改定常用漢字表で、結局、なにが変わったのか?
新聞校閲、学校教育、業務システム、ネットと出版の現場から、身近な漢字の変化に迫る。
※本書は電子書籍「論集文字 第1号」(2011年5月)を改訂した紙版です。
改定常用漢字表で、結局、なにが変わったのか?
新聞校閲、学校教育、業務システム、ネットと出版の現場から、身近な漢字の変化に迫る。
※本書は電子書籍「論集文字 第1号」(2011年5月)を改訂した紙版です。
改定常用漢字表で、結局、なにが変わったのか?
新聞校閲、学校教育、業務システム、ネットと出版の現場から、身近な漢字の変化に迫る。
※本書は電子書籍「論集文字 第1号」(2011年5月)を改訂した紙版を元に、改めてPDF化したものです。
紙版では抜粋とした「改定常用漢字表(文化審議会答申)」を全文掲載しています。
石ノ森章太郎(監修)×沼正三(原作)による戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』の完結編となるコミック化第四巻を復刻(初版は1994年「辰巳出版」より)。
●あらすじ
196×年、西独逸。翌春に挙式を控えた日本人留学生・瀬部麟一郎(麟)と東独逸の名家の娘・クララは一挺の航時艇(空飛ぶ円盤)の墜落を目撃する。墜落した円盤から謎の女性・ポーリーンを救けたことをきっかけに、彼女が暮らす2000年後の未来世界、イース(EHS=The Empire of Hundred Suns)を訪れた二人。イースは徹底した女権社会であり、白人=人間、黒人=半人間、黄色人種=家畜という明確な人種階級制の国だった。「人間」クララはその地位から、イースの高度な文化・文明を享受する。一方、「家畜」麟は文化・文明の材料として、人体改造を施され、奴隷以下の存在として扱われた。
ポーリーンはクララを伴って自分の代わりに子を宿す「子宮畜」購入の相談のため、古代地球の航時探検家にして前地球都督アンナ・テラスを訪問。子宮畜の養成機関・フジヤマ飼育所での羞恥に満ちた選定の末、ポーリーンの子宮畜に選ばれたのは、入所から二年半を経た優秀な候補生・カヨであった。その道中にクララは自分の生きてきた二十世紀以降の人類の歴史を知る。そしてさらに、アンナ・テラスから日本の神話の秘密を聞かされる。それは日本書紀・古事記に語られる日本の神々は全て白人であり、彼女こそが天照大神だという衝撃的な事実であった。クララはそれらの荒唐無稽な未来を素直に信じられるほどに、すでにイースを受け入れていた。その一方で、麟もまた、クララとは違った形で、混乱しつつも自然にそれを受け入れていた。
さながら古代シナのような宮殿・瑤台でついにクララと麟は再会する。浅ましくクララに抱きつき、指を舐め、褒美をもらって大喜びする麟。すでに二人の関係は恋人ではなく、「主人と家畜」だった。瑤台で引き続き語られる、衝撃の世界史。人類の歴史・文化が全て白人由来のものであると繰り返し確認され、日本の文化は単なる猿真似の文化であると断じられる。屈辱に満ちた歴史を麟はただ傍らで聞くことしか出来ない。
クララは麟を伴い、ポーリーンの義弟である、恋人・ウィリアムとデートにでかける。白人専用のトイレとして改造された家畜「セッチン」を見た麟は日本民族の成れの果てに怒りを覚えるが、クララはリンを自らの肉便器にすることを決心し、リンはそれを受け入れる。そして、三人に合流したポーリーンの兄セシル・ドレイパアがクララに語る、ジャンセン家の人々、イースの制度、第三次世界大戦─。一つ一つの事実に、傍らの麟は茫然とするほかなかった。
リンのかつての恋人であったクララはウィリアムと婚約し、完全なるイース人となる。また、リンは生来の犬の性を開花させ、ついにはイースに残り一生をヤプーとして二人に捧げることを決心するのだった―。マゾヒズムの骨頂を描く〝戦後最大の奇書〟劇画版、ついに完結!!
「その女性」とは“どっしりと構え、じっくりと話さなければならないだろう”と書いた。終電の時間まで、たっぷり2時間は話したと思う。その時点で、会話術や口説き術みたいなものを習得していたわけではない。ただ話し方だけは意識していた。
まずは声質にこだわった。特に美声で、とろけさすような声というわけではないが、できるだけ落ち着いて、ゆっくりと話す。早口や吃音など、性急さや不安定さは人を不快にさせてしまう。また、威圧的だったり、馴れ馴れしいのも引かれてしまう。心地いい距離感を意識した。何しろ、私の浅野忠信似(嘘!)といわれる美貌は電話で伝わらない。耳を通して、脳を刺激しなければならないのだ。
当時流行っていた、村上龍の『愛と幻想のファシズム』という小説の中に、主人公・トウジの声質が人々を魅了し、信奉者にしてしまうという下りがある。正確な引用ではないが、声だけで落とす、それだけは心掛けていた。安心感を与え、信用させ、約束を取り付ける。
それには相手の話を聞くことが大前提だ。思い切り、話させる。それに効果的な相槌を打ち、淀むことなく、流していく。それだけで、向こうは話してもいい相手だと認識し、信頼する。何しろ、看護師である彼女の仕事現場は過酷で、ストレスはたまりにたまっている。その滓のようなものを洗い流し、すっきりさせてあげなければならない。
人と話すことも人の話を聞くことも苦ではない。むしろ、得意としていた。学生時代の仲間と始めた企画会社では、ある企業の広報誌に連載を持ち、様々な職種や年代の人達にインタビューすることを日課のようにこなしていた。人嫌い、社交が苦手などといっていられない。相手の話を聞いて、言葉を引き出さなければならないのだ。
そういう意味では、インタビューは、テレクラのためのいい勉強になった。インタビューという仕事をする機会は特殊かもしれないが、営業や販売などの仕事をしていれば、いやでも話さざるを得ない。同時にスキルも上がる。いままでやってきたことに無駄はない。積み重なって糧となる。
ホテルのロビーに現れた彼女
その女性との約束の時間がきた。彼女は新宿副都心(歌舞伎町から見たら、駅の向こう側)にある外資系のホテルのロビーに現れた。ショートカットに涼やかな目と口角の上がった口元、長い首。当時、テレビの司会などもしていたジャズ歌手にも似ていたが、モディリアーニの絵画のような女性というのが第一印象。いまとなっては顔などの記憶は曖昧になっているが、そんな感じがしたことだけは鮮明に覚えている。服装はカットソーにジーンズ。それでいて、どこかしら、神経が行き届き、“センス”良く纏められている。軽装ながらホテルのロビーにいても浮かない装いだ。靴はローヒールのパンプス。彼女は背が170近くあり、背の高いことを気にしているようだった。
お互い、顔を見合わせると、幸い表情が曇ることもなく(会った相手が気にいらないと、自然と顔に出てしまうもの)、軽く挨拶を交わす。多分、彼女には本名ではなく、適当な名前をいっていたと思う。挨拶もそこそこに、そのホテルの最上階にあるプールへと、外の景色が見えるエレベーターで急ぐ。そのエレベーターからはマイ・ホーム・タウン、歌舞伎町が遠くに霞む。
エレベーターが上昇する度に、邪念を含め、私の期待値も上がる。なかば上気し、天にも昇る気持ちというのだろうか。あれやこれやと妄想夢芝居状態だ(笑)。
そそくさと水着に着替え、プールサイドでその女性を待った。ホテルのプールでは、男性でもこれ見よがしのビキニスタイルの競泳用水着を着るものもいたが、さすがに恥ずかしい。大人しめのサーフパンツ(勿論、サーフィンなどしていない、丘サーファーだ)姿がせいいっぱい。15分ほど、待っていてもなかなか彼女はやってこない。ひょっとしたら更衣室へ行くふりをして、そのまま帰られてしまったのではないか、という不安がもたげてくる。
確かに、話が上手すぎる。いきなりプールデートなんてありえない、そんな思いが心を重くする。それからさらに15分ほど時間が経つ。ようやく彼女が更衣室から現れた。心の中で安堵の溜息をつきつつ、喝采を上げる。白いワンピースの水着にくるまれたスレンダーな肢体。その長い手足を優雅にモンローウォークさせ、プールサイドでステップを踏む姿が眩しい。
私が先にプールに入ると、彼女はおどけながら水面へダイブした。水面に小石を投じると波紋が広がり、小さな輪は大きな輪へと転じる。そして、その波紋は私の人生に漣(さざなみ。なんていうスキンがあった!)を立てる。投げられた小石、その切っ掛けは一本の電話だった。
横浜へのドライブ
プールで、いちゃいちゃする、などというと卑猥なことを想像されるかもしれないが、水を掛け合ったり、手を引いたりする。ひょっとしたら、後ろから抱きつくくらいのことはしたかもしれない。昨夜、電話で話し、1時間ほど前に会ったばかりというのに、急接近だ。急速に二人の距離は縮まる。何が、そうさせたかはわからないが、少なくとも他の人が見たら、恋人同士に見えただろう。変にぎくしゃくしたところも、ぎこちないところもなかったはずだ。
プールサイドからは新宿の景観が見渡せる。だが、夏の陽は長い。黄昏色に街を染めるが、夜景というにはほど遠い。どういう経緯か、素敵な夜景を見に行こうと、横浜までドライブするという話がまとまる。当時、私は免許を取得していなかったので、私が話を振るわけはなく、彼女が言い出したのだと思う。ひょっとしたら、恋人ができたらしてみたい、理想のデートコースだったのかもしれない。
そのホテルに近い、青梅街道沿いのレンタカー屋で、車を借りることにした。車種などは覚えてないが、トヨタかニッサンの乗用車で、決して外車やスポーツカーではなかった。彼女はしっかり免許を持っていて、それをレンタカー屋に見せていた。後年、テレクラが危険化すると、犯罪防止のために、自らの身分を証明するものや高額な金銭を持たないという女性が少なからずいたが、そういう面ではまだ、おおらかな時代だった。私も信用されていたようだ。
新宿から横浜まで、どういうルートだったか、わからないが、心のカーステレオからは矢沢永吉の「チャイナ・タウン」が流れていた。関帝廟通りと市場通りの交差する、行きつけの中華料理屋へ行き、五目冷菜の盛り合わせから肉汁たっぷりの小龍包と青梗菜のオイスターソースかけ、天然有頭エビのチリソース煮などを頼み、紹興酒をロックでやる。当然、メニューは覚えているわけではないので、いかにもグルメに見えるように、こんな雰囲気で頼んだような気がする。当時は誰もが“行きつけ”の店を何軒か、持っていたものだ。しかし、ドライブにアルコール。いまでは飲酒運転の取り締まりや罰則が厳しくなったため相容れないものになったが、あの頃は、“俺たちの出逢い見つめていたのは甘くにがいウィスキー・コーク”ではないが、ドライブで洒落た店へ行き、酒を飲んで、平気で口説いていた。そんな時代である。
逆走のロードムービー
定番なら、中華街の後は“港の見える丘公園で、ベイブリッジを見ながら抱きしめ、キス”だろう。しかし、ドライブは続く。まだ、走り足りないらしく、小田原へ行くと言い出す。ほろ酔い気分で気持ちも大きくなったのだろう。もっとドライブをしたいようだ。小田原へは高速でなく、一般道を走ることになる。ところが、石川町から本牧へ抜けるトンネルで、なんと、彼女は反対車線に入ってしまったのだ! 途中で気付くもすぐには車線変更できず、側道を見つけ、あわてて、抜け出す。逆走は数分にも及んだ。今日、初めて会った女性と(勿論、長年の付き合いがあっても嫌だが)、心中などはしたくない。アルコールと変な高揚感で、舞い上がってしまったのだろう。まさに危険なドライブだ。
路肩に車を止め、彼女に落ち着いてもらう。10分ほど休んだだろうか。心と身体を休めると、これに懲りることなく、小田原を目指す。国道をひた走る。藤沢、平塚、茅ケ崎と順調に過ぎ、小田原の手前、国府津で車を止め、砂浜に出る。
砂浜に横たわり、海を見つめる。当然、海は黒く沈み、青い水面などは見えない。数時間前まで同じ水面でもプールだったことを考えると、随分と急な場面展開だ。空を見上げると新宿の夜景の代わりに星空が煌めく。このシチエ―ション、限りなく、恋人モードである。肩を抱き寄せ、キスくらいはしてもよさそうなものだが、そんな記憶はない。逸る気を押さえてではないが、流石、野外で、何か、よからぬことをする気にはなれなかったのか(先まで考え過ぎだ!)。
On The Road Again! さらにロードムービーは続く。小田原から箱根を目指すことになる。特に当てなどないが、箱根の峠道を車は進んでいく。新宿から箱根へドライブ、恋人気分を満喫しているようでいて、実は彼女を信じられない自分もいた。
ドライブインにトイレを借りにいった時のこと。我慢の限界になり、彼女に頼み、ドライブインの駐車場に車を止めてもらい、トイレを借りに行った。その時、私は迂闊にも貴重品を持たず、そのまま、鞄を置いて車を出てしまったのだ。トイレの中で、そのことに気づき、もし、戻った時に車がなかったらどうしようと心配になり、慌てた。果たせるかな、車はそのまま、移動することなく、駐車場に止めてあった。安堵して、彼女のことを一瞬でも疑った自分を恥ずかしいと感じたが、しかし、そういうことを思ったりするのは当然だし、変に舞い上がることなく、正常な判断ができていた証拠だろう。幸い、いい人に当たったとしかいえないが、危険と隣り合わせであることを常に意識しなければいけない遊びでもあったのだ。
箱根の峠をどこまで上ったか覚えてないが、展望台みたいなところで車から降りて、そこから明滅する小田原の町(かどうかは自信がない)を見下ろしたことは、ぼんやりながら心の雑記帳(!?)に書き留められている。そこから見た星空は小田原の海で見た時よりも近くに感じた。流れ星などが降っていれば、星に願いを的にロマンティックだったかもしれない(笑)。
箱根からそのまま伊豆まで足を延ばすという選択肢もあったが、夜の帳は既に降りている、これから伊豆へは遠すぎる。宛も計画もない小旅行だが、さすがに潮時。星空のドライブは、箱根から東京への帰路につく。東京へと東名高速をひた走る。実際はどういうルートだったかは不確かだが、随分と早く東京へ戻ることができたのだから、高速だったのだろう。
青梅街道沿いのレンタカー屋に車を返すと、既に終電の時間は過ぎていた。これからお互い自宅に戻るには遅すぎる。そのまま、青梅街道沿いのシティホテルに入った。副都心にある外資系のホテルでもなく、歌舞伎町や大久保にあるラブホテルでもない。まだ、恋愛やセックスという関係が曖昧な二人には自然な選択でもあった。
私達の関係とはどんな関係なのだろうか。スタートを切ったとたん、時間の坂を急速に駆け上り、気づいたら、ここまで来てしまった。シティホテルの清潔なダブルルームという頂に、ゴールインしようとしている。
近くのコンビニで、アルコールやソフトドリンクを買い込み、部屋に入る。まずは長旅(!?)の疲れと汗を落とすため、シャワーを浴びる。勿論、別に別に。私は思わず、頭まで洗ってしまう。ここまできたら、後、一押し。いろんな妄想や邪念が浮かぶ。そういえば、鞄の底には、もしものことを考え、コンドームは用意していた。
シャワーを浴びた二人はガウン姿になり、ダブルベッドへ横たわる。肩を抱き寄せ、唇を近づけると、目を瞑り、そのまま受け入れる。海岸や峠で、星を見ながらキスをするというのが常套手段だろうが、前述通り、何故かそんなクリシェは回避し、今回は慎重に対応したようだ。唇を啄みながら、ガウンの中に手を入れ、胸を弄る。水着姿を見た時からわかっていたが、スレンダーな肢体には似つかわしくない膨らみ。その感触だけは、掌に残っている。
少しもどかしげにガウンを剥ぎ取ると、私も慌てて、ガウンを脱ぎ棄てる。裸で抱き合う。まるで嘘のような本当の話。昨日の夜までは見知らぬ他人。それが一つのベッドの中にいる。白いシーツにくるまり欲望の海を泳ぎだそうとしているのだ。
果たせるかな、泳ぎだそうとしたところで急に、彼女の心と身体の均衡は崩壊し、フォームは空中分解ならぬ、水中分解を起こした。その女性は、私の耳元で、躊躇いと哀願を含みながらこう囁いたのだ。
「好きな人とでないと、できない…」
無理やりでもすることはできただろう。しかし、そうはしなかった。強引さが足らない、押しが弱いといえなくもないが、その時はそれでもいいと思った。考えてみたら、二人は裸で抱き合い、一つのベッドにいる。それだけで満足ではないだろうか。テレクラ自体が性的な記号を持つのは、もう少し後のことだ。出会いの装置であれば充分だ。そして、出会ってしまったのだ。少なくとも彼女はストリートからロードへと、私を引きずり出してくれた。そして、少しずつ、好きになってもらえばいい。
二人抱き合った朝の目覚めは、少しの切なさと少しの爽やかさが混じる。再会を約束し、携帯ではなく(携帯が一般化するにはもう少し時間がかかる)、自宅の電話番号と住所を交換する(そこにはある病院の女子寮の名前が書かれていた)。後に、彼女から手紙を貰うことになるのだから、その時は偽名ではなく本名を名乗っていたわけだ。
彼女の電話を最初に取ってから30数時間は過ぎていただろう。それが短いか、長いかわからないが、会社を辞め、フリーター同様の生活をしていた自分にとって、この出会いは退屈というやつにけりを入れ、とてつもなく興奮させられるものになった。
熱い夏だった。その年、1987年の夏が実際に熱かったかは、“天達(あまたつ)ーっ”のような気象予報士が検証すればいいことだが、私の体感では熱帯にいるようだった。焼けつくような日差しがアスファルトを溶かし、陽炎が浮かぶ。夜はその熱を冷ますことなく、湿気を孕みつつ、うだる。熱帯夜だ。
その夏の暑さは人々の思考回路を狂わせ、時には躁状態にもする。毎日が祭りのようだった。誰もが浮かれ、騒がしく、燥いでいた。
歌舞伎町とて例外ではなく、不夜城の住人達もサマー・カーニバルに興じていた。危険な香りを纏う夜の紳士達も百鬼夜行のごとく、跳梁跋扈する。甘い誘惑はキャッチ・ガールだけではない。客引き、ぽんびきが、通りの交差する十字路に立ち、道行くカモどもを狙う。かのロバート・ジョンソンというブルース歌手に「クロスロード」という名曲があった。ロバート・ジョンソンは夏のある日、十字路でギターがうまくなるために自分の魂を売ることを悪魔と契約する。彼はブルースで名声を得るが、その日から地獄の番犬に追われ、ほどなく契約通り命を奪われた……という伝説もあるくらいだ。
いまでこそ、街頭カメラや迷惑防止条例などが抑止効果となり、しつこい客引きなどを表面上は見かけることは少なくなったが、まだ、時代は混沌としている、世界に冠たる東洋一の歓楽街。メインストリートのならず者の如く、歌舞伎町のそこかしこに出没し、ほろ酔いの千鳥足で歩く、物欲しげな眼差しの男達に、「5000円ぽっきり」や「いい子がいます」などと、甘い言葉を投げかける。時には、客ともめ、警察沙汰になることもある。交番にカモどもが泣きつくが、当時は暴力事件などが起こらない限り、警察は民事不介入で取り合わなかった。警察は昔も今も私達の味方だった例がない。
私も歌舞伎町通いを続け、この街の住人らしくなり、しつこくつきまとう客引きなどを、やんわりとかわす術を身に付たと思っていた。
ところがお盆の最中(帰省とは無縁の東京生まれ、東京育ちの都会人の私だ)にもテレクラ通いを続けていたとき、夜食を取りに通りに出たところで、客引き達につかまってしまった。
お盆で客が少ないこともあって、焦燥感か、彼らも必死、かつ、高圧的だった。普段なら話かけることはあっても腕をつかまれることなどない。ところが掴んできたのだ。それを振り切るため離せと怒鳴り、無理やり解くと、彼らの態度が変わった。いきなり胸ぐらをつかみ、金を出せ、と、客引きから恐喝に変わったのだ。
財布を出すようにいわれ、しぶしぶ、ジーンズのポケットから出すと、彼らは財布の中身を見た。中には小銭しかなく、ほとんど空だった。彼らが呆れ、諦めた隙をついて、一気に通りを駆け抜け、逃げ切った。
実は、予め財布から札を抜いている。札は靴下に忍ばせていた。歌舞伎町は危険な街だ。それくらいの備えが必要ということ。備えあれば憂いなし。何事も用心し、慎重であることにこしたことはない。風俗情報誌で、客引きにつかまった時の傾向と対策を予習していた成果だ(笑)。
テレクラ修行僧
相変わらず、私の修行時代は続くが、その頃にはだんだんとコールが取れるようになってきた。受話器を耳にあて、フックに指をかける。鳴ると同時にフックを上げる。それが随分と迅速にできるようになった。同時に、集中していると、電話が鳴る前に着信ランプの点灯を一瞬に確認、コールが取れるようになる。さらには点灯する前に、コールが回線の中を疾走することを瞬時に察知し、コールを取れるようになってくるのだ。
錯覚みたいだが、コールが回線を駆け巡る瞬間、まるでフローリングの床にパチンコの玉を落とし、転がるような音や、鍵穴に合鍵を差し込んだ瞬間のような音がするのだ。擬音化すると、カチッとなる。そのかすかなきっかけを逃さず、フックを上げると、コールが取れる。
恐ろしいまでの集中力。多分、当時は動体視力と反射神経も高かったはず。くだらない話だが、フリーター時代を経て、ある企画会社に短期間おせわになったとき、そこでも会社の電話に瞬時に反応し、早取りをしてしまうことがあった。いわゆるテレクラあるあるではないが、電話が鳴ると、思わず身体が反応してしまうという同志も多かったはずだ。
幼少期、家が裕福だったため、算盤や習字、お絵かきなど、いろんな習い事をさせられ、青年期にはギターやピアノなどにも手を出したが、どれも続かず、ものにならなかった。一角の人物になるため、親が整えてくれた環境はどれも無駄になってしまった。ところが好きこそものの上手なれ。テレクラ術(というか、コールの早取り術!)だけは恐ろしいほどの熱心さで習得に励んだ。不思議なもので、そんな努力はまったく苦にもならない。むしろ、創意工夫しながら、楽しんでいた。
ボディコン+ソバージュの女
早取り術を習得した私は漸くコールが取れるようになった。これでテレクラというレースに初めて加われるというもの。そんな中で、一番、嬉しいのが公衆コールという、公衆電話からの電話だ。公衆コールは、既に歌舞伎町などにいて、これから会おうという気でかけているから、アポも取りやすいのだ。勿論、そう美味しい話は転がっていない。
その女性は外資系の企業に務める20代後半のOLで、会社帰りらしく、新宿駅の公衆電話から掛けてきた。ロングのソバージュ(椿鬼奴の髪型を想像してもらいたい)で、ボディコンだという。既に死語となっているが、いわゆるイケイケ系(派手で、恋愛やセックスに積極的)だ。
新宿東口の老舗書店、紀伊国屋の階段のところで待ち合わせた。
彼女がやってきた。その女性は、恰好そのものは確かにボディコンにソバージュ。しかし自称年齢に優に20歳から30歳は足さなければならない容貌だった。ソバージュというより、ただのおばさんパーマ。化粧が厚塗りで、浮いている。また、あきらかにブランドものとはほど遠い、紛い物を纏っている。どこが外資系のOLなのだろうか。いくら、基本、嘘やかりそめが許される世界といえ、20、30のサバ読みは掟破り、ルール違反だろう。
とりあえず、飲みに行きましょう、と、声をかけ、歌舞伎町へ向かう。靖国通りに面した安そうなチェーン店の居酒屋へ入ることにする。その店は階段を下りた地下にあるのだが、まず彼女に先に下りてもらう。その女性の視線から私が消える、その隙に、一目散に逃げ出した。いまにして思えば随分と悪いことをしたが、時間と金は無駄にしたくなかった。付き合う気もセックスする気もない女性と酒を飲むのも、その金を払うのも無駄なことだ。“time is money”、“greed is good”の時代だ。欲望に忠実、対費用効果、効率的であることに躊躇いはない。
思えばこの時代、逃げ足だけだが、随分と俊敏で、俊足になったような気がする。born to runではないが、走らなあかん、夜明けまでのように、連日の如く、歌舞伎町を疾走していたようだ。ものすごい運動量だぜ。
もっとも、全力疾走しつつも歌舞伎町からは抜け出せずにいた。この街の住人達との小さな物語を紡いでいるだけで、ストリートの先のロードへのチケットは、持ってはいなかったのだ。
女子寮からのコール
“A boy meets a girl,A girl meets a boy”の物語は突然、やってくる。
その電話は、いかがわしいキャッチや怪しい公衆コールをやり過ごし、少しコールが落ち着いた、終電の1、2時間ほど前の1本だった。その女性の電話は自宅(後で知ることになるが女子寮)からだった。住んでいるのは京王線の先、東京と神奈川の県境あたりだという。公衆コールではない、新宿にいるわけではないから、すぐには会えない。後日、会う約束を取り付けなければならない。その分、どっしりと構え、じっくりと話さなければならない。
聞けば、看護師で、明日は丁度、休日だという。どんな休みを過ごすかみたいな話になったと思う。年齢は20代半ばで、新人ではないが、病院では中堅というところらしい。いうまでもなく、看護師の仕事は時間が不規則。土日も休みということはない。それゆえ、友人と時間や休日が合わず、なかなか約束をすることもできないという。
そんな時、私は都合のいい男になる。フリーターみたいなものだから時間はいくらでも作ることができるのだ。
どういう経緯で、アポを取り付けたかは定かではないが、彼女がシティホテルのプールへ行くことに興味を示したことは覚えている。ホテルのプールなど、バブル時代だからか。プールサイドで、素敵な女性の水着姿を横目で眺め、文庫などを読むなんていうのが流行っていた。そこにトロピカルドリンクなどがあればいかにもという感じだろう。
私自身、決して裕福という状況ではないが、ある外資系のシティホテルのプールは夕方になると極端に料金が割り引かれ、2000円もしないことを知っていたので、そんな優雅な気分と淡いアバンチュールを求めて、何度か利用したことがあった。実際、プールサイド・ナンパもかつて成功させたこともあった、と自慢しておく(笑)。
シティホテルの最上階にあるプールで泳ぐという話を振ると食いついてきて、どういうわけか、二人で、泳ぎに行こうということになる。翌日、そのホテルのロビーで待ち合わせをすることになった。待ち合わせは、プールの割引になる時間に合わせているはずだから5時過ぎだったと思う。
私に運命のマーメイドがやさしく微笑みかける。人魚姫と欲望の海を泳ぎ切れるのか。それは甘美なるロードムービーの幕開けでもあった。そこには星空のドライブが待っている。
木造仮設住宅への注目が海外でも高まっていることをうけ、弊社刊『木造仮設住宅群──3.11からはじまったある建築の記録』(2011年12月刊/制作・はりゅうウッドスタジオ/写真・藤塚光政)の英語版小冊子を作成しました。
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『木造仮設住宅群──3.11からはじまったある建築の記録』をご購入いただいた方には、この小冊子を無料でお送りします。
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※申込期限◎2012年9月30日
※在庫がなくなり次第、配布を終了します。あらかじめご了承ください。
また、小冊子のPDFを公開しました。
・「wooden-temporary-housing-group-architecture-from-311」小冊子PDF(サイズ:7.7MB)
2012年6月27日発売予定の新刊『論集文字 第1号 改訂版―漢字の現場は改定常用漢字表をどう見るか』の予約受付を開始しました。

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◎論集文字 第1号 改訂版―漢字の現場は改定常用漢字表をどう見るか
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2012年6月27日発売予定の新刊『劇画家畜人ヤプー4【復刻版】―無条件降伏編』の予約受付を開始しました。

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◎劇画家畜人ヤプー4【復刻版】―無条件降伏編
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“未来の恋人”とは、まだ、出会えずにいた。オルフェではないが、振り返ることなく、愛するものの手を引いて、冥界から連れも出すことも、振り向いて冥界に落ちることもできずにいたのだ。
あの時、振り返ることさえなく、踵を返してしまった。私は、冥界に落ち、もうひとつの迷宮を彷徨うことになる。
現在、ボストン・レッドソックス、当時、西武ライオンズの松坂大輔投手。1999年4月21日の対ロッテ戦では黒木知宏と投げ合い、0対2で敗北したが、その試合後に「リベンジします」と宣言。その言葉通り、松坂は、4月27日の対ロッテ戦で再び黒木と投げ合い、1対0で完封し、リベンジを果たす。松坂によって、「リベンジ」という言葉が一般に認知された。松阪は1999年の新語・流行語大賞の受賞者にも選ばれている。
つまり、リベンジという言葉が一般に浸透するまでにはあと10年ほど待たなくてはならないわけだが、その時から、私の中には既にリベンジへの思い、雪辱しなければという気持ちが湧き上がっていた。
我ながら立ち直りが早いというか、その失敗や後悔が私の心と身体に火をつけた。あの日から三日と空けず、リターンマッチを開始。気づけば、週に何日も、時には連日というテレクラ通いが始まった。当時の身分はフリーター、要は家の手伝いやアルバイトだから残業もなく、定時に仕事を終えると、自宅で夕食を食べてから新宿へ繰り出すというパターン。歌舞伎町にいるのは終電までだが、時には始発までということもある。テレクラに何時間も粘ることがある(当然、テレクラに粘るというのは理想的な状況ではない)。
鳴らない電話をとるワザ
リベンジの第一ラウンドは、電話との格闘だ。テレクラで早取りの店に行ったことがある方ならわかると思うが、本当に電話が取れず、話すことさえできないという経験をした方はたくさんいるはず。それは会話術や口説き術以前の問題だ。
ボックスにはいわゆる複数回線の電話、当時のオフィスなどで見かけたものと同タイプものが設置されている。複数回線といっても10回線もなかっただろう。もし、そんなに回線があれば10部屋ほどだから全員にコール(女性からの電話)が行き渡るというもの。電話が鳴ってから受話器を取ると、もうすでにコールは取られているのだ。ならばどうすればいいのか。なかなか、思いつかない。
そこは、調子のいい私のこと、しっかり(というか、ちゃっかり)とお店の人に助言を求めた。そうすると、受話器を耳にあてたままにして、受話器のフックを指先で押さえればいいという。
確かにベルが鳴ってから受話器を取るのと、雲泥の差。随分と敏速にコールを取ることができるのだ。
自慢話ではないが、風俗遊びをしている頃から、私は不思議と店のスタッフや女の子に好かれていた。特に容姿端麗の好男子、贅沢三昧の金満紳士でもないのに、他の客よりは扱いがはるかに良かったように思う。
錯覚かもしれないが、店員がいい子を付けてくれたり、女の子から店内でご馳走される(何故か、寿司を出前してくれた)など、破格の扱いを受けたことも。思い当たるとしたら、それは、いかにも客という態度を取らず、働いている人達に敬意と信愛を持って、接していたことだ。決して、横柄な口をきいたり、横暴な態度を取ったことはない。時には、店の女の子だけでなく、店員にもさりげなく、差し入れまでする。姑息な手段かもしれないが、環境を味方につけろ、だ。それが風俗店などで、より効率、かつ、有効に遊べる方法ではないだろうか。
そんなわけで、他の会員より先んじるわけだが、フックに指をかけるなど、勿論、誰もがやっていること。その技を磨くためには、さらなる修行をしなければならない。
ボックスへ入り、電話を前に、リクライニングチェアーに腰を下ろすが、指先をフックにかけるため、寝っころがるわけにはいかない。前のめりの姿勢をとる。まるで、私の人生か(そんなわけない!)。
耳をこらし、指先に神経を集中する。ベルが鳴り、フックを離すがそれでも取れない。先達はどこにでもいるものだ。“全てのことはもう一度行なわれてる。全ての土地はもう人が辿り着いてる”。かつて、かのムーンライダーズが歌ったように、「マニアの受難」である。そんな状況に焦りを覚えつつも、私の頭の中では、数年前に流行り、ラジオやテレビ(当時はMTV番組も結構、たくさんあった)で頻繁に流れていたFrankie Goes To Hollywood の「Relax”」が鳴り響く。フランキーも“リラックス!”といっているのだから、落ち着かなければ。
落ち着いたからといって、すぐに取れるものではないが、コールバック(一度、回線が繋がるものの、気に入らない相手だとフロントに戻されるコール)くらいは取れるようになる。いわゆる余りコールだから、当たり前。
もっとも、そのコールは、基本的にテレクラの客が相手にしないものだ。悪戯だけでなく、明らかにキャッチ・ガールという場合も多いからだ。
流石、欲望と陰謀が渦巻く街・歌舞伎町だ。遊びにも常に危険が付きまとう。犯罪の匂いが漂う。歌舞伎町ではキャッチ・ガールという、ほろ酔い気分で、すけべ心丸出しの男性を文字通りキャッチして、ビール1杯などで、法外な料金を請求する“ぼったくりバー”に引きずり込む行為が横行し、問題化もしていた。
勿論、情報通は、風俗情報誌などで、情報収集に余念がなく、傾向と対策を講じていた。その危険性を充分に理解し、一切、関わらないようにしなければならない。
キャッチ・ガールの口説き文句は、「もう少し飲みたいから、私の知っている店にいきませんか」というもの。通常は路上で、声をかけるが、カモを求めて、テレクラにもかけてくる。常連(!?)のキャッチ・ガールは2人いて、1人が40代の女性、もう一人が20代の女性だ。
大体、どこから掛けてるくるかもわかっていた。コマ劇場の前の電話ボックス。ある意味有名人なので、店員や客同士でも噂になり、情報も回る。
本来、風俗店で客同士の対面など、ばつが悪く、会話など弾むはずもない。ソープやヘルスなどでは、待合室で和やかな会話があるわけでもなく、下を向いて黙っているか、新聞や雑誌を見ているもの。
それを思えば、客同士の会話が成立するくらい、そのテレクラがある種の特別な“場所”だったということだろう。そんな仲間達との艶笑喜劇のようなエピソードは、またの機会に譲らせていただく。
彼女達が出没するのが午後10時から11時くらい。1軒目でほろ酔いになり、2軒目、3軒目を探し、ふらふらしている男性をカモにするのだから、そのくらいの時間がいいのだ。終電間際だと、最終電車に乗るために、酔客とはいえ、足早に駅を目指し、声をかけても立ち止まらない。私は勝手に、“キャッチ22”といっていた。勿論、かのクレイジーでコミカルな反戦映画にちなんでいる。
キャッチ・ガールとの危険なカニデート
そのキャッチ・ガールだが、前述通り、テレクラだけでなく、路上でも酔客に手当たり次第に声をかけている。彼女達は街の有名人。歌舞伎町を根城に遊んでいれば、幾度となく、見かけることになる。
その20代の女性は、意外と美形で、自称・女子大生。歌舞伎町には似つかわしくないハマトラ風の出で立ちで、キャバクラ嬢みたいに華美でないだけに、まさか、キャッチとは感じさせない、女子大生という言葉にもなんとなくリアリティーがある。
何故、そんなに詳しいかというと、デート(!?)をしたからだ。虎穴に入らずんば、虎児を得ずではないが、例え、キャッチ・ガールでもテレクラで女性と会うという経験を、まず積む必要があった。どんな女性であれ、電話を介して会うという経験がやがて、次の展開に繋がると考えていたのだ。勿論、あわよくばという下心もあった。そういう意味では、なんと求道的なこと。放漫経営が原因の保証人騒動で学生仲間と作った会社を親に強制終了させられ、それ以来、熱くなるものがなかった当時の私にとって、初めて熱くなれたものかもしれない。
それに、芸能人や事件などに体当たりで突撃するワイドショーのリポーターように、まずは当たって砕けろ、だ。そんな心意気と前向きさで、この危険な賭け(!)に挑んだ。
彼女との短い会話(この手の女性は長いこと話して、カモを選り分けるなどという面倒なことをしない)を交わすと、アポを取り付ける。待ち合わせはコマ劇場の前。すぐ次に移れるように、お互いにとって、ロスの少ないところで、場所を決める。
流石、その女性の知っている店へ直接行くのは怖いので、テレクラの面した通りにあるカニ料理の店へ行くことにした。まずは偵察、内偵を入れる。そうだ、俺はテレクラ探偵だ(笑)。その女性(名前は聞いたと思うが、全然、思い出せない)は、遠慮もなしにというか、おかまいもなしに、どんどんと料理や飲み物を注文していく。この辺の感覚、バブル景気に華やかなりし頃のアッシー、メッシー、ミツグクン(男を運転手代わりに送迎させたり、財布代わりに食べたり、買い物をしたりする)にも通じるものがある。そんな言葉が世に流布されるのは89年だから、既に言葉以前に、そんな土壌が出来つつあった。
蟹しゃぶや焼き蟹、蟹の天ぷら、カニ寿司など、まさに蟹のフルコース、蟹三昧である。何を話したか、いまとなっては覚えてはいないが、学校のことやファッションのこと、趣味のことなど、他愛もない話をしたと思う。ちゃんと、事情聴取するつもりが、その食いっぷりに、あっけにとられ、食べる姿を見つめるばかりというところか。
そして、食事を終えると、ついにきた、「私の知っている店に行きましょう」という決まり文句。危険な世界の扉が開く魔法の呪文である。
実は、その女性が連れ込む店はわかっていた。彼女が男性を連れ込む光景を何度も見ている。その店は、同じく、テレクラのある通りのどんづまり、寿司屋の前にあるスナックのような店。小さなビルの1階にあり、通りに面している。決して、路地裏で、迷路のように入り組んだところにあるわけではなく、むしろ、通りに面しているから入りやすく、逆にいえば出やすい。同時に鉄の門扉ではなく、ガラス戸である。
最悪、ビール一杯で、有無をいわせず出てしまえばいい。いまにして思えば、向こう見ずというか、危険な賭けをよく平気でやったものだ。
その女性と、曰くある店に入る。中は場末のスナックという感じで、パーマ頭の中年の女性がママをしている。当然のごとく、キャッチ・ガールとママはぐるだから、ものすごく仲がいい。軽く耳打ちをしているところを見逃さない。どのように身ぐるみを剥ぐかを算段しているかのようである。
ここは、まずビールにする。勿論、まずだけで、次は頼まない。その女性からの追加注文も受け付けない。店内を見回しても誰か隠れるようなスペースはなく、何かあれば、外からその筋の方が駆けつけるのだろう。
とりあえず、女性2人だけだから、逃げ時さえ、間違わなければ大過はないと、心づもりをする。ビールを飲み干すと、店を出ることをきっぱりと告げる。ママはあっけにとられたみたいだが、会計はしっかりと5000円だった。ビール1本が5000円。間違いなく、ぼったくり。予想したことだ。顔色を変えることなく、5000円を払い、店を後にする。ドア越しにケチ! という罵声が飛んでくる。
今考えてみれば、ビールに睡眠薬などが入っていなくてよかった。後年、ぼったくりは悪質化、凶暴化し、アルコールに睡眠薬を混入させ、酔いつぶれているうちに財布から現金やカードを抜きとるという行為も横行した。なかには昏睡状態のまま、寒い冬空に放置され、そのまま凍死してしまうという事件も起きた。
まだ、新宿・歌舞伎町が歌舞伎町らしい時代だ。街が浄化されると、環境がよくなるかもしれないが、しかし、そうすると無くすものも多くなる。その時、まだ、歌舞伎町は様々な欲望と希望と混沌と喧騒…を抱え、金環食のような繁栄を極めようとしていた。
私の修行時代は、さらに、続く。駆け引きと思惑だらけの街で、ファム・ファタールと、出会うことはできるのか――。