2009-12-02

談話室沢辺 ゲスト:太郎次郎社エディタス・須田正晴 第3回「小さな出版社が、電子書籍について考える」

●電子化によって、本の買い方が変わる

沢辺 電子書籍に関しては、何か考えていることはある?

須田 電子書籍は、様々あるフォーマットに合わせて提供する必要があるので、小さい出版社が一社でやるのは大変だと思うんです。だから、提供のプラットフォームを皆で作っていきたい。版元ドットコムがやらないんだったら、他を見つけないとやばいな、と思っています。版元ドットコムのメーリングリストでも話題が出ていましたけど、やっぱり紙の本だけでやっていると、CD屋さんみたいに悲しいことになってしまう。だから、紙の本は紙の本でやっていくけれども、別の形でコンテンツを活かしていく仕組みを作っていかなければいけません。

沢辺 オレは、電子が一定の割合を占める状況になると思うんだけど、それはどう?

須田 それは、なると思います。これまで電子に行かなかった一番の理由って、ディスプレイの解像度が目の解像度よりも低かったからだと思うんです。チカチカして疲れるという理由もあると思うんですけど、一番は解像度の問題で、本の見開き分の情報量を出せて、簡単にめくれるようなスペックを持ったディスプレイがなかった。それがクリアできれば、一定量が電子書籍に流れるだろう、と思っています。
だから新しいデバイスには手を出して、「どういうものだったら将来性があるかな」というのは自分の実感として知っておかないといけないと思いますね。沢辺さんから「iPhoneでメルマガを読むようになった」という話を聞いたときは、「なるほど、こうやって可処分時間がだんだん電子デバイスの方にいくんだな」と思いました。

沢辺 別にこんなこと予言しても仕方がないんだけど、須田くんの感覚では、何年くらいで、どの程度の本が電子で読まれるようになると思う?

須田 どのくらいでしょうか。今のところ、選ぶ場所としての書店の役割が結構大きいですよね。「書店で買うこと自体がエンターテイメントとして好き」という人は、それなりの割合でいます。それに対して、必要でする読書が電子の側にどんどん奪われていく、という状況がある。
若い世代の電子化がどれくらい進むかによるでしょう。
とはいえ、遅くとも3年後には、「え、まだ取り組んでないの?」という話にはなると思います。
あとはデバイスの性能と普及次第。

沢辺 あと、コンテンツの問題もあるよね。

須田 でも、既存の出版社からコンテンツの提供がなかったら、電子専業でコンテンツを提供する人が現れて、既存の出版社を押しのけて提供側になりますよね。デバイスさえあれば、それはどんどん出てくると思うんです。なので、3年以内に市場規模として1割から3割くらいのところに行くんじゃないかな、と思います。
買われ方も変わっていって、音楽がiTunesミュージックストアなどの配信によってアルバムがあまり売れなくなって、シングル化したように、本もある程度はシングル化するんじゃないかな、という気がします。1冊まるまる売るのがアルバムだとしたら、その時読む部分だけ買う、という買い方。
Twitterで「Kindleでアレコレ買おうと思ったけど、読む時に買えばいいんだ、って気づいた」と書いている人がいましたけど、その感じだと、最初から1冊買う必要はなくって、言及されている気になる部分から買っていって、全体が気になったら1冊まるごと買う、という買われ方になるんじゃないかと思いました。
買われ方が変われば、読まれ方も変わってくるので、それにふさわしい提供の器を作る必要があると思います。
でも、私は正直なところ、紙の本の色々なつくりが好きなので、デジタルに偏った本作りをする必要はないのかな、とも思います。紙の本の中の1章だけを切り売りするのは、すごく不完全な部分もあるけど、そこで1章毎に完結するようにしよう、と考える必要はあまりなくって、単に切り売りするためのフォーマット、例えばISBNにどう枝番を付けるかとか、そういう準備だけしておけばいいんじゃないかと思っています。
実のところ、電子専用のフォーマットに向けて、あまりたくさん準備はしたくないし、その投資は結構先々まで割に合わないだろう、というのが私の感触なんです。
だから、出版社としてまず大事なのは、「今作っているものを手軽に電子化するためにはどうすればいいのか」というノウハウを持つことじゃないでしょうか。

●電子書籍を視野に入れたデータづくりを

沢辺 でも準備といっても、そんなに難しい、大げさなことじゃないように思ってるんだけど。

須田 PDFでフォーマットを持っていて、著作権者との間で分配についての解決ができていればいい、というだけの話ですよね。
細かく言えば、入稿した後にデータを直したり、印刷所で何か処理をしている場合があるので、そのPDFデータを紙の現物と同じ内容にしておくのが結構大変ですよね。
正直、太郎次郎社エディタスではその辺りの管理が全然つくれていないので、これから社内の体制からつくっていかなくちゃいけない、と思います。

沢辺 オレは、InDesignでデータを作る時に、その場しのぎのことをしないで、段落スタイルと文字スタイルをちゃんと適用していれば、問題はないんじゃないかと思ってるんです。甘いと言われるかもしれないけどね。
InDesignは本のデータをXMLで書き出すことができるけど、InDesignで段落スタイルを当てるのはXMLやHTMLでいうタグを付けるのと同じで、「ここからこの要素が始まります、ここでこの要素は終わります」と指定することなんだよね。
だから、きちんとスタイルを適用して作ったInDesignデータから書き出したXMLなら、電子書籍のフォーマットに変換するときに、必要なタグは一括で置換できるし、不必要なケバみたいなタグも、やっぱり一括で削除できるはず。
ただ、InDesignでデータを作る時にイレギュラーなことをやっていると、面倒なことになる。
例えば、オレもやったことあるけど、「1─◯◯◯◯◯◯」みたいに、罫線を使った見出しを作るとき、罫線の部分をインライングラフィックにして貼り込んだりする。そういうデータの場合、単純にグラフィックのところだけを削除しちゃうと、「1」と「◯◯◯◯◯◯」のところが詰まっちゃったりする。
だから、ある例外処理をする場合も、XMLに書き出したときにちゃんとなる、というのを意識した例外処理をしていかないとダメなんだよね。

須田 見出しだけアウトライン扱いのデータということも、本の世界では結構ありますもんね。
うちのように社内組版をしていない場合でも、印刷所にデータを渡すときに、明確なルールに基づいた形にする必要があります。
それから、印刷所に組版を依頼する場合は、「印刷所は組版データを引き渡してくれるのか」という問題もありますよね。「他に仕事を持っていかれるかもしれない」と思うからか、しぶる印刷所もある。だから、「版は出版社のものである」と明らかにしておかないといけません。

沢辺 オレは元々デザイナーなんだけど、昔、それで逡巡したことがあるんですよ。例えばグルメ雑誌のように定型的なフォーマットの場合、「お店の名前、電話番号、住所、本文、代表的なメニューと値段」が入ったものを一度作ってしまえば、次からはある程度コピペで処理できるでしょう? もちろん、ある程度だけどね。
そうすると、「組版データをください。次からは編集者にやらせるから、デザイン料はタダね」と言ってくるところがある。明確に「タダ」とは言わないんだけどさ。

須田 まあ、データをくださいと言われれば、そういうことなのかな、と思いますよね。

沢辺 で、それにどう対応するかなんだけど、最終的には、「編集者が再現して満足されるレベルであれば、お呼びがかからなくても諦めるしかないな」というところに落ち着きましたよ。データをあげるあげないのところで踏ん張ったところで、勝ち目はないしね。

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[参考:はじめてのドットブック作成【本の現場編】│ポット出版]

●電子書籍にも流通が必要

須田 ここまではデータメイクアップの部分でしたが、他に電子書籍への準備としては、そうやって作ったデータをどこに流通させればいいのか、というのがありますよね。電子の世界でも書店があるわけですから。出版社のサイトに直接買いにきてくれる人の数は、先々も大きくならないと思います。決裁手段をあちこちに分散させるだけで、読者としては嫌ですもんね。太郎次郎社の本を買うためにいちいちクレジットカードの番号を入れたくないですよ。AmazonやiTunesストア、Appストアで買えれば、それがいい。じゃあ、そういうところにどうやって提供していくか、というのが課題ですよね。聞く話だと、ずいぶんいい率を抜かれるらしいですが。

沢辺 その辺りのことを考える上で、『デジタルコンテンツをめぐる現状報告』の中のモバイルブック・ジェーピーの佐々木隆一さんの話が参考になるよね。結構具体的な数字も言ってくれたし。

須田 やっぱり流通割合がかかるんだな、と思いました。解決するのは置き場所問題くらいですかね。

沢辺 ですよね。電子書籍好きな人は、「出版社はもういらないし、著者が直接売れば本も安くなる。何もかも一挙解決」みたいな夢を語ってたけど、「やっぱりそうはならねえよ、ざまあ見ろ」って(笑) 現状、総制作費のうちの紙代と印刷代が占める割合って、そう高くないですからね。

須田 流通もなくなるって言われたけど、なくならないですからね。情報だって流通はあるんだから。

沢辺 それから、決裁手段を提供してもらえば、そこにマージンもコストもかかる。だから、今書店に22%払っているとしたら、電子書籍の場合はカード会社に5%、電子書店にも10数%持っていかれて、結局、今と同じくらいのマージンがかかる。そうすると、劇的に安くすることはできないよね。

須田 劇的に安くすると、どこかの人が死んでしまうわけですよね。死んでしまうと出版物は出力されないので、死なない程度の値段を皆で出さざるを得ない。

●電子書籍の、権利のゆくえ

沢辺 ここまでの話をまとめると、須田くんは電子書籍に対して、「手間なく出せるようにする」「どこに出したらいいかを探る」という二つの準備をしようとしている。

須田 そうですね。フォーマット的な準備と、流通の準備。あと権利者へのケアも重要ですね。
実際に電子書籍を出すときには、「事前に説明はするけど、報告は金額が大きくなるまで待ってね」というやり方でないと動き出せないと思います。分配割合を決めて逐一報告するのは、最近のメールで連絡を取り合っている著者に対してはできるけど、そうじゃない著者にはできない。
あとは、太郎次郎社エディタスは新刊の売上割合がそれほどないので、今後電子の方に比重が移るとすれば、既刊を電子化していくことも必要になります。既刊を電子書籍にしたものも、長期的にはペイすると思いますが、既刊の場合は、新刊を電子で出すよりも権利がやっかいです。かなり前に出した図書に関しては、ご本人が存命でない場合もありますし。
でも、やりたいな、と思います。もしかしたら、連絡もなかなかとれない著者のものを電子化するのは、出版社の仕事じゃなくなるのかもしれないですけど、最初にツバつける権利は出版社にある気がするので。

沢辺 オレは、現状出版社に著作権はないし、版面権もないけど、電子化にあたって、「やる手」だと思ってるんだよね。
テープに起こせるかどうかわからないけど、オレの本音を極端に言えば、電子書籍を売り出したら、「このようにしました。売上は立ってきたら報告しますので」と連絡はするけど、「いついつまでに何なにを」という具体的な約束はせず、「いつか報告するよ」ということにしちゃうかな。「いつか報告して、その時に取り分については相談しましょ」と。
もっと極端に言えば、許諾を得ないでどんどん電子化を進めちゃって、「あなたの本を電子化して販売を始めました」と通告するかもしれない。それで「ゴメン、やだよ」と言われたら「ごめんなさい。じゃあ、電子本から外します」という、ある種Google的なやり方も考えてる。
権利割合についても、後から「もう売っちゃってるけど、今まで売ったのは何冊で、これくらいの割合で支払いたい」と交渉すればいいんじゃないかな。

須田 実施側としては、どうしてもそうなりますよね。
利用者の立場から電子書籍の権利の話をすると、この前、Kindleで購入した『1984』が消されましたが(参照:「Kindleユーザーの本棚から消えた「1984」、Amazonが勝手に削除!? | ネット | マイコミジャーナル」)、一度世に出した出版物が、あんなに簡単に回収できてしまうのは考えものですよね。

沢辺 ただ、オレは電子本に関しては、権利関係が変わるんだと思うね。所有権ではなくて、利用権・ライセンス権になっていくんじゃないかな。

須田 そう思う部分もあるんですけど、一読者として言うと、ライセンス権はすごく不安ですよ。例えばある出版社の本を買って一定期間利用できるとしても、その会社が消えてなくなったときに、自分が買った本の利用権はどうなるのか。
今あるものだと、着メロは利用権的なものですよね。あれは、機種や通信会社が変わったときに、データを移せません。それに対してiTunesミュージックストアで買ったものは、マシンを変えても聴くことができる。着メロのような限定的な利用権までいってしまうと、読者の意欲を削ぐのではないかな、という気がしています。
だから、「利用権でいいや」という人が多くなるか、「やっぱり手元のデータのところは永続的な権利で欲しいよ」ということになるのかは、ちょっと微妙だと思いますね。

沢辺 ちょっと話がそれるけど、オレは、今後利用権の考え方が広がって、アプリケーションを時間で買えるようになればいいな、と思うんだよね。今ポットでは、広く薄く、みんながInDesgin使っているんだけど、編集者がInDesignを触るのは、1ヶ月200時間働くうちの10時間だったりする。だから、社員10人に対して今のように10個分の権利を買うんじゃなくて、5個分くらいで勘弁して欲しい。5個のうち2個は、決まった2人が年がら年中使うけど、あとの3個は、残り8人のうちの誰かが使います、というライセンスにしてくれたら、もっと金を払いたくなるはずだよ。
で、出版社が倒産したらどうするの、という問題は、やっぱり共通インフラを作らないといけないかな。

須田 レジストリ的なものがあって、出版社が立ち行かなくなって両手を上げたあとも、最後に「こういう条件でこういうプロテクトをかけてました」という情報をレジストリに戻せば、引き続きレジストリ側が管理をしてくれて、著者への支払いのアクセスもそこで担保されるとか。そういう仕組みがないと、安心して買えないですよね。ただ、そのレジストリの信用度をどうやってつけるか、という問題はありますけどね。

沢辺 それはもう、小学館、講談社が入るしかないよ。で、オレたちもその中にぶら下がる。だけど「お客様」じゃなくて必要な金は出す準備はしなくちゃいけないし、口出しもできないとね。「なんだよそれ、高過ぎるだろう。内訳見せてみろ」ということが言えるポジションを作っておく、というのが課題かな。

須田 そういうとき、版元ドットコムが果たせる役割があると思います。業界インフラの「一社いくら」の分担金ってだいたい、小さい出版社ほど、売上金に対して高くなるようにできてるんです。もちろん、そのことには合理性もあって、一社いれば一社分の事務手続き、IDやパスワードを発行して請求書を出したりするコストを反映しているわけです。だから、小さな出版社が何社か集って、「講談社は一社で何十人もPOSを見る人がいる。使ってる人数の合計は俺たちと同じくらいなんだから、金額も同じくらいにしろ」と言っても「手間考えろよ」と言われちゃいます。でも「版元ドットコム」という一つの主体なら、「窓口は一本でいけるので、一社扱いまではいかなくても、三社扱いくらいでどうですか」と言える。
一社でやると撥ねられるかもしれない、というのは、ずっとコンプレックスになっています。取次窓口に「出版VANの加盟の仕方を教えてください」と言っても、「えっと、部門がどっかにあるはずなんですけどね。今度調べてお知らせします」と言われてそのままだったりしますから。
それに、やっぱり大手さんは数が少ないから、話が早く進んでしまう可能性がある。

沢辺 ただ、オレの経験で言うと、大手の出版社は零細出版社にもの凄く気を遣っている感じはするけどね。例えば「小学館の社長は、書協の理事長にはなるないようにしている」と聞いた。確かに書協のリストを見ると、理事長は小峰書店とか、中堅ですよ。小学館は副理事長にはなるけど、トップにはなってない。

須田 大手が勝手に物事を進めている形にならないようにしているんですね。

沢辺 でもそれって、他の業界ではありえないでしょ。例えば、新聞協会だって、「秋田さきがけが会長で、朝日新聞は必ず副会長です」なんてのは、多分ないだろうし。

須田 出版業界は、国連に近いですよね。国連の事務総長はP5の中からは出てこない。

沢辺 そうそう。そして、書協で物事を決めても実効性がないのも、まさに国連と同じでしょ(笑)。

須田 そうですね。小さいところの実勢を尊重するから、「これを進めます」と言っても進められないところがある。

沢辺 それが、商品基本情報センターの登録料1冊500円を、書協の会員社ですら、少なくない数が払ってないという実態が生まれる根拠でさ。まあ、書協というのも凄い組織だな、と改めて感じましたけどね。

●まだ見えない、本の未来

沢辺 最後の最後に、どうですか。出版業界、版元ドットコム、なんでもいいんですけど、何か言い足りないことは。

須田 そういえば、永江さんの『本の現場』を読んで、「これからの本の行方として、こういう形が続けられるかな」と思ったことがあるんです。
『本の現場』って、連載していた原稿だけじゃなくて、章毎に単行本用の補遺がありますよね。あの補遺での読者との距離感は、電子本では出しにくいものなんじゃないでしょうか。
というのは、連載時の部分は、ちょっと上下を着てる感じなんですけど、補遺の中では、「ぶっちゃけ、新書の新刊がクズばっかりだ」という話が出たりしてるじゃないですか。
ああいったものは単行本で読む読者にはとてもうれしい。ああいう、単行本という媒体によってできる親密さというのは、電子では出にくい部分じゃないでしょうか。ホンネをぶっちゃけるだけなら、ブログなどでもする人はいますが、それとはまた違ったかたちの文脈を共有してきたことによる親密さというのは、結構大事な出版文化なんじゃないかな、と思っています。
本を読むという行為には、「著者と一緒に長い時間、対話する」というところがあって、その時の著者と読者の距離は、すごく近い気がするんだけど、実際はネットのようにすぐにコメントを書き込んだりメールを送ったりできるわけでもなく、けっこう遠い。そういう距離感で、著者の肉声によりそって一緒の時間を過ごした後にポンと本を閉じる、という感覚が、電子にはなかなかない。
その感覚が電子にも出てくるようになれば、私自身、紙じゃなくてもいいと思うんですけど、今のところ、紙の本にはその辺りの距離感の面白さが、著者と読者と業界の色んな人たちが作ってきた結果としてある。その体験を電子の本にどうやって置き換えていけるのか、というのが課題なのかな、と思います。その中で、「出版社の位置ってなんなんだろう」ということも考えていきたいです。

沢辺 実は今日、そこのところは話をしなかったんだけど、電子書籍の話をすると「今ある紙のものを、どうやってそのまま電子に置き換えますか」ということになることが多いじゃない? でも実は、電子書籍には電子書籍だから生まれる何かがあるんだと思う。いい例は思い浮かばないんだけど、無理矢理例えて言えば、文語体だけでなく口語体が生まれたような変化が、電子でありえるかもしれないし、その中には、須田くんが言ったような距離感、上下を着てるときとざっくばらんな感じ、という微妙なニュアンスも存在するかもしれない。

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須田 ネット上にあるものって、検索で飛び込んできた人の目を何となく意識してしまうところが、今はあるのかな、という気がするんです。
本の場合は1冊通して読まずに片言隻句だけあげつらう人がいたら、かなり恥ずかしいじゃないですか。でも、Webの文章に関しては、そういうあげつらいが恥ずかしいという意識がちゃんと持たれにくい。それは、1冊の本としての存在感が電子上のものにないからじゃないでしょうか。
本はある種の強制力を持っていて、必ずそうしなくちゃいけないわけじゃないけど、1ページから200ページまで通して読ませる構造になっていますよね。
その結果、本というのは著者と読者の親密な空間を作るんじゃないでしょうか。親密といっても、肉親のような関係とは違う、本独特の、かなり貴重な空間ですけどね。

沢辺 オレは、どこにどういう発明があるのかはわからないけど、何かの可能性は意識しておかないといかん、と思うんだよね。本だったら引用だったものがリンクになるのか、カギカッコという道具が発明されたように、別な道具立てが発明されるのか。とはいえ、現状オレは何も思いつかないから、前に行くしかない(笑)。一方で可能性を意識しつつもね。

須田 出版社って、リスクが大きい商売で、だからこそ、「出版するんだからそれなりの内容だろう」という信用があった。スタジオ・ポットSD日高崇さんが「『本になったものだったら典拠として正しい』というのは本による情報ロンダリングだ」と言っていたけど、その信用は出版への敷居の高さが支えていたわけです。今は本を出す物理的コストがどんどん下がってきちゃってるから、「出版社が編集したものは、それなりのクオリティなんだよ。リスク背負って出してるんだよ」というのを出版社側がアピールできないと、出版社の役割ってなくなっちゃうんじゃないかな、と思うんですよね。
流通自体も、電子の流通は、既存出版社だからといって優遇してくれないと思うので。そこで既存出版社が残っていくには、「リスクをとって手間ひまかけて本にしてますよ」というところしかないかな、と思いますね。

沢辺 オレは、既存の出版社は、まだ2、3年のあいだ優遇されると思うから、その短い期間、相対的優位性があるうちに、とっととポジションを築いておかないいけないと思う。
ただ、優遇と言ったって大した優遇ではなくて、5年10年経ってしまえば、「何それ?」と言われても不思議はない程度の脆弱なものだから、開拓時代のアメリカみたいに、早いところ「海辺の、港ができそうないい土地」を切り取らないとね。
その先、今度は港よりも飛行機の時代になっちゃって、海辺の土地に価値はなくなっちゃう、ということもあるかもしれないけどさ(笑)
(了)

これまでの回

第1回「太郎次郎社エディタス・須田正晴は如何にして版元ドットコムに入ったのか」
第2回「いまだに、信頼できる書誌データがない」

プロフィール

須田正晴(すだ・まさはる)
太郎次郎社エディタス 営業部勤務
1995年太郎次郎社入社。2003年太郎次郎社エディタス設立にともない移籍。
版元ドットコムには設立時より幹事・組合員の一員として参加している。
Twitterのアカウントは@sudahato

このエントリへの反応

  1. [...] 第3回「小さな出版社が、電子書籍について考える」 前回分は、 第1回「太郎次郎社エディタス・須田正晴は如何にして版元ドットコムに入ったのか」 [...]

  2. おもしろいです。ずいぶん時間がたってからの感想ですが。

    沢辺「オレは、InDesignでデータを作る時に、その場しのぎのことをしないで、段落スタイルと文字スタイルをちゃんと適用していれば、問題はないんじゃないかと思ってるんです。」

    そのとおりだと思います。ただそれは、沢辺さんのようにそれがどのような意味を持つのか、何のためかを理解していることが必要でしょうね。そうしないとインライングラフィックの例のようなことがたくさんでてきそう。
    で、それを理解することって、けっこう敷居が高いかもしれません。
    本当はさらに、そもそも情報とはどのような構造を持っているものなのか、その構造をどのように見せるべきなのかについて知り、考える必要があり、そここそが編集・デザインの役割、すなわち出版社の役割だと思うのですが。


    電子書籍の価格については、部数や在庫の概念がリアルとデジタルではまったく異なるという点の影響が一番大きいはず。今は既存の本をもとに考えているのであまり影響がないようにみえますが。
    そしてデジタルなら安くなるという期待は消費者の側は厳然として持っているので、それで出せるものとはどのようなものかという視点での企画・出版が必要になってくると思います。


    本の販売がライセンス権になっていくのは間違いないでしょう。須田さんの不安はライセンス権になることではなく、そのライセンスの中身の問題ではないでしょうか。


    正直、今のままだと出版界の多くは
    「その先、今度は港よりも飛行機の時代になっちゃって、海辺の土地に価値はなくなっちゃう」
    に突き進んでいるような気がしてなりません。
    乗客が何を望んでいるのか、というところにしか答えはないんじゃないでしょうか。

  3. そもそも情報とはどのような構造を持っているものなのか、その構造をどのように見せるべきなのかについて知り、考える必要があり、そここそが編集・デザインの役割、すなわち出版社の役割だと思うのですが。
    ▲はい、おっしゃる通り

    乗客が何を望んでいるのか、というところにしか答えはないんじゃないでしょうか。

    読者目線論、という理解でいいのかな? で、その視点は大切だとした上で、あえて、自分はどこに行きたいのか、どこが好きなのか、ということを出版や編集に関わるものに必要じゃないか、とおもうこのごろです。

    沢辺でした。

  4. はい、読者目線という意味で書きました。
    どこが好きで、どこに行きたいのかが必要というのは本当にそのとおりと思います。
    それらの両方がなければ、出版をやる意味はない、と言っても言い過ぎではないですよね。