投稿者「ポット出版」のアーカイブ

庄野真代、支えあう社会を奏でたい

「飛んでイスタンブール」の大ヒットで、その名を知られるようになった庄野真代。
来年で、歌手生活35周年を迎える庄野真代には、もう一つの素顔がある。
それは、10年前から続けているボランティアだ。

その名は、「国境なき楽団」。
病院や施設にいる人たちに音楽を届ける訪問コンサートをはじめ、家庭で眠っている楽器を途上国の子どもたちに届ける活動、9・11をきっかけにニューヨークで始まった「セプテンバーコンサート」の日本主催者など、音楽を通したボランティア活動を続けている。

ヒット曲に恵まれ、歌手として波にのっている真っ最中に、突然休業宣言をして世界一周の旅に出かけた25歳のときから、やりたいこと、自分にできることを一つずつ実現させてきた庄野真代の生き方と、「国境なき楽団」の取り組みについて綴った一冊。

『昭和ストリップ紀行』予約を開始しました

2010年6月17日刊行予定の近刊『昭和ストリップ紀行』(坂田哲彦編著)の予約受付を開始しました。

歴史の幕間からこぼれ落ちたエロスの記憶がここにある。

昭和40年代には全国に300軒以上あったストリップ劇場も、いまでは50軒足らずに減少した。
とくに温泉場のストリップ劇場は、専属の踊り子さんが年をとって引退したり、観光客が足を向けなくなったりし、その灯火が消えつつある。
鳥取県三朝町のヌードニューラッキー、静岡県伊東市のピンク座、山形県上山市の葉山劇場など、地方の温泉場にある昭和の面影残るストリップ劇場の記録を、写真と紀行文でつづる。
ほかに、風俗ライター広岡敬一氏によるストリップ初期の写真、「ストリップ専門」フォトグラファー原芳市氏による「ストリップの記憶」も収録。

目次など、詳細はこちらをご覧ください。

ご予約希望の方は本が出来次第、送料無料でお送りします(代引の場合は代引手数料300円[代金1万円以下]のみご負担いただきます)。

本のタイトル/冊数/お名前/郵便番号/住所/電話番号/メールアドレス/お支払い方法(郵便振替または代引がご利用できます)をお書きのうえ、こちらへメールをお送りください。折り返しご確認のメールを差しあげます。

また、Amazonでも予約を受付中です。

昭和ストリップ紀行


編著●坂田哲彦
定価●1,800円+税
ISBN978-4-7808-0145-3 C0073
A5判 / 144ページ /並製
[2010年06月17日刊行予定]

内容紹介や目次など、詳細はこちらをご覧ください。

いただいた本●電子書籍の基本からカラクリまでわかる本

洋泉社の依田さんからいただきました。

書名●電子書籍の基本からカラクリまでわかる本
定価●1,200円+税
2010年5月26日発行
A5判/並製/224頁
ISBN978-4-86248-570-0 C9430

●全国の書店で購入できます。
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●版元による紹介
キンドル(Amazon)vs iPad(アップル)
激変する電子書籍市場!
出版の姿はどう変わっていくのか
新しい電子出版ビジネスの基本からカラクリまで徹底検証!
電子書籍の価格はどう決まる ?
電子版の著者印税はどうなる?
プラットホームはどこが握る?
書店はどうなる?
出版社はどうなる?
印刷所はどうなる?
雑誌はどうなる?
音楽配信との共通点と相違点とは?
「出版のプロ」に求められる変化とは?

●目次
対談 小飼弾×池田信夫 電子書籍が切り拓く未来とは?
PART1 出版に変革をもたらすiPad&キンドル
PART2 電子出版ビジネスが日本でもいよいよ本格化する
PART3 在米ジャーナリストによる米電子書籍事情最新レポート
PART4 電子出版ビジネスAtoZ
PART5 電子書籍が変える本をめぐる常識

いただいた本●のれん越しに笑顔がのぞく──勝山-暮らしから始まるまちづくり&〈粘着〉の技術─カモ井加工紙の87年

吉備人出版の山川さんからいただきました。

福武教育文化叢書3
書名●のれん越しに笑顔がのぞく
副書名●勝山-暮らしから始まるまちづくり
著者●NPO勝山・町並み委員会、辻均一郎、加納容子、行藤公典
定価●1,600円+税
2010年5月28日発行
A5判/並製/132頁
ISBN978-4-86069-259-9 C0095

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●版元による紹介
のれん、お雛まつり、喧嘩だんじり…ここで楽しく生きるための方法を考え、実行するーそれが勝山のまちづくり。
四半世紀近くにわたってまちづくりを担い、楽しみながら先頭を走ってきた人たちのにその術を探ってみた。
「美しいまちなみ大賞」(国土交通省・2009)を受賞した岡山・勝山のまちづくりの秘密を探る。

●目次
はじめに
第1章 原点
勝山の造り酒屋に生まれて
わが“まち”を意識した少年時代
この家を、このまちを大事にしたい
もともと古いものが好き
新しもの好きの先代と新旧逆転の葛藤
芸の道に憧れた大学時代
帰郷後いきなり経営危機に
まちづくりのスタートライン
シンプルに楽しいことをしたかった
第2章 のれん
染織家をはぐくんだ家と町
機織りとの出合い
帰郷、小売りをしながら機を織る
偶然の出合いが生んだアイデア
一枚ののれんから始まったまちづくり
応援する会の誕生とのれんの広がり
町に住んでいる者が町のことをする
二十年を経て工房がオープン
とにかく楽しい町にしよう
のれんの発進力と町の人のアップ
本当は勝山に帰りたくなかった
この家と町を愛し守っていく
のれんが導いた「美しいまちなみ大賞」
第3章 お雛まつり
ここにはお雛が似合う
一番最初は十軒足らずから
驚きと自信、やってよかった!
女も男も地域の人たちが元気に
自分たちが楽しめない
町を愛するリピーターを増やそう
活動拠点「顆山亭」の整備
蕎麦を打ち観光客らをもてなす
メンバーが日常的に集まる場
だんじりから生まれるまちづくりの原動力
普段の暮らしに生きる地域のつながり
すべてが生活の延長で自然な広がり
地域の人が喜ぶことを
自分たちのことは自分たちで
第4章 21世紀の真庭塾
“行政は敵”から“住民参加の行政”へ
衝撃を受けた長野県小布施町の景観
センター落成を機に変化した行政と住民の関係
「21世紀の真庭塾」の誕生
真庭塾で見えてきたこと
木材産業を生かした地域振興
木質バイオマスを利用した真庭をPR
産業と町並みはまちづくりの両輪
真庭塾と応援する会、まちづくりの到達点
第5章 文化往来館ひしお
ひしお誕生~醤油蔵プロジェクトのスタート
勝山・町並み委員会の発足
運営は民間で!NPOとなり指定管理者に
応援する会と町並み委員会
情報発信する場所としてのひしお
ひしおが生み出す文化交流
時間をかけて起こる化学反応
若い世代が帰ってくるまち
まちづくりは人がすべて

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おかやまビジネスライブラリー1
書名●〈粘着〉の技術
副書名●カモ井加工紙の87年
編者●「粘着の技術」編集委員会
定価●1,500円+税
2010年5月28日発行
A5判/並製/142頁
ISBN978-4-86069-253-7 C0095

●全国の書店で購入できます。
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●版元による紹介
1923年(大正12年)、カモ井のハイトリ紙製造所として創業し、2010年に創業87周年を迎えたカモ井加工紙株式会社は、ハイトリ紙からスタートし、和紙を使ったマスキングテープ、そして空前のヒット商品といわれるおしゃれな「mt」を生みだしました。その「mt」は、2007年日本グッドデザイン賞を受賞し、今ヨーロッパでブームを巻き起こしつつあります。
「粘着」の技術に特化した同社の歴史は、研究開発から商品づくり、営業、PR活動のいずれをとってもとても興味深いものがあります

●目次
Part1 History  すべてはハイトリ紙から始まった
… 1 ハエ取りではなく、ハイトリ
… 2 海外に目を向け、アジア市場を席巻
… 3 ハイトリ紙の危機
… 4 復活! カモ井の殺虫四大商品がラインアップ
… 5 和紙粘着テープの誕生
… 6 リボンハイトリの輸出市場を取り戻せ
… 7 カモ井の粘着新時代
… 8 ヨーロッパが注目するエコ商品

Part2 People  人が会社をつくり会社が人をつくる
… 1 歴史をつなぐ経営者たち
… 2 「程」の心
… 3 タイカモイは泥棒会社?!
… 4 受け継がれる安全哲学のDNA
… 5 カモ井の新時代をつくる開発者

Part3 PR & Adds  資料室から見えてくる遊び心の遺伝子
… 1 ミヤコ蝶々46歳、笑福亭鶴瓶26歳
… 2 ネーミングは言葉遊び
… 3 ねずみ男がネズミをキャッチ
… 4 商品名を品番から愛称へ
… 5 今年ももらえるKAMOIの龍(ドラ)ジャン

Part4 Technology  かたちを変え進化を続ける粘着技術
… 1 化学薬品ゼロの粘着力
… 2 車両塗装に医療用の絆創膏を代用
… 3 よく付き、きれいにはがせるマスキングテープ
… 4 天然ゴム系粘着剤と高速多層コーティング
… 5 未来に向けた新商品と新素材

Part5 Challenge  マスキングテープの新たな挑戦
… 1 きっかけは1通のメール、そして3人との出会い
… 2 作業用品のマスキングテープから雑貨「mt」へ
… 3 mt未来予想図
… mtギャラリー

Part6 Future  「革新の連続性」がカモ井のDNA
… 代表取締役社長・鴨井尚志 氏インタビュー
… カモ井加工紙のあゆみ

いただいた本●耳で読む読書の世界─音訳者とともに

書名●耳で読む読書の世界
副書名●音訳者とともに
著者●二村 晃
定価●1,500円+税
2010年5月28日発行
四六判/並製/170頁
ISBN978-4-86249-124-4 C0095

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●版元による紹介
本を黙読している限りは気づかない、声に出して読み、耳だけで読んで初めて気づく数々の問題。
視力を失い、耳で読み続けて25年の著者が出合った、読み手と聞き手の難所あれこれ。全57編。
◉社会福祉法人 日本ライトハウス・全国音訳ボランティアネットワーク 推薦図書。

●目次
 一歩一歩、「難所」を乗り越えて  林 曠子(NHK文化センター音訳ボランティア養成講座講師) 
 知る権利としての読書  岩井和彦(日本ライトハウス常務理事・全国視覚障害者情報提供施設協会理事長)
 はしがきに代えて—陽はまた昇った

第一章 初めて声を出して読む人に 
 大阪弁のアクセントーー第二母音に強勢音
 知らない漢字に出合ったら1—音と訓を熟語にして説明
 知らない漢字に出合ったら2—部首名で説明
 知らない漢字に出合ったら3—漢字に含まれた発音記号に着目
 知らない漢字に出合ったら4—和尚読み・唐人読み・百姓読み
 思い込み違いの怖さ1—清水次郎長一家のお馬さん、熊さん
 思い込み違いの怖さ2—塾語の大半は音同士だが……
 思い込み違いの怖さ3—つきない悩み、澄むか濁るか
 漢字の読みこぼれ1—おかしな読みは、うっかりミスから
 漢字の読みこぼれ2—前後の事情で変わる読み
 気になる読み方1—「ぼやかし読み」「まやかし読み」 
 気になる読み方2—「チョウ」か「ジュウ」か

第二章 何を読まされるやら
 ニュースの読みに強くなろう1—地名篇
 ニュースの読みに強くなろう2—人名篇
 アルファベットとカタカナ名前—分割するコツ    
 記号をどう読む?—盲人用ワープロではこんな表現 
 息継ぎのタイミング—ベンケイガナ ギナタヲモチテ
 ポルノ描写に出合ったら—読めないときは、はっきり断る

第三章 あなたの読みが理解されているか
 漢字の同音衝突と同音回避1—文字の説明を付け加える 
 漢字の同音衝突と同音回避2—さりげなく注釈を
 漢字をどう伝えますか1—巧みな表現アイデアで
 漢字をどう伝えますか2—意味の伝達にウエイト
 漢字をどう伝えますか3—固有名詞が最大の難物 
 漢字をどう伝えますか4—力士名は、旧漢字、片仮名、平仮名の別を
 タイミングのいい注釈—流れを止めず置いてけぼりにせず
 対面朗読とリクエスト朗読—耳で読む読書の両輪
 音声訳か、朗読か1—いろいろな読みに接するのも楽しみ   
 音声訳か、朗読か2—珠玉の朗読テープ

第四章 新しいジャンルにも挑戦を
 専門用語にも目配りを1—機会を捉えて慣れておこう
 専門用語にも目配りを2—専門外でも敬遠せずに
 数字にも強くなっておこう—誤り易いコンマと読点 
 古来の言葉や漢字にも目配りを1—野棄の矢ン八
 古来の言葉や漢字にも目配りを2—干支の読み方のルール
 古来の言葉や漢字にも目配りを3—旧漢字も恐れずに
 読んでいて吹き出したら—一緒に笑って、一緒に怒る
 写真や漫画をどう伝えますか1—場面を詳細に描写する練習から
 写真や漫画をどう伝えますか2—映画シナリオを読むように

第五章 慣れて来ると起こしがちなミス
 二十一世紀には残したくない誤読ワーストテン
 慣用語の読みこぼれについて1—マタヒキ姿の粋な江戸職人
 慣用語の読みこぼれについて2—二通りの読みが交錯
 イントネーションについて—内容のポイントを押さえる
 音読のスピード考1—利用者の好みのスピードに合わせて
 音読のスピード考2—標準は一分間で二百八十字程度 
 「ついで朗読」の提唱1—好きな本を読むついでに 
 「ついで朗読」の提唱2—お返しに「ついで校正」

第六章 漢字の森をどう歩く? 
 漢字ブームに思う1—キシャのキシャが、キシャでキシャ
 漢字ブームに思う2—漢字をそのまま伝えるか、意味で伝えるか
 漢字ブームに思う3—漢字の森を寄り添って歩いて  
 漢字の森の道案内1—抵抗感を与えずスムースに 
 漢字の森の道案内2—三文字熟語で同音異義語を回避
 漢字の森の道案内3—思いやり溢れる注釈   
 「まやかし読み」あれこれ1—慣用語句の見落とし
 「まやかし読み」あれこれ2—忖度不在の読みこぼれ 

第七章 耳で読む読書の歓びと哀しみ
 耳で読む哀しみ1—深刻な聞き違えの悩み 
 耳で読む哀しみ2—意訳し過ぎると文字がわからないときも
 耳で読む哀しみ3—読みこぼれで置いてけぼりに
 耳で読む読書の歓び—豊かな読書生活を満喫 

 あとがきに代えて—私の辿った道

『クズが世界を豊かにする─YouTubeから見るインターネット論』発売記念 松沢呉一×津田大介トークショー

YouTubeやTwitterを生み出したインターネットはメディアと情報交換の方法に根本的な変革をつくり出し、社会のありようを変えようとしていないか。一人の優れたジャーナリストより、百の凡人が世界を変える可能性を論じた著書=『クズが世界を豊かにする』の松沢呉一と、140字の「つぶやき」が世界を変える可能性を論じた『Twitter社会論』の津田大介が、インターネットと社会の変革、変化について語る。
(この対談は、2010年1月21日に「ブックファースト新宿店」で行なわれた「『クズが世界を豊かにする─YouTubeから見るインターネット論』発刊記念トークショー」で収録し、加筆修正したものです。この対談後、松沢氏はTwitterでの発言を開始しています @kureichi /各項末尾に付された松沢氏による追記は3月16日時点のものです)

プロフィール

松沢呉一(まつざわ・くれいち)
1958年生まれ。ライター。「スナイパーEVE」(ワイレア出版)「お尻倶楽部」(三和出版)などで連載するかたわら、有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」を毎月、原稿用紙換算で500枚から1000枚程度配信している。
著書に『クズが世界を豊かにする─YouTubeから見るインターネット論』『エロスの原風景─江戸時代〜昭和50年代後半のエロ出版史』(ともに2009年、ポット出版)、『風俗お作法─最後の5分で心をつかむ』(2008年、しょういん)など。6月4日より、有料ネットラジオ「らじこん」で、「世界の不思議」シリーズの配信がスタート(詳細はこちら)。
ブログ「黒子の部屋」
Twitterアカウント:@kureichi

津田大介(つだ・だいすけ)
1973年、東京生まれ。ITジャーナリスト。IT・著作権・ネットサービス・ネットカルチャーをフィールドに執筆。2006年〜2008年に文部科学省文化審議会著作権分科会の小委員会専門委員を務め、2007年「MiAU」(Movements for the Internet Active Users/「インターネット先進ユーザーの会」、2009年4月より「インターネットユーザー協会」に名称変更)を小寺信良氏とともに設立。
著書に『だからWinMXはやめられない』(2003年、インプレス)、『だれが「音楽」を殺すのか?』(2004年、翔泳社)、『CONTENT’S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ』(2007年、翔泳社、小寺信良氏との共著)、『Twitter社会論─新たなリアルタイム・ウェブの潮流』(2009年、洋泉社新書y)、『30分で達人になるツイッター』(2010年、青春出版社)など。
ブログ「音楽配信メモ」
Twitterアカウント:@tsuda

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●情報のまとめは誰が担っていくのか

司会 皆さん、今日は『クズが世界を豊かにする─YouTubeから見るインターネット論』発刊記念トークショーにご来場いただき、ありがとうございます。ポット出版の沢辺と申します。今日は僕が司会をさせてもらいます。
さっそくですが、『クズが世界を豊かにする』の松沢呉一さんと、『Twitter社会論』の津田大介さんに登場してもらいます。よろしくお願いします。

松沢 ライターの松沢と申します。今日はこんなに集まっていただき、ありがとうございます。

津田 津田と申します。『クズが世界を豊かにする』、面白く読ませていただきました。
ただ、気になったところはたくさんあるので、今日は僕が聞き手になり、松沢さんにがんがん質問していきたいと思います。よろしくお願いします。

司会 いきなりですが、津田さん、『クズが世界を豊かにする』を読んで、いかがでしたか?

津田 松沢さんがあとがきで「本書はYouTubeの本というよりも、YouTubeから見えてきたものについての本と言ったほうが正しいかもしれません」と書かれているように、この本は「YouTube論」ではなく、サブタイトルの「YouTubeから見るインターネット論」というのが本当に正しいなあ、と思います。
YouTubeの登場により今起きているメディアの変革や、ツールによって、どう我々の社会や既存メディア、出版ビジネス、が変わり始めているか、そして変わり始めている中でどんな混乱があるのか、という話が中心になっていますよね。
その中で、僕が今日すごく話したいなと思ったテーマが一つあります。
松沢さんは「クズみたいな一般の人たちのパワーによって、相当な量の情報が集まり、それまでは届けられていなかった報道がどんどんYouTubeやTwitterから出てきている。けれども、それだけがあっても見つけられる人は非常に少なく、それを見つけるためには誰かがその情報を加工し、まとめていかなくてはならないだろう」という問題意識を書かれています。
じゃあ、その情報の加工、まとめは誰が行なうのか、というのが、今日聞きたいテーマの一つです。
出版社や新聞社など、既存メディアの側にいたそういう情報の扱いに長けた人がまとめるのがいいのか。それともインターネットのなかで自動的にまとめが生成されるような、ある種のソーシャルブックマーク、フォークソノミーと言われているものがその役割を担うのか。
僕自身は、今の段階ではまだ編集のスキルを持った人がまとめたほうが、見やすいかたちになると思っています。
自動でまとめられたGoogleニュースを見ていると、かゆいところに手が届くようなニュース配信はできているようで、なかなかできていない。
『クズが世界を豊かにする』は豊富な事例をもとにネットが「こうなるだろう」ということが言い切られていて小気味いい本でしたが、情報のまとめを誰がやるのかという問題に関しては、松沢さんの中でも揺れているな、という印象を受けました。

松沢 結論を言えば、誰がやるのか、わからない(笑)。

津田 「わからない」っていうのが現時点では正解ですよね。

松沢 実際わからないです。システムでケアできる部分はすでに出てきているけど、津田さんが言ったように、それで十分かというと、とても十分ではなく、当面、我々は既存のメディアや既存の方法に相変わらず頼らざるを得ない。この先どうなるかについても、本当にまだ誰も分からないとしか言いようがない。
仮想のシミュレーションは何通りかできて、それはそれで面白いのですが、最後の最後まで、「人間はいなくていい」とはならないと思います。
取材するという作業も、情報を集めるという作業も、選別するという作業も、発信するという作業も、それぞれにおいて人は最後まで必要とされるでしょう。単なる管理人に過ぎないとしても。
今日のトークショーを根底から覆すかもしれないけど、この本を出して以来、「パソコンを閉じよう」と俺は思っていて(笑)、最近は外ばかり行っています。
特にここしばらくは新宿という街を改めて調べていて、今日も昼間からずっと新宿四丁目から千駄ヶ谷まで数時間歩き回っていました。
ずっとそういう作業をやっていて、結局、足を使って調べる作業は誰かがやらなくてはいけないんだと改めて思う。実際、今調べていることはインターネットにも出ていないから、自分にとっても、すごく面白い作業で、YouTubeを観ているだけでは得られない快がある。
でも、それを何用に調べているかと言うと、インターネットなんですよ。たいした金にならないにしても、商業誌ではできないことがインターネットではできるという現実もある。
『クズが世界を豊かにする』にも書きましたが、既存メディアかインターネットか、リアルかバーチャルか、と二者択一になってしまう人がよくいますが、そもそも、二者択一をする必要はない。インターネットだから、取材をしなくていいわけでもないし、紙媒体だから、完全な取材ができているわけでもないのだし。

津田 そうですね。

松沢 それと同じで、今からどうなるか、今からどっちなのかを決めておく必要はない。当面はいいとこ取りをして、あとは「なるようになるさ」としか言いようがないと思います。

●140字という文字数と、リアルタイム性

松沢 実は今日は、こっちから津田さんに聞きたいこともたくさんあるんですよ。俺はインターネットをこれだけ愛していても、実のところ、よくわかっていないところがたくさんあるので。
とくに謎なのは、Twitterのことなんだけど、自分にとって、インターネットが出てきていちばん大きかったのは、文字数の制限がないことなんです。それまでは、書きたいことが2000字あるのに、商業誌では「1000字で書いてくれ」と言われることのストレスがものすごくて、そこから解放されたのが大きかった。
それなのに、「なんでまた文字制限(※Twitterでは一度のつぶやきに書き込める文字は140字まで)しているんだお前ら」というのがあります。そのストレスはないんですか?

津田 僕はそこに関してはいろいろなプロセスを経てきています。
僕は紙媒体のライターからスタートしたのですが、紙には文字制限があるじゃないですか。
書きたいことを全部書いたら2000字だ、でも、これを1600字におさめなきゃと、ニュアンスを残しながら削っていき、結果的に文章がソリッドになっていく、というプロセスがあった。
一方でウェブ媒体の原稿やブログで書いたときの、「こんなに書きたいことを全部詰め込めるんだ。これは新しい快楽だな」みたいなプロセスも経てきて、最近はどちらかというと、インターネットでの書き物が多くなっていきました。
ダラっと書ける環境がデフォルトになりつつあるなかで2007年4月にTwitterを始めました。でも、実際に書いてみると140字って少なすぎて何も書けないですよね。ちょっとでも複雑なことを書こうとしたらすぐに200とか、250文字くらいになってしまう。
で、僕はこの言いたいこと全部を140字の中に入れようと思っていろんな表現を駆使して、ギリギリに詰め込むようになっていったんですよ。その感じが昔、紙に書いていたあの「圧縮感」に近いな、と思ったんですね。ネットに懐かしい原点回帰的な感覚がもたらされたと思いました。

松沢 140文字のよさは懐かしさだったんですか。

津田 ちょっとノスタルジックなところも含めて、140字の中におさめるという作業がいいな、と思ったんです。

松沢 俺はそこにはいまだに抵抗があります。「プロフィールだって200字くらいはあるだろ」みたいな感覚がある(笑)。140文字で書ける気がしない。
もう一点の抵抗が、Twitterの最大の特性と言えるリアルタイム、「今」という時間軸です。これが苦手なんです。
というのは、たとえばブログを書いていても、メルマガを書いていても、たった今の話や今日のことを書くのがすごく苦手で、書くまでに3日くらいあけたりする。また、3日前のことを書くのに、わざわざ3日前という表記をせずに、「先日」と書いてしまう。ネットで書いている俺の文章はやたらと「先日」で始まる(笑)。何故かと言うと、3日前に何をやっていたかを人に知られるのがイヤだから。
プライバシーどうこうという以前の、言葉にしにくい、もっと生理的な嫌悪感がある。みんなが自分の行動を知っていることがすごくイヤなんです。

津田 プライベートな部分が人に知られることに対しての素朴な恐怖感、ですか。

松沢 簡単に言えばそうですね。そうすることで、泥棒に入られるとか、何か悪いことをした時に警察に捕まるとか、ストーカーされるとか、そういう具体的な理由があるわけではなくて、もっとあいまいなものです。
今日みたいな場は誰もが知っていることであって、言ってみれば私の「公」の活動なので、平気で「今日こういう事があります」「昨日こういう事がありました」と書けますが、「昨日ここで友だちと飯を食った」というときには、わざと時制を「先週」と書いたり、友だちの名前を伏せたり、店の場所や名前を伏せたりする。
相手のことを考えてのことではなくて、自分のことなんですよね。メシまでは知られたくない。津田さんはTwitterやるときそういう抵抗はないんですか?

津田 それは接し方や、インターネットの原体験の話も関係すると思います。
僕が最初にインターネットに触ったのは、94年か95年ぐらいでした。ブラウザが出るか出ないかぐらいのタイミングでビースティボーイズのページを見て「これはすごい、個人がメディアを作れるんだ」と思いました。
やっぱり、更新したらすぐにそれが見られるっていうのはすごい、という、割と原理的なところからスタートしてるから、抵抗がないんだと思います。

松沢 そこは俺もあります。更新した直後に誰かがコメントをつけてくれるとか、すぐさまリンクをしてくれるというスピードの面白さはありますが、そのときに「今日、誰と飯を食った」って書けますか?

津田 僕は書いています。

松沢 それが俺はできない。書けるところと書けないところの線引きでわかりやすいのは、たとえば「デート」って俺は照れくさくて書きにくい(笑)。過去のことでも書きにくい。浮気しているからバレたくないとか、そういうことじゃなくても晒したくない。エロライターだからエロは晒しても、デートは晒せない。それでも全部平気ですか?

津田 いや、全部は書いていないです。職業上知り得た機密事項とか、明らかに表に出しちゃいけないことも多いですし。晒しても面白くなりそうな、話題が広がりそうなものだけを晒している、という部分はありますね。

松沢 俺は自分では情報を伏せつつ、人のプライバシーを探るのは大好きなんですよ。(笑)。
mixiで、ある特定の人物をランダムに選び出し、その人がどこに住んでいて、何の仕事をしているかを足跡残しつつ探って、その人の履歴書を作るのが趣味(笑)。

津田 パズルみたいな感じがありますよね。

松沢 それでどうかしてやろうという気持ちはなくて、まさに時間潰しのパズルです。本人は隠していても、周りの友達が出身高校のコミュニティーに入っていたりするので、そこから埋めていくと、だいたいわかります。

津田 わかりますわかります(笑)。

松沢 そういうのが好きなだけに、自分は絶対にやられたくないので、mixiでは、年齢も99歳の女性にしています(笑)。名前はそのまま出しているので、意味ないですが(笑)。
意味がなくてもいいので、全部を知られるのがすごくイヤで、どっかにウソを入れておいたり、どっかに伏せておく部分を残しておきたい。Twitterでは、それができにくい感覚があります。
みんなそういうところへの抵抗感はないんですかね。あるいは世代差かな。

津田 世代差ももちろんあるだろうし、たぶん、それはオフ会に行ける人と行けない人、知らない人と初めて会うのにちょっと抵抗感がある人とない人みたいな、根本的なコミュニケーションのスタンスがオープンなのか、クローズなのか、という違いがあるんじゃないかな。

司会 ちなみに、津田さんはどちらなんでしょう?

津田 僕は超オフ会行きますよ。
ネット上で僕の悪口を書いていた人とメールでやりとりして、飲みに行ったら仲良くなったみたいな経験も結構ありますね。

松沢 こう見えて俺は閉鎖的な性格らしいとだんだんわかってきました(笑)。

松沢追記:このイベントを契機に、すでにTwitterのヘヴィーユーザーになっている私からすると、「このときの俺は何を言っているのかな」と思わないではいられない。

文字数がなければ書けないことはある。しかし、それは他でやればいいこと。Twitterだけでやろうとすると苦しくなるだけ。長文をまとめる際のきっかけや検証としてもTwitterは利用できる。また、140文字で足りなければ2回つぶやけばいい。それでも足りなければ3回。140字の制限は、言ってみれば「一段落の文字制限」にしか過ぎない。

個人の晒したくない情報はTwitterで出さないことは可能。これはブログやメルマガとなんら変わりない。「今」を共有することに意味はあるが、「今やっていること」ではなく、「今考えていること」を出せばいいだけ。それを超えてしまいやすくはあるが、おおむねコントロールできる範囲。

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●「誰」に向けて書くのか

松沢 新聞であれ、雑誌であれ、ミニコミであれそうなんですが、長い間、不特定多数に向けての文章しか書いていなかった。
ところが、mixiでは、不特定多数に向けて書いているはずなのに、友達が「やあやあ」ってくる。全然知らない人たちも「やあやあ」って馴れ馴れしくやってくる。
あのズレが耐えられない。不特定多数と、現実の世界でも親しい人と、現実の世界では親しくないのに親しく寄ってくる人と、いったいどこに向けて書いたらいいのか分からなくて、船酔いみたいな状態になる。
結局、今mixiはほとんどやっていません。
「てぃんくるSNS」という風俗求人誌のSNSでは、2、3日に一度更新していますが、そこでも普通の原稿とまったく同じに不特定多数に向けないと書けない。
俺はメール、つまりと隣近所や友人知人に向けての文章と、不特定多数に向けた文章、その二つしかない。SNSって、その間の領域があるじゃないですか。しかも、同じページにそれらが同時に存在している。

津田 そうですね。

松沢 うまくその三つの視点をコントロールできなくて、ブログと同じようにしかSNSを使えないことがわかりました。そこがそもそもSNSに向いていない。
Twitterがダメ、というのはそこにも理由があります。誰に向けていいのかわからない。

津田 僕もそういう悩みは経てきています。
商業原稿を書いていると、「mixiに日記を書く意味はなんなんだろう」とか思いますよね。僕の場合、mixiは最初、マイミクには本当にリアルな友達しかいなかったので、友達に対しての近況報告、メーリングリストの延長で書いていました。
それでコミュニケーションが楽しくなっていくと、仕事に関して思っていることや、こんな事があったよ、ということも書くんですけど、そういうときに、事情が分かっている、リテラシーの高い人しかいなければ、商業原稿ではぼかすような強い表現、たとえば「あいつらはバカ」とか書いても、そこから炎上することもありませんよね。
だから僕は全体公開ではなくて、友達にのみ公開、にしていました。全体公開でやる意味を感じなかったんです。全体公開でやるくらいだったら、ブログや商業原稿で書けばいい、と思っていたので、あえてmixiはmixiの特性、友達にしか伝わらないものを友達に書くような文脈で書こう、と。
でも、長いことmixiやってるとまったく知らない人からマイミク申請が来るわけです。最初は断わっていたのですが、いっぱい来るようになると断わるのも面倒くさくなっていき、知らない人や会ったこともない人もマイミクにせざるを得ない。それで徐々に尖ったものが書きづらくなってきてmixiの更新頻度が下がったんですよね。そんなタイミングでTwitterが出てきたんですよ。

松沢 なるほど。mixiのマイミクは、手続きを経る分、把握しやすいので、その期待に沿おうとすると、先細りになってきますよね。それがよさでもあるんだろうけど、だんだん息苦しくなる。

津田 Twitterも最初はつぶやきを非公開でやっていたんですけど、最初は友達だけだったのが、知らない人からリクエストが来た。そうするとmixiと同じ目に遭うな、と。
だったら、これはもうオープンにしよう、オープンにしないと意味がないと思い、書いたことは全員から見られるということがわかった上で書こう、と始めたのが2007年の5月ぐらいです。そのあたりはけっこう悩みながらやっていました。

松沢 それは一般の雑誌などに書くときの不特定多数向けのモードとは、また違ったモードで書いているわけですよね。

津田 そうです。

松沢 それは新たに作ったんですか? 知り合い向けに書く文章とは、また違うんですよね。

津田 僕の場合、それは最初にブログでやっていたんです。ブログは商業原稿とは明らかに違う文体で「俺が」という一人称で書いていました。

松沢 mixiで最初に迷うのが「一人称をどうするか」なんですよね。
知り合いの前では「俺」とやっていて、不特定多数に向けて原稿を書くときは「私」とやっている。メールだと「僕」になったりもする。「はて、mixiはどれで書いたらいいか」と迷うという話は知り合いのライターの間でも話題になったことがありました。まさにそれが視点が定まらないってことを象徴している。

津田 僕の一人称の感覚について言うと、好きなことを書きたいと思ってブログを始めたので、商業原稿と同じ書き方をしてもしょうがないなと思ったんです。
最初、2002年にブログ(「音楽配信メモ」)を始めたときは、長い文章を書くのではなく、いろんなニュースをクリッピングしてそれに対して、今のTwitterみたいな短いコメントをつけていたんです。そういうものからスタートし、どんどん長文を書くようになっていったので、自然と「俺」からスタートする文章になっていきました。
また、お金にならない文章だし、完璧主義的にやってしまうとコストが見合わなくなるから誤字とか脱字とか気にしないで推敲もしなくていいや、というスタンスでやっていたんです。その延長でmixiの日記も書けたし、Twitterも「俺」を中心に書くという基本的なスタンスは変わりませんね。

松沢 そこから始めた方が多分スムーズなんでしょうね。そこに世代差は感じますか? あるいは経験差というか。

津田 世代差ももちろんあると思いますが、プライドみたいなものもあるんじゃないかな……。「職業ライターがなに金にならない文章を書いているんだ」ということを言われることもありますが、そうはいっても、自分の書きたいテーマや興味の方向に合致した原稿を全部の媒体で書けるわけじゃないですよね。だったら、何か書きたいテーマがあるんなら自分のメディアを持って発信しちゃう方がいいじゃん、と。
まあ、そのパーソナルメディア感が僕には合っていたんでしょうね。
批判をされるのは仕方ないけれども、少なくとも変なことは書かないようにしようと思いながら、いろんな事を言い切る文体で書くとそれがネットで広がっていくんですよね。それを見たとき、「ああ、自分が書きたいテーマを多くの人に知ってもらうにはネットだな」って実感しました。
それを特に感じるようになったのは、2004年から2005年くらいです。
僕はそのとき著作権関係のことを多く書いていて、雑誌でもずっと連載をやっていたんですけど、5〜6万部発行している雑誌に書くのと、ネットに書くのと、どちらが反響があるかというと、圧倒的にネットなんですよ。3000〜4000字くらいで、硬い文体で、いろんなことを調べて書いていた雑誌の連載と、ダダダっとブログで書いたものと、どちらが多くの人に伝わっているのかと比較したとき、紙の本のかたちにまとめて出すというのも重要だけど、現状まだ届く層が違うし、届き方も違うので、ネットも紙の本も、どっちもやらなきゃな、と思っていたんです。
沢(現Twitterのヘヴィーユーザー)追記:ReplyやRTといった方法が定まっているため、SNSよりも相手を確定しやすく、それ以外は不特定多数モードで処理できる。この点ではmixiよりはるかにクリア。フォロワーとの関係もゆるいため、彼らを意識する必要はさほどなく、SNSよりずっと楽に不特定多数モードを維持できる。

●無料でも書く衝動がインターネットを支えている

松沢 そのときに、傾向として、年齢が高い方が抵抗感があると思いますが、年齢を問わず、単純に無料(タダ)っていうのがイヤという感覚をもっているライターは多いと思います。俺の中にも確実にある。他の仕事をしていたら別でしょうけど、自分の書くことには商品価値があると信じきって仕事をしているわけで、それとタダで書くことの整合性をどうとるかというのは永遠の課題だったりする。
俺が最初に津田さんの名前を知ったのは著作権のことについて書いていたときなんですが、「この人、なんでこんなにタダでやっているのかな」と思いました。あのときの勢いはすごかったじゃないですか。

津田 すごくひんぱんに更新していましたね。

松沢 あのとき、そういう迷いはなかったんですか? 「プロなのに」って。

津田 もちろん半分は迷う部分もありましたが、それでも「好きなものを自由に書きたい」という欲求の方が強かった。僕はそれまでずっと実用誌のライターで、インターネット雑誌にメールの使い方などを書くのを職業としていて、自分の名前を全面に出して書く、というライターではなかったんですよ。
もうひとつ、自分が書いていた雑誌が、2000年ころからガタガタ潰れていったというのも大きいですね。ブロードバンドが普及し、みんなGoogleで検索するようになったので、いちいち雑誌を見てURLを打ち込むバカなんていなくなったんです。
インターネット雑誌も15、6誌あったものが2、3誌に減ってしまい、これはもうこのままライターを続けていても、遠からず、というかすぐ食えなくなると思ったんです。

松沢 じゃあ、あのころはヒマだったと(笑)。

津田 ヒマだったというのもありますが、それ以上に「まだ余裕があるうちに新しいことをやらなくてはいけないな」って思ったんですよ。ある種自分の可能性を試すというか、少なくとも専門分野をつくって名前を売るために毎日ブログを続けるには、自分が興味があるジャンルでなくてはダメだな、と。そう思って毎日ニュースのクリッピングをしていました。
デジタル音楽や著作権の分野は、取材を重ねていると詳しくなるので、ある意味ブログが自分用の取材ノートのような感覚だったんです。それをネットで公開したら興味がある人にとっては有用な情報になるかな、というネットっぽい考え方もありました。

松沢 俺は俺で、金にならないことはインターネットが出て来る前からやっていて、そのときも金とはまったく関係のない衝動みたいなものはありました。
歳を取れば取るほど迷いは生じてはきますが、歳のせいというより、収入が減ったためだったりもする。そんなことをしている経済的な余裕がない。タダでやるというのはしばしば持ち出しになるわけで。それでも今なお金にならないことはやってますけど、「こんなことをしていていいのか」と葛藤しつつ、あまりにヒマでやっている(笑)。
津田さんがすごい勢いでブログを更新していたとき、俺は「これは、どう考えても金になるわけないな」と冷静に思っていて、それが見えるだけに、「この人、すごいな」と思っていた。
何のかんの言いながら、そういう衝動、カッコよく言えば正義感や使命感だったり、場合によっては自分が生かしてもらっていることの返済をするような義務感だったりもするんだけど、そういう衝動が世界を動かしているし、インターネットを支えていることもあるじゃないですか。先にそれがあって、インターネットが出てきたから世界が自動的に変わるはずがない。

津田 まったくそうです。

松沢 その衝動って、不思議と言えば不思議ですよね。だって、「世の中、金だ、金だ」と言いながら、これだけの人たちがインターネットで金にならないことをやっている。
『クズが世界を豊かにする』でも最後の方に書きましたが、金にも名誉にもならないのに一所懸命やる、というのが実は本当は一番大事なことで、それは本来商業誌であろうと、ミニコミであろうと、テレビであろうと、ブログであろうと、すべての根源にあるべきものです。

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●ブログで食えるか?

津田 そうですね。ピュアで青臭いんだけど、そういうネット原理主義的な考え方がいまだにネットを支えているとも思います。ただ、今後それを強くするにはもっとそれをマネタイズする仕組みが求められていくんでしょうね。
たとえばYouTubeだったら、Googleのアドセンスでfor videoという、動画に広告を自動挿入する仕組みがありますよね。最近アメリカだとYouTubeに動画をアップして、人気が出て何百万回も再生されれば、月に数十万の収入になっているんです。
日本でアドセンスで食うためには、2ちゃんの上手なまとめブログやアキバブログとか、相当なアクセス数のあるブログをやっていなくては無理なんですけど、ただ、これが月3万円くらい稼ぐレベルだったら相当な数がいます。

松沢 そうだよね。

津田 それで、今なにが起きているかというと、ちょうど一番注目されるのがインドネシアとか、タイとかベトナムとか、あのあたりで英語が出来る人の英語ブログなんですよね。月300ドルアドセンスで入ってくると、彼らは食っていける。そういう意味での新しい層が出来てきている。

松沢 うまくすれば、タイならそのうち家が建つかもしれない。

津田 アメリカではアドセンスの単価も高いので、多分月3万円というレベルではなく、もっと儲かるんですよね。
たとえば月間500万サイトビューのページだったとしたら、アメリカと日本のサイトの収入を比較すると、10倍くらい差があるんですよ。
日本のネット文化の特徴だと思うんですけど、他人が儲けるのを嫌う、そういう顕著な傾向があります。
アメリカ人にはブログを読んで、面白い記事でその下にアドセンスがあったら「ああ、面白かった」ってクリックする習慣があるんですよ。

松沢 自分の評価を自分の金で見積もる。

津田 ネットユーザーの投げ銭的な感覚で、別に本人は損しないからクリックする、というのが規範としてある程度定着しているらしいんです。それがあって向こうは食えているブロガーがいる。
でも、僕が一番ブログを更新していた時期って、金がなかったというと、そんなこともなかったんです。
ブログにアドセンスとアマゾンのアフィリエイトを貼り、更新をまめにして、アマゾンもちゃんとオススメのものを貼っていたら、両方合わせて月10万円くらいは入っていたんです。そのときは週に2、3回の更新だったので、これを毎日、ちゃんとしたコンテンツとしてやっていけば、月に2、30万くらいの収入は現実的に見られるな、と思いました。でも、そう思った時点で若干興味が薄れる部分もあったんです。

松沢 ああ、それはわかる。金になりそうになると、自分の衝動が別のものになってしまう。アフィリエイトにはどうしても抵抗がある。お金が大好きなので、ついついより稼ぐための文章を書いてしまいそう。だから、やらないようにしている。

津田 実際にやるとそれにけっこう縛られるな、という感覚が強かったんですね。僕はいろいろなものに興味があって、物書きだけじゃなくてなんでもやりたいほうなので、だったら「仕事がなくなっても、ブログを本気でやれば俺は稼げる」という精神的な保険になればいいや、と思った。それであんま金にはならないけど名前を売るために単行本を書いたり、友人たちとネットラジオをやったり、他のいろんな活動をしていました。

松沢 ライターの興味として聞きたいのですが、それ以降、ビジネスにどう繋がりましたか? あくまで結果としてついてくるものだとしても、そこをうまくもっていかないと、続かないですからね。人にもよるけど、正義とか使命とかって案外短命だったりする。

津田 少なくともこの分野の専門家だと思ったことは大きい。単行本の依頼や講演の依頼が来るようになりましたし、その延長で文化庁の文化審議会著作権分科会の委員に呼ばれたりもしました。

松沢 審議会の委員ってギャラはどれくらいなんですか?

津田 安いですよ。一回会議に出て一万円くらいしかもらえない。真剣にやろうとしたらまったく割りに合わない
やっぱり、書き手としての名前が売れるということが大きかったと思います。

松沢 狙っていたわけではないにせよ、インターネットってその機能がかなり大きいですよね。今までだったら何十万かかけてミニコミを出すしかなかったのが、正義や使命を果たすことがほとんど金をかけずにできる。売り出しをしようと思ったときにも、お金をかけずにできる。インターネットは「金が得られない道具」であると同時に「金をかけずにできる道具」でもある。
事実、津田さんにとっては著作権のことで、その契機を作り出したわけですよね。あれがなければ今はない。

津田 そう思います。自分でブログを始めなかったら、今のようにはなっていないし、多分ジャーナリストも名乗っていなかったと思います。
でも、もともとライターとかジャーナリスト志望ではあったので、さっきも言ったように、とにかく書く事を職業にすればそれが近道かなと思って、漫然と5年くらい実用系のライターをやっていたんですよ。

松沢 そのころストレスはありましたか?

津田 全然ないです。それはそれで楽しかったし、それなりに仕事もあったので。当時は忙しかったですね。忙しいからお金は入ってくるし、「まあこれでいいか」みたいな感じで、いわゆるライターとしてのアイデンティティを考えるヒマすらなかったです。

松沢 ないし、「とりあえず金が入ってくればまあいいか」となりがちですよね。

津田 でも、やっぱり、ブログをやっていったら、あきらかに仕事が滞るわけです。仕事が滞って減っていき、どんどん雑誌も潰れていったから、そういう意味では一番稼いでいたころと比べて年収は4分の1くらいになりました。

松沢 でも、そうなったが故に今があるわけですよね。

津田 そうですね。だから「今が業界の転換期だな」と思ってブログを始めたときに「自分のモードも転換しよう」という意識はとても強くあった。そのときにネットが僕を支えてくれたな、という意識はすごく持ってます。
『クズが世界を豊かにする』のテーマの一つだと思いますけど、僕はインターネットにいろんなものをもらったと思っているし、ギブアンドテイクなんだと思うんですよ。だから僕はインターネットに対しても無償でいろんなものを提供し返してきたつもりです。
アメリカだと今、それが経済理論に組み込まれつつあるみたいなんです。インターネットに対して、お金にならないようなものの評判をあげていくと、それがリアルの経済活動につながっていく、みたいな。それをテーマにした『ツイッターノミクス』(著 タラ・ハント/Tara Hunt2010年、文藝春秋 Twitterのアカウントは@twnomics)という解説を書かせてもらった本が出てます。

カナダのマーケッターだった人が、インターネット、ソーシャルメディア上での炎上や、いろんなものを繰り返しながらどうやって今に到るのか、とか、批判的なコメントが来たときの対応方法みたいなことが、細かく具体的に書かれていて、その本も面白いです。

●既存メディアは細分化、流動化していく

松沢 話は戻るんだけど、ジャーナリズムは今後どうなっていくのか。あるいは出版界という、金の動かす仕組みがどうなるかってことでもいいんだけど、既存メディアがあるから金を得ることができて、インターネットでやることの意味もある。
金にならないことをやることで既存メディアから金を得る、または既存メディアから金を得ているからタダで使命を果たせるという関係が今はまだ成立している。それが遠からず成立しなくなるかもしれない。
「わからない」という結論は出ていながらも、考えることもまた楽しかったりもする。
海外ではいくつかの動きがありますよね。日本以上に経営が困難になっているがために、新聞社はどう生き残るのかという議論も盛んになされている。
それが先行している国で、誰が今後情報をまとめて、ウラをとっていくのか、という未来について、具体的な話は聞いていますか?

津田 この前、早稲田で「ジャーナリズムの新しいかたち─非営利化するメディア と調査報道の可能性─」というシンポジウムがあり、取材に行きました。その中で衝撃だったのが、アメリカでは地域ジャーナリズムのようなものが、相当NPO(Non Profit Organization/民間非営利組織)におちてきている、という話です。向こうは寄付税制があるから、だいたい200万ドルくらい寄付があるらしく、NPOや大学が報道ジャーナリズムのNPOを作っていて、十数人のスタッフを雇い、調査報道をやっている。その話を聞くだに「日本では無理だな」と思いました。

松沢 新聞はここ10年でなくなると思っています。雑誌の半分以上もなくなるでしょう。ラジオやテレビも併合されて局が減るかもしれない。問題は、そのあと誰がその代わりをやっていくかですね。
今のネットニュースで出来る部分もあるだろうし、もしかしたらネットに配信することで、通信社が1社くらいは残れるかもしれない。
アメリカではNPOを作り、財団からの寄付や、もしくは一部税金が出る場合もあるみたいだけど、日本ではそれができないとなれば誰がやるのか。

津田 誰なんでしょう。ただ、新聞社のネット上での情報が全部有料化するのか、といったら、「有料になったら見ない」って人がほとんどな気がしますね。

松沢 見ないし、稼げる金が知れている。ある新聞社に勤めている人が1000人いるとして、そのうち100人くらいは生き残る収入は得られるかもしれないけど、100人では今の情報量を集められない。将来的にはインターネットが情報収集のかなりの部分を担っていって、新聞社はその情報の検証と選択だけをやっていくことになるかもしれず、それなら100人で済むかもしれない。

津田 新聞というメディアが社会に必要とされているのか、というところですね。
聞いて、へー、と思いながらなるほど、と思った話があります。
某新聞が、定期購読者に対して「ネットで無料でも見られるのに、なぜ新聞を買っているんですか?」と調査したことがあるんですけど、そのとき一番多かった購入理由は圧倒的に「なんとなく」だったそうなんです。

松沢 そうでしょうね。宅配を筆頭に。

津田 要するに、もう惰性なんです。新聞は「とる」というのが当たり前だったので、月に3000円払って毎日家に送られてくる、ということが当たり前の情報環境にいる人たちが、そのままなんとなくとっているだけ。
新聞記者の人たちはあまりにもショックで、「自分たちはインターネットなどの媒体に比べて情報の質も高く、ジャーナリズムをやっている、それが評価され、国民も求めているから成立しているんだ」と思っていたのだけれども、調査をしてそんなことはなかった、ということがわかった。

松沢 それでも、今までの信頼度はなおあることはあるから、それを理解する一部の人たちが今後も金は出すでしょうけど、アメリカのように、どこかの大金持ちがどーんとお金を出すのは日本では考えにくい。
宅配がその「なんとなく」を支えてきたから、日本は海外に比べて、落ち込み方がちょっと遅れているけど、世代が変わるたびに宅配は落ちていくわけだから、まあやっぱりあと十年だとは思います。でも、いざなくなっても、なんにも困らないんじゃないか、という予想もあります(笑)。

津田 ありますよね。でも、そうは言っても、メディアの中にいる進歩的な人で、やっぱり今起きていることを伝えたいという意志を持った人の中には、独立してやっていく人もいるだろうし、NPO的にボトムアップでやっていく人もいるかもしれない。
唯一言えるのは、記事を作るノウハウは今まで既存メディア、出版社、新聞社、テレビなどに囲い込まれていましたが、それがどんどん流動化するってことでしょう。
流動化して、意志のある人と、マネタイズするよ、という人がくっつけば、10人20人規模の面白い専門的なメディアは、5年後、10年後には成り立っているんじゃないか、という気がしています。

松沢 そうですね。情報を集めるツールとしては、いろいろなものがもうすでにあるし、新聞社の田舎のなんとか支局で一人でやっているような情報は、Twitterやブログである程度は集められるわけですからね。

津田 Twitterにしても、マネタイズは出来ないじゃんと言われればそうなんですが、Googleとの連携が始まっていて、もっと進んで、Twitterにアドセンスがつけば違うんじゃね?というのもあると思うんです。

司会 ポット出版の希望が開けるということですよね(笑)。3人でポット新聞社でも作りますか?

津田 松沢さんが新宿を歩いて。

松沢 でも、今俺がやっている小さなネタは、新聞社は取り上げないし、テレビも取り上げない。数万部程度の雑誌だって取りあげない。つまり、既存メディアが今まであらゆる情報を取りあげていたかのような言説はまったくの幻想であって、むしろインターネットの登場によってこそ、あらゆる情報が表に出るようになってきている。間違いを含みつつも。

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●衝動を支える環境を作る

津田 大体今、何日くらいかけて調べているんですか?

松沢 ここ一週間くらいかけています。特に今日は千駄ヶ谷五丁目でおばあちゃんをゲットして、千駄ヶ谷のラブホテル街がどこにあったのかを確定できたんです。昭和30年代の本によく千駄ヶ谷の連れ込み宿というのが出てくるんですが、それがどこなのか、ずっとわからないでいたんですよ。

津田 一週間取材して、それが幾らだったら、自分の中での精神的な損益分岐点を超えますか?

松沢 そもそも金ではないですよね。俺はなんでこんな事をしているのかというと、「てぃんくるSNS」で、週に一回日記を更新すればギャラをもらえる仕事をやっていて、1本当たりで換算すると、1万円を切るわけですよ。テーマに制限はないから、「今日はこんなメシを食った」でもいいんだけど、それはやりたくない。
だから、半分手を抜くつもり、半分は読物として成立させるつもりで「思い出話でも書こう」と新宿の思い出話を書いているうちにそうなってしまったんです。思い出話を書いていても面白くないわけですよ。そんな話は当事者の俺はとっくに知っているんだから。どうしても知らなかったことを調べたくなる。
つまり、ここですでにやらなくていいことをやっていて、もはやギャラじゃない。
たとえばこれが純然たるノーギャラであろうとも、やろうと思ってしまうことはやってしまう。
時給千円は欲しいなと思うけれども、全然お金にならなくても、どうしてもやってしまう。そういう体質の人たちが今までもライターっていうのをやっていたんだと思います。これからも、収入が減ってもなおやっていくでしょう。

津田 僕もそうですね。そうでなければ自分でブログはやらない。
たとえば音楽ライターの烏賀陽弘道さんがオリコンに訴えられたときは、僕は本当に怒っていたので、「ふざけるな」と思ってずっといろんなことを調べたし、「小池社長と話がしたい!」って広報に電話をかけて、オリコンの本社にも乗り込みました。それはもう、ある種の義憤ですよ。

松沢 それは取材ではなくて?

津田 違います。単に文句を言いに。結局社長は出てこなくて、取締役の人が対応してくれましたけど……。

松沢 そこなんですよ。そこは素直にすごいと思います。『クズが世界を豊かにする』で強調している意思の力ですよね。

津田 なにか突き動かされたものがあればそれはやらなくてはいけないし、伝えなければいけない。それが僕の中ではたまたま音楽、ネット、コンテンツ、著作権だった、という話ですね。

松沢 そういう衝動を持った人が、結果食える状態が理想だと思います。

津田 そうですね。それが一番いいし、多分YouTubeやTwitterはそのカケラを見せてくれている。
現状認識では、アメリカだとそれは一部実現できていて、それが日本の固定化したメディア状況にどこまでいくか、ですね。
産業構造、メディア人の意識、インターネットユーザーの金の払わなさっぷり、みたいなところまで考えると、なかなかそれを現実化していくのは難しくて、そこはみんなで日本でどう実現するのか考えなくてはいけない。
僕が思うのは、松沢さんみたいに一週間歩いて調べる、というのは、そういう話を聞くのは大好きなんですけど、僕は多分、自分がやる人間ではないんです。
僕が興味があるのは、書いたりフィールドワークする事よりもむしろ、環境作りなんでしょうね。松沢さんが歩いて出してきたみたいな、面白いコンテンツが定期的なコラムという枠ではなくて、自発的にちゃんとネットに伝わってちゃんとお金になっていくような、環境を作る方にものすごく興味があります。

松沢 俺もそういう興味はあるんだけど、本当のところは、街を歩くのが一番好きなんですよ。

津田 カストリ雑誌が一番好きって書かれていますしね。

松沢 そうですね。自分で調べるものでも、読むものでも、人がやっていないことが好きなので、本はこの瞬間誰も読んでいないものを読んでいたい。
人間っておかしなもので、金にならないことをやっている人たちも、自分の情熱の範囲ではないものは理解不能で「こいつらバカなんじゃないのか」と思うところがある(笑)。自分だって、さんざんやってきたくせに、津田さんのような人間を見ると、敬意を払いつつ、「金にもならないことをやって、こいつはバカなんじゃないか」と(笑)。
それは趣味の話でもそうで、仲がいいのでいうと、なべやかんみたいにビニールの怪獣を集めているやつの話を聞くたび、「こいつはバカじゃないかな」と思うんですが、向こうは俺のことを「バカじゃないかな、エロ本ばっかり集めて」とお互いに思い合っている(笑)。やっている衝動や行為はまったく一緒なんだけど、ジャンルが違うと、他人のことはなかなか理解できないものです。

津田 それが両立できて、併存されて、そこに対しての評価を下そうとするとアクセス数だけ、というある種残酷だけど公平な世界、というのがYouTubeにはありますよね。

松沢 そうですね。

松沢追記:「てぃんくるsns」は6月いっぱいで終了することが決定。ここで書いている新宿四丁目や千駄ヶ谷の話はメルマガに移動した。

●Twitterの特性

司会 Twitterに話を戻しましょう。

松沢 Twitterって、面白いことに、新宿二丁目のゲイの知り合いに聞くとものすごくやっている率が低いんです。
二丁目はブログも早くからやっている人が多いし、ネット浸透度は高いんですよ。mixiの浸透度も高いし、Face bookも高いのに、なぜかTwitter利用率は低い。登録している人たちはそれなりにいても、あまり活用されていない。
なぜかと考えると、インターネットがゲイの間で普及している理由の一つは出会い系なんですよ。職場や学校ではなかなか探せない相手を探す。という意味で言うと、Twitterは公開性が強すぎるというのがあります。
もうひとつは、他のものが浸透しすぎたせいで、そこでの人間関係を捨ててまで新しいものを求めていないのかなというのがあります。
また、プライベートを出すわけにはいかない人たちにとっては、一日何度も常に書き込んでいく作業はやっぱりハードルが高すぎるのかなとも思ったりする。自らバズルを埋めてしまうので。
Twitterに向くグループ、向かないグループ、というのは何か感じるところはありますか?

津田 たとえばゲイの人は、社会から迫害されている、というのがあったときに、コミュニティがあると結びつきが強くなりますよね。
でも、Twitterには、Twitterとしてのコミュニティというものがあまりない。ハッシュタグなどで自然発生的にできていくけど、それはコミュニティではないんですよね。
誰かが話をしたら、その話題に乗る人はいる。その人と同じ話題はしているけれども、同じコミュニティには属していないし、そもそもそこにはコミュニティが存在しないじゃないですか。しかもオールフラットでどんどん流れていってしまう、というのがTwitterの特性ですから。

司会 少なくとも、ゲイで、Twitterをやっている人は、やたらオープンですよね。「カレシが泊まりに来るなう」とか、「今から二丁目に帰る」とか、「メゾフォルテで飲み過ぎた」とか、固有名詞を知っている人から見たら、「こいつ、ゲイじゃん」というのがわかるし、けっこう顔を晒していたりもする。

松沢 あるところを超えた途端に、過剰にオープンになる。mixiでも「ゲイってばれたらまずいんじゃないの?」という人たちが、プロフィール写真では上半身裸で、顔まで出していたりする。
なぜそうなるかというと、出会い系と考えたとき、そうした方がメリットが大きいから。メリットとデメリットのバランスで隠すという判断をしていた人たちが、mixiという範囲ではメリットが大きくなったら全部晒すようになる。出した方が同類の人たちのアクセスが増えて、出会いの率が高まるし、選択肢も広がる。実際リスクはあるわけですが、皆が想像しているほどのリスクはない。
ゲイに限らず、日本では、リスクを高め高めに見積もる計算式になっているので、過剰に顔を隠し、名前を隠すわけですが、間違った計算式なので、わりと簡単なことでその一線は超えられてしまうんですよね。
バレたらまずいはずの風俗嬢たちが、「指名が増える」というだけで顔を出すようになったり。

津田 mixiでは話が早いですよね。ゲイのコミュニティに入っていれば、「この人ゲイだな」と決定できますけど、Twitterの場合「俺はゲイだ」という文脈で話をしているのに、そうじゃない人からも勝手にリプライが来る。ゲイの人たちにとってのノイズな情報がTwitterでは多すぎるので、だからこそ難しいんですよ。
mixiは、コミュニティって、話題だと思うんです。トピックでつながる。Twitterはもうちょっと緩やかで、なんとなくの意識でつながってしまうんです。

松沢 それと、今という瞬間でつながる。

津田 そうなんです。たとえば僕と松沢さんがまったく別の場所で、お互いにカツ丼を食っていて、まったく面識がない状況でも、たまたまTwitterに書き込んだら、

松沢 カツ丼でつながる、と。

津田 そうなんです。それだけでちょっと好感を持ってしまう、そういうところがTwitterですよね。コミュニティならではの同調圧力みたいなものから比較的自由。
その特性が、今はまだゲイの人と相性が悪い、ということがあるのではないかな、と思います。
東浩紀(@hazuma)さんが言っていて「なるほど」と思ったのが、「Twitterは140字だからいい」と。なにがいいのかというと「政治の話が出来る」と言っていたんですね。

松沢 どういうことですか?

津田 たとえば、政治の話をブログで書いたとすると、突っ込むのっていくらでもできるわけですよ。「でも実はこうだろう」とか「こういう裏事情があって」とか。だから政治の話は、現状発言することに対しての社会的コストが高すぎる、と。
140字では基本的に文脈が全部分断されるから、発信する側も言葉足らずになることを意識しているし、読み取る側も、カチンときていても、140字だから伝えきらなかったんだな、となんとなく和らげて解釈してあげる部分があると思うんです。また、流れるという特性も炎上のしにくさにつながっていますよね。
東さんは政治の話がバンとこれだけ言えて、それに対する批判的な、肯定的な意見があっても流れていく、というところで、それが気持ちいい、と言っていました。

●2010年はTwitterの真価が問われる年

津田 そういう特性があるなかで、じゃあ、Twitterが社会的にどこまで有用なツールになっていくんですか、という評価は、これから真価が問われると思っています。今まではTwitterって幸せな時期だったと思いますが、2010年から相当数の社会的な問題が起こると思います。

松沢 大衆化するとともに確実にトラブルは増えるでしょう。

津田 もう出始めていますよね。ストーカーみたいな被害もあるだろうし、なんなら、殺人予告で逮捕、とか。イギリスでは実際、爆破予告で逮捕された人も出ている。

松沢 当然、誤報の類もいっぱいあるでしょう。

津田 僕が一番心配しているのは「言った言わない問題」ですね。Twitterに書かれる前提では話していなかったオフの場での話が「津田があんなところであんなこと言っていたよ」とか。

松沢 あと、Twitterでは、ただでさえ文字数が少ない上に、短時間で言葉が乱暴に切り取られやすいので、「前後の文脈はそうではなかったのに」とか。

津田 そういうところでの齟齬は相当出て来るでしょう。今年は本当にTwitterが真価を問われる年だな、と思います。

松沢 雑誌「週刊ダイヤモンド」が無断でライターの日垣隆さんのTwitterアカウントを掲載した際、日垣さんが編集部に猛抗議していて、あそこまで怒るということ自体、俺はまったく理解できないんですが、現実に、プライバシーや、個人情報に対してこの間かなり過剰に反応する人たちが出て来る一方、過剰に晒している人たちが出てきていて、上手くバランスがとれなくなっている感じがするんです。
たとえば、「自分はプライバシーの、デートの話は書かないぞ」と決めているからそこは晒さないようにしているわけですが、そうしている自分を元に、今度は逆に、Twitterでもブログでもものすごく頻繁に書いている人が3時間あいていると、「こいつ今、セックスしてるな」と思っちゃうんですよ(笑)。書かないことで晒されるということも一方で起きている。
そこをどうコントロールしていくか、というのがけっこう重要な問題ですね。

津田 今は、ストーキングする人にとっては天国みたいな時代ですよね。Twitterを見ていれば働いている場所も大体わかりますし、新宿で飲んだ、じゃあ帰ろう、帰宅、というつぶやきがあったとして、30分後だったらだいたいこのへんに住んでいるな、駅が3つに絞られた、みたいなことが簡単にわかるわけですから。

松沢 そこまで公開しておきながら、第三者が「こいつは高円寺に住んでるぜ」って書き込んだら激怒するでしょう。

津田 そうそう。

松沢 「自分で書いてるじゃん」と。そのバランスが狂っている人が増えている感じがします。いずれもう少し落ち着いたところにおさまっていくとは思うのですが。

津田 mixiは最初、実名を推奨していたんです。実名でつながって、信頼の置けるネットワークを構築しましょうといっていたら、公開の日記で犯罪自慢をする人がいて、それが2ちゃんねるで晒されてと、いろんなトラブルが起きてしまったので、「実名はやめましょう」というようになってしまった。
Twitterはそれと対照的で、実名の人が多いですよね。これは不思議で、まだアーリーアダプターという先進的な人が多いのもありますが、それにしてもやっぱり多い印象がある。
「Twitter社会論」を出した一週間後にイベントをやったとき、実名でやってる人、と聞いたら、6割くらいが手を挙げていました。僕の本を買ってくれて、なおかつイベントに来てくれるような人が対象ですが。
それは、Twitterがものすごく属人性が高いものだからこそ、実名を出すメリットが感じやすいんだと思います。そういうのが目の前で繰り広げられているのを見ているから、じゃあ俺も実名だそうかなという人が出てきた。

松沢 さっき言ったmixiやFACEBOOKでゲイの人が名前や裸をさらすようになる過程はそれなんです。人がやっているのを見て、「美味しい思いをしているんだったら俺も」とメリットとデメリットが逆転したときにみんな実名化していくという傾向がある。長い目で見るとインターネットはそっちに向かっている気もします。

司会 実名化に。

松沢 実名化、もしくは併用化ですね。
松沢(現Twitterのヘヴィーユーザー)追記1:この時点では、日垣隆氏の怒りがまったく理解できなかったのだが、いざ自分がTwitterを本格的に始めてから、その気持ちが少しは理解できるようになった。
Twitterでは、自分という人間のキャリアと切り離した言葉のやりとりができて、他者は純粋に言葉を評価してくれる(ような気がする)。なのに、著名人のアカウント一覧なんてものを出されたら、「元も子もないだろ」って感覚はわかる。その感覚が正しいのかどうか、あの怒りの表明が正当かどうかはまったくの別問題だとして。

松沢追記2:「実名問題」についてはTwitter上でも議論されていて、大きく五説くらいある。

「初期層は実名が多く、今後匿名層が増えていく」「物書き、芸能人、政治家が多数参入したため、実名が基本モードになった」「TL上ではどこの誰かの情報がないため、実名であることの信頼がとくに高い」「Twitterは宣伝に利用できるが、実名でなければそのメリットが受けられない」「ネットユーザーが実名に転換していく時期にTwitterが出てきただけ」といったところ。

そもそもどの程度実名が多いのかについては数字を出そうと思いながら、そのままになっている。

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●Twitterは、つながるきっかけでしかない

津田 『クズが世界を豊かにする』に書かれていましたが、YouTubeは間違いなく世界を変えたと僕も思ってます。でも、松沢さんはTwitterに関してはまだ懐疑的なスタンスじゃないですか。
Twitterには、もちろんプライベート晒しみたいな部分もあれば、そうではないいろんな使い方もある、というなかで、YouTubeとTwitterは似ている部分もあると思うのですが、敢えてまだ否定的、というのはプライベートを晒すことについての嫌悪感だけですか?

松沢 もう一点、やっぱりライターだからというのがあるのかもしれませんが、誤報をどう防ぐかというところが気になる。
イランにおいても、現実に三十人以上があの騒ぎで死刑判決を受けていて、すでに十人以上が処刑されている。イランのTwitter革命礼賛の裏でそういうことが進行していることにどうしても思いを馳せないではいられない。たしかにTwitterは民衆の情報伝達の手段として活用されたけれども、権力側が民衆の行動を把握することにも使えるし、デマで陥れることもできる。
イランだけじゃなく、日本においても同様で、デマが猛スピードで流れかねない。そこのガードがなさ過ぎるのが怖いんです。Twitterが怖いのと同時に、自分が怖い。つい考えずに書いちゃう感じもすごくわかるので。
たとえば津田さんと話していて面白い話があったとき、その場で書く意思があれば確認ができるけど、あとで思い出すこともよくあるじゃないですか。「あのときはああ言っていたな。この話は使えるな」とか。いまさら許可をとるのは面倒くさいし、「まあ、いいや」で書いちゃう。ブログであろうが、メルマガであろうが現にやってしまうことがある。書く気がなくて聞いていた話だから、記憶があいまいにもかかわらず。
それでも「ここまでは許諾なしでいいだろう」「彼は許諾なしで怒らないだろう」という基準が媒体ごとにあって、今はコントロールできていますが、Twitterはコントロールしきれない感じがするんです。そこが怖い。

津田 コントロールはしにくいですよね。でも僕はけっこうそこは割り切って使っているんですよ。
たとえば「デマっぽいな」という情報はなんとなく直感でわかるわけですよ。そういう情報はRTしないで、確定情報が出るまでは言及するのはやめよう、としているんですが、それでもたまに、「これ、もっと確認すれば良かった」ということもあります。
自分ではおかしい情報の流通に加担してしまったらそれを訂正、ケアしようと思っているし、自分が間違っていたらすぐ謝ろう、とルールを決めています。そこで自分を取り繕っても仕方がないというのは、Twitterにはあると思うので。
Twitterのことを批判する人が、メディアの方でも多いんですけど、その人たちに共通しているのは、全部Twitterで完結すると思っていることなんですよね。
でもTwitterは、あくまできっかけでしかなくて、そこから先にブログもあるし、イベントもあるし、もっとリアルな飲みニケーションがあるかもしれない。でもTwitterだけを「所詮こんなメディアだ」と批判する。所詮こんなメディアなんだけど、ブログにもメルマガにもイベントにも、とにかくつながりやすいじゃないですか。それ自身を批判すること自体が「携帯電話というのは人をダメにするよ」と言っているようなことと近いな、と感じてしまいます。

松沢 ああー、そこは痛い。そうかもしれないと思えるだけに。

司会 松沢さんはコンサバですよ。

松沢 そこに関しては、俺はコンサバですよ。冷静に考えた時に、今言ったようなTwitterに対する懐疑って、すべてインターネット総体に言えることなんですよね、程度が違うだけで。自分が乗り切れないから、過剰に否定的にとらえているだけという自覚はある。
松沢(現Twitterのヘヴィーユーザー)追記1:誤報が流れやすいのは事実、ただし、ここで津田さんが言っているような、それをセーブしようとする個人の力も強く感じる。
アグネス・ラム死去」の誤報は私のTLで流れ始めてわずか2時間足らずで検証作業が終了して訂正情報が流れた。

「アグネス・ラム 亡くなるという誤報騒動まとめ」

一方で、翌日になってこの情報を知って、なお亡くなったと信じてつぶやいている人たちもいて、「情報を疑うこともなく、自分で検証しようともしない情報弱者層をどうしたらいいのか」という問題は残るとしても、この検証作業と訂正情報のスピードにTwitterの可能性を見た。その能力が自分にないとしても、フォローする人を選ぶことによって、誤報に踊らされないことは可能である。

●まずは「カツ丼なう」から

司会 松沢さんは、どの程度Twitterを見ているんですか?

松沢 情報を集めるときだけですね。アカウントは持っています。一回だけ書き込んで、あとは人の情報を見るだけです。

津田 じゃあ、松沢さんTwitterやりましょうよ。つぶやきましょう。まず、最初は恥ずかしいですけど、「カツ丼なう」って書いてください。なう童貞問題って言うんですけど、なう、って一回つぶやくと、もう意外といろんなものを捨てられるんです(笑)。

松沢 いやあ、「なう」だけは(笑)。

津田 僕もそう思っていたんです。絶対にこれだけは使うまいと、Twitter始めてから一年半くらいは積極的に使わなかったんですけど、一回使ったら「ありだな、これ」って思っちゃったんですよね(笑)。心の殻を取り払って、Twitterの波の中に入ると、それはそれでぬるま湯の気持ちいい世界があるという。
はっきり言えばTwitterなんてどうでもいい情報ばかりなんです。でも、自分がなにか真面目なことをやろうと思ったときには多分、真面目な目的にも使えるし、松沢さんが新宿とか千駄ヶ谷を歩いているとき、それをTwitterで書いていたら、もっと違う方面からの情報がはいって来たりもしますよ。

松沢 それはよくわかります。
俺はインターネットがなんでこんなに好きかというと、自分が考えるための素材集めやきっかけ作りにあれほどいいものはないから。最終的に俺はなにをやりたいかというと、自分で考えたいだけなんです。
Twitterって、素材を見えるところに出すことによってみんなに考えてもらう道具でもあるわけじゃないですか。

津田 そうです。

松沢 その意義はすごくわかりつつも、俺は自分で考えるのが好きだから、もったいなくて、人に考えさせたくない(笑)。
今さら言うことではないけど、たぶん俺はインターネットに向いてないんですよ。一人で誰にも理解されないようなことを考えたりやったりするのが好きだから、自分が他者と同じことを考えることに対して、ある種の恐怖感がある。

津田 でも、松沢さん。「情報を得るためにTwitterを見ているだけ」というのはテイクアンドテイクしかしていないですよ。ギブがないじゃないですか。この本で松沢さんが批判していた、テレビ局がYouTubeから映像を取ってきているのにもかかわらず、自分たちはいまだにネットを敵視して……みたいなことと同じ事をやっていますよ!

司会 すばらしい!

松沢 うーん、弱ったな。

津田 だからつぶやきましょうよ(笑)

司会 今日の一本勝負は津田さんの勝ちですね。では、最後に一言ずつお願いします。

津田 最後Twitterの話ばっかりになりましたが、『クズが世界を豊かにする』は、本屋さんでは今、Twitter本のコーナーが作られているんですけど、そこに置かれるべき本だな、と僕は思います。
松沢さんも今日からTwitterを本格的にはじめると思うので、ぜひフォローをして、松沢さんとコミュニケーションを取りながら、次の本や、メルマガに期待しましょう。

松沢 まあ、なんといいますかね、「カツ丼なう」ですかね(笑)。

津田 なう童貞を捨てるのはいつでもいいと思いますよ。いつかは捨てるものですけど。

松沢 (笑)いつかは捨てるって決まっているんですね。

津田 捨てたら僕はラクになりました。僕もそんなになうなう言っているわけではないですけど、でも、一回使ったらこれもありだな、と思いますよ。
漫画家の江口寿志さんだって、なうが許せないってずっと言っていましたが、「Twitterやってください」と『Twitter社会論』を渡したら、次の日にTwitterを始められて、今はなうなう言っていますからね。

松沢 (笑)。まさか今日はね、こんなに重苦しい雰囲気になるとは思っていませんでした(笑)。大きな課題を与えられたようで、どうそれをクリアするかを考えて今後生きていきたいと思います。

司会 ポット出版としては「Twitter社会論」の横にぜひ『クズが世界を豊かにする』を並べて売って欲しいですね。
今日はお二人、どうもありがとうございました。
松沢追記:この夜にかつ丼を食べてもいないのに「かつ丼なう」とつぶやいて以来、つぶやき続けている

『クズが世界を豊かにする─YouTubeから見るインターネット論』発売中

『クズが世界を豊かにする─YouTubeから見るインターネット論』
著●松沢呉一
定価1600+税
ISBN978-4-7808-0139-2 C0030
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目次や著者プロフィールなど、詳細はこちらをご覧ください。

【電子書籍版】ライブハウスオーナーが教える絶対盛り上がるライブステージング術

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日本を生演奏天国にしたいと夢想する「荻窪ルースター」オーナー・佐藤ヒロオが教える
お客の心をグッとつかむMC&ステージング術30本。

あなたのライブが日本を変える!

談話室沢辺 ゲスト:ITジャーナリスト・津田大介 「Twitterで書籍を共有する時代へ」

書籍がデータ化されることで、著者と出版者の関係、
そしてユーザーと「本」の関係はどう変わるのか?
音楽業界の電子化からコンテンツビジネスの変貌を追い続けている
ITジャーナリスト・津田大介氏に聞く。
(このインタビューは2010年3月31日に収録しました)
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イベントレポート●『落語を観るならこのDVD』刊行記念落語会 柳家ほたる「書店落語inブックストア談浜松町店」

2010年5月20日(木)、ブックストア談浜松町店にて、『落語を観るならこのDVD』刊行記念落語会「書店落語inブックストア談浜松町店」(柳家ほたる)を開催しました。

書店さんのお店の中で落語家さんが落語を演じるイベント「書店落語」。今日の会場は浜松町駅直結の書店、ブックストア談浜松町店さん。

ブックストア談浜松町店
場所がいい、広くて品ぞろえがいいときているので、お客さんがとても多い。この日は雨だったので、いつもよりは少なめだったのが残念でしたが、それでもやっぱり多かったです。

手作り高座
まずは準備から。布と座布団を弊社で準備して、お店にあるものを活用すると、こんな高座が作れます。

柳家ほたるさん
今回演じていただいた柳家ほたるさん。

一回目
17:45からの一回目は「初天神」。40名ほどのご来場。

二回目
18:30からの二回目は「動物園」。最も多い50名ほどのご来場。

三回目
19:15からの趣向を変えて「お菊の皿」。こちらも40名弱ほど。

3つ同じ時間の写真のようですが、もちろん別々。沢山の方にご来場いただき、大いに賑わいました。3回とも聴いてくださった方もいらっしゃいました。

これも、ブックストア談浜松町店さんのご協力あってこそ。事前の宣伝や準備はもちろん、当日も気合の入った呼び込みをしてくださいました。

特製はっぴ
ブックストア談浜松町店特製はっぴ。

柳家ほたるさんも初めての体験で本当に楽しかったとおっしゃっていました。次回は5/29(土)リブロ松戸店で同じく柳家ほたるさんの口演で「書店落語」を開催しますので、お時間のある方はぜひ。

ブックストア談浜松町店さん、柳家ほたるさん、そしてご参加いただいた約100名以上の皆さま、ありがとうございました!

【出演者】

柳家ほたる(やなぎや・ほたる)
平成16年柳家権太楼に入門。前座となり「ごん坊」。20年に「ほたる」で二つ目。出囃子は「石段」。

落語を観るならこのDVD


著●瀧口雅仁
定価●1,600円+税
ISBN978-4-7808-0131-6 C0076
四六判 / 232ページ /並製
[2009年11月刊行]

内容紹介や目次など、詳細はこちらをご覧ください。

2010年6月10日(木)ジュンク堂・新宿店にて『庄野真代、支えあう社会を奏でたい』刊行記念トーク&サイン会を行ないます

2010年6月3日(木)発売の『庄野真代、支えあう社会を奏でたい─国境なき楽団からはじまった挑戦』(庄野真代著)の刊行を記念して、6月10日(木)にジュンク堂・新宿店でトーク&サイン会を行ないます。
現在、予約受付中です。

『庄野真代、支えあう社会を奏でたい─国境なき楽団からはじまった挑戦』刊行記念トーク&サイン会「庄野真代と国境なき楽団」

●イベント内容
「飛んで! イスタンブール」などのヒット曲で知られる歌手の庄野真代さんにはもう一つ、大切な活動がある。
それは音楽を軸にしたボランティア「国境なき楽団」の活動だ。
そのきっかけをつくった、25歳での世界一周の旅、45歳での大学入学。
そして、イギリス留学、NPO法人「国境なき楽団」の設立と
自分のやりたいこと・できることを一つひとつ実現させてきた。
そのエネルギーはどこから生まれてくるのか、自身の生き方について、
国境なき楽団の活動について語る。
庄野真代Twitterアカウント(@mayodas)

●日時:2010年6月10日(木)開場:18:00/開演18:30
●場所:ジュンク堂書店新宿店8階喫茶
●定員:40名
●入場料無料(ドリンクなし) ※要整理券
●ご希望のお客様はどなたでも参加いただけます。先着40名様に7Fレジカウンターで整理券をお配りいたします。
電話でのご予約もできます。電話 03-5363-1300
『庄野真代、支えあう社会を奏でたい─国境なき楽団からはじまった挑戦』(ポット出版)をご購入のお客様(本の発売前はご予約で承ります)※2010.6.3訂正

庄野真代、支えあう社会を奏でたい─国境なき楽団からはじまった挑戦


著●庄野真代
定価●952円+税
ISBN978-4-7808-0146-0 C0036
四六判 / 136ページ /並製
[2010年06月刊行]

内容紹介や目次など、詳細はこちらをご覧ください。