2007-10-28

国民を懼れ、信頼した三木武夫元首相の魅力

オーマイニュース』に次のような記事を執筆しましたので、転載いたします。

主題:国民を懼れ、信頼した三木武夫元首相の魅力
副題:非戦訴え、翼賛会に抗って奇跡的に再選

【本文】

 三木武夫は戦前からの衆議院議員で、初当選して以来、19回の連続当選を果たし、1986年には在職50年の表彰を衆議院から受けた。

 総理大臣にまでのぼりつめた三木が政界入りしたのは1937年。明治大学を卒業してすぐの30歳だった三木は、地盤も看板もないのに郷里・徳島で初当選を果たす。当時、被選挙権は30歳からであり、最年少当選だった。その勢いを称し、当時のマスコミは三木を「神風候補」と呼んだ。当選した3カ月後に蘆溝橋事件があり、前年には2・26事件が起きている。

 三木は軍国主義が台頭した時代であったにも関わらず、果敢に日米開戦回避を訴えた。日比谷公会堂での演説会の翌年の1939年には金子堅太郎氏と共に「日米同志会」を結成し、非戦運動の先頭に立つ。

 これが軍部の目にとまり、太平洋戦争の最中の1942年に実施された衆議院議員選挙では「翼賛政治体制協議会」が三木を非推薦にした。それでも、非戦の信念を負けずに翼賛体勢に抗い、三木は敢然と立候補した。その弾圧の凄まじさを、三木は次のように述懐している。

(「演説会にも妨害や干渉はあったでしょう」という質問に対し)
 「その演説会がどうなっているかというと、警部補ぐらいの警察官が来て立ち会っているわけです。そして『翼賛選挙』というものを攻撃すると、それは治安維持法か何かに違反するというので、『本日の集会は解散を命ずる』と、解散になってしまうんです。だから演説会は、ちょっとやれば解散。運動も何もできやしない。その上、じき警察に引張られるんです。ビラを貼れば何とかかんとか言ってビラ貼りの青年はつかまってしまうんですね」【三国一朗・編著『昭和史探訪4』(番町書房)】

 地元の隣組・町内会・部落会では、非推薦候補に入れないように、という通達が徹底されていた。特高警察は24時間、三木氏の選挙事務所に張り付き、ビラを配りにいったものが帰ってこないということがよくあった。三木自身に憲兵隊から呼び出しが来たり、三木に票を入れそうな人に出頭を命じた召喚状が来たりした。演説会では、聴衆の中で拍手をする者がいると、私服警官がその人のところへ行って「候補者とどういう関係があるのか」と詰問をした。極めつけが戸別訪問だ。特高警察は、有権者の家をしらみつぶしに一軒一軒回って、三木に投票しないように命令をした。

 その担当責任者の警官は投票日前日、これで三木に入れる人はいないと祝杯をあげ、三木も自分の落選を覚悟した。しかし、投票箱のフタを開けたら、定数3のうち3番目とはいえ、見事、再選したのだ。

 ファシズムが日本全土を覆った時代、警察が演説会を妨害し、ビラを掲示することも阻止し、有権者一人一人に、三木への投票をやめるよう圧力をかけた。にも関わらず、表だって支持を表明する者は少なかったとはいえ、少なからぬ国民が三木の訴えに共感し、信頼を寄せ、投票した。その体験から、三木の至言が生まれた。

 「私は国民を懼(おそ)れる。そして私は国民を信頼する」

 三木はこう振り返っている。

 「まあそれ以来ぼくは思うんですが、顔役は駄目なんだな、地位にあるものは。しかし名もない百姓の持っている骨太さ、これは頭が下がる。色々な地位にある者は弱いが、何の地位にもついていない、名もない大衆というものの強さ、骨太さ、これはやはり信頼することができる。これは自分の長い政治生活で不動の信念のようなものですね」【三国一朗・編著『昭和史探訪4』(番町書房)】

 たいてい落選した議員は、国民がバカなのだ、見る目がないのだとボヤく。しかし、出馬すると云うことは、国民に自分を評価していただく、審判していただくということである。落選してからの愚痴はいわば、フラれた女性を罵倒する情けない男の姿に通じる。警察に妨害され、軍国主義が日本の隅々まで浸透していたあの時期に、三木はそれでも、当選したのである。

 ところで、三木武夫によれば、日比谷公会堂の演説会の様子を共和党重鎮の上院議員・ウィリアム・ボラーが知り、三木とその後、交流が続いたという。ボラーがどのようにして集会の情報を得たのか、関係者が亡くなり資料が乏しい中、判然としなかったが、私がアイダホ大学のボラー図書館に照会したところ、今井五介から集会の内容を知らせる電報が届いていた、という。ボラーは新聞などでこの集会を紹介し、日米開戦に反対する論陣を張った。

 この国から良質な保守政治家が消えている。文化人類学者の國弘正雄氏は、リベラル政治家の系譜を石橋湛山、三木武夫、宇都宮徳馬だと指摘する。いまの政治を仕切っているのは、この三人に共通する「アジアとの共同」「平和憲法を守る」姿勢と正反対の森喜朗や小泉純一郎だったり、安倍晋三だったりする。安倍や小泉は、三世議員である。祖父・父が築き上げた名誉や金、地盤に乗っかっているおぼっちゃまには、三木のような国民への信頼や懼れは、ないであろう。