2012-11-07

第21回■雨やどりと時代屋の女房

図らずも田園調布の“お嬢様”の誕生日会を祝うことになってしまったが、前回も書いた通り、イベント感覚でそれなりに楽しんだというのも事実。既に打算や目論見のある相手でもなかったのに我ながらご苦労なことだが、たぶん、そういうことが好きなのだろう。

実は先日、このところ一緒に遊んでいる“美人秘書”とのホテルデートの時に、ハロウィンが近いこともあって、部屋をリースやバナー、ランターンなど、ハロウィン仕様に飾りつけ、ティム・バートンの『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』や『ゴースト・バスターズ』のDVDを流し、パンプキンのスイーツなども用意。二人だけのミニハロウィンパーティを開催させていただいた。考えてみれば、私のイベント好きは昔から変わらない。この連載をさせてもらっている出版社の“美人取締役”からは、「梶木さんって、進歩がないのね」なんて言われそうだが、こんなにイベント好きなのは、お祭り好きの下町っ子の血ゆえのこととしておく(笑)。

新たな出会い

渋谷基点でも井の頭線方面に釣果が出たと、書き記した。実際は井の頭線を下北沢駅で乗り換えた、小田急線方面である。駅は、かのとんねるずの木梨憲武の実家、木梨サイクルがある祖師ヶ谷大蔵だ。1990年の初夏のことである。

田園調布戦線から撤収後、渋谷を基点に網を張っていたが、すぐに当たりが出たわけではない。なかなか釣果は上がらず、手痛い失敗も犯した。長時間話せばきっと相手は来るものと信じ切り、川越に住むという20代の会社員と川越駅で待ち合わせをし、見事にすっぽかされるという醜態も演じた(といっても誰も見ているわけではないが)。楽しいデート(!?)の予定が孤独な小江戸散策になってしまった(涙)。

また、深夜、渋谷からタクシーを飛ばして、桜台(西武池袋線の練馬である!)まで行ったところ、自転車に乗って現れたのは明らかに病んだ女性で、関わるとろくなことがなさそうだった。その時は電話ではあまり話し込まず、とにかく会おうなんて盛りが上がってしまった。ちゃんと話していればそんな失敗を犯すこともなかっただろう。“恋は焦らず”(by シュープリームス)、“急がば回れ”(by ベンチャーズ)というわけだ。

その日は週末の土曜日、9時過ぎた頃だったと思う。結婚式の2次会帰りで、いま渋谷にいるという女性から電話が入った。いわゆる“公衆コール”である。結婚式の2次会、かつ、公衆電話からの電話。美味しいことの二重奏。ある種、鉄板である。ここで取り逃すようではテレクラ男子の甲斐性もない。

少し酔っているのか、彼女は上機嫌だった。大して話してはいないが、なんとなく話が上手く弾み、すぐに会うことになった。こういう時は会話を長引かせることなく、即断即決させる。相手のやる気(!?)を削いではならない。当然の如くの“即アポ”だ。

待ち合わせは渋谷のハチ公前ではなく、モアイ像の前。同じ渋谷駅前だが、まだハチ公ほどメジャーではなく、人ごみも少なくて見つけやすいところだ。待ち合わせ場所に現れた女性は、レモンイエローのワンピースを鮮やかに着こなし、髪は軽いソバージュ。だからといって、バブルな感じはしない、少し70年代の新宿の香りもする。若干、ヒッピーぽいというのだろうか。目は大きく、鼻筋も通っている。月並みだが、可愛らしい顔である。

その可愛らしさだが、当時のアイドル歌手みたいなものではなく、一昔前の個性派女優の雰囲気。“フラッパー”という言葉が相応しい。フラッパー(FLAPPER)を辞書で引くと“[名・形動]おてんば娘。また、はすっぱに振る舞うさま。 「蝶ちゃんには、なかなか―なところがあるんだね」〈岡本かの子・生々流転〉。フラッパー‐ヘアー【flapper hair】ボブスタイルの全形にパーマをかけた女性の髪形。”とある。かの岡本太郎の母親である岡本かの子には似ていないが、フラッパーな雰囲気である。そのほんわかとしたしゃべり方やふんわりとした佇まいもそう感じさせた。

二次会で散々飲んだのに飲み足りないらしく、渋谷のセンター街の奥にある居酒屋へ行くことになる。当時、既に「すずめのおやど」や「つぼ八」など、いまでいう“せんべろ”な若者向けの居酒屋も多かったが、あえて、どう見てもいける口の彼女を納得させるようなうまいつまみと、銘柄の日本酒のあるところへ案内する。私自身、酒は用事(女性を落すため)がなければ飲むことはないが、大人の嗜み、もしくはホテルへの前線基地として、ある程度の店は押さえている。ホイチョイ・プロダクションズの『東京いい店やれる店』なんていうガイド本が出たのはそれから数年後、1994年のことだ(18年後の2012年には、同書の最新版が発売されている!)。

付きだしに何が出たか、当然、覚えてはいないが、日本酒を美味そうに、くいっとやる様はいまでも印象に残っている。情けないことに私は酒に強くなく、日本酒はまったく受け付けず、ぴちゃぴちゃと舐めるくらい(猫か!)。 格好悪いことこの上もない。酒が入ると、彼女の舌は滑らかになる。聞けば、映画やテレビ関係の仕事をしているらしく、某撮影所の技術者だそうだ。年齢は30代の半ばで、それなりに責任のある仕事をしているという。詳しいことはわからないが、後に、ある映画のエンディング・クレジットでその女性の名前を見つけたから、本当のことだ。いわゆる撮影秘話みたいな話も聞かせてくれる。私も興味ある俳優や女優のことを聞きまくる。具体的に、誰について聞いたか忘れたが、素人ならでは知りたい芸能人の素顔みたいなことを質問したように思う。なんともミーハーだ。彼女もサービス精神旺盛で、いろいろと教えてくれる。もう少し映画論やドラマ論などを話してもいいところだが、ここは新宿ゴールデン街ではない。そんな話は野暮というものだし、そもそも熱く語り合うというのは目的と違う。

午前3時の祖師ケ谷大蔵

なんとなく話が盛り上がり、時間があっという間に過ぎ、終電はとっくに出てしまった。それでも話は尽きず、また、おしゃべりしてしまう。いい加減、いい時間になってくる。飲み疲れ、話し疲れである。午前3時を回った辺りで、始発を待つことはやめ、タクシーで彼女を送ることにする。住んでいるところは、かの祖師ヶ谷大蔵。木梨サイクル前である(そんなわけはない!)。渋谷からタクシーで5000円ほど。ホテル代よりは安いという計算も働いた。勿論、一人暮らしであることは、調べがついていた。バブル期の週末は、タクシーを捕まえるのにも苦労をしたものだが、その時は幸いなことに、すんなり見つかる。

彼女は遠慮することも拒否することもなく、少し千鳥足ながら、タクシーに乗り込む。246号線が多少、混雑はしていたが、世田谷通りに入ると道も空きだし、スムーズに進む。ほどなくして、祖師ヶ谷大蔵へ到着する。詳しい場所は忘れたが、環八に近かったと思う。

彼女をタクシーから降ろすと、私も当然(!?)のように降りて、彼女の家まで一緒に歩いていく。タクシーを彼女の指示通り、家の側に付けたから、すぐである。何棟かある木造のアパートが彼女の家だった。流石、「○○荘」みたいな、名前からしての学生アパートという安っぽさはないが、ある意味、キャリアウーマン(というか、手に職のある女性)にしては、質素である。「メゾン○○」みたいな名前だったように思う。80年代のラブ・コメディー漫画の傑作『めぞん一刻』の読み過ぎかもしれないが、間違いなく、そんな感じの名前だった。

当然の如く、家庭訪問させていただく。玄関でさようならという雰囲気ではなく、“家でもう少し飲みましょう”という感じ。彼女自身、相当飲んではいるが、意識不明で何を言っているか、何をしているかわからないという状態ではない。完全に合意の上だ(笑)。

家に上がると、すぐダイニングキッチンとリビングを兼ねた8畳ほどの部屋(LDKなどではなく、居間というのが相応しい)がある。映像関係者らしく、映画やドラマ関係のノベルティーが目につく。中には人気ドラマのスタッフジャンパーもあり、思わず、欲しくなるものばかり。勿論、ポスターや台本などもある。

8畳ほどの部屋の隣が6畳ほどの寝室。玄関の脇にはトイレとバスがある(部屋の全貌がわかるのは1時間ほどしてからだ)。居間や寝室はフローリングなどとは無縁で、畳敷きである。部屋もドアやカーテンなどではなく、襖で仕切られている。学生時代、友人だった貧乏学生の下宿に行ったことを思い出したが、流石にそんなに狭くはないし、居心地も悪くない。何となく和める、丁度いい間取りである。不動産屋か! という突っ込みを入れたい方もいるかもしれないが、変にバブルに浮足立ったようなお洒落な部屋ではなく、しっとりとした情感がある。まったくの私好みだ。

居間は前述通り畳敷きなので、そのまま座布団に座り、低めのテーブルに、彼女が冷蔵庫から持って来たビールと乾きものを置いてくれる。酒飲みの彼女のことだ。乾きものなどは標準装備なのだろう。セットのように出てきた。飲み直しである。映画やドラマなどについて、他愛のない話をしながら時間を過ごす。

テレビの横を見ると、写真立てがあり、彼女の写真が飾ってあった。頭はアフロのようなヘアーで、Tシャツにマキシスカート。ちょっとヒッピーのような感じである。聞くと10代の頃で、顔立ちそのものはアイドルのような愛くるしさがあった。同時にTシャツの胸の膨らみも気になった。ワンピース姿の時は気付かなかったが、写真を見る限り、たわわな胸である。否が応でも期待は高まるというもの。

1時間ほど飲んでいると、朝も近くなり、二人とも眠くなってくる。気づくと、二人は寝室に移り、ベッドの中にいた。特にきっかけがあったわけではないが、自然と(という表現は毎回嘘くさいが、特に無理強いしたり、懇願したわけではない。押しの弱い私のこと、そんなことはできない!)裸になり、抱き合っていた。裸になると、眠いはずが元気になり、弄りあう。その胸は、多少弾力が落ち、乳輪や乳房なども黒ずんでいたが、想像通りの“巨乳”(巨乳という言葉は1989年頃から使われ出したらしいが、かのAV女優・松坂季実子がきっかけのようだ)。思わず、気分は村西とおる。思い切り、巨乳を堪能させていただいた。テレクラ系では、女狐に続く、セックス・ランキング(!?)の上位入賞者である……などと書くと、まるで肉欲まみれな感じではある。

しかし、単なる“性事”ではない、そこには“風情”もあったのだ。見知らぬ男と女が出会い、気づいたら身体を重ね、寂しさを埋めあう。何か、半村良の『雨やどり』や村松友視の『時代屋の女房』(1983年に森崎東監督、渡瀬恒彦・夏目雅子主演で映画化もされている)のようではないか。ともに男ではなく、女が居ついてしまい、いつの間にか消えてしまうという話だが、そんな話を自分と重ねていたように思う。偶然とはいえ、暫く、私は彼女のところへ居つく(といっても通いだが)ことになるのだった。

恋のピンチヒッター

その数年後、30代で結婚経験のない、子供のいない独身女性は“負け犬”と評されたことがあった。負け犬云々は別として、いくら仕事をして仲間がいても、一人家へ帰り、そこに家族がいないと寂しさを感じるものだろう。尾崎放哉ではないが、“咳をしても一人”である。そんな時こそ、“隙間産業”に従事するテレクラ男子の出番だ。

かのセックス・ピストルズもカバーした、ザ・フーに「恋のピンチヒッター(原題は“Substitute”。同語は代理人、代用品という意味)」という名曲があるが、私達は、心の隙間を埋めるピンチヒッター、スーパーサブのような存在だろう。“都合のいい男”になればいい。

私自身は実家暮らしで、一人暮らしの経験もない。実家が稼業を営んでいたから番頭さんやお手伝いさんも多く、大家族で孤独や寂しさを感じている暇もなかった。騒がしいくらいで、一人になりたいと思ったものだ。むしろ、 “ものの哀れ”や“無常感”として、一人暮らしの寂しさへの憧れを持ち、そんなシチュエ―ションを楽しむため、彼女の家へ通わせていただくことにした。

勿論、“同情”などというものではない。“同乗”(いや、“相乗り”か)ならあるかもしれない。ある意味、彼女は、私にとって居心地のいい居酒屋の女将やスナックのママのような存在になっていったのだ。