2007-08-07

黒川紀章党首を側近が批判 参院選で「共生新党」が全滅した理由

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オーマイニュース』に次のような記事を執筆しましたので、転載いたします。

タイトル:黒川紀章党首を側近が批判
サブ・タイトル:参院選で「共生新党」が全滅した理由

 7月29日に投開票が行われた参院選。民主党の圧勝、自民党の歴史的大敗というニュースが国民に衝撃を与えた。しかし、「2大政党に代わる第3極を作る」と気勢を上げて、選挙に臨んだ人がいる。世界的な建築家として知られる巨匠・黒川紀章「共生新党」党首(73)である。黒川氏は東京選挙区から出馬し、自身が党首を務める共生新党は比例区に臨み、妻で女優の若尾文子氏(73)が名簿に名を連ねた。

 しかし、結果は惨憺(さんたん)たるものだった。

 東京選挙区で最下位当選した川田龍平氏が獲得したのは68万3629票……。それに対して黒川氏が獲得したのは、当選に約60万票も足りない7万0275票のみ。供託金没収はおろか、毎度、選挙に出馬しては落選しているドクター中松氏の9万2512票を下回る大惨敗となった。黒川氏が党首を率いる共生新党の結果も悲惨だった。比例区に届け出た11の政党・政治団体の中で共生新党が獲得したのは14万6986票(0.25%)でダントツの最下位、期待が集まった若尾氏が獲得したのは6万5267票のみだった。

 黒川紀章氏と共生新党はなぜ、大惨敗したのか。愛知選挙区(定員:3名)から同党公認で出馬し、1万2435票を獲得して落選した黒川紀章氏の秘書・荒川厚太郎氏に「共生新党」大敗の要因を直撃した。

 * * *

———黒川紀章さんが作られた「共生新党」はどのような政党ですか。

荒川 黒川党首が東海中学・高校(愛知県)で学んだ共生「ともいき」思想が政策・政治理念の基本となっています。この学校は浄土真宗の仏教の学校です。愛知県トップクラスの進学校でもあります。黒川党首は145冊の著書の中で随所に「ともいき」をちりばめています。

———なぜ、愛知選挙区から出馬しようと思いましたか。

荒川 共生新党で戦えば必ず全国で新風を巻き起こすと信じていましたので全国第2位の激戦地愛知から出馬を決意しました。

———共生新党から出たのはなぜですか。

荒川 党首秘書として候補者選定の過程で私から立候補を希望しました。

———今回の選挙結果をどう見ていますか。

荒川 想像以上の惨敗でした。自民党が逆風の中、国民が一度民主党にやらせてみようという状況下での選挙でした。

———荒川さんの敗因は何でしょうか。

荒川 荒川厚太郎の知名度が低かったことがまずあげられます。黒川紀章党首が公示前に一度愛知入りし、ヒルトンホテル名古屋で記者会見し、愛知は自分の出身地であり何度でも入るし、あらゆる方策を取る。荒川厚太郎は3位で当選する可能性がある、と明言してくださいました。

———黒川党首をどのように応援しましたか。

荒川 選挙終盤の7月27日に、黒川紀章党首と若尾文子氏が愛知入りしただけでした。そのとき、ヒルトンホテル名古屋で「黒川紀章を励ます会」が催されました。荒川厚太郎の応援で来てくださった300人があっけにとられていましたが、党首が1時間20分も遅れ、選挙と関係のない話を延々と1時間15分続け、以後党首と若尾文子氏との会談をしてサイン会をしました。

———出席者の反応はどうでしたか?

荒川 会場では党首の講演中、私の母校である愛知高校、愛知学院大学、歯学部病院関係者がテーブルから離れて、黒川紀章は何を考えているのか、惨敗の可能性がある今回は、学校の名誉のたる組織票15万票の取りまとめはしない、自主投票にすると私に通告されました。

———街頭での演説は行わなかったのですか。

荒川 サイン会終了後、党首が栄(名古屋の繁華街)で街宣活動をしよう、とのことで、私は街宣車と伴走車3台で栄に向かい、「間もなく黒川紀章、若尾文子がごあいさつにお伺いします」と街宣車から呼びかけました。しかし、45分経過したころ、若尾文子候補は新幹線で東京に帰り、黒川党首はホテルで休んで演説に来ないとの連絡が入り、待っていた聴衆から大ブーイングがあがりました。

———荒川さんから見て、共生新党が全滅した要因は何ですか。

荒川 総括ですが、党首には戦う意思がまったくなかった、ということにつきると思います。

———共生新党や荒川さんはどのような政策を訴えましたか。

荒川 共生新党の公約は格差是正、災害に強い安全な国土の実現ですが、私は議員特権即時廃止、電気・電話・ガス・水道の基本料金の撤廃、400万人いる無年金者や月額2万円以下の年金受給者に月額7万円を支給するということを訴えました。

———手応えはどうでしたか?

荒川 街宣車での活動では多くの人が手を振り、頑張れのコール、両手でのガッツポーズなどあり、手応えはありました。ただ、60回近い街頭演説では冒頭、共生新党は共産党ではありませんと聴衆にお断りしなければなりませんでした。余りにも共生新党のイメージが悪すぎました。これは愛知のみならず全国規模で同じことがいえます。共生新党のイメージが悪いため、大惨敗となったのでしょう。

———今後、政治活動は続けますか。

荒川 学校関係者の支持者が多かった愛知3区から衆議院選に出ろ、といわれています。条件は無所属で資金は募金で賄って戦おうとのことです。しかし、私はいまのところ、出馬する考えはありません。