2022-05-20

ポット出版は映画『彼は早稲田で死んだ』の製作委員会に参加しました

昨年末に、樋田 毅さんによる『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』が、文藝春秋社から出版された。
この本は、第53回大宅壮一ノンフィクション賞を2022年5月12日に受賞。
今からちょうど50年前の11月に起こった、早稲田大学での川口大三郎さんが内ゲバでリンチの上に殺された事件を追ったノンフィクションだ。川口さんは当時2年生。

当時早稲田大学のいくつもの自治会の多数派だった革マル派が、対立党派の中核派の「スパイ」だとして、川口さんを捕まえて起こった事件だった。

著者の樋田さんは、一年後輩の1年生でおなじ文学部。
革マル派による、自治会支配が暴力的に行われていたという中でおこったこの事件に対して、樋田さんをはじめ、他の党派・非党派の学生運動活動家や、ノンポリの学生までもが「革マル追放」の運動を起こした。樋田さん自身「再建自治会(革マル派が主導権を握る自治会に替わって学生の再選挙などをとおして新たな自治会をつくろうとしたもの)」の委員長に選出されるほどに、この活動に取り組んだが、革マル派に襲われて骨折などの重傷をおわされて、最終的にはこの運動は「敗れ」る。
のちに樋田さんは、朝日新聞の記者になり、定年退職後、この本を執筆。

「革マル追放」をともに目指した仲間(樋田さん同じように非暴力の運動をめざした仲間、武力で革マル派に対抗しようという人まで)や、川口くんを殺した側の当時の革マル派の活動家にもインタビューをして、このノンフィクションを書いた。

一方、『三里塚に生きる』『三里塚のイカロス』『彼が死んだあとで』という、半世紀後からみた新左翼運動のドキュメンタリー映画を作った代島治彦さん。

この二人の出会いから、新左翼運動の<負>の内ゲバの、そのまた一つのエポックな事件だった川口さん事件を中心にした映画製作が始まった。

僕は、1971年に高校入学。69年東大安田講堂事件あたりから後退期はいっていった、当時の全共闘運動や新左翼運動に「遅れて」ヘルメットを被りはじめた。
72年の川口さん事件当時の早稲田大学にもでかけていったことがあった。
その後、20代を新左翼的な労働組合運動・労働運動で過ごしたけれど、スターリン主義(運動や国家権力の独裁化)はマルクス主義や社会主義・共産主義では克服することができない、と思うようになって自称「左翼」を完全にやめることにして転職もした。
しかし、この時代に自分が考えていた「理想(=正義)」とは何だったのか、どう間違えていたのかを、自分なりに考え続けてきたつもりだし、少なくとも「何があったのか」という記録や証言は残しておきたいと思い続けていた。

今となっては「正義」というまとまったワンセットになったものはなく、より良いと思う選択を、精一杯、人々が積み重ねて行く以外に、より良い社会を作る道はない、としか言いようがないと思っている。
特に、たまたま自分が出会ったにすぎない思想を「正義」と思い込んで、それに同調しない人を「変革」するって思うことに誤りの根本があって、そこから暴力の正当化がはじまったと考えいる。
また、自分たちが間違うのは当然で、間違わないようにするのではなくて、間違ったら修正できること、誤ってもそれをみずから認めることのほうがとても必要だとも思っている。

去年、代島治彦監督の『彼が死んだあとで』を映画館で見た。
監督の前作の『三里塚のイカロス』も見ていて、あの時代をくぐった人たちが、今あの時代を語っておくこと、それを記録しておくことの大切さをつよく感じて、同世代(高校生のときに新左翼の運動にハマった)の同じような新左翼運動の端っこで「活動」していた友人たちと、代島監督を招いて「合評会」という小さな集まりをひらいて、少しばかり感想を話し合った。
この縁から、今回、代島監督のスコブル工房とポット出版で製作委員会を作って、川口さん事件の映画化をすることになった。

現在、撮影はすすみ、映画中劇(鴻上尚史さんの作・演出による短い劇)の製作準備にとりんでいる。
そして、最大の課題の資金集めが待っている。

新左翼運動を問う「三部作」をつくった代島治彦監督、
大宅壮一ノンフィクション賞受賞の樋口毅さん、
演劇界のもはや重鎮とも言える鴻上尚史さん、
大友良英さんという、フリージャズ、「あまちゃん」のテーマソング作曲者
新左翼運動の時代背景の助言者として池上彰さん
という豪華なメンバーと一緒に、この映画製作の一翼を担えるなんて、ポット出版にとってはとても嬉しい企画になった。

みなさんのご協力を、おねがいします。
映画『彼は早稲田で死んだ』製作委員会のサイトぜひみてください。