ず・ぼん6●[図書館の現場から]市民と利用者の間に

[図書館の現場から]市民と利用者の間に

小形 亮
[1999-12-18]

文◎小形 亮
おがた・りょう●
練馬区立南大泉図書館勤務。1954年生まれ。東洋大学文学部卒業後、1982年に練馬区立図書館に配属される。以後、関町図書館を経て現在に至る。
練馬区職労図書館分会副分会長。

 先日、私の勤めている図書館で、利用者懇談会を行った。毎年1回定期的に開催しているもので、一時期は参加者が少なかったが、この1、2年は盛り返して、今回も10数名の参加があった。なぜかと言えば、それまで広く誰でも受け入れるとの考えから、館内ポスターなどでの宣伝の他、登録者の中から無作為抽出を行い案内状を送っていたのを止め、職員が思わず顔や名前を覚えてしまうような、よく貸出や予約サービスを利用する、言わば常連さんに絞って、案内状を出したためである。
 館長の挨拶や事業報告に続いて、質疑応答に入った。さすがに休日の午後をさいてまで図書館に物申すという意気込みのある人々である。ほとんど全員が1、2回以上発言をし、次々と予測もしない質問に、館長と共に大わらわで答える私であった。
「自分で予約入力は、出来ないものか」
「予約の提供速度は、もっと早くならないか」
「新刊書にそれとわかる表示をつけてほしい」

「新刊書の貸出期間は、他の図書より短くならないのか」
「日付票を挟む袋を図書に付けてほしい」
「座席をもっと増やしてほしい」
 業務の流れやコンピュータのシステムを説明し、それは無理、それは可能と答え続けるうちに、私はしだいに、あたかも苦情を言う客の大群を前にした、デパートの苦情処理係にでもなっているような心持がしてきた。なぜならこれら利用者から出される質問意見の大部分が、いかに自分のために図書館から、簡便に多量のサービスを引き出せるかにかかっており、
 「この図書館は、マンガが多いが、子ども達に他の児童書は利用されているのか」
 と言った図書館の性格に関わるような質問は、まさしく例外的であったからである。

市民と職員でつくりあげた図書館だった

 ここで対照的に思い出すのは、今から7、8年前、この図書館が出来る前に行われた建設懇談会のことである。私の区(練馬区)では、図書館の整備が立ち遅れていたため、図書館建設を求める市民運動が、活発に行われていた。そこで図書館建設に際しては、行政とこれら市民が一緒になって、図書館計画を検討していく建設懇談会が行われ、言わば市民参加で図書館を作ってきた歴史がある。
 区内で9番目に作られたこの図書館も例外ではなかった。建設懇談会に集まった市民は、一般公募というわけではなく、行政側による指名であり、図書館建設運動に携わる人々以外に、地域文庫や町内会の代表、青少年育成委員に近隣小中学校の教師といった顔ぶれであった。必ずしも図書館に知識のある人々ばかりではなく、その意味での意識の違い、対立といったものもあったが、イメージを膨らますために他の図書館の見学を行ったり、図書館をめぐる様々な議論をする中で、しだいにこの図書館の姿が明確になっていった。
 それは、資料提供の場であるばかりでなく青少年を中心に地域住民の集う、ふれあいと交流の場としての図書館であり、しだいに街が失いつつあるコミュニティの再生への期待が込められていた。 
 その意図のもとに、入口には大きなコミュニティホールが設けられ、町内の様々なサークル活動や行事などの案内を掲示したり、人々の集い、語らいの場を提供することにした。

 また当初奥の方に予定されていた青少年コーナーは、この図書館の目玉としてカウンター前の1等地に移された。
 庭には、屋外読書コーナーが設けられ、木陰にはテーブルも置いて、飲食禁止の室内に対して、食事をしながら読書や会話を楽しむことが出来るようにした。
 さらには、気軽に住民も入って図書館職員と交流の出来る事務室をとの意見まで飛び出したが、図書館の事務室は資料を整理したりする作業場である上に利用者のプライバシーにも関わるからと、職員の立場からさすがに拒否をした。
 図書館建設運動に携わって、陳情・請願と繰り返してきた人達にとって、遂に実現する自分達の図書館であり、夢と想いに溢れていた。一方職員にとっても、既設館では出来なかった夢や理想の実行の場として、やはり思い入れに満ちていた。
 それは、少しの会話でさえ、「シー!」と言う声に制せらる様な謹厳な学習のための図書館ではなく、人と図書が、人と人が出会う楽しい祝祭空間のような図書館であった。

 そして、それが開館の日に現実化した。開館時間とともに和太鼓の演奏が始まり、コミュニティホールでは、ポップコーンが配られ、子ども達がケン玉に興じていた。2階のホールでは、著名な児童文学者の講演が行われた。
 これらは、貸出や登録に大わらわの職員ではなく、すべて市民の手によって行われたのである。
 本当の祝祭は1日で終わったが、祝祭のような日々はそれからも続いた。土曜・日曜には、図書館で配っている手下げ袋を持った人達が、列をなすようであった。好天の日には、屋外読書コーナーで家族づれが弁当を広げ、青少年コーナーのボードには貼りきれぬほどのメッセージが溢れた。そして職員たちも、人々の熱気に押されながらも、既設館に負けじと生き生きと働いていた。市民・職員共にわれらの図書館であった。

 月日がたつにつれ、利用はますます増え、毎年のように貸出は増えていった。しかし市民参加は、開館の日を頂点に潮が引くように後退して行った。図書館を作ることには参加し得ても、図書館を続ける事には参加し得ないかのように。あるいは、言うは易く、行うは難いかのように。
 年に1度の利用者懇談会には、当初建設懇談会のメンバーが多数参加していたが、好調な利用状況の報告を喜んで聞いてくれるだけで、かつてのような活発な議論は、起こらなくなっていった。そして参加者は毎年減って、その存在意義も危うくなり、先にあげたような方向転換を余儀なくされていった。

 今や利用者懇談会の意味は、いかに市民参加で良い図書館を作っていくかではなく、単なる利用者の要望やニーズの把握、そして苦情処理の場と変わってしまったのである。
 そして、ふれあいと交流を期待された様々な場も、コミュニティホールは、役所からの掲示ばかり並ぶ中、セールスマンの休憩の場所となり、青少年コーナーでは、メッセージがめっきり減ったボードを前に、小中学生が黙々とマンガに読みふけり、屋外読書コーナーは、夜間には中・高生の喫煙の場となって、警察まで来る有様となった。
 今日、懇談会のメンバーであった市民達は、多くの利用者に埋もれて、ひっそりと図書館を利用しているか、まったく足を運ばなくなったかのようである。住民参加の行事も、図書館主催の子どもフェスティバルやお話会の中で、細々と続けられているに過ぎない。図書館友の会などがあれば、もう少し違っていたのかもしれない。けれど、それがある区内の別の図書館でも、開館前に比べれば勢いは衰えているようである。
 明確な目標のある時、住民運動は強い力を発揮する。しかし所詮、種々雑多な人々であるだけに、目標が達成されると求心力が失われ、それぞれの日常に戻って行ってしまうのかもしれない。だがこの日常にこそ参加が必要であった。そして残された職員には、資料提供の技術はあっても、コミュニティ創造の技術はなかった。こうしてわが図書館における市民の時代は、終わりを告げた。

利用者と職員が機能と要求を超えた関係をつくれるのか

 新たに図書館の中で大手を振るようになって来たのが、貸出や予約サービスを大量に受益する人、常連さんを中心とした一般利用者である。市民の時代に対して、言わば利用者の時代の始まりである。利用者は、図書館法に述べられるように、教養、調査、レクリエーション等の個人的な動機を持ち、公共サービスとして資料提供を受けに図書館にやって来るのであって、決して図書館や地域コミュニティへ参加するために来るのではない。常連さんは、これらの一般利用者の傾向をより極端にしただけの、言わば受益者としての権利意識の強い人達であり、格別に浮き上がった存在ではない。本来の熱心な図書館利用者ともいうべきで、むしろ参加意識のある市民の方こそ、図書館に方向性を持ち込もうとするだけ、例外的であり、浮き上がっていたのかもしれない。
 しかし所詮は、利用者は市民に比べて受身である。どんなに要求が強くても、その作り出す過程や生みの苦しみには触れることなく、図書館の与えるものを享受するだけである。ここでは、与える職員と与えられる利用者の立場は、厳然として切り離されている。
 時には対立しながらも、図書館を作るパートナーとして、市民の眼に映った職員の姿はここにはない。利用者の眼には、資料提供機能の一部としての非人格的な職員像が、映っているのではないだろうか(むしろ、不親切であったり、不愛想だったりする、機能の阻害要因としてのみ、その人格が意識される)。
 そのような状況の中でこそ、利用者懇談会での、
 「自分で予約入力は、出来ないものか」
 という発言は、理解出来る。ここには、プライバシーの保護や簡便性の追及ばかりでなく、職員に対する不信が読みとれると思うのは、私の思い過ごしだろうか。

 自動貸出機や利用者が予約入力出来る検索機も現に表れているし、それによって完全に無人ではないにしても、極力利用者の眼から、職員を外すことは出来るだろう。しかし、良いも悪いも全部ひっくるめた上で、人間より機械を選択したいのであろうか。そうなったら、それは全体が資料提供のためのオートマチックな装置ともいうべきで、果たして図書館と呼べるのだろうか。少なくとも私は、そこで働きたいとは思わない。

 一方、職員にとっても、利用者が一個の人格として見えるわけではない。それぞれが別々の1つの要求として映るのみである。初めの頃、青少年向文庫、マンガ、ハーレクインと今まで図書館が敬遠して来たものを受け入れていく度に、図書館が対象としてこなかった人々へ向け、社会へ斬り込んでいくような気持ちがしたものだ。そうしてそれらの資料を喜んで借りていく人がいる度、喜びを覚えた。
 しかし、当初の新しいサービスを創造していった時が過ぎていくと、現実に目の前にある要求に答えていくばかりになって来た。
 もちろん忠実に答えようとしたからこそ、貸出は伸び、以前にも増して図書館は利用者で溢れている。しかし貸しても、貸しても利用者個々人の姿は見えて来ないし、コミュニティが生まれるようにも見えない。ふれあいと交流どころか、混んだ日曜には、ものを尋ねる利用者に並んだ列の後の方から罵声が飛ぶ程殺伐としている。答えても、答えてもむしろそのために要求は、際限なく増大していくようである。
 異動により、創造の時代を経験した職員も入れ替り、新しい職員にとっては、初めから苦役のように多量のルーティン・ワークをこなしていく毎日である。

 際限のない要求の前に、いつか職員は役人の冷たい仮面の影に退却していくのかもしれない。しかし、私にとっては、一度見た夢は忘れることが出来ない。
 利用者が、市民へと転じる日は、来るだろうか。そして職員と利用者が、機能と要求を超えた関係を作り出すことは、出来るだろうか。そんな日を待ち望みたい私である。