2012-08-29

お部屋2435/踊ってはいけない国、日本

数日前から店頭に出ていた書店もあるようですが、昨日、磯部涼著『踊ってはいけない国、日本』が発売になりました。

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磯部涼が編集ということから、当初私はクラブ寄り、ダンス寄りのものを想像していたのですが、もっと範囲が広い。私が書いている性風俗産業に対する規制だけじゃなく、違法ダウンロード刑罰化だったり、ドラッグの規制だったり。取り上げている規制の範囲が幅広いだけじゃなくて、その背景に何があるのかまで踏み込んだ本です。

なぜ警察は、今まで一定の安定を見て、警察もまたメリットを得てきたグレーゾーンを次々に潰しにかかっているのかについても、いくつかのヒントがあります。

宮台真司の言う「新住民の台頭」という話が理解しやすいかと思いますが、社会の仕組みが見えない人たちは今までにも多数いた。そういう人たちがいたところで、これまでは不都合がなかったのに、社会を構成してきたフレームが壊れてきて、新しいストッパーが作れなくなっているのが今の時代だろうと思います。

その結果、社会の中での自分の位置、他者との関わりが見えなくなっている人たちが増大している。こういった人々はいたるところにいます。社会全体に起きていることなのですから、世代を問わない。警察の中にもいる。それらの人々が共同して法の厳密な運用、より厳密な法の制定を求めています。「新住民の台頭」は時代の必然であり、この傾向は強まることはあっても、弱まることは当面期待できないでしょう。

それに抵抗するためにも風営法は改正をした方がいい。それ以外の法律も時代に合わなくなっているものは改正した方がいい。福島原発がああなった今、原発に関する法律も改正した方がいい。被害を被るのは立地市町村だけではないことがはっきりした以上、周辺自治体の意向をすくい上げられる法にした方がいい。

法を改正するのは、法をよりよいものにするだけではなく、よりよい法とは何か、よりよい社会とは何かを考えることでもあります。

それと同時に、考えなければならないことが山積されていることがこの本から読み取れるはず。見えにくいだけに、そのガイドが必要で、この本はその入口までのガイドは果たしてくれそうです。その先は皆が考えるこった。

そこまで見据えた時には、「踊ってはいけない」というタイトルの意味も理解できるはずです。風営法が規制しているのは踊らせる営業であって、一定の条件のもと、その営業は認められてもいます。また、営業ではない場で踊ることが禁じられているわけではない。その範囲では適切なタイトルではない。

しかし、法の正当性や意味を問うことがないまま、法の厳格化を求める社会では、法が絶対の基準となって、自立した判断で行動することができなくなる。すべては外部に委ねられる。踊らされることはできても、自ら踊ってはいけない社会の到来です。

なお、拙稿「ダンスはどう規制されてきたか」の参考資料リストはこちらに出してありますので、疑問のある方は元ネタにあたってください。