2009-08-15

書評『挑発するセクシュアリティ』

● 初出/現代性教育研究月報

志田哲之・関修編『挑発するセクシュアリティ』
石丸径一郎著『同性愛者における他者からの拒絶と受容』

これまで同性愛をめぐる学術研究というのは、同性愛/異性愛の二項対立を脱構築しようとするアイデンティティ懐疑の議論が多かった。しかしそうした思潮と、当事者の生活実感はかなり乖離していただろう。思弁的にアイデンティティを懐疑することが、ふつうの当事者には自分たちの生に何か意味のあるものを示しているようには感じられなかったのである。

が、時代はまた進み、そんな言説状況に新しい視点を加える論文も現れてきた。『挑発するセクシュアリティ―法・社会・思想へのアプローチ』に収録されている小倉康嗣「ゲイのエイジングというフィールドの問いかけ」と、金田智之「セクシュアリティ研究の困難」がそれだ。

前者はフーコーの言説を援用し、多様な「生の様式」を可能にするために、「ゲイという枠を再帰的(生成的)に活用しながら、“みんな”の生き方(人間存在のあり方、人間関係のあり方)を求め、展開していく」こともありうると主張している。エイジング研究をしている著者は、ゲイという枠を運命的に実体化してそれに規定されてしまうのではなく、かといってそれを解体することを目標とするのではなく、むしろ自分たちの生を豊かにするために再利用しようと言うのだ。

後者は、日本では同性愛者という層が不透明化、複雑化していて、一つの理念や志向ではとらえられないという現実認識の上で、「多層的なアイデンティティを生きるわたしたちにとって、一時的にせよ合意しうる社会とは何か、あるいは同意しうる社会的価値とは何か、アイデンティティ以前に考えなければならない社会的共通前提とは何か」といった問いに議論を転換すべしだとする。

金田は、これまでセクシュアリティの理論で用いられてきた権力や抵抗、アイデンティティといった概念はもはや必要でないと宣言し、同性愛者が社会との関係において自分自身の価値付けを再考しなければならないとする。小倉はギデンスに共感し、時代的な課題が「解放のポリティクス」から、「いかに生きるべきかを問う、自己実現をめぐる選択とライフスタイル(生き方)の政治」へ移行していることを示す。ともに、近代批判をすべく形而上学となっている感のあるセクシュアリティ論からの脱却を試みている。

こうした新たなパースペクティブに対して、石丸径一郎著『同性愛者における他者からの拒絶と受容―ダイアリー法と質問紙によるマルチメソッド・アプローチ (シリーズ・臨床心理学研究の最前線)』は、基礎的なデータを提出してくれるだろう。臨床心理学研究の質的調査と量的調査によって行われたこの研究は、日本の同性愛者たちがいまだ偏見や差別にさらされ、自尊感情が損なわれていることを浮き彫りにしている。また、一般に男性よりも女性のほうが同性愛者に対して肯定的で、レズビアンよりゲイのほうが受け入れ難く思われているという実態も示している。

その一方で本研究は、同性愛者たちが抑圧感を感じながらも日常をそれなりに肯定的で楽しく暮らしている現実も抽出していて、被差別集団=不幸で悲惨という「偏見」を相対化している。同性愛者としての自分と、それを隠さざるを得ない生活の二重性による抑圧。そして少数者の共同性への帰属によって生じる利得。その両方が考察されているからこそ、この本は日本の同性愛者のリアリティに迫っていると言える。