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第9回■テレフォンライン(一本の回線が繋ぐ命の電話)

桜ヶ丘

釣り場や狩場を変えながらの転戦の模様を前々回、前回と、報告させていただいたが、テレクラそのものの場所も変え、転戦することになる。

時期はうろ覚えだが、新宿に少し手詰まり感が出て来たため、新宿から渋谷へと、河岸を変えてみることにした。渋谷は通っていた大学や学生時代に務めた会社の事務所があったので馴染の地ではあったが、あまり、遊び場という認識はなかった。

その店は「アンアン」という某女性誌から拝借したような名前(風俗店には、この手の店名が多い)で、渋谷でも少し奥まった桜ヶ丘にあった。

当時、桜ヶ丘は渋谷駅に近いにも関わらず、マンションや住宅が立ち並ぶ、閑静なところだった。道玄坂や宮益坂などにあるテレクラと比較すると、隠れ家的なテレクラといっていい。

同店へ至る手前の坂を上ると、有名な中華飯店があり、その先には、なんと、ドラマ『岸辺のアルバム』のロケでも使用されたラブホテル(当時からかなり老朽化していた)があった。さらにその奥へ行くと、かつて、かのロス疑惑の三浦和義が経営したブティック『フルハムロード良枝』もあった。さらに、S女性とM男性をカップリングするSMバー(まだ、フェティシュバーやハプニングバーなどという言葉ができる前のこと)まであった。閑静な住宅に欲望が渦巻く(!?)、まさに穴場的なところだ。

駅を出ると、センター街など、渋谷の喧騒にまみれることなく、そのまま辿りつけるのがいい。まさにお忍び感覚で、秘密基地に行くという雰囲気が好きだった。歌舞伎町の風俗街的な雑多さは好きだったが、渋谷の学生街的な雑多さには馴染んでいなかったようだ。

渋谷がブルセラや援助交際の街(ブルセラ、援助交際という現象や言葉は90年代に入ってから一般化する)になるには、もう少し時間がかかる。チーマー(チーマーという言葉は1989年に作られたとされている)が出没し、新宿以上に危険な香りを醸す、前のことだ。

その女性の電話を取ったのは、深夜ではなく、まだ、9時過ぎくらいだったろうか。
「アンアン」は早取り制ではなく、取次ぎ制である。どういう経緯で私に回ってきたかわからないが、彼女の声のトーンは低く、ある種のやるせなさみたいなものを帯びていた。いきなり、これから会って、セックスしましょう、みたいな軽い乗りではない。

長い会話になることを覚悟した。セックスできる云々は別として、アポが比較的、容易に取れるようになったのは、私がじっくり話す(というか、聞く)からというのがある。焦ることなく、落ち着いて話を進める。「いま、どこ? これから会わない!?」などと、間違っても、性急に口走らない。

まずは、お互いに簡単な自己紹介をする。その女性は30代の看護師だった。仕事を終えて家に帰ってきたばかりで、誰かと話したくて電話をしたという。彼女は心に問題を抱えていた。ある男性と結婚の約束をしていたが、その男性の母親の反対で、破談となってしまったのだ。

いきなり、重たい話である。確かに、一人で抱え込んだまま朝を迎えるには、しんど過ぎる。少しでも話して、軽くしたいのだろう。
婚約破棄は、その男性から直接言われたものではなく、彼の母親が“宣告”したのだそうだ。本人から言われるのであればまだ納得もいくが、いくら親とはいえ、当事者でもない人間からの一方的な通告。彼女自身、理不尽さを感じ、わだかまりが消えない。婚約者からは一切、連絡がこず、また、連絡をしてもまったく繋がらない状態だという。彼女からしてみれば突然の出来事で、まさに晴天の霹靂。こんな理不尽なことがあってもいいのだろうか、という気持ちである。

他人事ながら、その親子に怒りを覚えた。かの佐野史郎がドラマ『ずっとあなたが好きだった』で、“冬彦さん”なるマザコン男を演じるのは1992年だが、まるで、マザコン男が母親の言いなりになっているようだった。

彼女は、母親の電話を受けてから、食事がのどを通らなくなったという。水分もあまり補給してないようだ。一瞬にして、拒食症になってしまったのだ。

安易な励ましや慰めなどはできなかった。彼女が求めているのは、そんなものではないと感じた。男と女である。何が正しく、何が間違っているかは、一概にはいえないし、軽々しく善悪を論ずるものでもないだろう。しかし、彼女が怒りや憤りを抱くことは決して間違ってはいない。誰が聞いても理不尽なことだ。その思いを肯定はしてもらいたいという気配は感じとることはできた。ともに怒りの炎を燃やし、悔しさの露を払う、共感者(もしくは共犯者?)が必要だった。彼女は自ら抱えている、いいようのないものに対して、第三者の判断を仰ぎたかったのかもしれない。

何故、そう思ったかというと、“証拠のテープ”を聞かされることになったからだ。実は彼女、その母親との会話を自宅の電話の留守電に録音をしていた。

留守番電話。いまでこそ当たり前(というか、様々な機能がついた携帯に比べると、極めて原始的な機能だ)だが、当時はようやく留守番電話が普及したばかり。携帯やポケベルが一般化する以前、家にいなくて電話を取れなくても、相手の用件を聞けるだけでも画期的だった。その機能を利用し、婚約者の母親と会話しながら、留守電のスイッチを入れ、録音していたのだ。

今度はその機能を利用し、私と話しながら、その会話の録音を再生する。一瞬、その母親と直接、話している錯覚を覚える。聞いていると、嫌味なものいいや見下した発言の連発に、当事者でなくても反発を抱き、憤怒の情が込み上げてきた。その理不尽な発言には耐えがたいものがあり、思わず、怒鳴りたくなってしまう。

家柄が違う、などというと、旧態依然のものいいだが、看護師として働いている彼女の職業への不満と、結婚しても仕事は続けることへの反発が、山の手の嫌味な“ざあます”言葉で語られる。慇懃無礼とでもいうのだろうか。罵詈雑言ではないが、そこには悪意と敵意しかない。同時にその背景には、自らの息子が親の承諾しない相手と結婚を考えたことへの焦燥と嫌悪が満ちている。

私自身、ざあます言葉を操る、似非上流階級(!?)には敵意を抱きこそすれ、決して好意などを持つわけがない。

状況証拠や前提条項で判断するのはいかがなものかと思うが、仮に裁判員裁判なら、その女性が正しく、母親が間違っていると、私は判決を下すだろう。彼女はそんな判決を待っていたのかもしれない。

創世記のテレクラの役割

婚約破棄を宣告した会話の録音など、誰にでも聞かせられるものではない。それは、自分の恥部を晒すことだ。だが、テレクラでは容易に晒すことができる。むしろ、テレクラでなければ、彼女の憤りや怒りを思惑や対面を気にすることなく、肯定するという、共感者を見つけることができなかったのだろう。

いくら友達や親類でもいえない、秘密の会話。テレクラだからこそ、彼女は包み隠さずに言うことができたのかもしれない。

私がその会話を聞き終え、同じように怒りを感じたというと、彼女は幾分、元気になって、声のトーンもいくらか高くなってきたように感じた。いったい自分のどこがいけないのか、自分では判断できず、第三者に委ねたかったのだろう。あまりに混乱し、混沌としてしまった自分の揺らぎやぶれをどこかで、修正しなければならない。それをテレクラに求めていた。

テレクラが出会いの機能を果たすのは言わずもがなだが、それ以前は、相談相手を見つけるものでもあった。あたかも子供電話相談室のように、テレクラも、創世記には相談や話し相手を見つけられる場所であることを喧伝していたのだ。「素敵な彼がいる」ではなく、「話を聞いてくれる男性がいる」、ということで、女性側の抵抗感を払拭しようとしていたのかもしれない。

テレクラが、実際に会うためのものではないとすれば、清水節子(テレフォン・セックス考案者。風俗リポーターとして、懐かしや『11PM』などの番組でも活躍。70年代から80年代にかけて一世を風靡した。80年代後半まで開設されていたが、最盛期は70年代半ば)のテレフォン・セックスの素人版みたいなものの端緒といえなくもない。
テレフォン・セックスは当初、いまでいうテレフォン・セックスという疑似性行為をするだけではなく、性の悩みや問題にも答えていた。それと同じように、テレクラ創世記は話し、聞くことだけで完結していたのだ。

同じ量の“怒り”

その女性とは、証拠テープを聞かされてからも延々と話すことになる。実は、私が学生時代に務めていた企画会社の同僚の女性が同じような“痛い目”にあっていた。その女性は仕事の打ち上げ後、酔って、彼の実家に電話したら、たまたま母親が出てしまい、ほろ酔い口調を咎められ、かつ、深夜(といっても11時前だが)まで、仕事仲間といえ、男女複数で、酒を飲むという行為をたしなめられた。彼女自身も婚約をしていたが、母親の意向で、婚約破棄されてしまう。それも同じように、彼からちゃんとした説明もなく、母親からの一方的な宣告によってだ。その彼女は、彼へ電話をしようとしても、実家なのでかけても取り次いでもらえないため(この辺が携帯以前のことだろう)、手紙を送るしかなかった。そこには当時、流行った近藤真彦の「ケジメなさい」(1984年の紅白歌合戦の出場曲!)の歌詞を引用し、“ケジメなさい”という言葉が綴られていた。

しかし、ケジメはつけられることはなく、曖昧なまま、うやむやにされ、傷心の彼女はニューヨークへと旅立ってしまった――。

同僚の女性とは恋愛関係などにはなかったが、大事な仲間を傷つけた、ケジメのつけられないマザコン野郎は、忌避すべきものとして、心の片隅に置かれたのだ。

それゆえ、30代の看護師の女性の“悲劇”は、他人事と思えず、身近なこととして憤慨もした。その女性と同じ怒りの量で、怒りを持ったといっていい。

話は延々と続き、朝を迎える。始発の走る時間である。私も仕事があったが、彼女は、食事ができないだけでなく、ほとんど寝ることもできていないという。性欲は抑制できても食欲や睡眠欲は堪えることができないものだが、完全にその欲求が減退している。それが続けば、彼女の身体が持たないばかりか、精神的な失調も起こしかねない。

私は話を切り上げ、まずは寝ることを促した。寝なければ、意識も朦朧とし、適切な対処方法なども見つからないというものだ。

彼女自身は話し足りないらしく、もっと話したいという。思わぬアポだが、その日の夕方に会うことになる。公園通りのパルコの前で、待ち合わせることにした。さすがに渋谷のハチ公前では、人が多過ぎ、待ち合わせてもわからない。我ながら、正しい選択だと思う。

彼女の服装を聞くと、大きな花柄のワンピースだという。目鼻立ちははっきりして、派手目ともいう。看護師とは“星空のドライブ”をした女性以来、ときどき、テレクラで遭遇する機会があった。なにしろ、テレクラの御三家的(看護師や保母、主婦などが当時、テレクラを比較的、頻繁に利用していた。勤務時間や育児の時間、友人との祝日の関係で、出会いが限られる)存在でもあったからだが、看護師は、仕事場ではどちらかといえば地味で、華美さより、清楚さが求められる。しかし、オフになると、派手な服装や化粧をするという女性が多かった。電話の内容と、服装や容姿に違和感を若干、覚えつつも、看護師だからそういうものだろうと、勝手に判断した。

その朝、テレクラを出て自宅に戻り、1時間ほど仮眠をすると、仕事先へ向かった。あまりの睡眠不足で、たいして仕事にならなかったことを覚えている。とても給与に見合う仕事をしていたとは言い難い。申し訳ない(涙)。

約束の時間までになんとか仕事を切り上げ、仕事場から渋谷へと急ぐ。果たして、彼女は来るだろうか。かなり朦朧とした中でのアポだから難しいところかもしれないが、しかし、数時間、それこそ、夜から朝まで話し合った二人である、信頼感みたいなものも芽生えているはず。まさか約束は破られることはないだろうと、信じていた。まだ、人の心や情けが信じられる時代でもあった。
渋谷駅から公園通りの坂を、パルコへと上った。するとそこには、“一杯のかけそば”ならぬ、“一杯のカレーライス”という“ドラマ”が待っていたのだ。

いただいた本●書店の未来を創造する─本の学校・出版産業シンポジウム2011記録集

出版メディアパル・下村さんからいただきました。

書名●書店の未来を創造する
副書名●本の学校・出版産業シンポジウム2011記録集
編●本の学校
発行●出版メディアパル
定価●2,400円+税
2012年7月10日発行
ISBN978-4-902251-52-4 C2000
A5判/192ページ/並製

出版メディアパルのサイトで購入する

●本の説明

1995年から5年間にわたり、鳥取県大山町で開かれた「本の学校大山緑陰シンポジウム」は、その後ほぼ2年ごとに場所を変え、2006年からは、東京ブックフェア会場での「出版産業シンポジウムin東京」に引き継がれました。本書は、その「出版産業シンポジウム2011」の全記録である。

●主な目次

●第一部:シンポジウム2011「いま改めて書店について考える―本屋の機能を問い直す」
電子書籍が大きな話題になる中で、書店が衰退業種のようにみられることもある。果たして今後、書店が果たすべき役割とは、そして、魅力の源とは何なのかを考えることで、書店の未来像を探る。

●第二部:4つの分科会報告
第1分科会:書店に求められる人材とは
第2分科会:“近刊情報”で出版ビジネスはこう変わる
第3分科会: “理想の書店像”をゼロベースで考える
第4分科会:電子図書館の現状と出版産業のこれから

第8回■エコーズ

転戦

“相棒”との転戦(というか、相棒との出会いによって、出会った人達との転戦かもしれない)の模様を簡単に書き記しておく。

池袋の合コンで会った“お嬢様”から知り合いの女性を紹介された。
それも一人や二人ではなく、かなりの人数になる。そのなかには、全国展開する“花嫁学校”(いまとなっては、曖昧な学校である)の経営者の息女もいた。いまでいう“セレブ”な出自で、まったくの箱入り娘。誰がどう見ても美人という容姿で、有名なテレビ番組の放送作家や映画のプロデューサーなども知り合いだった。そういう意味では、箱入りといいつつ、なかなか、好奇心旺盛な発展家でもある。

何故、私などを紹介したかわからないが、“お嬢様”の豊富な人脈のバリエーションを示すには、私の登場が必要だったのかもしれない。私も紹介された手前、その女性と“デート”らしきことも数回した。ただ、イタリアンにフレンチ……店選びやメニューなどに気を使ったデートなどは、面倒くさいとしか思えなかった。勿論、継続するはずもない。

また、先の“合コンお嬢様”の人員の調達先である、異業種交流会的な社会人サークルにも顔出しさせてもらった。そのサークルでは合コンだけでなく、クルージング、キャンプ、テニス、ゴルフなどもしていたので、私もそれらに参加した。

そんな中から、共同でディンギー(小型のボートのこと。一般的には風を動力とするセーリング・ディンギー、ヨットを指す)を持とうなんていう話がされ、本気で葉山や逗子に係留させようという案も出ていた。まさに、バブリーな、あの時代ゆえのことか。

大学時代に仕事をしていなかったら、当時の大学生や新卒の社会人がしていそうなことをこのとき経験していたのだと思う。それだけ、世の中は浮かれていたのだ。

恥ずかしながら(そんな恥ずかしがることはないが、私の感覚では充分に恥ずかしい)、社会人サークルでは、合コン感覚で、初めてかの“鼠の国”にまで行くことになった(そこから名前を拝借した風俗店、ティズニーには行ったことがあったのだが!)。しかし、それは苦い思い出となった。たまたま、同行した男性の中にいわゆる女性に嫌われるタイプの男性がいたため、いつの間にか男子と女子のグループに分かれてしまい、「ホーンテッドマンション」は男同志でドゥームバギーに乗る羽目になったのだ。おまけに「ビッグサンダー・マウンテン」ではキャストから男性同士でいらしたんですか、と、余計なことをいわれる始末(涙)。

サークルの仲間が顔出ししていた“ねるとんパーティ”にも行き、そこでもちゃっかり当たりをつけ、何人かとそういう(ご想像にお任せする)関係にもなった。ねるとんパーティは元々、いまでいう婚活というか、出会いを求めているわけだから、ストリートなどで何を目的としているかわからない女性にやたら声掛けするよりは効率はいい。ある意味、前のめりだから、ひっかかりもいいわけだ。もっとも婚活といいつつ、まだ、結婚などまるで考える気はなく、悪い言い方だが、美味しいところだけをいただいていた。

そんなことをしているうちに、ねるとんパーティの主催者とも仲良くなり、気づいたらイベントの“お手伝い”をするようになっていた。

これはテレクラや風俗遊びにも通じるコツ、つまり“スタッフを味方につけろ”だ。
私は人垂らしではないが、気づくとうまく取り入っている。変な競争心を持ったり、他人を押しのけたり、店員やスタッフのことを見下したり、ぞんざいな口をきいたりせず、どこか仲間のように接していたからだろう。不思議と気に入られ、知らぬ間に仲間に引きずり込まれている。だからといって、完全なスタッフではない。あくまでも、お手伝い。ここが重要だ。

ただのねるとん参加者や完全なスタッフではないニッチな立場が、女性には新鮮に映る。気軽にスタッフに話しかけていれば、“偽客(さくら)”と思われる。さくらというと、たとえばテレクラなら、店に雇われ、やたら話を長引かせつつもアポは取れない女の子、のように悪いイメージがあるが、ねるとんでは、本気で参加している男性とは違って、いい意味でのジョーカー的な視線を浴びることになった。特に意識をしていたわけではないが、自然といい立ち位置を獲得していたようだ。

ちなみに、元祖“相棒”からは、彼が後に奥様となる女性と付き合い始めた頃、彼女の同級生を紹介され、ダブル・デートなどもした。彼女と“ラブラブ・モード”(懐かしい表現だろ?)になる彼としては、私を“更生”させるための御膳立てだったかもしれない。
紹介されたうちの一人はデパートのブランド・ショップのチーフ、もう一人は実家の花屋の手伝いである。

前者は高級ブランドらしい優雅さを持った淑女、後者は気立てのいいあいくるしい美少女。“あいくるしい”など、綾瀬はるかに先駆けること、10年以上も前。その顛末だが、相棒には悪いが、私には邪まな遊び心が疼いている、“欲望と痴情の世界”に相棒の彼女の親友を巻き込むわけにはいかない。やんわりと、撤退させていただいた。

この転戦の模様を書きあげたら、切りがない。隠しネタは無尽蔵にある。その模様は、またの連載(!?)に譲らせていただこう。密かに楽しみに、お待ちいただきたい。

連日連夜、遠征、転戦を繰り返した私だが、その時に意識したのは“エコーズ”という響きや軌跡である。
池や川に小石を投げ込むと、波紋は際限なく、広がっていく。その広がる様や行く末を追いかけ、それに身を任せてみる。

実は、現在、作家として、また、中山美穂の亭主として知られる辻仁成(ひとなり)が辻仁成(じんせい)時代に組んでいたバンドがエコーズという。バンド名そのものはピンク・フロイドの同題の曲から取ったそうだが、同時に曲名だけでなく、小石を投げ込み、波紋を広がるということからも取ったというのを覚えていた。私自身もまさに池や川に小石を投げ込む人でありたいという思いであった。

ある意味、行き当たりばったり、出たとこ勝負。あるがまま、なるがままに身を任せるという感じだろう。気づくと、池や川の波紋のように、いろいろと人間関係が広がり、人の縁が繋がっていく。そのありていを楽しみつつ、その絆を紡いでいったのだ。

30代のバツイチ子持ち女性の自宅へなだれこむ

といささか、文学的、哲学的(というほどではないが)に話はずれたが、前回、ティーザー広告的に紹介した30代肉感女性について触れておかなければならない。いまでこそ、“バツイチ”という言葉が流布しているが、同表現は1992年からで、同年には流行語にもなっている。まさに、その女性はバツイチ、かつ、子持ちだった。

かの相棒と出会ったテレクラがきっかけで、彼女と暫く付き合う(私の付き合うだから、あまり真面目にとらないでいただきたい)ことになったが、最初の出会いは、鮮烈であった。

その30代肉感女性との出会いは“黒革の手帳”を見ると、88年4月とある。多分、深夜になる前、自宅から掛けてきたのだろう。待ち合わせ場所は不確かだが、とりあえず、お酒が飲みたいので居酒屋へと行こうということだったから、歌舞伎町のどこかだったと思う。

第一印象は、肉感的ということ。グラマラスというより、ムチムチとしている。だからといって、肥満というわけではない。卑猥な表現だが、抱き心地が良さそうな身体である。顔は当時、ホームドラマなどで、人のいい、お母さんの役をやっていた女優に似ている。残念ながら、その女優の名前は思い出せない。

離婚経験と子供ありという女性だが、元のご主人が経営する洋装店で、いまだにパート的に働いているという。離婚の原因などはあまり詳しくは聞いていなかったが、ご主人の浮気ではないようだ。それなら、仕事を一緒にすることなどはできないだろう。

仕事や子育て(子供は小学低学年)のストレスを吹っ飛ばしたいという。歌舞伎町の居酒屋に連れて行くことにした。実は同店、私の仕事仲間から聞いたところで、馬刺しとレバ刺し(いまではレバ刺しは幻になるが、当時はそんなことはない)が上手いところで、あまりレバーは好きではないが、そこのは平気食べれた。ニンニクとショウガが絶妙なバランスに醤油に絡み、絶品である。何故、表(という表現も変だが)の行きつけの店に彼女を連れていったかわからないが、なんとなく、信頼できる女性であると、判断したからだろう。一瞬の人の見極めは、直観のようなものだが、安全と危険の仕分けは、自然としている。なにしろ、不夜城・新宿を泳ぐ“新宿鮫”である。危険察知能力は、高まっている。危険を察知し、回避する術は、このような遊びをしながら習得していった。

まずはビールで乾杯をするが、すぐに焼酎に切り替わる。飲む量は半端ではない。鯨飲馬食という言葉があるが、私の想像を超えた飲みっぷりだ。むしろ、焦って酔おうとしているかのようにかき込む。よっぽど、嫌なことがあったのだろう、とにかく憂さを晴らしたいようだ。

その嫌なことや憂さの原因などは話してくれることはなかったが、飲み進み、酔っぱらってくると、色っぽくなるというより、怖いくらいに目が座る。そして、やたらと絡んでくる。私などは、どうせ身体目的のスケベ男という扱いである。勿論、彼女の見立てに間違いはなく、身体目当て以外の何物でもない。元のご主人に対する不満や子育てへの不安などをそれとなく聞いてみるが、あまり、まともな答えは返ってこない。大変な女性につかまってしまった、できれば、早く帰りたいというのが正直なところ。いまでこそ、離婚し、子供を育てている女性は少なくなくないが、まだ、当時は実際の数字以上には珍しいと感じられていたのかもしれない。周りの見る目なども余計にストレスを増殖させていたように感じる。

さらに酔いが回ると、いきなりキスをされる。酒臭く、とても下半身が反応するという類のものでもない。フレンチキスやディープキスなど、キスの手技に則ったものでなく、貪るようなキスだ。私的には奪われるというより、襲われるという感じだ。さらに、今度は首筋にキス(というより、噛みつく)、キスマークという可愛いものではない、噛み痕がついてしまう。本当に傷跡(!?)が残り、何故か、必要のないスカーフを数日間、する羽目になってしまった。

私自身、あまり酒を飲まないこともあって、酔っ払いの介抱は得意としていた。また、テレクラで会っただけで、素性もわからない女性だが、流石、捨て置くようなこともできない。それなりに責任感の強い私である。

まともに歩ける状態ではないので、私が彼女の家に送ることになる。幸いなことに家は歌舞伎町から車で10分ほど、さらに都合のいいことに、子供は両親の家に泊まりに行っているという。

タクシーにその女性を必死に担ぎ上げ(酔っぱらうと女性は本当に重くなる!)、乗せて、10数分で、彼女の家に着く。名称はマンションとあったが、どちらかといえば、アパートというのが相応しい。幾分、生活臭の漂う建物である。彼女から鍵を預かり、扉を開け、玄関からすぐの部屋に入る。その女性は倒れ込むように寝てしまう。男性を部屋へ上げる、いくら酔っているとはいえ、これはOKのサインだ。好きにしてくれといっているようなものだ。

居間に倒れている彼女を抱きしめると、強く抱きしめてくる。意識がある証拠だ。決して、酔った勢いで、何かをしようとしているのではない。ある種、自分自身を納得させながら、身体を抱きしめたまま、唇を奪う(今度は私が逆襲する番である)。酒臭さは相変わらずだが、居酒屋でのキスと違い、下半身を刺激する。

服を脱がせにかかる。大人しくセーターを剥ぎ取る際には、両腕を上げる。そして、スカートもすんなりと腰を浮かし、脱がしやすいようにしてくれる。

下着姿になると、予想通り(!?)の肉感的な肢体が現れる。程よい肉付きと、肌理の細かい白い肌がビールと焼酎で赤く染まる。裸体の紅白歌合戦やー。

さらに下着を脱がせようと、手にかけ、いざ、これからという刹那、彼女は懇願する。

「子供と一緒に住んでいる家ではやめて!」

ならば、どこならいいんだ、と、突っ込みを入れたくなるが、まるで、どこかで見た光景、何か、毎度のコントの落ちみたいだが、いつもいいところ、直前で駄目出しをされてしまう。

そんな言葉を無視し、顧みることなく、そのまま、脱がしてしまっても良かったのかもしれない。むしろ、その言葉は、ただのエクスキューズに過ぎず、本心ではなかったと取ることもできる。しかし、詰めの甘い、ごり押しが出来ない私である。そこで一気にテンションが下がり、邪まな欲情も一瞬にして萎えてしまう。こうなったら、潔く撤収するのみ。私は悔恨と安堵を抱きしめ、タクシーに一人、乗り込んだ……。

中野・タコシェにて『ドミナの園』発売記念・春川ナミオ展開催 7月14日(土)〜8月10日(金)

2012年7月14日(土)〜8月10日(金)まで、中野・タコシェにて『ドミナの園』発売記念・春川ナミオ展が開催されます。
会場では、7月27日(金)発売の『絵物語 ドミナの園』の先行発売も行ないます。

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絵物語「ドミナの園」の発売を記念して、気高く豊満な女性のお尻に敷かれるM男の悦びを一貫して描いてきた春川ナミオ作品の展示を行ないます。

また7月30日(月)〜8月11日(土)には、銀座・ヴァニラ画廊にて春川ナミオ展が開催予定です。

『ドミナの園』発売記念・春川ナミオ展開催

場所●タコシェ
〒164-0001
東京都中野区中野5-52-15 中野ブロードウェイ3F
日時●2012年7月14日(土)12時 〜 8月10日(金)20時まで

絵物語 ドミナの園


著●春川ナミオ
英訳●ドミニク・ウルフ
希望小売価格●2,800円+税(この商品は非再販商品です)
ISBN978-4-7808-0183-5 C0071
A5判 / 168ページ / 並製
[2012年7月27日刊行予定]

目次など、詳細は以下をご覧ください。
絵物語 ドミナの園

第7回■相棒

仲間達との“男子会”(女子会はすっかり定着したが、いまだにこの表現はあまりされないようだ。男とはつるむものだろうか?)に興じながらも、私達をゴミ呼ばわりする隠れ家のコールが薄くなってきていることを感じていた。援助交際や悪戯が頻発していたわけではなく、後年のように荒むという状況ではないが、なんとなく、いいコールが取れなくなっていた。アポする気もない暇つぶしの常連か、アポを取ってもすっぽかしという女性に当たることが多くなっていた。深夜料金をろくに払っていないものがいう台詞ではないが、コストパフォーマンスが落ちている。コールは、店の営業努力やマスコミの露出などに左右されるが、なんとなく、コールの波が来ず、凪いでいるような状態だったのだ。

ならば、狩場、釣り場を変えてみるしかない。このあたり、ハンティング・ワールド(否、ハンティング・ワード)満載だが、まだ、男達が狩りや釣りに精を出していた時代だ。出会い系など、姑息(!?)な言葉出現以前、ナンパという言葉が大手を振って、市民権を得ていた。

もっとも場を変えるといっても店を変えるくらいで、新宿・歌舞伎町からは離れがたかった。いわば、同じ山系の尾根と峰、同じ河川の上流と下流くらいの差異だろう。

ソープが林立し、古式ゆかしい名曲喫茶がある通りの端にあった「ワイズ」というチェーン店に行くことにした。パチンコの景品交換所の2階にある店舗で、都内だけでなく、近郊にも数店舗を有する大型店だ。それゆえ、店内も広く、アダルトビデオや風俗情報誌の品揃えも豊富だ(笑)。

ここは「ジャッキー」とは違い、早取り制ではなく、取次制である。フロントが女性のコールを取り、年代などの女性の希望を聞いて、該当する男性がいるボックスに回すという仕組み。一生懸命に習得した早取りの秘技を駆使する機会がなくなってしまったが、その分、ビデオを見たり、雑誌を読んだりできる。その分、心地よい緊張がなくなり、ルアーやフライのフィッシャーとしての張合いもないが、胃が痛くなるような思いをしないで済む。楽をさせていただいた。

ちなみに、ビデオボックスとしてのテレクラで見ていたのは、多少、時代の前後はあるが、早川愛美や東清美、村上麗奈、葉山レイコ、秋元ともみなど、可愛い&綺麗の美少女系のAV。あまり、AVには詳しくはないが、かの村西とおるが「ナイスですねー」なんて言っていた時代で、AV女優達はアイドル的な人気も得ていたと思う。

私自身は、実家住まいで、近所のレンタルビデオ屋が同級生の店という環境ゆえ、おいそれとAVを見る機会がなかった。唯一、見れる場所がビデオボックスという個室ビデオ店(ビデオが大量に陳列され、それをボックスタイプの個室で鑑賞できるところ)。まさに昭和の風俗だ。ビデオボックスがテレクラに変わったという感じだろうか。熱心に見た記憶はないが、AVや風俗情報誌を見ながら、時間をつぶしていた。

同所では、暫く、お付き合い(!?)する、離婚経験&子供ありという30代の肉感的な女性と出会っている。その女性とは居酒屋で落ち合ったが、酔った勢いで、キスマークが残るほど首筋にキスされ(というか、噛まれ)、さらには、その勢いのまま、彼女の自宅まで雪崩こむことになった。

肉感30代女性との出会いについてはまた、改めさせていただくが、その前に、前回に続く、ホモ・ソーシャルな出会いを語らせていただくことにする。テレクラ・ボーイズなので、当時の男性の行動や思考を書き留めることも、私の使命である。官能の情交描写は暫く、待ってもらいたい(笑)。

混線で男とデート!?

縁とは異なもの。不思議なこともある。

私が女子大生とアポを取っていたところ、まったくの偶然で電話が混線し、男性の声が聞こえてきたことがあった。会話中に時々通じなくなり、スムーズに話すことができない。それでも待ち合わせ時間と場所を決め、お互いの服装や容貌など、待ち合わせの目印は教えあった。少々心もとないアポだったが、とにかく待ち合わせ場所に行くことにした。

アポの場所は新宿ではなく、五反田。電車移動なので急いで個室を出なければならない。慌てて身支度をしてから個室を出ると、同じように個室から慌てて出てくる男性がいた。お互い、同じように焦っているので可笑しくなり、顔を見合わせる。初対面で、当然、面識も交流もなかったが、何故か、急いでいるにも関わらず、話し込んでしまう。

聞けば、先ほど、混戦していた女子大生とアポを取ったという。その女性は二人と同時に話していたわけだが、それに気付かなかったのだろうか。良く見ると、私達は年恰好も服装も似てはいた。

ダブル・ブッキングか。半信半疑だが、二人で、待ち合わせの場所まで行くことにする。その彼は、車で来ていたので、同乗させてもらうことにした。

同じアポを取った女性のところへ一緒に向かう。偶然とはいえ、かなり変なシチエ―ションである。何故か可笑しくなり、笑いが込み上げる。車中は、多少、ばつの悪さもあり、当たり障りのない話に終始したが、相手を出し抜いてやる、といった競争心みたいなものはなかった。それは運転している彼も同じで、特に焦ることなく、こんな状況を楽しんでいるかのように見えた。

待ち合わせ場所に着くと、果たせるかな、アポを取った女子大生は来ず。当たり前だ。混線して会話した二人の男性と会おうなんていう女性はいない。私達は当然の結果として、すっぽかしを食らう。

そこで解散しても良かったが、離れがたいものがあり(何度もいうが、私は異性愛者である!)、一緒に居酒屋に行くことになった。車なのにアルコールというのは、あの時代ゆえのこと。お許しいただきたい。

まずは、乾杯後、簡単な自己紹介。その男性、年齢は、私より少し下で、20代後半だった。ビル管理の会社に勤務していて、勤務時間が変則的で、時々、テレクラの朝までコースを楽しんでいるという。彼は同チェーン店の常連で、それなりの戦績(こんな表現が、ナンパ華やかなりし頃ゆえのこと)を上げているという。お互いの嬉し恥ずかしい武勇伝を披露しあうが、意外にも盛り上がったのが村上春樹の話題だった。

1987年に国民的ベストセラーとなった『ノルウェーの森』は、当時の男子の嗜みのような模範図書だったが、二人とも『風の歌を聞け』や『羊をめぐる冒険』など、彼のデビュー直後から注目していたことを誇らしげに語る。勿論、春樹以前、ヴォネガットやブローティガンなど、米文学にも精通していた。村上春樹的世界とは対極(でもないか)にいるような、生臭い遊びをしているにも関わらず、二人とも気分は文学青年。浪漫症候群でもあった。

後に、二人で夜更けに車を飛ばし、『パン屋再襲撃』と怒鳴りながら、大いに盛り上がったものだ。当然、深夜ゆえ、パン屋などはやっていない。マクドナルドは24時間営業だったかもしれないが、襲撃するような根性は持ち合わせていない(笑)。

いまにして思えば、男性が村上春樹噺で盛り上がるなど、若干の気持ち悪さもあるが、まだ、随分と若かった頃だ。それゆえ、お許しいただきたい。

その日以来、彼とはつるむことになるが、最初の再会の場所は、テレクラではなかった。

“アンド・フレンズ作戦”

新しい男性関係は、新しい女性関係を生む。私は、“アンド・フレンズ作戦”と名付けていた。

ある程度、そこそこ、ちゃんとした男性であれば、出会いがないといいつつも一人や二人くらいの女友達がいる。その女性とは恋愛関係になくても(むしろ、ないほうが望ましい)、飲み会(いわゆる合コン!)には、数合わせ、人数調整のため誘われるものだ。

そんな飲み会に私も駆り出されることになる。新しい男性関係は、そこから新しい女性関係に繋がる。ましてや、欲望を秘めた者同士、最初からお互いお里が知れている方が男性も連携しやすく、団体戦へ持ち込めるというもの。

その彼も私のように、会社も生活環境も違う、利害関係のない人間の方が気安く、声をかけしやすかったのかもしれない。

再会の場所は、新宿でも五反田でもなく、池袋である。結婚式場に隣接するレストランだった。その彼の知り合いの女性が主催したもので、男女3対3だったと思う。主催者は20代半ばの家事手伝いをしているお嬢様然とした女性。自由が丘に住んでいるという。下町生まれ、下町育ちの私からすれば、生息地(居住地)だけで、お嬢様と認定したくなる。育ちの良さそうな佇まいと、鷹揚な物腰。実はその女性、彼がテレクラで押さえておいたのだ(性交渉などには及んでないが、なんとなく、友達関係を維持していた)。合コン好きらしく、人材募集のためのテレクラ利用だった。勿論、そんなことはおくびにも出さない。

合コンそのものは、差し障りのない会話ながら、それなりに盛り上がった。私自身、普通の会社員ではなく、フリーランス(フリーター!?)だったため、物珍しがられ、私が振る話題も普段聞けないことが多かったようだ。

私の服装もスーツなどではなく、カジュアル(といってもそこそこ、お洒落はしていたつもり。何しろ、シップスにミウラ&サンズ時代から通っていたし、ハリウッド・ランチ・マーケットも外苑時代に行っている!)。ある意味、毛色が違うということで、合コンの彩として、しきりに声を掛けられることになる。

混線電話の彼とは、その後も“相棒”として、テレクラだけでなく、合コンやねるとん(もはや、説明が必要だと思うが、お見合いパーティとでも訳しておこう)、異業種交流会など、時間や場所を変え、転戦していた。彼のお蔭で、人間関係が飛躍的に広がった。当然、仕事などでも人脈は広がるものだが、仕事の場面では、自らの狩猟本能を隠蔽し、慎ましやかに謹厳実直を演じていた。遊びの人間関係の拡大は、彼がいなければ、なし得なかったこと。

不思議なことに、後年、その彼の結婚式へ出席して、私は友人代表として挨拶までしている。ちなみに、テレクラ仲間ということは二人だけの秘密で、周りには村上春樹ファンということで知り合ったなどと、まことしやかに説明している。勿論、彼の奥様も知らないことである(ちなみに、彼は奥様とは学園祭のねるとんで知り合っているが、それは周りには秘密にしている)。

あれから20数年経つが、いまだに年賀状は来る。数年に何度かは、会ってもいる。思えば、不思議な縁である。テレクラ・ボーイズの“絆”は、意外と強いもの。それに比して、男と女の関係とは脆く、儚い――。

第6回■BOYS BE DESIRE,JUMP THE MIDNIGHT!

いつしか、季節は夏から秋へと移る。“星空のドライブ”を共にした我が愛しの欲望のマーメイドとは、その後も何度か、会うことになった。特に付き合いをしている女性がいなかったので、彼女といえなくもなかったが、そんなことはこっちの勝手な思い込みだし、私自身、彼女が欲しいとも思っていなかった。

セックスフレンドという言葉が流布するのは90年代からだが、セックスができる女性がいれば良かった。二人で映画を見たり、遊園地へ行ったりなど、したくもなかった。前戯としてのデートという発想でしかなかった。若者向け男性誌では盛んにデート特集をやっていて、バブル時代を象徴する、いまにして思えば夢のような高級ホテルでのディナーやクリスマス・デートなどが紹介されていた。しかし私は、それは時間と金の無駄であると断じていた。

とはいうものの、下心もあり、その女性とはデートらしきことを続けていた。何度目のデートか忘れたが、歌舞伎町を職安通りに向かう、奥歌舞伎町という感じのところに、私のお気に入りの台湾屋台料理の店があり、いっしょに行ったことがあった。値段も手頃で、かつ、ホテル街の中にあるという、私のような人種(どんな人種!?)には、うってつけの店。

台湾料理をつまみながらビールを飲み、他愛のないことを話ながら時間をやり過ごすと、既に終電の時間は超える。勿論、意図的だ。あとは泊まるしかない状態に持っていく。幸い、周りはホテル街という理想的、思惑通りの展開だ。ホテルに誘うとすんなりとついてくる。今回は最後までという期待で、心臓が早鐘のように打つ。今度はしくじらない、強引にでも決めてしまえという思いも込み上げる。“きめてやる今夜”(BY 沢田研二)だ。

そこは当時のラブホテルらしく、風呂場がガラス張りで、照明を落とさないと丸見えになってしまうしつらえになっていた。さすがに明るいままではお互い恥ずかしいので、弱冠暗くしつつもなんとなく見えるという微妙な明るさに調整した。淡い光の中に彼女の身体がぼんやりと浮かぶ。彼女がシャワーを浴びた後、私も風呂へ入る。期待に胸を膨らませ、股間も膨らませる、と親父ギャグを入れておきたいところだが、多分、邪まな下心というか、そんな印を見られるのは恥ずかしいので、自制していたはず(笑)。

ベッドに入ると、いきなりキスをされる。口の中には飴玉が入っていて、それを口移しされる。大阪のおばちゃんではない、いきなり飴ちゃん攻撃だ。不可解な行動に頭をかしげつつも、気分は思い切り盛り上がる。口移しなど、なんと淫靡な行為だろう。

これは行ける。そんな確信を得る。これから始まることを存分に期待させる。前戯として、これほど、脳内物質を分泌させる行為はないだろう。身持ちの固い彼女も漸く、私を受け入れる心構えができたか。努力(!)の甲斐もあった。投資に見合う結果を得ることができようとしていた。

ところが、だ。またもや、そんな野望は脆くも打ち砕かれた。抱き寄せ、やや強引に挑もうとした刹那、背中を向けられてしまい、以前のように、やっぱり、出来ないと、拒否されてしまった。“仏壇返し”ではないが、無理やり抱き寄せ、はぁー? ここまで来て、何、恍けてんだ!と、思わず“ベッドやくざ”になるところだったが、私はDV男ではない。女性に優しい、聞き分けのいい男だ。すごすごと引き下がってしまう。そして歌舞伎町のラブホテルのベッドの上で、眠れる夜明けを、二人でいるにも関わらず、一人で悶々と迎えたのだった。

「『いき』の構造」

多分、その女性とはそれきりだったと思う。前述通り、恋人が欲しいわけではない。セックスできる相手を探しているだけだ。そのために恋人モードを演出し、恋愛詐欺をする気もなかった。もちろん、テレクラで、見ず知らずの女性に出会えてしまうことの驚きや楽しみがあったが、それだけではなく、根底には、手っ取り早く目的に到達したいという思いもあった。だからこそテレクラに走ったのだ。

そのデート後、彼女から手紙や電話を貰ったが、適当な理由をつけ、会うことを断り、疎遠になった。別れ話を切り出すでもなく、自然消滅を狙ったのだ。散々、寸でのところで、私を袖にしながら、それでも会おうという彼女の気持ちを当時は理解できなかった。いまなら、なんとなく、理解できる。マズローの「欲求段階説」ではないが、その女性にとって、手順や順番を踏む、段階を経ることが大事だったのかもしれない。「好き」とか、「愛している」とかを嘘でも言っておけばよかったのだろう。しかし、誠実な私(笑)は、そんな嘘はつけない。もっとも、“出会い系”の世界で、そんな段階が取り払われるには、そう時間はかからなかった。それは、また、別の話として、話を先に行かせていただこう。

いうまでもなく、私は切り替えが早い。そんなにも早く切り替えができるのは、ある本の影響でもあった。実は、九鬼周造の「『いき』の構造」という「いき」を考察した研究書を、同郷のストリート詩人に勧められ、読んだことがあった。その詩人とは、偶然、あるストリート・ライブで見初め、私が声かけさせていただいたが、大川(隅田川)の上流と下流に棲むもの同士ということで、親しくなった。「『いき』の構造」は古語が多く、難しい本だったので、すべてを理解などはできなかったが、読了後、いたく、感銘を覚えたものだ。いきの表徴は異性に対する「媚態」と、「意気地」、そして「諦め」であると書かれていた。特に、その“諦観”観には共感して、心の中へ留め置かれたのだ。

それだけでなく、「『いき』の構造」以前に、私の父が歌舞伎や落語などに親しみ、花柳界の遊びをしていたこととも関係があったかもしれない。父は有名な芸妓や幇間(ほうかん)などとも親交(テレビにも出ていた芸者から家に電話がかかってきたこともあった。父と声が似ているため、いきなり馴れ馴れしく話しかけられた)があった。そんな血筋ゆえ、いきやいなせには、それなりの拘りがあり、田舎臭いことやださいことは忌み嫌っていた。すべてにおいて執着や固執を捨て去り、あっさり、すっきり、瀟洒たるということを心掛けてもいた。

それゆえ、その女性に対しても深い追いせず、すぐに次みたいな発想になったのだと思う。ある種、「いき」の美学への憧れでもある。勿論、テレクラに行けば、いくらでも出会いの機会は転がっている。何も一人に執着や固執する必要はない。そんなのは野暮というものだ。

テレクラの“ゴミ”たち

そんな格闘を連日しているうちに、気がつけば深夜を過ぎ、翌朝までテレクラに居残ることが多くなった。“日々旅にして旅を栖(すみか)とす”ではないが、テレクラが住処のようになっていた。勿論、そういう輩は、私だけではなく、同じような連中も多かった。そんな“居残り佐平次”は、いつしか、“ゴミ”と呼ばれるようになる。ある意味、蔑称で、失礼な話だが、その分、特典もあった。

テレクラに日参していれば、不思議と客同士も面識ができ、交流も生まれる。客同士の仲が良いというテレクラも珍しいが、ボックスを出て、事務所前の溜まり場(ビデオや雑誌などが置いてあった)で情報交換をしているうちに、自然と打ち解けてくるものだ。仕事や生活、年代も関係なく、大人の社交場のようなものができる。お互い、女の穴を追う、スケベな男同志、同好の士として、不思議な連帯感も生まれる。地位や役職も関係ない、ある意味、対等な関係が心地良い。くだらない馬鹿話や風俗話、武勇伝などを語り合う。時には女性からのコールもそっちのけで、盛り上がることさえあった。

そんなミッドナイト・トーク・セッションには、テレクラでアルバイトしている大学生も加わった。その彼は遅番で、深夜から早朝までを担当していた。彼が店番のときは、常連から金をとらなくなるのだ。その分、ゴミ扱いされるわけだが、最初の入店分を払っていれば、朝までの延長料金は払わず、無料で過ごすことができた。全員がヘビーリピーター、テレクラ中毒患者だ。それまでに相当の金を店に落としている。顧客サービスもあったのだろう。同時にアルバイトだから特にノルマがあるわけではなく、熱心に仕事する必要もない。そんな気楽さというか、いい加減さもあったかもしれない。私達は遠慮なく、甘えさせていただいた(笑)。

ゴミと言われる常連にはいろんなメンバーがいたが、純然たる会社員より、自営や自由業が多かったように思う。深夜から朝までテレクラにいられる職種など、限られる。フリーのカメラマン(英国BBCのカメラクルーをしているといっていた)、映像関係の技術者(スピルバーグと連絡を取り合っているといっていた)、大学の助教授(某有名音楽家と共演している音楽家の親戚といっていた)……。それが本当か嘘かはわからない。私自身も適当に職業をいっていた。時間が不規則というところで、デザイナーなどといっていたはずだ。

すべてが本人の自己申告である意味、いい加減で、曖昧でしかないが、だからといって、特に詮索されることもない。本当のことを言えなどと誰も言わない、素敵な仲間達である。社会学的にはホモソーシャリティというらしいが、そんな男同志の関係が居心地良くも、楽しくもあった。

誰かががアポを取ったら、皆で見に行ったり、テレクラの近くにあるヘルスやキャバクラへ団体で遊びに行ったりもした。また、近くのスーパーで食材を買い込み、テレクラの溜まり場で、鍋までやった。ここまでくると、テレクラという枠を外れ、大学の部室みたいな感じさえする。多分、ナンパ研究会みたいなサークルがあれば、そんなサークルの部室という雰囲気だろう。

欲望や野望を剥き出し、女性と出会い、セックスするという同じ目的を持った仲間。建前は不要、本音を語り合う。それでいて、嘘やハッタリも許し、プライバシーにずけずけ入り込まない。緩い人間関係だが、そこは自分が自分らしくいられるところでもあった。

私が学生時代から務めていた企画会社は、資金調達のため、社員に高利貸しから金を借りてこさせるようないい加減な会社だったが、私自身は真剣に仕事に取り組んでいた。その熱心な仕事ぶりから、周りからは生真面目な人間と取られていた。それなりの人望や評価も得ていた。ところが、本当の自分(というほど、大袈裟なものではないが)は、生真面目どころか、これまで風俗絡みの数々の武勇伝(!?)を披瀝してきたが、とてつもないろくでなし(思わず、ワハハ本舗の梅垣義明のピーナッツを鼻から飛ばす歌が浮かんでくる!)だ。そんな自分を曝け出し、自然体でいられる場所だった。随分と楽になれたものだ。女性を落とすため、日々格闘しながらも、私は思い切り、自分自身を開放していった。多分、それは私だけでなく、その場にいるものも同じだったと思う。誰もが第二の青春時代ではないが、自動延長のモラトリアム期に、ミッドナイト・パーティやワンナイト・カーニバル(氣志團か!?)を思い切り楽しみ、馬鹿騒ぎしていた。

大志ではなく、欲望を抱いたテレクラ・ボーイズはグッド・フェローズでもある。ゴミ同士で団体戦はしなかったが、利害関係のない遊び仲間を持つということ、それがいろんな女性と出会い、セックスする機会を増すことに繋がっていった。つまらない競争をするのではなく、男同志がつるんで共闘する。変なライバル心や、相手を出し抜くなどのいやらしい心を捨てると、獲得できるものもあるのだ。釣り場(狩場)を変えてみたら、“相棒”が待っていた──。

TOWER RECORDS ONLINEでの連載「アイドルのいる暮らし」第2回:ガリバー編を公開しました

TOWER RECORDS ONLINEでの連載「アイドルのいる暮らし」の第2回:ガリバー編を公開しました。
著者は『グループアイドル進化論』共著者の岡田康宏(@supportista)さんです。
この連載は、ポット出版から単行本として刊行を予定しています。

平日のライブ会場やショッピングモールで行われるイベントで、いつも見かける大人の姿がある。けっこういい歳してるけど、この人たちはいったいどんな生活をしているのだろう?

大人のアイドルファンは、アイドルファンであるだけではなく日常を生きる社会人でもある。お金も暇もある大人のオタクには、元気なだけの若者にはない深みと趣きがある。ライフスタイルとしての現場系アイドルファン、大人のオタクの遊び方とは?
今回お話を伺ったのはガリバーさんだ。20代後半会社員。社会人5年目。大阪の実家で両親と暮らしている。ASAYAN世代で、福岡にいた大学生時代にハロプロにハマりアイドルファンに。狼脳でねとらじDJ、当初はハロプロ一筋だったが、ももクロがきっかけで他のアイドルも見に行く「DD」となり、2011年に参加した現場は341現場。遠征も含めて毎週末のイベント参戦は欠かさず、1日3現場から多い日には6現場を回す。今は愛媛・ひめキュンフルーツ缶を熱烈に応援しているという彼に、自身の応援スタイルや遠征、地方アイドルの魅力などについて話を聞いた。

アイドルのいる暮らし 第2回:ガリバー編

『劇画家畜人ヤプー4【復刻版】―無条件降伏編』(監修:石ノ森章太郎/原作:沼正三/作画:シュガー佐藤)を発売しました

新刊『劇画家畜人ヤプー4【復刻版】―無条件降伏編』を発売しました。

石ノ森章太郎(監修)×沼正三(原作)による戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』のコミック化第四巻を復刻(初版は1994年「辰巳出版」より)。

目次など、詳細は以下をご覧ください。
劇画家畜人ヤプー4【復刻版】―無条件降伏編
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『論集文字 第1号 改訂版―漢字の現場は改定常用漢字表をどう見るか』(編:文字研究会)を発売しました

新刊『論集文字 第1号 改訂版―漢字の現場は改定常用漢字表をどう見るか』を発売しました。

改定常用漢字表で、結局、なにが変わったのか?
新聞校閲、学校教育、業務システム、ネットと出版の現場から、身近な漢字の変化に迫る。
※本書は電子書籍「論集文字 第1号」(2011年5月)を改訂した紙版です。

目次など、詳細は以下をご覧ください。
論集文字 第1号 改訂版―漢字の現場は改定常用漢字表をどう見るか
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【電子書籍版】論集文字 第1号

改定常用漢字表で、結局、なにが変わったのか?
新聞校閲、学校教育、業務システム、ネットと出版の現場から、身近な漢字の変化に迫る。

※本書は電子書籍「論集文字 第1号」(2011年5月)を改訂した紙版を元に、改めてPDF化したものです。
紙版では抜粋とした「改定常用漢字表(文化審議会答申)」を全文掲載しています。