を通じて、キリスト教へと連綿と受け継がれ、世界大に広がっていったのだ。これがここでニーチェの言いたいことのまとめになる。

 さて、かつてユダヤ社会において、僧侶たちが、戦士たちに勝利し、権力を握るという復讐をなしとげたのと同様に、パウロが巧みにつくりあげた十字架に架けられたイエスという道具によって、キリスト教の僧侶たちもローマに対する復讐をなしとげた。では、このニーチェがいうところの「復讐の黒魔術」とはどのようなものだろうか。

 たとえば、ニーチェはパウロについてつぎのように言っている。「彼が欲求したのは権力であった。パウロとともにもういちど僧侶が権力をにぎろうと欲した」(『反キリスト者』、42)。イエス・キリストという道具を通じて、キリスト教の僧侶たちは、ユダヤ教の僧侶たちがそうやったよりさらに多くの人びとの報われなさの感覚をうまく吸い上げ、そのことによって最終的にローマ帝国に勝利をおさめることができた(キリスト教の公認、国教化、さらには、中世までつづくローマ教会の権力の確立)。

 ニーチェはこの節の最後に「この標章の下に」というコンスタンティヌス帝(274頃‐337)が十字架とともに啓示されたとされる言葉を置いている。このコンスタンティヌス帝こそミラノ勅令(313)で、それまでたびたび大迫害にあったキリスト教をはじめて公認したローマ皇帝だった(もっとも、コンスタンティヌス帝にとって、この公認の意味は、キリスト教の組織力を自らの権力のために利用することにあった、とされている)。だから、歴史的対応でいえば、ニーチェはここで、パウロからキリスト教の公認までを、駆け足でたどっていると言える。

 このようにキリスト教が広まり、やがては、その勝利、キリスト教の僧侶たちによる世界大の支配が可能になっていくのも、イエス・キリストという道具、パウロの聖なる十字架の論理にある。だが、それはたんに、「弱い者であればだれもみな神に祝福される」という僧侶的価値評価の普遍化にあるだけではない。これに加えて、じつは、聖なる十字架の論理のなかにある「負い目」の感情が大きく影響した。

 イエスはわたしたちの罪をわたしたちの代わりにあがなってくださった。神がイエスをこの世に遣わし、イエスの血でもって、わたしたちの罪をゆるしてくださった。これは、人類全体が神に対して負い目を負っていること、返しきれないほど大きい負債を負っていることも意味している。

 だからニーチェはこの節で、「人間の救済のために神自らが十字架にかかるという想像を絶した極端な残忍きわまるあの秘蹟劇」という言い方をしている。この残忍さとは、神(神の子イエス)が自分自身を十字架刑でもって犠牲にする、という自己犠牲的な残忍さを意味するだけではないはずだ。というのも、神の自己犠牲の物語によって、人間が自分自身を極端な負い目の感情でもって責め苛むようになってしまったからだ。パウロの聖なる十字架の論理は、人間の自分自身に対する残忍さも意味する。

 キリスト教の僧侶たちは、人びとにこの負い目の感情を与えて自己否定を迫り、それを巧みにコントロールして、自らの権力意志を実現した。負い目は自分自身に対する残虐性であり、僧侶はそれを支配の道具とした。この点は、第二論文の中心テーマとして詳しく論じられることになる。

 最後に、言葉の点でひとつだけ言っておくべきだろう。ニーチェはこの節で「ユダヤ」ではなく「イスラエル」という用語を何回か使っている。イスラエル人とは、ヤコブの子孫とされる12部族を指す。ダビデ‐ソロモンの王国はこのイスラエル人の王国(イスラエル王国)だった。しかし、王国分裂後、北イスラエル王国滅亡のさい、アッシリアの征服政策によってそこに住む部族のアイデンティティは解体されてしまった。残ったユダ王国の部族がその後もアイデンティティを保つことができ、その中心がユダ部族だったため、ユダヤ人という呼び方が生まれた。

 ニーチェがどうしてこの節でイスラエルという言葉をあえて使っているのかよくわからない。もしかして、キリスト教の世界大の勝利を、あのダビデ‐ソロモンの栄光の時代、イスラエル王国の世界大の再興になぞらえて、あえてイスラエルという言葉を使っているのかもしれない。とはいえ、「イスラエル」を「ユダヤ」と読み替えてもこの節の議論の本筋はほとんど変わらないと思われる。

9 自由精神が語る僧侶的価値評価の最終形態、民衆の勝利

 自由精神が語る、という独特の形式をとるこの節は、僧侶的価値評価の誕生からはじまったこれまでの系譜学(6〜8節)をしめくくるエピローグという位置づけ。大きな流れは以下のとおり。

 自由精神はつぎのように語る。

 高貴な理想(貴族的価値評価)をいまさら持ち上げてなんの意味があるのか。歴史を見れば、民衆が勝利したことは明白な事実だ。これを奴隷、賤民、畜群の勝利と批判したところで意味はない。民衆の勝利が世界史の目的であり、ユダヤ人(ユダヤ教、キリスト教を生み出したユダヤ人)は、それを担った最初の民族だったのだ。いまや、「〈主人〉は片づけられてしまい、平民の道徳が勝った」(奴隷道徳の勝利、民主主義の時代となった)。

 民衆の勝利とは、血に毒が注がれたことだといえる(人種の混淆、つまり、民族や階層といった区別がなくなり、人びとがみな平等となった。ニーチェはこの起源をおそらくユダヤ教からキリスト教へと受けつがれる「神の前の平等」に見ている)。この毒(平等の思想)の注入が成功したのは疑いない事実だ。人類の主人からの解放は、きわめて順調に進んでいる(歴史は民主主義へと向かっている)。これを人類のユダヤ化、キリスト教化、賤民化と批判したところで、毒が人類の全身をすみずみまで侵してゆく歴史の成り行きは止められない。

 かつて教会はこの歴史の流れを促進するのに必要不可欠な役割を担っていた。しかし、いまや、教会は、毒の浸透を阻止し、近代的な知性に逆らう粗野なものになっている。教会は、いまでは人びとを魅惑するものではなく遠のけるものになっている。だから、教会を批判する立場として、われわれ自由精神がある。もちろん、われわれが嫌いなのは教会であって、教会の毒ではない。教会さえなければ、われわれはあの毒は好きだ。

○石川まとめ・補足

 ニーチェは「自由精神」を自分自身の立場とすることもある。とくに、『人間的、あまりに人間的』を書いていた時代にはそうだ。しかし、『道徳の系譜』では、自由精神は批判的に扱われている。この節での自由精神は、実証主義、民主主義(各人の平等)といったものに価値をおく近代の進歩的知識人を指していると思われる。なお、この進歩的という意味で、歴史を自由の進展としてとらえるヘーゲル的な歴史観もここに含まれているはず。

 ニーチェが描く自由精神はつぎのように考えている。歴史が民主主義に向かっていることは、明白な事実として認めなければならない。主人は倒され、民衆の世の中となることは歴史の法則でさえある。それを奴隷一揆だと批判し、かつての主人道徳(貴族的価値評価)を持ち上げたとしても、歴史の流れを変更することはできない。

 ニーチェはこの自由精神の口を借りて、いったいなにを言いたいのだろうか。これがどうして、いままで述べてきた系譜学のひとまずのエピローグ(しめくくり)となるのだろうか。ニーチェはまずつぎのようなストーリーを考えている。

 キリスト教の勝利は、教会による支配を生み出した。しかし、これはたんに教会(キリスト教僧侶階級)の勝利ということを意味しない。この支配によってキリスト教が世界に広めたのは、ある「毒」だった。

 ニーチェはこの毒がなんであるかを本文でははっきり言っていない。そこにこの節のわかりにくさがある。けれども、おそらくこの毒とは「神の前の平等」のことだろう。これは「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」とする僧侶的価値評価でもある。弱い者は、抜きんでた者がいること、世の中に力の差異があることを認めようとせず、主人と奴隷との区別なく平等であることを望むからだ。キリスト教がこの平等という毒を広め、最終的に民衆の勝利が実現した。ニーチェのなかで、キリスト教の「神の前の平等」は、この民主主義の時代を準備するものとして位置づけられているはずだ。

 じっさいニーチェは別のところでつぎのように言っている。「芸術家として人間を形成できるほど充分に高尚でも峻厳でもない人間たち。崇高な自己克服をもって、千様万態な出来損ないや破滅の明瞭な法則を意のままに支配できるほど充分に強力でもなく、先見の明もない人間たち。人間と人間とのあいだを深淵のように隔てるさまざまの位階や等級の懸絶を見ぬくほど充分に高貴でない人間たち。――こういう人間たちが、彼らのいわゆる<神の前の平等>を武器として、これまでのヨーロッパの運命を左右してきた。かくしてついに、ちぢこまった笑うべき種族が、畜群的存在が、善良で病的で凡庸な存在が育成されるにいたったのだ。すなわち今日のヨーロッパ人がだ・・・」(『善悪の彼岸』、62)。

 ニーチェは、前節ではキリスト教の「愛」を問題にし、ここではキリスト教の「平等」を問題にしている。そう考えて、文脈を補えばつぎのような「神の前の平等」の例があげられる。

 ユダヤ教、たとえば、旧約聖書の『ヨブ記』には、「主人と下僕も神から造られたものとしては対等だ」とする思想が見られる。だから、平等の思想はユダヤ教にもあり、それをキリスト教は受け継いだともいえる。また、パウロはつぎのように言う。「キリストへと洗礼を受けたあなたがたは、みなキリストを着たのである。もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男性も女性もない。まさにあなたがたすべては、キリスト・イエスにおいて一人なのだからである」(「ガラテヤ人への手紙」)。そして、マルコ、マタイ、ルカ福音書の「神のみ心を行うものこそわが兄弟、姉妹、また母である」といった言葉がある。

 こうした神の前の(あるいはイエスを仲立ちにした)平等の考え方それぞれに細かな解釈はありうるだろう。けれども、大きく言えば、ニーチェのキリスト教の平等をめぐるストーリーは、つぎのようなものであるはずだ。

 キリスト教は「神の前での平等」という思想を広めた。この平等の思想はやがて、教会権力自身をも脅かすまでに育つ。誰もがみな神の前で平等ならば、たとえ教会であっても至上の権力をもつのはおかしいではないか、ということになる。こうして、近代の歴史は、教会権力や王権を打ち倒す方向に進む(宗教改革、市民革命)。主人に対し民衆が勝利する時代に向かっていく。進歩的知識人である自由精神は、この歴史の流れを肯定し、民主主義の進展としてこれをさらに促進しようとする。だから、自由精神にとっては、かつての権力の遺物である教会は気に入らない。しかし、自由精神はキリスト教の毒、平等の思想じたいは愛している。

 ニーチェが自由精神の口を借りて描いているのは、キリスト教の毒(平等の思想)が、現代の自由精神、彼らの評価する民主主義に受け継がれている、ということだ。

 これまでの流れを整理するとつぎのようになる。

 僧侶的価値評価はユダヤ社会に広まり、ユダヤの僧侶階級は勝利者となった。つぎに、この価値評価はキリスト教のかたちでローマ帝国、ヨーロッパ社会に広まり、教会が勝利者となった。しかし、教会は、みずから広めた価値評価(平等の思想)によって、民衆に打ち倒されることになる(宗教改革、市民革命)。ここでの勝利者は、どこにも特権的立場の者のいない、平等な、すべての民衆となる。もともと強い者の存在を許さない僧侶的価値評価は、現代の民主主義のかたちをとって、ついにその完成形態に達したことになる。

 民主主義、それを重んじる自由精神の登場によって、ニーチェの歴史的考察はひとまずしめくくられる。

 自由精神はこの歴史を人類の自由の進展として肯定する。しかし、ニーチェはこれを肯定しない。そこで、勝利した僧侶的価値評価、奴隷道徳の本質を分析し、その問題点を洗い出す方向に話が進む。

10 ルサンチマンの人間と貴族的人間

 僧侶的価値評価(奴隷道徳)は弱い者のルサンチマン(怨恨、反感)から生まれる。このルサンチマンの人間をニーチェは貴族的人間(自己肯定的な人間)との対比で描く。ユダヤの僧侶階級から生まれ、現代の民主主義にまで受け継がれ、つねに勝利をおさめてきた僧侶的価値評価、その本質とはそもそもなにか。その答えが弱い者のルサンチマンに見出される。内容は以下のとおり。

 道徳における奴隷一揆は、「ルサンチマン(Ressentiment)」が 創造的になり、価値を生み出すようになったときはじめておこる。無力の者はルサンチマンを実際の行為でもって晴らすことができない。そこで、想像上の復讐によってその気持ちを埋め合わせるようになる。ここに僧侶的価値評価、奴隷道徳の起源がある。

 貴族道徳は、自分自身に対して「然り(ヤー)」と言う「肯定」の言葉から生まれる。

 一方、奴隷道徳は、「外のもの」、「他のもの」、「自己ならぬもの」に対して「否(ナイン)」と言う「否定」の言葉から生まれる。この否定の言葉が彼らの創造的な行為だ。ここには、自分自身に対する肯定ではなく、自分ならざるものに対する否定から価値を生み出す転換がある。これがルサンチマンの価値評価に特徴的なことだ。奴隷道徳は、生物学でいう外的刺激に対する反応のように、自分と対立した世界、自分の外部の世界に対する反応(反動)として成立する。

 一方、貴族的人間はその逆で、自発的に行動し成長する。これが自分と対立するものを求めるのは、その対立物に感謝して、自分自身に対して「然り(ヤー)」と言う「肯定」の言葉のためである。貴族的価値評価にとっては、われわれ「よき者」、「美しき者」、「幸福な者」といった生と情熱に溢れた自己肯定の概念こそが重要なのであって、その肯定の概念に対比された意味での「卑しい」、「わるい」といった否定的な概念は、二次的な概念にすぎない。

 もちろん、貴族的人間も現実を見誤ったりすることはあるが、それは、じっさいに知ることからは距離を置いて自分の身を守るような領域で起こる。たとえば、自分が軽蔑する平民や下層民の領域を見誤ることはある。けれども、その軽蔑によってつくられた相手の像が歪曲であっても、無力者の憎悪や復讐心によってつくられる敵対者の像の歪曲に比べればたいしたことはない。貴族的人間の軽蔑には、多くの無頓着さや多くの自分自身に対する幸せな気持ちがあるので、自分の相手を戯画化したり案山子(怪物)に仕立て上げたりなどできないだろう。

 たとえば、ギリシアの貴族たちが下層民を呼ぶのに使った言葉には、相手に対する憐憫、思いやり、といった好意的ニュアンスがあり、そういったほぼすべての言葉が「不幸な」、「気の毒な」といった意味をもっている。「立派な生まれ」の貴族たちはまず自分たちのことを「幸福な者」と感じたのであり、敵をつくることによって自分の幸福をつくろったりしたのではない。また同様に、貴族たちは、力に充ちあふれた能動的な人間として、幸福と行動を切り離すことはなかった。

 一方、無力な者、抑圧された者、毒々しい憎悪の感情にもだえている者の幸福は、麻酔、昏睡、安静、平和、安息日、気休め、寝そべりといった、ようするに、行動しない受動的なものとしてあらわれる。高貴の者が自分自身に対する信頼と率直さを持って生きるのに対して、ルサンチマンの人間は自分自身に対して正直ではない。そういう人間の魂は横目をつかう(もの欲しげ、ねたましげ)。そういう人間の精神は隠れ家を好み、隠密なものは、自分の世界、自分の安全地帯となる。そういう人間は、沈黙すること、忘れないこと、待つこと、ひとまず自分を卑下することを心得ている。こうした特徴をもつルサンチマンの人間は、貴族的人間より怜悧になる(利口さ、抜け目のなさ)。このような人間は怜悧を自分の生存の第一条件とする。

 一方、貴族的人間の場合は、怜悧はそれほど重要ではない。むしろ、無意識的に調整を行っている本能の完璧な機能や確実さ、危険に対してであろうと敵に対してあろうと勇敢に突進する無分別さ、憤怒、愛、畏敬、感謝、復讐などの熱狂的な激発、といったことが重要になる。貴族的人間は、ルサンチマンが生まれても、それをすぐ反応のなかで実行して晴らしてしまうので、害になることはない。また、弱い者や無力の者にはルサンチマンが当然生まれるような無数の場合でも、ルサンチマンは生まれない。貴族的人間は、自分の敵、自分の災難、自分の非行(悪行)をいつまでも本気に考えることはできない。これこそ、強い充実した本性の印で、ここに、形成し、再生産し、病気を治し、忘却させる力の充溢がある(その好例はミラボーだ)。こういう人間は、ほかの人間なら体内にもぐり込んでくる多くの蛆虫を、ひと揺すりで振り落す。このような人間だけに、敵を愛する、ということが可能になる。貴族的人間は自分の敵にさえ多くの畏敬をもつ。このような畏敬は愛(この世界を愛する、肯定する)にいたる一つの橋である。こういう人間は、おのれのために、自分を卓越した存在とするために、敵を求めさえする。同時に、その敵は、尊敬する部分が非常に多い者でなくてはならない。

 これに反して、ルサンチマンの人間が思い描くような敵を想像してみるといい。彼はまず「悪い敵」、「悪人」を心に思い描く。これを基本概念にして、その対照像として「善人」をつくりだす。そして、この善人こそ彼自身というわけだ!

○石川まとめ・補足

 この節のポイントは、いちばん最後の部分、「まず悪人としての敵を心に思い描いて、それを対照像として、自分を善人にする」という態度にある。つまり、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という僧侶的価値評価が問題になっている。ニーチェはこの価値評価の根底に弱い者のルサンチマン(弱い者の強い者に対する怨恨、反感)があるとする。

 ここで問題になるルサンチマンの人間とは、あの古代ユダヤ社会の僧侶階級なのかもしれない。しかし、ユダヤ民族を含めローマ帝国に支配されていた人びと、近代の民主主義を信奉する人びと、あるいは、報われなさの感情を抱えた込んだときの現代の私たちのあり方、とさまざまな時代の報われない人間のあり方を考えることもできる。これまでニーチェは起源論をやっていたが、ここでは本質論をやっている。そう考えると、僧侶的価値評価をよしとする人間はだれでもルサンチマンを抱えている、と言えるだろう(もっとも、ニーチェの記述じたいは古代社会の支配-被支配の構図がモデルになっているけれど)。

 では、このルサンチマンの人間はどのような特徴をもっているだろうか。ニーチェはこれを貴族的人間との対比で描く。この貴族的人間とは、ユダヤの戦士階級、ローマの支配階級と考えられるが、現代の私たちが自分自身を肯定できている状態、現代の私たちの身の回りで自分を肯定できているように見える人も含めて、自己肯定的な人間一般、と考えてもいいだろう。

 以下にほぼ本文の流れに従って、ルサンチマンの人間の特徴を整理しておく。

(1)想像上の復讐

 僧侶的価値評価は、現実の行為でもってルサンチマンを晴らせない無力な人間のあり方から生まれている。弱い者は、自分も強い者のようにこの世界でのよろこびを享受したい、と思う。しかし、自身の非力さゆえに、強い者になることができない。そのため、強い者に対する妬みや恨み、反感、つまり、ルサンチマンが発散されないまま積み重なり、やがて、自分の心のなか、想像のなかだけで、「強い者、支配者は悪い」と強い者への攻撃が生み出されることになる。こうして、ルサンチマンの人間は、実際の行為ではなく、想像上の復讐によってルサンチマンを埋め合わせる。ここにまずルサンチマンの人間の特徴がある。

(2)自分の対立物に対する否定

 ルサンチマンの人間の想像上の復讐は、自分の対立物(敵とみなす者)に対する「否定」、「強い者、支配者は悪い」と言うことからはじまる。

 貴族的人間も自分の対立物をもつが、その受け止め方はルサンチマンの人間とまったくちがう。その理由は、貴族的価値評価の核が自分自身の存在に対して「然り」と言うことにあるからだ。自分を「よき者」、「美しき者」、「幸福な者」と言えるかどうかが重要になっている。この自己肯定のために、貴族的人間は自分の対立物(敵と言うよりよきライバルと言ったほうがいい)を必要とする。

 ここには、対立物の与える抵抗(苦しみ)を克服することが、自分に力の感情を与え、自己肯定をもたらす、というニーチェの考え方があらわれている(『権力への意志』、断章番号702)。対立物の存在は自己肯定には不可欠だ。このことをわかっている貴族的人間は、対立物に感謝し、それを肯定することもできる。

 すでに第一論文、第2節で見たように、貴族的人間の価値評価は自分の優越感から発する「強い自分はよい、弱い者は自分より劣っている」という価値評価だった(優良と劣悪)。この価値評価は「よい」(優良→自分は苦しいこと(対立物)を克服できる卓越したよい存在だ)と「わるい」(劣悪→苦しいこと(対立物)を克服できない者たちは自分から見て劣っている)によって構成されている。ここでは、あくまでも、自己肯定、自分自身に「然り」と言える価値評価が重要であって、「わるい」という価値評価は二次的なものだった。

 一方、僧侶的価値評価の核は対立物に対して「否」と言うことにある。貴族的人間は自己肯定を第一に価値評価を生み出すのに対して、ルサンチマンの人間は「強い者、支配者は悪い」と自分の対立物を否定すること、「悪い」と言うことを第一として価値評価を生み出している。

 ニーチェはこのルサンチマンの人間の態度に転倒を見いだす。その説明は、生物学の外界からの刺激、対立物に対する反応(反動)といったものだが、意味はつぎのようなものだろう。

 貴族的人間は、自己肯定のために乗り越えるべき対立物を必要とする。根拠関係でいえば、自分の存在が根拠で、対立物は自分に従属する。いわば、他者や世界は自分のためにある、という世界に対する肯定的な受け止めが貴族的人間にはある。彼は苦しい現実に立ち向かう力に充ちている。

 一方、ルサンチマンの人間は、対立物を否定することからはじめる。この背景には、根拠関係の逆転、対立物の存在が根拠で、自分の存在が対立物に従属するとする考え(あたかも、外界からの刺激があって自分が反応する、という物理的反応の関係)がある。つまり、自分は他者や世界からなにかをこうむる存在だ、という受け止めがルサンチマンの人間にはある。これは、自分の報われなさ、みじめさの理由を対立物に求めることに通じている。いわば、悪い敵、悪い世界があって、だからいまの自分がある、という世界に対する否定的な受け止めがルサンチマンの人間にはある。彼には苦しい現実を呪う力しかない。

 整理するとつぎのような図式になる。

貴族的人間 ルサンチマンの人間
自分のために対立物がある。自己肯定のために必要不可欠な条件として苦しみを与えるライバルや世界が存在する。 対立物のせいで自分がある。苦しみを与える悪い敵や悪い世界のせいで報われないみじめな自分が存在する。

 貴族的人間は、自己肯定のために必要なものとして対立物を受け止めるが、ルサンチマンの人間は、自分の報われなさ、みじめさの理由として対立物を必要とする。自分がこうとしか生きられないのは、あの強い者、支配者のせいだ、「強い者、支配者は悪い」と、ルサンチマンの人間は対立物を否定的に受け止める。

(3)敵対者の像の歪曲

 貴族的人間は、「強い自分はよい、弱い者は自分より劣っている」という価値評価から、平民や下層民を軽蔑することはある。そのために、平民や下層民の実像を見誤ったり歪曲したりしてしまうこともある。しかし、基本的に、貴族的人間には、自分自身に対する幸せな気持ち、自己肯定感があるので、平民や下層民に対しては憐憫や思いやりといった好意的な気持ちがある。

 一方、ルサンチマンの人間は自分の対立物を邪悪な存在としてしか受け止めない。そこには一方的な敵意がある。そのため、強い者、支配者を実像とはほど遠いひどい怪物に仕立て上げる。この怪物に歪曲された敵の像をもとに、怪物に比べれば自分は幸せだ、と勝手に自分の幸せをとりつくろう。つまり、悪い敵をねつ造して、そういう怪物でない自分を善いとする。ここに、自分勝手な想像による敵対者の像の歪曲と自己正当化からなる、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という価値評価が生まれる。

(4)受動性

 貴族的人間は、能動的な人間として、幸福(自己肯定)と行動を切り離すことはない。幸福は、実際に現実に向かって行動し、ライバルや世界といった自分ならざるものに立ち向かうことでこそ得られるものだと考える。

 一方、ルサンチマンの人間は、受動的な人間として、幸福と行動を切り離している。幸福は、麻酔、昏睡、安静、平和、安息日、気休め、寝そべりといった、行動しないこと、敵や世界といった自分ならざるものにわずらわされないことに求められる。

 しかし、この幸福(自己肯定)のかたちは、ようするに、実際には行動しないことなのだから、ルサンチマンの人間は、現実とかかわらず引きこもって、ただ想像のなかだけで敵の歪曲と自己正当化を行い、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」と念じているだけといえるだろう。

 また、おそらく、ここでニーチェは、貴族的人間の能動性に「増大」としての力への意志(苦しい現実に立ち向かって自分の存在を大きくしようとする力)と、ルサンチマンの人間の受動性に「自己保存」としての力への意志(苦しい現実になるべくかかわらないようにして自分の存在を保存しようとする力)の二つを重ねている。

(5)怜悧

 貴族的人間には自分自身に対する信頼と率直さがある。怜悧(利口さ、抜け目のなさ)は重要ではない。貴族的人間は素朴だ。自分自身の、無意識的に調整を行っている本能の完璧な機能や確実さ(増大しようとする力への意志)、危険や敵に勇敢に突進する無分別さ、感情の熱狂的な激発、といったことに忠実であろうとする。だから、ルサンチマンが生まれても、それをすぐ実際の行動でもって晴らしてしまう。貴族的人間は、率直に自分自身の増大しようとする力への意志に従い、それを即座に敵や世界に向かって発散してしまうため、自分の敵、自分の苦しみ、自分の行った悪行について、いつまでも記憶にとどめ、気にすることはない。ここには健康的な忘却がある。

 また、貴族的人間は自分の敵を尊敬さえする。貴族的人間にとっては、自分を卓越した存在として肯定するために、尊敬できる敵を必要とするからだ(困難を乗り越えて自分を優れた勝者として肯定するためには、自分より劣った者に闘いを挑んでも意味はなく、自分と同等かそれ以上の優れた敵を必要とする)。

 ルサンチマンの人間は、貴族的人間とはちがい、自分自身に対して正直ではない。そのため、強い者への妬みや恨み、反感を抱きながらも、それを表には出さずに隠し持つ。そして、沈黙しながら、その妬みや恨み、反感を忘れずにいつまでも記憶にとどめ、いつか強い者に攻撃、復讐しようと待ちつづける。だから、ひとまずは、敵の前で自分を卑下することを心得ている。これがルサンチマンの人間を特徴づける怜悧さだ。

 以下にここでの議論を図として整理しておく。

貴族的人間 ルサンチマンの人間
貴族的価値評価、貴族道徳 僧侶的価値評価、奴隷道徳
「強い自分はよい(優良)、弱い者は自分より劣っている(劣悪)」 「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」

ルサンチマンを現実の行為で発散する ルサンチマンを想像で埋め合わせる
強力な者のルサンチマンは現実の行為で晴らされる。 無力な者のルサンチマンは、現実の行為ではなく、想像上で、強い者を悪い者に仕立て上げることで埋め合わされる。
「よい」が価値の根拠 「悪い」が価値の根拠
強い自分は「よい」。この自己肯定の言葉が価値の根拠。「よい」が一次的概念。 強い者は「悪い」。この対立物(敵とみなされるもの)への否定の言葉が価値の根拠。「悪い」が一次的概念。
現実における対立物の克服と自己肯定 想像における対立物の歪曲と自己肯定
対立物(敵とみなされるもの、よきライバル)は自己肯定のために乗り越えるべき必要なもの。自分と同等あるいは自分より優れた敵を求め、尊敬さえする。自分より劣った「わるい」存在である平民や下層民に対しては、軽蔑はするものの、憐れみの情ももつ。「弱い者はわるい(劣っている)」は二次的。 想像上で、対立物をひどい怪物に仕立てあげ、怪物に比べれば自分は「善い」とする。まず「悪い敵」、「悪人」を心に思い描く。これを基本概念にして、その対照像として「善人」をつくりだし、それを自分だとする(想像上の自己肯定)。「自分は善い」は二次的。
能動性 受動性
能動的な人間として、幸福(自己肯定)と行動とを切り離さない。実際にライバルや世界に立ち向かうことで自己肯定を得ようとする。 受動的な人間として、幸福(自己肯定)と行動とを切り離す。行動せず、いかに「悪い」敵や世界とかかわることなく自己肯定を得るかを求める(これは現実的なはたらきかけをもたないので、その自己肯定は想像上のものにならざるをえない)。
素朴 怜悧
自分のなかの無意識の本能、敵に突進する無分別、感情の激発に忠実であろうとするため、ルサンチマンはすぐに発散される。敵や苦しみ、悪行といったことを、いつまでも記憶にとどめ気にするようなことはない。 ルサンチマンを隠し持ち、いつまでも記憶にとどめ忘れない。復讐の機会を待ちながら、敵の前では自分を卑下する(表裏がある)。こういった怜悧さ(抜け目なさ)がある。

 以上の図で示したことをまとめてみる。

 貴族的人間の価値評価は、「強い自分はよい(優良)、弱い者は自分より劣っている(劣悪)」というものだ。この順番が重要で、彼は「強い自分はよい」という肯定の言葉、自己肯定のために、現実にかかわり、行為する。貴族的人間は、自分のより強く大きくなろうとする本能に忠実で、敵に対して向こう見ずに立ち向かう。この率直さ、素朴さでもって、敵に対するルサンチマンもすぐに現実の行為でもって発散されてしまう。貴族的人間は、むしろ、敵を自己肯定に必要不可欠なものと考えるため、それらに感謝することもできる。より強く大きい自分となるために、自分と同等、あるいはそれ以上の優れたライバル、さらなる困難を求めさえする。また、自分より劣った弱い者に対しては、軽蔑はするものの、憐憫の情さえもつ。

 ルサンチマンの人間の価値評価は、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」というものだ。この順番が重要で、彼は「強い者は悪い」という否定の言葉からはじめる。ここには、ルサンチマンを現実の行為で晴らせない弱い者の想像上の復讐がある。敵とされた強い者は、憎悪に満ちた想像力のまなざしによってひどい怪物に仕立て上げられる。そのうえで、怪物に比べれば自分は善い、「悪い敵」や「悪人」に比べれば自分は「善人」だ、「弱い自分こそ善い」という自己肯定が行われる。しかし、ルサンチマンの人間は現実にかかわる行為をしていないため、この自己肯定も想像上のものにすぎない。そのため、実際に晴らされることなくいつまでも持続するルサンチマンを隠し持ち、復讐の機会を待ちながらも、敵の前では自分を卑下する抜け目ない人間が生まれる。

 一方で、想像の世界で、強い者を悪人にし、その反対物である弱い自分を善人として肯定する。他方で、いつか強い者を倒し自分こそ現実の世界の勝者になりたいと秘かに願う。そういう矛盾した自分に正直でないルサンチマンの人間がここにできあがる。

 ようするに、ルサンチマンの人間は、貴族的人間への反動として生まれている。貴族的人間は現実とかかわり自己肯定しようとする。ルサンチマンの人間もそうしたいができない。そこで、自己肯定できている貴族的人間に対してルサンチマンを抱く。しかし、無力なルサンチマンの人間はこの気持ちを現実の世界で晴らすことができない。そこで、自分の内に溜まったルサンチマンが想像力を掻き立て、想像の世界のなかだけで貴族的人間を「悪人」に仕立て上げる。こうして出来上がった「悪人」に比べて自分は「善人」である、とこれまた想像上で、現実にはない物語のかたちで、ルサンチマンの人間は自己肯定する。これが「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という価値評価のメカニズムだ。

 ここで特徴的なのは、すべてのプロセスが現実の行為とかかわりのない想像の世界で行われるという点だ。ルサンチマンの発散は、敵を怪物に仕立て上げる攻撃的な想像のなかで埋め合わされ、自己肯定は、現実にはなんの根拠のない自己正当化の物語として行われている。つまり、僧侶的価値評価、奴隷道徳とは、貴族的人間になれないルサンチマンの人間、強い者になれない弱い者、自己肯定できない者が編み出した想像的な代償行為であることがわかる。

 なお、ニーチェはここで、貴族的人間の例として、フランス革命初期の中心人物、貴族出身で立憲君主制を主張したミラボー(1749-1791)をあげている。ミラボーは激情的な性格で、党派的ではなく個人として、誰にもそのつど率直に自分の言いたいことを言うような人物だったようだ(ミシュレ『フランス史』)。ルイ16世やマリー=アントワネットに対しても批判的な意見を言うべきときにはそれを言い、政敵も評価すべきときは評価する(たとえば、まだ多くの者から無視されていた権力を掌握する前のロベスピエールの才能を早くから認めていたのもミラボーだった)。ミラボーはそのつど、直情的に行為し、言いたいことを言い放ち、けっして怜悧な人物ではなかった。こうした素朴で豪胆な性格に、おそらくニーチェは貴族的な人間のモデルを見ている。

11 ルサンチマンの人間の視点は貴族的種族に蹂躙された被害者の視点

 ルサンチマンの人間にとっては、貴族的人間が「悪い者」となる。その理由が貴族的種族に蹂躙された被害者の視点として描かれる。なお、後半は、これからの議論の橋渡し的な意味合いが強い。内容は以下のとおり。

 貴族的人間とルサンチマンの人間の価値評価はまったく逆だ。貴族的人間はまず自分自身の肯定的なあり方をもとに「よい(優良)」という概念をつくりだし、それから「わるい(劣悪)」をつくりだす。この貴族的人間の「わるい」は「よい」に対する添え物でしかない。一方、ルサンチマンの人間の「悪い」は憎悪に満ちた奴隷道徳のオリジナル(第一のもの)、本来の構想的行為(想像力による創作)だと言える。

 じつは、ここでルサンチマンの人間に「悪い」とされるのは、ほかならぬ貴族道徳での「よい」者、すなわち、高貴な者、強力な者、支配者だ。「よい」者たちは「ルサンチマンの毒々しい眼差し」によって「悪い」者へと意味を変えられてしまったのだ。

 こうなったのも、ルサンチマンの人間には、「よい」者たちは「悪い」敵としてだけ受け取られるからだ。それにはつぎのような事情がある。

 「よい」者たちは共同体のなかで、風習や尊敬、さらに、お互いの監視や同等者同士の嫉妬(ライバル関係)によって厳しく拘束され、お互い思いやりや友情で結ばれている。しかし、彼らは外部、自分たちと異なるもの・異郷に接すると、一切の社会的束縛からの自由を享楽し、共同体の平和のなかで閉じ込められていた緊張をおもいきり解き放ち、「猛獣物的良心の無垢」のなかへ立ち戻ってゆく。このときの貴族的種族は、「獲物と勝利を渇求して彷徨する壮麗な金毛獣」、ふたたび野に放たれた野獣のようだ。こうした欲望を持つ点で、ローマ、アラビア、日本の貴族、ホメロスの英雄たち、ヴァイキングはみな同じだ。彼らは自分たちの気違いじみたやみくもな豪勇を誇りさえした。

 しかし、彼らの安全や生命に対する無頓着や軽視、勝利や残忍に対する耽溺は、被害者の目から見ると「野蛮人」、「悪い敵」というイメージとなる。この被害者のつくりあげたイメージによって、たとえば、ゴート人からゴシック(野蛮)、ヴァンダル人からヴァンダリズム(破壊行為)といった言葉が生まれている。

 こうした貴族的種族の視点とその被害者であるルサンチマンの人間の視点の対立はヘシオドスの時代区分にも影響を与えている。ヘシオドスは黄金の時代、銀の時代、青銅の時代、英雄の時代、鉄の時代という五つの時代区分を置いた(『仕事と日々』)。古典文献学では、英雄の時代だけなぜ金属の名前ではないのかがいつも問題になる。しかし、青銅の時代と英雄の時代とは、じつは、壮麗で恐るべき暴力的なホメロスの時代(金属の名前では青銅の時代としてまとめあげられるべき、ホメロスが『イリアス』で描いたような英雄たちの活躍したひとつの時代)を二つの視点から見て描いたものだ。

 英雄の時代は、テーバイの王位をめぐる争いとトロイア戦争の英雄たち、幸せに暮らしているその末裔が描かれている。ここには、英雄たちの末裔である門閥貴族たちの視点が反映されている。一方、青銅の時代は冷酷で、残忍で、感情も良心もない時代として描かれている。ここには、英雄たちの戦いによって踏みにじられた者たちの末裔の視点が反映されている。つまり、ヘシオドスは、ひとつの時代を、英雄たちから恩恵をこうむった貴族的人間と、英雄たちの被害者であるルサンチマンの人間との二つの観点で描き分けた。だから、青銅の時代と英雄の時代という見かけ上は別々の時代区分が生まれたのだ。

 二つの観点の対立は、今日ではルサンチマンの人間のほうが圧倒的に優勢である。人間という猛獣を飼育しておとなしい文明化された家畜に仕立てること。これが今日文化の意義だと信じられているが、そうだとするなら、貴族的種族とその理想を征服したルサンチマン本能こそ「真の文化の道具」ということになる。しかし、真実はその逆で、このルサンチマン本能の持ち主たちこそ、「人類の退歩」を推し進め、文化に対する反対者となっているのだ。

 もちろん、貴族的種族の根底に潜む金毛獣に対して恐怖するのは無理もない。しかし、恐れなくて済むかわりに、出来損ないの者、萎縮した者の吐き気をもよおす眺め(ルサンチマンの人間、被害者からの視点)から逃れられなくなるのなら、むしろ人間を恐れるほうを選ぶ。じっさい、いまでは、われわれの人間に対する嫌悪とは、恐怖ではなく、恐怖すべきものをなにひとつもたないことから生まれている。いまや、おとなしくて凡庸な、蛆虫のような人間がより高い人間として自分を自負するまでになってしまっている。

○石川まとめ・補足

 ルサンチマンの人間の価値評価は、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」というものだった。ここで「悪い」者とされているのは、ほかならぬ貴族道徳での「よい」者、高貴な者、強力な者、支配者、つまり、自己肯定的な人間だ。その理由はルサンチマンの人間の被害者としての意識にある。ニーチェはこれを、貴族的人間の視点と、貴族的人間の行為によって蹂躙された被害者の視点の対立として描き出す。

 征服民族である貴族的種族は、共同体内では、お互いの監視やライバル関係のなかで力のバランスを保っている。しかし、侵略や戦争の場面で共同体の外部と接触するとなれば、平和な共同体のなかで閉じ込められていた力を解き放ち、獲物と勝利を求め野獣のようにふるまう。これは、自分たちの存在を拡大し、自分に「よい」という自己肯定感を与える行為であるため、彼らはこのふるまいを誇りさえする。

 ここでニーチェには暴力を肯定する挑発的な記述が多い。こうした記述はとくに第二論文に見られ、ニーチェの書き方の特徴でもある。しかし、ニーチェがこのように過激とも受け取れる書き方をするのにはつぎのような確信が含まれている。

 どんなに現在の人間から野蛮に見えようと、貴族的種族の侵略行為は、より強くより大きくなろうとする力、力への意志のあらわれだ。だから、貴族的種族は自分たちの野獣のようなふるまいを素直に誇ったのだし、冷静に眺めてみれば、人類の歴史がこうした征服民族の圧倒的な暴力による支配の歴史だったことはまちがいない。これをことさら咎める必要はない。もし、この暴力性をひどいもの、過激なものと咎めるのなら、すでに私たちはルサンチマンの人間の視点に毒されていることの証拠だ。

 では、このルサンチマンの人間の視点はどこから生まれるのか。ニーチェはそれをつぎのように考える。

 ルサンチマンの人間は、貴族的種族の野獣のようなふるまいによって蹂躙された者としての視点をもつ。被害者の目には、貴族的種族は「悪い」存在にしか映らない。自分は強い者から被害をこうむった者だ、傷つけられた者だ、という被害者の意識が非難の声となり、貴族的人間が「悪い者」、「悪人」、「怪物」と呼ばれる。「強い者は悪い!」となる。こうして、自分を「よい」と肯定している貴族的種族は、被害者であるルサンチマンの人間によって「悪い」とされる。

 貴族的人間の視点とルサンチマンの人間の視点、この二つは対立する。その例をニーチェはヘシオドスの青銅の時代と英雄の時代の区分に見る。同じ英雄たちの暴力でも、英雄たちの末裔である貴族の視点からすれば誇らしい栄光に満ちた「よい」ものに見え、英雄たちに蹂躙された被害者の末裔の視点からすれば冷酷で残忍な「悪い」ものに見える。歴史は観点によって異なる解釈となりうる。

 このように二つの観点の対立があればまだいい、というのがおそらくニーチェの含みだろう。ニーチェが問題にするのは、現代が被害者の視点一色に覆われてしまった点だ。そこで、つぎのような疑問が投げかけられる。

 たしかに暴力は恐ろしい。被害者たちはそれを「悪い」と言って、人間から野獣的なものなくそうとする。人間を恐れなくてすむ家畜に仕立て上げようと望む。それが現在では文化の試みだと考えられている。しかし、これは人類の退歩ではないだろうか。人間を恐れずにすむようにするより、むしろ、人間を恐れたほうが望ましいのではないか。じっさい、現代の問題は、人間がみな恐ろしくなくなってしまった点にある。いまでは、おとなしくて凡庸な人間がより高い人間として自分を自負するまでになってしまってはいないか。

 暴力は恐ろしい。しかし、恐ろしいからといって、それを「悪い」と言えるのか。それをなしにすることができるのか。このニーチェの批判は、つぎのように言いかえればわかりやすい。

 人間のより強く大きくなろうとする欲望は、苦しみや争いを生み出し、勝者と敗者をつくりだす。しかし、だからといってこの欲望を「悪い」と言えるのか。この欲望をなくすことが人間の理想なのだろうか。

 この問題は、もう少しあとの13節で細かく論じられることになる。

 ルサンチマンの人間の価値評価は、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」というものだった。この11節では、このうちの前半、「よい」者を「悪い」者とする「強い者は悪い」という非難の声が、貴族的種族に蹂躙された被害者の意識に起因していることが明らかにされた。13節で議論されるのは、後半の「弱い者こそ善い」という取り繕われた自己肯定の声のほうだ。このルサンチマンの人間とって「善い」とはなにか。それが、人間の暴力性の否定、より強く大きくなろうとする欲望の否定、欲望をなくすことが「善い」ということになる。ニーチェはこの考えを批判していくことになる。

 ところで、これまで見てきた、貴族的種族による被害者とはどのような人間のことを意味しているだろうか。ニーチェの記述にそのまましたがえば、被害者とは、征服民族から暴力をこうむった被征服民族ということになる。しかし、それだけではないだろう。たとえば、目の前に、自分より勉強や仕事のできる人物があらわれたとしよう。このような人物は恐ろしい。そのとき、相手を、ライバルとしてではなく、自分の自尊心をひどく傷つける相手、として受けとめたとすれば、わたしたちは被害者の意識をもったことになる。その意識から生まれるのは、「勉強や仕事のできるアイツは悪い!」というルサンチマンの言葉だ。

 ニーチェの書き方は歴史的だが、そこで示された本質は、わたしたちのあり方とけっして無関係ではないといえる。

12 人間に対するため息と期待

 貴族的人間を恐怖し、「強い者は悪い、弱い者こそ善い」とするルサンチマンの人間の価値評価は、いまやヨーロッパ全体を覆うまでになった。この光景を眺めニーチェはため息する。同時に、ため息の出るようなこの状態を乗り越えるような恐るべき人間、より力強い人間をひと目でもいいから見たい、とニーチェは期待する。内容は以下のとおり。

 この私にとって耐えがたいものはなにか。私を窒息させ、弱り果てさせるものはなにか。それは、「わるい空気だ! わるい空気だ!」、私の身辺に出来損ないのものが寄ってきて、その魂の悪臭を嗅がされることだ。

 ほかのことならどんな困難にも耐えることができる。しかし、このわるい空気のなかでは、善悪の彼岸の女神にこう祈りたくなる。

 完璧なもの、極上の出来栄えのもの、幸福なるもの、強力なもの、勝ち誇れるもの、こうした恐るべきところのあるものへの一瞥を! 人間なるものを正当化する一個の人間への一瞥を! 人間への信仰を確立し、人間を補完し救済する幸福への一瞥を!

 こう祈りたくなるのも、ヨーロッパの人間の卑小化と平均化の光景が、見る者の心を倦ましめる(うんざりさせる)からだ。ここにはわれわれの最大の危険がある。いまでは、より大きくなろうと欲するものは何ひとつわれわれの目には映らない。すべてが、下へ下へと落ちてゆき、より薄っぺらく、よりお人よしで、より利口で、より快適で、より凡庸で、より無関心なものへと落ち込んでゆく。人間はいよいよ「より善く」なってゆく。人間に対する恐怖を失うとともに、われわれは人間への愛、畏敬、希望、意志を失ってしまったのだ。この光景は見る者を倦ましめる。これをニヒリズムと言わずしてなんと言おう。

○石川まとめ・補足

 この世でたった一人生き残った貴族的価値評価の支持者のように、ニーチェはここで語っている。いまや、ルサンチマンの人間の「強い者は悪い、弱い者こそ善い」という声が優勢となり、その価値評価がヨーロッパ全体に広がっている。その「わるい空気」のなかでニーチェは窒息しそうになっている。

 そこでニーチェは、善悪の彼岸の(ルサンチマンの人間の価値評価を超えた)女神に祈るように、つぎのように叫ぶ。恐るべきところのある人間、そうした人間の完璧さ、極上の出来栄え、幸福、強力さ、勝ち誇っている姿をひと目見たい! 人間を正当化する一個の人間をひと目見たい! 人間への信仰を確立できるような人間をはげまし救済する幸福をひと目見たい!

 これはようするに貴族的価値評価を体現した強い者をひと目見たい、ということだ。そう求められねばならないのか。その理由は以下のとおりだ。

 ルサンチマンの人間の観点から見れば、いまのヨーロッパの人間のあり方は、暴力性のない文明化された進歩したもの、より善いものとして映る。しかし、貴族的人間の観点から見れば、いまのヨーロッパの人間のありさまは、人びとがお互いに足を引っ張り合い、お互いを凡庸化、平均化している、見るに耐えないうんざりさせる眺めだ。ここには、力強く大きくなろうとする意志(力への意志)を人間から奪おうとするたいへん危険な傾向がある。じっさい、いまの人間を眺めても、飼いならされ、暴力性を失った家畜のようなおとなしい人間しか見えてこない。このような人間には、恐怖もないと同時に、愛すべきところ、畏敬すべきところ、希望も見えてこない。

 このうんざりさせる光景をニーチェは「ニヒリズム」と呼ぶ。ここでニヒリズムは、人間に対して「否」を投げつけることを意味する。人間には自分を力強く大きくしようとする意志(力への意志)があるのに、いまの人間のどこを見ても、その意志に対する「否定」しか見いだせない。個々人をはげまし、自己肯定をうながすようなもの、人間を肯定するようなものが見られない。このような人間を否定する眺めが、ニーチェの目の前に広がっている。

 だから、ニーチェは、ニヒリズムの反対、人間に対する肯定、「然り」と言うことに希望をつなげたい。人間を肯定するようなものをひと目でもいいから見たい。そこで、善悪の彼岸の女神への祈りがあるのだ。恐るべきところのある人間の完璧さ、極上の出来栄え、幸福、強力さ、勝ち誇っている姿、人間を肯定するモデルとなるような一個の人間のあり方、人間を信じさせるような生きることをはげまし救済するよろこびの経験、そういったものをひと目見たい! と。

 これら期待される光景は、いまや滅びたように思われる自己肯定的な貴族的人間がこの世に現われている様子と考えればいいだろう。また、ここには、自己肯定的な人間のモデルとしての超人、救済の思想としての永遠回帰という響きもある。だから、ニーチェがひと目見たいと思うのは、自分が『ツァラトゥストラ』で描いた思想の実現であるとも思われる。

 ニーチェは、いまの人間のあり方にうんざりしつつ、それでも、人間が変わりうることを期待している。だから、人間への期待を捨ててはていない。貴族的価値評価の重要性をわかっているのはたんに自分だけでないこと(自分の読者もまたそうであること)、人間の変化は可能だということを、ニーチェはどこか信じているように思える。

13 ルサンチマンの人間の自己正当化、主体への信仰

 ルサンチマンの人間の価値評価は「強い者は悪い、弱い者こそ善い」というものだった。前節では、この価値評価がヨーロッパ全体に広がっていることが指摘された。13節からは、この広まりの理由、ルサンチマンの人間の価値評価が主体の論理を手に入れて、道徳(キリスト教道徳、奴隷道徳)がかたちづくられていく様子が描かれていく。

 話を戻してルサンチマンの人間が考えだす「善い」についてもう少し細かく見てみよう。

 小さな仔羊が大きな猛禽に対して怨みを抱くのは奇妙なことではない。もちろん、そう怨んだからといって猛禽が仔羊をかっさらうことを咎める理由にはならないだろうが。

 また、仔羊たちが、「この猛禽は悪い、その反対物である仔羊こそが善いといえるのではあるまいか」と仲間うちで語り合ったとしても、この理想に非難すべきところはない。もちろん、猛禽たちは仔羊たちの理想を嘲笑するだけで、「われわれはこの善良な仔羊どもを怨むことなどまったくない。むしろ愛している。やわらかい仔羊たちほど美味いものはないからな」と言うだろうが。

 しかし、強さに対して、それが強さとして現われないことを求め、圧倒する意欲、他者を打ちのめす意欲、主人になろうとする意欲、敵と抵抗と勝利への渇望として現われないことを求めることは背理(矛盾、不合理)である(現実に存在する強者の強さに対して、それは現れないことも可能だったと推論するのは背理)。これは、弱さに対して強さとして現われることを求めるのと同じ背理だ(現実に存在する弱者の弱さに対して、それは強さとして現れることも可能だったと推論するのも背理)。

 力とは、衝動、意志、作用そのものだ。しかし、そうでなく見えることもある(現実に存在するあるがままの力の関係に対して、それが存在しないこともありえた、と考えてしまうことがある)。その理由は、「主体」という言葉の誘惑にとらわれるからだ。主体とは、すべての作用はその背後にある作用者によって引き起こされる、という誤解を生みだす言葉だ。これはちょうど、稲妻の光るのを見て、それを稲妻という主体が光を現わそうとした結果だと考えるのと同じだ。奴隷道徳もつぎのように考える。強者が強いということは、強さを現わすも現わさないも自由自在な強者の主体というものが背後にあって、その主体が強さを現わそうとした結果だ、と。

 しかし、作用や活動(行為)の背後にはいかなる存在(主体、基体、原因)もない。活動者(行為の原因としての主体)というのは、想像によって活動(行為)に付加されたものにすぎない。真実は、活動があるということがすべてなのだ。たとえば、稲妻が光っているというひとつの出来事(活動)がすべてであるのに、その出来事を、稲妻という主体が光を現わそうとしたことの結果だ、と考えること。こういう活動の二重化は迷信なのだ。自然科学者の語る「力」、「原子」、カントの「物自体」というのもこうした迷信としての主体の理論だといえる。

 主体への信仰があるからこそ、ルサンチマンの人間は、その内に秘められた憎悪と復讐の情念でもって、弱くなるのは強者の自由、仔羊になるのは猛禽の自由、などといった信念を強固にもつ。この主体の論理によって、猛禽に猛禽であることの罪を着せる権利を手に入れるのだ(強者は、ほんとうは弱さも選択できた。猛禽は、ほんとうは仔羊も選択できた。しかし、あえて主体の意志によって弱者を苦しめる強さを選択した。だから、強者には悪を選択した罪がある)。

 その一方で、抑圧され、蹂躙されたルサンチマンの人間は、悪人とは別の者になろう、善人になろう、と言って自分たちのことを慰めようとする。この場合、善人になろう、とは、攻撃しない者になろう、報復しない者になろう、悪から身を避け人生に求めることが少ない者になろう、忍耐強い者になろう、謙虚な者になろう、などといったことだ。

 これは、自分はどうせ弱い、力の及ばないことはなにもしないのが自分のいいところなんだ、と言っているだけにすぎない(ここで言われている善人とは、もともとの弱い者のあり方を肯定しているだけにすぎない)。弱い者が力の及ばないことをしないのは、昆虫でさえもっているような低級な利口さにすぎない(大きな危険にあうと死んだふりをする昆虫のように、強者を前に反抗せず謙虚であるのは弱者の知恵であるにすぎない)。

 にもかかわらず、ここでは、このたんなる利口さが、無力な者の贋金づくりの方法でもって、美徳のように扱われてしまっている。これは、弱者が自分の弱さを、主体的に意欲され選択された行為、功績であるかのように欺瞞することだ(ルサンチマンの人間は、ただ弱いだけの自分の現実について、その弱さは強くなることにあらがって自分の主体の意志でもって選択したものだ、これは功績だ、と欺瞞している)。

 ルサンチマンの人間は、中立的で強さも弱さもどちらも選択できる自由な「主体」への信仰を必要とする。それは自己保存、自己肯定の本能からだ。この本能から主体という虚偽が神聖化されている。主体(霊魂)に対する信仰がこれまで最上の信条とされたのも、この信仰によって、大多数の弱者や被抑圧者たちが、弱さを自分が主体的に選んだものと解釈し、あるがままの現状を功績と解釈する自己欺瞞を可能にするからだろう。

○石川まとめ・補足

 ルサンチマンの人間の「強い者は悪い、弱い者こそ善い」という価値評価はどのように展開し、ヨーロッパ全体を支配するようになったのか。ニーチェはこの中心に主体への信仰を置く。ルサンチマンの人間は主体の論理を手に入れ、道徳(キリスト教道徳、奴隷道徳)をつくりあげる。それがヨーロッパ全体に広まり、ついには強い者を認めない「わるい空気」の世界が出現する。そのストーリーのはじまりの部分がこの節。まずは主体の論理が現われて、それを人びとが信仰することで「強い者は悪い、弱い者こそ善い」が正当化される。ここに道徳の基礎がかたちづくられる。

 この13節とつづく14節は、第一論文をしめくくる重要な部分。ここで道徳というシステムの成立が明らかにされる。13節は、主体の話がからんでくるため議論が複雑になっているが、以下のように詳しく整理しておきたい。

(1)主体の論理の誕生

 蹂躙される仔羊としてのルサンチマンの人間が、支配力をふるう猛禽としての強い者たちを怨み、彼らを「悪い」とすること、その反対物である自分たちこそが「善い」とすること。こうした反感やそこから発する価値評価じたいは無理もないことだ、とニーチェはいう。しかし、これが強い者の行為を止めさせるわけではない。

 ところが、ルサンチマンの人間は、強い者に対する非難と自分の善を正当化するような理屈をつくりあげる。その核に主体の論理がある。この主体の論理が、道徳をかたちづくり、やがてルサンチマンの価値評価の勝利を生みだすことになる。まずは、主体の論理がどのように生まれるか。それを見てみよう。

 ニーチェにとって、いまここで現われているあるがままの現実がすべてだ。強い者の力に弱い者が圧迫されている。現実にあるのはこの力の関係、活動のせめぎあいだけで、そういう現実を否認することはできない。

 ところが、ルサンチマンの人間はこう推論する。もしかして、この苦しい現実は回避できたのではないか、自分を苦しめる強い者は存在しないこともありえたのではないか、と。ニーチェによれば、こうした推論は背理、あるがままの現実を認めようとしないまったく不合理な推論なのだが、このルサンチマンの人間の推論が、主体への信仰を呼び寄せる。その論理はつぎのようなものだ。

 ルサンチマンの人間は、あるがままの現実を、その背後にある原因の結果とする。強い者の主体という原因があって、その主体が強さを現わそうと選択した結果、強い者による弱い者の蹂躙という現実が生まれた。そう解釈するのだ。ここには、強さを現わすも現わさないも自由に選択できる主体という想定がある。強い者が存在する、という現実は、ほんとうはそれを選択しないこと(弱さを現わすことを選択すること)もできたのにあえて強さを現わすことを選択した強い者の主体によって生じている、とするのだ。

 ルサンチマンの人間は、あるがままの現実を認めたくないために、自由な主体というものをつくりあげた。この苦しい現実はあるべきではなかった。そういう思いを、もし彼が強さを選択していなかったなら……、弱さを選択してくれていたら……、というかたちで強い者の主体に投影しているのだ。だから、じっさいには苦しい現実がまずある。主体を原因として現実が結果するのではなく、現実の苦しみがあるからこそ、主体なるものが想像されるのだ。

(2)主体の論理を土台に自然科学も道徳も生まれている

 ニーチェはここで、主体の論理を自然の説明に重ねている。ひとは、光っている稲妻を見て、それを稲妻という主体が光を現わそうとした結果だとする、というのがそれだ。現実にあるのは光っている稲妻という活動そのものなのに、人間はその背後に原因を求め、稲妻という主体を置く。そのうえで、光っている稲妻を稲妻という主体が光を現わそうとした結果とする(活動の二重化)。これは、強い者が強いというあるがままの現実を、強い者という主体が強さを選択した結果として説明するのと同じ論理だ、というのだ。

 ニーチェがここで言いたいのは、わたしたちが一般にもっている世界の秩序にかんする説明は、なんらそれじたいで存在する客観的なものではない、ということだ。人間はあるがままの現実に対して原因(主体)なるものを想像し、現実をその原因(主体)の結果だと説明する。自然科学における力や原子(物質の最小単位)といった原因、道徳における善悪を選択する自由な主体(自由意志)という原因、これらの原因の結果として現実を説明すること、こうした説明は、人間によってつくりだされたものだとするのだ。

 ニーチェはここで、カントの物自体を主体の例としてあげている。カントにとって、物自体は、現象(わたしたちに現われるままの自然の世界)の背後にあって現象を成立させる原因としてある。同時に、人間の自然なあるがままの欲望とは別のところにあって、欲望に抗いつつ道徳的行為をすることを可能にするような自由という原因としてもある。

 物自体は、どこかわたしたちのあるがままの世界の向こう側にあって、自然の認識と道徳的行為、その両方を究極的に根拠づけるような原因となっている。ニーチェにとって、この物自体こそ、あるがままの現実の背後に置かれた原因性、ルサンチマンの人間がつくりだした主体の論理の最たるものだ、ということになる。

 こうしたニーチェの主体批判には、自然科学も道徳もルサンチマンを土台にしている、という含みがある。あるがままの苦しい現実に耐えられず、この現実の向こう側になにか原因なるものを想像し、それを信仰する。この態度は自然科学も道徳も同じだというのだ。なかなか独特の見解だが、自然科学もルサンチマンを土台にしているという考えは、第三論文で詳しく展開される。だから、ここではひとまず、ルサンチマンの人間がつくりだした主体の論理が、道徳の論理にまでどのように展開されるかを見てみよう。

 なお、ニーチェは主体の論理のすべてを批判しているわけではない。第二論文で示されるように、自分自身の力の感情から発する主体の論理をニーチェは評価する。これは、「強い自分はよい」という自己肯定感を土台とする貴族的価値評価から生まれる主体の論理だ。ニーチェが問題とするのは、強い者は「悪い」という反感から発して、自分の苦しみを強い者の主体のせいにするような、ルサンチマンの人間のつくりあげる主体の論理だ。その論理をつぎに細かく見てみよう。

(3)自由な主体への信仰によって正当化される「強い者は悪い」、「弱い者こそ善い」

 ルサンチマンの人間は、あるがままの現実の原因として、自由な主体なるものをつくりだした。強いこと(悪)も弱いこと(善)も自由に選択できる主体。この主体なるものの存在を信じることが、「強い者は悪い」、「弱い者こそ善い」という価値評価を正当化し、道徳をかたちづくる。

 まず、「強い者は悪い」という非難には、つぎのような正当化が行われる。

 強い者が強いのは、彼が主体的に強さを選択したからだ。強さとは、自分たち弱い者を苦しめる悪である。強い者は、ほんとうは、強さを現わさないこともできたのに、弱さを選ぶこともできたのに、あえて、強さという悪を選んで行為した。だから、強い者には悪を選択した罪がある。強い者は罪人だ。

 こうした理屈で、ルサンチマンの人間は、「強い者は悪い」という非難を正当化し、強い者に罪を着せる。強い者は、たんに弱い者を苦しめるから悪いのではなく、その強さを積極的に選んだ主体として悪いのだ、責めがあるのだ、と。

 その一方で、ルサンチマンの人間は、自分たちは強い者とは反対の善人になろう、と言う。この善人とは、攻撃しない者、誰も傷つけない者、報復しない者、悪から身を避け人生に求めることが少ない者、忍耐強い者、謙虚な者といった人間のこととされる。

 ニーチェに言わせれば、ここで言われている善人とは、強い者のように自分自身の力を発揮してなにかを獲得した「よい」存在であるわけではでない。じっさいのところ、これは、強い者になりたくてもなれないみじめな弱い者のあり方そのものにすぎない。ルサンチマンの人間は、たんに自分の現状を美化しようとしているだけなのだ。自分の弱さを積極的に肯定し、美徳のように装うこのからくりも、主体の論理を根拠としている。その理屈はつぎのようなものだ。

 自分たち弱い者が弱いのは、自分たちが主体的に弱さを選択したからだ。弱さとは、強さという悪の反対物、善だといえる。弱い者である自分たちは、ほんとうは、強さを現わすこともできたのに、あえて、弱さを選んだのだ。だから、自分たちには善を選んだ功績がある。弱い者は善人だ。

 こうした理屈で、ルサンチマンの人間は、「弱い者こそ善い」を正当化する。弱い者である自分はなぜ善いのか。それは、たんに強い者の反対物として善いのではなく、その弱さを積極的に選んだ主体として善いのだ、と。

 主体を信仰することによって、強い者に対する反感からはじまったルサンチマンの人間の価値評価は、理屈をもって正当化されることになった。この正当化によって、ルサンチマンの人間の価値評価は道徳というシステムをかたちづくり、その後ヨーロッパ全体を支配することになる。

 これまで述べてきた「強い者は悪い」、「弱い自分たちこそ善い」の正当化は、以下のように整理できる。

価値評価 主体への信仰 価値評価の正当化
強い者は悪い 弱さ(善)を選ぶことができたのにあえて主体が強さ(悪)を選択 強い者は強さ(悪)を選択した悪人(責め、罪がある)
弱い自分こそ善い 強さ(悪)を選ぶことができたのにあえて主体が弱さ(善)を選択 弱い者は弱さ(善)を選択した善人(功績、徳がある)

(4)ルサンチマンの人間の自己肯定
 強さ(悪)も弱さ(善)も自由に選択できる主体は、ルサンチマンの人間の苦しい現実を認めたくない思いから生まれた。それは、強い者に対する非難を正当化する論理になり、さらに、弱い者の弱さそのものを正当化し、弱さを功績や徳とみなす論理となった。

 ニーチェから見れば、これは自己欺瞞だ。ルサンチマンの人間はただ弱いだけなのに、主体の論理を使って、自分をあたかも強さ(悪)に抗って弱さ(善)を選択した崇高な主体であるかのように偽っている。ニーチェは、この偽りの理由をつぎのように考えている。

 強大な支配者階級のもとで圧迫されている大多数の弱者や被抑圧者たちは、強者に立ち向かう力を削がれている。反抗したくても反抗できない。強くなりたくても強くなれない。そこで、攻撃せず、誰も傷つけず、報復せず、人生に求めること少なく、忍耐強く、謙虚に生きることを強いられる。小さな虫が危険にあうと死んだふりをするように、弱い者たちには、恐ろしい強い者たちを前に、つつましく利口に生きることしかできなかった。

 この苦々しい事態、弱い者たちが弱いままでしかいられない苦しい状況に、なんとか肯定的な意味づけがなされねばならなかった。弱い者たちは自己を保存しなくてはならなかったのだ。だから、自由な主体なるものが信仰され、弱さがその主体によって選択された功績や徳とされた。自分は弱くしか生きられないのではなく、強くなりたい気持ちに抗って、弱さを進んで選んで生きている崇高な存在なのだ。そう欺瞞することで、ルサンチマンの人間は、弱いままの自分に意味を与え、自分を肯定的に受けとめようとしたのだった(ただし、この自己肯定は、あくまでも自己保存のためのものであって、自分をより強く大きくするような自己肯定ではない)。

 しかし、いったん、弱さが自由な主体による善の選択と信じられ、弱さが功績や徳といった価値あるものと信じられるようになると、この信仰はたんに弱い者の現状肯定、自己保存に止まることはできなくなる。弱さは価値あるものである以上、それをさらに追求しようとする態度が生まれる。弱さはついに人間のめざすべき理想、生きる意味となるのだ。こうして、道徳(キリスト教道徳、奴隷道徳)が成立する。この点が、つぎの14節から、キリスト教の教えとともに詳しく問題にされる。

(5)キリスト教の主体への信仰

 ここでニーチェは主体への信仰をキリスト教の主体(霊魂)への信仰に重ねている。ところが、どのような教えを具体的に問題にしているのか、なかなかはっきりしない。

 それに、もし、自由な主体による善の選択を尊重するのがキリスト教だとすると、それは、むしろ、アウグスティヌス(354-430)らによって批判され、異端とされたペラギウス主義に近くなる。ペラギウス主義は、人間はみずからの自由意志によって善い行為をすることができる、と考えた。これに対し、アウグスティヌスは、善い行為の原因は、人間の自由意志ではなく、神の意志であるとした。だから、自由な主体による善の選択という点、それだけでは、キリスト教の中心的主張といえないところがある。

 しかし、先回りして、14節でニーチェが整理するキリスト教道徳のあり方を考えると、ここで批判されているキリスト教の主体への信仰の意味をつぎのように考えることができる。

 ニーチェのとらえるキリスト教道徳の本質は以下の三つからなっている。そして、この三つの核となるのが、主体への信仰だということができる。

①弱さという徳の積極的追求
②神の国における善人への幸福(浄福)
③最後の審判における悪人への罰

 まず、①に関していえばつぎのことがいえる。

 キリスト教には、「右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せ」、「敵に対する赦し、愛」といった考え方がある。ここには、あえて弱さを徳として、それをみずから積極的に追求するような態度がある。この態度を支えるのが自由な主体への信仰だ。主体は自由だ。強さ(悪)に抗って弱さ(善)を自分の意志で選択することができる。この主体の力を信じることによって、敵に立ち向かおうとする(強くなろうとする)自然な欲望に抗い、弱さを積極的に追求しようとする態度が可能になるのだ。

 また、②③に関しては、つぎのことがいえる。

 弱さを徳として積極的に追求することは、強くなろうとする自然な欲望にあえて逆らおうとする厳しい態度だ。だから、キリスト教の徳は、いわば、現実の世界で不幸なままであること、さらに不幸であろうとすることを要求することになる。

 そこで、キリスト教は神の国での幸福(浄福)という考えをつくりあげた。現世で進んで弱さを追求する善人には来世における神の祝福が約束されている、とするのだ。この来世への期待を支えているのも自由な主体への信仰だといえる。しかも、この場合、自由な主体は、強さ(悪)に抗って弱さ(善)を選択できるだけではない。不滅なのだ(霊魂の不滅)。自由な主体は不滅だ。いわば、自分が現世で不幸を味わいながら積んだ徳を来世にもっていくことができる。この信仰があるからこそ、来世での善人の幸福(浄福)という期待が可能になるのだ。

 同時に、自由な主体への信仰は、キリスト教の最後の審判という考えも可能にしている。まず、主体は自由であって、強さ(悪)も弱さ(善)も自分の意志で選択できる。こう信じることによって、強い者を、強さ(悪)を選んだ悪人にすることができる。ほんとうは、弱さを選ぶこともできたのに、自然な欲望にしたがった責めや罪がある、と。しかし、それだけではない。この自由な主体は不滅でもある。このことを信じることで、いつかおとずれる裁きの場面において、現世で強さを選択した主体は、その責めや罪のために罰をうける、という考えが可能になるのだ。

 このように見れば、キリスト教道徳の中心には、主体への信仰があるといえる。この信仰は、ルサンチマンの人間の価値評価を正当化するだけでない。主体を自由だと信じることで、弱さという徳の積極的追求の原動力としたり(①)、その自由な主体(霊魂)を不滅だと信じることで、神の国における浄福(②)と最後の審判(③)という考えをつくりあげることができるのだ。これを整理するとつぎのようになる。

主体への信仰(1)
自由な主体
主体への信仰(2)
不滅の主体(霊魂)
ルサンチマンの人間の理想
自分の意志でもって弱さ(善)ではなく強さ(悪)を選択 自由な主体は滅びない 最後の審判
(責め、罪がある悪人に対する罰)
自分の意志でもって強さ(悪)ではなく弱さ(善)を選択 自由な主体は滅びない 神の国の浄福
(功績、徳がある善人に対する祝福)

 ところで、ニーチェのキリスト教の主体に関する議論にはまだつづきがある。これは第二論文であらためて詳しく論じられることになるのだが、たとえば、聖書はつぎのように言う。

 「あなたがたが聞いたように、『姦淫するなかれ』といわれている。しかしわたしはあなた方にいう、『すべて欲望をもって女を見るものは彼の心のうちですでに彼女を犯したのである』と」(『マタイ福音書』)。

 キリスト教道徳は、ユダヤ教の律法のような目に見える禁止を問うのではなく、目に見えない個人の内面、魂のあり方を問う。これは同時に、主体の意志や良心(良心の疚しさ)を問う法のはじまりを意味している。弱い者が善人であることも、強い者が罪人であることも、主体の意志や良心といった内面から根拠づけられることになるのだ。こうしたキリスト教の主体の問題については、第二論文を待たなければならない。

14 ルサンチマンの人間の理想、弱さという徳、神の国における浄福、最後の審判

 自由な主体を信仰することによって、弱さは功績にも徳にもなった。ここから、弱さを積極的に追求しようという態度が生まれる。この態度を道徳というシステムとして巧みに完成させたのがキリスト教だ。ニーチェは、そのありさまを、いままで自分の話を聞いてきた相手(読者)に語らせる。12節でひとり語ったニーチェは、ここ14節で理解者を得ている。自分と同じく、「わるい空気だ! わるい空気だ!」と叫ぶ仲間を得ている。そんな独特の形式をとるこの節の内容はつぎのとおり。

 この地上において理想というものが製造されるさまをちょっとばかり見下ろしてみたくないか。ここからならその暗い工房がまる見えだ。まずはその偽りのまばゆい光に慣れてもらって、その光に騙されずに、じっさいは暗いこの工房でなにが起こっているか、諸君のほうから伝えてほしい。今度は私のほうが聞く番だ。

 この質問者(ニーチェ)の呼びかけに答えて相手(読者)はつぎのように語る。

 弱さは功業(功績)に変えられています。報復しない無力は「善良さ」に、びくついた卑劣さ(下劣さ、低級さ)は「謙虚」に、憎悪を抱く相手に対する屈従は「従順」に変えられています。彼らはこの従順を、神に対する従順だと考えています。弱者の退嬰ぶり(攻撃しない弱さ)、弱者の怯懦(臆病)は「忍耐」という美名や「徳そのもの」とさえ言われているようです。それに、「復讐できない」は、「復讐したくない」に、さらに、「宥恕(赦し)」ということになっています。また、「敵にたいする愛」について汗だくになって苦労しながら話しています。

 彼らは疑いもなく惨めな存在です。しかし、彼らの言い分では、惨めさは神の選びによる嘉賞(栄誉)とされています。どうも、その惨めさはいつか償われ、幸福によって返済されると思っているようです。それを「浄福」と呼んでいます。

 彼らは、地上の権力者や支配者たちの唾を舐めなければならない(権力者や支配者におべっかを使わねばならない)のは、神の命令だと考えています。けれども、その一方で、自分たちは権力者や支配者たちより「より善い」ばかりでなく、「より幸福」なのだ、いつかは「より幸福になるんだ」とさえ言っています。もう結構! もう結構です! 「わるい空気です! わるい空気です!」。理想が製造されるこの工房は真っ赤な嘘だらけの悪臭でムンムンしています。

 ここまで相手が答えると、質問者はまたつづけてこういう。黒から白をつくりだすこの魔術師たちの傑作を忘れている。彼らルサンチマンの人間が復讐と憎悪とからつくりだしたものはなにか。

 この問いに答えて相手はつぎのように語る。

 彼らは、われわれ善き者、われわれこそ正しい者だ、と言っています。彼らは自分たちの望むものを報復と呼ばずに「正義の勝利」と呼んでいます。彼らが憎むものは、彼らの敵ではなく、「不正」や「背神」です。彼らが信じ望むのは、「復讐への希望」ではなく、「背信の徒に対する神の勝利、正義の神の勝利」です。彼らがこの世で愛するのは、「憎しみあう兄弟」ではなく、「愛しあう兄弟」、「この世のあらゆる善き者・正しき者」です。

 彼らは、苦悩に対する慰め、未来の浄福の幻を、「最後の審判」、「神の国の到来」と呼んでいます。それまでの間、彼らは、「信仰」、「愛」、「希望」のうちに生きるわけです。

○石川まとめ・補足

 いままでニーチェの話を聞いてきた相手(読者)は、ルサンチマンの人間の復讐と憎悪の情念でいっぱいの暗い工房をのぞき込むことになる。この工房とはキリスト教(新約聖書)のことだ。そこで理想が製造される。

 ここでは、前節からのテーマを引き継ぎ、キリスト教が弱さに積極的な価値を見いだしていく様子、この価値転換のありさまが、新約聖書を下敷きに具体的に問題とされる。ニーチェの批判が新約聖書のどこを指しているのか、そのすべてが明確であるとはいえないが、聖書の文脈を入れながら内容を補足していきたい。

 この節は、大きくいえば、弱さが徳とされること(弱さという徳の積極的追求)、弱い者が幸福とされること(神の国における浄福)、弱い者の強い者に対する報復が正義とされること(最後の審判)、この三つのテーマからなる。徳と幸福(浄福)、そして正義がルサンチマンの人間の理想となる。前節と同様、道徳の成立を明らかにする重要部分であるため、この三つの理想を軸に以下のように詳しく整理してみた。

(1)弱さという徳の積極的追求

 まずは、前節を引き継いで、弱さが功績や徳として美化され、それが人間の追求すべき理想とされる。この価値転換の様子がキリスト教(新約聖書)に読み込まれる。

 報復しない無力が「善良さ」とされ、びくついた卑劣さが「謙虚」とされる。これは、「さからうな」を美徳とするつぎのようなキリスト教の態度のことを指すはずだ。

 「あなた方が聞いたようにこう言われている。『目には目、歯には歯』と。しかしわたしはあなた方にいう、悪者にさからうな。あなたの右の頬を打つものには、ほかの頬をも向けよ」(『マタイ福音書』)。

 ユダヤ教の律法は、「目には目、歯には歯」という同害復讐法を認める(『出エジプト記』など)。ユダヤ教のなかには「強い者は悪い、弱い者こそ善い」という価値転換はあったが、復讐は否定されていなかった。しかし、キリスト教は、さからうな、右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せ、と求める。報復しないどころか、みずからすすんで、より弱くあること、さらに危害を被る存在であることを徳として求める。

 また、自分が憎悪を抱く相手、強者、権力者、支配者に対する「従順」が神の命だともされる。これは、パウロのつぎの言葉を思わせる。「人は皆上に立つ権力に従うべきです。神によらぬ権威はなく、今ある諸権力は神よって立てられたものです」(『ローマ書』)。

 これに加えて、強者による支配に立ち向かうことができず、攻撃(行動)できなかったり臆病である弱者のあり方が「忍耐」として美化される。これは、「苦難は忍耐を、忍耐は訓練を、訓練は希望を生む」とし、苦難を耐え忍ぶ態度を身につけることが希望につながるとするパウロの言葉を思わせる(『ローマ書』)。

 さらに、ニーチェは、つぎの言葉を引用して「復讐できない」というたんなる弱い者の弱さが、敵に対する「赦し」として美化される点を指摘する。「父上、あの人たちをおゆるしください。何をしているか知らないのですから」(『ルカ福音書』)。

 これはイエスが十字架に架けられたときの言葉だ。この言葉には、ニーチェに言わせれば以下のような価値転換が含まれていることになるだろう。

 弱い者は強い者に苦しめられる。しかし、強い者は強大であるため、復讐したくても復讐できない。そのような状況のなかで、弱い者は自分の存在に肯定的な意味を与えようとする。自分が敵に苦しめられているのは、じつは、自分がみずから進んで、敵を赦し暴力を受け入れているのだ、自分はそれほど崇高なことのできる存在なのだ、と。こうして、ただ弱いこと、「復讐できない」が、敵への「赦し」として美化される。

 つぎのような「敵にたいする愛」についても同じことが言える。「あなた方が聞いたようにこういわれている、『隣びとを愛し、敵を憎め』と。しかしわたしはあなた方にいう、『敵を愛し、迫害者のために祈れ』と」(『マタイ福音書』)。「しかし、耳を傾けるあなた方にはいう、敵を愛し、みずから憎むものによくせよ。呪うものを祝福し、なやます者のために祈れ。あなたの頬を打つものには、ほかの頬をも出し、上着を取ろうとするものには下着をも拒むな」(『ルカ福音書』)。

 ニーチェに言わせれば、こうした「敵にたいする愛」もまた、敵に対する「赦し」と同じく、「復讐できない」という自分の弱さの美化になるだろう。自分が敵に苦しめられているのは、じつは、自分がみずから進んで、敵の暴力を受け入れていることであって、それは敵への愛からなのだ、と。この考え方からすれば、自分に害悪が加えられれば加えられるほど、敵に対する受け入れ、愛は増したことになる。こうなれば、弱い者はどんなに苦しい状況にあっても自分を肯定できる。

 しかし、その一方で、この自己肯定はたいへん厳しいものになる。敵を受け入れることこそ善いのだから、自分に害悪が加えられることを積極的に求めなくてはならないからだ。いわば、もっと苦しみを、ということになる。だから、ここでニーチェは、キリスト教は「敵にたいする愛」を汗だくになって苦労しながら語っている、と言っているはずだ。

 これまで見てきたことを簡単にまとめるとつぎのようになる。

 キリスト教は「弱い自分こそ善い」という価値評価を人間の理想にまで高めた。ここでは、弱さが、功績、善良さ、謙虚、従順、忍耐、赦し、敵にたいする愛、といった美徳に変えられ、弱いままであること、さらに弱くあることが積極的に追求されている。

 しかし、この弱さの追求は、いくら徳のあることとされても、現実の世界で不幸でありつづけること、さらに不幸であろうとすることを意味する。人間の強く大きくなろうとする自然な気持ち、幸福になりたい自然な意志を徹底的に否定しなくてはならないこの試みは、ふつうに考えれば、たいへん厳しく耐えがたいものだ。ところが、キリスト教はこの試みを耐える道具立てを用意した。それがつぎに見る、神の国における「浄福」という考え方だ。

(2)弱い者は幸福(神の国における浄福)

 つぎに、キリスト教において弱い者が幸福とされる点が述べられる。これは、いわゆる「貧しき者こそさいわいなり」に代表される価値評価のことを意味していると思われる。たとえば、ニーチェの念頭には、つぎの言葉が置かれているはずだ。

 「さいわいなのは貧しい人々、神の国はあなた方のものだから。さいわいなのは今飢える人々、あなた方は満腹させられようから。さいわいなのは今泣く人々、あなた方は笑おうから。さいわいなのはあなた方、人々が憎み、人の子ゆえに除名し、ののしり、汚名を着せられるときに。その日にはよろこび躍りなさい、天での褒美が多いから」(『ルカ福音書』)。

 弱い者は惨めな生活を送る。惨めなままで生きることは、いくら徳とされても耐えがたい。しかし、キリスト教はそれに耐えられる道具立てをつくった。惨めな者には未来の幸福が約束されているのだ。その理屈はつぎのようになる。

 惨めであることには栄誉がある。というのも、惨めな者こそ、神によって選ばれ、やがては神の国に入る資格があるからだ。神の国では、惨めな者がこの地上で味わった苦しみは褒美でもって返済される。この幸福が「浄福」と呼ばれる。いまこの地上で弱い者は、いつか訪れる幸せを約束された者として、現実はいかに耐えがたい苦しいものであっても幸せなのだ。つまり、弱い者は、いまの幸せからではなく、未来の幸せから見て幸福なのだ。

 ここにも価値転換がある。地上の幸福よりも、神の国における浄福に価値があるとされるのだ。この観点から見れば、いま地上で幸せを味わっている権力者や支配者たちよりも、いつかやってくる未来の浄福を約束された惨めな者たちのほうが幸せだ、ということになる。強い者たちに比べて弱い者たちのほうが、「より幸福」なのだ。

 やがておとずれる神の国において、弱い者たちは、この地上で弱くあったこと(善くあったこと、徳を積んだこと)が称えられる。一方で、強い者たちはこのような浄福は得られない。そういう意味で、弱い者たちのほうが強い者たちより「より幸福」だと言える。ところが、この「より幸福」ということにはそれ以上の独特の含みがある。

 たとえば、先ほど見た「さいわいなのは貧しい人々」にはつぎの言葉がつづいている。「わざわいなのは今食べ飽きている人々、あなた方は飢えようから。わざわいなのは今笑う人々、あなた方は悲しみ泣こうから。わざわいなのは、あなた方をすべての人がよくいうとき」(『ルカ福音書』)。

 わざわいなのは、いま幸福な人たち、いま満足し、いま笑い、いま評価されている人たち。この地上で幸福を享受する強い者たちには、浄福がもたらされないどころではない。やがて神の国がおとずれるときには、わざわいがもたらされるのだ。

 だから、弱い者たちは強い者たちより「より幸福」であるとは、弱い者たちがやがて浄福にあずかるからそう言えるだけではなく、強い者たちがやがて不幸になるからそう言えるのだ。では、神の国がおとずれるとき、強い者たちが被る不幸とはいったいなにか。それが、つぎに見る弱い者たちの言う「正義」、「最後の審判」の意味にかかわってくる。

(3)弱い者の報復は正義(最後の審判)

 最後に、弱い者たちの言う「正義」が問題にされる。ここでは、つぎの節への橋渡しとして、キリスト教の「最後の審判」の意味が問題になってくる。

 「最後の審判」という裁きの場面において、弱い者は正しい者とされ、強い者は不正な者、背神の徒として罰されることになる(弱い者は徳のある正しい者だから浄福へ、強い者は責めある罪のある不正の者だからわざわいへ)。これは、ニーチェに言わせれば、弱い者たちが強い者たちに対して報復をなしとげる場面だ。ところが、この場面は報復と呼ばれず「正義の勝利」と呼ばれる。弱い者たちは、報復を「正義」と呼び、敵を憎むと言うべきところを不正や背神を憎むと言う。

 弱い者たちは、憎しみや復讐を直接あらわして、現実の世界で強い者たちに挑んで、報復したり、反抗したり、ライバルとして競おうとするのではない。ニーチェに言わせれば、現実における復讐には、ホメロスが「蜜より甘き」と言ったように、甘美な陶酔がある(力を現実に発散することは自分を強く大きくすることにつながる、というのがニーチェの考え)。それなのに、弱い者たちは、現実には弱いままで、未来における背神の徒に対する神の勝利、正義の神の勝利を期待する。

 弱い者たちが地上で愛するのは憎しみ合う兄弟ではない(ニーチェのこの「憎しみ合う兄弟」という言い方には、強い者たちは、お互いの憎しみを直接あらわして、現実の世界でライバルとして競い合い、お互いを尊敬する関係にある、という含みがあるはず。弱い者たちはこういう関係を望まない)。弱い者たちは、お互いを「愛しあう兄弟」や「善き者・正しき者」と呼び合って、憎しみ合ったり競い合うことはしない。いつかやってくる未来の浄福、最後の審判、神の国の到来を期待して、それまでのあいだは「信仰、愛、希望」(パウロの標語)のうちに生きる。

 では、この弱い者たちの待ち望む正義、未来の浄福、最後の審判、神の国とはいかなるものか。じつは、そこには、ルサンチマンの人間の強い者に対する復讐と憎悪からなる陰惨なイメージが満ちている。そのありさまを、ニーチェはつぎの15節で具体的に描く。

(1)から(3)までの流れはつぎのようにまとめることができる。

 キリスト教は、弱さを徳として価値転換し、人間の追求すべき理想とした。それを図で整理すればつぎのようになる。

弱さ 価値転換された弱さ
報復しない無力 善良さ
びくつき 謙虚
憎悪を抱く相手に対する屈従 従順
攻撃しない弱さ、臆病さ 忍耐
復讐できない 復讐したくない
敵に対する赦し
敵に対する愛

 ところが、弱さを徳として追求することはそう簡単なことではない。それは進んで不幸になろうとする態度でもあるからだ。しかし、キリスト教は、自分の理想、弱さという徳の追求に合わせて幸福の考え方を変更する。地上で幸福である者(強者)にはやがて最後の審判における罰がまっており、地上で不幸である者(弱者)にはやがて神の国における浄福がまっているとするのだ。いわば、地上の幸福は来世の不幸、地上の不幸は来世の幸福(浄福)とする価値転換がここにはある。これを図で整理すればつぎのようになる。

現実の幸福と不幸 最後の審判と神の国の浄福 価値転換された幸福と不幸
強い者は幸福 罪のある(強さを追求した)強い者(悪人)には最後の審判で不正と背神の罰 強い者は不幸
(地上の幸福は来世の不幸)
弱い者は不幸 徳のある(弱さを追求した)弱い者(善人)には神の国の浄福という褒美 弱い者は幸福
(地上の不幸は来世の幸福)

 こうして、キリスト教道徳の基本的なかたちができあがる。弱い者はやがておとずれる神の国での浄福という期待があるからこそ、この現実世界でどんなに不幸になっても弱さという徳を進んで追求できるようになるのだ。

 これに加えてもうひとつ、弱い者はやがておとずれる最後の審判において正義がなされることを期待する。弱い者にとってこの正義とは、現実世界で幸福を味わう強い者に罰が下ることを意味する。弱い者はこの期待があるからこそ、この現実世界で強い者からの蹂躙を進んで耐え忍ぶことができる。

 じっさいのところ、弱い者のいう正義とは、弱い者の強い者への報復を意味する。弱い者は、報復を否定して、敵を憎まず、復讐せず、愛のうちに生きると言っているが、最終的に期待しているのは、敵を憎み、復讐し、勝利することなのだ。これは、じつは、弱い者も強い者になりたいと願っている証拠でもある。この点がつぎの15節で詳しく論じられる。

 なお、主体の論理についてもそうだったが、ニーチェは、正義の論理のすべてを批判しているわけではない。第二論文では、貴族的価値評価から生まれる正義の論理が評価される。ニーチェが問題とするのは、「強い者は悪い」という反感から発して、自分の憎悪と復讐を正義の美名で正当化するような、ルサンチマンの人間のつくりあげる正義の論理だ。

 ところで、これまで見てきた態度は、この現実世界を超えたどこかに理想を置き、そこに価値をみいだす。地上の幸福よりいつかやってくる浄福(神の国)、地上の報復よりいつかやってくる正義(最後の審判)。こうした理想から見れば、この現実世界は仮の世界となる。あの世にほんとうの世界があるなら、現実は偽物の世界にすぎなくなる。こうした、どこかに理想を立てて、あるがままの現実を否定しようとする反転した態度を、ニーチェは「真理への意志」と名づけ、第三論文の中心テーマに据える。

(5)カント道徳哲学との関係

 13節、14節でニーチェが問題にするルサンチマンの人間の道徳は、キリスト教道徳を指していながら、どこかカントの道徳哲学にも通じるところがある。しかし、もちろん、細かい部分では相違点もある。そこで、カントの道徳哲学の大枠をしめしたうえで、キリスト教道徳とのつながりを考えてみたい。

①カント道徳哲学の大枠

 カントの道徳哲学の中心には自由な主体がある。カントによれば、自由とは、現象の世界(わたしたちに現われる自然の世界、自然な欲望の世界)とは別の世界(物自体の世界、理念の世界)に属する原因性だ。主体はこの自由という原因性をもつ。人間は自然な欲望にしたがう存在(受動性)であるけれど、その一方で、自由という能力(自発性)を使って自然な欲望にあらがって自分をコントロールすることができる。

 主体がこの自分自身の自由にもとづいて道徳法則(いつも、自分の善かれをだれにとっても善かれと一致させるように行為すべし)を意志することが、カントにとっての善だ。自由と道徳法則はつながっている。だから、カントの善は、自己中心性(自分がかわいいという自然な欲望)を克服して純粋な利他性(だれにとっても善かれ)をめざすような、簡単にいえば、自分のことは差し置いてとにかく世のため人のためをなせ、と命じるような厳しい側面を含んでいる。

 みずからの自由でもって自己中心性を克服し、道徳法則を意志できるようになること。カントはこれを人間のあるべき理想の姿とする。カントはここに完全性を求める。人間が完全に自由で道徳的な存在となった状態(最上善)を理想とするのだ。さらに、最高の理想(最高善)を、その完全となった自由で道徳的な人間が幸せになること(徳福一致)とした。しかし、こうした理想は困難をはらんでいる。

 まず、人間は、自然な欲望をもつために、自分の意志を道徳法則に完全に一致させることが難しい。そもそも、完全に自由で道徳的な存在となる、という理想が困難なのだ。そこで、カントは霊魂の不死を要請する。霊魂が不死であれば、主体は、いわば死後も、完全に自由で道徳的な存在となるよう努力しつづることができるからだ。

 しかし、まだ困難がある。不死の霊魂としての人間が努力して、完全に自由で道徳的な人間になれたとしても、その主体が幸せになれるかどうかはわかないのだ。自由で道徳的な存在が幸せになる、という理想もまた困難なのだ。そこで、カントは神の存在を要請する。神がいるのであれば、来世において、完全な存在となった人間が祝福される可能性が開けるからだ。

 カントはこのようなかたちで、人間が完全に自由で道徳的な存在となることが可能であること、さらに、その完全な存在が幸せになることが可能であることを示そうとしたのだった。

②キリスト教道徳との共通点と相違点

 カントは自由を現象の世界とは別の物自体の世界に属する原因性とした。主体はこの自由という原因性をもつ。これは、ニーチェにいわせれば、キリスト教道徳と同じく、あるがままの現実の背後に想像された主体への信仰ということになるだろう。

 しかし、カントの自由な主体は、ニーチェがキリスト教道徳の自由な主体を特徴づけたように、弱さ(善)と強さ(悪)のどちらも選択できるものなのだろうか。カントの自由な主体は、そういった選択をしない。自由な主体は道徳法則を意志することによって善となる。簡単に言えば、カントのいう意味での自由な主体は、善には向かうが、悪には向かわないのだ。

 もちろん、大きな視点からみれば、カントの道徳哲学のなかには、自由であろうとするかしないか、という主体による選択はある。しかし、それでも、自由であろうとしないことを選ぶこと(自然な欲望にしたがうこと)は強さという悪の選択である、と表立っては言わないのがカントの道徳哲学の特徴だ。

 一方で、カントの道徳哲学は、自由によって自然な欲望(強さ)にあらがい道徳法則を意志する態度を善とする。あとでこの側面は詳しく見るが、道徳法則の利他的な側面を弱さとするなら、ここには、強さにあらがい弱さを選択することは善、とするキリスト教道徳の態度と重なるものを見ることができる。

 カントはこうした自由で道徳的な存在を崇高とする。ここには、弱さを主体の選んだ功績として、「弱い自分こそ善い」とする弱い者の自己正当化や、それをもとにした弱さの積極的追求というキリスト教道徳と重なる態度を見ることも可能だ。

 しかし、それでも、カントの道徳哲学には表立ってつぎの主張は見られない。自然な欲望(強さ)そのものを悪とすること(おそらく、原罪の観念)、強さを主体による悪の選択として、強い者に悪人としての責めや罪を着せ、弱い者の「強い者は悪い」という反感を正当化すること、最後の審判においてこの悪人に罰が下るとすること。カントは、こういったキリスト教道徳のなかにある強い者に対する反感や報復といった攻撃性のある教説を、注意深く斥けている。

 大きく言えば、カントの道徳哲学は、キリスト教道徳と同じく弱い者の自己肯定のための道徳だといえるだろう。しかし、「弱い自分こそ善い」とは主張するが、「強い者は悪い」を表立っては主張しない。ここが、カントの道徳哲学がキリスト教道徳と異なるところだ。

 とはいえ、このあたりの議論を細かくやるときりがなくなる。そこで、つぎはあらためて、ニーチェの視点から裏読みするように、カントの道徳哲学とキリスト教道徳との共通点を整理してみたい。その軸は、自然な欲望に対立する態度、霊魂の不死と神の存在の要請とするのがよいと思われる。カントの道徳哲学は表立って「強い者は悪い」とは主張しない。けれども、そのなかにはやはり、弱い者の強い者に対する反感のかたちを読み取ることができるのだ。

③自然な欲望に対立する態度

 カントは、自然な欲望そのものを悪とはしないが、それでも、自然な欲望は自由によって克服されるべき、とする。カントの自由な主体には、自然な欲望に対立する態度がある。ニーチェの視点からすれば、ここには、暗黙のうちに、「強い者は悪い」という弱い者の強い者に対する反感が反映されているといえる。その理由はつぎのとおりだ。

 カントの自由な主体は、自然な欲望を自分の力で克服しようとする力強い主体に見える。そう見えるのも、ここには、自然な欲望に立ち向かう能動的な態度があると思えるからだ。しかし、ニーチェにいわせれば、事情はまったく逆だということになる。

 ニーチェによれば、人間は、自分という中心をもち、現実のさまざまな抵抗に立ち向かって自分を強く大きくし、自己肯定しようとする力(力への意志)をもつ。自然な欲望とはこの力のことだ。真の意味で能動的な者、強い者は、この力のうながしにしたがい、それを伸ばそうとする。一方、受動的な者、弱い者は、この力を発揮できず、現実の抵抗に立ち向かえない状態にある。じつは、自然な欲望を発揮することこそ能動的であって、それを発揮できないのは受動的なのだ。

 こうしたニーチェの観点から見れば、カントは、自由な主体なるものを置いて、能動性と受動性とを転倒させていることになる。真の意味では自然な欲望を発揮しないことは受動的なことなのだが、カントはこうしたあり方を能動的とする。一方で、真の意味では能動的である自然な欲望を発揮すること、強くなろうとすること、弱さにあらがうことは、自由でない受動的なこととされている。

 カントの自由な主体は、表向きは自然な欲望を克服する積極的な態度のように見えるが、その内実は、強くなろうとしないこと、弱くあることを求める態度なのだ。これは、ニーチェに言わせれば弱さをいっそう追及するようなキリスト教道徳と同じ態度になる。

 だから、カントは表立って「強い者は悪い」、「自然な欲望は悪」とは言わないが、その道徳哲学の中心、自由な主体による自然な欲望の克服という主張のなかには、弱い者の強い者に対する反感が隠されているといえる。自然な欲望を発揮できない弱い者は、自然な欲望を発揮できる強い者に対して反感を抱く。「強い者は悪い」、自然な欲望を発揮することは悪である。そういうキリスト教道徳を支えるルサンチマンの人間の価値評価が、自然な欲望にあらがうことをあえて能動的とするカントの自由な主体の論理には、暗黙のうちに前提されているといえるのだ。

 この自由な主体の論理は、弱い者の「弱い者こそ善い」という価値評価を正当化する。弱い者の現実は自然な欲望を発揮できない受動性としてある。しかし、カントは、自然な欲望にあらがう自由な主体の論理によって、つぎのように弱い者の弱さの正当化を可能にする。

 自分はなぜ弱いのか、それは、自分自身の自由でもって、ほんとうは自然な欲望にしたがうこともできたのに、あえてそれあらがい、欲望を克服することを選んだから弱いのだ。

 ここに、自分の弱さという現状を主体による積極的な選択と考え、功績や徳とする、キリスト教道徳と重なる態度を見ることができる。

 なお、ここから、カントの自由と道徳法則とのつながりの意味を考えることができる。キリスト教道徳のなかにある弱さを功績や徳とし、それを積極的に追求する態度が、カントの自由と道徳法則との関係に見ることができるのだ。

 道徳法則は、自分の善かれをだれにとっても善かれと一致させることなのだから、それ自体は、自分という中心をもつように思える。しかし、この道徳法則を可能にするのは、自然な欲望を克服しようと求める自由な主体の論理だ。そのため、自由と道徳法則からなるカントの善の内実は、自分という中心をかたちづくる強さを求める自然な欲望をなくし、世のため人のためを意志するような、純粋に利他的なものになる。

 もちろん、カントの道徳哲学は、表立って、「右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せ」、「敵に対する赦し、愛」といった徳を示すわけではない。しかし、ニーチェの観点から見れば、自己中心性を克服し利他性を生きなければならないカントの自由で道徳的な人間には、キリスト教道徳と重なる弱さ(自然な欲望を発揮しないこと)を徳として積極的に追求する態度を見ることができるだろう。

④霊魂の不死と神の存在の要請

 カントの道徳哲学がはっきりとキリスト教道徳とつながっていることがわかるのは、やはり、霊魂の不死と神の存在(神の国における浄福)の要請ということになるだろう。

 自然な欲望にあえてあらがい、弱さを積極的に追求するカントの自由で道徳的な人間は、現実において不幸を味わわざるをえない。そこで、霊魂の不死と神の存在(神の国における浄福)が要請されるのだ(霊魂の不死については、浄福を得るためよりまず道徳的に完ぺきな存在になるために必要、という独特の理由になっているけれども)。

 もちろん、カントは、霊魂が不死であることや、神の存在を理論的に証明できるとはしない。これらは、日々苦しい状況にありながら、自由で道徳的であろうとする、いわば、善く生きようとする人びとの努力のために要請されている。自分は不死であり、自分の努力はいつか神によって祝福されると信じることが、善き人びとの日々の苦しい実践をはげます、とカントは考えたのだ。

 しかし、ニーチェにとって、キリスト教が霊魂の不死や神の存在を「証明」しようとしたことと、カントがそれらを「要請」したこととのちがいは問題にならないだろう。重要なのは、カントの道徳哲学にとっても、キリスト教道徳にとっても、魂の不死と神の存在(神の国における浄福)の意味が「幸福」にあるという点だからだ。カントの道徳哲学もキリスト教道徳も共通に神の国における幸福(浄福)を求めている。

 ニーチェに言わせれば、幸福の本来の意味は、自然な欲望を実現し、強い者となることだ。カントの自由で道徳的な人間も、キリスト教道徳の善人も、自然な欲望を克服しようとはげむ。いわば、弱い者のままでいようと、不幸であろうとする。ところが、そうした態度が最終的に目指しているのは、来世での幸福なのだ。カントの道徳哲学も、キリスト教道徳も、あれだけ自分たちが否定し克服しようとしてきた自然な欲望を最終的には実現し、強い者になろうとしているということになる。

 もっとも、カントの道徳哲学もキリスト教道徳も、あの世の幸福のことは、「浄福」と呼んで、この世の幸福とは区別する。浄福は、自然な欲望を完全に克服したときに生じる喜びだとされる。

 しかし、浄福もまた幸福ではないだろうか。弱い者もまた自然な欲望を発揮して強い者になりたがっているのではないだろうか。

 すでに見たように、カントの道徳哲学は、キリスト教道徳ののなかにある強い者に対する反感や報復といった教説を注意深く斥けている。しかし、それがキリスト教道徳と共有する神の国での浄福という思想にはなにがあるのか。そこには、強い者への反感や報復といった攻撃性があるのではないか。この点について、つぎの15節で、また再びキリスト教道徳の話に戻り、詳しく見ることにしよう。

15 天国と地獄はひとつの場面

 前節では、いつかやってくる神の国の到来を期待して、それまでのあいだ「信仰、愛、希望」(パウロの標語)のうちに生きるキリスト教徒の人間像が描かれた。では、神の国とはどういうものか。その具体的イメージがここで取り出される。

 ニーチェはここでも独特の書き方をしている。原文ではこの節の大半が初代キリスト教教父テルトゥリアヌス(160頃‐220頃)の『見世物について』(ラテン語原典)からの引用になのだ。かなり異様な書き方だけれど、ニーチェはキリスト教のテキスト自身にそのルサンチマン的本質を語らせようとしている。内容は以下のとおり。

 キリスト教徒は、この世の苦しみに耐えながら信仰、愛、希望のうちを生きる。そう生きられるのも、来世の「神の国」における勝利を思い描いているからだ。だから、彼らもまた、強い者になりたいと願っているのだ。この神の国を見るために永遠の生命というものが考え出される。永遠の生命があることによって、来世において、神の国を見ることができ、現世の苦しみの償いを受けることができるからだ。

 ダンテは地獄の門に「われをもまた永遠の愛は創った」と掲げたが、それは間違っている。むしろ、天国の門のほうに「われもまた永遠の憎悪は創った」と掲げられるのがふさわしい。というのも、天国の浄福というのは、トマス・アクィナスが「天国にある浄福な者たちは」、「罪人らの罰されるのを見、それによっていよいよおのれの浄福を悦ぶであろう」と言っているように、弱い者が強い者に対する復讐を眺めてよろこぶ場面のことだからだ。

 テルトゥリアヌスは、現世の見世物の残忍な快楽を戒めたが、彼の描く神の国の到来、最後の審判のイメージは、キリスト教徒にとって最高の見世物となっている。そこでは、異教の神(ユピテル)と王が炎に焼き尽くされ、キリスト教を迫害するローマの地方の総督たちや霊魂の不滅を否定する哲学者たちが焼かれている。キリスト教を知らなかった古代ギリシアの詩人たちは思いもかけない審判におののきふるえ叫んでいる。戦車競走の馭者は火だるまになっているし、槍投げの競技者が火炎のなかで競技している。

 このような残虐な光景が見られるためには、それを見るキリスト教徒と同様に、罪人たちの生命も永遠でなければならない。テルトゥリアヌスが永遠の罪人としてとくに望んだのがイエスを辱めた者たち(ユダヤ人)だった。永遠に地獄の苦しみを味わうユダヤ人について、「これほどの見世物を観せ、これほどまでに心躍らしてくれる者などいるであろうか?」とテルトゥリアヌスはいっている。

 「信仰」によって、こうしたいままで見たことも聞いたこともない光景(弱い者の強い者に対する復讐と勝利の光景)、現世のいかなる円形競演場、悲劇や喜劇の舞台、競技場よりも、「目を喜ばせる光景」(見世物)を思い描くことができる、とテルトゥリアヌスはいう。

○石川まとめ・補足

(1)キリスト教の神の国のイメージ

 ニーチェはここで、トマス・アクィナス(1225頃‐1274)やテルトゥリアヌスの神の国のイメージを引用して、キリスト教のなかにある強い者に対する復讐心を取り出している。一見、弱さを追求しているように見えるキリスト教の人間も、じつは、攻撃性を発揮して、いつかは勝利したい、強くなりたいと願っている。このことは、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」というルサンチマンの人間の価値評価が、じつは欺瞞だったことを意味している。ほんとうにある価値評価とは「強い自分はよい」であって、キリスト教はそれを来世に延期しているだけなのだ。

 キリスト教は、復讐と勝利を、現世ではなく、来世に求めている。だから、永遠の生命という考えが不可欠となる。永遠の生命は、復讐をなしとげる弱い者だけでなく、復讐される強い者にもなければならない。

 この永遠の生命という考えが、善人は天国へ、悪人は地獄へ、という天国と地獄の一般的なイメージを生み出す。ここでニーチェはダンテ(1265-1321)の言葉を引用しながら、「地獄は永遠の愛が創ったのではない」と批判して、すぐその話をやめて、「天国は永遠の憎悪が創った」という言い方のほうに力点を置いている。

 おそらく、ニーチェは、ダンテが『神曲』で描いたような天国と地獄の階層的なイメージを壊したいと思っている。たしかに、善人(弱い者)が天国に赴き、悪人(強い者)が地獄に赴く、といったイメージ、それじたいも弱い者の強い者に対する憎悪によってつくりだされているといえる(ダンテが地獄を永遠の愛が創ったとするのはまちがっている)。しかし、ニーチェの言いたいのは、キリスト教の神の国のイメージのなかに、すでに悪人(強い者)が罰される地獄のイメージ、弱い者の強い者に対する憎悪が含まれている点だ(天国は永遠の憎悪が創った)。 

 天国のなかに地獄が含まれている。このことは、天国と地獄は別々にあるのではなく、ひとつの場面であることを意味する。弱い者も強い者も同じ場所にいる。それを示すために、ニーチェは、トマス・アクィナスやテルトゥリアヌスを引用している。

 たとえば、テルトゥリアヌスが描くのは、コロッセウムのような競演場で、強い者が地獄の責め苦を味わわされているのを、弱い者が観客として見て楽しんでいる場面だ。キリスト教のいう神の国とは、いわば、弱い者のための復讐劇、見世物なのだ。そこには観客(弱い者)と同時に犠牲(強い者)もいっしょにいる。お互い永遠の命をもっているのだから、強い者は永遠に苦しめられ、弱い者はその様子を永遠に楽しむことができる。だから、天国と地獄とは、階層的に区分されたものではなく、ほんとうはひとつの世界なのだ。

 ここでは、浄福と最後の審判とがひとつの場面に一体化している。神の国とは、弱い者にとっての天国であり、強い者にとっての地獄なのだ。ニーチェは、11節で、ヘシオドスの青銅時代と英雄時代の区分は、ひとつの時代が、被害者である弱い者と勝利者である強い者の二つの視点から見られたものであることを示した。神の国とは、この裏がえしで、弱い者にとっては勝利であり、強い者にとっては被害をこうむる、ひとつの場面としてある。

 もちろん、ニーチェに言わせれば、このような神の国とは虚偽(まやかし)だ。ルサンチマンの人間の復讐は想像上で行われる。現実の世界で弱くみじめなままを生き、想像の世界で神の国における強い者への復讐を思い描いてたのしむこと。これがキリスト教の「信仰」の本質だとニーチェは考えている。

(2)社会の内部に向けられる攻撃性

 ところで、ここでニーチェは、テルトゥリアヌスの引用を使って、キリスト教のなかにある反ユダヤ的傾向を指摘している。テルトゥリアヌスは、異教の王、ローマの役人、哲学者、古代ギリシアの詩人、競争者・競技者(肉体的に強い者)といった者たちより、なによりも、イエスを辱めたユダヤ人が責め苦を味わうのを見ることをよろこばしいとしている。キリスト教の憎悪の矛先はユダヤ人に向けられている。

 テルトゥリアヌスは2世紀終わりから3世紀のはじめを生きた人物だが、ここには当時のキリスト教とユダヤ教の対立関係が反映されている。テルトゥリアヌスはユダヤ人が聖母マリアのことを淫売婦とするのを神の子イエスに対する辱めだとしている。ニーチェはこの淫売婦という言葉にタルムードと同じ表現を見ている(ここで言われているタルムードとは、それまでのラビたちによる口伝が7世紀に編纂されたバビロニア・タルムードのことだろう。そこには、イエスが母の姦通の末に生まれた子であるかのような記述が見られる)。ユダヤ教はキリスト教を誤った教えにもとづく分派として攻撃する。

 テルトゥリアヌスがバビロニアの議論を知っていたかどうかはわからないが、当時は権威あるユダヤ教から、その分派としてのキリスト教への攻撃があった。そこで、テルトゥリアヌスは、イエスを「ユダから買い取った」等、「福音書」の言葉を引用してユダヤ人に対して憎悪を向け、ユダヤ人に対抗するのだ。

 福音書には、ユダヤ教勢力(律法学者のパリサイ派や神殿で祭祀を行うサドカイ派)への攻撃性が見られる。これは『反キリスト者』の議論になるが、ニーチェは、この攻撃性はもともとユダヤ共同体内部での弱い者(福音書の成立に大きな影響を与えたパウロら)による特権者(パリサイ派、サドカイ派)への憎悪から発したと考える。

 たとえば、ニーチェはつぎのように言う。「ひとたびユダヤ人とユダヤ人キリスト教徒とのあいだに裂け目が開かれるやいなや、後者には、ユダヤ的本能がすすめたのと同一の自己保存の手続きをユダヤ人自身に対して適用すること以外には、なんらの選択もまったく残されてはいなかったが、他方ユダヤ人は、それまでこの手続きをすべてのユダヤ的ならざるものに対してのみ適用したまでのことである」(『反キリスト者』、44節)。

 ここで言われている「ユダヤ的本能」とは、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」というルサンチマンの価値評価を意味する。ユダヤ教イエス派ともいうべき新しい分派を立ち上げたパウロたちにとって、強い者とは、すでに権力をもっている既存のユダヤ教勢力だった。パウロたちはこの勢力に迫害される弱い者だった。そこで、自分を迫害する相手に対する憎悪が生まれ、パリサイ派やサドカイ派を神の子イエスを辱めた悪人だとする物語がつくりあげられる。ユダヤ教は憎悪を自分たちの外側の支配民族といった強い者に向けたが、キリスト教(パウロ)は憎悪を自分自身の属するユダヤ共同体内部の強い者に向けたのだ。

 なお、ここでニーチェが言っているユダヤ人に対する特徴は、タキトゥス(55頃‐120頃)のつぎの言葉を参照している。「彼らはお互いに信頼を頑固に守り、同情の手をいつでもすぐ差しのべる。しかし彼ら以外のすべての人間には敵意と憎悪を抱く」(『同時代史』、第5巻)。ニーチェの分析によれば、共同体の外部の強い者に憎悪を向けるのがユダヤ教、共同体の内部の強い者に憎悪を向けるのがキリスト教となる。

 テルトゥリアヌスはパウロがつくりだした共同体内部の強い者に向かう憎悪を引き継いだ。ただし、テルトゥリアヌスはユダヤ人ではなく、ユダヤ共同体に属していたわけではない。テルトゥリアヌスの闘いの舞台はローマ帝国の内部だ。この内部で、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」というルサンチマンの価値評価にもとづき、自分たちを迫害する強い者に対する攻撃が行われる。

 その攻撃性が真っ先に向けられるのが、キリスト教がもともとそこから生まれた権威あるユダヤ教、ユダヤ人となる。同時に、テルトゥリアヌスの攻撃性は、ローマ帝国内部の他の強い者たち、異教の王(ローマ皇帝)、ローマの役人、霊魂の不滅を否定する哲学者(たとえば、大規模なキリスト教迫害を行った皇帝、哲学者としても知られたマルクス・アウレリウス・アントニヌス(121‐180)は死後の霊魂の不滅を否定している)、古代ギリシアの詩人(ギリシア人)、競争者・競技者(肉体的に強い者)といった者たちにも向けられる。

 ニーチェの考えにしたがえば、キリスト教のなかにある反ユダヤ的傾向は、パウロからはじまる共同体内部に向かうルサンチマンの攻撃性から生まれたものだった。もちろん、パウロはユダヤ人であるから、その攻撃性は、直接的にはパリサイ派やサドカイ派に向けられ、ユダヤ人全体には向かっていないといえる。しかし、内部の強い者への攻撃性という福音書の精神を受け継いだテルトゥリアヌスになると、攻撃性はローマ帝国内部のユダヤ人全体に向けられることになる。もっとも、テルトゥリアヌスの神の国のイメージには、ユダヤ人だけなく、ローマ帝国内部の強い者たち全般への憎悪と復讐が含まれている。

 しかし、キリスト教がローマ帝国を支配することによって、内部の最後の敵として残ったのがユダヤ人だった。これによってユダヤ人がキリスト教社会内部の憎悪を一手に引き受けてしまうことになる。同じ「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という価値評価を土台にしながら、憎悪を向ける方向のちがいによって、キリスト教はユダヤ人をキリスト教社会の内部の敵とし、ユダヤ人はキリスト教をユダヤ共同体の外部の敵とする、相いれない構図が出来あがってしまうのだ。

 このように、ユダヤ教とキリスト教にはなかなか決着のつかない対立の構図があるのだが、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という価値評価の普遍化という観点から見れば、キリスト教のほうがシステムとしてユダヤ教よりすぐれていたということになる。キリスト教は、パウロの十字架の論理によって、この価値評価を弱い者なら誰もみなに開くことができた。同時に、攻撃性を内に向け、社会の内側に強い者を認めない態度もある。一方、ユダヤ教は、律法という制限もあって、この価値評価をなかなか普遍化できない。攻撃性を外に向け、社会の内側に強い者を許す可能性もある。だから、キリスト教が「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という価値評価を積極的に担っていくことになる。この意味で、キリスト教はユダヤ教に勝利したといえるのだ。

 こうして話は、第8節につながっていく。テルトゥリアヌスが神の国のイメージで描き出したのは想像上の復讐だった。しかし、コンスタンティヌス帝(274頃‐337)のミラノ勅令(313年)による公認を経て、その後、テオドシウス帝(347-395)によってキリスト教はローマ帝国の国教となる(380年)。皇帝さえもその前に跪くローマ教会が確立されていく。弱い者の強い者への復讐は現実のものとなり、神の前での万人の平等が生まれる(もちろん、じっさいは、そのなかで教会権力が力を得るのだけれど)。ニーチェによれば、これは、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」というルサンチマンの価値評価の勝利だ。

 つぎの節で、ニーチェは「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」という対立軸を提出するが、これは、貴族的価値評価(ローマ)とルサンチマンに根ざした僧侶的価値評価(ユダヤ)の対立を意味する。ニーチェにとって問題なのは、具体的なユダヤ人やキリスト教徒というわけではない。問題なのは、ユダヤの僧侶階級から生まれ、パウロによって普遍化され、社会の内部の強い者への攻撃性として向けられた「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という価値評価そのものだ。

 僧侶的価値評価は、キリスト教を通じて世界を覆い、強い者を抑え、勝利したかに見える。だれもがみな平等に弱く善良になる。しかし、そのキリスト教社会の内部から、貴族的価値評価の抵抗が生まれてくる。ニーチェは歴史をこの貴族的価値評価と僧侶的価値評価との相剋として描く。それをつぎに見てみよう。

16 ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ、価値評価の対立から見る歴史

 第一論文をまとめ、これからの議論に橋渡しをする節。ここでニーチェは独自の歴史観を展開している。その軸となるのが貴族的価値評価と僧侶的価値評価(ルサンチマンの価値評価)との対立だ。これまで描かれたのはキリスト教の発生史だったが、そこにあった価値評価の対立は歴史を通じて展開していく。内容は以下のとおり。

 「よい」と「わるい」(貴族的価値評価)、「善」と「悪」(僧侶的価値評価)という二組の対立した価値は、幾千年にもおよぶ長い戦いを交わしてきた。僧侶的価値評価が優勢となったいまでは、戦いは精神の場面で行われ、高度な精神を見分ける特徴はこの分裂を宿しているかどうかにかかっている。

 この戦いは、象徴的にいえば「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」という標語となる。ローマはユダヤ(キリスト教)に反自然的なものを見て、「全人類に対する憎悪の罪」があるとして迫害した。一方、ユダヤ(キリスト教)はローマに対して『ヨハネ黙示録』のような復讐の物語をつくりだした。ローマ人のように強く高貴な者はこれまで地上に存在しなかった。しかし、ユダヤ人は、すぐれたルサンチマンの僧侶的民族であり、僧侶道徳をあやつって、ローマだけでなく地上の半分もの人びとを飼い馴らしてしまった。

 いまでは、人びとは、イエス、ペテロ(カトリック教会の中心、サン・ピエトロ大聖堂が祀る聖ペテロ)、パウロ、マリア(聖母マリア)という三人のユダヤ男と一人のユダヤ女の前に跪いている。ローマは疑いもなく敗北したのだ。

 とはいえ、古典的な理想である貴族的価値評価が、ルネサンスのなかで輝かしくも不気味に復活したこともあった。古いローマの上に建てられたユダヤ化された新しいローマの圧迫、世界全体のためのユダヤ教会堂(シナゴーグ)のような姿で「教会」と呼ばれたローマの圧迫のもとで、古いローマそのものが仮死状態の者が目覚めるように再び動き出したのだ。

 しかし、宗教改革と呼ばれる賤民的なルサンチマン運動においてユダヤがまた勝利する。このことによって、教会は復興し、古典的なローマの墓場の静けさも復元されてしまう(宗教改革に触発されたカトリックの改革、反宗教改革のもとにルネサンスは衰退してしまう)。

 さらに決定的だったのは、フランス革命におけるユダヤの勝利だった。これによって、ヨーロッパに最後まで存在した貴族主義、17、18世紀のフランスの貴族主義は民衆のルサンチマン本能のもとに崩壊した。

 ところが、このフランス革命のなかから、古典的な理想そのものが肉体をそなえて現われた。人間の低下、平均化、衰退、凋落である多数者の特権に対して、少数者の特権の言葉が強烈に鳴り響いた。ナポレオンという遅生まれの高貴な理想の体現者、非人(人でなし)と超人との綜合が現われたのである。

○石川まとめ・補足

(1)価値評価の対立から見る歴史

 この節は、「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」という対立を軸にしている。ニーチェはこれをもとにヨーロッパの歴史を描く。しかし、この対立の図式は文字通りにローマ(人)とユダヤ(人)の対立を指すわけでない。その意味は価値評価の対立にある。これまで見てきた「強い自分はよい、弱い者はわるい(劣っている)」とする自己肯定感を土台にする価値評価と、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」とするルサンチマンを土台にする価値評価との対立。すなわち、貴族的価値評価と僧侶的価値評価の対立がこの図式の内実なのだ。

 だから、この節での「ローマ」とは貴族的価値評価を指し、「ユダヤ」とは僧侶的価値評価を指す、と考えるのがいい。歴史を通じてこの意味での「ローマ」と「ユダヤ」は繰り返しあらわれる。ニーチェが描くヨーロッパの歴史は、この二つの価値評価の争いとしてある。

 じっさい、この節には、ユダヤ人やユダヤ教を直接語る部分は存在しない。たとえば、最初の「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」の対立からしてそうだ。ここで紹介されているローマがユダヤに対して抱いた「全人類に対する憎悪の罪にわたされたもの」という印象は、タキトゥス(55頃‐120頃)の『年代記』、第15巻からの引用だが、これは、ローマ(タキトゥス)が皇帝ネロ(37-68)に迫害されたキリスト教徒に向けた言葉だ。一方、ユダヤがローマに向けた復讐の物語として紹介されている『ヨハネ黙示録』(95年頃書かれた)は新約聖書の正典に含まれる。

 だから、ここでの対立は、じっさいには、「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」ではなく、「ローマ対キリスト教、キリスト教対ローマ」なのだ。それでもニーチェがキリスト教を「ユダヤ」と呼ぶのは、その価値評価の起源をたどれば、あのユダヤの僧侶たちに行き着くからだ。この意味で、キリスト教は「ユダヤ」なのだ。

 つづいて、ニーチェは、ユダヤ民族は、中国人やドイツ人とは比べものにならないくらい傑出したルサンチマンの民族である、ともいう。しかし、じっさいにローマに勝利したのはユダヤ民族ではない。勝利したのは、ユダヤ民族から僧侶的価値評価を受け継いだキリスト教だ。だから、ユダヤ民族が傑出しているのは、キリスト教の価値評価の起源であったという意味で、あるいは、僧侶的価値評価を普遍化するキリスト教の仕組みを打ち立てたパウロがユダヤ人であったという意味で、傑出しているのだ。

 さらに、ニーチェは宗教改革やフランス革命についてもユダヤの勝利という。これもまた、ユダヤ人、ユダヤ教の勝利を直接に意味するわけではない。僧侶的価値評価の勝利なのだ。 

 歴史を貴族的価値評価と僧侶的価値評価の相剋として見る。ここにニーチェの力点がある。

 ニーチェにとって、歴史とは、いわば、プレイヤーがそのつど変わりながらも、つねに二つの価値評価が争うゲームだ。貴族的価値評価を体現するローマ、ルネサンス、フランスの貴族制、ナポレオン。ユダヤから生まれた僧侶的価値評価を受け継ぐキリスト教、宗教改革、フランス革命。価値評価を体現するプレイヤーは変化するが、つねに、貴族的価値評価と僧侶的価値評価とが争う。その意味で、「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」の相剋として歴史はあるのだ。

 しかし、この歴史の展開を見る前に、まずはこの「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」という標語について考えてみたい。

(2)「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」という標語について

 ニーチェのなかで、『道徳の系譜』は『善悪の彼岸』の解説という位置づけになっている。『善悪の彼岸』、260節では「主人道徳」と「奴隷道徳」の対立が示されている。この対立は、これまで見てきた貴族的価値評価と僧侶的価値評価の対立の原型となる構図だ。

 しかし、『善悪の彼岸』では、主人道徳の例としては古代ギリシアの貴族やヴァイキングの価値評価、奴隷道徳の例としては進歩と未来を信じる近代的理念が挙げられている。ここでは、主人道徳と奴隷道徳の対立はキリスト教の発生史とは結びつけられていない。

 この対立が、キリスト教の発生史における貴族的価値評価と僧侶的価値評価の対立として展開しなおされるのが、『道徳の系譜』だ。この価値評価の対立は、いま、あらためて「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」という標語に置きなおされる。

 ニーチェはこの標語に似た構図を以前から考えていたようだ。短いものだが、「ローマに対するキリスト教の復讐」と題する『曙光』、71節には、ユダヤ民族含め諸民族を服従させる強大なローマとそれに最後の審判を夢見ることで復讐するユダヤ(キリスト教)という対立の構図が見られる。

 しかし、「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」という標語じたいはこの『道徳の系譜』の16節ではじめて明確に置かれたものだ。ニーチェはそれが「全人類史を通じて今日まで読みがいを維持しているある著作」に書かれているという。ところが、ここが問題で、これほど読みがいのあるはずの肝心な書物の名前が明記されていない。標語の出所がわからないのだ。

 たとえば、すぐそのあとで引用されるローマのキリスト教に対する非難、「全人類に対する憎悪の罪にわたされたもの」は、タキトゥスの『年代記』からのものだが、『年代記』にこの標語を明確に見つけることはできない。キリスト教のローマへの復讐の物語である『ヨハネ黙示録』にもこの標語を見つけることはできない。

 しかし、そもそも、標語は「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」という二組なのだから、『年代記』のようなローマの立場からのユダヤ(キリスト教)への非難と、『ヨハネ黙示録』のようなユダヤ(キリスト教)の立場からのローマへの復讐と、この両方の視点を含む書物でなければならないはずだ。

 では、その両方の視点を含む書物とはなにか。ニーチェが「全人類史を通じて今日まで読みがいを維持しているある著作」とまで評価している書物とはなにか。それは、ギボン(1737-1794)の『ローマ帝国衰亡史』ではないだろうか。

(3)ギボンの『ローマ帝国衰亡史』

 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』には、「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」という標語そのものは見つからない。しかし、その15章、16章で展開されるローマにおけるキリスト教の発展の考察は、「ローマ対ユダヤ(キリスト教)、ユダヤ(キリスト教)対ローマ」を軸に進む(ギボンの書き方では、15章がキリスト教のローマに対する闘い、16章がローマのキリスト教対する闘いの考察になる)。その内容は、『道徳の系譜』を先取りするような、ニーチェが大いに参考にしたであろうものになっている。そこで、以下にギボンの議論をたどってみたい。

①キリスト教の排他性

 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』は、キリスト教を論じる部分になると、かなり読みにくくなる。それは18世紀当時の時代的制約で、キリスト教を論じるためにはさまざまな配慮が必要だったからだと思われる。しかし、そこにあるのはキリスト教批判だ。しかも、その主張は、キリスト教の本質を「排他性」として批判する当時としてはたいへん過激なものになっている。この排他性について、ギボンはつぎのように考えている。

 ローマ帝国はギリシアのオリュンポスの神々を受け継ぎ、多神教を国教としていた。多神教ゆえに、自分たちの征服した異民族の宗教も尊重した。ローマは、自分たちの神々を認めることを条件に異民族の信仰を許し、自分たちの神々のなかに異民族の神々を取り入れることもあった。

 ところが、このローマの宗教政策に反する宗教があった。それがユダヤ教とそこから生まれたキリスト教だった。ユダヤ教はローマの神々を認めず、自分たちの神を唯一の神とした。キリスト教もまた、異教に対して一貫して排他的な姿勢をとった。

 ギボンは、キリスト教をユダヤ教よりもさらに排他的な宗教だと考え、その特徴をつぎのようにいう。「キリスト教徒というのは、その家庭の迷信、都市の迷信、さらには地域共有の迷信まで、あげて拒否し去ったのだった。いわば信徒ことごとくが一体となって、ローマの神々、帝国の神々、いや、さらに全人類の神々との霊的交通まで、一切あげて拒んだのだ」(16章)。ギボンにとって、キリスト教とは、自分がそこから生まれた故郷の宗教であるユダヤ教さえも認めず、自分と異なるあらゆる宗教を許さない宗教だ。この態度が、ローマの宗教政策と対立する。

 ローマの宗教政策は、支配民族による上からの政策とはいえ、諸民族のもつ宗教の違いを認めつつ、そのうえで、お互いの宗教を認め合うことをめざしていた。これは個々の民族の個別性を尊重するような態度だった。ローマは、排他的なところのあるユダヤ教さえ基本的には尊重した。これは、ローマがユダヤ教を帝国内の多様な民族宗教のひとつとして扱ったことを意味する。たしかに、ユダヤ教にはユダヤ民族以外で入信する者もあって民族宗教とはいえないところがあった。しかし、ローマにとっては、ユダヤ教の食事規定や割礼などの律法、アブラハムの子孫に世界の支配を限定するといった考え方は、ユダヤ民族にしか通用しないローカルなものに見えていたからだ。だから、ローマは、ユダヤ教も民族それぞれの多様な宗教のひとつとして尊重することができたといえる。

 ところが、キリスト教はローマにとってたいへん奇妙な宗教に見えた。キリスト教は自分がそこから生まれたユダヤ教を含め、あらゆる民族宗教を否定したうえで、普遍的な宗教を打ち立てようとする(パウロの十字架の論理で打ち立てられた、救われる者は弱いユダヤ民族に限定されず、弱い者なら“誰でもみな”救われる、という論理)。この積極的に民族というローカルな枠を越えようとする態度は、ローマに言わせれば無神論だった。というのも、個別の民族にもとづかない宗教などありえないと考えていたからだ。もう少し言えば、宗教というものは民族のちがいに応じて多様であるのが当たり前と考えていたからだ。

 だから、キリスト教の態度は、ローマの宗教政策と真っ向から対立することになる。というのも、ローマは個々の民族のもつ宗教のちがいを前提に、それをお互いに尊重しあう努力を求めていたのに、キリスト教はこのちがいをけっして認めようとはしないからだ。キリスト教の普遍性は、すべての民族宗教の個別性を否定するかたちでひとつの信仰をめざす。この態度は、民族宗教の個別性を重視する立場から見てみれば、宗教の多様性を否定する極端な排他性なのだ。

 ローマの宗教政策は個々の民族宗教がお互いの多様性を認めあうことをめざしていたのに、キリスト教だけが、その政策にしたがわず、自分の宗教の絶対性、唯一性に頑迷にこだわることになる。ローマの政策は、宗教は多様なままでいいと考え、その多様な宗教どうしの相互承認というべきものをめざしていた。ところが、これに対して、キリスト教は、宗教が多様であることを頑迷に認めず、自分と異なる宗教をけっして承認しようとしない排他的な態度をとるのだ。

 ギボンは、「終始あくまで非寛容を貫いたキリスト教徒たちの狂信ぶり」とまで言って、キリスト教を批判する。この態度が、その後に起こった苛烈な異端審問や、宗教改革に端を発する凄惨な宗教戦争のもとになっていると考えるからだ。

 ギボンの考えでは、キリスト教の本質は排他性だ。この本質ゆえに、いったんキリスト教が勝利して、社会が全面的にキリスト教化しても、今度はその社会の内部で、異質なものを排除するような運動(異端審問、宗教戦争)がかならず起こる。それまでキリスト教の外側に向いていた自分と異なる者を認めない攻撃性は、今度はキリスト教の内側であらわれると考えるのだ。ギボンにとってキリスト教はいつまでも排他的な宗教なのだ。

 では、キリスト教はどのようにローマ帝国に広まっていったのか。キリスト教は、異教との闘いを通じて発展した。それは、ローマ対キリスト教、キリスト教対ローマという構図をとる。つぎにギボンが描くこの闘いの様子を見てみたい。

②ローマ対キリスト教、キリスト教対ローマ

 ローマの市民たちは、キリスト教の排他的な姿勢を諸民族の融和を乱すものとして憤った。しかし、ローマの皇帝たちの多くは、こうしたキリスト教の姿勢に対してさえ基本的には寛大な態度をとった(ギボンによれば、のちのキリスト教史家が述べるほどローマのキリスト教への迫害は大きくはなかった)。

 一方、キリスト教は、その偏狭な姿勢を咎められながらも、多くの信徒を獲得していく。入信者は下層階級だった。ローマ社会では、「ほんの一握りの少数者だけが富、名誉、知識による特権を享受する一方で、いわゆる国民大衆は当然に卑賤、無知、貧窮に運命づけられている」(15章)。そのなかで、キリスト教の入信者は、ギボンにいわせれば、「ほとんど全員が農民、職人、女や子供、乞食や奴隷など、いわゆる社会の屑」だった(15章)。

 このような弱い者たちの入信をうながすものに、たとえば、「来世に関する教義」がある。『ヨハネ黙示録』では、イエスの再臨によって、異教徒の都バビロン(ローマおよびローマ帝国)が炎に焼かれ、キリスト教徒にその勝利(千年王国)が訪れるビジョンが描かれる。テルトゥリアヌスは、その『見世物について』で、最後の審判において異教徒たちが地獄の炎で焼かれるビジョンを描く。ギボンはこういう。「異教徒どもの権力下で、この世の圧政に苦しんでいるキリスト教徒は、ときにはその憤懣と精神的自負との吐け口を、来世での勝利というこの喜びに求めたのだった」(15章)。

 キリスト教の「来世に関する教義」は、社会のなかでの弱い者たちに、異教を信じることの恐怖を煽るとともに、来世での支配者(強い者)への復讐と被支配者(弱い者、キリスト教徒)の勝利を教える。ギボンによれば、この来世への恐れと期待、その他には、奇跡、道徳的実践(禁欲)を武器に、キリスト教は「絶対的に排他的な信仰の情熱」をひとつにする教会組織をつくりあげたのだった。こうした、いわば弱い者のルサンチマンを組織するシステムによって、キリスト教はローマ(強い者)に勝利することになる。

 皇帝をはじめ、官僚、知識人といったローマの上層階級(強い者)は余裕に満ちた寛容の精神から、弱い者であるキリスト教徒を哀れみはしても、その恐ろしさを認識できなかった。貧富の格差を是正する方法も思いつかなかった。その間に、キリスト教は圧倒的多数の下層階級を組織して力を蓄え、勝利を手にすることになる(キリスト教の公認、国教化)。

 これがギボンの考えるローマにおけるキリスト教の発展のストーリーだ。

 ニーチェはギボンの名前は出さない。しかし、明らかにギボンの議論を参考にしている。

 ニーチェは、一方にタキトゥスの『年代記』から「全人類に対する憎悪の罪にわたされたもの」という言葉を置き、他方に『ヨハネ黙示録』を置く。どちらも、ギボンがローマ対キリスト教、キリスト教対ローマの戦いの例として引いているものだ(ただし、ギボンの場合、タキトゥスによるネロのキリスト教迫害の記述については慎重に考察していて、それを突発的なものとする。というのも、ローマの行ったキリスト教迫害など、その後にキリスト教自身がその内部で行った異端審問や宗教戦争の悲惨さに比べればよっぽど小さかった、と言いたいからだ)。

 また、ニーチェが15節で長々と引用したテルトゥリアヌスの『見世物について』の箇所は、ギボンがキリスト教の「来世に関する教義」として引用した箇所と重なっている(ギボンの場合は、あまりにも激しい憎悪に満ちた部分であるから、と言って、きりのいいところで引用をやめている)。

 もっと大きくいえば、キリスト教は弱い者のルサンチマンを組織してローマに勝利したというニーチェの考えじたい、ギボンから着想を得たのかもしれない。

 もちろん、「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」という標語の出所を正確には特定できない。しかし、この標語は、「ユダヤ」を「キリスト教」に変えれば、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』、15章、16章の内容にふさわしいと思われる。

 しかし、ニーチェがそもそも明確に示さなかった「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」の出所を見つけることがいちばん重要なことではないだろう。この標語の意味することのほうが重要だ。改めていえば、それは、貴族的価値評価と僧侶的価値評価の対立のことだ。ギボンは、ローマ対キリスト教、キリスト教対ローマの闘いを価値評価の対立としては明確に位置づけてはいない。だから、価値評価の対立から歴史を見る視点は、ニーチェのオリジナルだといえる。この対立を軸に、つぎは本文の流れに戻って考えていきたい。

(4)精神の場面、個々人の内側で対立する価値評価

 ニーチェはこの節のはじめにつぎの点を少しだけ語っている。現代では貴族的価値評価と僧侶的価値評価との闘いが精神の場面、私たち一人ひとりの内側で行われている。

 この精神における葛藤は、第二論文から第三論文へとつづく問題と深くかかわる重要な指摘だ。ニーチェはおおまかにいうとつぎのようなストーリーを考えている。

 僧侶的価値評価は、ユダヤの僧侶階級から生まれ、貴族的価値評価を体現するユダヤ社会内部の強い者(戦士階級)に対して攻撃性を向けて勝利した。ここで、ユダヤ民族全体が僧侶化する。このとき、勝利するプレイヤーはユダヤ教だ。

 つぎに、僧侶的価値評価は、貴族的価値評価を体現するユダヤ社会外部の強い者(ローマ)に対して攻撃性を向けて勝利した。ここで、広大なローマ帝国が僧侶化する。このとき、ユダヤ教からプレイヤーを引き継ぐかたちで勝利するのはキリスト教だ。

 キリスト教がローマ帝国内に広まるさい、武器としたのが道徳だった。キリスト教道徳は、ローマ帝国の内側と個々人の心の内側という二つの攻撃性の方向をとる。

 まずは、すでに13節から15節で見たように、キリスト教道徳は、ローマ帝国内の強い者を引きずり下ろすような論理をつくりだした(現世の幸せな者は来世で不幸に、現世で不幸な者は来世で幸せに)。

 もうひとつ、キリスト教道徳は、個々人の内面の強い者になろうとする意志を圧迫するようはたらく。これが、第二論文で負い目や良心のやましさ、第三論文で禁欲主義として問題にされるテーマだ。

 ニーチェは、僧侶的価値評価は、キリスト教道徳という武器でもって、その攻撃性を内へ内へと浸透させていくと考えている。

 これはユダヤ教の段階とはちがう攻撃性の局面だ。ユダヤ教の場合、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という価値評価はあったとしても、その攻撃性は共同体の外部に向かっていた。律法についても、それは、食事規定や割礼などの目に見える規範を順守することが重要であって、良心といった心の内側が問題にされるわけではなかった。

 ところが、キリスト教の場合、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という価値評価は、その攻撃性を社会の内側と個々人の内側に向ける。キリスト教道徳は、その社会の内側の強い者を圧迫するように、また、個々人の内側にある強い者になろうとする意志を圧迫するように働く。そういう内へ内へと向かう攻撃性が、ローマを僧侶化する。このことが、僧侶的価値評価によるヨーロッパ全体の支配の土台になっている。ニーチェはこういうストーリーを考えているのだ。

 キリスト教道徳の二つの攻撃性のうち、個々人の心の内側に向かう力、これが負い目や良心のやましさ、禁欲主義だ。私たち一人ひとりの内面で、道徳という僧侶的なものが、自然な欲望という貴族的なものを攻撃し圧迫するようにはたらく。貴族的価値評価と僧侶的価値評価との対立は精神のうちでも行われるのだ。

 この対立は、ニーチェの「力への意志」というキーワードから考えれば、自分を強く大きくしようとする力(増大としての力への意志)と自分を弱いままに保存しようとする力(自己保存としての力への意志)との対立だともいえる。

 ニーチェにいわせれば、現代のヨーロッパでは、人間は平均化、凡庸化されてしまっている。9節で見たように、キリスト教道徳を受けついだ平等主義、民主主義による社会の内側に向けられた攻撃性によって、社会の内部に強い者は見いだせないようになってしまった。僧侶的価値評価の支配は完成し、12節で言われた「わるい空気」が蔓延しているように見える。

 しかし、それでも、私たち一人ひとりの内側では、精神の場面では、「ローマ対ユダヤ、ユダヤ対ローマ」の闘いは行われうるはずだ。ニーチェはこの精神的な葛藤に期待している。この個々人の葛藤のなかで、貴族的価値評価が僧侶的価値評価に勝利し、強く大きくなろうとする力への意志が発揮されれば、やがて、ヨーロッパ全体も変わっていくはずだ。そういう大きなプランを考えている。

 しかし、このプランを伝えるためには、僧侶的価値評価が私たちのうちに内面化されるメカニズム、それが私たちのうちの貴族的価値評価である自然な欲望を圧殺していく様子までもきちんと描かなくてはならない。これが、第二論文から第三論文の大きなテーマだ。

 この16節はそこへの橋渡しでもある。僧侶的価値評価が歴史を通じて支配的になり(キリスト教、宗教改革、フランス革命)、ときおり貴族的価値評価の復活をはらみながらも(ルネサンス、ナポレオン)、社会の内部に強い者を許さなくなっていくこと。これは同時に、人間が飼い馴らされ、次第に個々人の内面に道徳の暴力が刻まれていくことでもある。さしあたってニーチェは、この前者、社会の内部での貴族的価値評価と僧侶的価値評価の闘いを輪郭づけていく。

(5)キリスト教からナポレオンまで

 ニーチェは、キリスト教からナポレオンまで、約1800年のヨーロッパの歴史を、ここで駆け足にたどっている。その記述の軸は、もちろん、貴族的価値評価と僧侶的価値評価との相剋にある。

①ローマ対キリスト教、キリスト教対ローマ

 キリスト教が登場したとき、ローマはそれを「全人類に対する憎悪の罪にわたされたもの」だと考えた。その理由は、ギボンにいわせれば、キリスト教の排他的な態度にあるが、ニーチェのアクセントは、キリスト教の価値評価がローマの価値評価と対立する点にある。

 「強い自分はよい、弱い者はわるい(劣っている)」。ローマはこの貴族的価値評価を人類全体が当然認めるべき価値評価だと考えていた。ところが、キリスト教はこれと正反対のユダヤ由来の僧侶的価値評価を立ててローマに挑戦する。「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」。

 ローマはキリスト教の態度に、反自然的なもの、人類全体が認めるべき価値評価に対する憎悪を見て、迫害する(タキトゥスが『年代記』で描くネロによるキリスト教迫害は、記録のうえで人類最初のキリスト教迫害として有名)。これに対して、キリスト教は『ヨハネ黙示録』でローマへの復讐の物語をつくりあげた(ニーチェは『ヨハネ黙示録』に愛の使徒ヨハネの名が与えられていることに注目をうながす。愛の宗教キリスト教はその裏に憎悪と復讐を秘めていると考えるからだ)。

 ニーチェによれば、この対立の勝者はキリスト教だ。ローマ人は確かに強く高貴な人びとであったけれども、13節から15節で見たような巧妙につくりあげられたキリスト教道徳に敗れ去ってしまう。こうして、ローマはユダヤ化されてしまった(ローマ帝国は僧侶的価値評価に支配されてしまう)。

 ニーチェは、このユダヤ化されたローマに、世界に広がるキリスト教の総本山であるサン・ピエトロ寺院を重ねている。ニーチェに言わせれば、サン・ピエトロ寺院とは世界全体のためのユダヤ教会堂(シナゴーグ)のようなものだ。というのも、ここで人びとは、イエス、ペテロ、パウロ、そして、イエスの母マリアといったユダヤ人の前に跪くのだが、このことは、ユダヤ由来の僧侶的価値評価の前に跪くことだからだ。

②ルネサンス

 ところが、このキリスト教世界の中心であるローマから、貴族的価値評価がよみがえる。このとき、貴族的価値評価はルネサンス(イタリア・ルネサンス)に体現されている。ここの記述はなかなか凝っていて、ニーチェは、キリスト教によって地下に押さえつけられて仮死状態にあった古いローマが、不気味によみがえるような書き方をしている。

 このような書き方になっているのは、ニーチェのお気に入りの人物、チェーザレ・ボルジア(1475-1507)が念頭にあるからだろう。

 教皇アレクサンドル6世(1431-1503)の息子、チェーザレ・ボルジアは、聖職者として過ごした時期もあったが、父を助けるかたちで、イタリア諸邦との武力抗争に明け暮れた。支配のためになら手段を選ばず、権謀術数や残忍な行為も進んで行った人物として知られる。その力は父アレクサンドル6世をさえ恐れさせた。アレクサンドル6世は、好色や強欲で道徳的に堕落した教皇として知られたが、チェーザレ・ボルジアはいわば型破りな人物だった。ニーチェに言わせれば、このような人物が貴族的価値評価を体現するのだ。

 チェーザレ・ボルジアは教皇の息子だ。象徴的に言えば、サン・ピエトロ寺院から生まれている。この寺院は、ネロがキリスト教徒を迫害した場所の上に建てられたといわれている(タキトゥスによれば、ネロは、キリスト教徒に野獣の毛皮をかぶせ、犬に噛み裂かれるのを競技場で見世物として楽しんだ)。貴族的価値評価を重んじる古いローマ(ネロの残虐)を地下に押さえつけることで生まれた新しいローマ(サン・ピエトロ寺院)。そこから、チェーザレ・ボルジアという強力な人物が生まれた。

 ニーチェにとって、このことは、サン・ピエトロ寺院の地下からかつてのローマが不気味によみがえるようなイメージだったはずだ。僧侶的価値評価の中心から貴族的価値評価がよみがえる。ニーチェにとってこれほど痛快なイメージはなかったはずだ。ルネサンスについて、新しいローマの下から古いローマがよみがえる、というこだわった描き方をする理由もここにあると思われる。

 チェーザレ・ボルジアは、キリスト教教会の世俗化を象徴している。ニーチェにいわせれば、ルネサンス期の教会は、貴族的価値評価を体現し、キリスト教(僧侶的価値評価)を克服していた。キリスト教はその本拠地で死んでいたのだ。

 ニーチェはこのことを高く評価して、つぎのように言っている。「キリスト教は、もはや法王の座に坐してはいなかった」、「そこに坐していたのは、そうではなくて生! そうではなくて生の凱歌! そうではなくて、すべての高い、美しい大胆な事物への偉大な然り!」(『反キリスト者』、61節)。

 教会は、もはや、あの世に向かって救いを求めるのではなく、この世の欲望にしたがって行為していた。たとえば、アレクサンドル6世とチェーザレ・ボルジアの親子、それにつづく教皇たちは、現世の権力を貪欲に求めたり、豪奢な浪費を行ったりした。このことが、すばらしいルネサンスの文化を花開かせたのだった。たとえば、ルター(1483-1546)によって免罪符(贖宥状)の販売を糾弾されたメディチ家出身の教皇、レオ10世(1475-1521)は、ミケランジェロ(1475-1564)やラファエロ(1483-1520)のパトロンでもあった。

 ニーチェはこうした教会の世俗化と芸術の発展を、生を肯定する文化の復興として見ている。ニーチェにとって、ルネサンスの意味とは、新しいローマ(キリスト教、僧侶的価値評価)の下に圧迫されていた古いローマ(貴族的価値評価)のよみがえりだったのだ。

③宗教改革

 このような教会の世俗化したあり方、貴族的価値評価にもとづいたあり方を、堕落や腐敗として糾弾したのが宗教改革だった。ニーチェにとって、宗教改革は「賤民的なルサンチマン運動」だ。キリスト教社会の内側で、強い者であるローマの教会(教皇)に対して、辺境の弱い者(ドイツのルター)から、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という僧侶的価値評価にもとづいた攻撃が行われる。ここに、カトリック対プロテスタントというかたちでの貴族的価値評価と僧侶的価値評価の闘いがあらわれる。

 この闘いに勝利したのは宗教改革だった。ニーチェは、宗教改革をきっかけにした、カトリックのなかでの貴族的価値評価の敗北、僧侶的価値評価の勝利に注目している。「ルターは教会を復活せしめた、彼が教会を攻撃したからである」(『反キリスト者』、61節)。プロテスタントからの糾弾によって、カトリックは改革を余儀なくされ、世俗化した教会のあり方は改められ、本来の教会が復活する。こういう流れがニーチェの念頭にある。教皇たちも、改革に乗り出して豪奢な浪費を控えるようになり、イグナティウス・デ・ロヨラ(1491-1556)の立ち上げたイエズス会のような改革運動も起こり、カトリック内部の堕落や腐敗の糾弾が行われる。

 こうして、ルネサンス期に貴族的価値評価を体現し、キリスト教を克服していた教会は、それ以前の姿に戻り、またふたたび、僧侶的価値評価を体現する本来の意味での「教会」となる。ルネサンスで一度息を吹き返した古いローマ(貴族的価値評価)は、また新しいローマ(キリスト教、僧侶的価値評価)の下に圧迫され、墓場の静けさのなかに閉じ込められることになるのだ。

 なお、ニーチェはここで、宗教改革の運動にドイツだけでなくイギリスも含んでいる。イギリスの宗教改革としては、ローマ教皇に対立したヘンリー8世(1491-1547)によるイギリス国教会の成立が考えられるが、ニーチェは、そこに清教徒革命(1642-1649)も含んでいるだろう。

 おそらく、ニーチェはつぎのような大きなヨーロッパの歴史の見取り図を考えている。ドイツではルターによって、イタリア(カトリック)では教会改革によって、イギリスでは清教徒革命(あるいは、その後の名誉革命も含めた市民革命)によって、貴族的価値評価は打ち倒され、僧侶的価値評価の支配が進んだ。最後に残ったのがフランスの貴族制(貴族的価値評価)だったが、それをフランス革命(僧侶的価値評価)が打ち倒すことになる。

④ナポレオンとフランス革命

 ニーチェは、駆け足で、フランス革命とナポレオンについても語る。

 ニーチェにとって、フランス革命もまた、宗教改革と同じく、強い者に対する弱い者のルサンチマンの爆発だった。強い者であるフランスの貴族階級に対して、民衆から、「強い者は悪い、弱い自分こそ善い」という僧侶的価値評価にもとづいた攻撃が行われる。その結果、フランス革命は、貴族制をうち倒し、僧侶的価値評価の理想である「多数者の特権」(強い者を許さず、みな弱い者にする人間の平均化、平等主義、民主主義)を実現したかに見えた。

 ところが、そのフランス革命のなかからナポレオンが登場する。ナポレオンの体現するのは「少数者の特権」、貴族的価値評価だ。ナポレオンもまた、ニーチェのお気に入りの人物で、フランス革命で倒された貴族主義よりも「いっそう強い、いっそう長い、いっそう古い文明の相続者」だった(『偶像の黄昏』、44節)。ニーチェはナポレオンに「古代的理想」、ローマの貴族的価値評価の復活を見ている。

 ここでニーチェはナポレオンのことを「非人(人でなし)と超人との綜合」という。というのも、すでに11節で見たように、貴族的価値評価を体現した人間は、彼によって蹂躙された弱い者たちのルサンチマンの視点から見れば「人でなし」として映り、強い者になろうとする者たちの視点から見れば目標とすべき新しい人間のモデル、「超人」として映るからだ。

 このように、ニーチェはナポレオン(やチェーザレ・ボルジア)のような人物を高く評価する。このことは、エキセントリックな英雄崇拝だととらえられがちだ。しかし、そこにはニーチェなりの理由がある。

 重要なのは、こうした人物が僧侶的価値評価の中心から生まれている点だ。ローマの教会からチェーザレ・ボルジアが生まれたように、フランス革命からもナポレオンが出現した。僧侶的価値評価の中心から貴族的価値評価が復活する可能性がある。むしろ、僧侶的価値評価が厳しくある場面にこそ、貴族的価値評価は復活するともいえる。

 たしかに、ルネサンスは終わり、ナポレオンは敗れた。ニーチェにいわせれば、9節や12節で見たように、ヨーロッパは、強い者をいっさい許さない、全面的に僧侶的価値評価が支配する「わるい空気」に満ちている。しかし、この厳しい抑圧があるからこそ、貴族的価値評価が復活するチャンスがあるのだ。

 すでに見たように、いまや、価値評価の闘いの場面は、個々人の精神のなかに移されている。僧侶的価値評価が優勢となり、社会のなかでは強い者が見いだされなくなってしまった。人びとはその内側まで道徳にがんじがらめにされてしまっている。しかし、だからこそ、この厳しい抑圧の中心である私たち一人ひとりの内側から、自分のなかで仮死状態のまま眠っている強く大きくなろうとする力への意志を発揮できる可能性があるのだ。というのも、チェーザレ・ボルジアもナポレオンも、僧侶的価値評価の中心から貴族的価値評価を復活させたのだから。

 だから、ニーチェがチェーザレ・ボルジアやナポレオンのような人物を評価するのは、たんなる英雄崇拝とはいえないところがある。こうしたモデルは、むしろ、私たち一人ひとりが、精神の場面で、僧侶的価値評価に抗いながら貴族的価値評価を発揮しようとする闘いをはげますために置かれていると考えるのがいいだろう。

17 価値評価の対立に決着をつけたい

 前節で展開された価値評価の対立の歴史の考察に、ひとまとめをつけて第一論文を終わる短い一節。内容は以下のとおり。

 しかし、問題はこれで済んだのだろうか(ナポレオンの登場で価値評価の対立の問題は終わったのか)。貴族的価値評価と僧侶的価値評価の対立は片付いたのだろうか。対立は先へのばされただけではないのか。くすぶっている対立の炎を燃え上がらせることを願い、意欲し、うながすべきではないだろうか。

 貴族的価値評価と僧侶的価値評価の対立の問題は、これまでたどってきた歴史の記述だけでは決着をつけるのが難しい。しかし、わたしは決着をつけるつもりだ。さしあたって、わたしの最近の著書のタイトルでもある「善悪の彼岸」という標語の意味は、貴族的価値評価である「よい」と「わるい」とを超えて、ではなく、僧侶的価値評価である「善」と「悪」とを超えて、という意味であることを十分理解しておいてもらいたい。

○石川まとめ・補足

 これまで、ニーチェが駆け足でやってきたのは、キリスト教の発生史のなかに貴族的価値評価と僧侶的価値評価との対立を見いだし、その対立軸からヨーロッパの歴史を記述するという試みだった。ニーチェが描いたのは、二つの価値評価の対立という観点からの「歴史哲学」だったといえる。その記述は、貴族的価値評価の体現者であるナポレオンまで来た。

 では、ここで価値評価の対立は貴族的価値評価の勝利で終わったと結論することができるだろうか。そうではないだろう。ナポレオンは敗北した。すでに、9節や12節で見たように、現代は僧侶的価値評価に支配され、「わるい空気」の蔓延した民主主義の時代となっている。となると、価値評価の対立は僧侶的価値評価の勝利で終わると結論できるのだろうか。しかし、そうともいえず、また貴族的価値評価が復活するかもしれない。

 ようするに、まだ第一論文の議論では、ふたつの価値評価に決着がついていない。だから、この17節の前半は疑問形で占められている。ナポレオンが勝利できなかったということは、民主主義の勝利ということなのだろうか。しかし、問題は先送りされたままで、貴族的価値評価がまた復活するのではないか。しかし、現代に貴族的価値評価がよみがえり、対立が再燃するとしたら、どういったかたちがあるのだろうか。こうした疑問だけが残ることになる。

 ニーチェはこうした疑問に答え、貴族的価値評価と僧侶的価値評価の対立に決着をつけようとする。もちろん、その決着は、貴族的価値評価の勝利にある。しかし、まだこの決着は明確には示されていない。ニーチェがここで示すのは、『道徳の系譜』がその解説として位置づけられている『善悪の彼岸』のタイトルをとりあげ、その意味を、貴族的価値評価である「よい」と「わるい」とを超えて、ではないということだけだ。これは、「善悪の彼岸」が、僧侶的価値評価である「善」と「悪」とを超えて、という意味であることを示している。

 ここでニーチェが暗に示しているのは、ナポレオンではないかたちで、新しいかたちでの貴族的価値評価の復活による価値評価の対立の決着だ。先回りしていえば、この貴族的価値評価を体現するモデルがツァラトゥストラとなる。『道徳の系譜』が『善悪の彼岸』の解説であるように、『善悪の彼岸』は『ツァラトゥストラ』の解説という位置づけなっている。ニーチェはこの第一論文の最後に「善悪の彼岸」というキーワードを置いて、現代の貴族的価値評価の体現者であるツァラトゥストラの登場を示唆しているといえる。

 ところで、すでに16節で見たように、現代では、貴族的価値評価と僧侶的価値評価の対立は、私たち一人ひとりの精神の場面、内面の場面に移されている。ユダヤ教の誕生からキリスト教の発生史、ローマ帝国からナポレオンの登場まで、第一論文でたどられたのは、いわば、外面における価値評価の対立の歴史だった。しかし、第二論文でたどられるのは、わたしたちの内面における価値評価の対立の歴史となる。さしあたってそれは、貴族的価値評価に根ざした良心と僧侶的価値評価に根ざした良心(負い目、やましい良心)との対立を軸として取り出される。

 良心という内面における価値評価の対立。これを歴史的にたどることによって、私たち一人ひとりがその内面にいまでも残り続ける貴族的価値評価をしっかり意識し、それを僧侶的価値評価に対立させること。このことが現代における貴族的価値評価の勝利、ツァラトゥストラというモデルの意味を理解することに通じる、とニーチェは考えている。

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