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『劇画家畜人ヤプー4【復刻版】―無条件降伏編』(監修:石ノ森章太郎/原作:沼正三/作画:シュガー佐藤)の予約受付を開始しました

2012年6月27日発売予定の新刊『劇画家畜人ヤプー4【復刻版】―無条件降伏編』の予約受付を開始しました。

石ノ森章太郎(監修)×沼正三(原作)による戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』のコミック化第四巻を復刻(初版は1994年「辰巳出版」より)。

目次など、詳細は以下をご覧ください。
◎劇画家畜人ヤプー4【復刻版】―無条件降伏編
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第3回■キャッチ22

“未来の恋人”とは、まだ、出会えずにいた。オルフェではないが、振り返ることなく、愛するものの手を引いて、冥界から連れも出すことも、振り向いて冥界に落ちることもできずにいたのだ。

あの時、振り返ることさえなく、踵を返してしまった。私は、冥界に落ち、もうひとつの迷宮を彷徨うことになる。

現在、ボストン・レッドソックス、当時、西武ライオンズの松坂大輔投手。1999年4月21日の対ロッテ戦では黒木知宏と投げ合い、0対2で敗北したが、その試合後に「リベンジします」と宣言。その言葉通り、松坂は、4月27日の対ロッテ戦で再び黒木と投げ合い、1対0で完封し、リベンジを果たす。松坂によって、「リベンジ」という言葉が一般に認知された。松阪は1999年の新語・流行語大賞の受賞者にも選ばれている。

つまり、リベンジという言葉が一般に浸透するまでにはあと10年ほど待たなくてはならないわけだが、その時から、私の中には既にリベンジへの思い、雪辱しなければという気持ちが湧き上がっていた。

我ながら立ち直りが早いというか、その失敗や後悔が私の心と身体に火をつけた。あの日から三日と空けず、リターンマッチを開始。気づけば、週に何日も、時には連日というテレクラ通いが始まった。当時の身分はフリーター、要は家の手伝いやアルバイトだから残業もなく、定時に仕事を終えると、自宅で夕食を食べてから新宿へ繰り出すというパターン。歌舞伎町にいるのは終電までだが、時には始発までということもある。テレクラに何時間も粘ることがある(当然、テレクラに粘るというのは理想的な状況ではない)。

鳴らない電話をとるワザ

リベンジの第一ラウンドは、電話との格闘だ。テレクラで早取りの店に行ったことがある方ならわかると思うが、本当に電話が取れず、話すことさえできないという経験をした方はたくさんいるはず。それは会話術や口説き術以前の問題だ。

ボックスにはいわゆる複数回線の電話、当時のオフィスなどで見かけたものと同タイプものが設置されている。複数回線といっても10回線もなかっただろう。もし、そんなに回線があれば10部屋ほどだから全員にコール(女性からの電話)が行き渡るというもの。電話が鳴ってから受話器を取ると、もうすでにコールは取られているのだ。ならばどうすればいいのか。なかなか、思いつかない。

そこは、調子のいい私のこと、しっかり(というか、ちゃっかり)とお店の人に助言を求めた。そうすると、受話器を耳にあてたままにして、受話器のフックを指先で押さえればいいという。

確かにベルが鳴ってから受話器を取るのと、雲泥の差。随分と敏速にコールを取ることができるのだ。

自慢話ではないが、風俗遊びをしている頃から、私は不思議と店のスタッフや女の子に好かれていた。特に容姿端麗の好男子、贅沢三昧の金満紳士でもないのに、他の客よりは扱いがはるかに良かったように思う。

錯覚かもしれないが、店員がいい子を付けてくれたり、女の子から店内でご馳走される(何故か、寿司を出前してくれた)など、破格の扱いを受けたことも。思い当たるとしたら、それは、いかにも客という態度を取らず、働いている人達に敬意と信愛を持って、接していたことだ。決して、横柄な口をきいたり、横暴な態度を取ったことはない。時には、店の女の子だけでなく、店員にもさりげなく、差し入れまでする。姑息な手段かもしれないが、環境を味方につけろ、だ。それが風俗店などで、より効率、かつ、有効に遊べる方法ではないだろうか。

そんなわけで、他の会員より先んじるわけだが、フックに指をかけるなど、勿論、誰もがやっていること。その技を磨くためには、さらなる修行をしなければならない。

ボックスへ入り、電話を前に、リクライニングチェアーに腰を下ろすが、指先をフックにかけるため、寝っころがるわけにはいかない。前のめりの姿勢をとる。まるで、私の人生か(そんなわけない!)。

耳をこらし、指先に神経を集中する。ベルが鳴り、フックを離すがそれでも取れない。先達はどこにでもいるものだ。“全てのことはもう一度行なわれてる。全ての土地はもう人が辿り着いてる”。かつて、かのムーンライダーズが歌ったように、「マニアの受難」である。そんな状況に焦りを覚えつつも、私の頭の中では、数年前に流行り、ラジオやテレビ(当時はMTV番組も結構、たくさんあった)で頻繁に流れていたFrankie Goes To Hollywood の「Relax”」が鳴り響く。フランキーも“リラックス!”といっているのだから、落ち着かなければ。

落ち着いたからといって、すぐに取れるものではないが、コールバック(一度、回線が繋がるものの、気に入らない相手だとフロントに戻されるコール)くらいは取れるようになる。いわゆる余りコールだから、当たり前。

もっとも、そのコールは、基本的にテレクラの客が相手にしないものだ。悪戯だけでなく、明らかにキャッチ・ガールという場合も多いからだ。

流石、欲望と陰謀が渦巻く街・歌舞伎町だ。遊びにも常に危険が付きまとう。犯罪の匂いが漂う。歌舞伎町ではキャッチ・ガールという、ほろ酔い気分で、すけべ心丸出しの男性を文字通りキャッチして、ビール1杯などで、法外な料金を請求する“ぼったくりバー”に引きずり込む行為が横行し、問題化もしていた。

勿論、情報通は、風俗情報誌などで、情報収集に余念がなく、傾向と対策を講じていた。その危険性を充分に理解し、一切、関わらないようにしなければならない。

キャッチ・ガールの口説き文句は、「もう少し飲みたいから、私の知っている店にいきませんか」というもの。通常は路上で、声をかけるが、カモを求めて、テレクラにもかけてくる。常連(!?)のキャッチ・ガールは2人いて、1人が40代の女性、もう一人が20代の女性だ。

大体、どこから掛けてるくるかもわかっていた。コマ劇場の前の電話ボックス。ある意味有名人なので、店員や客同士でも噂になり、情報も回る。

本来、風俗店で客同士の対面など、ばつが悪く、会話など弾むはずもない。ソープやヘルスなどでは、待合室で和やかな会話があるわけでもなく、下を向いて黙っているか、新聞や雑誌を見ているもの。

それを思えば、客同士の会話が成立するくらい、そのテレクラがある種の特別な“場所”だったということだろう。そんな仲間達との艶笑喜劇のようなエピソードは、またの機会に譲らせていただく。

彼女達が出没するのが午後10時から11時くらい。1軒目でほろ酔いになり、2軒目、3軒目を探し、ふらふらしている男性をカモにするのだから、そのくらいの時間がいいのだ。終電間際だと、最終電車に乗るために、酔客とはいえ、足早に駅を目指し、声をかけても立ち止まらない。私は勝手に、“キャッチ22”といっていた。勿論、かのクレイジーでコミカルな反戦映画にちなんでいる。

キャッチ・ガールとの危険なカニデート

そのキャッチ・ガールだが、前述通り、テレクラだけでなく、路上でも酔客に手当たり次第に声をかけている。彼女達は街の有名人。歌舞伎町を根城に遊んでいれば、幾度となく、見かけることになる。

その20代の女性は、意外と美形で、自称・女子大生。歌舞伎町には似つかわしくないハマトラ風の出で立ちで、キャバクラ嬢みたいに華美でないだけに、まさか、キャッチとは感じさせない、女子大生という言葉にもなんとなくリアリティーがある。

何故、そんなに詳しいかというと、デート(!?)をしたからだ。虎穴に入らずんば、虎児を得ずではないが、例え、キャッチ・ガールでもテレクラで女性と会うという経験を、まず積む必要があった。どんな女性であれ、電話を介して会うという経験がやがて、次の展開に繋がると考えていたのだ。勿論、あわよくばという下心もあった。そういう意味では、なんと求道的なこと。放漫経営が原因の保証人騒動で学生仲間と作った会社を親に強制終了させられ、それ以来、熱くなるものがなかった当時の私にとって、初めて熱くなれたものかもしれない。

それに、芸能人や事件などに体当たりで突撃するワイドショーのリポーターように、まずは当たって砕けろ、だ。そんな心意気と前向きさで、この危険な賭け(!)に挑んだ。

彼女との短い会話(この手の女性は長いこと話して、カモを選り分けるなどという面倒なことをしない)を交わすと、アポを取り付ける。待ち合わせはコマ劇場の前。すぐ次に移れるように、お互いにとって、ロスの少ないところで、場所を決める。

流石、その女性の知っている店へ直接行くのは怖いので、テレクラの面した通りにあるカニ料理の店へ行くことにした。まずは偵察、内偵を入れる。そうだ、俺はテレクラ探偵だ(笑)。その女性(名前は聞いたと思うが、全然、思い出せない)は、遠慮もなしにというか、おかまいもなしに、どんどんと料理や飲み物を注文していく。この辺の感覚、バブル景気に華やかなりし頃のアッシー、メッシー、ミツグクン(男を運転手代わりに送迎させたり、財布代わりに食べたり、買い物をしたりする)にも通じるものがある。そんな言葉が世に流布されるのは89年だから、既に言葉以前に、そんな土壌が出来つつあった。

蟹しゃぶや焼き蟹、蟹の天ぷら、カニ寿司など、まさに蟹のフルコース、蟹三昧である。何を話したか、いまとなっては覚えてはいないが、学校のことやファッションのこと、趣味のことなど、他愛もない話をしたと思う。ちゃんと、事情聴取するつもりが、その食いっぷりに、あっけにとられ、食べる姿を見つめるばかりというところか。

そして、食事を終えると、ついにきた、「私の知っている店に行きましょう」という決まり文句。危険な世界の扉が開く魔法の呪文である。

実は、その女性が連れ込む店はわかっていた。彼女が男性を連れ込む光景を何度も見ている。その店は、同じく、テレクラのある通りのどんづまり、寿司屋の前にあるスナックのような店。小さなビルの1階にあり、通りに面している。決して、路地裏で、迷路のように入り組んだところにあるわけではなく、むしろ、通りに面しているから入りやすく、逆にいえば出やすい。同時に鉄の門扉ではなく、ガラス戸である。

最悪、ビール一杯で、有無をいわせず出てしまえばいい。いまにして思えば、向こう見ずというか、危険な賭けをよく平気でやったものだ。

その女性と、曰くある店に入る。中は場末のスナックという感じで、パーマ頭の中年の女性がママをしている。当然のごとく、キャッチ・ガールとママはぐるだから、ものすごく仲がいい。軽く耳打ちをしているところを見逃さない。どのように身ぐるみを剥ぐかを算段しているかのようである。

ここは、まずビールにする。勿論、まずだけで、次は頼まない。その女性からの追加注文も受け付けない。店内を見回しても誰か隠れるようなスペースはなく、何かあれば、外からその筋の方が駆けつけるのだろう。

とりあえず、女性2人だけだから、逃げ時さえ、間違わなければ大過はないと、心づもりをする。ビールを飲み干すと、店を出ることをきっぱりと告げる。ママはあっけにとられたみたいだが、会計はしっかりと5000円だった。ビール1本が5000円。間違いなく、ぼったくり。予想したことだ。顔色を変えることなく、5000円を払い、店を後にする。ドア越しにケチ! という罵声が飛んでくる。

今考えてみれば、ビールに睡眠薬などが入っていなくてよかった。後年、ぼったくりは悪質化、凶暴化し、アルコールに睡眠薬を混入させ、酔いつぶれているうちに財布から現金やカードを抜きとるという行為も横行した。なかには昏睡状態のまま、寒い冬空に放置され、そのまま凍死してしまうという事件も起きた。

まだ、新宿・歌舞伎町が歌舞伎町らしい時代だ。街が浄化されると、環境がよくなるかもしれないが、しかし、そうすると無くすものも多くなる。その時、まだ、歌舞伎町は様々な欲望と希望と混沌と喧騒…を抱え、金環食のような繁栄を極めようとしていた。

私の修行時代は、さらに、続く。駆け引きと思惑だらけの街で、ファム・ファタールと、出会うことはできるのか――。

いただいた本●本棚の中のニッポン─海外の日本図書館と日本研究

笠間書院・岡田圭介さんからいただきました。

書名●本棚の中のニッポン
副書名●海外の日本図書館と日本研究
著●江上敏哲
発行●笠間書院
定価●1,900円+税
2012年5月25日発行
ISBN978-4-305-70588-4 C0000
A5判/296ページ/並製

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●本の説明

日本人の知らない「海外の日本図書館」。そこはどういうところで、今、何が必要とされているのか。

海外で日本について学ぶ学生、研究者、そのサポートをする海外の日本図書館について紹介し、その課題やニーズに日本側からどう応え、資料・情報を提供・発信していけばいいのかを考える本です。

本書では、海外の日本図書館やそのライブラリアンについて、資料・蔵書の様子、資料・情報の流通・提供・利用の様子、図書館・ライブラリアンによるサービス・サポートや連携・協力活動の様子、課題・問題点を紹介します。
そのうえで、海外の日本研究者・学生や図書館・ライブラリアンは、どのようなニーズを持っているか、日本側では、そのニーズをどのように把握し、どのように応えればよいか、日本資料・日本情報を、日本から海外へ効率的・効果的に提供・発信するには、どうすればよいかといったことを考えます。

海外の人びとが(資料・情報的に)日本に何を求めているのか、そのユーザのニーズや課題・問題点を、私たちがちゃんと把握して応えていく。日本の資料・情報を効率的・効果的に提供・発信していく。それができるかどうかは、ほかでもない日本の私たちにはねかえってくる問題である――。

「海外の日本研究・日本図書館について多くの方に関心と意識を持っていただくこと。その結果として、さまざまな場面での日本資料・日本情報の効率的・効果的な提供・発信に、ご理解とご協力をいただくこと。本書の最終的な目的はそこにあります。より多くの方に”援軍”となっていただくきっかけとなれば幸いです」……本書・序より

注1■
この本に関して、著者が開設しているブログ、『本棚の中のニッポン』blogもあわせてご覧ください。

注2■
刊行記念イベントが、ジュンク堂書店池袋店で2012年7月14日に開催されます。
和田敦彦×江上敏哲「国境を越えた知の流通 過去・現在・未来 ―海外の日本図書館から考える」
ぜひ、ご参加ください。

著者プロフィール

江上敏哲(えがみ・としのり) Toshinori EGAMI
京都大学文学部卒業、同文学研究科修士課程(国語学国文学)修了。司書として、京都大学(工学研究科・附属図書館・情報学研究科(1998〜))、 Harvard-Yenching Library(visiting librarian・在外研修(2007))を経て、2008年より国際日本文化研究センター資料課にて勤務。また玉川大学教育学部、立命館大学文学部、同志社大学社会学部にて非常勤講師として勤める。
論文「欧州の日本資料図書館における活動・実態調査報告 : 日本資料・情報の管理・提供・入手」「イタリアの日本資料図書館における活動・実態調査報告」「フランスの日本語資料図書館における活動・実態調査報告」(以上『大学図書館研究』)、公式blog「ハーバード日記 : 司書が見たアメリカ」(京都大学図書館機構webサイト内・http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/modules/wordpress/)ほか。
詳細は http://ha6.seikyou.ne.jp/home/egami/を参照。

●目次

序 日本人の知らない日本図書館
 Tanizaki Jun’ichiroの“The Thief”を探す/本書では/「海外の日本図書館」をとりまく世界

第1部 日本語の本は誰が読むか、どこにあるか

1 日本語の本は誰が読むか、どこにあるか―総論
 UMass Amherstの日本資料・図書館・ユーザ/世界に学ばれるニッポン/パリ・日本図書館のさまざま/良き“日本理解者”のために/海外からのリクエストはあなたにも届く/“日本リテラシー”がない人も、日本資料を求めている

■インタビュー(1)「日本の図書館員は国際会議の場にもっと出るべき」

2 海外の日本図書館を巡る―事例紹介
 1.University of California, Los Angeles (UCLA)
 UCLAとその図書館/東アジア図書館と日本資料/古典籍・マイクロフィルム・移民資料―特殊コレクション/e-resource/日本はどう学ばれているか―研究者と学生たち/デジタル化とコラボレーション―日本への注文
 2.University of Pittsburgh
 University of Pittsburghとその図書館/東アジア図書館とその蔵書/何をどう集めるか―日本資料の収集/棚にどう並べるか―日本資料の配架/日本経済史が凝縮― 三井コレクション/e-resource/日本を教える―情報サービスとインストラクション/グローバル化する日本研究
 3.フランスの日本図書館
 École Française d’Extrême-Orient (EFEO)/EFEOの図書館と日本資料/目録データベースとSUDOC/Bibliothèque Universitaire des Langues et Civilisations (BULAC)/Bibliothèque Interuniversitaire des Langues Orientales (BIULO)/ひろがるネットワークの輪
 4.台湾の日本図書館
 台湾の日本研究・日本資料/国立台湾大学図書館/中央研究院・人文社会科学連合図書館/国立中央図書館台湾分館

3 プロフェッショナルたちの流儀―ライブラリアンとコミュニティ
 1.North American Coordinating Council on Japanese Library Resources (NCC)
 NCCと北米のライブラリアンたち/resource sharingの仕組み―MVS/ジャパン・イメージ―IUP/研修/年次集会
 2.Council on East Asian Libraries (CEAL)
 東アジア図書館協議会―CEAL/日本資料委員会―CJM
 3.European Association of Japanese Resource Specialists (EAJRS)
 EAJRSの歴史と活動/年次集会/図書館は横のつながりなしに成り立たない

4 黄金の国からクール・ジャパンへ―日本研究・資料の歴史
 Google Booksに“Japan”はどれだけ登場するか/ジパングに行ってみた―近世/明治ニッポンの世界デビュー―19世紀後半/日本を研究するアメリカ ―20世紀前半/さらに日本を研究するアメリカ―占領期・戦後/バブル経済からマンガ・アニメの国へ―80年代から2000年代

5 Nippon Invisible―日本研究・資料の現状
 2008年=1930年説?/日本研究の“退潮傾向”/デジタル化されない日本/日本を学ぶのは誰か―学際化・グローバル化/「引退」ではなく「卒業」?

■インタビュー(2)「韓国の歴史を研究する人も、日本語の資料が必要」

第2部 日本語の本はどのように情報化され、アクセスされるのか

6 収集されるニッポン―収書・選書
 どう買うのか―収書/どう選ぶのか―選書/どう支払うのか/日本出版貿易(JPT)/送られるものと欲しいものの間―寄贈/日本美術カタログ収集プロジェクト(JAC)

7 検索可能なニッポン―書誌・目録
 書誌・目録がなければ始まらない/CJKをデータ化する/図書情報のライフライン・OCLC/OCLC、CJK対応への道/コピペされるニッポン―日本からの書誌提供/郷に入り郷に従う―日本語書誌の“北米化”/ヨーロッパとNACSIS-CAT/英国CATプロジェクト/欧州和書総合目録/自立した協力体制としての講習

8 お取り寄せされるニッポン―ILL
 Interlibrary Loan―ILLとは/敷居が高かったニッポン/仕組み化されるILL―CULCONとGIF/早稲田大学図書館の海外ILL受付/国立国会図書館の遠隔複写サービス/“システム”、“システム外”、そしてe-resourceへ

9 アクセスされるニッポン―e-resource
 CD-ROMが動かない/オンラインが契約できない/ユーザが自由に使えない/Digital Resources Committee(DRC)/コンソーシアム/「JapanKnowledge」/世界にひろがる「JapanKnowledge」/e- resource整備は日本の問題

10 クールなニッポン―マンガ・アニメ
 世界が愛するマンガ・アニメ/大学・研究図書館でのマンガ・アニメ/オハイオ州立大学のマンガ・コレクション―Billy Ireland Cartoon Library and Museum/どう書きあらわすのか―マンガの書誌・目録/どう選ぶのか―マンガの選書/“クール・ジャパン”のその先にあるもの

■インタビュー(3)「日本の高校には貴重な資料が眠っている」

第3部 日本語の本をどのように世界に発信していくか

11 日本からのサポート―専門機関 ほか
 1.国際日本文化研究センター
 日本研究のための“センター”/“外書”と図書館/データベースと海外の日本資料
 2.国際交流基金
 国際交流基金(Japan Foundation)の海外協力活動/海外拠点と図書館/パリ日本文化会館図書館
 3.国際文化会館
 国際文化会館と図書室/“窓口”と“つながり”の場
 4.研修事業
 「日本専門家ワークショップ」(日本研究司書研修・日本研究情報専門家研修)/天理古典籍ワークショップ―研修の効果

12 情報発信を考えるヒント
 Maureen Donovanさんが実践する情報発信/wikiを活用して情報を編む/社史wiki/メインストリームに流す・つながる/情報発信で何を変えたいのか/考えるヒント集/笠間書院/ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 /リブヨ/NIHONGO eな(いいな)/カーリル・レシピ/宮城資料ネットニュース/WINE(早稲田大学OPAC)/「評価を高めたテロ事件への対応」(『未来をつくる図書館 : ニューヨークからの報告』 菅谷明子)/saveMLAK/(短信)海外日本研究と図書館

●付録 海外の日本研究・日本図書館についてのパスファインダー

あとがき 索引

第2回■デラシネ

「テレクラ初めて物語」を語らないわけにはいかないだろう。私の初テレクラは、1987年7月。なぜわかるかというと、ジェームス三木(性交した女性の評価を詳細に手帳に書き留めておいた有名脚本家)ではないが、私の古い黒革の手帳にその日付が書いてある。それが正確か、不正確かわからない。ただ、間違いなく、私自身、ふらふらとしていた時期であることに間違いない。

私のライフストーリーになど興味はないだろうが、その時期だったことは、私がテレクラに足を踏み入れる前提条件となったため、しばしおつきあいいただきたい。

その時、三十歳直前というのに、私は無職に近く、引きこもり(!?)でもあった。当時、私は学生時代に仲間と始めた小さな企画会社が経営者の放漫経営から危ない金融機関(いわゆる高利貸しの町金)に多額の借金をしてしまい、その借用書に私も立場上、連帯保証人の判子を押してしまっていた。案の定、借金は膨れ上がり、会社存続は難しくなり、同時に金融機関からは連帯保証人である私にも執拗な請求がきた。ある時はその金融機関の事務所に監禁され、一生、トルコ(ソープランドのこと)のボイラーマンになって、借金返済のために働き続けるか!と脅された。もっとも敵もさるもの、ただ強面なだけでなく、その事務所にあった借金のかたに巻き上げた絵画を指さし、一生懸命やればこれをやるとほくそ笑む。まさに飴と鞭。そんな状況にも関わらず、現実感はなく、泣き出したりするでもなく、うすら笑いを浮かべていたのを思い出す。本当の苦境に涙なんか出てこない。

借金は数千万に膨れ上がり、最後は情けない話だが、親に泣きつき(勿論、泣いていない)、チャラにしてもらった。幸い、家が裕福だったため、なんなく返済を終えることができた。後になって聞くと、実家の会社が傾く遠因にもなったようで、まったくもって親不孝なことだ。

借金はなくなったが、その会社は辞めさせられ、しばらく、家の仕事を手伝ったり、肉体労働をしたり、時間ができると映画(あまり金がないので、名画座へ行く)や図書館三昧(大著『失われた時を求めて』を読みたかったが、第一巻がずっと借りられたままだったので、未読!)をしていた。

思えばその時期こそ、真人間になるチャンスだったのかもしれない。しかし、遊び癖というのは三つ子の魂百まで、なかなか直るものではない。学生時代から風俗三昧をしていたから、肉体労働をして小金が入ると、つい遊びに使ってしまう。とくに無頼を気取ったわけではない。ただ限りなくあほんだらである。借金生活を経験したから、本来はこつこつと貯金をすればいいものの、浪費癖、遊び癖は簡単に収まらない。時はバブルでもある。景気のいい話が転がっているし、巷間伝わってくる遊びも豪快になっていた。

元々はソープやヘルスなどの射精系の遊びをしていたが、その時期、嵌ったのはキャバクラだ。当時、キャバクラは、キャバレーの豪華さとクラブの気品を兼ね備え、ホステスは素人で、3回通えばデートが出来るという都市伝説(!)が喧伝されていた。基本的に交際する気などないが、落としてやることを目論む。出会い系(多分、まだ、そんな言葉はなかった)の社交場バージョン。淡い夢を抱き、キャバクラ通いを続けた。

新宿・歌舞伎町の大型店に何度か通ったが、その度に違う女性を指名していたので、デートにはこぎつけられない。それでは3回通うという意味が違う。いまも昔も一途にほど遠い私だ。ところが池袋のロサ会館通りの女子大生水着パブ(全員が女子大生のわけではないが、ホステスが水着姿で接客していた)という店で、一発でデートにこぎつけた。美術系の大学を出て、某メーカーでデザインのアシスタントをしていたが、仕事に悩んでいるらしく、その相談をしたいという。日を改めて会うことになった。学生企業でデザイナーみたいな人種の扱いに慣れていたから、すんなりと話が合い、話を聞くという姿勢が好印象をいだかせたのだろう。相談に乗りながら彼女にも乗る、という親父ギャグ的な展開になる。

そんな遊びをしているときに出会ったのがテレクラだった。当時は話題の新風俗として紹介されていた。

某ウィキペディアには

“テレフォン・クラブとは、電話を介して女性との会話を斡旋する店。会話次第では女性と会う約束もでき、出会い、ナンパが可能になる。通称テレクラ。1985年の風俗営業法改正後に注目され、流行した業態。全国で最初に登場した店は1985年に小林伴実により開業された新宿「アトリエキーホール」、もしくは同年秋に同じ新宿に開業した「東京12チャンネル」と諸説ある。”

とある。そんな歴史的なことは、社会学者や歴史学者がまとめればいいが、なんとなく時代だけは気に留めておいてもらいたい。

風俗情報に関しては、毎日の株価の変動をチェックする投資家のように、風俗情報誌(多分、もう『ナイタイ』や『大人の特選街』などはあったはず)や男性週刊誌(というより親父系エロ週刊誌)は逐一チェックする習慣のある私だ。ふらふらする前からテレクラの存在は知っていた。そのくせ、実際に行くのには二の足を踏んでいた。

その理由は、テレクラは会員制で、身分証明書を提示しなければならなかったからだ。証明書のいらない店もあることを後で知るが、ほとんどが証明書を必要とすることが書かれていた。所属していた会社は放漫経営で、社員に連帯保証人をさせるようないんちきな会社だったが、身分証明書を提示し、会社などの身分を明かすことに抵抗があった。ある意味、箍(たが)のようなもので、会社の信用を失墜させてはいけないという変な責任感みたいなものもあったのかもしれない。

ところが、その会社を辞め、帰属するところがない、根なし草の状態。デラシネならぬ、だらしねえ生活をしている。箍が外れるではないが、怖いものなし、信用の失墜も何もない、身分を明かすことに躊躇いはなくなった。そんな状態がテレクラへと足を向けさせたのだろう。

初テレクラが1987年7月とある、と書いた。夏だったことは皮膚感覚として覚えている。熱い夏の始まり。場所は新宿・歌舞伎町だ。テレクラそのものは、新宿以外にも池袋や渋谷などの主要駅以外にも点在していたが、私としてはありとあらゆる風俗が密集し、様々な人種が蠢く、24時間、眠らない街、新宿・歌舞伎町でなければならなかった。

備えあれば憂いなし。遊びにも準備を怠らない私は、情報誌で、テレクラの所在などは調べていたが、まずは街を彷徨い、フィールドワークをしてから行く店を決めることにした。今は亡きコマ劇場周辺に点在していた、のぼりを立て、マイクで呼び込みをしているような大型チェーン店「りんりんハウス」などには、なかなか入る勇気がなかった。テレクラに入るところを見られてしまう。いまなら、そんなことなど露ほども心配しないが、まだ、照れや恥ずかしさ、後ろめたさがあった。初心だった。

初テレクラ店「ジャッキー」

散々、歌舞伎町を歩き回ったあげく、雑居ビルにあった「ジャッキー」を初テレクラの場として決めた。

記念すべき初テレクラ店「ジャッキー」は、歌舞伎町の中央通りを直進し、コマ劇場にぶつかり、右へ行き、客引きがたむろする通りにあった。ピンサロやイメクラ、ヘルスが入ったビルだが、小ぶりゆえ、派手さはなく、なんとなく入りやすかった。あとで、そのピンサロがぼったくりバーだったと気づくことになる(客と店員がいつも階段で金額のことでもめていた)が、その時はそんなことも知らず、最上階にあったテレクラへと一目散に駆け上った。

店内に入ると、さほど広くない。50平米もないだろう。事務所みたいなところと、個室が10数室、並んでいる。最初に店員(あとで知るが、店長だった。40歳にはなってない、不動産屋系の佇まい、愛想はいい)に、システム(風俗ファンは、この言葉に何故か、反応してしまう)の説明を受ける。入会金が2000円、利用料が1時間3000円だったと思う。身分証明書、その時はまだ運転免許を取ってなかったので、パスポートを出し、用紙に本名や年齢、住所などを記載していく。

会員証を発行してもらい、ボックスへ通される。畳一畳ほどのスペースにリクライニングチェアーとテーブルとテレビと電話がある。ティッシュとゴミ箱もある。F1のコックピットのようでもある。この狭い空間は電話一本で外の世界と繋がる……なんてね。

部屋に入ると、けたたましく電話のベルが鳴り響く。しかし、一瞬で鳴りやみ、どこかのボックスで男と女の会話が始まる。中にはベルが鳴る前に、話し出すものもいる。その時はなぜそんなことが可能なのかわからなかった。

テレクラとは匿名の男と女の出会いを演出する装置だ。学校や会社など、肩書を必要とする出会いではなく、名前も年齢も住んでいるところまで、まったく匿名、捏造(時には性別さえ偽ることができる)する者たちの出会いを可能にする。

狭い箱(ボックス)の中で、ひたすら女性からの電話を忍耐強く待つ。鳴っても早取りだと、電話を取れないことさえある。仮に取れて繋がっても、時にはいわれのない罵倒を浴びることもある。まだ女子中高生が参入する以前だったので、いわゆるイタズラ電話は少なかったが、それでも日々のストレスをテレクラ男達に向ける者もいた。そんなことも、寛容さでやり過ごす。ある種、修行のようなものだ。早取り技術を習得し、交渉術をものにすれば、必ず、女は堕ちる。それまでは修行するぞ、修行するぞ……だ。かの尊師のそんな言葉が世間を騒がす随分前のことだった。

TOWER RECORDS ONLINEで連載「アイドルのいる暮らし」がスタートしました

TOWER RECORDS ONLINEで連載「アイドルのいる暮らし」がスタートしました。
著者は『グループアイドル進化論』共著者の岡田康宏(@supportista)さんです。
この連載は、ポット出版から単行本として刊行を予定しています。

平日のライブ会場やショッピングモールで行われるイベントで、いつも見かける大人の姿がある。けっこういい歳してるけど、この人たちはいったいどんな生活をしているのだろう?

大人のアイドルファンは、アイドルファンであるだけではなく日常を生きる社会人でもある。お金も暇もある大人のオタクには、元気なだけの若者にはない深みと趣きがある。ライフスタイルとしての現場系アイドルファン、大人のオタクの遊び方とは?
今回お話を伺ったのは童貞ゾンビさん(仮名)だ。30代後半。会社員。世田谷区内に買ったマンションで同い年の妻、3人の子供と暮らしている。90年代のはじめ、ribbon(1989-1994 永作博美、松野有里巳、佐藤愛子の3人組)をきっかけにしてアイドルにハマった彼は、制服向上委員会で一推しのメンバーが卒業したのと同時に一度はアイドルから離れ家庭を持ったが、05年12月にAKB48を見て再びアイドルの世界に戻ってきた。

AKBファンとしては劇場オープン直後の05年12月から参戦。半年で100MVP(*1)を達成し、現在も現役で活躍するオリジナルメンバーの初年度の生誕祭企画にも深く関わるなどなど、初期AKBの劇場の空気をよく知る人物でもある。第三子が生まれたことで時間的な余裕がなくなり、今はJK21などを中心に月に1度イベントに足を運べるかどうかという状態(本人曰く「現役を退いた身」)だと言う彼に、これまでのアイドル遍歴や応援スタイル、家庭との両立などについて話を聞いた。

・アイドルのいる暮らし 第1回:童貞ゾンビ編

「ねんねこりん」+東日本復興支援プロジェクト

以前このブログでも報告したとおり、
『ねんねこりんの作り方』刊行を記念して、
東北復興支援プロジェクトの活動「ふんばろう東日本プロジェクト」の「ミシンでお仕事プロジェクト」南三陸ミシン工房で縫製されたスリング「ねんねこりん」が仕上がってきています。

刊行記念ということで、書籍とスリングのセットを特別記念価格6,700円で販売をはじめています。
本を読んでもなかなか自分でつくるのは……という方は、ぜひ仕上がったスリングを!

販売は、ねんねこりん工房のサイトからどうぞ→ねんねこりん工房
ポット出版でも取り扱いはできるのですが、
ねんねこりんの生地柄がいろいろ選択できるので、
ねんねこりん工房のサイトからどうぞお選びください。

いただいた本●小川プロダクション『三里塚の夏』を観る─映画から読み解く成田闘争(DVDブック)

編著者・鈴木一誌さんからいただきました。

書名●小川プロダクション『三里塚の夏』を観る─映画から読み解く成田闘争
副書名●映画から読み解く成田闘争
編著●鈴木一誌
発行●太田出版
定価●3,333円+税
2012年5月22日発行
ISBN978-4-7783-1314-2 C0095
A5変形版/192ページ/並製

●Amazonで予約する

●本の説明
小川プロダクションの第一作『日本解放戦線 三里塚の夏』が本邦初DVD化!!
本書は「DVDブック」という形で、1968年の三里塚闘争の模様をとらえた傑作ドキュメンタリー映画『三里塚の夏』(本書添付DVDにフルバージョン収録)の映像と共に、小川プロダクションの映画史的な位置づけ、成田空港問題の近代史的な位置づけを行う各種論考を加えた書籍です。
いまだからこそわかる視点から映画を観ることで、三里塚闘争を現在の問題として再び「体験」する!!

●目次
『三里塚の夏』をふたたび導入するために 鈴木一誌
部落一覧+主要登場人物
三里塚周辺地図
■第一部 『三里塚の夏』を観る
座談会:過去と現在と未来の迷宮へ 『三里塚の夏』を読み解く
大津幸四郎+山根貞男+筒井武文
■第二部『三里塚の夏』を読む
『日本解放戦線 三里塚の夏』が作られた時代 上野昻志
闘う農民像の系譜 平嶋彰彦
『日本解放戦線 三里塚の夏』採録シナリオ
年表で読む 三里塚と小川プロダクション
加担と共苦 鈴木一誌
あとがき ほか

マガジンポット新連載「テレクラ・ボーイズ」スタートしました

ポット出版サイト内のマガジンポットで新連載「テレクラ・ボーイズ」がスタートしました。

・テレクラ・ボーイズ

1980年代にはじまるテレクラ黄金時代について、実体験をもとに語ります。
1週間に1回程度のペースで更新していきますので、お楽しみに!
以下は著者による「まえがき」です。

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いまや“出会い系”としては、絶滅危惧種となったテレクラ。しかし、テレクラは伝言ダイヤル、SNSなど、今に続く出会い系サービスの先駆けであり、見知らぬ男女が出会うための初めての社会的“装置”だった。
この連載では、出会い系の元祖たる、テレクラの黄金時代を振り返ってみたい。そこからこの国の男女はどう変わっていったのか、それとも変わらなかったのか、みえてくるものもあるかもしれないと思うからだ。
語り部の梶木俊作こと、私を簡単に自己紹介させていただこう。東京の下町に生を受け、同所で育ち、半世紀を生きる生粋の東京人。“下町の電通”と自称(詐称!?)する自らの企画会社で、真面目に仕事に打ち込む傍ら、日夜、どうしたら女性と出会い、セックス出来るかばかりを思考し、実践する。「一生懸命、遊ぶ」をモットーとする真面目な遊び人である。ストリートや合コンから、テレクラや伝言、ネット、SNSまで、出会い系は、ほとんど体験済。今回は“持ちネタ”の一部を公開させていただく。
なお、文中の名称などは、プライバシー保護(勿論、私のプライバシーが最優先だが)の立場から、一部仮称、創作であることをご了解いただきたい。

シダの群れ

本書は、2012年5月4日(金・祝)〜27日(日)東京・Bunkamuraシアターコクーンにて上演される舞台の書き下ろし戯曲です。

作・演出、岩松了。
出演は堤真一、松雪泰子、小池徹平、荒川良々、倉科カナ、市川実和子、石住昭彦、吉見一豊、清水優、太賀、鈴木伸之、深水元基、浅野彰一、風間杜夫。ギター演奏は村治佳織。

前作の舞台、志波崎組は跡目争いに端を発し、敵対する増岡組との間で抗争が勃発、組は壊滅状態に。あれから2年、増岡組は矢嶋組と志波崎組を潰しにかかるが……。

「このドラマは、ヤクザの三つの組の間に起こる、反逆と共闘の物語。すなわち、移ろう人間関係と、その移ろうことの根拠の無さを問うものである。」(岩松了)