2005-10-26

ニコラ=サルコジ内相(Nicolas Sarkozy)の私生活暴露報道を支持する

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当ブログの読者が増えているようです。そのわりには、100人予約が集まれば出版されるという予約投票プロジェクトに出した拙著『PHOTOエッセイ Gay @ Paris』の宣伝をしても何の反応もありません。『常識を越えて オカマの道、七〇年』(ポット出版)も相変わらず売れていません。

今日は政治のお話しをします。

フランス大統領選挙2007の最有力候補と目されているニコラ=サルコジ内相・「フランス国民連合」党首に対して私が違和感を覚えたのは、同性愛絡みの事件がキッカケです。1998年だったか、当時上院議員(社会党)だったベルトラン=ドラノエ(Bertrand DELANOE)現パリ市長がテレビ番組「Zone Interdite」で、自らが同性愛者であることをカミング・アウトします。アメリカでは今でも同性愛者であることが明らかになると引退に追い込まれる国会議員がいます。同性愛者の権利が米国より進んでいるフランスでは、しかし当時は、誰一人とて政界で同性愛者であることをカミング・アウトしている議員はいませんでした(地方小都市の市長が一人公言していましたが)。ドラノエさんは自らの発言により政界引退に追い込まれる危険性も承知していた。覚悟の上での行動にフランスの同性愛者は励まされ、彼がパリ市長になったときは革命のごとき盛り上がりだったそうです。

さて、ドラノエさんのカミング・アウトを公然と非難した政治家がいます。それがサルコジ氏です。要約すると、ドラノエ氏の発言は「人気とり」である、と。人気とりのために私生活をつかうな、と。こんな非難でした。

おそらく、同性愛者が置かれている状況に思いをはせたことなどないから、こういう無思慮な発言を平然とするのでしょう。ドラノエ氏は市長になってから同性愛嫌いの男性に刺され重傷を負うという痛ましい事件にあいました。刺されるとまでは思っていなかったかもしれない、しかし自らが攻撃される危険性はカミングアウト前に予期していたことでしょう。「人気をとる」などということを考える余裕などなかったにちがいありません。

ドラノエさんのカミング・アウトに対する攻撃で生じたサルコジ氏に対する違和感は、氏の離婚騒動を巡りさらに強くなっています。仕事もできるし、演説は上手、ディベート術にも長けて論敵を次々と論破するサルコジ氏が「能力アル」政治家であることは疑う余地はありません。しかし、氏のメンタリティにどうも違和感を覚える。

今週の日曜日、午前二時〜三時くらいの間に、ベッドに入りながら寝ぼけ眼でテレビのチャンネルをまわしていました。どの局だったか覚えていないのですが、このブログでも触れたサルコジ内相の私生活暴露報道についての討論番組をやっていました。暴露報道ってのは、サルコジ内相と18年間夫婦生活を過ごしてきた妻・セシリアさんが恋人をつくって駆け落ちしてしまった……という騒動のことです。

雑誌記者だか編集者だかが出ていて、正論を吐いていましたね。

「家族を売ってきたのはサルコジじゃないか」(商売の出しにしてきた、って意味でしょうね)

そして、私生活を公の場に積極的に披露していったのはサルコジだ、だから、報道するのだ。そんなことをいっていました。

サルコジ内相にはアメリカのケネディなんて呼び名があるくらい、さわやかな政治家で売り出されてきました。そして、妻を前面に出しまして、二人三脚のオシドリ夫婦、仕事でも結びつく今風のカップル……というイメージを出してきた。セシリアなきサルコジ内相が大統領になれるのか、とフランスメディアでいわれるのは、過剰なまでに「妻と一緒」というイメージ戦略を採ってきたからです。雑誌でもテレビでも一緒に出てきました。

プライベートな情報(家族)を公の場に出してきたのはサルコジ氏なわけです。フランスのメディアとて、政治家の私生活はむやみに暴露しない……という伝統を持っているわけですから、妻をつかった政治宣伝がなければ今回の離婚騒動もそれほどまで大きくなりはしなかったでしょう。

セシリアさんはサルコジ氏がフランス中を飛び回り留守がちになっている隙をついて、さっさと荷物をまとめて逃げていきました。サルコジ氏はテレビ出演をキャンセルするなど、ずいぶんパニックになったようです。マスコミの取材には「プライバシーだから……」といって当時は応えませんでした。さんざんぱら夫婦生活をパブリックに出しながら都合が悪くなるとプライバシーと言い出す。ご都合主義といえましょう。

本年8月になると、セシリアさんが新しい恋人とバカンスを過ごしている写真が『パリマッチ』誌にのり、サルコジ氏は激怒します。別れた妻が楽しい生活を送っている写真が公になるぐらいでキリキリするなよ……と思わなくもないですが、それはたいした問題ではないのでここでは置いておきます。

問題なのは、離婚騒動時に「夫婦関係」をプライバシーといっていたサルコジ氏が自分に恋人ができたら、それをメディアに公開したことです。「妻と別れた」ことがプライバシーというならば、「恋人ができた」ことも「プライバシー」じゃないですかね。おそらく、Cocu(妻を寝取られた男)というイメージがまとわりつくことをマイナスと考えて、新恋人について公表したのでしょう。これまたご都合主義といえましょう。しかもさらにひどいのは、お相手がフィガロ紙・政治部の女性記者だったんですけど、それを報じた新聞に抗議していることです。その女性記者ってのが長いこと政治畑を歩いてきたひとでして、大統領府の担当記者でもありました。大統領の座を狙うサルコジ氏の恋人が、氏のライバルであるシラク大統領のもとに常駐し取材してきた記者……というならば、職務上で知り得た情報を恋人に流す可能性もあり、職業倫理が問われかねません。問題提起していい情報であります。しかし、サルコジ氏にとっては都合が悪い情報だから、彼は抗議する。

一連のスキャンダルで見えてきたのは、サルコジ氏にとって都合の良い私生活情報(「オシドリ夫婦」だ、「新しい恋人ができた」だ)は積極的に開示していくのに、都合悪いことが流れると「プライバシー」といいだし、ときにメディアに圧力をかけるというサルコジ氏のご都合主義的体質です。日本の政治家みたいですね。

愛人との間にできた隠し子(娘)と密会している写真を『パリマッチ』誌が94年公表したわけですけど、最近になって、あれはミッテランの了解があったことが明らかにされています。詳しい話はいつかしましょう。ミッテランは雑誌編集者から了解なしでは掲載しない、と云われたにもかかわらず、自分には編集に干渉する立場にない、といって掲載を黙認します。サルコジ氏とはえらい違いです、太っ腹です。さすが、前立腺ガンに冒されながらも死ぬ直前まで朝帰りを繰り返したミッテラン、女性たちと遊び続けたミッテランです。

サルコジ氏の情報操作に惑わされず、重要な情報を流すメディアは評価されてしかるべきでしょう。

このエントリへの反応

  1. そんな破廉恥漢サルコジを選んだ有権者はみんなアホだという訳ですね。